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魔法少女の従軍記者 | 2024-02-22T21:16:05+09:00 | true |
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その少女は前線基地の会議室に舞い降りてやってきた。いや、舞い降りたという表現はいささか上品にすぎる。今日は作戦指揮に関わる国連軍の将校や事務方の重鎮、民間関係者、そして我々のような記者が一堂に会する最後の場――あけすけに言ってしまえば、これまで丹念に積み上げてきた法的手続きが実る時――ついに果実として収穫できる日だった。
そこへ、いきなり基地の天井を突き破って部屋に飛び込んできたのが彼女だ。当然、記者たちはカメラのシャッターを盛んに切りまくってこれに応じる。戦闘機の爆撃にも耐えうるように設計された最新の3Dプリンター基地を秒で破壊せしめた彼女が一体なにを言うのか、なんでこんなだいそれた真似をしでかしたのか、会議室の全員が固唾を呑んで見守った。実際、軍人としての彼女の性格は多くが謎に包まれている。
”こんな安普請の基地で本当に守りを固めているつもり? もっとちゃんとしなさいよ”
”3Dプリンター工場による大量生産物は自然破壊の大きな要因であり、抗議としてデモンストレーションを――”
”予行練習のつもりだった。後でもう一回やっていい?”
正直、なにを言ってもらっても構わない。なんであれ絵になる。彼女の影響力は国家元首にも匹敵する。どんな内容であろうとも人々の注目を掴んで離さない。上へ上へぐんぐん伸びていく株にはぶら下がっておくのが得策だ。
しかし、私が予想していたどの台詞とも異なり、彼女は長いブロンドの髪の毛をわたわたとたくしあげてこう言った。額に汗を滲ませ、人間らしい焦りを見せた様子で。
「今、何時何分? たぶん、ギリ遅刻じゃないと思うんだけど」
結論から言うと、彼女が基地の天井を破壊して会議室に突っ込んだのは午前八時五九分、五五秒。遅刻五秒前だった。
彼女こそが、私の今回の取材対象だ。本作戦の要、国連指定魔法能力行使者、兼、映画女優。PR上の都合で我々報道関係者が『魔法少女』と呼んでいる人物との出会いだった。
最後の会合は割にあっさりしたものだった。法的手続きを神に置き換えることに成功した我々は「西暦二〇三六年七月二〇日、国際連合安全保障理事会決議一六七八に基づき、新たに魔法能力行使者による武力行使を認める」と将校が告げた言葉に神託を見出し、件の魔法少女が合意を示したと同時に殺戮が合法化された事実を受け入れられるのだ。
砂塵嵐の吹き荒むかの地に屹立する国連未承認国家TOAは、あとちょうど半年で自称建国二〇周年を迎える。皮肉にもその直前で滅亡を余儀なくされることは、当の彼らも今では受け入れつつあるだろう。もともと無謀でしかなかった革命政権がここまで息を保っていられたのは、人権意識の高まりや近隣諸国の内政事情などがたまたまもつれたからに過ぎない。
読者諸兄もご存知の通り、三年前にようやく前述の『国際連合安全保障理事会決議一六七八』が採択され、たちまちかの地は月面が嫉妬するほど大小のクレーターが穿たれるに至った。ひとたびことが決まると世界の人々は戦略爆撃機の下でどれほどの人間が臓腑を撒き散らそうが、随時入れ替わるトレンド投稿の一スクロール分くらいしか関心を払わなくなった。圧倒的物量の前にTOAの軍勢は総崩れ、後は連中の指揮官が窓際にでも現れるのを待って頭をぶち抜けば一件落着に相違なかった。
しかしある時、唐突に状況が変わった。TOAは奥の手を隠し持っていたのだ。どこで拾ってきたのやら、どの国にも未登録の魔法能力行使者を使って反転攻勢に打って出た。かの地に住まう人々を気にかける数少ない”良心的進歩派”(両手を掲げて二本の指をくいくいと動かす)も、この件を皮切りにあっさり手のひらを返した。こちら側の戦死者の数が急速に増えだしたからだ。
批判を受けた国連軍はやむをえずすべての爆撃機を無人機に切り替えて地上軍の展開を中止したが、何百マイルも離れた安全な場所でコーヒー片手に操縦しているデスクワーカー空軍兵士が勝てる相手ではない。一つ何万ドルもする無人機は出すたび出すたび塵と化していった。どうやら、連中が手駒に仕立てた魔法能力行使者は大道芸人崩れで終わるような半端者ではないらしい。いわゆる戦略兵器等級の最上位魔法能力行使者だ。(以下、戦略級魔法能力者と呼称)
こうして国連軍が手間暇をかけて端っこからちまちまと削り取ってきた解放地域はみるみるうちに押し戻され、状況はすっかり元通りになった。不思議なことにあらゆる物品と金銭が露と消えたのに、こんな状況でもちゃっかり金儲けをしているやつらがいる。どういうカラクリなのか日々真面目に対立を煽って日銭を稼いでいる身分の私には見当がつかない。そもそもこの場にフリーライター風情の私が潜り込めているのも、厳密には合法とは言いがたいコネや搦手を散々使った結果だ。
さて、事態はもはや通常戦力の手に負える段階ではない。国連軍としても対等の魔法能力者を派兵するのが筋だ。ところが国連軍内はおろか各国にも、正式に登録済みでかつ軍事訓練を受けており、実際の戦闘経験も持ち合わせた戦略級魔法能力者はまったくいなかった。およそ十八歳で例外なくピークを迎えて、以降は弱まる一方の魔法能力は常備常設を良しとする近代的軍備の規範にまるでそぐわない。なにより当人が軍属を希望するとも限らない。
それでもロシアをはじめとする東側諸国にはぼちぼちいるそうだが、貸してくれと頼んで借りられるようなら苦労しない。専制国家から戦略級魔法能力者をレンタルするなんて核兵器のデリバリーサービスよりもハードルが高い。月にロケットを送りこんだAmazonにも不可能なことはある。
念の為に日本政府にも打診を試みたものの、よく知られている通りこの国は「我が国に上位等級の魔法能力行使者は存在しない」との公式見解を戦後からずっと堅持しているため、今回も協力は得られなかった。
結局、最後の頼みの綱は我らがアメリカ合衆国だった。だいぶ衰えたとはいえ今なお最強の軍勢を誇ると知らしめたい彼らは、当初より盛んに派兵を行っている。大量殺戮を呼ぶ戦略級魔法能力者を送り込むなどまともな民主主義国家なら絶対に民意が許さないだろうが、かの地への厳しい制裁を望む合衆国国民は乗り気そのものだった。そういうわけで、今回のジョイントミッションが実現したのである。
「メアリー・ジョンソン……大尉とお呼びした方が?」
殺到した記者がはけた頃合いを見計らって、コーヒーと名刺を同時に差し出しながら私は軽妙に尋ねた。あんなふうに我先と詰め寄る記者は素人同然だ。取材される当人からしたらみんな同じ顔に見えてなにも印象に残らない。回答も機械的にならざるをえない。話しかけるなら一番最後。最低でも三〇分は空ける。経験に培われた私の流儀だ。案の定、ティーンに似つかわしくない階級章をわざと持ち出したことで、彼女はふふ、と苦笑いをした。
「冗談みたいよね。大尉になったのってほんの三日前なのよ」
指揮系統に彼女を組み込む都合上、どうしてもそれなりの地位を与える必要性があったのだろう。小隊長程度の命令に左右されるようでは並外れた能力をいかんなく発揮できないし、かといって高級将校に堂々と楯突かれては計画の妨げになる。大尉相当に遇するのは理にかなっている。
「計算上は夏の間に大将になれますね」
笑ってくれた。いい感じだ。他にも引き出しは色々と用意してある。著名人のSNSはこまめにチェックしておかないといけない。以前は面倒くさかったそうだが、今時は手頃なプランのLLMツールにまとめて投げればイヤフォンで文字起こしの要約が聞ける。こうしたLLM――大規模言語モデルの産物は”AI”などという尊大なブランディングネームの助けを借りつつも、我々の生活に溶け込んで久しい。
”ハーイ、私はメアリーです。八歳の頃に魔法能力に目覚めました。たくさんの親族と仲良く暮らしています。父と母と四つ年下の妹もいます……。”
「ところで、ついさっきまではロサンゼルスにいましたよね。そっちでも記者連中に捕まっていたので?」
「そうね、映画の出演者インタビューに出てて」
彼女が目配せをする。当然知っているんでしょ、とでも言いたげだ。まだ五秒足らずのフッテージしか出回っていない作品だが、もちろん知っている。業界関係者の知人から第二次世界大戦で厳しい役目を背負わされた魔法能力者の物語だと聞いた。珍しく親が俳優でも富豪でもインフルエンサーでもないのにじわじわと子役の出演歴を重ねてきた彼女の、初の主演作品だ。
「ええ、やっぱり空を飛ぶシーンとかは全部自分の魔法でやるんですか?」
「意外にそうでもないわ。CGの方がリアルに見えるって変よね、でも画面で観ると本当にそうなの」
「あなたの世代からすると変に聞こえるでしょうが、一昔前はドイツの話を撮りたかったら本当にドイツに行ってたんですよ」
「まあ、私ひとりだけならそんなに面倒じゃないわね、なんて」
そんな上り調子の女優が、どういうわけか合衆国政府に登録されている最上位の魔法能力者で、そのために出動を要請する召集令状が下されたのは果たして幸運か、はたまた不幸か。少なくとも、新作映画の興行収益は確約されたようなものだ。
過去に実在した軍人を演じる女優が、本当に軍人となって戦争に赴く――どこぞの出版社に提案したら「話ができすぎている」と即ボツを食らいそうなあらすじとはいえ、しかしこれはまごうことなき現実である。世論は大いに湧いた。いかに無敵に等しい戦略級魔法能力者であっても、無垢な少女を戦争に駆り出すのはどうなのだ、と道徳論を説く者があれば、言葉尻を捉えて無垢な少女だと良くないのか、じゃあ素行不良の少年なら構わないのかといった反論が打ち出され、少女性にことさらに着目するのはセクシストでエイジズムだとの論陣が張られた。
そうは言ってもおっさんだったらどうせ誰も気にしないのだ、真に弱いのは女子どもでも障害者でもなく五体満足の中年男性だ、と恨み節を上げる投稿がSNS上で万バズを獲得し、対して国家が戦場に呼びつけるなど元より言語道断との進歩的見識が各メディアに並ぶも、西側諸国でもなにげに徴兵制を実施している国々には都合が悪く言葉を濁さざるをえない。そうして喧々諤々にやり合っているうちに誰も彼も飽きはじめて、もう本人が決めればいいじゃん、それが自由主義国家の姿だろう、みたいな粗雑な結論が持ち出される始末。かくして、自由世界を占める十数億人の責任は選挙権すら持たないたった一人のティーンエイジャーに丸投げされたのだった。
世間は彼女が招集に応じるかどうか半々と見ていたが、特に悶着もなく驚くほどあっさり合意した。その日、各国の酒場では徴兵拒否に賭けていた方の札束が宙に舞ったという。彼女は自らに課せられた一年間の軍事教練もきっちりこなしたので、途中で逃げ出す方に賭けていた方も遠からず私財をなげうった。
今のところ、なぜ戦争に行くのかという肝心の質問には曖昧な回答を繰り返している。愛国心がどうとかなんとか、みたいな話も彼女の世代では歓心を買いづらいだろう。下手にダサい物言いをすれば一日の間にフォロワーが七桁は減る。もっとも、今となっては数億人のフォロワー数を誇る彼女にはどのみち関係がなさそうである。いずれにしても理由は分かっていない。若い世代を代表するアイドルであり、女優であり、兵器であり、広告塔でもある彼女の本心は謎に包まれている。
もし、そいつが掴めたら私もしがないフリーライターから脱出できるのだが。こんなに安っぽい茶色のジャケットを着ているのは基地内では私くらいだ。稼ぎが少なすぎてジャケットすら満足に買い換えられない。
「ところで、ジョン・ヤマザキさん。あなたは日系人?」
不意にエスニックな出自を聞かれて少々たじろいだ。そういうセンシティブな質問をされたからには多少は打ち解けているのかもしれない。
「おや、フランクにいっても良さそうな雰囲気ですかね。じゃあそうしよう。たぶん、まあ、そうだろうと思うよ。元を辿ればね」
なぜか知らないが私の両親も、さらにその上の両親も、ヤマザキという名字の語感を気に入ったらしい。ある上等なジャパニーズ・ウィスキーと同じだからとかいうふざけた理由を聞かされた時には呆れかえったものだが、ライター稼業を始めてからは両親にも祖父母にも、私の遺伝子の元となった最初の日本人にも毎日感謝を捧げている。この名字は相手に覚えてもらいやすいからだ。これがもしジョン・スミスだったら話している最中にも忘れられかねない。
と、いう話をさっそくしてやったら、目の前のメアリー・ジョンソンは年齢相応に顔をくしゃりと丸めて大笑いした。いいぞ、確実に流れが来ている。私は勢いづいた。
「ところで、私が日系人だとなにか特別に教えてもらえることがあるのかな」
「私が着る複合素材スーツ、スポンサーの都合で日本のアニメがモチーフらしいの。なにか知ってるかと思って。おかしいわよね、これから戦いに行くのに」
「なんでも金に替えようとみんな一生懸命なのさ。だから無人機のカメラ映像も常に配信されているし、そこでの投げ銭や広告収入が国連軍の活動資金になっている。君のそのなんとかスーツにもボディカメラがついているだろう。なにもかもがコンテンツ化される時代だ」
すると、彼女が途端に押し黙ったので、私はしまった、と強く後悔した。うら若き少女には不適切な表現だったかもしれない。それともこれはあれか、マンスプレイニングってやつか。ストリーミング配信の現状なんて大人の私より彼女の方が詳しいに決まっている。
幸いにも、彼女は私のせいで抑うつ気味になったわけではなかった。ただ、うつむいて絞り出すようにして言ったのが印象深い。
「そうね……分かってる。みんなが色々考えて、私でお金儲けをしたいのも、なにかやろうとしているのも。でも、私しか彼女を止められないんだ」
「彼女? 女だったのか」
敵の魔法能力者の素性は明かされていないはずだ。性別か、あるいは性自認だけでも判明すれば大きな情報になる。
「あっ、えっと、それは国家機密で、ごめんなさい」
「別に構わないよ。聞かなかったことにしよう」
あえてあっさり退く。ここで深追いすれば警戒される。
そこへ基地内に放送が流れて、まもなく重要な会見が行われるとの告知が行われた。
「また後で他の話が聞けると期待しておくよ」
あえて名残惜しさを残す形で会話をぶった切る。さっと身を翻して数十分後の算段をつける。
さあ、種は撒いた。うまく芽吹いてくれるといいのだが。
会見の内容は淡々としていた。まず、展開が中止されていた地上軍を再編して一個中隊規模をかの地に投入するという。圧倒的に強いとはいえ”無垢な少女”を一人で戦地に向かわせる構図に広報担当経由でなんらかの改善要求が入ったのか、急きょ事実上の随伴歩兵をあてがう形を作ったらしい。味方の死傷者を増やしたくないから撤退させたのに、ここへきてそのリスクを増やしたがるとは世間様の考えはつくづく理解不能だ。各SNSの感情解析データはどれも、この発表直後五分以内において良好な数値を指し示している。
次に、今回の作戦をスポンサードしてくれた各国企業の紹介と宣伝。一社あたり三分足らずとはいえ参画企業がかなり多かったのでだいぶ時間がかかった。防具となる複合素材スーツを提供している日本のメーカーはスポンサードにスポンサードを重ねたみたいで、デザイン部分についてはテレビ局と共同で企画開発したと説明していた。颯爽とスーツを着て現れた彼女が、数マイル先からでも視認できそうなビビットな色彩をまとっていたのはそのためだ。調べてみるとタイアップしているアニメキャラクターの画像が出てきた。彼女とは似ても似つかないが確かに衣装の見た目はよく似ている。やや趣が違うもののちゃんとスカーフも付いている。
実際、彼女が敵から発見されようがされまいが大した差はない。M1エイブラムス戦車の主砲が直撃しても無傷でいられる不滅の肉体は広告塔にうってつけだ。そういう事情もあって、彼女のビビットなスーツにはスポンサード企業のロゴが所々に刻まれている。まるでF1レーサーみたいだ。よく映る上半身の方ほど協賛金も大きいのだろう。
続けて、作戦の収支報告が行われた。無人機のストリーミング配信はなにげに馬鹿にならない利益を上げていたがそれでも累積赤字を埋めるほどには至っていなかった。そこで、今回は随伴歩兵のボディカメラでもストリーミング配信を行って収益を改善させるほか、VRコンテンツを開発している各企業に三次元データを販売するとのことだった。ついでに、歩兵の心拍や筋肉の動きなども常時モニタリングして関連業界のスポンサード企業に提供される計画になっている。
こうして得られた収益の一部は資金運用にも用いられ、それ自体も再販可能な債権として売り出される。主に再販を手掛けるのはもちろんスポンサード企業に名を連ねている銀行や証券会社だ。
かつて「SDGs」という持続可能性や資源の再利用を象徴するフレーズが流行っていたが、今回の作戦はまさにそれの鑑と言える。骨にこびりついた肉の一片をも丁寧にしゃぶりつくし、骨からも出汁をとって出し殻も売りつけるような心構えには感服せざるをえない。市場情報を見てみると、スポンサード企業の株価が軒並み上昇していた。
ここまで順調に進んでいた会見は、話し手が若い将校に変わったあたりで雲行きが怪しくなった。「急な話で申し訳ないですが、今回は報道各社の皆さんにもご協力を仰ぎたいと思っております」その一言で今までコンテンツを中継する立場でしかなかった我々の座席に、ざっと視線が投げかけられた。
突然の話に報道関係者一同困惑を隠しきれずにどよめいていると、将校が軍人らしからぬ滑らかな口調で話しはじめた。
「今回、主要スポンサード企業からの要請を受けて、国連指定魔法能力行使者、つまり、メアリー・ジョンソン大尉のコンテンツ化をより強力に推進する方針を固めました。つきましては、彼女を撮影取材する従軍記者を募集します」
なんだかそれぞれの言葉が細切れに分かれたワードサラダみたいに聞こえた。周囲のざわつきが臨界点に達する。たまらず誰かが挙手もせず発言をした。
「先ほどの説明によると歩兵にボディカメラがついているのでは」
しかし、将校の返答は明らかに予想問答を経た淀みのないものだった。
「各兵士の撮影映像はコンテンツの趣旨が異なるので彼女を主に映し続けるわけには参りません。それから――」
「あの魔法少女にもカメラがついているじゃないか」
また誰かが将校を遮ってしゃべったが、彼が無言でひと睨みすると黙った。一瞬で笑顔に舞い戻り話が続けられる。
「――それから、ちょうど今ご指摘があったように、メアリー・ジョンソン大尉のボディカメラは彼女の視点をコンテンツ化するものであって、彼女をコンテンツ化するものではございません。以上の理由から、彼女を撮影する専従の要員が求められているのです」
今度は他の記者が丁寧に挙手をした。指名を受けて立ち上がった記者は大手新聞社の社名を名乗ってから質問をした。
「なにも生身の人間が撮影しなくてもドローンなどで撮影すればよいのでは」
もっともな意見だ。報道陣も一様に頷いて見せる。だが、将校の切り返しはすばやい。
「ただ撮影すればいいだけならそうでしょう。しかし、ストリーミング配信のリアクション解析で得られた各種情報から、視聴者が求めているのは圧倒的なライブ感、リアル感だということが分かっています。ここだけの話、無人機の方の視聴者数は減少傾向にあるのが実情です」
インターネットの蛇口をひねれば無料の娯楽がだばだばと溢れ出してくる時代、反復的に爆弾を落として窪んだ地表を映すだけの配信コンテンツがそう長持ちするわけがないのは、言われてみれば確かな話に思える。
新規企画の立ち上げを発表するイベント企業のプレゼンじみた若い将校の口ぶりも、要するに視聴者はもっと血湧き肉躍る映像を求めているということだろう。
大方、報道陣各位が同様の結論に至ると会場内は静かになった。そこで将校が繰り返し尋ねる。「では、誰か、ぜひ立候補を。諸々の免責事項には同意して頂きますが、うまくいけばインフルエンサーの仲間入りですよ」
将校に促されて、何人かの記者が続々と起立した。顔ぶれを眺めるといかにも毎日筋トレを欠かさずやっているような血色の良い白人男性ばかりが視界に入る。逞しく、筋骨隆々で、顎もシャープ。それでいて有害な男らしさはほのかにも漂わせず、デカいくせにむしろコンパクトな印象を受ける。そして、顔にはお決まりの最新スマートグラスだ。さながら「男性2.0」の理想像がショーウインドウされているかのようだった。彼らは決して政治的に間違えない。顔にへばりついているメガネが「正しい会話」を逐一サジェストしてくれるからだ。私の預貯金では本体代こそなんとか出せても専用LLMツールのサブスク料金は到底払えない。彼らはどうせ会社に出してもらっているのだろう。
私は割と聞こえるくらいの音量で舌打ちをした。ここまできて計画が台無しになってしまった。
今回の作戦をつつがなく終わらせた魔法少女に後で正式な取材を仕掛ける予定だったのに、スマートグラス装備の完全無欠な白人男性様の記者に一日、二日も張り付かれたら勝ち目はない。この中にいるラッキーな誰かはやがて彼女の専属記者に成り上がり、魔法少女に関する一切の情報を独占していることだろう。その頃には私の名字がヤマザキだったかタナカだったかなんてどうでもいい話になっている。
くそっ。私はまた舌打ちした。AIとは名ばかりのマルコフ連鎖風情に舌打ちのニュアンスが理解できるならやってみるがいい。一回目はやつらに対して、二回目は自分に対してだ。
しかし彼らは矮小な私になどてんで気を払わず、落ち着いた佇まいで事の推移を見守っていた。将校は満足そうに言う。
「では、立候補して頂いた方にはさっそく選考のご案内をいたします。選考結果は後日――」
「待って。ちょっといいかしら」
またぞろ将校に横槍が入れられた。今日の彼は会話を遮られる定めにあるらしい。ところが今回阻んだのは報道陣ではなく、会場内の民間人でもなく、真横に立ってスーツをアピールしていた魔法少女――メアリー・ジョンソン大尉だった。
「メアリー大尉……? その、なにか」
さしもの将校も作戦の最重要人物による質問とあっては無碍にはできない。高品質に保たれたビジネスフェイスが崩れ去り、にわかに人間らしい焦燥を見せる。彼女はそれを知っているのかいないのか、意を決したふうに言う。
「その従軍記者、私が選ぶわ」
再びどよめく会場。今度こそ絵になる台詞が聞けそうだと言わんばかりに連中のスマートグラスの縁が光り、次々と撮影モードに切り替わる。
「だって、今から人を選んでどうこうなんてやっていたらまた何週間もかかってしまうもの。今日、直ちに作戦を実行すべきよ。敵に時間を与えていたらそれだけ対策する隙を与えてしまう」
戦略級魔法能力者相手に対策もなにもあったものか、と当然の突っ込みが頭をよぎるが、彼女の女優譲りのピンと張り詰めた声色がこの上なく動画映えするのも間違いない。言っていることも理屈の上では正論だ。そんな感じの考えが誰の脳裏にも描かれている間に彼女の選考は終わり、即時に選考結果が公に通知された。
「そこにいる人、あなた。しわっぽい茶色のジャケットを着ている。いや、あなただって」
びしっと高らかに人差し指を突き出した方向が自分のいる位置にずいぶん近かったので、まずきょろきょろと左右を見回し、それから背後にも首を回したが『茶色のジャケット』を着ている人物は見当たらなかった。
私以外には。
「ジョン・ヤマザキさん。あなたが私の従軍記者です」
どうやら、種が芽吹いたらしい。
「では質問の続きを。これまでになんらかの軍歴、民間軍事企業での勤務経験、またはその他戦闘経験をお持ちですか?」
「いいえ」
即答で応じる。
「紛争地域などでの取材経験は?」
「ありません」
「なるほど」
応対に当たった事務方の職員がバックグラウンドチェックで得られた私の経歴を参照しつつ、スマートグラス越しに自己申告情報をてきぱきと打ち込んでいく。空中に浮かぶ仮想のキーボードは装着者本人にしか見えないとはいえ、タイピングしている指の動きを見ていればだいたいなにが書かれているのか想像がつく。
「ちなみに、今回のオファーについてどのようにお考えですか?」
神経質に両手がぴたりと静止して視線の先が私に向けられる。こうなったらやぶれかぶれだ。こんな大チャンスをふいにするライターがどこにいる。
「ええ、もちろんお受けするつもりです。確かに私はこの種の経験がまったくありませんが、誰にでも最初はあるものです」
「なるほど」
さらに何行ぶんかの文章を打った後、職員の彼女は脇から取り出したタブレット端末を差し出してきた。
「では、こちらに署名をお願いします。私ども国連組織は、今回の作戦の参加に際して被る損害、事故、負傷および疾病、後遺症、死亡等に一切の責任を負いません。公的、民間を問わずいかなる保険制度でもこれらは補償されませんので前もってご了承ください」
タブレットの殺風景な白画面に私は堂々とサインを刻みつけた。私の入っている保険はもともと歯科しかカバーしていない最安のプランだ。インフルエンザの治療薬一つにさえ保険金を出し渋る彼らが、戦地で負った怪我を負担するなど天地がひっくり返っても起こりえない。他にもいくつかのサインを機械的に施して、私は自身の権利を自らの手によって一枚ずつ法的に剥ぎ取っていった。
「以上で事務手続きは完了です。念の為に言っておきますが、これよりあなたはメアリー・ジョンソン大尉の指揮統制下に入ります。作戦行動中は任務遂行の妨げにならないようご注意ください」
「せいぜい努力するよ」
基地の外では頭部、胸部、背面に大小のカメラを取り付け、軍事用グラスを装着した一個中隊が整列して待っていた。「PRESS」と大きく太字で印字された、規定の防護服に身を包んだ私はいつもより物理的に重い足取りでそちらへ近づく。作戦行動中は中隊の戦闘車輌に乗り込む手はずになっている。私の姿を認めると、四人いる小隊長が手短に挨拶をしてくれた。
「まさかいきなり大注目のストリーマーに仕立てられるとはお互い大変ですね」
そのうちの一人、エドガー少尉が皮肉まじりに私のカメラを顎でしゃくった。
「不運にも命を賭けないと金を稼げない身分でね」
すかさず私も皮肉で応じる。
「我々は敵との戦いをコンテンツに、大尉は我々との活動をコンテンツに、あなたは大尉をコンテンツにする。持ちつ持たれつでいきましょうや」
「だとしたら、敵はなにをコンテンツにするんだろうな」
私のすっとぼけた疑問に彼は笑っていない目で、はは、と乾いた笑いを発した。
「やつらはそれが嫌だからああなったんでしょう」
「あいつらに『PRESS』なんて文字が読めるのかな」
「まあ、相手がなんであれ国際法ですからね」
最後に、いよいよ戦略級魔法能力者こと魔法少女、メアリー・ジョンソン大尉が姿を現した。公衆の面前での劇的な指名の後、私はすぐさま国連職員に取り囲まれたため一言もしゃべっていない。なんであれ真っ先に聞くのは「なぜ並みいる男性2.0たちを差し置いて私を指名したのか?」であるべきだが、実際に口から出たのはごくつまらない質問だった。
「やあ、出陣を前にして気分はどんな感じかな」
「生理痛で睡眠不足で最悪。今にも世界を滅亡に追い込みそう。なんてね」
もうカメラが回っているかのような気の利いた冗談に気圧されかけるも、言わずもがな彼女は女優であった。「そういうあなたは?」と水を向けられたからには、こちらも印象的な人物を演じないわけにはいかない。
「いや、暑すぎて参ったね。君のそのスーツは涼しそうで結構だが、こっちはこんなのを着せられてたまらないよ。良かったら私のと交換しないか」
夏真っ盛りの本日、土地柄も相まって気温はゆうに三〇度を越えていた。彼女はくすり、と微笑んだ。
「いいけど、こう見えても重さが三〇〇ポンドくらいあるし、背面を溶接してるのよこれ」
さすが、生きた戦略兵器のために作られた防護服は格が違った。
「困ったな。クーラーの効いた戦闘車輌から一歩も出ないで済む方法は他にないものかね」
阿吽の呼吸で彼女の表情がわざとらしく険しくなる。
「なんだか思ったよりやる気がなさそう。今からでも別の記者に変えようかしら」
「じゃあ、もう一人増やして外出役と留守番役で分けよう。私が留守番役で、外出役のやつから話を聞く」
取り留めのない応酬を続けていても、なかなか適切な質問が繰り出せないまま彼女は一足先に作戦行動に移ってしまった。滑走路の手前から奥に向かって、徒競走のクラウンチング・スタートの要領で駆け出すとあっという間に大空に飛び立った。目視できなくなるほど小さくなるまでに一分とかからなかった。
彼女が空を飛んだり、なにかを壊す様子はPR動画で何度も観たことがあるが、直に目の当たりにしたのはこれが初めてだ。”無垢な少女”が兵器に変身した瞬間と言える。我々も各自の戦闘車輌に乗り込んで後を追った。先のエドガー少尉が手招きして呼んでくれたので、彼の隣に便乗する格好となった。
大の男たちがたっぷり何人乗り込んでも、戦闘車輌のクーラーは隅々まで効いていて心地が良い。各自の歩兵と車輌の上部についたカメラはすでにストリーミング配信を開始している。とりあえず、少尉の胸元に向かって営業スマイルを送り込んでやる。
「やあ、今回の作戦に同行することになったフリーライターのジョン・ヤマザキだ。彼らが今から連中をぶちのめしてくれる」
エドガー少尉はやや間を置いてから真っ黒な顔に白い歯をのぞかせ、苦笑いをした。
「”お前はなにをするんだ”ってツッコまれてますよ」
「ああ、やっぱりそのグラスにコメントが映っているのか」
「戦闘情報の表示の邪魔にならないよう直近のコメントだけですがね」
「じゃあ、この会話もLLMの助けを借りて成り立っているのかな」
私の意地悪な質問に、彼はさっと首を振る。
「あんなもの殺し合いにはなんの役にも立ちませんよ。戦場ではファックもシットもウエポンフリーです」
「なるほどね、趣味が合いそうだ」
「さすが”魔法少女”に選ばれただけあって変わり者ですね」
おやおや、とあからさまに身を乗り出す仕草をして核心に迫る。
「さてはエドガー少尉は”魔法少女”に詳しいのかな。もしや訓練時から関わりが?」
しかし、そこはいっぱしの軍人。ガードは固かった。
「はっはっは、その手は食いませんよ。彼女に関することは我々はなにもしゃべりません。年金が惜しいですからね」
砂漠同然の荒野を進み続けて一時間、ようやくTOAの支配領域が近づいてきた。
かの地と隣国との国境は隔絶されている。比喩ではない。敵方の魔法能力者が文字通り、彼らの主張する国境線に沿って深さ約一マイル、長さ約半マイルの絶壁を掘ったのだ。いくつかの場所には橋がかけられており、陸路で通行したければそこを通る以外に手段はない。もちろん、そこには重武装の部隊が常時控えている。”建国”当初は比較的往来が自由で奇特な移住希望者や旅行者で賑わっていた時期もあったが、例の国連安保理決議以降は人通りが途絶えてしまった。その上、この物々しさでは誰も寄り付きようがない。
国境線の数マイル手前で戦闘車輌が次々と停止する。灼熱の荒野に足を踏み出すと、エドガー少尉が部下たちに号令をかける。
「まもなく大尉が橋の上の敵勢力を一掃する。それまでは各自待機」
ちょうど頃合いを図ったかのように遠くの空がぴかぴかと光りだした。こんな晴天の白昼に雷鳴――というわけではなく、彼女が戦闘を開始する兆候である。しかしこんな遠目ではなにをしているのか分からない。
そういえば、彼女のボディカメラはもうストリーミング配信中に違いない。ポケットから電話を取り出して彼女のチャンネルにアクセスする。本来ならオフラインでもおかしくない場所だが、車載の衛星通信機材が電波を発しているおかげでマンハッタンのど真ん中よりも高速にインターネットが使える。
画面上では、暗い国境線に向かってまさに彼女が急降下を始めるところだった。これみよがしに手のひらの紫の塊を見せつけるのは、きっと視聴者に対するサービスなのだろう。ばちばちばちとスピーカー越しに爆ぜる魔法の砲弾が、視界に橋が大きく映り込んだと同時に解き放たれた。
轟音。よくできたCGと比べると微妙に嘘っぽく見える衝撃波とともに、橋の奥に控えていた小隊規模の兵士たちが一瞬で炭化した。
空中で静止した彼女がインカムに向かって言う。
「0A、敵勢力の排除が完了」
入れ替わりに、スピーカー越しにではなく隣に立つエドガー少尉の声が直に聞こえた。
「1B、了解」
ふと目が合った彼は自嘲がちに言った。
「ま、ざっとこんなもんです。せいぜいお互いに無駄死には避けましょう」
かりかりに焼けた死体を戦闘車輌で轢き潰しながら無事に「入国」を果たした後、でこぼこした道路を進むと平穏そうな地方都市の風景が見えてきた。「ここからはしばらく徒歩で行きましょう。スポンサーのためにね」と皮肉っぽく言う少尉の言葉に従って、快適な車内にしばしの別れを告げる。どれほどの速度で落下したのやら、舗装路に鉄球をぶつけたようなへこみをドスンと穿って彼女も降りてきた。さっそく私はボディカメラをオンにする。配信関連の手続きは設定済みらしいので、これでもう全世界数億人の視聴者の前に彼女の姿が映っているはずだ。
「皆さんご存知の魔法少女ことメアリー・ジョンソン大尉です。実は彼女は体重が五トンもあるのでご覧の通り、歩くたびコンクリートに陥没が――」
「ちょっと、なに適当なこと言ってるの」
表情こそ基地の頃と同じく笑っているが、目は全然笑っていなかったので全速力で後ずさった。
「すいません、嘘です。本当は公称通り一二〇.七一ポンドです」
時計とSNSを連動させて自動投稿しているであろう数値を下二桁まで読み上げるとなんとか彼女は落ち着いた。
先頭を魔法少女、後方を戦闘車輌で固めての行軍が始まった。私は今回の役割のために武器も持たず二番目の位置を歩いている。もし敵の掃射が首より上に当たったら即死だが「弾より私の方が速いから」との力強い声に説得されて、辛うじてこの立ち位置に踏みとどまっている。
途中、オオバナミズキンバイが咲いたこじんまりとした公園をくぐり抜けて、別の大通りに進んだ。この地の住民は国連安保理決議の前後に逃げたのだろう。今回の作戦前日に無人機で紙のビラを撒く案もあったが資源の無駄遣いとの批判を受けて中止された。
真夏の日差しがじりじりと首筋を焼き焦がす。周りの兵士たちの小銃は厳かに水平に保たれている。今ここで、奥の街角からひょいと現地住民が顔を出したらどうなるだろうか。国際連合安全保障理事会決議一六七八は非武装者の殺傷を認めていないものの、この地で武装していない民間人は珍しい。文言に「非戦闘員」や「非軍属」と記されなかったのはそのためだ。わずか数秒の間に区別がつくのは武器を持っているかどうかくらいしかない。
それにしても、全員が無言で延々と魔法少女の背中を映し続けているのは素人目にも撮れ高が良くなさそうに思える。太陽に照らされて光り輝く複合素材スーツの背面を眺めていると、いい感じに彼女が振り向いてくれた。カメラに向かって満面の笑みでピース。決して私に対してでなくともそこはかとなく気分が良い。
「皆さん、ここが敵地の最前線です。この通り今は不法に占領されているので閑散としていますが、解放された暁には帰還した住民たちの手によって再び賑わうでしょう。ほら、ヤマザキさん、振り向いて」
今の私は全身が立脚みたいなものなので、カメラアングルを変えるには身体ごと動かざるをえない。言われるままにすると大粒の汗を額に浮かせて歩く兵士たちの列が見えた。
「全隊、止まれ!」
見計らったように彼女――メアリー大尉――が低い声で命令すると、総勢一〇〇人いる男たちの塊が一斉にぴたりと止まった。
「これより四個小隊に別れて作戦区域内を探索する! エドガー少尉は私と直進、ラング少尉は東、ブラッド少尉は西、ウェイ少尉は南側で戦闘車輌を保持して待機! 非武装者への攻撃は避けよ!」
手短な応答を経て一つの大きな塊が四つに分裂した。まるで繰り返し練習したかのようなすばやい再編成は、実のところこんな場所で行う必要性はまったくない。おそらく、予め計画された「視聴者サービス」の一環なのだろう。
私の視界には映らないコメント欄がいっそう湧きたち、世界各地から投げ銭が毎秒飛んでくる様子がありありと想像できた。
散開が済むと身軽になった小隊の進軍速度が速くなった。後ろ向きでカメラに向かって話しながら歩く魔法少女は、器用に壁や曲がり角をひょいひょいと避けて進む。なにも知らなければ旅行系のストリーマーが年相応のトークをしているようにしか見えない。
事態が変化したのは大通りを抜けて住宅街に入り込んだあたりだった。ここまで来るとおおよそ街の状況に当たりがついて、歩兵たちの警戒心はかなり緩んでいた。他の小隊からの報告も「異常なし」が相次ぎ、過酷な戦場の姿は蜃気楼のごとく立ち消えつつあった。
そんなところへ、なんの前触れもなく近くの家の玄関ががちゃり、と開いて老婆が表に出てきた。その季節外れの厚着をした老婆が二歩、三歩と歩いたところで、兵士たちはやっと敵地にいる人間の姿を認識した。
一斉に小銃が老婆に向けられる。誰も彼もが「フリーズ」だとか「オンザグラウンド」だとか叫び散らかすものだから、逆になにも相手に伝わっていない感じがした。
しかし老婆は敵国に対する敵愾心が旺盛なのか、はたまた単純に耳が遠いのか、歩みを止める気配はなく我々の行く手を横に通り過ぎようとしている。
「みんな落ち着いて。お婆ちゃんでしょ」
上滑りした雰囲気を取り繕う口調で、前にメアリー大尉が立ちふさがった。非武装者の、それも老婆に銃器を向ける歩兵の集団など、到底好ましい構図ではない。
「ですが――」
「私に任せて」
数億人規模の視聴者の手前、自信満々の口調でエドガー少尉を牽制しつつ、彼女は単身で十二フィート先の老婆に近寄る。
「お婆ちゃん! あの!」
ほぼ怒号に近い声量で声を張ると老婆はゆっくり首を傾けて顔を合わせた。
「はあ?」
聞こえているかどうかも定かではない気の抜けた返事をする敵地の非武装者を見て、兵士たちの間に安堵が広まった。
「なんだ、マジでただのボケ老人かよ」
兵士の誰かがつぶやいた。
束の間。二番目に立っていた私には彼女が息を呑む声が聞こえていた。
これは。
なにかが起きる。
刹那、私は彼女の目つきがティーンエイジャーのそれから凍てついた殺人兵器に切り替わるのを見た。放たれた銃弾を手で掴めるほどすばやく動く手でも、緊急事態に際しては手段を選んではいられない。
「伏せて!」
ぎりぎりまで粘ったが真に生命の危機を悟った私は、カメラレンズの視界を諦めて地面に身を丸めた。
それでも肉眼にはコマ送りのように光景が映っていた。彼女は手の先から紫に光る魔法の刃を展開して、老婆の上半身を瞬時に両断せしめた。幾分かコンパクトになった人間爆弾を抱きかかえて彼女自身も奥側に倒れ込む。
そして、爆発。すさまじい衝撃波が襲いかかる。鼓膜が頭ごと叩きつけられて私の身体は抑えつけられているにも関わらず、兵士たちと一緒に後ろへ転がされた。横転する視界の中でも彼女の背中がたびたび見えた。両脇から吹き出た閃光がそこかしこに飛び散り、近くの民家にぶつかると蒼色の火柱を上げた。鋭く上がった火の手がみるみるうちに家々を包み込んでいく。
間髪を入れずに起き上がった魔法少女が呼びかける。
「みんな、怪我はない!?」
一体どこまで役者なのか。破裂した老婆の臓腑を一身に受けた彼女のスーツは一面おどろどろしい黒ずんだ赤でデコレーションされていた。しかし、彼女自身には怪我をした様子がないところがかえって悲壮的でもあり、神々しくもある。そんな戦場の女神が取り乱しもせずやるべきことをやって、第一に味方の心配をする。いくらなんでもできすぎだ。スクリーンの前なら冷笑していただろう。彼女の判断力次第で危うくひき肉になっていた立場でなければ。
休んでいる暇はなかった。他の小隊から続々と敵襲を報せる連絡が入ってくる。無線越しに聞こえる爆発音と、遠くの爆発音が幾度となくシンクロした。
「ああああああああ……!!!」
突如、大通りの角から一斉に人々が走りこんできた。一様に土気色の肌をした彼らは手に武器も持たず、自我も持たない。この地に敵方の魔法能力者が降臨して以来、繰り返し行われている敵方の基本戦術だ。
充填魔法による遠隔自爆攻撃。先ほどの老婆はたまたま不活性化していただけだった。
「ファーック!」
「シット!」
誰かが大声で叫んだ。
今頃、映像と音声の自動解析を担っているファッキンAIシステムが、せかせかと我々のストリーミング配信のための警告を生成していることだろう。このストリーミング配信には不適切な表現が含まれています、このストリーミング配信には暴力的な表現が含まれています、このストリーミング配信には……ワンタップで飛ばされるユニバーサル多言語対応人工音声付き警告文のために、今日も各社クラウドサーバの中で動くLLMオンデマンドサービスが唸りを上げ二酸化炭素を大量に撒き散らす。法的合意の言質は一〇〇ヘクタールの森林よりも重い。
充填魔法は火薬とは異なり刺激に対して反応するとは限らない。魔法能力者の遠隔操作によって起爆する。本来は肉体から飛ばして行使する魔法能力を、分離して後から発動させている。どれほどの距離で、どれほどの量の、どれほどの個数を管理できるかは魔法能力者の等級次第だ。むろん、国境線を物理的に引くほどの力の持ち主にかかれば一〇〇や二〇〇の充填魔力をコントロールするくらい造作もない。
その圧倒的な光景を今、まさに目の当たりにしている。
小隊の総力をあげた銃撃の雨が迫りくる人間爆弾たちを押し戻していく。前後に怒号を飛ばして後退しつつも面制圧の手を緩めない。それでも肉の壁の圧力に根負けしかけた時、空から彼女が魔法を投げつけて前方の敵を消滅させる。私は身をかがめながら懸命に胸をそって魔法少女の働きぶりをカメラレンズに捉え続けた。直近の脅威が去ると彼女はまた別の小隊の援護に向かい、順繰りで対処を重ねる。時々、敵方の魔法能力者が距離感覚を誤ったのか早々に起爆した人間爆弾が周りを巻き込んで蒼の火柱を吹く。
何百人もの死体が平凡な街並みの街路に積み重なり、人間爆弾が動かなくなった他の爆弾につまずいて転ぶ段階になると、戦いはようやく消化試合の様相を帯び始めた。
やがて戦闘車輌もバックアップに駆けつけ、前後を二台の車体で塞ぐ陣形が完成した。車輌に備え付けの機銃もなかなかに物を言い、最後の方は魔法の”航空支援”に頼らずとも敵を消耗させることができた。
静寂が訪れて、ひと心地つくと全小隊が結集して点呼が始まった。私のいるエドガー小隊は幸いにもファーストコンタクトの時点でメアリー大尉と一緒にいたおかげで死傷者ゼロだったが、他の小隊には二、三人の戦死者が現れた。他に数名の重傷者は直ちに予備の車輌に収容され、来た道を戻って母国へと帰っていった。
「敵方の魔法能力者はネクロマンサーって呼ばれているんですよ。作戦上の識別名。遠隔操作はともかく、死人を蘇らせるのは珍しい魔法なんでね」
横向きに駐車されたままの車輌に背中を預けたエドガー少尉が、先進国では実質有罪扱いの紙タバコに火をつけて言った。
死人を蘇らせるからネクロマンサー。この上なく単純な名付けだ。そう、国境で彼女が屠った部隊も、さっきまで戦っていた軍勢も老婆も、最低一回は死んだ経験のある人々だ。この地で一度目の人生を生きている人間は、敵方に魔法能力者が現れてからは確認されていない。
地上軍の展開が中止されたそもそもの理由も、蘇って襲いかかってくる連中の相手をさせられる状況に厭戦気分が増したせいだった。銃撃を受けて蜂の巣にされても魔法を吹き込んでやればたちまち生き返る。蘇生した際に脳味噌がカピカピになっていたり、漏れ出ていて機能しなければ、こうして魂なき人間爆弾として転用される。
先の空爆で失われた”国民”もことごとく復活を遂げ、人間爆弾の在庫として第二、第三の人生を歩んでいる。一連の戦術が功を奏して戦況は大きく彼らに傾いたが、代償として国連未承認国にも拘らず支持を表明してくれていた奇特な国々をすべて失った。
いくらなんでも死人と握手はしたくないらしい。
「ずいぶん飄々としているな。危うく死ぬところだったのに」
エドガー少尉は持ち前の白い歯を浮かべてかぶりを振った。カメラに映っていても平気で紙タバコを地面に投げ捨てる豪胆さが台詞に現れる。
「でもやつら、銃を撃つのが下手くそですから。六年前の方がずっときつかった。俺みたいな人種のやつにジャッジされたくないだろうが、連中はどうであれ人生をまっとうするつもりで戦っていた。今のやつらは違う」
後ろの方には軽蔑の色も滲んでいた。「別にそんなに嫌うつもりはなかったんじゃないかな」と喉元まででかかった言葉を胃の奥に引っ込める。意図せず感情がこもっていたことに彼自身も気づいたのか、取り繕うように「俺を撮っていてどうするんです。あなたの仕事はあっちでしょう」と死体の山の前に佇む魔法少女を指差した。
それもそうだ。激戦を終えた英雄にインタビューをしなければならない。
カメラアングルを意識してじわじわと近づくと、彼女はもう準備ができていた。ゆっくり振り返ると威厳に満ちた顔つきでしめやかに語りだす。
「これが、TOAに囚われた人々の末路です。ある種の原理主義をキャッチコピーにこの地に吸い寄せられた人々は、その魂を失ってもなお朽ちた肉体にやすらぎを与えられることなく使役されています。このように、魔法能力の不正行使は人類全体に悪影響を及ぼすのです。強ければ強いほど……同じ戦略兵器等級魔法能力行使者として食い止めなければなりません」
滔々とした語り口調はいかにも本心を打ち明けているように聞こえる。繰り返し、彼女が招集に応じた理由として述べている「公式見解」の一つだ。愛国心というほどパトリオットではなく、殺れるから殺りにきたというほどアナーキーでもない。良い線を突いている。だが、彼女の一枚上手な点はそうしてしっかり嵌めたであろう仮面を鮮やかに脱いで見せるところにある。数秒の沈黙を経た後に、がらりと顔つきを変えた彼女は「なーんて、ね」と苦笑して肩をすくめた。
「堅苦しい話はおしまい。ちょうど私が使えるパンチングマシーンを探していたの」
どんっ、とコンクリートを数インチへこませて垂直に飛び上がる。視聴者サービス。さてはて、結局はどれが本音なのか。あるいはどれ一つとして本音ではないのか。こうして近づいて話しかけられる立場になってもなお掴みきれない。
都市を抜けるとまた広大な荒野が待ち受けていた。ここからTOAが定めた首都圏内に入るまではほぼ似たりよったりの景色が続くことになる。こんな開けた場所で敵がわざわざ襲いかかってくるわけもなく、初期の段階で航空戦力が払底した敵軍の実情もあり、我々は嬉々として涼しい戦闘車輌の中に舞い戻った。空中を偵察している彼女もとうとう暑さにやられたのか、定期的に車輌のハッチを開けて涼みにやってくる。軍事用の火炎放射器をくすぐったがる(この動画は特に再生数が多い)彼女でも暑さや寒さの不快感は拭いがたいらしい。
事前に計画されていた時間帯に差し掛かると全車輌が停車して交代で休憩をとった。私も休みたかったが「大尉を撮りに来たはずでしょう」と詰め寄る少尉に根負けさせられた。
タイミングを見計らって話しかけると、持参した敷物の上に座る魔法少女がカメラの前で家族の話をしてくれた。私たちの食事は国連軍のコンバットレーションだが、食事に気を遣う彼女は専用のものを食べている。
「じゃあ、親戚はたくさんいるけどご両親とは離れて住んでいるんだね」
「うん、そうね。色々と複雑で……でも、暮らしには不自由しなかったわ。親戚というよりは一族という言い方が私にはしっくりくる」
スポンサード企業から「血で汚れて企業ロゴが見えない」とクレーム連絡が入ったので、彼女は休憩中に新品の複合素材スーツに着替えている。溶接作業は小指でやっていた。
「ご両親とそのうち会ったりするつもりは?」
「ええ、今回の作戦が終わったら会いにいくと思う。どこにいるかは知っているから」
「妹さんとも?」
「ええ、もちろん。あの子、昔はなにもないようなところで転ぶような子だったから、心配で」
彼女は敷物をくるくると巻いて立ち上がった。顔はこちらに向いているので単に後片付けを先に済ませたかったのだろう。
「ご家族――メアリー大尉の一族の皆さんは今回の招集をどう思っているのかな」
これはだいぶ攻めた質問のつもりだったが、予想に反して彼女はふふ、とはにかんだ。
「実はアンケートをとったのよ。反対八、賛成十で、多数決なら賛成寄りだけど、一人の意見を変えたら同数になっちゃう。それで、私そっちのけで議論しているんだって、一族全員でご飯を食べている写真が送られてきたの」
「仲が良くてなによりだ」
「ええ、本当に」
カメラ越しに数億人が見ている手前、私的な質問をするのは気が引けるが今こそすべきだった質問をする頃合いに思えた。
「ところで、そろそろ……従軍記者に私を選んだ理由を聞いてもいいかな。電話を開く余裕もなくて見ちゃいないが、今頃、世界中の人々が私の個人情報を掘りまくっているはずだ。友人と三等親のSNSアカウントはどれも山のようなダイレクトメッセージで埋まっているだろうね」
すると、彼女は「実はそんな大した理由じゃないの」と気まずい顔をした。別に期待はしていない。下手に「運命を感じた」などと言われたら取材要求の代わりに殺害予告が殺到しかねないので、私としてもこの場ではなるべく些末な理由の方がありがたい。
「私と会うような大人の人ってみんな、これをつけてるでしょ」
彼女の顔にはかかっていないがこめかみの横の空間を上下につまむ仕草をしたので、スマートグラスのことを言っているのだと分かった。
「最強のアイドルを前に”間違える”わけにはいかないからね。ファンに火をつけられるかもしれない」
私が両手の二本指をくいくい、とすると彼女も話しながら真似をしてくれた。
「そう。みんな雲の上から”正解”をもらってきているだけなの。じゃあ私は一体誰としゃべってるの? ってなっちゃって」
「それに」と彼女は続けた。どうやら今度こそ本当に本心を語っているように見えて私は内心気兼ねしていた。数多あるスポンサー企業の中にはLLM関連企業も含まれる。
「そういう大人の人って電波の調子が悪い場所だと黙りこくっちゃうの。まるでしゃべり方を忘れたみたいに」
「先祖返りしたのさ。インターネットを失った我々は言葉を知る前の原始人と同じだ。実感が薄い暮らしを送っているから石器時代にも戻れない」
「ほらね、私と話す大人の人はそういうことは言ってくれない。ああ、でも彼らは別ね」
彼女は運転席の方に目配せした。
「偉くない軍人の人は言葉遣いがひどいけどちゃんと話している気がする。それも訓練を受けて初めて知ったの」
「分かる気がするよ」
ファックもシットもウエポンフリーなのは今や逆に特権かもしれない。どんな田舎のささやかな小役人も、オフィスの一角に両肩の幅より狭い机しか持たないデスクワーカーも、今ではみんな間違えることを恐れている。
金と立場に恵まれている人間は雲の上の神に教えを請うことでそのリスクを極限に減らしているが、そうでない人間はせいぜいハウツー本でも読んで朝令暮改で変わり続けるルールに追いすがるしかない。
ふと車輌の外を眺めると、山々の隙間に滑り込んだ太陽の光が影を落としていた。この地に住まう人々もきっと変わるのが嫌で、時間の止まった魔法の死体に閉じこもる方を選んだのだろう。
長い長い荒野を抜けるといよいよ我々は敵の首都がそびえる地域に侵入した。途中、近隣の町で現地調査を行ったが、予想に反して協力的とまではいかないまでも対話に応じる住民が大半だった。
「どうでもいいよ、俺はここでこいつらを作って、売って、死ぬだけだね」
胸に風通しのよさそうな大穴が空いた農夫は、我々に気前よく農作物を提供した後につぶやいた。すでに一回死んでいそうだが、とあえてぶしつけな質問をしてみると農夫は意外にも怒らず、ただぶっきらぼうに答えた。
「そうは言っても目が覚めたらベッドから出なきゃならんだろう。一回死んだからといって、自分で自分を殺し直すのは神への冒涜だからな」
ぼろぼろのズボンから、さらにぼろぼろの本を取り出して「モーセの十戒」の一文を諳んじる。
「”汝、殺すなかれ”だ。殺されるな、とは書いていない」
また、別の町では自衛精神旺盛な顔色の悪い住民たちが銃を持って戸外で威嚇してきた。
向こうは蘇ってもこっちはそうはいかない。すわ戦闘か、と思いきや顎周りに骨が目立つ町長らしき人物が出てきて、口元をカラカラと震わせながら住民を強く戒めた。
「やめろ、もうやめろ、お前ら。次があると思っているのか」
そして、前面に立つこちらの魔法少女を指差した。
「こいつらも魔法能力者を出してきた以上、また蘇らせてもらえる保証はないんだぞ。その時に脳味噌がまだ残っているのかも」
事態を悟った自警団たちは一様にうろたえた。
「あんたたちも我々に構わずとっとと行ってくれ。もう終わりにしたいんだ。空爆のあった次の日、目が覚めて脚がまだ残っているのか、腕はついているか怯えるのには疲れた。最後の人生はおとなしく暮らしたい」
こんな状況に至るまでこの地に留まっていた住民でも、必ずしも体制に殉じているわけではなさそうだった。むしろ、時代に取り残されたので追いかけるのをやめたといった具合の諦観が、この土地のどこにも深々と根を張っていた。
「この国は国外への退去はいつでも自由と聞いているが」
「自由さ、そりゃあね。だが、魔法の効力がどこまで届くのかは分からん。少しでもはみでた瞬間に、私たちはただの死体になっちまう。それに」
黒目しかない双眸がすぼまって私たちに向けられた。
「私たちはもはやまるきりゾンビかアンデッドじゃないか。外に出ていけば撃たれて死ぬのがオチだ」
結局、先の戦いを除いて組織的抵抗は一つも起こらなかった。この地の政策で警察組織は自警団に取って代わられて久しく、その自警団も仮初の死に慣れすぎたせいで本当に死ぬのが怖くなっている。
それでも時々、死人にしては活きの良いのが街角でぶっ放してくることがあった。筋力不足なのか極端に縦ブレした銃撃を明後日の方向に散らした後、こちら側の応射をしたたかに食らって二度目か三度目の人生を終えていく。稀にまっすぐ撃ち放たれた銃弾はどれもメアリー大尉が手前でキャッチした。
道の要所を守っている重武装の警備隊は例によって魔法の砲撃でことごとく滅せられた。彼らには次の人生もない。下手に原型を保ったまま死んで爆弾の在庫になるよりは慈悲深いのかもしれない。
首都が近づいてくると荒野は終わり、ささやかな緑地がところどころに見えはじめた。
熾烈な空爆によって痛めつけられたこの地の首都に高層建築物は一つを除いてなく、かといって誰にも必要とされない建物が再度建てられることもなく、あたかも入植当時の素朴な景色が遠目に広がっている。
陽が落ちきって空が闇夜に包まれると、我々は戦闘車輌で周囲を取り囲んで野営地を築いた。
夜中は本来、ストリーミング配信の視聴者数をもっとも見込める時間帯だが、戦場で動くのに適した環境ではない。
昼に引き続きレーションを黙々と食べる。気温が下がった夜間なら同封のヒーターでレーションを温めるのも悪くない。いくらかマシな味になる。
「なんとかここまで来れたね」
戦場の女神にカメラを向けると合衆国保健福祉省の動画案件(健康と肌と強さのために早寝早起き!)をこなした後、気の利いた小話をしてくれた。
「実際に、寝た方がいいのは確かよ。たっぷり七、八時間も寝たら世界が光り輝いて見えるけど、五時間も寝られない日が続くとなにもかも壊したくなる」
「なにもかも壊せそうな君が言われるとぞっとするな」
「ほんの冗談よ。みんなも安心して。私が事前の許可なく一定の時速以上で動いたり、一定以上のジュール熱を発したら、これがピカピカ光ってデフコン1が発動しちゃうから」
そう言うと複合素材スーツの下の方を、めくって足首に巻きつけられた黒色の装置を見せた。
デフコン1とは過去に一度しか発動していないアメリカ合衆国政府における最大の戦争準備体制である。核兵器の使用を含むあらゆる攻撃が可能になる。
「そうしたらさすがの君も死んでしまうのかな」
彼女は芝居がかった調子で両手を広げた。
「さあ、やってみないとわからないわね。これ以上寝不足になったらやろうかしら」
「おっ、反乱の扇動かな。すぐそこにいる別の魔法能力者と気が合うかもしれない」
「そう、たぶん、そんな感じだと思うの。彼女も、思い詰めちゃっただけで」
彼女は敵の魔法能力者を「彼女」と呼ぶ。どんな人物なのか事前に知らされているに違いないが、さすがに国家機密を尋ねるわけにはいかない。
「そういえばあれからすっかり人間爆弾が来なくなったな」
「私がいるって分かったのよ。むやみに特別な魔法を使ったら疲れるから」
「そういうものか。君にもあるのかな、特別な魔法」
「ええ、とっておきのがね。秘密だけど」
戦略級魔法能力者同士の戦闘には前例がない。戦力の大量投入、制圧力が物を言う通常の戦争とは別の理屈が働いているのだろう。
最後の哨戒を終えた彼女は宣言通り、一台分割り当てられた車輌の中に入って寝静まった。取材対象が寝たなら今日は業務終了だ。兵士たちがそうしているようにカメラをオフにする。
従軍記者の役得で巡回の義務を課せられていない私もとっくに寝ていいはずだったが、首都に近づくにつれて様々な思い出が去来して寝るに寝られなかった。やむをえず寝袋から這い出て、戦闘車輌を乗り越えて平原を歩いた。歩いているうちに思い出は過去から現在に急速に進んで、ゾンビかアンデッドと化した町長の言葉が脳裏に蘇った。
”外に出ていけば撃たれて死ぬ”
これも一種の因果応報、なのだろうか。少なくとも以前の彼らは撃たれる側の人種ではなかった。だからどこに行くにも銃器を振りかざしていたし、それこそが最大の権利だと信じきっていた。自分と同じ思想の持ち主が乱射事件を引き起こしても、被害者への同情や自戒よりも銃を奪われる方を激しく警戒した。
「ここにいたんですか」
突然、背後から話しかけられてぎくりとした。振り返ると小銃のタクティカルライトを照らすエドガー少尉の姿が見えた。
「少尉が歩哨を?」
「まさか。するやつもいるかもしれませんが俺は部下に丸投げです。じゃなきゃなんのための階級章か分からない」
少尉はわざとらしく肩をすくめて小銃を下ろした。
「ただ、寝袋にいるはずの人が急にいなくなったら心配にはなる」
「まあ、確かに」
不自然な無言の間が作り出された。ここまで隠し通して来たがとうとう限界らしい。そしてついに、彼が沈黙を破った。
「ジョン・ヤマザキさん。あんた、軍歴がないっていうのは、嘘だな」
私はあっさりと認めた。
「バレちゃ仕方がないな」
「あんなに戦闘車輌に慣れた素人はいませんよ。それに、レーションもかなり食べ慣れている。普通はもっと手間取るものです」
言われてみれば確かにそうだ。視線や身体の動きには気をつけていたが、そんなところで露呈するとは。
魔法少女に気に入られた貧乏フリーライターが戦場を共にする。いくらなんでもできすぎた話だ。出版社に提案したらこれも即ボツだろう。いかに彼女が作戦の要でも国連という巨大な組織はそういうふうには動かない。
あの時のバックグラウンドチェックで彼らは私の軍歴を正確に把握していた。私は正直に答えたから国連に認められたのではない。元スパイらしくきちんと嘘をついたから認められたのだ。
”念の為に言っておきますが、これよりあなたはメアリー・ジョンソン大尉の指揮統制下に入ります。”
そう、私も元は大尉だった。
奥にぽつんと佇む巨大な看板が、壊れかけの電灯にちかちかと照らされている。
空爆で街が破壊されつくしても誇らしげに人々を出迎える看板だけは、過去の姿をそのまま切り取ったかのようだった。
『ようこそテキサス州ダラスへ』
他ならぬ私の故郷である。
六年前、一つの超大国が引き裂かれた。あるいは、とっくにばらばらだったのかもしれない。二〇二四年に実施された大統領選挙において華々しく復活を果たしたドナルド・J・トランプ第四十七代大統領は、さっそく公約通りに連邦議会の権限を大幅に縮小させる大統領令を下した。これにより彼は議会の承認を得ることなく世界最強の大国を動かす力を手に入れたのだった。
だが、四年後の二〇二八年。絶大な権力を元に行われるはずの改革や刷新はついぞ行われなかった。もっぱら自身にかけられていた容疑の赦免と莫大な借金の免除、癒着企業の救済などに傾注していた彼は、選挙シーズンが来て初めて大統領選挙を廃止していなかったことに気がついた。
まだ数字をいじりたい帳簿が山ほどあったのか、彼は「内敵より国家を守る決断」と称して事実上の独裁を宣言した。直後、生まれたての永世大統領(自称)はホワイトハウスから即刻追い出されてしまう。ワシントンD.C.を挟むバージニア州およびメリーランド州政府が即座に離反を宣言したため、じきに左右から押し迫るであろう州兵を前に居残る決断はできなかったようだ。
実権を取り戻した連邦議会は直ちに満場一致で大統領の罷免を可決、新たな大統領が選出されてワシントンD.C.に首都を置く従来のアメリカ合衆国は原状復帰したかに思われた。ところが、トランプ元大統領はいち早く新体制支持を表明していたテキサス州へと向かい、そこで新たな国家の樹立を主張したのだった。
なるべく長い方が箔が付くと考えたのか、建国年は最初にトランプ政権が成立した二〇一七年としている。ちょうど半年後の二〇三七年一月に自称建国二〇周年を迎える予定だった。
かくして、旧アメリカ合衆国はワシントンD.C.を首都とする従来のアメリカ合衆国と、テキサス州ダラスを首都とする新国家に分裂した。
国連未承認国家TOA、その正式名称はトゥルース・オブ・アメリカ。二日酔いの後のイカれた悪夢みたいな名前の新国家は、実際の武力行使を伴う現実として旧合衆国国民に選択を迫った。歴史的大移動――南から北へ、北から南へ――まもなく、白人至上主義者と陰謀論者の楽園が誕生した。
一方、選択肢を持てなかった人々もいる。さしずめテキサス州防衛隊第一九連隊に所属していた州兵の私などはそうだっただろう。競技会で少々腕を鳴らす程度の州兵が、わずか数日の間にトゥルース・オブ・アメリカの陸軍大尉に命ぜられて一個中隊を率いることになったのだ。同日付でテキサス州防衛隊本部は国軍総司令本部に格上げされ、ビールの飲み過ぎで腹が出っ張った顔見知りの上官が准将閣下としてオースティンに召し上げられていった。
笑えない冗談みたいな見出しが踊り狂うディスプレイを横目に出動義務に応じると、基地の裏庭で「集団逃亡を扇動していた」とされる数名の下士官が銃殺刑に処されているのを目の当たりにした。処刑した方もされた方も友人だった。
こうしてなし崩し的に戦場に駆り出されたが、以降は特に語るほどの話はない。圧倒的な物量差に加え、短気なインフルエンサーの指揮する戦争が有利に運ぶはずもなく、私が率いた中隊は一週間と経たずに合衆国軍に制圧された。捕らえられた後はいいように再利用され、今度は合衆国軍側のスパイとなった。勤務評価が言うにはそこそこ役に立ったらしい。三年後、国連安保理決議の採択とともに私はTOAを脱出、自動的に除隊された。三年間のスパイ勤めに対する恩給は、まあそれなりには出た。
公にはできない仕事でキャリアに穴を空けた私に就けるまともな仕事はなかった。社会は内戦が起ころうが母国の一部が空爆されようがほぼ滞りなく進んでいた。以来、人々を怒らせる小話を書いて日銭を稼ぐ日々だ。うまくはいっていない。軍のツテを駆使してでも魔法少女とお近づきになれなければ今年中に貯金が尽きていただろう。
もっとも、エドガー少尉は多くを知りたがらなかった。「所属部隊は?」「ここの第一九連隊だ」「そうですか、苦労しましたね」これで終わりだった。彼が去った後、しばらくして私もようやく眠れそうになったので元いた寝袋にくるまって目を閉じた。起きた時に捕縛されていたら、それはそれで仕方がないと思った。
意外にも、朝日に照らされて迎えた翌日の状況に変化はなかった。少尉とは何事もなく挨拶を交わし、他の兵士たちの素振りも変わらない。
ばっちり睡眠をとった我々の最強兵器も、敷物を巻き終えて溌剌とした様子でカメラの前に現れた。
「ハーイ、今日は敵地の首都、私たちのテキサスを奪還しにいきます!」
我々は戦闘車輌に乗り込んでルート二〇を直進した。昨日のコロラド・シティからやや大きいアビリーンに到達すると緑地は目に見えて増えた。空軍基地の街として知られるこの都市にさえ戦闘機はもう一機も残っていない。互いの人生が一回目だった頃の戦いで合衆国軍があらかた撃ち落とした上、三年後の空爆でも空軍基地は優先的な破壊目標だったからだ。
あちこちに朽ちた廃材でバラック小屋を建てて暮らす住民が見える。時折、小屋から土気色の主人たちが散弾銃を持って現れたが、特になにもするでもなく我々を見送っていった。こちらもこれ以上はことを荒立てない。この地の実情はよく分かった。
ウェザーフォードを越え、フォートワースに着くと兵士たちも多少はピリピリとしてきた。首都のダラスはもう目と鼻の先、太陽は高く昇っている。他愛もない雑談が減り、魔法少女の空中偵察は格段に回数が増えてあまり涼みに戻ってこなくなった。
「まずいな。我々の”魔法少女”を呼びましょう」
車輌の窓から前方を見やったエドガー少尉が、振り返って言った。当初、首都侵攻を警戒していたTOA国軍は地雷原を道路上に築いている。街は空爆で崩壊しても地雷はまだ生きているだろう。事実、国連安保理決議に基づいて派兵された地上軍のうちの一部は首都にまで迫っていたが、地雷原の処理に手間取って攻めきれなかったという。
街を目の前にして戦闘車輌がブレーキをかけて次々と停まる。少尉の呼びかけに応じて戻ってきた魔法少女に説明が施された。
「私があそこを踏んでいけばいいのね」
二つ返事で了承した彼女は前方の道路を堂々と歩いていった。ただし意図的に荷重をかけているせいで、後ろ姿はなんだかぎくしゃくして見える。道路に敷き詰められている地雷は対人用ではないはずなので、反応させるには魔法で圧力をかけてやる必要がある。
どん、と音がして一瞬、彼女の背中がコンクリート片と砂塵に覆い隠された。等身大の驚きを見せてひっくり返った彼女は、しかしすぐに起き上がり「うわあ、びっくりした!」と私の胸元を向いて叫んだ。相変わらずの役者である。
二回、三回と繰り返した後は忘れず”慣れ”も演出して、後半の方はスキップを踏みながら連続で地雷を起爆させていた。
車を走らせても差し支えない程度に起爆が済むと、我々は戦闘車輌に乗り込んだ。前方を走り続ける彼女を撮るために、私は助手席に乗った。
ストリーミング配信の視聴者にはフロントガラス越しに魔法少女の背中が見えているはずだ。作戦もへったくれもない力技で地雷を処理していく姿はそれなりに刺激的な撮れ高と言えそうだ。また前でどん、と音が鳴って地雷が爆発した。複合素材スーツを作った企業の株価も今頃はストップ高に違いない。
「まだ戦争は終わっていないのにもう敗戦後みたいだ」
地雷原を通り過ぎると空爆の傷跡が痛ましいでこぼこの地面に晒されて、スポンサー企業提供の最新戦闘車輌が誇るサスペンションも用を為さなくなった。
かつて住宅街だったアーリントンは真夏の太陽の下でもことさらにひどい寒々しさがする。満足に廃材が得られないここにはバラック小屋すらもない。瓦礫と雑草が延々と広がっている。子どもの頃に何度も行ったことがあるジョー・プール湖は、助手席の窓からでも分かるほど茶色く濁りきっていた。
車輌を運転する兵士が先ほどの独り言を拾って答える。
「空爆開始までにほとんどの住民は外に逃げちまったんでしょう。ここにいるのは土地に縛りつけられたアンデットもどきだけです」
「縛りつけているのは土地なのか、それとも偏見なのか……」
「そうは言っても骨丸出しのやつが隣に引っ越してきたら嫌ですよ、俺は」
運転手の兵士は笑いもせず答えた。この彼の思考はシンプルにできているようだった。
ついにダラス郡内に侵入した。記憶に残る街並みはそこにはみじんも残されていない。徹底的な空爆に晒された首都はみるも無残な姿に変わり果てている。代わりに六年前に大統領が作らせた尖塔――「トランプ・タワー2」――驚くべきことに正式名称――が都市の中央にそびえ立つ。降伏を決定できる立場の人間を殺すと戦争が終わらないので、計画的に空爆対象から外されていたのだ。
「行く場所がはっきりしていて楽だな」
とことん皮肉めいた風景に嫌味を漏らさずにはいられなかった。
侵入を封じる粗末な作りのバリケードを車体で蹴散らして尖塔の敷地内に侵入した。尖塔の上層からの狙撃を警戒して、各戦闘車輌は建物の影にそれぞれ横付けで停車した。出る時は車輌を壁に、脇見せず突入する手はずになっている。
だが、ここへきて先陣を切っていた魔法少女は思いもよらない行動に出た。
「ちょっと上に行って引っ張り出してくる」
「は?」
いきなり彼女は垂直に飛び上がった。慌てて尖塔から離れて上空を仰ぎ見る――もし狙撃手がいたら格好の的だが――私には彼女を撮るという任務があった。一時期は一四四階にも達すると言われた、実際には半分にも満たない最上階に向かってぐんぐんと飛翔していく。
すでに米粒大にまで遠ざかっていたその黒点が、きらりと光り輝いた。
刹那。
まったく前触れなく尖塔の上層部分が斜めに切断された。光の軌跡が一度、二度、尖塔を斜めに横切ったかと思うと、後は数秒にも満たない出来事だった。たちどころに地響きが全身を揺らし、ぱらぱらと小さい砂利が降り注ぐ。
「おい、これまずいんじゃ――」
「各自、伏せろ!」
切り取られた尖塔の頭部は奥側に倒れ込んで凄まじい衝撃を引き起こした。
周辺の状況を考慮に入れた先制攻撃とはいえ、とめどない激震を前に我々は砂利と砂塵にまみれる立場に甘んじざるをえない。
やがて事態が収まると、上空に彼女はいなかった。
「1B、了解。はい、伝えます」
横のエドガー少尉が身を起こしながらインカムに応答を繰り返した。そして私に目を向ける。
「彼女が、来る。敵を掴んで」
「掴んで?」
「我々は尖塔に突入してTOAの指導部を制圧しに向かう、あなたは」
若干、言い淀んだが時間に猶予がないと悟って言い切った。
「大尉直々に”ここで待って私を撮って”とのご命令です」
エドガー少尉が未だ立ち上がっていない兵士たちに檄を飛ばす。他の小隊長たちも合わせて尖塔の中に消えていく。
一個中隊がまるごと建物に押し入った頃、上空から鋭い風切り音が聞こえてきた。黒点が秒を追うごとに明確な輪郭を伴って迫る。
私から数フィートほどしか離れていない場所に彼女と、もう一つの人影が共に激しく墜落した。コンクリートがめくれ上がる衝撃にまたもや耐えきれず、私はその場に横転を余儀なくされる。
慌てて起き上がると立ち込める硝煙の狭間に我らが魔法少女の横顔が見えた。その隣に、気だるそうに尻もちをついたまま座り込む別の――今ので死んでいないということは魔法能力者――の、少女――魔法少女が、いた。
「いったいなあ、なにするのアイシャお姉ちゃん」
まるで軽く小突かれただけ、とでも言わんばかりの態度で、黒い癖毛の魔法少女は頭をかいた。対する、こちら側の魔法少女の声は震え、怒りと悲哀に包まれていた。
「もうこんなことやめてよ、サルマ」
実際、二人の顔つきはとても良く似ていた。片方は映画の役柄のために髪の毛をブロンドに染めていたものの、彼女らの出自を表す濃いベージュの肌とはっきりした目元は揺るぎない血縁を示している。
パレスチナ系アメリカ人のメアリー・アイシャ・バルタージー・ジョンソン大尉は、日々の礼拝のために敷物を持参する敬虔なイスラム教徒だ。
食事に気を遣う彼女には専用のハラルレーションが支給されているし、複合素材スーツにはちゃんとスカーフも付いている。
以下、公式SNSアカウントからの引用。
『ハーイ、私はメアリーです。八歳の頃に魔法能力に目覚めました。たくさんの親族と仲良く暮らしています。母と父と四つ年下の妹もいますが、今は離れて住んでいます。みんなからはアイシャと呼ばれています。二〇二〇年にパレスチナで生まれましたが、戦争難民として親族のいるアメリカにやってきました。でも、まさか人生で二回も戦争に巻き込まれるなんてね! ロサンゼルスのみんな、もしまたそうなったらごめんね!』
イスラエルによるパレスチナの植民地化以降、母国に寄る辺を失ったパレスチナ人たちは世界各地に散っていった。火に焼かれた家を振り返らず、着の身着のまま、手にはコーランを携えて。一部は国連の救助船に乗り込んだ。
「なんでこんなことをしているのか私には解らない」
仁王立ちの姿勢で妹を叱る姉の構図は、ただそれだけならよくある日常の一コマに見えた。
「だって、ここの人たちは嫌でもあたしを必要としてくれる。外に住んでいる人と違って。あたしがいないと生きられないから」
「そんなこと――」
「あるでしょ。お姉ちゃんは合衆国に入れたのに、あたしは入れてもらえなかった。あたしたちに寛容な人たちとそうでない人たちで国を分けたって言っていたのに、全然そんなことなかった」
メアリー大尉の魔法能力が発現したのは八歳の頃。内戦が勃発した時期と合致する。当時、合衆国政府が南側に門戸を開いたのは旧合衆国の国籍または永住権を持つ者に対してのみだった。戦争難民の身分しかなかったバルタージー家は、国益に適う彼女を除いて体よく放逐せしめられたのだろう。あぶれた難民たちは白人至上主義者の的当てに使われるか、メキシコ側に逃げるしかない。
その渦中で、妹の方も遅れて発現した。
「だけど、ここの人たちは肌が白くないと仲良くしてくれないじゃない、パパとママも、そのせいで」
「そうだね。二人とも殺されちゃった。でもたぶん、肌が白いかどうかは本当はどうでもよくって、ここの人たちは周りが変わっていくのが怖かっただけなんだよ。自分も変えられてしまいそうで」
飄々とした言い回しに最強の姉が言葉に詰まる。妹の方はなおも攻勢を緩めない。
「だから、あたしがなにも変わらないようにしてあげた。たとえやめてくれとせがまれても、骨になって魂を失っても、絶対に変わることを許さない。ずっとここに閉じ込めて、変わる必要のない人生を与え続けるんだ」
敵方の魔法少女は白人至上主義者の手駒などではなかった。むしろ国家と人々を傀儡に、ひどく迂遠な、重く苦しい皮肉めいた復讐を行っていた。
「そんな……あんた、わざと……でも、違法だわ。私たち、魔法能力行使者は――」
歯切れ悪く姉が言いかけたのは、法的手続きの正当性。むろん、今さらそんな理屈が通用する相手でないことは明らかだった。
「いいじゃない、彼らが言う決まりなんて。彼らはあたしに”来るな”と言った。だからここで好きにやらせてもらっている。今度は奪いに来るの? あたしを受け入れない人たちなんて、いつまでも延々と殺し合っていればいい」
「最初から間違っていたのよ」
「間違いかどうかは誰が決めるの? アメリカ合衆国? それとも国連? お姉ちゃんの飼い主だもんね」
度重なる挑発に最強の姉はついに堪忍袋の緒が切れたようだった。大股で肩を怒らせて近づきながら断言した。
「いいえ」
言葉に熱が帯びる。
「今からは、私が決める」
妹の方も不敵な笑みを浮かべて、ゆらりと立ち上がった。頭一つぶん背が低くとも全身から迸る魔法のオーラに差は感じられない。
「それならいいよ、分かりやすいから」
紫と蒼の光をまとった両者の拳が交わる。衝突した膨大なエネルギーが発散して周囲に鋭く波動を散らした。逃げ遅れた私はその一片を受けて吹き飛ばされ、近くの戦闘車輌に背中をしたたかに打ちつけた。
肺の中の空気が絞り出される圧力に気を失いかけたが、辛くも意識を取り戻して車輌の背面に回る。車輌の陰から半身を乗り出してストリーミング配信を続行する。確認するまでもなく、今この瞬間が最高の視聴者数だ。
二人の魔法能力がぶつかるたび、相当に重いはずの車輌がぐわんぐわんと揺れて傾ぎ、尖塔を支える太い支柱にひびが刻まれた。数回の応酬を経て互いに有効打が望めないと悟ると、両者は跳躍して距離をとった。手から放たれた魔法の砲弾がソニックウェーブを起こして水平に滑空する。小隊規模の兵士たちを瞬時に屠る威力を持つ魔法を、しかし受け手側は片手を振り払っただけで横に弾き飛ばす。直後、近場で爆発が起こり、蒼と紫の火柱が立ち上った。
「お姉ちゃん、割と強いね」
意外そうな表情を見せるも、攻撃の手を緩めず再び距離を詰める敵方の魔法少女に、こちらの魔法少女も挑発を辞さない。
「あんたもね。なにもないところで転んで擦り傷を作っていたくせに」
「おかげさまで今は誰にも傷つけられなくなったよ」
「もう絆創膏を貼ってあげなくてもよさそうね」
打撃、投擲の次には斬撃が繰り出された。手の先から伸びる紫の刃が妹のサルマに振りかぶられる。あの老婆を両断した時よりも三倍は大きい。
だが。
すばやく展開されたきらびやかな蒼の刃がそれを一撃のうちに叩き折った。散らばる紫の欠片が空中で輝いて霧散する。
「今度は私が貼ってあげる」
間髪を入れずに向けられた切っ先が彼女の腹部を捉えた。うめき声を漏らして後退するその足元には、血がぽたぽたと滴っていた。
核兵器にも匹敵する戦略級魔法能力者が流血した。地雷の爆発にも耐える三〇〇ポンドの複合素材スーツも魔法の前には紙切れ同然だった。
「あ、今気づいたんだけど、その胸のやつってカメラ? もしかして配信中? いぇーい、見てる? 今からみんなのアイドルを切り刻んじゃいまーす!」
鮮血で染まった蒼の刃が相次いで振られる。失血で動きが鈍くなった彼女には避けきれず、肩口にまた切り傷がつけられた。
「逆にこれ視聴者数が増えたりするんじゃないの」
さらに一閃、今回は折れた紫の刀身で受けるも鍔迫り合いは長く持たなかった。突き抜けた蒼の刃が脇腹を貫く。おびただしい量の返り血がサルマの刀身を濡らした。
とうとう体力を失ったメアリー大尉はよろめいて地面に膝をついた。車輌の裏から覗き見る限りでも、肩で息をして頭を垂れる魔法少女の敗着は明らかに思われた。
「あれ、終わり? まあいいよ。別に殺す気とかはないからさ。またいつでも来ていいよ」
地に染まった蒼とも朱とも区別のつかない魔法の刃を肩に回すその姿は、勝負事に勝ってはしゃぐ年相応の子どもと大差ない雰囲気を醸し出していた。打ち負かした相手の血にまみれている部分を除けば。
「ねえ、あんた、まだ生理来ていないでしょ」
「はあ?」
息を荒らげながらこの局面で不謹慎な質問をする姉に、さしもの最強の妹も眉をひそめた。
「あれって、最悪なんだ。戦車砲より全然痛いし、イライラするし眠れないし、血がいつまでも止まらないし」
「なに言ってんの?」
「だから、私、めっちゃ練習したんだ。せめて血だけは、なんとかならないかなって。せっかく魔法が使えるんだし。勝手に使ったら怒られるけど、質量がほとんどない血を操作する程度ならジュール熱は――」
さっきまで死にかけ同然に見えた彼女は、まさに映画のワンシーンを終えたばかりのように平然と立ち上がった。
「――大したことないんだ。だから誰にもバレない。あんたにもね」
改めて見ると、彼女の傷跡はもう塞がっていた。逆に、サルマの刀身を覆う血はもぞもぞと波打って膨張しはじめている。
「え、ちょっと、これなに」
意思を持ったように動く血液の奔流が蒼の刃を包み込み、瞬く間にその圧力でもって刀身を粉砕した。
たちまち血流は滑らかに空中を這い動いて持ち主の手元に舞い戻る。まったくの無傷としか言いようのない状態に立ち戻った彼女は、手に真っ赤な血の刀身を生成した。加えて、刀身に紫のオーラが宿る。
「お姉ちゃん、マジで化け物だね」
ここへきて初めて顔を引きつらせた妹に対して最強の姉は誇らしげに言う。
「だから、化け物のあんたを止められる」
両者、三度間合いを図り、最後の戦いが始まろうとしていた。
魔法で鋳造された血の刃が容赦なく振りかぶられる。当初は再生成した刀身で受けるつもりのサルマも、寸前になにかに気づいたのか身体をそらして退避を選択した。だが、触れていないはずの刃の軌跡が胸元に裂傷をもたらす。「いたっ」後ろに退くも、漏れ出た血液はずるずると血の刃に回収されていく。そのぶん、紫のオーラの輝きがいくらか増したように見える。
「お姉ちゃんの方が悪役に向いているんじゃないの」
「そうね、次は悪役のオファーを受けようかしら」
敵方の魔法少女は刃そのものの刃渡りよりも射程が広いと悟り、次の袈裟斬りを半身ぶん余計に動いてかわした。幾回の応酬を経て、二人の位置取りは次第に後方にずれて尖塔の支柱に近づいた。
「やば」
おのずと支柱に背面を追い詰められた格好となるも、首を狙う一撃を前転で回避して後方に移動する。代わりに刃を受けた支柱はおそろしい切れ味で切断された。尖塔全体が危うげに地響きをたてて揺れ動いたが、辛うじて倒壊には至らない。
建物に頓着せず振り返りざまに下された血の刃はなおも首筋を捉えていたが、そこで初めてサルマの刃が押し留めた。久方ぶりの鍔迫り合いが実現する。ぎりぎりぎりと小刻みに震える両者の刃はしかし、姉の方が優勢に傾いている。
「それで受けた時点で負けよ」
この頃には私はもう、車輌から全身を露わにして従軍記者、世界で一番人気の配信者としての責務をまっとうすべく働いていた。もしどちらかが魔法を受け漏らしたら、私はぐちゃぐちゃに引き裂かれて死ぬ。
だが、最強の魔法能力者同士の戦い――キューバ危機の際には危うく逃れた蠱惑的な破滅への魅力に、この時ばかりは身を焦がさずにいられなかった。
最強の妹がいま一度、自慢げに笑う。
「三割の力で五秒も耐えられたら上出来でしょ」
ずん、とつま先から飛び出た魔法の刃が、あたかも吸い込まれるようにメアリー大尉の腹に深々と突き刺さった。蒼の刃が自らをどす黒く染めて背中を突き破る。
「殺すつもりなんてなかったんだけど、お姉ちゃん、マジで強かったからさ」
深く咳き込んだ彼女の口からも大量の血があふれ出た。
「ごほっ、ごっ、ハァ……足から出すとは考えたわね」
「手からしか出しちゃいけないなんて決まっていないからね」
しかし、メアリー・ジョンソン大尉の目は未だ死を悟ったふうには見えなかった。むしろ毒々しく爛々と輝き、今にも自分になにができるのか見せたがっているように微笑んだ。先ほどまで勝利を確信していたサルマの顔つきに険しさが立ち込める。
地面の血溜まりが自ら起き上がり、主人の元に戻っていく。どれほどの深手もものともせず、さながら現実を否定する挙動で突き刺さった刃を包み込んだ。そうして取り込まれた刃はどうやら大尉の体内に吸収されたように見え、際限なく増大した血の刃には紫と蒼の炎が煌々と灯っていた。
「痛みを知りなさい」
ついさっきまで無邪気に逆転勝利を確信していた妹の頬に、冷や汗が滲んだ。
最後に突き出された刃はサルマに傷を与えたようには見えなかった。ただ、あがきもがく蒼のオーラが血の通り道を伝って、紫のオーラへと吸収されていく様子が見て取れた。
ついにサルマは尻もちをついて地面に倒れ込んだ。もはや身体のどこからも魔法を発動することは叶わない。大勢に第二、第三の人生を与えてなお余りある魔法能力は、今や文字通り血を分けた姉に奪い尽くされたのだ。
これこそが彼女の「とっておきの魔法」だった。妹を止めるためだけの魔法。
「勝負あったわね」
仁王立ちに立ち直った彼女が決着を宣告する。妹には満足に言い返す気力も残っていない様子だった。
「……ずるいよ、お姉ちゃん。それって私を倒すためだけの魔法じゃん」
「戦いは計画してするものよ」
光り輝く血の大剣が身体の内に取り込まれた。戦略級魔法能力者二人ぶんの力を得たこの少女は歴史上においても間違いなく最強の魔法能力者だろう。
「それで、どうするの、これから。私を殺すつもり?」
力なく地面にへたり込んだまま妹が尋ねる。まぎれない現行犯のテロリスト、大量殺人犯、魔法能力行使法違反者に、姉は厳かに宣告する。
「いいえ。私と一緒に住むのよ。あんたが十八歳を越えるまで」
「え?」
「ちょっと寒いところに引っ越すけど我慢してね」
むんず、と妹の腕を掴んだ彼女の全身に紫と蒼のオーラが広がる。魔法能力を全開にさせる兆候だ。そして、私の胸元のカメラに向かって呼びかけた。
「えー、皆さん! 私、メアリー・ジョンソン大尉は今から脱走してただのアイシャになります! 今日の配信が面白いと思った方はぜひチャンネル登録と高評価をよろしく! じゃあね!」
どんっ、と地面を蹴って空へと飛び立つ。二人の魔法少女は輝く太陽の逆光に覆い隠されて、あっという間に姿を消した。
夢か幻のような一瞬の出来事だった。
アメリカ合衆国政府の最強の切り札、国連指定の魔法少女が、敵の魔法少女をさらっていなくなった。
現実を受け入れられずに空を仰いで固まったままの私を我に返らせてくれたのは、尖塔の方から聞こえるエドガー少尉の声だった。
「一列だ、そのまま歩け。止まるなよ」
両手――たまにどちらかが、あるいは両方ないのもいる――を後ろに回して、尖塔のエントランスからぞろぞろと出てきたのは一様に皮膚が土気色の兵士たち。奥の方にははいっとう立派な服装に身を包んだ高級将校や、官僚、政府要人らしき人物も並んでいた。全員が武装解除された状態で、こちらの兵士たちの誘導に従って歩いている。呆けた顔をしているであろう私に気づくと少尉も上に顔を傾けた。
「上の階から見てましたよ。行ってしまったんですね、彼女ら」
役目は終わったとばかりにカメラをオフにした少尉に向かって、私も同様に電源を切って問う。
「全部分かっていたんだな」
「バレちゃ仕方がないですね。彼女を訓練したのも実は我々です」
金稼ぎのためにわざわざ動員した部隊に裏切られては国連の面目も形無しだ。
横を見ると、戦闘車輌の後部座席に次々とTOAの兵士たちが収容されていく様子が見えた。
「殺さなかったんだな」
これにもあくまで淡々と少尉は答える。
「そりゃムカつきますけどね。散々ニガーを殺せと叫び散らしていた連中です。実際に手を下しもしたでしょう。でも、こいつらをどうすべきかは俺の判断することじゃない。そういうのは法律に決めさせる。勝手に処刑するような連中と一緒にはなりたくない」
結局、法的手続きが一番ましな神らしい。
「彼女たちは”合法”になれるかな」
両手を掲げて二本指をクイクイと動かす。
「見ていれば分かりますよ」
全員の収容が終わると、エドガー少尉は衛星通信で国境外に待機している部隊と連絡をとった。想定以上の数の捕虜を護送しなければならなくなったので自分たちが帰るための追加の車輌が必要になったのだ。
かくしてTOAことトゥルース・オブ・アメリカは名実ともに滅びた。
ことが終わると真夏の太陽がよりいっそう激しく、私を照らしていることに気がついた。
激動の一年間が過ぎ去り、銀行口座の残高が当面の生活に困らない桁数に達した頃、私は決意を固めて彼女のSNSアカウントにダイレクメッセージを送った。取材の申し込みだ。
返事は五分以内に来た。座標と、簡潔な指示が記されていた。
「録画、録音、スマートグラス禁止」
調べてみると、座標の指し示した先は南極大陸だった。私はすぐさまヘリコプターと操縦手を手配して、翌週の講演会やイベントの予定をすべてキャンセルした。
現地に向かう道すがら、ふと気になってSNSのあるアカウントページを開いた。全盛期と比べるとフォロワー数は一〇〇分の一以下に減っていたが、懲りずに全文大文字で投稿している彼の調子に衰えは見られない。ショート動画での投稿もお手の物だ。
ドナルド・J・トランプ元TOA永世大統領。御年九十一歳になる。最先端のアンチエイジング手術のおかげで肌質はピチピチ、普段の暮らしでもなにかと気を遣っている素振りがうかがえる。滑舌は多少悪くなったが、今も昔も小学三年生程度の語彙力しかないので特段の差し支えはない。
国連安保理決議が採択されるかなり前の時点で、この元永世大統領はどこからか情報を掴んでいたらしい。あらゆる実務を部下に丸投げした後、家族と金塊を連れてロシアへと華々しい亡命を果たした。今ではロシア政府の掲げる政策の先進性や文化芸術を宣伝するご当地外国人タレントとなって絶賛ご活躍中だ。政治家との交流も厚く、直々に表彰楯が贈られている。
当然、合衆国政府の再三にわたる出頭命令に応じる気配はない。そんな彼の動画のコメント欄は、ティーカップの上げ下ろしになんらかの緊急メッセージを読み取った陰謀論者たちで埋め尽くされている。
とんだお騒がせ者に付き従った数百名余の将校と官僚たちは一旦所轄の役所が死亡届を受理して書類上で死亡扱いにした後、改めて新設の「復活届」を提出させ、二度目以降の人生を送る人間として正式に刑事告発された。
裁判には最新バージョンのLLM裁判システムが用いられた。過去の判例の全データと数十万人ぶんの統計的人格を併せ持つ電子の検事と弁護士がそれぞれ毎秒約一億回の弁論を繰り広げ、実時間にして十七時間で全員の一審判決が下された。
現在、終身刑を言い渡された者の一部は控訴したので二審以降は人間の手に委ねられているが、同システムの稼働開始以来一度も裁判結果が覆った試しはない。
彼女の”領土”の手前には合衆国軍を中心に様々な国の軍隊が駐屯する基地が建設されている。私はそこで綿密なボディチェックを受けさせられ、保安審査を通過するとようやく先に進むことを許された。南極の寒さはヒーターが効いた自動車を乗り降りするたびに身を突き刺すようだった。
メッセージに示された座標上には場違いなほど平凡な一戸建てが建っていた。ドアベルを鳴らすとまるで友達を出迎えるようにインターホンから「ハーイ」と声がした。がちゃり、と電子錠が開くフィードバック音がして「開いているから勝手に上がって」と、これまた友人にすすめるような口ぶりで招かれる。言われるがままに玄関に上がった途端、快い暖気に全身が満たされた。廊下を歩いていくと特に豪華でも貧相でもない作りのリビングに、頭からすっぽりと大型のスマートグラスをかぶったメアリー大尉、もとい、アイシャが立っていた。
予想だにしない出迎えに固まっていると、ちょうど一段落ついたのか彼女はグラスを脱いで私の方に向き直った。服装は至って平凡な部屋着で、もうビビットな色彩をした三〇〇ポンドの複合素材スーツは着ていない。髪の毛もストレートパーマをかけたブロンドではなく癖のついた黒髪に戻っている。ただし、足首には今もなお黒い枷が嵌っていた。
「あ、久しぶり。動画観たけど、なんか良さそうなジャケットを着てるよね。ちょっと偉そう」
さすがに南極くんだりには持ち込んでいないが、講演会やイベントでは二〇〇〇ドルのジャケットを着ている。しわだらけのジャケットは卒業した。
「実を言うと前のあれは祖父の形見でね、墓に埋めたよ」
「相変わらず変な冗談がうまいね」
調子よく会話を重ねていても私の視線は彼女の手元のスマートグラスにあった。これにツッコまないのは野暮だろう。
「えっと、宗旨替えでもしたのかな。私にはあんなメッセージを送っておいて」
「ん? これのこと? これはセーフよ。ゲーム機だもん」
あっけからんと答えつつ彼女はグラスを充電ドックに置いて、近くのソファに倒れ込んだ。ずいぶんやり込んでいたのか「あ〜」と変なうなり声を漏らして背筋を延ばす。
「いまダンジョンの十二階層でレイドボスと戦ってるところなんだ。でも、何度やっても勝てない。現実だったら絶対にワンパンで殺れるんだけどな。ゲームって難しいね」
「あまり聞かない類の感想だな」
彼女にとってゲームとは現実よりも弱い自分を体験するためのものらしい。
「それで、あの子は?」
かつて最強の座を競い合った妹、サルマ。あの時は確かに一緒に住むと言っていた。時計を見るまでもなく心拍数の上昇を感じながら尋ねると、これまた彼女は平然と答える。
「上の部屋にいるよ。さっきもマルチプレイしてたし。そろそろ降りてくるんじゃない?」
見計らったように背後から階段を降りる音がして、アメリカ合衆国と国連を敵に回して戦ったもう一人の魔法少女が姿を現した。
「あ、配信の人だ」
サルマ・バルタージーは姉よりも輪をかけてだらけた普段着姿で、ごく自然体に話しかけてきた。
「そういうふうに覚えられているのか」
やや詰問気味の眼差しを姉の方に投げかけると釈明が返ってきた。
「いや、私はちゃんと説明したつもりだけど」
「お姉ちゃんの付き人だって聞いたよ」
「なんか含みがある表現だな」
「専属の従軍記者よ」
とても国家を手玉にとった戦略級兵器同士の会話とは思えない。隅々にまで床暖房が行き届いた暖かい部屋の中で、カジュアルな服装に身を包んだ二人の姿はどこからどう見ても長期休暇中の子どもそのものだ。
そんな胸中をよそに妹の方はすたすたと私の真横を通り過ぎて冷蔵庫からジュースを取り出した。ついでに私にも一本くれた。
「はい、どうぞ配信の人」
「ど、どうも?」
ぎこちなくお礼を言う。しかし、砂糖とカフェインがぎっしり入ったロング缶のエナジードリンクは三十半ばの男には少々重かった。
結論から言うと、二人の存在は合法になった。
あの劇的な脱出劇の直後、慌てふためいた合衆国政府がデフコン1を発動させるも、ストリーミング配信の内容を分析していた世界各国の有識者から「もはや核兵器が有効とも限らない」との強い制止がかかり、ひとまずは刺激を避けて交渉に臨む計画が進んだ。これに対して、南極大陸の観測所に居座った彼女が要求した条件は次の通り。
一つ、合衆国政府、および各国政府は私、アイシャ・バルタージー個人と相互不可侵条約を締結すること。二つ、別紙に記載の座標を中心に半径一〇〇ヘクタールを私固有の領土とする。三つ、私とその一族の身の安全を保障して十分に文化的な家屋と飲食料を提供すること。四つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる国家の国籍も保有せず、また、いかなる組織にも所属しない。五つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる係争にも関与しない。六つ、以上の条件が確実に履行されている場合に限り、私、アイシャ・バルタージーは戦争犯罪人サルマ・バルタージーが魔法能力を完全に喪失するまで監督責任を負うものとする。七つ、両者の魔法能力の喪失をもって同条約を発展的に解消し、過去のいかなる罪にも問うてはならない。八つ、以上に掲げた条件が不当に破棄されるか、またはその兆候が露見した場合はダーツで選んだ国の上空で魔法能力を発動する。
半年以上に及ぶ議論の末、主要先進各国は彼女の要求を呑んだ。まだ呑んでいない国々も徐々に後に続くだろう。
前例なき未曾有の国際条約が締結される調印式の前後では、インターネット上のありとあらゆる空間で魔法能力者の排外を呼びかける差別的発言が相次ぎ、あるいは逆に人類全体が崇め奉るべき新しい神であると主張する新興宗教が現れ、一方、どうせ若い女だから手加減されているんだろう、もし中年男性なら予告なく南極ごと核爆撃されていた、と恨み節を上げる投稿がSNSで万バズを獲得した。そしてそのどれもが、LLMサービスのモデレーションによって適宜フィルタリングされ電子の海の仄暗い奥底に埋もれていった。
一度、アイシャとサルマは国連と合衆国政府の承認を得てテキサスに飛んできたことがある。約束通り両親に会いに来たのだ。上空を幾多の戦闘機が飛び回り、地上では一個大隊規模の軍隊と重戦車が往来する物々しい雰囲気に包まれたが、名もなき暴徒に銃殺された二人の両親は、共同墓地の一角で静かに眠っていた。
「ほら、あれがそうよ」
アイシャが自分の動画チャンネルで背景に映り込ませているダーツボードの実物が壁にかけられていた。数百の隙間の一つ一つにポップな字で国名が刻まれている。ゲームで負けが込むと振り返って矢を投げるふりをするのが彼女の定番の持ちネタの一つだ。そのサブスクライブ数は、世界の誰よりも多い。一時は引き上げた各スポンサー企業からも再び声がかかっているという。
映画の興行収益も好調だ。悲劇的な結末を迎える本作について「でも演じている本人だったら余裕だったよね」との感想が目立つのも、最強系インフルエンサーと呼び声が高い彼女ならではの評判と言える。早くも殺到しまくっている主演での出演オファーに対して、今のところすべて断っていると報じられているのも印象深い。いつか彼女に悪役のオファーを出す勇気ある監督が現れるだろうか。
「それで? 取材しに来たんでしょう。なにが聞きたいの」
ソファーに座った姉妹の視線が私に集まる。出し抜けに促されて若干戸惑ったが、もちろん質問は決まっていた。
「……一体いつから、計画していたんだ。行き当りばったりでここまでやったわけじゃないだろう」
その場の勢いに任せるなら他にいくらでも簡単な方法があった。招集の機会など待たず、誰にも愛想を振りまかず、邪魔する者は皆殺しにして妹を救出すればよかった。上から三番目くらいの等級の魔法能力者でもできなくはない。
「合衆国政府が追い返したパパとママが殺されたと知った時から。サルマの話が出てこなかった時点で、魔法能力者になって生き延びたんだと分かった。それで、私の計画は始まったの。でも、どんなに強くても周りを納得させられなければ生きていけない」
しかし、彼女は待った。待ち続けた。自分が愛されるようになるまで。各国政府が抹殺を決断しきれなくなるまで。一時の不法を合法にすげ替える条件を満たすまで。
「お姉ちゃんの方が一枚上手だったね」
横に座るサルマも半ば呆れたふうに言う。最強のアイドルには誰も敵わない。
ほどなくして礼拝の時間が来たので終わるまでリビングで待つつもりでいたら、せっかくなので見ていてほしいと頼まれた。断る理由もないので私は二人の後についてこじんまりとした礼拝室に入った。
「ほら、サルマ。あんたは一緒にやりなさい」
サルマは「えー」と渋っていたが嫌々ながらも言う通りにした。
あの時と同じ敷物を広げて、備え付けの洗面台で手と口と顔を洗い、聖地であるメッカの方角に向かう。耳と肩の横まで両手を上げ、神に祈りを捧げる。
「アッラーフアクバル」
「アッラーフアクバル」
次に左手の上に右手を重ね、アル・ファーティハの章を唱える。三分間弱にのぼるアラビア語の言葉は、進むにつれてばらけていた姉妹の声が折り重なって聞こえた。
続いてアル・イフラースの章を唱え、腰を深く折り曲げて再び神に祈る。
「アッラーフアクバル」
「スブハーナ ラッビヤル アジーム」
上体を起こしてさらに唱える。
「サミアッラーフ リマン ハミダ」
「ラッバナ ラカル ハムド」
「ハムダン カスィーラン タイイバン ムバーラカン フィーヒ」
いよいよスジュード――平伏の体位に入る。頭、両膝、両手を敷物の上につけて、三回にわたり神に祈りを捧げる。
「スブハーナ ラッビヤル アラー」
「スブハーナ ラッビヤル アラー」
「スブハーナ ラッビヤル アラー」
独特な着座の姿勢に直り、神に慈悲を乞う言葉を唱える。
「アッラーフンマグフィル リー ワルハムニー ワジュブルニー ワルファアニー ワ アーフィニー ワルズクニー」
そして目を閉じたまま「アッラーフアクバル」と繰り返し祈る。最後に、顔を左右に向けてタスリームを行う。
「アッサラームアレイクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ」
「アッサラームアレイクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ」
礼拝を終えて厳かに立ち上がると二人はぱっ、と目を開いて、人が変わったかのように年齢相応の物腰に戻った。
「これ本当に毎日やらなきゃだめ?」
背筋をそって気だるそうにサルマが愚痴を漏らすも、姉は頑として譲らない。
「毎日やらなきゃだめ。もっと厳格な人たちはこれをあと三回はやるのよ」
「うえー」
私も率直な感想を述べた。
「あの時に見た礼拝より長く感じたな」
「あれは簡略化しているの。意外に柔軟な神なのよ」
「一体、どういう気分なんだ。どんな人間よりも強くて、神に等しいとまで言われる身で神に祈るのは」
アイシャは肩をすくめていたずらっぽく笑った。
「確かにね。私は強い。私が殺すと決めた相手は、どうあがいても確実に死ぬでしょうね。でも――」
途端に表情に厳粛さが宿る。
「――だからこそ、あえて自分より上位の存在を私の中に置いているの。そうすることで私は謙虚な気持ちになれる。自分を戒められる」
信仰にも色々な形があるらしい。
リビングに戻った後、私はふと気になって尋ねてみた。
「ところで、今はどれくらい魔法が使えるんだ。もしどこかの国が――」
「核兵器にはギリ負ける、かも」
「じゃあまずいじゃないか」
「そう、だからこれはオフレコね。サルマから吸い取った魔法能力はだんだん抜けていってる」
「逆に私は、戦闘機にギリ勝てるくらいにはなったかな」
礼拝終わりに二本目のエナジードリンクをぐびぐびと飲みながら、ソファに深く身を預けた妹が言う。
「ほう、じゃあそのうち逆転するかもな。隙を見て世界征服を狙ってたりする?」
オフレコなのをいいことに際どい質問をすると、サルマは幼さの残る仕草で足をばたつかせた。その細い足首には姉と同様に重苦しい黒い枷が嵌っている。
「いや、もう気が済んだしいいかな。今はゲームをやってる方が楽しい。こっちならお姉ちゃんに負けないし」
「なに言ってんの、トータルでは言うほど差ないわよ」
ひとまず世界の危機は去ったようだ。だが、今日のゲームにはふんだんにLLMや機械学習の産物が応用されていることはしばらく黙っておこう。
魔法少女二人との他愛もない雑談に応じつつも、私の頭には薄汚れた大人の計算が渦巻いていた。
二人の魔法能力が通常戦力を下回るほど衰えたら、世界はどうするのだろう? これ幸いと抹殺しにかかるのだろうか? あるいは、なんであれ一度合意した手続きを守るだろうか? もし誰かが守らなかったら、守らせるために別の戦いを行うだろうか?
魔法能力は十八歳をピークに衰えていく。知能よりも筋力よりも淡く気まぐれな存在が与えたもうた純粋すぎる力だ。そう長くは持たない。いずれ試練の時が二人に訪れる。
その時、私の脳裏に新しいフレーズが湧き上がってきた。
戦略級魔法能力者――戦略兵器等級魔法能力行使者などという官僚的な匂いの名称はもはや似つかわしくない。かといって、ただの魔法少女、では物足りない。
戦略級……魔法少女。戦略級魔法少女だ。
強く、儚く、それでも逞しく生きていくのだろう。
唐突にアイシャは「そうだ、動画案件をやらなきゃ」と言い、電話を取り出しててきぱきとショート動画の撮影準備を始めた。なんでも合衆国保健福祉省からの依頼だという。
「ほら、動画撮るから静かにしてね」
「待って、あたしが映り込んだら超面白いことになりそう」
そんな妹の茶々を割に生真面目な声で制する。
「だめ。あんたは戦争犯罪人で服役中なんだから、少しは分別をわきまえなさい」
「はいはい」
「オホン、オホン……ハーイ、今日は全米の女の子たちへ、生理中に世界の滅亡をなるべく願わないようにするコツを伝授しちゃうね!」
体よくソファの近くから追い払われた私は、仕方がなく窓際に寄りかかった。
ぬくぬくとしたリビングから窓の外を眺めると、紫と蒼と、その他の様々な色にオーロラが光り輝いていた。
そのどれもが、仲睦まじく交わっているようにも、互いに反発して争っているようにも見える。
トゥルースもフェイクも色も綯い交ぜになった、三十二ビットトゥルーカラーの世界。
了