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2024-04-14 22:18:20 +09:00

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マンション自治会の小政治 2024-04-14T15:28:08+09:00 true
diary
politics

ことの始まりは昨年末、郵便受けに入っていた一枚の檄文からだった。そこには、ある人物がマンション自治会の次期会長に立候補する旨が記されていた。以前から折りに触れて書いているように、僕はさいたま市のある団地に住んでいる。建物は古いが駅から徒歩10分、スーパーまでは5分足らずと周辺環境が非常に良く、その割に家賃も安い。

代わりに、マンション自治会への参画が半ば義務付けられている。各階の住民は毎年2人ずつ「代議員」と呼ばれる広義の生贄を選び、自治会に供出しなければならない。代議員の仕事は自治会費の徴収や上層部の連絡事項を各階に伝えるほか、新しい住民が同じ階に入居していた場合には案内役も務めるなど多岐にわたる。

とりわけ平日夜に当然の顔で開催される集会は負担が重く、かといって不用意に欠席すれば後で役員が自宅に注意を促しにやってくるものだから行かないわけにはいかない。もちろん、こんな面倒な仕事など誰もやりたがらないので毎年、年度末が近づくと各階の住民は膝を突き合わせて次の代議員役を押し付け合う格好となる。

とはいえさすがにそれも非効率である、との声も次第に上がったのか、僕が入居した階ではすでに独特の体制が敷かれており、内々に用意された帳簿で代議員歴を管理して順番に回していくという方針を採っていた。各階には15以上の部屋が存在するため、一度やれば最低でも7年は回ってこない。そんなに経つ頃にはさすがに飽きて引っ越しているに違いない。僕は中学生以来、同じ場所に5年以上留まった試しがない男だ。

そういうわけで3年前に代議員を一度務めた。入居して1年足らずでの就任はあまり前例がないそうだが、面倒なだけで難易度的には大した仕事ではない。こうして能動的に動くことでコミュニティの輪郭が掴みやすくなるし、近辺の状況が分からないまま日々を過ごすのは微妙に不利を抱えているとも言える。途中、廊下に撒き散らされた糞便を回収するという厄介な任務を仰せつかったりもしたが、結果的には良い感じに顔を売れたと思う。

さて、末端がこのような有様なら上層部はいかにして選ばれているのか。これは至極単純で代議員の中から勝手に選ばれる。選ばれた者は「役員」となってそれぞれの専門領域を担う。そうして「役員」を勤め上げた者の中から自治会の上層部が任命される。運の悪い人が出世していくという、競争社会とは真逆の形態をとる誠に不思議な組織体制である。そして、もっともその中でも特に運の悪い人物が自治会のトップ――自治会長に任ぜられるのだ。

ここでようやく話は冒頭に戻る。しかしこの自治会長、実は立候補することもできる。30人以上の推薦人署名を獲得し、代議員の過半数に承認された人物は自治会長になれる。ご覧の通り、誰も進んでやりたがらない仕事ゆえほぼ死文と化していた仕組みだった。ところが昨年末、この自治会長になりたがる人物が現れた。その人物――仮にYとしよう――は、マンションの全戸の郵便受けに檄文を配布して推薦人を募っていた。

檄文の内容はとても興味深い。そこには実質的に自治会の破壊が謳われていた。まず役員を撤廃してすべての権限を自治会長に集約――末端の小間使いであるところの代議員も各階1人ずつに縮小して、自治会費も当面の間は内部留保されている貯金で済ませると謳う。自治会が催す健康体操の会や児童会、その他イベント、集会の類はことごとく廃止、やりたい人は勝手にやればいいという構えだ。

こんなことが本当にできるのなら大いに結構な話だ。たとえ少額でも金を払わずに済むに越したことはない。なにより代議員の仕事も減り、今後、運悪く役員として召し上げられるリスクもなくなるという。まさに願ったり叶ったりではないか。この時、僕はかなりの部分においてY氏を支持していた。

その後も進展があるたびに追加の檄文が郵便受けに入り続ける。先の気前の良い表明がものを言ったのか30人を遥かに上回る推薦人を獲得したらしい。来る日も来る日も、その文面にはいかに自治会の現体制が非効率の極みであるか、あらゆる商いを幅広く手掛けてきた自分ならどんなに賢く運営できるかが仔細に記されていた。

あたかも過ぎ去りし学生運動の時代を彷彿する文章の数々は、郊外のマンションのいち自治会に過ぎない組織にもれっきとした政治が存在していることを強く印象付けた。というのも、ここへきて事態は急展開を迎えたからだ。自治会の会則によると、自治会は所定の役員が揃わなければ自治会を発足させることができないのである。

つまり、Y氏が適切な手続きを踏んで自治会長に就任するには、撤廃する予定の役員を自ら集めなければならない。面倒な仕事が減るのならと喜び勇んで推薦人署名した人々が、たとえ一時的だとしてもそんな政争臭い役割を負うはずもなく事態は平行線を辿ったまま今年の4月に入った。

結局、年度を境に移行するはずの権力は旧自治会体制に残置されている。これにはY氏は怒り心頭、檄文の語調はいよいよ罵詈雑言の類と相成り、横領、訴訟、裁判といった物々しい文言が紙面に踊った。住民の与り知らないところでは非公開の会合も催されたらしく、Y氏と現体制の凄まじい言い争い――というよりはほぼ一方的な痛罵――を文字起こしにしたものが我々にも公表された。ここへきて、期待のニューリーダーと目されていたY氏の品性が露見せしめたのである。

自ら自治会を発足できないY氏に代わり、今月末に現体制主導で採決が行われる。Y氏を自治会会長とするか、現体制の任期を延長するか――言わずもがな、結果は見えているだろう。現体制は必ずしも理想的な運営を行ってきたわけではなかった。確かに自治会費は安くはない。確かに効率も良くはない。各種イベントにも意義があるかどうかよく分からない。

しかしながら、明らかに半ば嫌々任された仕事を彼ら彼女らは、たとえ少数のニーズであっても種々の手続きと規則に基づいて拾い上げ、これまで粛々と対応してきたのである。僕にとってはどうでもいいことでも、他の誰かにとっては大切なのかもしれない。役割を分散した役員たちによる合議が、それらのバランス感覚をなんとか支えてきたと思えば、やはりマンション自治会の政(まつりごと)とて一人の独裁者に任せる選択はとれない。

一連の出来事は、外の社会のあらゆる側面を示唆しているように思われた。いわばマンション自治会の小政治だどんな些細な日常の事柄からでもより広い物事の興りを学べると考えれば、こうした関わりに一枚齧っておくのもそう無駄ではないのかもしれない。そんなわけで、むこう7年はやらずに済むはずの代議員を僕は今年もやっている。