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title: "マンション自治会の小政治"
date: 2024-04-14T15:28:08+09:00
draft: true
tags: ['diary', 'politics']
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ことの始まりは昨年末、郵便受けに入っていた一枚の檄文からだった。そこには、ある人物がマンション自治会の次期会長に立候補する旨が記されていた。以前から折りに触れて書いているように、僕は埼玉のある団地に住んでいる。建物は古いとはいえ駅から徒歩10分、大型スーパーまでは5分足らず、近隣には繁華街もあるなど周辺環境が非常に良く、その割に家賃も安い。
代わりに、マンション自治会への協力が半ば義務付けられている。各階の住民は毎年2人ずつ「代議員」と呼ばれる広義の生贄を選び、自治会に供出しなければならない。代議員の仕事は自治会費の徴収や連絡事項の通達をはじめとして多岐にわたる。同じ階に新しい人が入居した際には案内役を務めることもある。
とりわけ毎月、平日夜に当然の顔で開催される代議員集会は負担が重く、かといって不用意に欠席すると後で関係者が自宅に注意を促しにやってくるものだから行かないわけにもいかない。当然、こんな面倒な仕事など誰もやりたがらないので毎年、年度末が近づくと各階の住民は膝を突き合わせて次の代議員役を押し付け合う格好となる。
しかしさすがにそんなのは非効率である、との声も次第に上がったのか、僕が入居した階ではすでに独自のルールが敷かれており、内々に用意された帳簿で代議員歴を管理して持ち回りで選出する方針を採っていた。各階には15以上の部屋が存在するため、一度やれば最低でも7年は回ってこない。そんなに経つ頃にはさすがに飽きて引っ越しているに違いない。僕は中学生以来、同じ場所に5年以上留まった試しがない男だ。
そういう事情から3年前に代議員を一度務めた。入居して1年足らずでの選出はあまり前例がないそうだが、面倒なだけで難易度的には大した仕事ではない。こうして能動的に働くことでコミュニティの輪郭も幾分掴みやすくなる。任期中、[廊下に撒き散らされた糞便を回収する](https://riq0h.jp/2021/12/04/202734/)という厄介な任務を仰せつかったりもしたが、結果的には良い感じに顔を売れたと思う。だが、二度とやりたくはない。
さて、末端がこんな有様なら上層部はいかにして選ばれているのか。これは至極単純で代議員の中からくじ引きで選ばれる。選ばれた者は晴れて「役員」となり、それぞれ専門の管轄を割り当てられる。そうして役員を勤め上げた者の中から自治会の上層部が決定される。要するに、運の悪い人ほど出世していくという、競争社会とは真逆の形態をとる誠に不可思議な組織体制なのだ。最後に、その中でもっとも運の悪い人物が自治会のトップ――自治会長に任ぜられる。
しかしこの自治会長、実は自ら立候補もできる。30人以上の推薦人署名を獲得し、代議員の過半数に承認された人物は自治会長になれる。ご覧の通り、誰も望んでやりたがらない仕事ゆえほぼ死文と化していた仕組みだった。ところが昨年末、この自治会長になりたがる人物が現れた。ここでようやく話は冒頭に戻る。その人物――仮にYとしよう――は、マンションの全戸の郵便受けに檄文を配布して推薦人を募っていた。
檄文の内容はとても興味深い。そこでは実質的に自治会組織の解体が謳われていた。まず役員制度を撤廃して一切の権限を自治会長に集約――末端の小間使いであるところの代議員も各階1人ずつに縮小――自治会費も当面の間は内部留保されている預貯金で済ませると謳う。自治会が催す健康体操の会や児童会、その他イベント、集会の類はことごとく廃止、やりたい人は勝手にやればいいとの構えだ。
こんな荒業がもし本当にできるのなら大いに結構な話に思われる。たとえ少額でも金を払わずに済むに越したことはない。なにより代議員の仕事が大幅に減り、かつ、今後運悪く役員として召し上げられるリスクもなくなる。まさに願ったり叶ったりではないか。この時、僕はかなりの部分においてY氏を支持しかけていた。
その後も事あるごとに追加の檄文が郵便受けに入った。先の気前の良い表明がものを言ったのか30人を遥かに上回る推薦人署名を獲得したという。来る日も来る日も、それらの文面にはいかに自治会の現体制が非効率の極みであるか、あらゆるビジネスを幅広く手掛けてきた自分ならどんなにうまく運営できるかが太文字のゴシック体で記されていた。
あたかも過ぎ去りし学生運動の時代を彷彿させる文章の数々は、郊外のいちマンション自治会に過ぎない組織にも政治闘争が存在しうる事実を強く印象付けた。というのも、ここへきて事態は急展開を迎えたからだ。会則によると、自治会は所定の役員が揃わなければ次の自治会を発足させることができないのである。
つまりY氏が適切な手続きを踏んで自治会長に就任するには、撤廃する予定の役員を自ら集めなければならない。面倒な仕事が減るのならと喜び勇んで推薦人署名した人々が、たとえ一時的だとしてもそんな政争臭い役割を負うはずもなく状況はそのまま4月にずれ込んだ。新たな役員を募る緊急集会が催されるも、手を挙げる者は一人として現れない。
これにはY氏も怒り心頭、檄文の語気はいよいよ罵詈雑言の類と相成り、不正、訴訟、裁判といった物々しい文言が紙面に踊った。住民の与り知らないところで非公開の会合も催されたらしく、Y氏と現体制の凄まじい言い争い――というよりはほぼ一方的な痛罵――を文字起こしにしたものが我々にも公表された。ここへきて、期待のニューリーダーと目されていたY氏の品性が露見せしめたのである。
今月末、自ら自治会を発足できないY氏に代わり、採決が行われる。Y氏を自治会会長とするか、現体制の任期を延長するか――言わずもがな、結果は見えている。Y氏には質疑応答の機会が与えられていたが「出かけている」と言ったきり、ついぞ我々の前に姿を晒すことはなく檄文のみが郵便ポストに入り続けた。
もちろん、現体制は必ずしも理想的な運営を行ってきたわけではなかった。確かに自治会費は安くはない。効率も良くはない。各種イベントにも意義があるかどうかよく分からない。しかしながら、明らかに半ば嫌々任された仕事を彼ら彼女らは、たとえ少数のニーズであっても種々の手続きと規則に基づいて拾い上げ、これまで粛々と対応してきたのである。僕にとってはどうでもいいことでも、他の誰かにとっては大切なのだろう。
一連の出来事は、外の社会のあらゆる側面を示唆しているように思われた。いわばマンション自治会の小政治だ。こんな日常の出来事からでもより広い物事の興りを推察できると考えれば、こうした関わりに一枚齧っておくのもそう無駄ではないのかもしれない。そんなわけで、むこう7年はやらずに済むはずの代議員を僕は今年もやっている。