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2023-08-21 10:07:01 +09:00

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title: "鈍角少年"
date: 2021-04-01T09:09:12+09:00
draft: false
tags: ["poem"]
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あの頃はずいぶんヒネた少年だったと我ながら思う。
インターネットに跋扈するオタク各位共通の現象かもしれないが、僕も多分にもれず斜に構えたところが大いにあり、傍から見ると相当にアイタタな雰囲気を醸していた。十分に創造的であればその鋭さが幾分さまに見えたりもするが、僕は出来高がしょぼかったので角度は鈍かった。たぶん、150度くらいはあったんじゃないか。壁を穿つ役には立たないくせに、一応尖っているものだから周りを不用意に傷つける。
休み時間に開く本はフィリップ・K・ディックやウィリアム・ギブスンをはじめとする翻訳もののSF小説。当時、携帯小説が流行の兆しを見せていたが、当然めちゃくちゃ見下していた。もっと言えば、大衆小説自体を下に見ていた。宮部みゆき 東野圭吾 どうせ大したことないだろ。ろくに読んでないけど、読む価値もないね。といった具合に。
こうした流行と世間に対する反発は、おのずと僕を徹底して狭い選択肢に押し込んだ。触れるメディアのジャンルは円で囲うより点一つで済むくらい限定されていたし、付き合う人間、試す趣味、ほとんど点で収まった。行動範囲はだいたい直線だった。僕の少年期を表すのに二次式はいらない。
この生き方には利点もあるにはあった。あらゆる関心事が極度に限られていたために、平面で見るとただの点でも空間座標ではZ軸方向にズブッッと沈み込んでいて、要は一つの趣味を執拗に深堀りできた。本来負うべき義務をほぼ放り投げた半生を歩んできたのに割とどうにかなりそうな気配があるのは、その一つがたまたまコンピュータで、たまたま世間がコンピュータを使ってする仕事に高い価値を認めていたからだった。
一方で、もっと広い視野に立たないと判らないような、実世界の微妙なニュアンスや情緒みたいなものを理解する機会をだいぶ逸してしまったように思う。多くの人々も決してこれらの概念を明確に言語化して取り入れているわけではないが、むしろ言語化していないのにたやすく内面化できているのだからちょっとやそっとでは太刀打ちできない。いわばネイティブ駆動だ。
僕は後から取り繕おうとしているのでエミュレータを挟まないと読めない上に、実行速度も遅い。あれこれ会話した後で「しくじったな」と感じるのは実行速度が遅すぎてリアルタイムでのデバッグが間に合わなかった結果と言える。
なまじ文芸をやっていると曖昧な表現を捉えられるとうぬぼれがちだが、実世界のコミュニケーションというのは物語と違い矛盾や不整合に満ちていて、文意や状況から必ずしも先の展開を予測できるとは限らない。
不思議なのは、ネガティブな推測が外れたおかげで自身に利益がもたらされたとしても、奇妙な緊張がいつまでも肉体から拭い去られないことだ。どうも僕は運否天賦や不確実性に弱いらしい。だからギャンブルも飲酒も喫煙も好きじゃないんだな。いずれも人生に不確実性を持ち込んでしまうから。
旧来の基準と比較すれば今は浮いた者にも概ね寛容になってきていると感じる。いや、寛容なんじゃないな。いちいち干渉しなくなっただけだ。だが、誰からも干渉されないということは自分がどこまでズレていっても、たとえ無限遠点まで流れていったとしても、どこかで自覚できない限りはそのまま放置されてしまう。宇宙の果てから泳いで帰ってくるのは難しそうだ。かといって、通俗的なコミュニケーションを一切絶つほどの決意は僕にはない。
なので僕は数年前からエミュレータの精度を高めている。気づけば世の中がこんな有様なので、やはり手段は当面のあいだメディアになってしまうが、できるだけ大衆的な作品を選んで鑑賞している。昔はさんざん軽視していた宮部みゆきや東野圭吾も、いざ読んでみるとなかなか面白い。サブカルチャー方面の動向も把握すべく、電撃大賞の入賞作品も適当に遡って読んでいる。ライトノベルを読むのは中学生以来だが、今から読んでも面白いものはあった。
逆説的に、SFや純文も決して流行を拒む方便として愛好してきたわけではないと判った。どうやら、本当に好きなものがどれだけ好きか理解するためには、そこそこ好きなものにもある程度触れる必要があったらしい。
もっと驚いたのは音楽の方だ。流行りの音楽とは絶対にそりが合わないと確信していたのに、SpotifyのJapan Top 50を順に聴いていくとすぐにお気に入りの曲がいくつも見つかった。こんなのその気になればいつでも取り組めたのに、なんで今までやらなかったのだろう。GlobalのTop 50の方は聴いていたくせに。
こうして幾ばくかの期間を経て、僕の持つ世間や流行とかいった対象への反発心はしんなりと和らいでいった。一般には加齢すると世の中の流行りを受け入れがたくなるそうだが、僕の場合はどうやら逆――少年の頃には鈍角ながらも尖っていた箇所が時の清流に研がれ、段々と丸みを帯びはじめている。
YOASOBIの「THE BOOK」、むっちゃ良いアルバムだ。アルバム全曲が当たりなんて好きなアーティストでも滅多にないよ。シングルならyamaの「春を告げる」も良いね。
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