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2023-12-31 20:42:33 +09:00

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title: "地面と対話するためのインターフェイス"
date: 2023-12-31T20:42:23+09:00
draft: false
tags: ['essay']
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ランニングを始めた頃、僕が最初に買ったシューズはアシックスの[JOLT2](https://www.asics.com/jp/ja-jp/jolt/c/ja40101126/)だった。見た目は少々無骨だが頑丈で、文字通り駆け出しのランナーを保護するための機構が盛り込まれたプロダクトだ。その上、非常に安い。Amazonだと4000円台で手に入る。僕は今でもランニングを始める人には自信を持ってJOLTを勧める。現行のJOLT4はきっとさらに改良が進んでいるのだろう。
履いた時の感触はいかにもがっちりしている。踏み込むと、やや固い。地面の固さが伝わっているのではない。ソールが一枚岩を象って地面の凹凸を吸収している。それゆえ走り方や路面状況に脚部が侵される心配はほとんどない。なにかと故障の絶えない初期のランニングにおいて極めて重要な要素を満たしている。
しかし、走り出して数ヶ月も経つと他の選択肢が欲しくなってくる。念に念を入れて厚着した服をだんだんと脱ぎたくなるように、一度解放されてみたいという気持ちが強まってきたのだ。順調に習慣化が進んだセルフご褒美の側面もある。そこで、次に選んだのがアディダスの[Pureboost](https://shop.adidas.jp/products/GW8589/)と[Adizero RC](https://shop.adidas.jp/products/ID6915/)だ。
Pureboostに搭載されたブーストフォームはまったくの新感覚を僕に与えた。間違いなくJOLTより薄いはずなのに、決して固くない。それでいて地面とのインタラクションを程よく感じられる。そんな絶妙な調整が僕をひたすら前へと運んだ。以降、5年間に渡り僕の不動のメインシューズであり続けたのも、ひとえにこの完璧なバランス感がものを言っている。
対して、Adizero RCの扱いは難しかった。地面との接地感が極端に強すぎる。当時、僕はランニングシューズの性能表をあまり理解しておらず、ほぼ見た目だけで選んでいた。前述の二足を選んだのも機能性で振り分けたのではなく、たまたま欲しい色とデザインをしていたからだった。当然、初心者を脱したとはいえ今なお保護を要する僕の脚に、Adizero RCがもたらすサバイバル・オブ・ザ・フィテストな刺激は耐えられなかったらしい。
JOLTを履いていた頃、地面との対話は良くも悪くも皆無に等しかった。シューズが全部よしなにやってくれていたからだ。折衝の手間が省けているおかげでどんなふうに走っても地面に反発される恐れはない。がっちりしたソールに足裏を委ねて、ただひたすら走るだけだった。Pureboostはもっと気が利いていて、ブーストフォームが不愉快な対話をフィルタリングする。僕は疲れて気まずくなったら息を吐いて後は彼に任せればよかった。
Adizero RCはそうではない。一歩踏み出すたび、剥き出しの牙と化した地面が僕の脚を貫く。別に地面は敵意を持って襲いかかってきているわけではない。地面とはもともとそういう存在なのだ。旧い時代、僕たち人類の祖先はベアフットで地面と対話するにあたり、自らの足裏の皮膚を硬化させて彼らの通信プロトコルに適応してきた。幾重もの裂傷と流血なくして地面とは対話できなかった。
だが現代では、シューズを通して地面と対話する。シューズが代わりに地面と接地して、ユーザが期待しうるインタラクションを提供している。そこへいくとAdizero RCのそれは僕には過激すぎたと言わざるをえない。奇妙なことに、ウォーキング用として見るとAdizero RCはとても具合が良くなる。ベアフットに近いオーガニックな接地感覚が、徒歩では快く足裏に伝わる。230g台という尋常ならざる軽さが単なる街歩きをより軽快に彩ってくれる。
それから5年も経つと、言うまでもなくシューズの状態は一変している。歩きでしか使っていないAdizero RCは今でもそれなりに真新しいが、とことん走り倒されたPureboostはグレーカラーではないはずのソールまで黒く薄汚れている。ところどころにはほつれや破れも見られ、いくらなんでも買い替えないわけにはいかなくなった。いよいよステップアップの時期だ。
経験を重ねて僕の走力は飛躍的に向上した。5kmも走れば寝る以外なにもできなくなっていたあの頃から、寝起きでもハーフマラソンを走り余裕を持て余すほどに進歩を遂げた。速度も8分/kmから4分/kmへと2倍伸び、もはやいっぱしの市民ランナーを気取っても差し支えはないと自負している。2万円を越えるランニングシューズを買うにはこのように自分自身に言い聞かせなければいけない。
そうして、次に選んだシューズはアディダスの[Ultraboost Light](https://shop.adidas.jp/products/HQ6351/)だ。Pureboostの上位モデルでソール部分がより強化されているものの、Lightは幾ばくかの軽量化が図られている。試着した直後の感触ではオリジナルのUltraboostのクッション性能に感銘を受けたが、頻繁に1時間も走る習慣を考えたら軽い方が好ましいだろう。
実際、この推測は大いに当たった。Ultraboost Lightの走り出しは、それでもまあ、若干重い。Pureboostと比べて40gも重いのだから致し方ない。しかし、ソールに織り込まれた高反発性の素材が自重を上回る加速感を脚部に与えてくれる。不思議と、重いはずなのにPureboostよりも速く走り込める。
走り出して30分も経つ頃には旺盛に盛られたブーストフォームのぎちりとした収縮の感触が、地面の過剰なインタラクションを排して心地よいフィードバックに変換する。疲れを疲れとも思わせない新時代のテクロジーがランニングの後半に力をもたらしめる。結果、購入当日にしていきなりベストスコア更新を達成した。
日々、地面を踏みしめてつくづく感じるのは、シューズはまさしく地面と対話するためのインターフェイスだということだ。シューズ次第で地面は都度表情を変え、野性味あふれる猛獣にも、物静かな引き立て役にも変化しうる。毎日、どのシューズを選んで外に繰り出すかで、僕たちは常に地面との対話の在り方を選択しているのである。