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Rikuoh Tsujitani 2024-04-01 22:44:06 +09:00
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title: "コメディ専の彼"
date: 2024-04-01T22:01:20+09:00
draft: true
tags: ['diary']
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昔、僕の友達に「コメディ専」がいた。文字通り、コメディしか書かない。学内のありとあらゆる文芸サークルに出没しては矢継ぎ早にコメディものを投下していくという誠に恐るべき人物であった。なにしろ、いかにもコメディものが似つかわしくないシリアス路線の合同誌企画にばかり狙い撃ちにするのだ。
その内容ときたらサークルの人員が大切にしているであろうテーマや価値観を当てこすり、混ぜっ返し、ことさらに笑い飛ばす意欲に長けたもので、うっかり紙面に目を通した当事者をたちどころに渋面にせしめること請け合いの代物だった。輪をかけて恐ろしいのは、これらの作品がどれも面白かったところである。当事者でなければ、だが。
そんな彼は話作りのみならず会話のテクニックも卓越していた。どんな理知的な人物も――いや、あるいは理知的であるからこそ――まともに向かっていけばたちまち刃を受け流されるがごとくおちょくられてしまう。ならば決して小馬鹿にされまいと押し黙っていると、それはそれで正面から防御を破られる。明らかにアウェーな場でも彼の軽妙な振る舞いは決して不利を感じさせない。僕の見聞きする限り、彼は無敵だった。
かくいう僕も、自作を頭のてっぺんから足のつま先の隅々までおちょくられ倒した後、苦し紛れに彼を挑発してみたことがある。「そんなにコメディが好きならそういうところで書けばいいじゃないか。もしや自信がないのか?」彼は身じろぎもせず答えた。「笑おうとしているやつを笑わせるのはただの奉仕だ。それのなにが面白い?」笑うつもりがないのに笑わせるから面白い。そう彼は飄々と言ってのけたのだった。
彼の伝説は続いた。極左団体の女を寝取り「転向させてやったぞ」と民青の丸眼鏡に自慢したり、mixiでしきりに創作論を語る先輩に「でもまだ一作も書けてないっすよね」と公開投稿でなじり面目を潰したりと、やっていることはかなり邪悪なのにそこはかとない痛快さが絶妙に彼の名声を高めた。
一体、彼ほどの人物はどういう進路を辿るのか。人々の大方の予想を裏切り、イケイケの起業家でもインフルエンサーでもなく、全然普通に不動産大手の営業マンとして働いている。最近、子どもが生まれたと報告が来た。ちなみに彼の妻は転向させた活動家でもなければ僕の知る大学内のいずれかの女性でもなく、きっちりお堅い社内交流で知り合った人だという。マジで最悪だな。
彼はたまに僕のブログや小説を読んでは感想をくれる。一例を挙げると『まだ合同誌とかやってんの草いくつかの絵文字』そんなわけで僕は彼に誘われて会食に赴いた。30代に到達すると会話の内容は大抵キャリアプランに終始する。ジム通いと家族サービスを欠かさない完全無欠の彼の悩みは教育費だという。この歳にしてすでに家を持ち、一本越えの預貯金を持ってなお子息を十全に大学に行かせるには心もとないらしい。雲の上の話とはまさにこのことだ。
僕は……特になにもない。それなりに将来性の高い仕事にありつけて物書きをするのに不自由がなければ構わない。45分のランニングでぼちぼち10km以上走れるようになった、とささやかな自慢話を漏らすと、珍しく彼は素直に受け取った。「マジか。俺はそこまで速くない」そりゃ、その分厚い大胸筋を揺らしながら走るのは辛かろうよ。彼は笑う。
「合同誌、出たら俺にも一部くれよ」僕は即答する。「嫌だよ」頭の中では余分に一部もらう算段がついている。「ネットで変な感想を書いたらさすがに怒るからな」「書かねえよ。そもそもどこに書くんだよ」「ツイッ……Xとかさあ」「アカウント持ってねえし」「そういえばそうだった」今の彼はFacebookに仕事関係の付き合い、Instagramにメシ画像を上げる以外にはネット上で誰とも交流を持っていない。
そして僕が『ツイッター』と言いかけたのをきっちり拾いあげて「XでもTwitterでもどっちでもいいけどあえて言い直すやつらって自主規制」といつものおちょくりがはじまる。今、僕がインターネットで関わりを持っている人々はきっと彼のことを嫌いになるまでに5分とかからないだろう。
そんな彼も、意図しておちょくらない人物が少なからずいた。もちろん今も会社の上司や取引先相手にそういう真似は絶対しないだろうし、いくらなんでも初対面の相手をいきなり痛罵したりはしないだろう。それとは別に、当時、なぜか彼はおちょくろうと思えばおちょくれるのに、あえてそうしない時があった。
当然、僕は問いかけた。「あいつの作品は気に入ったのか」彼はさっと首を振る。どんなにもって回った言い回しでも彼がその文脈を違えたことは一度もない。「あいつはいっぱいいっぱいだ」しかし回答としては物足りない。こういうことが何回かあり、僕はただ釈然としない日々を送り、そして都度おちょくられていた。
ある日、僕の与り知らぬところで彼が刀傷沙汰を起こしたという話を聞いた時だ。厳密には彼は起こしたのではなく、起こされた側だった。いつものようにあるサークルに顔を出しにいったら、そこにいた人物にカッターナイフで襲われたのだ。けが人は一人、出た。彼ではなく襲った方である。
彼の手によってあっという間に制圧せしめられた襲撃犯は、ねじりあげられた腕を捻挫したとかなんかで全治二週間の怪我を負った。彼がなにも法的な手続きをとらなかったので事件化はしなかったが、曰く「サークルを守りたかった」と加害者は述べていたと言う。
しかしその人物は彼とは一度も話したことがなかった。誰もがおちょくられ倒していたであろうそのサークルの中で、ほとんど唯一「いじれない」と彼が判断した人物だったのだ。一件落着を経た後の彼はやはり飄々としたもので「ちょっとしくったな」とだけ言った。その瞬間、僕は彼が持つ基準の一端を垣間見た。
以来、僕は彼におちょくられるままにしている。彼がなんのためらいもなくおちょくるうちは僕はたぶん大丈夫だ。「いっぱいいっぱい」になっていない。あえて無理に言語化するのなら、取るに足らない悪意を相応に受け流す程度には余裕がある。もし、彼の基準でそうではなくなった時、きっと彼は僕にすごく優しく接してくれるのだろう。
誰しも人には説明しようのない羅針盤を持っている。彼が彼自身でさえも言語化しないなんらかの基準に従っているように、僕も密かに彼を羅針盤にしている。「いっぱいいっぱい」にならないように、呼吸は浅く、間は長く、反応はやや鈍くとる。言うまでもないが、この話は嘘だ。こんな嫌なやつがいてたまるか。……そうだろ?