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革探しの旅Ⅱ:必要にして十分な携行品 | 2024-07-01T08:25:47+09:00 | true |
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前回の精神的続編。革の鞄は買わないと言っていたが、あれは嘘だ。幾度となく原宿の工房に通って選び抜いた革鞄が今週末、仕上がりの日を見た。この鞄には使う前から僕のライフスタイルが詰まっていると言っても過言ではない。なぜなら来る日も来る日も、工房のありとあらゆる鞄に携行品を出し入れして試行錯誤を重ねてきたからだ。そこには永遠の課題が存在する。”僕はなにを持ち運べば事足りるのか?”
人によってはこの問いは愚問である。常に巨大なリュックを背負い、あらゆる荷物を受け入れられる人に引き算の概念はない。たとえ中に半年に一度も使わないものがあったとしても、いざという時に役立てばそれで良しと鷹揚に構えられるのならどこにも差し障りはない。
他方、僕は持ち物にややシビアな性格だ。使わないかもしれないものを持つのは重さや大きさにかかわらず我慢ならない。かといって手ぶらで都市という名の戦場に赴くほどの武士(もののふ)ではない。最低限の装備品は持っていきたい。プライベートにおいて、季節や状況によらずなにが必要にして十分な携行品なのか――鞄を選ぶにあたり、僕はずっとこのことを考え続けた。
ラップトップを切り捨てる
僕はパソカタの民だ。寝ても覚めてもパソコンをカタカタしている。なのでつい鞄にラップトップを忍ばせてしまう。当ブログをご覧の皆さんも多くがどうせ同類に違いない。だが、出先で心からパソカタに専心している人は稀だ。最初から外でパソカタするのが目的でなければ自宅こそが最適なパソカタ環境なのに、わざわざ変な場所でパソカタする必要はない。
なんとなればちょうどよくパソカタできて助かった、というよりは、せっかく持ってきたからには使わなければ、などと捻転した観念を抱えてしまっている場合も少なくない。他に用事がないならさっさと家に帰るなり、他の暇つぶしの方法を確立させた方が有意義だろう。
そこで、僕はまず携行品からラップトップを切り捨てた。これだけでA4サイズ以上の鞄を軒並み選択肢から除外できるし、そもそもそのサイズの鞄は革製以外のものをもう持っている。(後述)なにしろ革鞄はA4サイズ級となると非常に重い。鞄単体で1kg以上は当たり前の世界観だ。ナイロンや布と比べて数十年単位で長持ちする利点を踏まえても、重すぎることは必要にして十分とは言えない。
革の材質
革にも色々ある。男物のダレスバッグにはコードバンがよく使われるが、ブライドルの採用例も珍しくはない。光沢が際立つ方はざっくりコードバンと考えて差し支えない。僕はこれらの有名どころの革をあえて選ばなかった。理由は高級すぎるからだ。普段遣いの鞄にはもっと野性味を反映させたい。
そういう意味では革探しの中盤以降でHerzに的を絞ったのは正解だと思っている。ここはラフな扱いに適した剛性の強い革を中心に扱っており、油断するとインディージョーンズ的な場違い感が出てしまう欠点は否めないもののうまく選べば手頃な品物に出会える見込みが大きい。現に選んだ品物はHerzのサブブランドであるOrganのショルダーバッグだった。
ちなみに、この鞄にはリバースというイタリアンレザーが用いられている。説明通り、最初から傷や皺にまみれた独特な風合いを持つ。バケッタ製法により手入れの必要がほとんどないところも普段遣いに適している。
必要にして十分な携行品
鞄、とりわけショルダーバッグの類は荷物を持ち運ぶインベントリである以上に、荷物を出し入れするクイックスロットでもある。必要な時に必要なものを高速に取り出せなければ鞄の能力を活かしきれていない。単に荷物を持ち運ぶことが主目的なら鞄ではなくリュックサックを選ぶべきだ。事実、僕はそういう用途のためにグレゴリーのリュックサックも持っている。
そのように想定した時、鞄の容積は必要にして十分な携行品を入れてなお多少余っている方が好ましいと考えられる。乗車率100%の電車よりも70%の方が乗り降りが楽なのと同様に、鞄もまたいくらか隙間を持て余している方が携行品を取り出しやすい。ましてや携行品を山のように立体的に詰め込むのは携行しているうちに入らない。それは収納であり、まさしくリュックサックの領分に踏み込んでいる。
以上を鑑みて、僕の携行品は以上の形に整理されている。財布、小物入れ、Kindle、モバイルバッテリー、そして水筒だ。モバイルバッテリーは外出時間は半日未満なら持ち物から除外される。小物入れにはティッシュや家の鍵、リップクリーム、粒ガムなどが入っている。スマートフォンはパンツのポケットに装備するため鞄の中には入らない。
この中でもKindleは特に重要なロードアウトだ。無意味極まる電車の移動時間を有意義な読書時間に兌換しうる奇跡のコンバータであり、電子雲から無尽蔵に降り注ぐ本を受け止める魔法の神器でもある。昔は想定外の読了に備えて時に2冊も持ち運んでいたものだが、今や本当に良い時代になった。電子書籍なら本のサイズもまったく問題にならない。
対して、水筒を「必要にして十分な携行品」に加えていることに違和感を持つ人もいるかもしれない。見るからに専有容積を広くとっているからだ。しかし適切な水分補給は人間の健康的な活動には欠かせない。どのみち自販機に100いくらか円を投じるのなら最初から携行品に加える方が手っ取り早い。僕のお気に入りの水筒は保冷も保温もできないが、100g前後の軽さで見た目もかわいい。
なお、この革鞄は背面にもささやかなポケットが付いている。意図して備わっているものを選んだ。現状では除菌シートを入れているが、小物入れをここに移してもよいと考えている。ここまでの絞り込みですでにショルダーバッグのクイックスロット性は相応に高められているが、秒単位の発動が求められる状況下ではこういう特殊な余白が役立つ。
シルエットの難しさ
言うまでもなく鞄はファッションの一部に含まれる。携行品が過不足なく入り、出し入れに不自由がなければなんでもいいのなら革製の鞄を選ぶ理由はない。むしろ内ポケットの豊富さを考えたらナイロンや布製の方がずっと良い。あえて革鞄を選ぶのは本革の質感を自己の輪郭に取り入れるためだ。
さて、ところが――これは革鞄にかぎった話ではないが――いざ気に入った鞄が見つかっても、身につけた際のシルエットが合わない場合が往々にして存在する。背丈に対して鞄が小ぶりすぎると矮小で神経質な印象を与えるし、逆に大きすぎると大雑把で野暮ったい感じがしてしまう。僕が思うに、成人男性並の背丈に一番合うのはA4サイズだがそれはついさっき切り捨てたばかりだ。
初手で無難な選択肢を外してしまった以上、ここは自分自身でどう折り合いをつけるか姿見を凝視しながら決断するしかない。僕は数センチ単位で色々な鞄を試して地道に検証を重ねた。結果的に納得のいく品物が見つかったが、さもなければもっと時間がかかっていただろう。
右側は物理出社用にも愛用しているA4サイズの帆布鞄。ラップトップも入る。こうして並べてみるとまるで素材違いの姉妹みたいで、さほど容積に違いがないように見えるが実際の体験は大きく異なる。利便性の面では外側はもちろん内側にも2つのポケットを備える帆布製の方に軍配が上がる。だが普段遣いの質感では革製が他のすべてを追い抜く。
ところで上の画像を見てもらえば分かるように、僕の鞄にはジッパーがついていない。革鞄はギボシ留めだし、帆布の方はボタン留めだ。ジッパーは収納の文化なのでセキュリティの面からもリュックサックには付いているべきだが、ショルダーバッグにはなくてもよいと僕は考えている。クラシカルな留め具の方が品位も演出しやすい。
おわりに
これまで書いたように人の携行品にはその人自身のライフスタイルや生き方が反映されうる。なにを持っていくと嬉しいか、嬉しくないか、各々の選択の結果が「必要にして十分な携行品」として表現される。そこからは当人の成功と失敗の積み重ね、ある種の教訓めいた気配さえも感じとることができる。
あるいは逆に、余分なものを持たない選択にも喜びはある。真に厳選されし研ぎ澄まされたロードアウトが過不足なく能力を発揮した時、自分のモノシリックな意思にますます自信を得られるだろう。一連の決断が最終的に鞄の姿形をも決定づけると考えれば、実は鞄そのものが僕たち自身の表現形の一つなのである。