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2023-08-21 10:07:01 +09:00

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地に足のついた祖国防衛議論 2022-02-25T23:56:29+09:00 false
politics
essay

西暦2022年2月24日、名実ともに戦争が始まった。タイムラインを更新するたび、色濃く象られる戦争の実像に僕はすっかりあてられてしまった。今まさに、われわれと同じ人間が、別の同じ人間の手によって砲撃され、銃撃され、その肉体をずたずたに引き裂かれているという現実のむごさには耐えがたい恐怖を覚える。

どうやら僕は現代国家の理性をずいぶん高く見積もりすぎていたらしい。確かに、銃弾や爆撃に斃れる人々は今までにも大勢いた。だがそれは国家とは名ばかりのテロリスト集団の仕業であったり、もともと政情不安を抱える紛争地域の話だった。国際秩序の重要な一端を担う常任理事国が、今や隣国を手前勝手な理由で完全に攻め滅ぼさんとしているのだ。

こうした一連の侵略戦争の結末が、単に当事国の間だけでは収まらないことをわれわれは既に知っている。軍事力に長けた国が暴れても誰もなにもできないのなら、集団安全保障や実力行使の厳密なルール化、平和に向けた軍縮――などは一切の意義を持たなくなる。結局、力こそ正義であり、自国の身は自国で守るしかない、といった従来の価値観に回帰する未来を招く。

言うまでもなく、インターネットのあらゆる場所でさっそく憲法9条が揶揄されている。我が国の平和憲法は侵略に対してなんら抵抗力を持ちえない。われわれが平和を享受できていたのは当時の中国やロシアを上回る強大な米軍と、その核兵器が鋭くにらみを利かせていたからではないか……そうでないと言うのなら今すぐウクライナで平和を訴えて、話し合いでロシアを止めてみせろ、というのが積極的改憲派の理屈である。むろん、これはそれがどだい不可能なことを見透かした上での皮肉に他ならない。

しかし僕としては、それでもできれば話し合いで収まってほしかった。民主主義にしろ基本的人権にしろ、あらゆる法の概念の興りは、まず存在を信じて提唱するところからはじまる。理不尽な現実に気が萎えて、そんなものはありえない、実現しえない、と否定し続けるばかりでは、民主主義も基本的人権も決して成立しなかっただろう。であれば、憲法9条の掲げる平和理念にもひとまず耳を傾けておく価値はあると思われる。

なんせ実態は米軍のおかげでも「憲法9条のある日本はまだ一度も戦禍に晒されていない」との言葉に少なくとも嘘はないのだから。憲法にしろ経済にしろ、われわれを取り巻く近現代的な抽象概念は案外、みんながそれらを信じていることを除けば、こんな詭弁と似たりよったりのレトリックで維持されてきているのだ。憲法9条のみがリアルな証明を経なければ提唱すら許さぬ、というのもそれはそれでアンフェアに感じる。

ところがウクライナの蹂躙を目の当たりにしたわれわれは、いよいよもって平和憲法の題目を信じられなくなりそうだ。いやもっと悪く、安全保障の信頼性すら危うい。正式な条約は結んでいないとはいえ、アメリカはウクライナに安全保障の提供を約束していた。それが事実上、反故にされたのである。となれば、次に心配なのはやはり台湾だ。同国は台湾関係法によってアメリカの庇護下にあるとされているが、この法律は台湾の防衛をアメリカに義務付けるものではないからだ。

つまり、今のウクライナは近い将来の台湾の姿と言える。その上、ロシアの場合と異なり中国に経済制裁を課せる国はほとんどない。独立国のウクライナを攻めるよりは、主要国からの国家承認を受けていない台湾を攻める方が、国際秩序的な意味での瑕疵も誠に遺憾ながら小さいと考えられる。いざ台湾有事が起こった暁には、それらは単なる内政問題として扱われるのだろう。

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改憲派であろうと護憲派であろうと、われわれ日本人は台湾有事に際してなにもすることはできない。我が国も台湾を国家承認していない国の一つだからだ。かの自民党とてずっと「一つの中国」を支持してきたし、今後もその方針をいきなり違えるとは思えない。ウクライナの件でわれわれが無力なのと同様、台湾有事にも無力なのはもはや確定している。仮に憲法9条を破棄し、台湾と軍事同盟を結んでも、アメリカの全面支援がなければ戦死者の数が積み増しされる以上の効果はない。

だがともかくウクライナ侵略を受けて、われわれも祖国防衛についてもっとシリアスに考えなければいけなくなったことは疑う余地がない。ここで言う「シリアスに考える」とはTwitterでタカ派を気取ることではなく、状況に応じて自ら祖国防衛を担うという意味である。 護憲派の中に教条的な理念の持ち主がいるように改憲派も改憲派で、軍事費をじゃんじゃか増やして憲法9条を捨て去れば自衛隊が勝手に強くなって大活躍してくれるだろう……などと他人事のように考えている節が否めない。

税金は打出の小槌ではない。軍事費に国家予算を投じれば投じるほど、本来使われる予定だった他のなにかが疎かになってしまう。われわれはその分どこかで貧しくなるのだ。さらに、中国からの防衛を本気で考えるのなら歩兵戦力の増強は避けられない。自衛隊の人員は陸海空すべて合わせても約20万人しかいない。圧倒的物量を誇る人民解放軍にあと何人用意すれば対抗しうるかなど、門外漢の僕には想像もつかない。志願兵で頭数が足りないようなら、当然、徴兵だって行われる。若者を集めてまだ足りなければ中年も集められるだろう。

これはなにも改憲派への当てこすりで言っているわけではない。アメリカは日本の防衛義務を反故にはしないまでも、せめて共同戦線を張れる規模の歩兵戦力を要求することは十分にありえる。徴兵制は必ずしも前時代的な制度とは限らず、現に韓国やオーストリア、スイス、デンマーク、フィンランドなどの民主主義国家でも維持されている。歩兵戦力を拡充しなければならない局面においては依然として有効な戦略なのだ。

とりわけ平和理念が通用せず、力こそ正義の価値観が表立って跋扈する世界では尚更そのようにならざるをえない。能力の乏しい者、体制に貢献できない者はまさに不正義であり、厳しく処断せしめられる。自分だけが冷暖房の効いた部屋でコーヒーをすすりながら、祖国防衛に務める自衛隊員の勇姿をストリーミング配信かなにかで視聴できると思い込んでいるのなら、ただちに考えを改めた方がよい。それは教条的な護憲派をはるかに上回る平和ボケ具合である。

となると、すわ核武装かとの意見も根強いが、これも極めて難しい。ロシアや中国のみならず、日本の核武装をまともに認めてくれる国はおそらく一つもない。核保有国は少なければ少ないほど既存の保有国・非保有国双方にとってありがたいからだ。我が国が核武装を強行するにあたって代わりに喪われる外交関係は相当に多いと見られる。当のアメリカも日本の原発から取り出される使用済み核燃料の貯蔵量を逐一監視しており、核兵器開発のハードルは非常に高い。変な話、仮想敵国に対抗せんがための核武装が、かえって日本を現在のロシアに似た状況に追い込んでしまいかねない。唯一ロシアと異なる点は、我が国はエネルギーや食料を自給自足できないので、経済制裁を課された瞬間に緩やかな崩壊を余儀なくされるということだ。以上の理由により、核武装の議論は完全に無益で実現性がないと断言できる。

ところで僕は今、予備自衛官補の募集要項を見ている。18歳以上34歳未満なら応募可能らしい。基本情報技術者などの国家資格を持っている者はなんと53〜55歳未満まで申し込めるそうだ。実務にはさほど役に立たない資格と言われながらも、なんだかんだで持っているIT従事者は多いだろう。自らの適職を放棄してまで自衛官になろうとするのは度を越しているかもしれないが、副業感覚で訓練に臨める予備自衛官制度は祖国防衛への向き合い方としてはほどよく実践的に思える。

一例を挙げると、自由ソフトウェア主義者にして著名なC++プログラマの江添亮氏は予備自衛官である。インターネットでエネルギーを持て余し気味の人たちはぜひ僕と一緒に応募を検討してほしい。ちなみに僕はディズニーランドのウエスタンランド・シューティングギャラリーで全弾外したことがある男だ。

もっとも、改憲派であろうと護憲派であろうとランニングくらいはしておいた方が良いかもしれない。いざ有事が起こった際に戦うにせよ逃げるにせよ、長く速く走れて得はしても損はしない。事実、戦争への恐怖が僕の足を文字通り駆り立てたのか、昨日のランニングはめちゃくちゃ気合が入った。なんにせよ、どうしても祖国防衛について議論せねばならんと言うのなら、こういう感じで地に足のついた議論をしていきたい。