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光文社古典新訳文庫の軍門に下ることにした | 2021-06-24T22:40:40+09:00 | false |
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AmazonがKindle Unlimitedの割引セールをやっていたので加入した。この手のセールはあらゆる事象にかこつけて事実上年がら年中行われているが、既に無料お試し期間を消費し終えた僕のようなユーザはたいてい対象外だったりする。幸いにも今回はいつもより適用条件が緩く、割引後価格も3ヶ月間99円とまさに破格だった。
とはいえKindle Unlimitedの国内における評判は芳しくない。「読み放題」を謳うサービス内容からNetflixやAmazon Prime Videoを連想させてしまうせいか、同等の品揃えを期待してタイトル一覧を眺めるとえらく肩透かしを食ってしまう。先の例で大人気ハリウッド超大作が観られることはあっても、Kindle Unlimitedで本屋大賞や芥川賞の受賞作がたちどころに読み放題になることはまずない。アメリカだとまた違うのだろうか?
では当該のサービスはまったく無価値かといえば、決してそんなことはない。たとえ売れ筋の作品がなくともわれわれには光文社古典新訳文庫がある。このレーベルは岩波書店などで扱われている古典文学や哲学書を平易な形に翻訳し直した代物で、2006年に創刊した若さゆえか電子書籍化にも熱心な姿勢がうかがえる。
そう、誰もが名前くらいは聞いた覚えがある「老人と海」や「リア王」などの英米文学、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」やJ.S.ミルの「自由論」をはじめとする古今東西の哲学書が、Kindle Unlimitedに加入していればすべて読み放題なのだ。今すぐここから対象作品のラインナップを確認して、その圧倒的な物量に打ち震えるがいい。
古典を読む意義はみんな至るところで散々聞かされている。いかにもな理由を挙げることはたやすい。しかし僕はというと、微妙な立ち位置だ。「読みたいから読んでいるだけさ」などと鷹揚ぶって振る舞えるほどの胆力はないし、かといって種々の教育的指導が宣うご利益の方もだいぶ疑わしいと思っている。では、なぜ読むのか……強いて挙げるなら、商業主義的な気配がしないような気がするから、とでも言っておこうか。
今時の商業作品は文化の蓄積や企画力の向上に伴って、読者のツボを突くことが極めて上手くなってきていると感じる。表紙やパッケージ、宣伝文句は高度に洗練され、われわれはもはや自前の審美眼をさほど働かせなくても好みの作品に辿り着けてしまう。そこには狙ったターゲット層を接待せんとする旺盛な企図が存在するからだ。
本来はとてもありがたい話に違いない。称賛こそすれ批判する余地はない。だが、僕はそんなお仕着せの雰囲気が、どうにも時として疎ましく感じる。あたかも昔のSF映画に出てくる全環境適応型の全身タイツを着せられたかのよう――確かにフィット感と温度調節はこの上なく完璧だが――いつも着ていたくはない。そういう時に古典を手に取る。あ、でも、もし実在していたら何着かはもらっておこうかな。色は銀がいい。
要するに、僕は自分に合っていない名作が読みたいのだと思う。合っていないはずの作品から面白さを見出したその瞬間に、僕は僕の世界が数インチくらい広がったような快楽を覚える。現代の作品を目隠しして選んでも同じ試みは可能かもしれないが、歴史の荒波を乗り越えてきた古典の方が期待値は高い。
とはいえ、とはいえだ。古典作品がなかなか読みづらくできているのは否めない。訳し漏れがない精緻な翻訳は、学術的価値こそ高いがたちどころに眠気を誘発する。文意の取りづらい難解な文章にいつまでも根気強く付き合ってられる人間は稀である。僕もごく一般的な左翼学生であった当時、サークルの勉強会を通じてマルクス主義の理解に努めたものの、結局どの本も大して読み進められなかった。かの有名な「資本論」は今でもまともに読める翻訳が存在しないことで知られている。
そこへいくと光文社古典新訳文庫は本当に目に馴染みがよい。残念ながら「資本論」はまだ刊行されていないが「賃労働と資本/賃金・価格・利潤」は相当読みやすく書かれている。他にも「タイム・マシン」(H・G・ウェルズ 著)や先に挙げた「リア王」(ウィリアム・シェイクスピア 著)をこの機に再読したが、まるで大衆小説のような装いで楽しく読み進められた。同レーベルが掲げている「いま、息をしている言葉で」との標語に偽りはなさそうだ。
もちろん、読みやすい翻訳には欠点も存在する。緻密な翻訳と読みやすさはトレードオフなので、同レーベルの翻訳は専門家の視点からするとどうしても辛い評価にならざるをえない。事実、光文社古典新訳文庫版の「赤と黒」(スタンダール 著)は大学教授に論文でバチボコに罵られ、ちょっとした騒動にまで発展したらしい。同様に「カラマーゾフの兄弟」(フョードル・ドストエフスキー 著)などのロシア文学方面でも翻訳の粗が指摘されている。
このような経緯もあって、以前の僕は岩波書店や筑摩文庫の方を頑張って読み込もうとしていた。結果、にじり寄る眠気に負けて多くの書籍が未だ役割をまっとうできぬまま本棚に佇んでいる。だから、もういいんじゃないかと思う。文学専攻の大学院生でもあるまいし、厳密な正確性よりもまずは物語を知らなければ文字通り話にならない。なにより、同レーベルで再読した「リア王」は面白かった。
そういうわけで、僕は光文社古典新訳文庫の軍門に下ることにした。とりあえず3ヶ月間は読み放題なのだから、手当り次第に読んでみても損はない。古典を読む意義といえば、普段は滅多に目にしない凝った言い回しを学べるところが好ましい。その手の文節を己の身に蓄えていって、ブログかなんかでちょっとずつ使っていけばいつの日か本当に自分のものにできる気がして嬉しくなる。