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第六幕の途中
2023-09-01 22:14:44 +09:00

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title: "夏の公死園"
date: 2023-08-28T14:52:18+09:00
draft: true
tags: ['novel']
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 全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝、帝國実業と韋駄天学園の試合は佳境を迎えている。十名いる選手のうち六名がすでに仮想体力を喪い退場を余儀なくされ、残る四名が市街地を模した公死園戦場の各所で互いに隙をうかがっていた。帝國実業三年の主将、葛飾勇はこの時、唱和八九式硬式小銃に装着された弾倉が最後の一つだった。地道な基礎練習を怠らない生真面目な性分が功を奏して彼は残りの弾数を正確に把握していたが、同時にそれは自身の劣勢を否が応にでも自覚させられる重い錨となってのしかかる。最悪の場合、たった九発の銃弾で残る四人の敵を倒さなければならないのである。
 相対する韋駄天学園の戦いぶりは賢明であった。むやみに弾を浪費して一か八かに賭けるくらいなら潔く負けを認めて予備弾倉をその場に残していく。準決勝でもやり方は変わらない。つまり、四人の敵の弾薬は未だ豊富であって正面での撃ち合いではまず勝てる見込みがない。圧縮ゴムでできた硬式弾をしこたま食らって血まみれになっても、本人が直立している限りにおいて戦場に立ち続けられた昔とは違う。現行の仮想体力制度では胴体に四発ももらえば確実に退場だ。
 勇は壁伝いに歩いて近場の建物の中に忍び足で入った。戦場をまばゆく照らす照明から逃れて部屋の陰に座り込んで身を落ち着ける。通信機で仲間との交信をしたいところだが、仲間の状況が判らない以上はうかつに音を鳴らすわけにはいかない。同様に、彼自身もまた不用意に声を発すれば位置を補足される危険性を伴う。
 だだだだ、と硬式小銃特有の低い銃声が聞こえた。さらに遠くでは、わああっ、と観客の歓声が波のようにこだまする。敵か味方か、どっちかがやられたらしい。観客席から見える大型の液晶画面からも、試合を中継しているテレビでも、勇たち選手の仮想体力は常に表示されていて、残り何発持ちこたえられるのか、何発撃てるのかなどが把握できる仕組みになっている。さらには複数の望遠カメラが刻一刻と変化する戦場の様子を捉えて、選手たちのここ一番の勇姿を映し出す。帝国中の臣民が関心を寄せる公死園の準決勝ともなれば、その視聴率は相当なものに違いない。
 勇はあまりの緊張に息が詰まりかけた。監督の助言を思い出す。音を立てず、目を見開いて、腹の底で深呼吸を繰り返す。見開いた目の先に、標準戦闘服の胸元に刺繍された帝國実業の校名が見えた。彼はだんだんと気持ちが静まっていくのを感じた。一転、目をすぼめて腰を落とした状態で建物の上階へと上がった。
 ここに入った理由は戦場を俯瞰するためだった。通常、背の高い建物は取り合いになるが序中盤の戦いで各方に敵味方が散った現状では、かえって忍び込みやすい状況に変化している。弾数で優勢を誇る敵方は鉢合わせになる危険を懸念して、平地で安全に集合して制圧を仕掛ける腹積もりなのだろう。
 一方、ろくに連絡も取れず銃弾も心許ない勇たちは一発逆転を目指すしかない。狙うは応射の難しい遠方から頭部への一撃だ。例外なく一発で仮想体力を奪い去ることができる。上階にたどり着き身を伏せた姿勢から窓をゆっくり除き込む。狭い視野でも戦場の概観が眼前に広がった。やや遠くに戦場を左右に貫く二車線道路が見える。手前には商店街を模した背の低い建物が並んでおり、こちら側に近づくにつれて建造物は住宅地の気配を帯びて密度が高まる。道路の向こう側には朽ちて荒廃した街並みが再現されている。当然、斜線が通りやすいそこに味方がいるとは思えない。だが……。
 硬式小銃の倍率照準で覗いたその先に、敵が崩れた建物の壁で小休止をとっている敵がいた。生き残りの四人がまとまって周囲を警戒している。予想通り、弾薬を温存した彼らは面制圧で押す方針に固めたようだった。勇はドーランを塗った額から目元に垂れる汗を拭って、そっと小銃を窓枠に立てかけた。
 理想は一人一発で四人、現実的な見立てでも二人は仕留めたい。照準の向こうに映る四人のうちでもっとも動きの少ない一人に狙いを定めた。赤い点が敵の足元から腰、腰から胸、そして頭へと這うように移動して、勇の息が落ち着くにつれ左右のぶれが収束する。引き金の指をかける。敵はまだ動かない。
 彼は息を深く吸った後に、引き金を絞った。
 直後、拡大された視界の向こうで一人が側頭部に硬式弾を食らって昏倒した。判定するまでもない完全な退場。残る三人が振り返る――銃声と照準の逆光からこちらの位置を把握するまでにわずか二秒――二人目の頭部に合わせて放った銃弾はそれて肩口に命中した。相手は顔をしかめて体を壁に打ち付けたが、まだ退場ではない。
 ひゅん、と風邪を切る音が聞こえた。続けて窓の外壁に衝撃音が走る。相手はすでに応射を始めている。あと数秒も余計に撃ち合えば今度はこちらが頭部を抜かれるに違いない。結果には不満だが撤退を考慮して窓枠から引き下がろうとしたその時、勇の拡大された視界に信じられない光景が映った。
 崩れた建物の壁、彼らが拠り所としていた遮蔽物の裏から一人の味方が飛び出してきたのだ。ひと目で判る巨体――あれはユンのやつだ。手にはほとんどの選手が装備品に選ばない模擬軍刀の丸まった刃が光っている。ゆうに二〇〇メートルは離れたここまでも彼の絶叫が耳に入った。一発で敵を退場させられる方法はもう一つある。模擬軍刀による急所命中判定だ。
「あの馬鹿!」
 勇は肉体に刻んだ基本動作を放棄して窓枠にかじりついた。覗き直した照準の先では、盛んに軍刀を振り回すユンと敵が入り乱れている。これでは援護のしようがない。しかし、わずかに遅れて彼の耳に届いた絶叫が意味のある言語として認知された。
「……てーっ! うてーっ!」
 彼方の味方は自分に構わず敵を撃てと伝えていたのだ。
 一人を斬り伏せ、もう一人に斬りかかったユンはまもなく、後退して距離をとった二人の硬式弾をしこたま浴びて倒れ込んだ。入れ違いに、勇の速射がまばらに二人の胴体に命中した。弾切れを知らせる撃鉄音が響く。
 試合終了の笛が鳴った。どうやら今ので相手の仮想体力をなんとか削りきったらしい。
 こうして、全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝は帝國実業の辛勝に終わった。
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 応援に駆り出された同級生や待機していた地元の後援会に足止めを食らいつつも、急ぎ医務室に向かった勇はベッドに腰掛けるユンの姿を認めるやいなや声を張り上げた。
「ふざけんなよお前、なにやってんだ」
 ユンは腕や胸に巻かれた包帯を勲章のように見せびらかしたが、一番目立っていたのは根元から失われた前歯だった。ここ数十分のうちに止血は済んだようだが痛ましい姿に変わりはない。
「ふざけてねえよ、ちゃんと勝っただろう」
 岩のような巨躯のユン・ウヌから見た目通りの野太い声が弾き出される。
「あんなの運が良かっただけだ。鏡見ろよ。もしやつらが慌ててお前に全弾ぶっ放してたらどうするんだ。もし、一発の硬式弾でも目に入ったら――」
 ユンはくっくっと不敵に笑った。このいかつい男に堂々と俺お前で物申せる同級生は勇くらいしかいない。
「そうしたら、めでたく”公死”ってことになるだろうな。公死園ってそういうことだろうが。戦場で華々しく散れるのなら本望だ」
「死ぬなら決勝が終わってからにしろよ」
 ぬうっとユンの丸太のごとく太い腕が勇の肩に添えられた。たっぷりの痛罵を浴びせても彼はちっとも懲りていない様子だった。
「真面目な話、お前だったら絶対に高台を獲りにいくと思ったんだ。おれは弾倉がほとんど空だったし、あの状況で装備を活かそうと思ったらあれしかなかったんだ」
 勇は肩の手を払いのけた。
「だが危険すぎる。お前のその歯はどうするんだよ。差し歯どころか歯医者に行く金もないくせに」
「公死園決勝と引き換えに前歯一本なら安い代償だな」
 悪びれもせずにユンはごつごつした顔をニイッと歪ませて歯抜けの笑顔を晒した。
 その後、負傷兵のユンを除く選手たちは監督に招集を命じられて手狭な控室に集合した。決勝進出への労い、もし優勝すれば我が校に記念杯が再び帰ってくる栄光、勝って兜の緒を締めよの故事成語の意味と由来、かつて主将として三〇年前に帝國実業を優勝に導いた監督の昔話……などが滔々と語られ、最後に「勇だけ残れ」と告げられた。
 閑散とした部屋で監督と二人、年嵩でもユンに負けず劣らずの恵体を持つ彼が険しい目線を勇に向けること一分弱、目上の者に向かって先に口を開くのは憚られるゆえ頑なに沈黙を守っていたが、秒を追うごとに吉報ではない確信がどんどん増していった。ようやく重苦しい声音で監督が放った言葉は彼を動揺させた。
「勝ったには勝った。それはめでたい。だが勝ち方がよくなかったな」
 ユンのことだ、と直感した。
「はい。自分も彼にはよく言って聞かせました。あれは危険すぎると――」
 だが、監督は厳しい顔をごくわずかに振って制した。
「そうじゃない。逆だ。なぜ、主将たるお前があのような勇姿を公死園で見せられなかったのだ」
「は――いえ、しかし――」
 予想外の詰問に勇は言い淀んだ。軍刀なんて装備するくらいなら予備弾倉を一個多く持つ方がいいに決まっている。あれは相当近づかないと使えない上に急所判定でなければ一撃必殺にならない。そうでなくても、あの時は弾薬が限られていたから正面きっての対決は到底無理だ。言い訳は山のようにわいたがどれも監督の期待する答えとは違っているような気がした。
「すいません。自分も軍刀を装備すべきでしょうか」
 代わりに、質問の形式で回答を保留した。
「いや、そうは言っていない。別に軍刀でなくてもいい。だが、誉れ高き公死園の戦場で華々しい成果を上げるのは、ユンではなくお前であるべきなのだ」
「というと……?」
 勇には監督の言っている含意が解らなかった。あれこれ言ってもユンは立派な戦績を持つ副主将だ。先の行動の通りやや独断専行気味のきらいはあるが、とにかく文句なしに強い。強くなければ強豪の帝國実業の前衛は務まらない。主将の勇も近距離戦では一度も勝った試しはない。
「やつは外地人だ」
「え、いや違いますよ、両親も祖父母も鶴橋に住んでいます」
 監督があまりにも見当違いなことを言ったので、うっかり言葉が口を衝いて出た。どんな状況であれ目上の者の意見を否定するのはとんでもない無礼に値する。はっ、と息を呑んで監督の顔を見ると、案の定、その表情は厳しさを増していた。それでも監督は若干の間を置いて、今度ははっきりと言い直した。
「そういう意味ではない。大和の血統ではないということだ。あいつは朝鮮人だろう」
 勇は虚を突かれて言葉を失った。それをどう受け取ったのか定かではないが、勢いを取り戻した監督はさらに話を続けた。
「別に朝鮮人や支那人が選手にいようと構わん。強ければ入れるし弱ければ捨てる。勝利がすべてだ。だが、この晴れ舞台、公死園の大詰め、ここ一番という時に脚光を浴びるのは、われわれ日本人でなければならん。それがお前の義務だ」
「しかし、自分としては――分隊としての役割、分隊としての勝利――そういうものも、あるかと愚考いたしますが――ユンの剣戟もそれはそれで戦略の価値ありかと――」
 理に反する都合を突きつけられて、なおも必死に弁明を繰り出す勇であったがそれが火に油を注ぐ行為でしかないのは目に見えていた。しかしそれでも、ついさっきまでは他ならぬ本人に罵声を浴びせていたのに、どういうわけか今ではすっかり擁護したい気持ちでいっぱいになっていた。
「では、あのユンに錦を飾る栄光を差し出すというのか。寛大なことだ。そんなぬるい気持ちで決勝に臨んでいてはとても勝ち抜けないぞ。所詮は別の民族なのだ。まあ、それはそれとして、だ」
 唐突に監督の拳がすさまじい速度で勇の頬に叩き込まれた。いつもと違って意表を突かれたために彼は姿勢を崩して地面に尻をついた。遅れてやってくる鋭い痛みを上塗りするように、仁王立ちの監督が見下ろす眼差しで告げる。
「上官への言葉遣いには気をつけろ。お前は二回も口ごたえをした。決勝進出に免じて精神注入棒は勘弁してやる。だが、その頬の痛みはやつを擁護する割に合うかよく考えておくんだな」
 ほぼ反射的な動作で直立不動の姿勢に戻り、勇は大声を張った。
「ご指導ありがとうございました!」
 鈍い痛みの残る顔面に構わず、監督と別れるやいなや彼は携帯電話をぽちぽちと押して二人の選手を呼び出した。数分のうちに誰もいない控室に現れた彼らは先ほどの勇と同じうろたえた様子で口を閉ざしていた。まるで攻守が逆転したみたいだと勇は思った。
「貴様ら、あの試合でなにをしていた」
 主将として、帝國軍人さながらの低い声音を腹から絞り出して下級生の二人に詰め寄ると、左側の方が先に釈明をした。
「自分は弾薬を切らしておりまして、移動途中の際の接敵で退場と相成りました!」
 建物に潜んでいる最中にやられたのはこいつだったか、と彼は納得を得る。しかし声はあくまで厳しさを保った。
「隠密を怠るから敵に発見されるのだ! この土壇場では不運も自己責任と捉えろ!」
「申し訳ありません! 基礎練徹底いたします!」
「それで――」
 次に勇の鋭い目線は右側に向いた。
「貴様はまだ生きていたな」
「自分も弾薬が心許なく、遠方より機会をうかがっており……」
「何発残ってたんだ」
「は、予備弾倉はなく、十三発を残すのみとなっておりました」
 かっ、と身体中の血が沸騰するのを感じた。勇はさらに大きく声を跳ね上げ、低い音程を維持するのにたいそう苦労した。
「一人胴体四発と見ても三人は仕留められるではないか! 準決勝の舞台で退場するのが惜しくなったのか?」
 ぐいっと「帝國実業高等学校」の刺繍が施された戦闘服の胸ぐらを掴むと、下級生らは今にも泣き出しそうな表情を浮かべて謝罪した。だが、彼は追撃の手を緩めなかった。
「貴様らが身を賭していれば副主将は歯を失わなかった。そこに直れ!」
 二人が姿勢を正すか正さないかのうちに、勇は今しがた自分が食らったのと同じ要領で二人の頬に拳を振り抜いた。後ろに倒れ込む下級生に向けて一転、落ち着いた声色で言う。
「貴様らは二年生がてら優秀な成績を収めて正規選手に選ばれた。決勝では誉れ高く戦え。来年もあるなどと思うな」
「ご指導ありがとうございました!」
 二人揃って自分とそっくりの絶叫を張り上げた後輩を後に、ようやく勇は公死園戦場を後にした。
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 敷地の正面口では約束の時間を大幅に過ぎたにも拘らず和子が待っていた。今日の試合日程が終わってだいぶ経ち、人混みがまばらになった周辺で互いの姿を見つけるのは容易だった。先に目ざとく勇の姿を認めると、彼女は白く細い腕にはめられた腕時計の文字盤をつつく仕草をした。彼が目の前まで来た時、口にも表された。「三〇分遅刻。もう帰ろうかと思っちゃったわ」
「悪い、勝ったら勝ったで色々あるんだ」
 適当にごまかそうとした言い草に、和子は持ち前のよく通る声で指摘した。
「その頬の腫れとなにか関係があるの?」
「これは――その――」
 またしても言い淀む勇。華々しく決勝進出を決めた分隊の主将なのに、なんだって今日はこんなに釈然としないんだろうと彼は自分でも疑問を感じた。
「隠し事はなしよ」
 結局、勇は洗いざらいをすべて話した。聞かれなくても帰り道のどこかでどうせ話していた。ありていに言えば、彼は今もやもやしていた。それを晴らしたくて仕方がなかった。健全に交際している間柄で、硬式戦争とも運動部とも無縁の才女は中立の相談相手にはうってつけだと思った。
「ずいぶんgroteskな話ねえ」
 一通りの話を聞いて、彼女は聞き慣れない単語を流暢に発話して感想を述べた。語感からしてドイツ語だろうと思われた。だが、もし帝國実業で横文字など口走ったらすぐさま「英米思考」のレッテルを貼られて張り手が飛んでくるだろう。女子高の教育はその辺りの区別が進んでいるのかもしれない。
「たぶん勇さんは言われていることと現実の行為にkluftを感じているんじゃないかしら」
「日本語で頼むよ。ドイツ語の成績は補習付きの可しか取ったことないんだ」
「だからその――たとえば、公死っていうの、晴れ舞台で死ぬのは尊く崇高だっていうんでしょう」
「そうだ。だから公死園で死ぬと本物の殉死と同じように靖国神社に祀られるんだ。ものすごい名誉なことだ」
「でも、それなら勇さんはなんでユンさんが怪我したのをそんなに怒ったの? そんなに誉れ高いならそこはよくやった、次もそうしろと褒めるべきじゃない?」
「それは――」
 本人には「決勝の後に死ね」と言ったが、むろん本心ではない。尊い公死に臨んで戦えと言われれば、胸がわく思いがして感動が押し寄せてくる。けれども実際には、たった一発の銃弾ももらわないように戦う。敵が退場判定を受けてから放たれた硬式弾でも当たりどころが悪ければ試合出場が危ぶまれる。和子のはきはきとした指摘は公死園駅に着いて、阪神本線大阪梅田行の電車に乗り込んだ後も止まらなかった。
「そもそも私には男の人たちが言う硬戦の浪漫ってよく解らないわ。そんなに危険なら兜を着けるとか、そもそも絶対に怪我をしないような弾を使うとかすればいいじゃないの」
 これにはさすがの勇も反論したくなった。
「そんなの軟派だ。中学生までの軟戦と同じじゃないか。遊びと変わらない。真剣になれない」
「そんなことないでしょう。私の弟は軟式戦争部だけど真面目にやっているわ」
「それは中学生だからだ。高校生になって硬式に触れて始めて本物がどう違うか分かる」
 脳裏に帝國実業に入学して間もない頃の記憶が鮮明に蘇った。硬式戦争部の新入生は横一列に並べられて最初の「洗礼」を受けさせられる。先輩が放つ硬式弾の的にされて、身体でその痛みに慣れさせられるのだ。全国各地から集められた軟式戦争部の優秀な兵士たちが、苦痛に顔を歪めて次々と地面をのたうち回る。泣きわめく者も、口から泡を吹いて気絶する者さえいた。一ヶ月の間に仮想体力の二倍に匹敵する硬式弾を直立不動で受けきれなかった者は退部を余儀なくされる。実際、毎年そこでおよそ半数の新入部性が脱落して工業科や商業科に転部していく。
 初日で「おれは三倍でもやれる」と言い切り、挑発に乗った先輩方に四倍以上の硬式弾を浴びせられても痣だらけのまま立っていたのがユンで、次の日に同じ宣言をしてやはり集中砲火を乗り切ったのが勇だった。この時点で二人の実力は周囲に知らしめられていた。唐辛子のように辛く、苦瓜のように苦いのに、白砂糖の甘さを持つ思い出だ。
「じゃあ仮想体力制ってなんなのよ。昔みたいに倒れるまで撃ち合っていたらいいじゃない」
「それは危険だから――あっ」
「ほら、やっぱり死ぬのは怖いんじゃない。私だって勇さんに死んでほしくないわ」
 気まずくなって視線をそらすと、電車内の液晶画面に投影された広告が目に飛び込んだ。(男女で一つ、性別は二つ、子供は三人 帝国家庭庁)ちょうどそれが入れ替わって、新しい広告が表示される。
**『三菱重工の最新無人航空機……二四時間無給で働く警備員の代わりに! 町内會の見回り要員に! 果ては外地不穏分子の監視、鎮圧にも! 一部法人に限り武装改造も承り〼』**
 はた、と有効な反論を思いついて勇は視線を戻した。
「死ぬか死なないかの危険を乗り越えることで徴兵されても怖気づかないし、実社會でも活躍できるんだ。うちの部は完全就職で有名でもある」
「そういうものかしら」
 ちょうど電車が野田駅で停車したので、和子は持ち前の大和撫子然とした黒髪をなびかせて勇の脇を通り過ぎた。家まで送るよ、と申し出かけたがまるで予知でもしたみたいに先手を打たれた。
「今日は送ってもらわなくていいわ。勇さんの家族が英雄の凱旋を待ちわびているでしょうから」
 そう言い残すと、華奢で可憐な身体が扉の向こうに吸い込まれていくように消えていった。躍起になって反論したので怒らせたか、と彼は不安を抱いたがしかし、またぞろ入れ替わった広告を見て気持ちを奮い立たせた。(権利と義務は表裏一体! 徴兵にはなるべく早く応じませう! 大阪市男子道徳課)
 所詮、女の子には解らないことだ。死線のぎりぎりを見極める攻防、盤面を見通して敵を征服し尽くした時のえもしれぬ高揚感。銃撃を加えた相手が地に伏した際の確かな手応え。こんな実感の伴う競技は他にありえない。そうして先んじて軍人精神の端に触れた者のみが、徴兵されてもただのいち歩兵ではなく幹部候補生相当の扱いで外地の各方面に配属されていくのだ。本職として軍人にならなくてもその精神は社會の至るところで実力を発揮する。それは、汗水を垂らして命を危険に晒しているからこそ得られる能力だからだ。戦争部に入部できない婦女子方とはそもそも相容れない。
 電車が大阪梅田駅に着くと一気に人がどやどやと降りはじめた。背広を着た初老の會社員たちが疲れきった顔を並べて駅にあふれかえる。勇も乗り換えのために人の波に倣って後へと続く。
 地下通路を登って地上に出ると、外はまだ昼過ぎだった。ひやりとした地下とはうって変わり、厳しい真夏の日差しが皮膚を焼きつける。友邦国たるドイツやイタリア式の建築が随所に見られる大阪駅周辺の街並みを一息で横断して、大阪駅の中に入ると外地の物品を扱う露店が駅中を賑わせていた。「フィリピン直輸入指定農園高級品」と題された派手な電燈の下には、照明ではなく自らが発光しているのかと思うほど黄色く輝いたバナナが鎮座している。素人目に見ても判るほど造形が整っているが、値段も庶民にはなかなか手が出ない。まずもって高校生の勇には縁のない特産品だ。かぐわしい果実の香りを振り払って商店街を後にする。
 大阪駅から環状線の電車に乗り込んで二駅、こじんまりとした桜ノ宮駅に降り立つと、学生無料の駐輪場に停めておいた自転車に乗り換えて帰路を急ぐ。そこから野江駅の向こう側まで一五分ほど自転車を走らせると、築二〇年のやや色褪せた一戸建てがある。父と母と、弟とが共に住まう葛飾家の住宅だ。
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 普段は勇たちが起きるよりも早く出勤して、寝た後に帰ってくる父親が畳に座っていたので彼は驚いた。「ただいま帰りました」と告げると、父は首だけ振り返り「おお」と短く言った。それで応答が済んだのかと早合点して二階の自室に上がろうとすると、父がまたしゃべったので足を止めた。
「見ていたぞ、試合」
「次は決勝です」
 心なしか誇らしげに伝えると父は深くうなずいた。今度こそ、会話は終わったようだった。入れ替わりに台所の母が言う。
「今日、奮発してお寿司の出前をとったから、部屋に行くついでに功にも教えてやって」
 わずかにきしむ階段を一段ずつ上がり、手前の自分の部屋に荷物を放り投げてからすぐに弟の部屋の扉を開け放った。こちらに背を向けて電子計算機をいじっていた功はびくりと肩を震わせ急に慌ただしくキーボードを連打した。先ほどまで映っていた液晶画面がいかにも無害そうな風景がに切り替わる。だが、ゆっくり振り返った彼の警戒の眼差しが兄を認識した時、細身の身体を縛っていた緊張の糸が一気に解けたようだった。「……なんだ、兄さんか。ノックするって約束したじゃんか」
「いや長話じゃない。母さんが今日は寿司をとるって」
「ははあ、じゃあ勝ったのか。相乗効果かな」
 弟の口元が皮肉めいた笑いをかたどってつり上がった。
「次が決勝だ」
 今回は間違いなく、確実に自慢の口調で言い切った。
「こっちも良い話がある」
 弟は机の横に積まれていた本の山の中から一枚の紙切れを取り出して半ば投げてよこした。「全国共通一次模試検査結果」と赤色で塗られた文字と数字だらけの文言の意味は勇にはいまいち解りかねたが、横枠に添えられた部分だけは明瞭に理解できた。
『受験者の総数及び順位 二四八〇〇人中一四位』
「全国で一四位……お前、そんなに勉強ができたのか」
「そうだよ。高二に上がる頃には一位になっているだろうね」
 日焼けして赤く焼けた顔に丸刈りの兄と違い、細身で脆弱で色白の弟にもそれを補って余りある才能が備わっている。葛飾家の兄弟は二人揃って文武両道なのだ。
「だから寿司か……。最後に食べたのなんて七五三の時ぐらいだ」
「柄にもなくちょっとは頑張った甲斐があったよ」
 飄々と言ってのけた功はまた計算機に向き直って、キーボードを叩いた。すると、風景画が消えて画面いっぱいに英語が記された頁が現れた。一転、次に緊張を露わにしたのは勇の方だった。
「おいっ、なんで英語の頁なんか」
「シッ、大声を出さないでくれ」
 功は人差し指を立てて口に合わせた。年齢的には硬式弾を食らってもいい歳なのに、仕草や顔つきは未だ中学生みたいに見える。
「先取り学習だよ。国内の情報は内容が古すぎる。最先端のcodeはinternetにしかないんだ」
「よせ、親父に見つかったらぶっ飛ばされるぞ」
「だからあんなに慌ててたんじゃないか」
 危ない火遊びだ、と勇は思った。戦争部の人間もたまにはめを外して乱闘騒ぎを起こしたり、飲酒や賭博で補導されたりする者が現れるが、若気の至りとして温情に放免されるこっちと違って、これは本当に親兄弟に塁の及ぶ罰を与えられかねない。
「叔父さんのことを忘れたのか。あれで父さんは降格させられたんだぞ」
「あの人はちょっと本気になりすぎたんだ。僕程度のことは計算機好きなら大抵やっているよ。憲兵だってこんなのいちいち捕まえている暇ないだろ」
 父の兄は変わった経歴の持ち主だった。帝国大学にしかない計算機科学科を経なければ就職できないはずの電子計算機技師に叩き上げで成り上がって、生まれも育ちもがらりと違う人と肩を並べて熱心に働いていた。弟の父さんは「やつは骨の髄まで英米思考だ」と事あるごとにこき下ろしていたが、口ぶりほど嫌っていないことはよく見て取れた。実際、物腰が軽妙で知識が豊富な叔父を嫌う者はいなかった。親戚の集まりでも常に話題の中心にいた。
 その叔父さんが、治安維持法違反で逮捕されたのが五年前だ。なんでも電子計算機を用いて扇動を企てていたという。それがどんな内容だったのかはもはや誰にも判らない。殺人で捕まった者にさえ面会や文通が許されるのに、政治犯には一切認められないからだ。懲役三〇年の刑期は、まだ六分の五も残っている。
 身内の罪を贖うべく父はかつての同僚が上司になり、かつての部下が同僚になる苦境でもめげずに二倍も三倍も働いて、町内會の会合にも針のむしろを承知で顔を出した。それから数年が経ち、長男の勇が二年で公死園に初出場を決めたことが契機となって、ようやく禊が済んだらしい。勇は母が「今は昇進の話も出ているの」と嬉しそうに話しているのを聞いていた。
「とんでもない弟だ」
 端的に感想を述べると功は得意げににやりと笑った。
「捕まりはしないよ。わざわざ日本橋の裏路地くんだりまで行って海外のVPNを契約したんだ。僕は帝大の計算機科学科に入って大日本帝国の技術力にいっそうの飛躍をもたらしたく存じます……っていう感じでやっていくさ」
「少なくとも英語を使うのは勘弁してくれ」
 英語規制は法律ではないが空気として確かに存在する。codeは算譜と言うべきだし、internetは電網と言わなければならない。ただ、どのみち勇には意味が解らなかった。
「ふん、でもみんなテレビだとかラヂオだとかは言うじゃないか」
「あれは昔からあるからいいんだ」
「インターネットだって本当は三〇年以上も前からある。じゃあそろそろ解禁だ」
「こいつ、理屈だな」
 勇は手を伸ばして功の首ねっこを腕にかけると、体ごと引き寄せてもう片方の手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。「わーっ」と大げさな悲鳴をあげる弟。面倒くさくなったらこの手に限る。
 ひとしきり制裁を受けた弟は自分の髪の毛をなでつけながら、ぽつりと言った。
「まあ兄さんは年上の中では一番好きかな。怒鳴りも殴りもしてこないから」
 急に勇は自分の手――鞣し革のように固く仕上がった手――に後ろめたさを覚えた。たった一時間前に勇と一つしか歳の違わない下級生を殴りつけたばかりだった。
「俺が殴ったらお前なんてばらばらになっちまうよ」
 そう、おどけてみせて顔色が変わらないうちに勇は踵を返した。
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 数時間後、畳の居間に家族一同が集結した。机の上には大の男が三人いても余りそうなほど大量の寿司が並べられている。口数は少なくとも、いま葛飾家は祝賀の雰囲気に寄っていた。部屋の隅に置かれたテレビは、あと少しで準決勝の第二試合目が行われようとしている。前番組のごく短い漫才のかけあいをよこ目で見つつ、勇は父の切子に麦酒を注いだ。この日はやはり奮発に奮発を重ねたのか、見慣れない舶来品が二本も机もある。本式のドイツ製だろうと思われた。
「……それでな、うちのカミさんがな、男は頼りない言いまんねや」
「カカア天下でんな、ほいで?」
「もう国も男には任せられん、選挙権ほしい言うんや」
「そら無理でっせー! 男かて徴兵いかなもらえへんのに!」
「そやんなあ、うちらかて苦労したもんなあ」
「いや、わしは行ってへんねん、心は女やさかい」
 伝統芸能にのみ許された方言を巧みに操る漫才師が内股で自分の胸を掴む仕草をとる。ははは、と客席からまばらな笑い声。
「せやかて言い出したらきりがありまへんねん。職が欲しいと言って職をやったから、今度は選挙権が欲しいと言うんや。次は政治家になりたい言いますで」
「カカア天下が国家天下を語るんかあ〜」
 勇は父親の切子に二杯目の麦酒を注いだ。
「まあうちのカミさんは家では万年政権与党でっけどな」
「そんな、父ちゃんにもたまには政権交代させたって〜」
「無理やで、うちの家庭は庭やのうて帝やからな」
 どっ、と笑い声が巻き起こる。早川工業社製の伝統的なマイクの前で二人の漫才師がお辞儀をして、演目はつつがなく終了した。ふん、と父が鼻を鳴らす。「そりゃ女に政治なんか無理に決まってる」ずずず、と半透明の切子の中身が喉の蠕動に合わせてみるみるうちに減っていく。コン、と音を立てて置かれた途端に今度は母が次を注ぐ。
「帝国議会は第二の戦場だ。乱闘騒ぎなどしょっちゅうなのに女にどう務まるんだ。その時だけ男に守ってもらうのか」
 なし崩し的に晩酌の責務を解かれた勇はふと、なぜか和子が議会の壇上で大演説を振るっている様子を思い浮かべた。議題はもちろん硬式戦争における防具着用の義務化である。獣のように猛り狂った男たちの罵声を浴びながら、彼女は毅然とした面持ちで語る。「そんなに命を賭けるのがお好きなら、いっそ敗けた方が切腹でもすればよろしいじゃありませんか。運動くらい粋がるのはやめにして兜を着けて安全に楽しみましょう」――あからさまな挑発に激昂した議員が雪崩をうって壇上に押し寄せる。どういうわけか、想像の中の勇はたった一人でそれを堰き止めようとしていた。
 いや、やはり女一人では無理だ。たとえ守ってくれる男がいたとしても、その場の流れ次第では議会の外でも取っ組み合いは起きる。以前、路上の喧嘩で敗北を喫したベテラン議員があっけなく選挙で落選したのを見た。ましてや自分の拳で戦えないのでは体裁が悪すぎる。
 勇は姿勢を正して下手な妄想から立ち直った。
 麦酒を一瓶空けて、父がまぐろに手を着けたので内心今か今かと待機していた兄弟はようやく寿司にありつくことができた。揃って寿司を頬張る様子を見た父は「うまいか」と短く訊ねた。「とても美味しいです」と勇は言い、功も慇懃な物言いで応じた。最後に、母がいそいそと手前の玉子を取って食べた。
 いつの間にかテレビは漫才番組が終わり帝国の地図を映し出していた。荘厳な音楽とともにじわじわと上から下に流れる字幕と、それに合わせて語りかける神妙な口調の声が注意を惹きつける。
「北は樺太……西は満州、……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝国電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします」
 勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広報はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。
 ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は半分ほど消えてなくなっていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく清酒に切り替わっている。
『全国高等学校硬式戦争選手権大会、夏の公死園、準決勝第二試合がまもなく始まります』
 司会の声に合わせて映像が鮮やかに動き、画面上の左右に両者の仮想体力が大きく描画される。区別のために左側が青く、右側が赤い。それぞれの体力の下には草書体で各々の選手の名前が記されていた。そこで、勇は選手たちの名前が一風変わっていることに気がついた。画面上の校名に視線を寄せると「沖縄 臣民第七高等学校 対 臣民第一八高等学校 台北』と記されてあった。
「驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校はともに外地の学校です。帝国臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか」
 熱のこもった司会の案内の後で、カメラが戦場を映し出す。すでに両軍は初期配置について試合の開始を待っている。トロの甘みに舌鼓を打ちつつも、勇はつい数時間前の戦いを思い出して他人事ながら緊張を覚えた。
 試合開始の笛が画面越しに響いた。複数のカメラが小刻みに切り替わって一斉に動き出す選手を追う。五分と経たないうちに外地同士といえど採る戦略はまるで異なる様子がうかがえた。第七高は野伏のごとく隠密に広がっていくのに対して、台北の第一八高はひと固まりの猪突猛進で戦場を横断する。
「あれはどうなんだ、勇」
 酔いで顔をうっすらと赤らめた父が訊ねる。素人ながらも準決勝の局面らしくない彼らの動きに疑問を持ったようだ。
「普通は……やりません。互いの射撃が一定の水準以上だとちょっとした隙にやられてしまいますから、あまり姿を晒さない方が賢明です」
「そうか、じゃあ沖縄のが筋が良いのか」
 浅く頷いたものの、しかし必ずしもそう断言はできなかった。いけいけどんどんの一手で準決勝まで上がってこられるほど公死園は甘くない。なにか策があっての行動に違いない。
 しかし数分後、左右の遮蔽物から第七高の選手による堅実な掃射が行われると先頭に立っていた前衛がまともに弾を受けて退場を通告された。右側の赤い仮想体力が一瞬で黒ずみ、残る九人も被弾の度合いに応じて体力を減らした。父が「なんだ、全然だめじゃないか」と言って、切子を置いた。母が次を注ぐ。
 一方、司会の声はあくまで冷静だった。どころか、期待感のこもった熱っぽい声で彼らの次の行動を予想した。
「さあ、これで第一八高は一人退場ですが……ここまでに彼らの戦いぶりをご覧になっていた方々はお解りでしょう。やはり準決勝においても、同じ戦略――戦略と言っていいのかさえ定かではない――をとるものと思われます。あ、今まさに!」
 カメラの視点が急速に拡大して第一八高の一群を中央に収めた。なにかを叫んでいる。すぐに戦場の集音マイクが声を拾った。
『総員、抜剣ーっ!!』
 主将と思しき選手が高らかに宣言すると第一八高の全員が一斉に模擬軍刀を抜いた。勇は寿司を食べるのも忘れて画面に見入った。
 信じられない。全員が予備弾倉ではなく軍刀で装備を固めるなんて一体いつの時代だ。
「まるで仮想体力制以前――いや、戦中の英霊が蘇ったかのようであります。第一八高は並外れた近接戦闘の力量を頼りに準決勝まで破竹の勢いで駒を進めています。さあ、この舞台ではそれがどう出るか!」
 あたかも司会の声に呼応するかのごとく、ひと固まりだった選手たちが二人ずつ四方八方にすさまじいすばやさで散っていった。元より小銃を構えていない彼らの移動速度は相当に速い。敵が背を向けて逃げていたら追いつくのは容易だろう。とはいえ、応射してこない相手に逃げの一手など打つはずがない。
 案の定、カメラが追った二人の前に立つ朽ちた壁の上から速射が放たれた。これはひとたまりもない、敗着を確信して勇は机上の軍艦巻きを手に取ったが、直後にテレビの向こうの観客がわっとわいたので視線を戻さざるをえなくなった。
「やはり――ご覧になられているでしょうか! 弾を――よけています! なるほど硬式弾は実弾と違い大きく低速な弾ですから、決してよけられないことはないでしょう! しかし、よけられる前提で戦う分隊はそうはいません!」
 熱狂している司会をよそに第一八高の選手と壁との距離はぐんぐん詰まり、ついに二人は軽業師のごとく跳躍して一メートル弱の壁を飛び越えた。すぐさまカメラが反対側に切り替わる。慌てて弾倉を交換しようとする第八高の一人とは、もう軍刀の間合いだ。鮮やかな一太刀。左側の青い仮想体力は瞬時に黒く染まった。もう一人の方は模擬軍刀を銃身で受け止めてなんとか堪えているようだった。
 ところが膠着する間もなく第一八高の選手は相手の腰に差さった硬式拳銃を片方の手で抜いて、そのまま腹に何発も発砲した。模擬軍刀を抑えるために両手で銃身を支えている当人になすすべはない。一発ごとに削られていく仮想体力はぴったり四発で奪われ尽くされた。
 戦場の至る地点で、同様の戦いが繰り広げられていた。十数分かそこらのうちに左側で体力が青い者は一人しか残らなくなった。対する右側はまだ六人の選手が半死半生の体力で生き残っている。画面上に映し出された最後の一人の残弾数を見るに、理論上は六人すべてを撃ち倒せる可能性は零ではない。
 だが、軍刀を握って迫りくる六人の威容に恐れをなしてか、選手はあからさまに戦意を喪失している様相で後退する一方だった。それでも六人に取り囲まれると次第に逃げ道がなくなっていく。姿を現した相手にでたらめに弾を放つも、ただでさえ回避術を心得た相手に腰の落ち着かない射撃が当たるわけもなく、終盤には行き止まりの壁に追い詰められる展開となった。
 残弾の乏しい硬式小銃を捨てた彼は腰の拳銃に武器を切り替えて、前方に狙いを定めた。第七高は選手の何名かに予備弾倉ではなく拳銃を持たせる様式のようだ。しかしこうなってしまっては、そんな考察にはなんの意味もない。当人には知る由もないが、カメラには壁をよじ登って後方より襲撃せんとする第一八高の選手の姿がはっきりと捉えられていた。
 音に気づいて上方を仰ぎ見た時にはもう遅い。飛び降りざまに振られた軍刀が速やかに急所判定をもたらして、結局、彼はただの一発も拳銃を撃つことなく試合終了の笛が戦場に響き渡った。
 はっ、と我に返った勇の手には、まだ食べていない軍艦巻きが手に握られたままだった。
『これにて準決勝第二試合は臣民第一八高等学校の勇猛な勝利にて幕を下ろしました。休養日を挟んで明後日には、強豪、大阪の帝國実業高等学校と記念杯を巡って最後の一戦を交えることとなります――おや、なにか選手が言っていますね、見てみましょう」
 カメラが第一八高の主将に視点を合わせた。たとどころに集音マイクが音を拾う。
「臣民第一八高等学校三年、主将、陳開一! 畏れ多くもこの場を借りて一言申し上げたいー! 公死園は直ちに仮想体力制度を取りやめ、己の命の限り死力を尽くす伝統に立ち返られよ!」
 駆け寄ってきた控えの選手から手渡された布をばっ、と広げる。華々しい日の丸の波状が際立つ大日本帝国の国旗を両手で前に持ち上げ、掲げる。息を呑んだ司会が、しかし相変わらずの熱量で感心したふうに言う。
「外地の若者の訴えです。もし彼らの戦い方で仮想体力制度を用いないとなると、昔ながらの木刀で気絶するまで殴り合う従前の形式に戻ることとなりましょう。彼らは――それでもいいと、むしろ本望であると訴えているのです。たかが支那人と侮ってはいけません。大和魂は外地の者にも確かに伝わっております。我々としても見習うべきところがあるのやもしれません……」
「ずいぶんすごい連中だな。次はこいつらと戦うのか」
 酒も飲まずに同じく試合に集中していた父が言った。
「今すぐにでも分隊を集めて作戦会議をしたい気分です」
 殊勝な物言いだが偽りではなかった。まるで身のこなしが軽くなったユンが十人に増えたような戦いぶりだ。他の常連校や強豪の戦略は予習していたが、台北の第一八高は完全に想定外の相手だった。教本通りの戦い方では今しがたの第七高のようにあっという間に呑まれてしまう。彼らとして決して弱くはない。見たところ、帝國実業をもってしても三回戦って勝ち越せるかどうかの堅実さを持っていた。番狂わせに弱い一面をまんまと突かれたのだろう。
「まあそう急ぐな。お前にはまず褒美をくれてやらなきゃならん」
 出し抜けに父はポケットから少し丸まった白い封筒を取り出して、勇に投げてよこした。封筒には地元の銀行の社章が刻まれていた。
「十萬円入ってる。好きに使え。お前はこれまでろくになにも欲しがらなかったからな……金を手にしたら思いつくかもしれん」
「ありがとうございます。大切に使います」
 恭しく両手で持ち上げた封筒を勇は自分のポケットにしまい込んだ。突然の労いに深い感動を覚えかけた矢先、横の功が父の酩酊に漬け込んで軽口を叩いた。
「僕にはないんですか。全国模試十四位だったんですよ」
 弟の狙いは的中して、いつもなら怒声の飛びそうな催促に父は苦笑いで応じた。
「お前は北野高校に入った時に計算機と通信回線をねだったから当分はだめだ。それさえも、あいつの件があってから計算機は絶対に許さんつもりだったが、北野に受かれば買ってやると言ってしまったからな……次はそうだな、模試で十位以内に入ったらなにか買ってやる」 「本当ですか? 約束しましたよ」
「今度は計算機以外だぞ」
「構いません」
 父がまんざらでもなさそうな表情で清酒をすすっている間に、功は勇にだけ判るように片目を瞑った。有名な英米式の仕草というのはさすがの彼にも理解できた。やはりとんでもない弟だ。
 大量の寿司が大の男三人の腹にすっかり収まり、就寝の頃合いに差し掛かったあたりで勇は分隊員に携帯電話で電文を送っておいた。便宜上は休養日と定められているが本当に休養する選手はありえない。明日は分隊総出で対軍刀戦を仕上げなければならない。
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 翌日、朝早くから自転車を駆って大阪城近くに敷地を構える帝國実業高校へと登校した。正門の前には不機嫌そうな顔のユンがすでに立っている。待ち合わせの約束など一度もした覚えはないが、いつからか正門前で肩を並べて登校するのが二人の習慣になっていた。
「なんだそのツラは」
「うるせえな」
 ユンがずんずんと巨体を揺らして先に進んでしまったので、勇も後を追う。機嫌がコロコロ変わるのは彼の性分とはいえ、今日は特に悪い方に振れている気配がする。敷地の奥ではもう硬質小銃の低く鈍い銃声と怒声が聞こえてきている。
「お前、昨日の試合観たか」
「観てねえ」
 相変わらずのそっけない返事にも構わず勇は話を続ける。
「台北の高校が勝った。やつらは全員軍刀を装備しているぞ」
「ほう」
 一瞬、ユンが立ち止まったので岩の壁に進路を阻まれたような格好になった。ぐるりと巨体が振り返り、にわかに感心したふうな表情を見せてくる。
「おれみたいなやつが他にもいたとはな」
「お前でも初手では使わんだろう。だが、あいつらはほとんど軍刀一つで戦っている。戦略を見直さなきゃならんぞ」
「なるほど、それで昨日の電文か」
 そういえばあの電文は試合を観ている前提の内容だったな、と勇は思い直した。そうこうしている間に二人は硬式戦争部が専有する野戦場にたどり着いた。あどけなさの残る一年生たちは必死の形相で「洗礼」の第二段階に取り組んでいた。硬質弾をまともに受けた状態でひたすら走らされるのだ。仮想体力が零に尽きないうちに身動きが取れなくなるようでは選手にはなれない。足取りが緩む候補生に監督の檄が飛ぶ。
「硬質弾ごときでへばっていてどうする! いま、海の向こうでは栄えある帝国軍人が自らの漏れた腸を引きずりながらでも支那の反乱分子どもと戦っておられるのだぞ!」
 二人の姿を認めると、候補生たちは険しい顔のまま一斉に直立不動の体勢に直ってお辞儀をした。
「いいから続けていろ!」
 怒号とともに彼らは無限とも思える持久走に戻っていく。振り返った監督は声を落として二人に告げた。
「試合、観たな? やつらは軍刀を使う。お前らにも二年時までは仕込んできたが一朝一夕であの技量には追いつけまい」
「おれはやれますよ。今でも毎日自主練してます」
 自信満々にユンが答えると、監督は厳しい目で睨みを効かせた。
「お前のは体格に頼りすぎている。あっという間に隙を突かれるのがオチだ」
「では、一体どうすれば」
「あいつらが弾をよけるのなら、お前らは軍刀をよけろ。今日中に仕込めるのはそれぐらいだ」
 さっそく、監督の指示の下に集められた分隊員は軍刀の回避術を学んだ。昨日までは軍刀なんて趣味でやっている者が遊びで持つ装備と軽んじられていたのに、今では全員が真剣な眼差しでその切っ先を捉えようと構えていた。当然、勇に刀を振るのはユンの役目だ。先の丸まった模擬軍刀とはいえ判定のために電子部品を内蔵している刀身は意外に重く、表面は金属で保護されている。それをユンの膂力で振るというのだから、まともに当たればやはり痛い。早晩、勇の全身は鈍痛に包まれた。
「痛ッッ、おい、もう少し加減しろ」
「無理だ。加減して振ったら簡単によけられる。それじゃ練習になんねえ」
 とは言うものの、そこはさすがの帝國実業主将。回数を経るごとに回避の成功率はぐんぐん上がった。次は交代して勇が振ってみるも、存外に身のこなしの巧みなユンにはあっけなくかわされてしまう。
「くそっ、おれじゃだめだ。軍刀なんて握るのは一年ぶりだ」
「どけ、俺が代わる」
 見かねた監督が攻撃役を買って出る。現役だったのは三〇年前とはいえ、軍刀を握った瞬間に彼の威圧感は普段の数倍にも膨れ上がった。さしものユンもまだ打たれていないのに一歩後ずさる。
「俺の時代では軍刀は人気の装備だった。敵をズタズタにする手応えが段違いだからな」
 端的にそうつぶやいた直後、空気を蹴散らす鋭さで振られた一閃がユンの肩口に直撃した。びいいいんと金属製の模擬軍刀がしなって振動する。呻き声をあげたユンが肩を抑えてうずくまる。
「立て。あの支那人どもはもっと速かったぞ」
「押忍ッ」
 二回目の攻撃は横薙ぎに脇を狙ってきた。今度はユンが機敏に反応を示して身をよじって剣筋から遠ざかる――が、監督が一歩踏み出して立て続けに繰り出した追撃が胸部に直撃した。予想だにしないすばやさにユンは驚きの表情を見せる。
「なんだ、ひと振りで済むとでも思ったのか。軍刀に弾切れはないぞ。お前が回避のために過剰に姿勢を崩せば敵は必ず押し切ろうとする。確実によけろ。ただし最小限でなければならん」
 それから、ユンは勇に負けず劣らずの痣を全身に作ってなんとか監督の年季の入った剣筋を最大三往復ほどよけることに成功した。続いて、勇も一回に限って回避に成功する。他の分隊員たちも半日かけて各々の力量に合った見極め方を掴みつつあった。
 まさか公死園決勝を明日に控えた最後の練習が軍刀の回避に費やされるとは思ってもみなかった。本来であれば強豪らしい強豪が勝ち上がってきて、以前の録画などを観ながら癖や作戦を探るのが常道だ。しかし、あんな奇天烈な戦い方をされたのでは座学などなんの意味もない。身体で覚えるしかなかった。
 夕暮れ時、分隊員は骨の髄まで軍刀の痛みを身に刻まれて解放された。やるだけのことはやったという面持ちだった。