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@ -16,7 +16,7 @@ tags: ['novel']
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「ずっとだ、そう、ずっと。さあ、広場に着いたぞ。どこだか分かるかな?」
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思わず、私は騒音に負けないような甲高い声で叫んでいた。
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「マリエン広場! 私と同じ名前の――」
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<ねえ、マーリア、どうしたの>
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<ねえ、マリエン、どうしたの>
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「あっ……ごめんなさい、ちょっと、夢を見ていたみたい」
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<こんな状況に居眠りだなんて、よほど自信があると見ていいのかしら>
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リザのつっけんどんな声が束の間、私の頭蓋を満たす。
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@ -48,41 +48,42 @@ tags: ['novel']
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「リザちゃん、すごい」
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惜しみのない賛辞に彼女は鼻息一つで答えた。
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<ふん、私の方は敵が少なかったから>
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まもなく、管制官から連絡が入った。
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まもなく、施設長から連絡が入った。
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<たった今、レーダーで確認した。目標は殲滅された。ご苦労さま。二人とも帰ってきておいで>
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だが、
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「いいえ、まだいるわ」
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<はあ? あんた、なに言って――>
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実は、海面に避難してからずっと聴こえていた。さざなみの音に紛れて響く、おごそかな重低音。
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緩やかに上昇してから、身体を前に傾けて北海を見つめた。視界は暗闇でも、繰り返される低周波がその奥深くにおぼろけな像を作り出す。そこへ向かって、手のひらで集めた閃光を解き放った。波打つ水の動きを視界に描きながら待っていると、低周波音も消えた。
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「海の底でかくれんぼしようとしていたみたい」
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<……潜水艦がいたのね>
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はっとするリザの声に管制官も応じる。
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はっとするリザの声に施設長も応じる。
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<さすが、我が軍が誇る究極兵器だ>
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「でも、せっかく仕立てて頂いたドレスを汚してしまいました」
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管制官は短く笑った。
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施設長は短く笑った。
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<また作ってもらえばいい。次はもっと立派な生地で注文しよう>
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「嬉しいわ。早くお父さんにも見せたい」
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私はまた、漆黒の視界の中にお父さんの輪郭を描いた。
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<祖国に勝利をもたらした後、毎日だって見せられるさ。では、改めて帰投を命じる。通信終了。ハイル・ヒトラー>
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「はい、直ちに帰投します。ハイル・ヒトラー」
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ところで、私はお手紙を送る時に必ず年も書くようにしているの。そうじゃないと何年も文通することになった時、どれがどの八月だったかそのうちに判らなくなってしまうかもしれないでしょう?
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一九四六年十月二一日。この日も私たちは勝利を収めました。
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一九四六年十月二一日。この日もなんとか勝利を収めました。
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たとえ光が見えなくても。
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”一九四六年十一月七日。昨月の今頃はあんなに暑かったのに、このところめっきり冷え込んできました。同じドイツでもミュンヘンとケルンでは少し調子が違うようです。引っ越して三年が経とうとしているのにまだ慣れていません。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく今の私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争でもっと功績を立てれば、どんどん偉くなって、したいことがなんでもできるようになるそうです。”
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”一九四六年十一月七日。昨月の今頃はあんなに暑かったのに、このところめっきり冷え込んできました。同じドイツでもミュンヘンとケルンでは少し調子が違うようです。引っ越して三年が経とうとしているのにまだ慣れていません。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく今の私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、施設長が仰るには戦争でもっと功績を立てれば、どんどん偉くなって、したいことがなんでもできるようになるそうです。たまに失敗してしまうけれど、最近はうまくやっています。”
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チーン、とタイプライタが鳴り、ハンマーが紙面の端に到達したことを知らせてくれる。一旦、タイピングを止めて手探りで本体のレバーを引っ張り、改行する。
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”それにしても、まだ子どもの私が「上官」とか「管制官」とか言って、言葉にしてみたらずいぶんおかしい話に聞こえるでしょうね。今の私はなんでも中尉なんだそうです。私よりたっぷり何フィートも大柄な男の人たちが、前を歩くとさっと右、左に避けてくれるのが分かります。姿は見えなくても足音でだいたいどんな背格好なのか分かりますから。”
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”それにしても、まだ子どもの私が「上官」とか「施設長」とか言って、言葉にしてみたらずいぶんおかしい話に聞こえるでしょうね。今の私はなんでも中尉なんだそうです。私よりたっぷり一フィート半も大柄な兵隊さんたちが、前を歩くとさっと右、左に避けてくれるのが分かります。姿は見えなくても足音でだいたいどんな背格好なのか分かりますから。”
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チーン。また、音が鳴った。再びレバーを引いて改行する。
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”いつかもっと偉くなったら、私たちの鉤十字がはためくブリュッセルの空を飛んで、お父さんに会いに行く許可をもらおうと思います。ついでに山ほどのチョコレートを買うことも許されそうな気がします。その日まで、どうかお元気で。ハイル・ヒトラー”
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チョコレート……そう、チョコレートだ、と私は唐突に思い至った。今週、お給金を頂いたから、ベルギーのチョコレートは無理でも近所のチョコレートは買える。一月ぶりのご褒美。椅子から勢いよく立ち上がったら、ふわ、と全身が浮きかけたので、あわてて踵を地面にくっつける。左を向いて五歩半歩くと、壁にかかっているバッグがある。その中にお財布も身分証明書も入っている。前に手を伸ばすとそこには確かに古びた皮革の感触が広がった。
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チョコレート……そう、チョコレートだ、と私は唐突に思い至った。今週、お給金を頂いたから、ベルギーのチョコレートは無理でも近所のチョコレートは買える。一月ぶりのご褒美。椅子から勢いよく立ち上がったら、ふわ、と全身が浮きかけたので、あわてて踵を地面にくっつける。左を向いて五歩半歩くと、壁にかかっているバッグがある。その中にお財布も身分証明書も入っている。前に手を伸ばすとそこには確かに古びた皮革の感触があった。
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両手でバッグを掴んで上にもちあげると肩掛けが釘から外れる。それを頭から被るようにして肩口に合わせると、また左に三歩歩いて、冷えたドアノブを触った。すぐ隣に立てかけられた杖も忘れずに持っていかないといけない。これがあるのとないのとじゃ大違い。部屋を出ると廊下が待ち受けているが、左手の杖先で床を叩きながら右手で壁をなぞっていくと、思いのほか簡単に玄関までたどりつける。
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まだお日さまの熱を頭のてっぺんに感じる時間なのに、外は肌寒かった。さっき手紙で書いてばかりだというのに、横着せず右へ四歩半歩いてコートを持ってくるべきだった。でも、杖の先っぽで石畳をとん、とんと叩きながら道を歩いているうちに、だんだん身体が温まってきた。
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この杖は先端がとても硬くできている。なので固い地面を叩くと甲高い音とともに、衝撃が指先に伝わる。すると、私の真っ暗な視界の中に白線の波がざざあ、と描かれていく。音の調子と衝撃の具合で、あと何歩歩くと壁があるのか、どの辺りに他の人が立っているのかだいたい分かる。
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今しがた、目の前に白線の壁の輪郭ができあがったので、私はそれをひょいとよけて道を曲がった。土地勘のないケルンの街も今ではだいぶ楽に歩けるようになった。
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こういうのって誰でもできるわけじゃないみたい。管制官が「まるでコウモリみたいだね」とおっしゃっていた。聞いた話では、コウモリさんは目はほとんど見えないのだけれど、代わりに壁とおしゃべりをして場所を教えてもらうんだそう。一体、どんなふうにおしゃべりしているのかな。
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でも、確かに私とそっくりだ。杖でコツコツと叩くと地面が壁やお店の場所を教えてくれる。きっと私はコウモリとして生まれるはずだったのに、間違えて人間に生まれてきてしまったんだ。だとしたら、なんて運の良いことでしょう。人間じゃなかったらチョコレートは食べられないもの。
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今しがた、目の前に白線の壁の輪郭ができあがったので、私はそれをひょいとよけて道を曲がった。あまり土地勘のないケルンの街も今ではだいぶ楽に歩けるようになった。
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こういうのって誰でもできるわけじゃないみたい。施設長が「まるでコウモリみたいだね」とおっしゃっていた。聞いた話では、コウモリさんは目はほとんど見えないのだけれど、代わりに壁とおしゃべりをして場所を教えてもらうんだそう。一体、どんなふうにお話しているのかな。
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でも、確かに私とそっくりだ。杖でコツコツと叩くと地面が壁やお店の場所を教えてくれる。きっと私はコウモリとして生まれるはずだったのに、間違えて人間に生まれてきてしまったんだ。だとしたら、なんて運の良いことだろう。人間じゃなかったらチョコレートは食べられない。
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また角を曲がって路地に入ると、もう杖はいらなくなった。鼻をくすぐるチョコレートの甘い匂いが、ひとりでに私の足をお店の前に運んでくれるからだ。揺るぎない自信を持って手を前に突き出すと、果たしてそこには目的地のドアノブがあった。ぐい、と手前に引くと、愛想の良さそうなおじさんの声が出迎えた。
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「やあ、久しぶりだね」
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「あの……」
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「いってーな」
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「なんだ、この女」
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「いきなりぶつかってきやがった」
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他にも何人かの声がする。咄嗟に「ごめんなさい、急いでいて」と平謝りすると、どういうわけか男の子たちの怒声がぴたりと止んだ。ちょっと怖そうだと思ったけれど、存外に優しい人たちだったのかしら? と期待しつつ、地面のどこにあるはずの杖を手でまさぐっていると、まもなくそれは無惨に裏切られた。
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他にも何人かの声がする。咄嗟に「ごめんなさい、急いでいて」と平謝りすると、どういうわけか男の子たちの怒声がぴたりと止んだ。言葉遣いで怖そうだと思ったけれど、実は優しい人たちだったのかしら? と期待しつつ、地面のどこにあるはずの杖を手でまさぐっていると、まもなくそれは無惨に裏切られた。
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「こいつ、目が見えてないんじゃないか」
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「あれ見ろよ、チョコレートだ」
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また少しの沈黙。
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私は反射的に杖を諦めて紙袋を掴もうとした。が、言うまでもなく相手の方がすばやかった。がさがさと祝福の鐘を鳴らすその音は、今や石畳に這いつくばる私の頭上にあった。
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私は反射的に杖を諦めて紙袋を掴もうとした。が、言うまでもなく相手の方がすばやかった。がさがさと祝福の鐘を鳴らすその音は、今や石畳に這いつくばる私のはるか頭上にあった。
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「あの、お願い、返して」
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「なんでだ?」
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三人の中で一番野太い声の主が言う。続けて、チョコレートの包装紙を破る音。ぱきっ、と歯でかじる音までもが実にいやらしく辺りに響いた。
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三人の中で一番野太い声の主が飄々と言う。続けて、チョコレートの包装紙を破る音。ぱきっ、と歯でかじる音がいやらしく辺りに響いた。
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「お前みたいな国家のお荷物がこんな贅沢品を持っていいわけないだろ」
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別の男の子がもっともらしい主張で私からチョコレートを奪ったことを正当化した。
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「でも、私がお金を出して自分で買ったものですわ」
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「ふん、どうせ親の金だろう。出来損ないが一丁前に着飾っていい気になるな」
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「違います、私も働いています」
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三人の男の子たちはチョコレートを頬張る咀嚼音に甲高い声を重ねながら、ひとしきりの嘲笑を浴びせてきた。
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「嘘つくな。お前みたいなのを誰が雇うもんか」
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「嘘つくな。お前みたいな出来損ないを誰が雇うもんか」
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「本当です」
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「じゃあ、どこでなにをして働いているのか言ってみろよ」
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「私は――」
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と、言いかけて、私はぐっと口をつぐんだ。言えない。言っちゃだめだ。私のしていることは国家機密だって管制官がおっしゃっていた。仮に言えても彼らはまず信じてくれない。それとも、今すぐ目の前で十フィートも浮き上がってみせたら、びっくりしてチョコレートを返してくれるだろうか?
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と、言いかけて、私はぐっと口をつぐんだ。言えない。言っちゃだめだ。私のしていることは国家機密だって施設長がおっしゃっていた。仮に言えても彼らはまず信じてくれない。先週も一昨日も空を飛んで魔法で戦闘機を落とした、なんて。
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それとも、今すぐ目の前で十フィートも浮き上がってみせたら、びっくりしてチョコレートを返してくれるだろうか?
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そんな危険な考え方が頭をよぎればよぎるほど、私の脚全体はかえってより強固に石畳と接地した。
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一転、まごついている様子の私を見て男の子たちは不敵に笑った。
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「ほらな、言えねえ。チョコレートは没収だ」
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石畳に伝わる振動と、徐々に遠ざかっていく彼らの勝ち誇った声が、”目標”の離脱を知らせる。急速に冷えていく私の脳裏が、真っ暗な視界に白線の像を結んだ。杖なんてなくても、こんなにどたばたと足音を立ててくれているのなら、実に狙いやすい。横に並ぶ三人の男の子の”どれ”の背が一番高いのかまで、はっきりと判る。
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右手を拳銃の形に模った。全身をめぐる光の源が私のやりたいことに呼応して、その超常的な力を指先の一点に収束しはじめる……。
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右手を拳銃の形に模った。肉体に秘められし光の源が私のやりたいことに呼応して、その魔法力を指先の一点に収束しはじめる……。
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……。
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できない。
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私は我に返って手を下ろした。こんなことのために力を使ってはいけない。代わりにくちびるをぎゅっと噛み締めた。今頃食べているはずだったチョコレートの甘い味が、鉄臭い血液の味に変わって私の舌先を鈍く刺激した。
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私は我に返って手を下ろした。こんなことのために力を使ってはいけない。代わりに唇をぎゅっと噛み締めた。今頃食べているはずだったチョコレートの甘い味が、鉄臭い血液の味に変わって私の舌先を鈍く刺激した。
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「貴様ら、ここでなにをしている」
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突然、ずいぶんと聞き慣れた声が街角に反響した。白線がその人の背丈を描くのを待つまでもなかった。
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「管制官?」
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「施設長?」
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ががっ、と石畳がこすれる音。三人の男の子たちは敬礼している。
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「ジーク・ハイル!」
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「なるほど、敬礼には慣れているようだな」
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「はっ」
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「貴様らにもじきに国民突撃隊の招集礼状が来る。だというのに……その口元にこびりついているのはなんだ?」
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「はっ、チョ、チョコレートですが」
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「はっ、その、チョ、チョコレートですが」
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「ほう、鋼鉄の男子にそんなものが必要か?」
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「い、いえ、決して」
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「ならば捨て置け。こんな街中をほっつき歩いている間にもできることがあるだろう」
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「し、失礼しました」
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嘘みたいに縮み上がった男の子たちの声と、とてつもなく低い管制官の声との応酬の後、整列行進の足取りで男の子たちが去っていった。入れ替わりに、管制官が体格に似合わない静かな足音で近づいてきた。今度こそ、私はすばやく立ち上がって男の子たちに負けないくらいの声で敬礼をした。
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嘘みたいに縮み上がった男の子たちの声と、硬質な施設長の声がした後、整列行進の足取りで男の子たちが去っていった。入れ替わりに、施設長が静かな足音で近づいてきた。今度こそ、私はすばやく立ち上がって男の子たちに負けないくらいの声で敬礼をした。
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「ハイル――」
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「まあ、落ち着け。災難だったな。ほら」
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敬礼を解いた私のそれぞれの手に、杖と、それから紙袋が渡された。まだ中身はたっぷり残っているようだった。
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「あ、ありがとうございますっ」
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「まずは家に戻ろう、見せたいものがある」
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そうして、私は管制官に手を引かれて残りの帰り道を歩いた。
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そうして、私は施設長に手を引かれて残りの帰り道を歩いた。
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ああ、男の子たちを「ぱんぱん」しなくてよかった。
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「ううむ、もうタイプライタの扱いは私よりうまいな。手紙は私が代わりに届けてあげよう」
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管制官の声はいつも2フィート半高いところから聞こえる。機械の留具から紙面をするりと取り出して、感心したふうにうなった。その声はどんなに柔らかい言葉遣いでも鋼鉄の感触を与える。
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施設長の声はいつも半フィート高いところから聞こえる。機械の留具から紙面をするりと取り出して、感心したふうにうなった。その声はどんなに柔らかい口調でもどこか硬い感触を与える。
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「もったいないお言葉です。こんな私でもお手紙が書けるのですから、つい夢中になっちゃって」
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「戦争に勝利したらタイピストになるといい」
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「たいぴすと……?」
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「人の代わりに文章を打ち込んであげる仕事だ。これなら家の中で働ける。給料もかなり良いと聞いている」
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そうか、戦争に勝ったら戦う相手がいなくなるんだ。そうしたらどこでなにをしているのか隠す必要もなくなって、あの男の子たちにも胸を張って自分の職業を言えるようになる。
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「そうしたら、私に授けられたこの力も使い道がなくなってしまいますね……」
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十歳の頃に収容所に連れていかれて、そこで私は国家のために義務を果たすのだと教えられた。毎日、色々な人たちがやってきては、それをまっとうするたびに私の前からいなくなった。みんな、私と同じように目が見えなかったり、耳が聴こえなかったり、体の一部がなかったりした。
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なにもかもが変わった日の後、今までに見た人たちのすべての生命を背負っているのだと教えられたのだった。
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小さい頃に収容所に連れていかれて、そこで私は国家のために役目を果たすのだと教えられた。毎日、色々な人たちがやってきては、それをまっとうするたびに私の前からいなくなった。みんな、私と同じように目が見えなかったり、耳が聴こえなかったり、体の一部がなかったりした。
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なにもかもが変わった日の後、今までに会った人たちのすべての生命を背負っているのだと教えられたのだった。そして、施設長が上官になった。
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「ずいぶん気の長い話ではあるけどな。それまでは休む暇もないよ。ブリュッセルに飛んでいく余裕なんかないほどに」
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「いえ、それはほんの冗談ですわ」
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あわてて私が訂正すると管制官は短く笑った。
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あわてて私が訂正すると施設長は短く笑った。
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「まあ、君に飛んでいかれたら実際困るが、ベルギーチョコレートくらいならそのうち用意させるよ」
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「本当!? あっ……、失礼しました、どうもありがとうございます」
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ひょい、と浮き上がった踵を瞬時に床にくっつけた。管制官はまた笑った。
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ひょい、と浮き上がった踵を瞬時に床にくっつけた。施設長はまた笑った。
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「でも、君のお父様に会うのはしばらくお預けかな。勝利は目前とはいえベルギーは未だ前線だからね。ここだってまだ危ない」
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「そう……ついこないだ、あんなにやっつけたばかりなのに、どんどん来るんですね」
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「敵は多勢だ。ヨーロッパ中が我々を目の敵にしている。思い知らせてやらなければならない」
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落ち着いた管制官の声ににわかに怒気がこもった。私も、お父さんといつまでも会えない辛さを思うと彼と同じくらい敵への怒りがこみあげてきた。
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落ち着いた施設長の声ににわかに怒気がこもった。私も、お父さんといつまでも会えない辛さを思うと彼と同じくらい敵への怒りがこみあげてきた。
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「私が、全部撃ち落とせたらいいのだけれど」
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ぽつり、と前のめりな発言を漏らした私に管制官が告げる。
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ぽつり、と前のめりな発言を漏らした私に施設長が告げる。
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「早まらなくてもいい。君が下手に力を使いすぎれば、いざという時に失敗してしまうかもしれない」
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ひょっとすると、さっきの男の子に私がしようとしたことも見透かしているのかもしれない。
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「ごめんなさい、少し言い過ぎました」
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「気にするな。君はよくやっている。敵を殲滅しなければならないのも完全に正しい。だから、ほら、さっそく新しいドレスを仕立てさせた。実はあの後、すぐに発注したんだ」
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はた、として私は前に手を伸ばした。以前も着るたびにうっとりするほどだった生地が、まるでわら半紙に感じられるほどのなめらかな触感が指先から全身に広がった。
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「まあ、信じられないわ!」
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今度こそ、私は軍人としての建前を放り出して嬌声をあげ、両手でドレスをむんずと掴んだ。しかし管制官は嗜めることなく「本当は見た目も最高なんだ。我々の軍服と同じ職人に服飾をやらせているからね」と補足した。すかさずぶんぶんと頭を振って応える。
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ついに私は軍人としての建前を放り出して嬌声をあげ、両手でドレスをむんずと掴んだ。しかし施設長は嗜めることなく「本当は見た目も最高なんだ。我々の軍服と同じ職人に服飾をやらせているからね」と補足した。すかさずぶんぶんと頭を振って応える。
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「ううん、いいの。触るだけでこんなにも感激しているのに、繕いまで知ってしまったらこのまま死んでしまうかもしれない」
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「おいおい、滅多なこと言わないでくれよ。君は間違いなく我が国でもっとも高価な兵器なんだから」
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||||
すかさず、その場で管制官の助けを借りてドレスを着込んでみた。革の分厚い手袋をはめた手に引かれて鏡の前に立たされた私の視界には、やっぱり漆黒の暗闇しか映っていなかったけれど、世界でもっとも美しいとされる「お姫様」の姿を懸命に描き出そうとした。
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すかさず、その場で施設長の助けを借りてドレスを着込んでみた。革の分厚い手袋をはめた手に引かれて鏡の前に立たされた私の視界には、やっぱり漆黒の暗闇しか映っていなかったけれど、世界でもっとも美しいとされる「お姫様」の姿を懸命に描き出そうとした。
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||||
「どうかしら、ほら、私には――」
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||||
一回、二回、わざとらしく咳払いをしてから管制官が言う。
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||||
一回、二回、わざとらしく咳払いをしてから施設長が言う。
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||||
「君のお父様にはお見せしない方がいいかもしれないな」
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||||
想定外の感想に私は見えもしないのに、声のする方向へ振り返って口元を曲げた。
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「あら、どうして?」
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「あまりにも美しすぎるから亡くなってしまうかもしれない」
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「そんな――お上手ですね」
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「嘘じゃないよ。君だってドレスをじかに目にしただけで死んでしまいそう、と言ったじゃないか。扱うべき者が扱えば効力は倍増される。兵器と一緒だ」
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||||
管制官はひとしきりの賛辞を私に送ると「そろそろ時間だ」と告げ、今日一日はドレスを着たまま楽しんでいていいと許可を与えてくれた。彼が手紙を持って部屋から去った後、私はたまらず床を蹴って宙に浮かんだ。手にはまだチョコレートでいっぱいの紙袋。
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||||
あまりにも軽く薄いオーバードレスの生地がふわりとたなびいた。漆黒の世界でも思い描けば私は部屋に咲く一輪の花だった。
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施設長はひとしきりの賛辞を私に送ると「そろそろ時間だ」と告げ、今日一日はドレスを着たまま楽しんでいていいと許可を与えてくれた。彼が手紙を持って部屋から去った後、私はたまらず床を蹴って宙に浮かんだ。手にはまだチョコレートでいっぱいの紙袋。
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||||
あまりにも軽く薄いオーバースカートの生地がふわりとたなびいた。漆黒の世界でも思い描けば私は部屋に咲く一輪の花だった。
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固い木材の天井に、おでこがこつんと当たった。
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||||
緩やかに空中で漂いながら、私は紙袋からチョコレートを取り出して包装紙を破った。口に含むと、舌の上にこの上ない幸福が訪れた。
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緩やかに空中で漂いながら、私は紙袋からチョコレートを取り出して包装紙を破った。ころころした形の幸せを口に含むと、舌の上にじわりと甘みが広がった。
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リザちゃんが遅い昼食の時間を告げに部屋に来るまで、私はそのままでいた。
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||||
「ずいぶんお熱みたいね」
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手狭なダイニングに置かれたテーブルの上で、トマトソースのスパゲッティーニを二人で食べている時、リザが言った。
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手狭なダイニングに置かれたテーブルの上で、トマトソースのフジッリを二人で食べている時、リザが言った。
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||||
「そんなんじゃないよ、ドレス、とっても良かったから」
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ぎくしゃくした言い方をしながら、フォークで巻いたパスタを口に運ぶ。いつも人以上に服を汚してしまう私が、よりによっていつも異常に服が汚れるトマトソースを食べているのだから、当然、今は肌着しか着ていない。その上にナプキンをつけさせてもらっている。
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リザは私と同じ光の源に受け入れられた子で、何年か前にイタリアから逃げてきたそう。以来、ずっと一緒に住んでいる。私より目が見える彼女に生活のなにもかもを任せてしまっているのは心苦しいけども、嫌なことは嫌、とはっきり言ってくれるので、ちょっとは気が楽だ。
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ぎくしゃくした言い方をしながら、フォークで突き刺したショートパスタを口に運ぶ。いつも人以上に服を汚してしまう私が、ただでさえ汚しやすいトマトソースを食べているのだから、当然、今は肌着しか着ていない。その上にはナプキンもつけさせてもらっている。
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リザは私と同じ光の源に受け入れられた子で、何年か前にイタリアから逃げてきたそう。以来、ずっと一緒に住んでいる。目が見えるというだけで彼女に生活のなにもかもを任せてしまっているのは心苦しいけども、嫌なことは嫌、とはっきり言ってくれるので、ちょっとは気が楽だ。
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「あのね、最近、どう」
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「話題をそらすにしてもわざとらしすぎない?」
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「話題をそらすにしてもいい加減すぎない?」
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スパッとよく切れる包丁みたいに私の目論見を見抜いた彼女は、それでもはあ、とため息をついた後に話題を変えてくれた。
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「私たちがこうして休んでいる間にも、敵はわんさとやってくるのね。ダンケルクもまたとられちゃったし、イタリアの方も」
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「でも、勝利は目前だって、管制官が」
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「でも、勝利は目前だって、施設長が」
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||||
からん、とフォークをぞんざいに皿の上に投げ出す音が聞こえた。
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「どうだか。私はとてもそうとは思えない。もっと多く出撃できるように要請した方がいいかもしれない。といっても、ほら、私は一応、イタリア軍属だから……」
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「でも、管制官が”早まらなくていい”って言ってたよ」
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「どうだか。私はとてもそうとは思えない。もっと色んな戦場に出撃できるように要請した方がいいかもしれない。といっても、ほら、私は一応、イタリア軍属だから……」
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「でも、施設長が”早まらなくていい”って言ってたよ」
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またため息が聞こえた。
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「あんた管制官、管制官って結局自分で話を戻しているじゃないの」
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「あんた施設長、施設長って結局自分で話を戻しているじゃないの」
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「あっ、ごめん」
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「言っておくけど、狙うには歳が離れすぎでしょ。たぶん倍ぐらい離れてる」
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「管制官、そんなにおじさんっぽい顔してるの?」
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「うーん、いや、どうかな。徽章が立派だったから年上かなあって、……っていうか本気なの」
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「言っておくけど、あの人を狙うには歳が離れすぎでしょ。たぶん倍どころじゃないくらい離れてる」
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「施設長、そんなにおじさんっぽい顔してるの?」
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「うーん、いや、どうかな。背はあんまり高くない。まあ、私の好みではないわね……っていうか本気なの」
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華奢な作りのテーブルががた、と揺れて、リザが前のめりの姿勢になったことが分かった。
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「えー、まだ、わかんない、かな?」
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がたがたと机が揺れだした。
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大きくがたがたと机が揺れだした。
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きっと今の私はとんでもなく緩んだ顔つきをしているのだろう、と思った。
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「ちょっと、揺らしすぎだよ、机」
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はにかみながら嗜めると、予想に反してリザの深刻そうな声が返ってきた。
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「私じゃない。空襲よ」
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覆いかぶさるように空襲警報のサイレンが耳に入ってくる。二人して椅子から立ち上がった。空襲警報が鳴ったら心身の状態に関わらず出動する決まりになっている。「着替えなくちゃ」彼女の声に「うん、ドレス、まだベッドの上にあるから」と答えた。机の上にナプキンを投げ捨てて、私は彼女の言う通りに手足を上げ下げして、SS特別管制官大佐の名の下で正式に認可された戦闘服たるオーバードレスを着せてもらった。私の着替えが済むと、すぐにリザちゃんは隣の部屋に駆け込んで自分の支度をはじめた。
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||||
数分後、彼女の手に引かれて玄関から勢いよく飛び出す。最寄りの基地までは歩いて十分足らずだけど、杖に頼っていては決してそんなに早くはたどりつけない。早足で歩く彼女の歩幅に負けじと大股で歩き続けた。
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覆いかぶさるように空襲警報のサイレンが耳に入ってくる。今日も今日とてお仕事の時間がやってきた。
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二人して椅子から立ち上がった。非番でも空襲警報が鳴ったら出動する決まりになっている。「着替えなくちゃ」彼女の声に「うん、ドレス、まだベッドの上にあるから」と答えた。机の上にナプキンを投げ捨てて、私は彼女の言う通りに手足を上げ下げして、正式に認可された戦闘服である新しいドレスを着せてもらった。私の着替えが済むと、リザちゃんは隣の部屋に駆け込んで自分の支度をはじめた。
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数分後、彼女の手に引かれて玄関から勢いよく飛び出す。最寄りの基地までは歩いて十分足らずだけど、杖に頼っていてはそんなに早くはたどりつけない。早足で歩く彼女の歩幅に負けじと大股で歩き続けた。
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||||
なんだか今日は人に手を引かれてばかりだ。
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風が頬を撫でつける空白の時間の後、彼女の足が止まった。「身分証を」という端的な男の人の声に応じて、私も鞄から身分証明書を取り出す。直後、男の人の声はうわずり「どうぞお通りください」と丁寧な物腰に変わった。
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||||
基地の建物内に入ると足音がかつかつと硬質な響きになった。辺りは騒然としていたのにリザの歩みは管制官のいる部屋に入るまでもう止まらなかった。それで私もするべきことが判った。両足をこつんと合わせて直立不動の姿勢をとり、敬礼をした。
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「よろしく頼んだぞ。私、アルベルト・ウェーバーSS特別管制官大佐の権限により、魔法能力の発動を許可する」
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風が頬を撫でつける空白の時間の後、彼女の足が止まった。「身分証を」という端的な男の人の声に応じて、私も鞄から身分証明書を取り出す。直後、男の人の声はうわずり「どうぞお通りください、中尉殿」と丁寧な物腰に変わった。
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||||
基地の建物内に入ると足音がかつかつと硬質な響きになった。辺りは騒然としていたのにリザの歩みは施設長のいる部屋に入るまでもう止まらなかった。それで私もするべきことが判った。両足をこつんと合わせて直立不動の姿勢をとり、敬礼をした。
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「ただいま到着いたしました」
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「よろしく頼んだぞ。では、私、アルベルト・ウェーバーSS特別施設長大佐の権限により、魔法能力の発動を許可する」
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「はっ」
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ほどなくして私たちは風が強まる夕暮れ時の滑走路に姿を晒した。兵士たちの助けを借りて角ばった無線機を背負い、頭にはお話をするための装置が取り付けられた。どんな形をしているのかよく分からないけど、頭に乗っかった感触はカチューシャに似ていると思った。そして、服はオーバードレスを着ている。
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あの日、血だまりの中に座り込む私に、管制官が「ご褒美になんでも一つ叶えてあげよう」とおっしゃったので「いつもきれいなお洋服を着たい」と答えたのがきっかけだった。収容所ではいつもボロ布しか着させてもらえなかったから。
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||||
訓練中に散々聞かされた我が軍の誇るアラドやフォッケウルフの勇ましいエンジン音とプロペラのうなり声が私を鼓舞させる。一分と駆動音を聞かないうちに、左右に並ぶ戦闘機の一つ一つの形状や位置関係までもが、実に鮮明な白線の網目で描き出された。
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もう収容所にいないのに肩書きが施設長のままなのはなんでだろう、と毎回思いながら命令に応じる。
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ほどなくして私たちは風が強まる夕暮れ時の滑走路に姿を晒した。兵隊さんの助けを借りて角ばった無線機を背負い、頭にはお話をするための装置が取り付けられた。どんな形をしているのかよく分からないけど、頭に乗っかった感じは昔よく着けていたカチューシャに似ていると思った。そして、服はドレスとオーバースカートを着ている。
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あの日、血だまりの中に座り込む私に、施設長が「ご褒美になんでも一つ叶えてあげよう」とおっしゃったので「いつもきれいなお洋服を着たい」と答えたのがきっかけだった。収容所ではボロ布しか着させてもらえなかったから。
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訓練中に散々聞かされた我が軍の誇るアラドやフォッケウルフの勇ましいエンジン音とプロペラのうなり声が私を鼓舞させる。一分と駆動音を聞かないうちに、左右に並ぶ戦闘機の一つ一つの形状や位置関係までもが、鮮明な白線の網目で描き出された。
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もしかすると、このうちの一つに両手でぺたぺたと隅から隅まで触って形を確かめさせられた機体があるのかもしれない。私たちの魔法は神から授けられた力。偉大なる第三帝国が神に代わってこの世界を統治するためにもたらされた力だ。その圧倒的な能力の前には、人間の善悪は関係ないのだという。だから、私は決して善人を撃ってはならない。撃っていいのはフューラーに歯向かう者だけ。
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「マーリア・クレッセン、出撃します」
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「マリエン・クレッセン、出撃します」
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「同じく、リザ・エルマンノ、出撃します」
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私たちの出撃には燃料も滑走も必要ない。ただ足元に意識を込めると、たちまち光の源が呼応して飛翔に必要な魔法力を授けてくれる。灰色にくすんだ舗装路の一帯に二点の光が灯った。ふわり、と身体が浮く。そこから上空百メートルまで飛翔するのは一瞬だった。下ろしたてのオーバードレスが風にたなびいて激しく揺れる。
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私たちの出撃には燃料も滑走も必要ない。ただ足元に意識を込めると、たちまち光の源が呼応して飛翔に必要な魔法力を授けてくれる。灰色にくすんだ舗装路の一帯に二点の光が灯った。ふわり、と身体が浮く。そこから上空百メートルまで飛翔するのは一瞬だった。下ろしたてのオーバースカートが風にたなびいて激しく揺れる。
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三……二……一……。数を数えてだいたいの位置取りを把握した辺りで静止する。地上とはうってかわって無風の空が、オランダの彼方までみちみちと広がっていることを想像した。
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その彼方の奥から、来る。蚊のようにか細く、卑小な鳴き声をわめきたてるイギリスの戦闘機が私たちのケルンの空を汚しにやってきたのだ。
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<……まもなく敵機がケルン上空に襲来する。有効射程に入り次第、全機撃墜せよ>
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<了解>
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無線機のノイズにまぎれて乗る管制官の硬質な力強い命令が私を後押しする。よく研磨された光の源が腕から構えたステッキに乗り移って、極めて鋭利な光線を作り出す。
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無線機のノイズにまぎれて乗る施設長の硬質な力強い命令が私を後押しする。よく研磨された光の源が腕から構えたステッキに乗り移って、極めて鋭利な光線を作り出す。
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海上での戦いと違って、むやみやたらに魔法をふりまくわけにはいかない。街が怪我をしてしまう。
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視界に描かれる白い点描の集まりに飛び込んだ。音像が鮮明になるつれて白点は塊に、塊が戦闘機を模りはじまる。ぶんぶんと唸る蚊の群れの中でステッキをあたかも剣のように振るうと、伸長された光が戦闘機の銅を切断したのが分かった。たちまち動力を失った機体はしかし、爆発も炎上もせず、二つに分離した別々の鉄の塊となって空を滑っていった。
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さらに続けて二、三と魔法の剣を振るい、次々に戦闘機を断頭していく。あまりにも機体と間近に接しているので、時々、戦闘機に乗っている男の人の悲鳴が耳に入った。けれどもそれらは私の知らない英語だったおかげで、だいたい戦闘機のプロペラ音と似たように聞こえた。実際、機体を切断してプロペラ音が減衰すると、悲鳴もだんだんと届かなくなっていった。
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||||
とはいえ、蚊の鳴き声がやむ気配はなかった。すぐにリザも気づいたのか、無線連絡が入る。
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とはいえ、蚊の鳴き声がやむ気配はなかった。すぐにリザちゃんも気づいたのか、無線連絡が入る。
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<敵機が多すぎてきりがないわ。一旦、距離をとって一気に――>
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「だめ、それじゃ街に戦闘機が落ちちゃう」
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<どのみち抜けられたら空爆されるわよ>
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@ -267,9 +272,9 @@ tags: ['novel']
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だが、ここで止められなければ代わりに爆弾が降り注ぐ。
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リザちゃんの言っていることが正しい。
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「……了解、離脱します」
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魔法の切っ先を畳んでステッキを腰の革製ホルスターにしまい、後退を開始すると視界の中の戦闘機の像も高速で遠ざかった。戦闘機が塊に、塊が白点に戻り、やがて点描の集まりと化した。一秒でも早く全機撃墜させれば、少しでも……。
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魔法の切っ先を畳んでステッキを腰の革製ホルスターにしまい後退を開始すると、視界の中の戦闘機の像も高速で遠ざかった。戦闘機が塊に、塊が白点に戻り、やがて点描の集まりと化した。一秒でも早く全機撃墜させれば、少しでも……。
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いつもの要領で手のひらに魔法力を集中させる。別の角度ではリザちゃんが同じく発射準備に取り掛かっている。無線機同士が飛ばし合っている電波が、私には白い糸のようにつながって見える。顔を横に向けてその糸をたどると、暗闇の奥にお人形のような人影が映った。彼女の姿かたちもよく知っている。戦闘機と違って彼女はくすぐったがりだ。
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「秒読みするね、三、二、……」
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「秒読みを開始するね、三、二、……」
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二人の声が無線機越しに重なり、ゼロを刻むかと思われたところで、様子が変わった。私の手から放たれた光線が、リザちゃんの方角からは出ていない。片輪のみのファイヤーワークスがぼぼぼん、と爆発音を鳴らしたけれども、全機撃墜に程遠いのは明らかだった。
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あわてて彼女の方角を見やると、群体を抜け出たいくつかの白点が人影を追いかけていた。
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同時に、私の近くにもつんざく蚊の鳴き声が迫りくる。あっ、と誰に聞こえるわけでもない口を開きかけているうちに、プロペラ音は機銃の銃声に塗りつぶされた。たちまち、小さな金属の塊が雨あられとなって私の胴体を貫いた。
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||||
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@ -313,7 +318,7 @@ tags: ['novel']
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「そう一時間置きに聞きにこなくても私は元気だって。元気じゃないのは肩から先だけ」
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||||
ドアノブをひねって部屋に入ると、真っ暗闇の視界の中にぽつんと座る少女の白線が描かれた。姿勢からしてベッドの上に座っているのだろうと思われた。彼女に必要な四つの義肢は予備が用意されているので昔ほどの不便はないという。けれど、不器用な人が動かす操り人形のようにぎくしゃくと動く白線を見るかぎり、日常生活にも支障をきたしているのは明らかだった。
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「やっぱり、イタリアの木じゃないと相性が悪いのかもね」
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窓の方に顔を向けながらリザちゃんが言った。ムッソリーニ首相が王様に叱られて以来、イタリアのほとんどの土地はずっと敵にとられたままで、木材の輸入は滞っている。たまたま難を逃れていた彼女はドイツ軍に「セッシュウ」されて、一度も故郷に帰る許しをもらえていない。「セッシュウ」されると、別の国の人でもその国のきまりに従わなければいけないのだと、管制官が言っていた。
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窓の方に顔を向けながらリザちゃんが言った。ムッソリーニ首相が王様に叱られて以来、イタリアのほとんどの土地はずっと敵にとられたままで、木材の輸入は滞っている。たまたま難を逃れていた彼女はドイツ軍に「セッシュウ」されて、一度も故郷に帰る許しをもらえていない。「セッシュウ」されると、別の国の人でもその国のきまりに従わなければいけないのだと、施設長が言っていた。
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||||
だから、今の彼女の手足はイタリアではなくドイツの木でできている。私は彼女の隣に腰掛けて、肩口から伸びる白の稜線を手でなぞった。
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「ちょっと固いね」
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「たぶんオーク材だと思う。私は松の木の方が好きかな」
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||||
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@ -331,8 +336,8 @@ tags: ['novel']
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"彼女は昔、近所の子にピノッキオと呼ばれていました。身体の一部が松の木でできているからです。お父さんに読み聞かせてもらったので、私もお話はよく覚えています。ですが、彼女はこのあだ名がとっても不満でした。それはピノッキオが嫌いだからではありません。ピノッキオは自由に身体を動かしていろんな冒険ができるのに、彼女は両親に車椅子を引いてもらわないと自分のヘッドからさえ起き上がれなかったからです。"
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||||
またレバーを引き下げつつ、次の文章を考える。
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"そんな彼女に転機が訪れたのは私と同じく、役目を果たすための施設がイタリアにできたおかげです。なんでも、そういう施設は同盟国の至る場所にあるそうです。光の源の祝福を授かった彼女は、あたかも本物の手足が生えたかのように木製の義肢を動かすことができます。もちろん、魔法も私よりうんと強く放てます。その代わりに、狙いを定めるのはちょっぴり下手です。"
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||||
キータイプの手を一旦止めて、祝福を授かったリザちゃんがどんな気持ちだったのか、自分自身の体験を通じて想像しようとした。長い長い鉄道と大きな車に揺られて私が送られた施設は看守さんにも周りの人々にも「収容所」と呼ばれていた。お世辞にも、あまりきれいな場所ではなかった。ご飯の量は小さい私が見ても明らかに少なく、大人の人たちが怒って逆らおうとすると看守の人はもっと怒って彼らを散々ぶった。中でも特にひどくぶたれた人とは二度と会えなかった。その時、施設で一番偉い人だと言われていた管制官は私たち子どもに「彼らはちょっと早めに役目を果たしたんだよ」と教えてくれた。
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||||
いくら子どもの私でも、月日が流れるたびに「役目を果たした」人たちが施設からいなくなっていくのを見て、私たちの「役目」がなんなのか理解した。しばらくはわんわん泣いて、お父さんに会いたいと看守にも管制官にもお願いしてみたけれど、だんだん施設の人を困らせれば困らせるほどかえって「役目を果たす」日が早くなりそうな気がして、だんだん隅っこでおとなしく過ごすようになった。
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||||
キータイプの手を一旦止めて、祝福を授かったリザちゃんがどんな気持ちだったのか、自分自身の体験を通じて想像しようとした。長い長い鉄道と大きな車に揺られて私が送られた施設は看守さんにも周りの人々にも「収容所」と呼ばれていた。お世辞にも、あまりきれいな場所ではなかった。ご飯の量は小さい私が見ても明らかに少なく、大人の人たちが怒って逆らおうとすると看守の人はもっと怒って彼らを散々ぶった。中でも特にひどくぶたれた人とは二度と会えなかった。その時、施設で一番偉い人だと言われていた施設長は私たち子どもに「彼らはちょっと早めに役目を果たしたんだよ」と教えてくれた。
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いくら子どもの私でも、月日が流れるたびに「役目を果たした」人たちが施設からいなくなっていくのを見て、私たちの「役目」がなんなのか理解した。しばらくはわんわん泣いて、お父さんに会いたいと看守にも施設長にもお願いしてみたけれど、だんだん施設の人を困らせれば困らせるほどかえって「役目を果たす」日が早くなりそうな気がして、だんだん隅っこでおとなしく過ごすようになった。
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そうしているうち、役目を果たすことが本当に良い行いなのだと分かるようになってきて、今度は早く役目を果たしたいと施設の人にお願いしはじめた。今思うと、ずいぶんわがままな子どもだったと思う。
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||||
結局、一年ほど経った後、施設の中で私より先にいる人を見かけなくなった辺りで、ようやく出番が回ってきた。
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||||
やたら扉が多い部屋だった。部屋の中の部屋の中の部屋の中に案内されて、気づいたら案内してくれた施設の人はどこかにいなくなって、私はひとりぼっちだった。誰かを呼んでも返事がないし、声も全然響かない。すごく怖かったけれど、その後にすごい出来事があってなにもかも吹き飛んだ。
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||||
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@ -346,18 +351,18 @@ tags: ['novel']
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「それ、なにを持っているの」
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前に歩いて手を差し出すと、直後、すごい音がして、私は後ろに押し倒された。お腹の辺りがじんじんとしたので、手でまさぐると石ころのようなものが見つかった。
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「えいっ」
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投げつけられた石ころを投げ返すと、鋭い悲鳴が部屋中にこだました。男の人がそういうふうに叫ぶのを初めて聞いたので、私はとてもびっくりした。どんどん石ころが投げつけられたので、私も一生懸命に投げ返した。白い線のお人形が全部見えなくなった後、管制官が部屋に入ってきて「楽しかったかい」と尋ねたので、私は正直に「ううん、あんまり」と答えたのだった。
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投げつけられた石ころを投げ返すと、鋭い悲鳴が部屋中にこだました。男の人がそういうふうに叫ぶのを初めて聞いたので、私はとてもびっくりした。どんどん石ころが投げつけられたので、私も一生懸命に投げ返した。白い線のお人形が全部見えなくなった後、施設長が部屋に入ってきて「楽しかったかい」と尋ねたので、私は正直に「ううん、あんまり」と答えたのだった。
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||||
鉄臭い匂いは、施設に入って初めてお風呂に浸かる許しが得てからも、しばらくとれなかった。
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||||
私が第三帝国で唯一の国家魔法少女として正式に階級章を授けられたのは、その日から始まった訓練を終えたさらに一年半後の話。
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||||
リザちゃんも同じような訓練をしたのかな。今度聞いてみよう。
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||||
”私たち二人でケルンの空、オランダやベルギーの海を守っています。こないだは失敗してしまったけれど、今度こそ目標を全機撃墜したいです。お父さんもベルギーの前線で勇猛果敢に戦っていると管制官がおっしゃっていました。離れ離れに暮らしているのは、やっぱりまだ少しさみしいですが、親子揃って帝国に殉じていることを誇りに思います。いつか、祖国に勝利をもたらすその日までお元気で。ハイル・ヒトラー”
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||||
”私たち二人でケルンの空、オランダやベルギーの海を守っています。こないだは失敗してしまったけれど、今度こそ目標を全機撃墜したいです。お父さんもベルギーの前線で勇猛果敢に戦っていると施設長がおっしゃっていました。離れ離れに暮らしているのは、やっぱりまだ少しさみしいですが、親子揃って帝国に殉じていることを誇りに思います。いつか、祖国に勝利をもたらすその日までお元気で。ハイル・ヒトラー”
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||||
私は手を伸ばして紙面をタイプライタから外した。机の上に準備しておいた封筒に合わせて紙面を折りたたんで、なんとか便箋に仕立てる。最後に切手を封筒の上に貼り付けると、椅子から立ち上がって左に五歩、手に取った鞄に封筒を入れて、右に三歩。今月からは忘れないように外套を羽織らないと寒くていけない。
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||||
くるりと身体を回転して、ドアに手がぶつかるまで進む。触れたらすぐに引っ込めて、ドアノブを優しく掴んで回す。ドア横に立てかけた杖を掴んで、隣の部屋に呼びかけた。
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||||
「リザちゃん。 お手紙をポストに入れてくるね」
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||||
すると、部屋の奥から物音がして彼女が答えた。
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「待って、私もついていく。リハビリしないと」
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ややぎくしゃくとした軌跡を描いてやってきた彼女と並んで玄関のドアを開けようとしたところ、先に扉の方が開いて遠ざかっていったので手が空を掴んだ。
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「管制官大佐どのから命令書類を預かっています」
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||||
「施設長大佐どのから命令書類を預かっています」
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若い男の人のはきはきした声が耳に届いた瞬間、波打った白線が目の前に自分より二フィート半高い、痩身の人形を模った。
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「あら、どうも」と慇懃に言って書類を受け取ったリザちゃんは、その割にびりびりとぞんざいな音を立てて命令書の封筒を破って開けた。読み終わった彼女はたちまち声音を変えた。
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||||
「これは……今すぐ実行しなければならないのかしら」
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@ -370,7 +375,7 @@ tags: ['novel']
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||||
---
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||||
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||||
"SS特別管制官大佐より、辞令を言い渡す。マーリア・クレッセン、およびリザ・エルマンノ両名の国家魔法少女は直ちにポーゼンに向かい、以下に示す現地における作戦行動に従事せよ。1:同封地図上に存在する研究施設の徹底的な破壊 2:敵勢力の排除 なお、これまでの国軍への貢献を評価し、同両名に新たな軍階級章を授ける。この書類を受け取った時点から両名を臨時大尉とする。以上。"
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"SS特別施設長大佐より、辞令を言い渡す。マリエン・クレッセン、およびリザ・エルマンノ両名の国家魔法少女は直ちにポーゼンに向かい、以下に示す現地における作戦行動に従事せよ。1:同封地図上に存在する研究施設の徹底的な破壊 2:敵勢力の排除 なお、これまでの国軍への貢献を評価し、同両名に新たな軍階級章を授ける。この書類を受け取った時点から両名を臨時大尉とする。以上。"
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||||
命令書を物憂げに読み上げるリザちゃんと対照的に、私の口からはのんきな声が衝いて出た。
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||||
「昇進したんだ、私たち」
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||||
「こんなのなんの意味もないわ。師団を率いているわけでもないのに。私たちはお払箱になったのよ」
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||||
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@ -400,17 +405,17 @@ tags: ['novel']
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|||
「ええーっ」
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||||
それって、命令違反だ。と、ごくまっとうな考えが心を占めた直後で、ざわざわと良くない想像が足元から胸までせり上がってきた。私たちの魔法を使っても、昼間の今からだとポーランドまでたどり着くのには早朝になる。途中で下りて一旦休まないといけないからだ。ということは、寄り道をして一時間か二時間、遅く着いたとしても、軍の人たちにばれる心配はない。
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||||
お父さんに会える。
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||||
でも、もしばれたら管制官にきっと怒られる。怒られたことは一度もないけど、男の人たちがとても怖がっているからすごく怖いに違いない。
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||||
でも、もしばれたら施設長にきっと怒られる。怒られたことは一度もないけど、男の人たちがとても怖がっているからすごく怖いに違いない。
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||||
「それって命令いは……」「はい、遅い。行く気が全然ないなら即答のはず」
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||||
ぴしゃりとしたリザちゃんの見透かした物言いに、しかし私は一言も言い返せなかった。続けざまに彼女は畳み掛ける。
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||||
「それにほら? ベルギーチョコレートだって買えるかもしれないし」
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||||
決定的な一言だった。私はまだベルギーチョコレートを食べていない。あの後、幾度となく管制官にお伺いを立てる機会はあったものの、全機撃墜を果たせなかった負い目から言えずじまいだった。それでもお給料はしっかり毎月頂いている。私が自分で行けば、ベルギーチョコレートも買えるし、お父さんにも会える。
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決定的な一言だった。私はまだベルギーチョコレートを食べていない。あの後、幾度となく施設長にお伺いを立てる機会はあったものの、全機撃墜を果たせなかった負い目から言えずじまいだった。それでもお給料はしっかり毎月頂いている。私が自分で行けば、ベルギーチョコレートも買えるし、お父さんにも会える。
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||||
「ちょっとだけなら」
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||||
もじもじしながらうなずく私に、彼女は言う。
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||||
「旅行鞄の隅っこを空けておかないとね。チョコレート、たくさん買いたいでしょ」
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||||
私はまたこくりとうなずいて、それから遠出の準備に取り掛かった。
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||||
自分の身体がまるまる折りたたんで入りそうな大きさの旅行鞄に、持っているお洋服をどんどん詰め込んでいく。干し肉とか、炒ったスイートコーンとか、豆の缶詰も入れる。ピクニックの時期からはだいぶ離れているのに、こうして荷造りをしていると小さい頃を思い出す。初めから終わりまでお父さんに手を引かれていたのに途中で疲れてしまって、帰り道はおんぶをねだったのだった。
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||||
外套の下にも重ね着をして厚手の手袋をはめた。そして最後の最後に、旅行鞄の一番上に、私たちの勝負服であり、軍服であり、戦闘服でもあるオーバードレスを飾るように畳み入れる。どんな時でも作戦行動中は軍規に則らなければならない。
|
||||
外套の下にも重ね着をして厚手の手袋をはめた。そして最後の最後に、旅行鞄の一番上に、私たちの勝負服であり、軍服であり、戦闘服でもあるオーバースカートを飾るように畳み入れる。どんな時でも作戦行動中は軍規に則らなければならない。
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||||
でも今は、規則を破って裏庭から空を飛ぼうとする、もこもこしたただの魔法少女だ。タイプライタを担いで持っていこうとしてリザちゃんと散々揉めた後、手紙を書く時は彼女に代筆してもらう約束を取り付けてなんとか家に捨てていく決心がついた。
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||||
「曇ってるわね」
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「滑走路じゃないところで飛ぶのって久しぶり」
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@ -484,30 +489,30 @@ tags: ['novel']
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「たぶん、あれだけ痛めつけたらしばらくは使えないわ。それに、私たちの身体は国家のものなのよ」
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あちこちに敵国の伏兵が潜むブリュッセルの空で、二人してしばらく見つめ合った。言い争うまでもなく答えは明らかだった。
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「帰ろう、ケルンの基地に」
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前線を離脱してケルンのお家に逃げ帰った私たちは、急いで乱れた髪の毛を整えて格好を取り繕った。今度こそオーバードレスに着替える。予想通り、外套にはいくつか穴が開いてしまっていたけれど、幸いにも9mmパラベラム弾だったのでさほど気にならなかった。もし.45ACP弾だったらリザちゃんにお裁縫をお願いしないといけなかったかもしれない。
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||||
前線を離脱してケルンのお家に逃げ帰った私たちは、急いで乱れた髪の毛を整えて格好を取り繕った。今度こそオーバースカートに着替える。予想通り、外套にはいくつか穴が開いてしまっていたけれど、幸いにも9mmパラベラム弾だったのでさほど気にならなかった。もし.45ACP弾だったらリザちゃんにお裁縫をお願いしないといけなかったかもしれない。
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||||
あわてて外に飛び出すと、顔に当たる太陽光の角度で夕方に近づいている様子が分かった。こないだよりもさらに早い足取りで突き進むリザちゃんに引っ張られて、基地までの道のりを走るようにして歩く。煙臭いケルンの街にはもう行き交う人々の軌跡は描かれない。チョコレートを奪おうとした男の子たちも、会社に急ぐ男の人も、かつかつとハイヒールの音を甲高く鳴らして白線を泡立てる女の人も、めっきり映らなくなった。
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「身分証明証を」「はい」「失礼しました、どうぞお通りください大尉どの」前回よりほんの少し待遇が良くなった手続きを矢継ぎ早に済ませて基地の中に入り込む。大股で歩く大柄な男の人たちが次々と、どんなに広い廊下でも壁にぴたりと背を向けて敬礼を送る。私たちが先に敬礼しなければいけない相手は管制官しかいないみたいだった。
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「身分証明証を」「はい」「失礼しました、どうぞお通りください大尉どの」前回よりほんの少し待遇が良くなった手続きを矢継ぎ早に済ませて基地の中に入り込む。大股で歩く大柄な男の人たちが次々と、どんなに広い廊下でも壁にぴたりと背を向けて敬礼を送る。私たちが先に敬礼しなければいけない相手は施設長しかいないみたいだった。
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「ずいぶん時間がかかったようだが」
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執務室に入り、めいいっぱいの声で敬礼すると管制官はそれを遮るように言った。道中、なにか言い訳を考えなければと思ってはいたものの、どう頑張っても管制官を納得させられるような賢い物言いは湧いてこなかった。
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執務室に入り、めいいっぱいの声で敬礼すると施設長はそれを遮るように言った。道中、なにか言い訳を考えなければと思ってはいたものの、どう頑張っても施設長を納得させられるような賢い物言いは湧いてこなかった。
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「申し訳ありません。お昼寝をしていましたの。長旅のために体力を回復しなければ、と……」
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「ほう。リザ・エルマンノ臨時大尉も同じかね」
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「……さようでございますわ。私たちの能力を使っても夜明けまでかかる距離ですし、仮眠を一度しておいた方が効率的かと」
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表情が判らなくても視線の圧力を感じる。無言の間がしばらく続いた後、ようやく管制官は「まあいい」と静かに言った。
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表情が判らなくても視線の圧力を感じる。無言の間がしばらく続いた後、ようやく施設長は「まあいい」と静かに言った。
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息を潜めたまま安堵のため息を吐くのはとても難しかった。冗談ではなく、無断で魔法を行使したことも、戦闘したことも、ベルギーに行っていたこともばれてはいけない。
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「いずれにせよ、速やかに作戦行動に入ってもらう。地図で示された場所はソ連軍が侵入してきている領域でもある。くれぐれもやつらに施設を占領されぬよう、徹底的に破壊せよ」
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「はっ」
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リザちゃんが先んじて命令に応じる中、私は出し抜けに質問を繰り出した。
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「ソ連兵……ポーランドに来ているんですか?」
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今年の夏に入りかけた頃、管制官はフューラーが軍隊を一休みさせているとおっしゃっていた。ソ連兵も手強くて一筋縄ではいかないみたい。でも、今は十一月。これだけたっぷりと休めたのなら、今頃はモスクワに鉤十字が掲げられていてもおかしくない。ポーランドにソ連兵が迫ってきているという話は意外に思われた。
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今年の夏に入りかけた頃、施設長はフューラーが軍隊を一休みさせているとおっしゃっていた。ソ連兵も手強くて一筋縄ではいかないみたい。でも、今は十一月。これだけたっぷりと休めたのなら、今頃はモスクワに鉤十字が掲げられていてもおかしくない。ポーランドにソ連兵が迫ってきているという話は意外に思われた。
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「やつらは虫みたいな連中だ。後から後から、うじゃうじゃと湧いてくるから手がつけられない」
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いつになく声を震わせ、硬質さに翳りを見せる管制官の姿はいつもと違って映った。
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いつになく声を震わせ、硬質さに翳りを見せる施設長の姿はいつもと違って映った。
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「でも我々の軍隊なら虫なんてへっちゃらに違いませんわ」
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私が声を張り上げると、管制官も自信を取り戻してくれたのか力強く答えた。
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私が声を張り上げると、施設長も自信を取り戻してくれたのか力強く答えた。
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「もちろん、そうだとも。我々がかの地を支配することは神に約束されているのだから」
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滑走路に向かう道すがら、珍しく管制官が相伴を名乗り出てきて一緒に寒空に身を晒した。普段なら執務室で行われる許可が、静かな滑走路の上で行われる。
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「私、アルベルト・ウェーバーSS特別管制官大佐の権限により、魔法能力の発動を許可する」
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正式な許可が下り、付き添いの兵士たちが私たちに無線機を背負わせた。頭にはカチューシャのようななにか。オーバードレスは外套の下に着込んでいる。耳に当たる装置から流れる、静かなハムノイズの音が作戦の開始を強く印象付ける。
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出撃の直前、ふと、私は外套のポケットにしまいこんだままの手紙を思い出した。あわててポケットから取り出して、目の前の管制官に差し出した。
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滑走路に向かう道すがら、珍しく施設長が相伴を名乗り出てきて一緒に寒空に身を晒した。普段なら執務室で行われる許可が、静かな滑走路の上で行われる。
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「私、アルベルト・ウェーバーSS特別施設長大佐の権限により、魔法能力の発動を許可する」
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正式な許可が下り、付き添いの兵士たちが私たちに無線機を背負わせた。頭にはカチューシャのようななにか。オーバースカートは外套の下に着込んでいる。耳に当たる装置から流れる、静かなハムノイズの音が作戦の開始を強く印象付ける。
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出撃の直前、ふと、私は外套のポケットにしまいこんだままの手紙を思い出した。あわててポケットから取り出して、目の前の施設長に差し出した。
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「あの、ごめんなさい。もしお手数でなければ、父への手紙をどうか送っておいてもらえませんか。ポーランドからだと、届きそうにありません」
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相手がしばらく無言だったのでおずおずと引っ込めかけたその手を、革手袋をはめた大きな手のひらが包み込んだ。ふふっ、と穏やかな笑い声も聞こえたので、私はようやく安心することができた。
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「喜んで預かろう。実は、私からも贈り物がある」
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お店には誰もいなかった。これを”手配”した人は、どうやってそんなにたくさんのチョコレートを買えたのだろう?
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「リザ・エルマンノ、出撃します」
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リザちゃんの張り上げた声でまとまりのない疑問から現実に引き戻された。一旦、チョコレートはポケットに収めて、私も威勢よく声をあげる。
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「マーリア・クレッセン、出撃します」
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光の源が地面を跳ねのけると、たちまち管制官を模した輪郭は白点と化して真下に沈んでいった。
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「マリエン・クレッセン、出撃します」
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光の源が地面を跳ねのけると、たちまち施設長を模した輪郭は白点と化して真下に沈んでいった。
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かりかりと鉛筆を走らせる音を止めて、リザちゃんが忠告した。
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「ブリュッセルが占領されたことなんて私たちは知らない」
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「あ、そうだった」
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お手紙を書くのにも我が国にはルールがあるのだと管制官によく教えられた。みんながルールを守っているか確かめるために、お巡りさんみたいな人たちが代わりにお手紙を読んでくれるのだという。そこでルールを守っていないと判ると「ケンエツ」されてしまう。お話を書き慣れていなかった頃はよく「ケンエツ」されて、管制官と会うたびに窘められた。私が国家魔法少女になったことは、もちろんお父さんも知っているので書けるけれど、作戦に関わることは書いちゃいけない。ブリュッセルの話もたぶんそうだ。ルールは守らないといけない。
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お手紙を書くのにも我が国にはルールがあるのだと施設長によく教えられた。みんながルールを守っているか確かめるために、お巡りさんみたいな人たちが代わりにお手紙を読んでくれるのだという。そこでルールを守っていないと判ると「ケンエツ」されてしまう。お話を書き慣れていなかった頃はよく「ケンエツ」されて、施設長と会うたびに窘められた。私が国家魔法少女になったことは、もちろんお父さんも知っているので書けるけれど、作戦に関わることは書いちゃいけない。ブリュッセルの話もたぶんそうだ。ルールは守らないといけない。
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「じゃあ、今のは削って……」
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次の段落を考えるのには苦労した。ポーランドに行っていることは書けない。つまり、今の私たちの生活も書けない。一旦、ベルリンで休憩してからポーランドに飛んだ私たちは大して進まないうちに地上に降りざるをえなくなった。イギリスの戦闘機がうるさい蚊なら、ソ連の戦闘機は濃硫酸の大雨に等しかった。ひと粒の雨を振り払うたびに身体が焼け焦げ、秒を追うごとに他の雨粒が全身を貫かんとして降り注いでくる。ソ連兵が攻めてきているという話は本当だった。
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そこで私たちは経路を大幅に迂回して北からポーゼンに向かう作戦を採った。それでもソ連兵はわらわらとどこからでも姿を現して、一向に尽きる気配がない。まるで地面から無尽蔵に生えてきているかのように感じられた。
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「あの時もちょうど冬の頃で、家じゅうのお洋服を着込んで、それでも寒かったからお父さんの膝の上に座ってた」
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そこで読んでもらった絵本が当時の私の知っている世界のすべてで、そのうちの一冊がピノッキオだった。ピノッキオの冒険。何度もせがんで読んでもらったお気に入りのお話だけど、結末だけは今もあまり好きじゃない。様々な苦難を乗り越えたピノッキオは最後、妖精に認められて人間に生まれ変わる。
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どうして、木のままではいけなかったのだろう。ピノッキオは色んなことができて、苦しい試練があっても楽しく暮らしている。松の木でできているからこそ、あんなにどきどきするような大冒険の日々に恵まれている。人間に生まれ変わってしまったら、特別でもなんでもない普通の子だ。
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もし私の目を普通の人と同じにできるとしても、代わりに魔法少女でなくなるのなら、私はずっと見えないままでいい。「役目を持った人にしか神は祝福を授けない」と、管制官もおっしゃっていた。
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もし私の目を普通の人と同じにできるとしても、代わりに魔法少女でなくなるのなら、私はずっと見えないままでいい。「役目を持った人にしか神は祝福を授けない」と、施設長もおっしゃっていた。
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「お父さんってどんな人なの」
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私の数歩先を先導して歩きながらリザちゃんが言った。
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「えっとね、優しくて、賢くて、なんでも知ってるの」
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「本当に牧場だった、牛もいる」
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さらに歩いた後、リザちゃんが感慨深そうにつぶやいた。手をのばすと乾いた薄い木の感触が伝わる。ぺたぺたと手を動かすと輪郭が分かる。これは、ゲージだ。
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「ミルク、分けてくれるといいな」
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のんきなお願いに最初は朗らかに応じていた彼女が、家の近くにまで足を伸ばした途端に声をこわばらせる。「いえ、それは無理そうね」首を傾げて「どうして」と問うと、質問には答えず「いつでも飛べるようにして」とだけ答えた。もう家はすぐそこなのに。だって、ほら、家の中から男の人たちの楽しそうな声が聞こえる。
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のんきなお願いに最初は朗らかに応じていた彼女が、家の近くにまで足を伸ばした途端に声をこわばらせる。「いえ、それは無理そうね」首を傾げて「どうして」と問うと、質問には答えず「いつでも飛べるようにして」とだけ答えた。もう家はすぐそこなのに。だって、ほら、家の中から男の人たちの楽しそうな声がさっきから聞こえる。
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男の人たち?
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次第に、リザちゃんが心配していることが分かった。彼女のオーク材の手が木でできた扉を強く叩くと、ちょっと変な響いて家の中の男の人たちの声も止んだ。ぼそりと私に告げてから――「もしソ連兵がたくさんいたら、即離脱よ」――家の中に向かって叫んだ。言われた通りに私は踵をわずかに浮かせる。
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「あの! すいません! 食糧を分けてもらえませんか!」
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リザちゃんも本当は疲れているのだろう。丁寧に教えるのをいい加減におしまいにして、男の人の目の前で指を「ぱっちん」した。すると、激しく火花が散る音がして奥の人たちをざわめかせた。特に男の人は驚いて、どたんと尻もちをついて倒れこむほとだった。痛くはなくとも間近でやられるとけっこうびっくりする。肌がぴりっとするからだ。
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魔法の力を直に見て、鞄の中の身分証も見た彼らは一転、私たちを文字通りの上官待遇で出迎えてくれた。扉を開けた男の人が彼らの中では一番偉く、ウルリヒ伍長と名乗った。本隊からはぐれて撤退を模索するも、あちこちにいるソ連兵に阻まれて立ち往生していたところ、ちょうどこの民家を見つけたので「セッシュウ」したのだという。セッシュウ。じゃあ、ここはもうポーランドじゃなくてドイツのものなんだ、と私は納得した。
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そして、待ちに待った温かい食事がやってきた。彼らはすでに食事を終えていたらしく、私たちのために大きい身体をあくせくと動かしてシチューと黒パンをたんまりと振る舞ってくれた。私のぶんはまずリザちゃんに渡されて、彼女から私にそっと手渡された。やけどしそうなほど熱いシチューがお腹の中にすとんと落ちていって、じんわりと体中が温まった。あっという間に食べ尽くした後に冗談めかしておかわりを要求すると、すぐさまなみなみと注がれたシチューと、追加の黒パンがやってきた。私たちって本当に偉いんだ、と階級章のありがたみを初めて実感した。
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「でも、リザちゃん、よく気づいたね」
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シチューと黒パンを同時に口いっぱいに頬張りながら、ひと心地ついた安心感でふとした疑問が頭に舞い戻ってくる。
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「なにに?」
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「男の人たちが中にいるってこと。耳がいい私でももう少し近づかないと分からなかったのに」
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ややあってリザちゃんは静かに「別に、ただの勘よ」と答えた。「ふうん。ソ連兵じゃなくてよかったね」と私も返す。
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食事が済むと、ウルリヒ伍長がのしのしと近づいてきた。私たちの目的を知りたいみたいだった。「えっとね、ポーゼンにある研究施設を壊さないといけないんだって」と言うと、伍長さんは「ポーゼンか」とつぶやいて、しばらく黙りこくった。「貴殿らの魔法で、施設と言わずポーゼンの拠点全体を破壊できないか? 後方を撹乱してソ連兵の進軍を遅らせたい」この提案にはリザちゃんが応じた。「どうかしら。私たちの力は無限ではないの。傷を負ったり疲れると徐々に失われる。ソ連兵の規模によるわ」伍長さんは、またうなった。「もちろん、我々も随伴する。このままおめおめとベルリンに逃げ帰っても状況は良くならない」同じ部屋にいるであろう兵士たちがざわめいたが、伍長さんは無視して続けた。「どうか、頼む。その研究施設とやらの破壊にもぜひ協力しよう。長くいすぎたせいで少々、土地勘もあるしな」
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今度こそ、私が先に答える。
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「いいと思う。たくさん味方がいた方が有利になるよ。ご飯を食べたから私たちも元気になったし」
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お父さんほど歳が離れていそうな男の人に深々と頭を下げられるのは慣れないけど、初めて自分に部下ができたような気がしてちょっぴり誇らしい気持ちになった。
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||||
さっそく、伍長さんは分隊員を呼んで私たちの前に整列させた。それぞれ、アルベルト、エルマー、ハンス、クルツ、オットー、パウルと自己紹介した。できるだけ上官らしさを意識した態度で、顔をつんとあげて「ひざまずいてちょうだい」と言うと、三フィート以上も背の高い男の人たちがさっと腰を落とした。一人一人の顔をぺたぺたと触っていくと、私の視界の中の白線が細かい輪郭を描き出す。
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「マーリア臨時大尉どのは目が見えないでございますか」
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さっそく、伍長さんは分隊員を呼んで私たちの前に整列させた。それぞれ、アルベルト、エルマー、ハンス、パウルと自己紹介した。できるだけ上官らしさを意識した態度で、顔をつんとあげて「ひざまずいてちょうだい」と言うと、三フィート以上も背の高い男の人たちがさっと腰を落とした。一人一人の顔をぺたぺたと触っていくと、私の視界の中の白線が細かい輪郭を描き出す。
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「マリエン臨時大尉どのは目が見えないでございますか」
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芝居めかした口調でパウルが言った。さすがの私でも馬鹿にされていると分かる態度だったので、ちょっとムッとした。
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「そうよ、でもあなたよりずっと強いんだから」
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「おや、それはたいへん恐ろしゅうございますな、大尉どの」
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にたにたと笑うパウル一等兵の顔の輪郭が、声の調子に合わせてゆらゆらと動く。こういう時って大声で怒鳴ったりしないといけないのかな、と考えていたあたりで、横から伍長さんが「上官にその口の聞き方はなんだ」とたしなめると彼はすぐに直立不動の姿勢になおった。
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「申し訳ない、こいつらは国民突撃隊上がりで」
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国民突撃隊、と聞くとケルンの街角で管制官に叱られていた男の子たちを思い出す。彼らもそのうちこうやって兵士になっていくのだろうか。この兵士たちも昔はああいう感じだったのだろうか。大人の男の人はみんな紳士なのに、男の子はどうしてあんなに乱暴なんだろう。男の子はいつ、どこで急に「紳士」に早変わりするんだろう。
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暖炉の火の灯った温かい部屋でうたた寝をしていると、夜が来るのも早かった。作戦行動の細かい指示はリザちゃんが伍長さんと相談して決めていたので、私がすべき仕事は特になにもなかった。アルベルト一等兵が沸かしたお風呂に入って、エルマー一等兵が温め直した夕飯を食べ、クルツ一等兵にトイレを案内してもらい、オットー一等兵が整えた客室のベッドで眠ればよかった。最後に、パウル一等兵がのそのそと近づいてきて、私のそばに座った。吐く息がお酒くさかったので、手には酒瓶かなにかが握られているに違いなかった。
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国民突撃隊、と聞くとケルンの街角で施設長に叱られていた男の子たちを思い出す。彼らもそのうちこうやって兵士になっていくのだろうか。この兵士たちも昔はああいう感じだったのだろうか。大人の男の人はみんな紳士なのに、男の子はどうしてあんなに乱暴なんだろう。男の子はいつ、どこで急に「紳士」に早変わりするんだろう。
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暖炉の火の灯った温かい部屋でうたた寝をしていると、夜が来るのも早かった。作戦行動の細かい指示はリザちゃんが伍長さんと相談して決めていたので、私がすべき仕事は特になにもなかった。アルベルト一等兵が沸かしたお風呂に入って、エルマー一等兵が温め直した夕飯を食べ、ハンス一等兵が整えた客室のベッドで眠ればよかった。最後に、パウル一等兵がのそのそと近づいてきて、私のそばに座った。吐く息がお酒くさかったので、手には酒瓶かなにかが握られているに違いなかった。
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「よう、臨時大尉どの」
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「なによ」
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つん、とすました顔で応じたが、彼はまったく意に介さない様子で会話を続ける。
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@ -652,43 +652,6 @@ tags: ['novel']
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「ちぇ、なんだよ、つれないな」
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意外にもパウル一等兵はつきまとうのでもなく、嫌味を繰り返すのでもなく、あっさりと引き下がった。ちゃぷちゃぷと液体が揺れる音を手元でたてながら、頼りない足取りで遠ざかっていく。身体は大きいのにまるで子どもみたいな人だと思った。
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入れ替わりにリザちゃんが部屋に入ってくる。石鹸のいい匂いがしたので、彼女もお風呂に入ったと分かった。昨日とはうってちがって、まるで高級ホテルに泊まったかのような変わりようだ。
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「あのね、リザちゃん――」
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「しっ、黙って聞いて」
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けれども、彼女の声は暗く沈んでいた。そういえば食事の時もその後も、あまり喋っていなかった。いくら私よりお姉さんでもお腹いっぱいに食べられて嬉しくないはずがないのに、どうしてこんなに怖い声を出すのだろう。私はふかふかのベッドに横たえていた身体を起こして、姿勢をしゃんと正さなければならないような気がした。
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「話そうかどうかすごく迷ったんだけど、やっぱり話しておくべきだと思ったの。今後のためにも」
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案の定、リザちゃんの声は低いままだった。
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「どうしたの……」
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「昼に、なんで先に中に人がいるのか分かったかって、聞いたわね」
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「うん」
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「ゲージの近くには死体があったの、歳をとった男の人と女の人。きっと夫婦だわ」
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「えっ」
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知らなかった。あの時はいろんな気持ちでいっぱいだったから、視界を白線で満たす努力を怠っていたのだ。とはいえ、踵をめいいっぱい踏み鳴らしたところで私には死体と麻袋の区別もつかない。となると、当然の疑問が口を衝いて出る。
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「なんで教えてくれなかったの?」
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||||
「ごめんなさい」
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珍しく、ちょっぴり高飛車なお姉さんが素直に謝ったので、ぎょっとした。それから、せきを切ったように話しはじめる。
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「こう言ったらなんだけど、むしろ、ソ連兵が二、三人だけいる方がずっと楽だった。それくらいなら簡単に倒せるもの。そして、素知らぬ顔で家の中のものを食べて、平然と寝ていられた。でも、ここにいたのはドイツ軍人だった。私たちの味方、友軍。あの死体は、まだ真新しかったわ」
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急に、ふかふかのベッドが石みたいに固く感じられた。おいしいご飯で満たされた胃袋がひっくり返って、浴びたお風呂のお湯が汚水に変わったようだった。
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「殺したの、あの人たちが」
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「それ以外に考えられる? 台所も見たけど、お料理をした様子はなかったわ。今日食べたシチューだって、外にある死体が生きていた時に作ったものなのよ」
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||||
口の中いっぱいに、コーヒーよりもひどい苦味が押し寄せた。今すぐこれを取り払えるのなら、昨日のコーヒーを一パイントぶん飲んでも構わないと思った。
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「なんで、なんで……」
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「だから、ごめんなさい。私も限界だったの。もし、このことを事前に言っていたら、あなたはどんなにお腹が空いていても我慢したでしょう。誰もいない店のチョコレートを手に入れるのに財布を空っぽにするくらいだもの」
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彼女の輪郭を模る白線はわなわなと小刻みに震えていた。私はゆらめく曲線の軌跡を追いながら、考えた。前もって知っていたら、本当に彼女の心配する通りに私は我慢できただろうか。知っていても、やっぱり耐えられなくてシチューをもらったんじゃないだろうか。すっかりお腹が満たされて、お風呂を浴びて、ふかふかのベッドの上にいる今となっては、その時の自分がどうしていたかなんて全然分からない。
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分かっているのは、私も一緒に決めなきゃいけないことを、全部彼女が代わりに決めてくれたということだった。
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「明日からは二人で用心しましょう。彼らは友軍だけど、人殺しよ。なるべく黙っていたかったけれど、今後のために、どうしても言わなくちゃいけなかったの」
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「……ありがとう、私も、ごめんなさい」
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部屋がしん、と静まり返った。もし、私がもっと頼りがいのあるお姉さんだったら、彼女も遠慮なく私に相談できたのかもしれない。もし、私が意地っ張りじゃなかったら、彼女も一人で抱え込まずに一緒に罪を分け合えたかもしれない。
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ただ与えられるままにして食べるシチューは、とてもとてもおいしかった。人生で一番おいしかった。これからは、二度と味わえない。決して味わえない。
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”一九四六年十一月三〇日。これからは日記を書くことにします。お手紙として書くと「ケンエツ」されてしまうけれど、戦争が終わって平和になった後にお父さんに手渡すぶんにはその心配はいりません。その頃には秘密だったことも色々とお話できるようになっているでしょうから、きっと大丈夫です。なにより、誰かに自分の考えていることを正直に話さないといい加減におかしくなってしまいそうです。”
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「いいの、こんなこと書いて」
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鉛筆の音と交互にリザちゃんが心配そうに言う。
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「うん、いいの。かっこつけるのも疲れちゃった」
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”私たちは今、合流した分隊と一緒にポーランドの地を進んでいます。ソ連兵に見つからないようにこそこそと、まるでねずみみたいに歩くのは疲れます。幸い、まだ敵には一度も見つかっていません。一週間近くも南下し続けたののでそろそろ目的地につくでしょう。ぶんぶん飛び回りもしないし、撃ってもこない建物を壊すのは楽だと思います。早く任務を遂行して、ベルリンに戻らなければなりません。あれほどのソ連兵が押し寄せたら、いくら最強の我が軍でも苦戦するかもしれません。どうして管制官は私たちにベルリンを守る役目を仰せつけなかったのでしょうか?”
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相変わらず、私は新しくできた部下たちに助けを借りている。昨日となにも変わらないはずなのに、なにやらべたべたした質感の汚れが上塗りされている感じがした。私がなんでも一人でできたらこういう気持ちから逃れられたと思うと、地面のかすかな振動に合わせて曖昧に揺れ動く白線の軌跡が妙に恨めしかった。
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リザちゃんから聞いた話によると、私たちはシュナイデミュールと呼ばれる小都市を通り過ぎてポーゼンの北東付近にまで接近しているらしい。目標の「研究施設」を破壊するためにポーゼンの市街地まで行く必要はないけど、伍長さんとの約束で街を解放してあげないといけない。『たとえ人を殺して家を奪った兵士たちでも、軍事上の利害は一致している』リザちゃんの前に言った言葉を半ばおまじないのように頭の中で繰り返した。どのみち、私たちにはなにもできない。お巡りさんも判事さんもここにはいない。
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