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星新一をくれたお巡りさん | 2024-07-09T10:28:26+09:00 | true |
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2003年のある夏の日。僕はハードカバーの本を読みながら下校していた。人も建物も少ない田舎町の通学路は足が覚えている通りに歩き続けるだけで家に着く。時折、足の裏に意識の一欠片を譲り渡すと、じきにその足が土くれを踏んでいる感触を伝えてだいたいどの辺りを歩いているかが分かる。道中に道路が未舗装の区間があるため、そこまで来れば半分は歩いたことになる。
たとえ東北の寒村であっても夏は暑い。6時間授業を終えた後でも、未だ高く昇りつめた太陽がじりじりと首筋を焼き焦がして汗腺を刺激する。してみると、これはずいぶん不公平な話に思える。どうせ暑いのだから東京の子たちみたいに夏休みが8月31日まで続いてもいいではないか。だが、事前に配られた冊子は今年も例年通り僕たちの夏休みが遅く始まり、より早く終わる過酷な事実を容赦なく告げてきた。
かといってそのぶん冬休みが東京の夏休み並に長くなるわけでもない。冬は冬で窓という窓が積雪に覆われていようとも、屋根の雪かきに駆り出されようとも決して長い休みにはならない。良いところがあるとしたら自転車で行ける距離に小学生無料の市営スケートリンクがあること、そして僕は自分のスケート靴を持っているのでレンタル料金もかからないことぐらいだ。
その時、額から垂れた汗がぽつり、と紙面の上に落ちた。自分の顔で陰が差している薄暗い紙の上に、さらに階調の濃い灰色の点描がぽつ、ぽつと穿たれる。いけない、これは図書館で借りた本だ。あまり汚したら怒られる。半袖のほとんどない袖を無理に引っ張って額の汗を拭く。まだ遠い冬の氷上を想像しても夏の暑さはごまかせない。
間が悪く紙面の上に広がっている物語も夏だった。本の登場人物たちは自分のお金でアイスクリームを買っているが、あいにく小学生の僕に資本経済の概念はない。こんな田舎の通学路にもいくつか自販機はあるとはいえ、一円も持たない僕には読めない文字で書かれた石板よりも価値がない。
制服を着た中学生か高校生の子たちが得意げに小銭をじゃらじゃら言わせながら、いかにも甘くて美味しそうな冷えたジュースで喉を潤している様子を素直に羨ましいと思っていたのも昔の話だ。今となっては自販機も、中高生の子たちも、自分にとっては無用な申し訳ばかりの田舎の建物も、すべてが無味乾燥な一枚板の背景に溶け込んでいった。
だから僕は、歩きながら本を読んでいる。どうせ手に入らないのなら作り話の方がよほど面白い。僕にとっては百円玉も、まだ見ぬ異国のポンド硬貨も、現実には存在しないシックル硬貨も、面白いか面白くないかの差しかない。シックル硬貨はポンド硬貨より面白く、ポンド硬貨は百円玉よりはたぶん面白い。
後で知った話だが、僕は自慢するにはだいぶ物足りない理由で町の有名人だった。身体の肩から顔まで覆い尽くす巨大な本を読みながら登下校する子がいれば、それは当然、通学路に点在するあらゆる家々の人たちに記憶される定めであり、僕は彼ら彼女らから「本読みの子」と呼ばれていた。
ただでさえ少ない日数の前半がラジオ体操により消耗される徒労感を思い出した夏休み初日、突如として警察官が家に現れたのはそういう伝言ゲームの結果だったのだろうと思われる。がっしりした体格の「おじさん」か「お兄さん」かでいえば辛うじて後者に属する感じのお巡りさんは、一向に姿を現さない父親を諦めてこう言った。「うん、君に聞いた方が早そうだ。ちょっといいかな」
改めて制服に身を包んだ公僕の姿をまじまじと見つめる。目線の高さに映る腰周りには警棒と拳銃。拳銃は硬い紐で繋がっていてハサミでは切れない。内部には5発の銃弾が装填されている。でも、本当に撃ったら怒られる。僕が読んだ本にはそう書いてあった。お巡りさんは自らしゃがんで僕と顔を合わせた。経験則から僕の中ではそういう振る舞いをする大人は良い人だということになっている。
「ダイエーの手前の道路、わかる? 君の学校の通学路なんだが」
首を縦に振る。ダイエーは我が町を代表するスーパー・マーケットで地上階にはなんとマクドナルドがある。3階にはささやかなゲームセンターもある。普段は他と同じく一枚板の背景の奥に追いやられているが、珍しく300円を握らせてもらった日にはあたかもダイエーが七色に光り輝き、威風堂々とした存在感を放って眼前にせり出していたのを覚えている。
「実はそこでちょっと事故があってね、いや、大した事故じゃないよ。ぶんぶんが――車が、ちょっと衝突――ぶつかっただけだ」
そのお巡りさんは小学生の国語力を測りかねている様子だった。幼児に対して使うような言葉を喋ったかと思えば改め、逆にやや難しい単語を使った後に訂正を繰り返したりした。少々居心地の悪さを感じた僕は、自分にとってちょうどよい語句が用いられた時に返事をすることで誘導を試みた。すると、次第にお巡りさんの言葉遣いは小学生に適した内容へと適宜修正されていった。
お巡りさんが語るには、ちょっとした交通事故が起こったらしい。双方ともに怪我はなく決して大事ではない。しかし車体はそれなりに損傷したため大金を払って修理しなければならない。そこで互いの過失割合が問題となる。先般紹介した通りここは田舎町、検証の助けになる気の利いたリトルブラザー(防犯カメラ)はなく、ドラレコは普及以前の時代である。
「――それで、もう片方の人が言ったんだ。いつも本を読みながら道を歩いている子がいる、その子が全部見たはずだってね」
続けてお巡りさんは柔らかく笑った。「君、”本読みの子”って言われているんだってね。近所の人に聞いて回ったらすぐに分かったよ」僕は相当に意表を突かれた気持ちになった。今まで一枚板の背景と思い込んでいたものが、にわかに実体と人格を伴って挨拶を交わしてきたかのような感覚に襲われた。
結論から言うと、なにも答えられなかった。これは奇想天外なミステリーの冒頭ではない。僕はただ、もじもじしていただけで――ここには名探偵もいなければ明晰な頭脳を持った天才少年もいない。ただランドセルにたくさん本を入れたくて、代わりに教科書を忘れたふりをするどちらかといえば鈍感な気質の小学生がいるだけだ。隣の子が「そんなに忘れるなら朝、一緒に学校行こっか」と提案してくれた真意にも終始気づかなかった。
もっとも、事故については抗弁の余地がある。だって、本を読んでいるのだからまさしく背景と化した道路の上の話なんて知るよしもない。車同士がぶつかったからにはそこそこ大きな音もしただろうけど、僕は僕で物語の効果音を頭いっぱいに響かせようとして忙しかった。などと、情感たっぷりに言い訳の一つでも繰り出せたら、あるいは隠された聡明さをほのめかせられたのかもしれない。
一方、現実の僕は「よく分からないです」と唇の切れ端から絞り出すだけで早々に力尽きた。僕の能力の限界を悟ってか、もともと小学生の証言などさほどあてにしていなかったのか、お巡りさんは僕の目線の高さでまた微笑んで「そうか、じゃあ仕方がないな。邪魔して悪かったね」と帰り際に言い残した。
ドアの向こうで自転車を漕ぐ音が徐々に遠ざかっていくと、さっきまで部屋の奥で息を潜めていた父親がぬっと顔を出した。「帰ったか」「うん」「余計なこと言ってねえだろな」「うん」簡素な応答に納得したのか父はのろのろと引っ込んだ。寝室の衣装入れでUVライトを照らして大麻を栽培している父にとってお巡りさんは大の天敵なのだ。
ところが夏休みの半ば、ラジオ体操の義務から解放された頃に再びお巡りさんがやってきた。今度は自転車ではなくパトカーが家の前に停まったので父の慌てぶりは臨界点に達した。顔面に殴打を食らう前に「なにも言ってないよ」と弁明したものの、それすらも耳に入っていない始末だった。例によって玄関のドアを開けると、お巡りさんは両手に大きい包みを抱えながら入ってきた。
「お父さんはいるかね」
「えっと、うーん、仕事中です」
「そうか、じゃあ後でお礼を伝えておいてくれるかな。これは公務じゃないからね、簡単に」
お巡りさんが包みを解くと、たくさんの文庫本がぎっしり詰まっていた。5、10、15……一目ではとても数え切れない。背表紙には色々な表題が記されていたが、著者はどれも同じ名前で「星新一」と記されていた。
「この間はいきなり押しかけて悪かったね。君、本が好きなんだろう。これは実家に昔からあったやつなんだが、子どもでも読めると聞いてね。まあ、俺は本を読まないから……もし良かったら代わりに読んでくれないか」
息を呑んだ。要するに目の前のたくさんの本が今この瞬間、うんと頷くだけで全部僕のものになるのだ。おずおず控えめに、しかし意図ははっきりと伝わるように僕は何回も首を上下に振った。礼を欠いているにもほどがある振る舞いだが、それでもお巡りさんは優しく僕の頭を撫でた。「そうか、そうか。持ってきてよかった。それにしても歩きながら本を読むなんてまるで二宮金次郎みたいだな」
昔は二宮金次郎の銅像が全国各地の小学校に建てられていた。薪を背負って働きながらでも読書に勤しむ勤勉さを手本とする意味合いが込められていたそうだが、昨今では読書と歩行を兼ねる危険性が槍玉に挙げられたのかあまり話を聞かない。結局、僕は最後までろくに会話をせずもじもじしていたが、お巡りさんはなにもかも善意解釈したまま去っていった。
ほどなくして大量の本を手に入れた喜びが実感として胸中に押し寄せた。海にはどうせ連れていってもらえないが、空想中の大波が僕の心臓を掴んでぐるぐるとかき回した。さっそく玄関前に並んだ文庫本を手にとり、自室の本棚(ダンボールで自作した)に何往復もしながら運んでいると、寝室から汗まみれの父が姿を現した。「なんだそれは」「お巡りさんがくれた」
父は仁王立ちで怪訝そうにしていたが、家の前のパトカーが遠ざかる音を聞くやいなや「ふん」と不機嫌そうに鼻息を鳴らした。それでいて誰の目にも安堵しきった様子で口を曲げた。「税金で食ってる連中は気楽なもんだな」しかし、そう言う父は祖父の財産を食いつぶして暮らしていた。
その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎて厳しい冬が訪れても、僕は星新一を読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、目の前には活字でできた世界があった。
やがて、僕の心の中に強固なマイ国家が築かれた。何人にも決して侵されない脳裏にはにぎやかな部屋があり、そこには時に暗く明るいひとにぎりの未来が広がっていた。ところでこの日記には重大な嘘が含まれている。一つだけとはかぎらないし、最初から最後までまるごと嘘という顛末も大いにありえる。