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Rikuoh Tsujitani 2024-02-15 15:14:21 +09:00
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 指揮系統に彼女を組み込む都合上、どうしてもそれなりの地位を与える必要性があったのだろう。小隊長程度の命令に左右されるようでは並外れた戦闘能力をいかんなく発揮できないし、かといって高級将校に堂々と楯突かれては作戦遂行の妨げになる。大尉相当官として扱うのは理にかなっている。
「じきにあなたの飼っている犬も少尉になりますよ」
 笑ってくれた。いい感じだ。著名人のInstagramはこまめにチェックしておかないといけない。以前は本当に面倒くさかったが、今時は手頃なプランの機械学習ツールにまとめて投げればイヤフォンで文字起こしの要約が聞ける。
”ハーイ、私はメアリーです。父と母と祖父母と従兄弟と、一族みんなで仲良く暮らしています。三つ年下の妹もいます……。”
「ところで、ついさっきまではロサンゼルスにいましたよね。そっちでも記者連中に捕まっていたので?」
「そうね、映画の出演者インタビューに出てて」
 彼女が目配せをする。当然知っているんでしょ、とでも言いたげだ。まだ五秒足らずのフッテージしか出回っていない作品だが、もちろん知っている。業界関係者の知人から第二次世界大戦で辛い役目を背負わされた魔法能力行使者の話だと聞いた。珍しく親が俳優でも富豪でもインフルエンサーでもないのに公募のオーディションからじわじわと登り詰めてきた彼女の、初の主演作品だ。
「ええ、やっぱり空を飛ぶシーンとかは自分の魔法でやるんですか?」
「ええ、やっぱり空を飛ぶシーンとかは全部自分の魔法でやるんですか?」
「意外にそうでもないわ。CGの方がリアルに見えるって変よね、でも画面で観ると本当にそうなの」
「あなたの世代からすると変に聞こえるでしょうが、一昔前はドイツの話を撮りたかったら本当にドイツに行ってたんですよ」
「まあ、私ひとりだけならそんなに面倒じゃないわね、なんて」
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「では質問の続きを。これまでになんらかの軍歴、民間軍事企業での勤務経験、またはその他戦闘経験をお持ちですか?」
「いいえ」
 淀みなく答える。
 即答で応じる。
「紛争地域などでの取材経験は?」
「ありません」
「なるほど」
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 都市を抜けるとまた広大な渓谷と砂漠が待ち受けていた。ここからTOAが定めた首都圏内に入るまではほぼ似たりよったりの景色が続くことになる。こんなただ開けた場所で敵がわざわざ襲いかかってくるわけでもなく、とっくの昔に航空戦力が払底して久しい敵軍の実情もあり、我々は涼しい戦闘車輌の中に舞い戻った。空中を偵察している彼女もとうとう暑さにやられたのか、定期的に車輌のハッチを開けて涼みにやってくる。軍事用の火炎放射器をくすぐったがるこの動画は特に再生数が多い彼女でも暑さや寒さの不快感は拭いがたいらしい。
「私が思うに、行使者にとって危険かどうかで選り分けられているんじゃないかって」
 向かい合わせの長椅子で対面に座った魔法少女がカメラの前で自説をしゃべる。
「もし触覚が線形で変化しているなら一〇五ミリ戦車砲の直撃が”いたっ”で済む私は、なにを触ってもほとんど感覚を得られないはず。でも、私の感じ方は下から三番目の魔法能力等級だった歳の頃とあまり変わってない」
「もし触覚が線形で変化しているなら一〇五ミリ戦車砲の直撃が”いたっ”で済む私は、なにを触ってもほとんど感覚を得られないはず。でも、私の感じ方は下から三番目の魔法能力等級だった歳の頃とあまり変わってない」
「じゃあ、身体感覚は普通の人と変わらないのか」
「”普通”がなんなのか自信はないけど、たぶんそう。熱いコーヒーは私にとっても熱い。火傷はしないけど」
「それは良かった。わざわざ余計に歩いて専門店のコーヒーを差し出した甲斐がある」
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「偉くない軍人の人は言葉遣いがひどいけどちゃんと話している気がする。それも訓練を受けて初めて知ったの」
「なるほどね」
 シットもファックもオープンフリーなのは今や逆に特権かもしれない。どんなささやかな田舎の小役人も、オフィスの一角に両肩より気持ち広い程度の机しか持たないデスクワーカーも、今ではみんな間違えることを恐れている。
 金と立場に恵まれている人間は雲の上の神に教えを請うことでそのリスクを極限まで減らしているが、そうでない人間はせいぜいハウツー本でも読んで朝令暮改で変わるルールに追いすがるしかない。
 金と立場に恵まれている人間は雲の上の神に教えを請うことでそのリスクを極限減らしているが、そうでない人間はせいぜいハウツー本でも読んで朝令暮改で変わるルールに追いすがるしかない。
 ふと車輌の外を眺めると、渓谷の隙間に滑り込んだ太陽の光が山々に影を落としていた。この地に住まう連中もきっと変わるのが嫌で、時間の止まった魔法の死体に閉じこもる方を選んだのだろう。
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「この国は国外への移住はいつでも自由と聞いているが」
「自由さ、そりゃあね。だが、魔力の範囲がどこまで届くのかは分からん。少しでもはみでた瞬間に、私たちはただの死体になっちまう。それに」
 黒目しかない双眸がすぼまって私たちに向けられた。
「私たちはもはやまるきりゾンビかアンデットじゃないか。外に出ていけば撃たれて死ぬのがオチだ」
「私たちはもはやまるきり化け物じゃないか。外に出ていけば撃たれて死ぬのがオチだ」
 結局、先の戦いを除いて目立った組織的抵抗はほとんどなかった。この地の方針として警察組織は自警団に取って代わられ、その自警団も仮初の死に慣れすぎたせいで本当に死ぬのが怖くなっている。
 それでも時々、死体にしては活きの良いのが街角でぶっ放してくることがあった。筋力不足なのか極端に縦ブレした銃撃をてんで明後日の方向に散らした後、こちら側の応射をしたたかに食らって二度目か三度目の人生が終了する。
 道の要所を守っている警備隊は例によって上空から魔法少女の一撃でことごとく滅せられた。彼らには次の人生もない。下手に原型を保ったまま死んで爆弾の在庫になるよりは慈悲深いのかもしれない。
 首都が近づいてくるといい加減に荒野は終わり、ささやかな緑地がところどころに見えはじめた。
 度重なる空爆によって痛めつけられたこの地の首都にビルはなく、かといって誰にも必要とされない建物が再度建てられることもなく、いくつかの重要な建築物を除いてはまるで一九世紀末のような景色が遠目に広がっている。
 度重なる空爆によって痛めつけられたこの地の首都にビルはなく、かといって誰にも必要とされない建物が再度建てられることもなく、いくつかの重要な建築物を除いてはまるで入植当時の素朴な景色が遠目に広がっている。
 陽が落ちて空が闇夜に包まれると我々は戦闘車輌でぐるりと周囲を取り囲んだ仮設の陣地を平原に構築して野営を始めた。
 夜中は本来、ストリームの視聴者数をもっとも見込める頃合いだが、戦場で動くのに適した時間帯ではない。
「なんとかここまで来れたね」
@ -316,7 +317,7 @@ tags: ['novel']
「さあ、やってみないとわからないわね。これ以上寝不足になったらやろうかしら」
「おっ、反乱の扇動かな。すぐそこにいる別の魔法能力行使者と気が合うかもしれない」
「そう……たぶん、そんな感じだと思うの……彼女も。追い詰められちゃっただけで」
 彼女は敵の行使者を「彼女」と呼ぶ。どんな人物なのか事前に知らされているのかもしれないが、それを聞くのはさすがにためらわれた。言うまでもなく国家機密だろうからだ
 彼女は敵の行使者を「彼女」と呼ぶ。どんな人物なのか事前に知らされているに違いないが、さすがに国家機密を尋ねるわけにはいかない
 宣伝通り、最後の哨戒を終えた彼女は早々に一台分割り当てられた車輌の中に入って寝静まった。取材対象が寝たなら今日は業務終了だ。みんながそうしているようにカメラのスイッチをオフにする。
 従軍記者の役得で巡回の義務がなかった私もとっくに寝ていいはずだったが、首都に近づくにつれて様々な思い出が去来して寝るに寝られなかった。やむをえず寝袋から這い出て野営地の外れまで歩いた。歩いているうちに思い出は過去から現在に急速に進んで、町長の言葉が脳裏に蘇った。
”外に出ていけば撃たれて死ぬだけさ”
@ -341,17 +342,92 @@ tags: ['novel']
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六年前、一つの国が引き裂かれた。あるいは、とっくにちぎれかけていたのかもしれない。二二四年に実施された大統領選挙において華々しい勝利を手にしたドナルド・J・トランプ新大統領は、さっそく公約通りに議会の権限を大幅に縮小させる大統領令に踏み込んだ。中には憲法の停止も盛り込まれていた。これにより彼は議会の承認を一切得ることなく世界最強の大国を動かす権限を手に入れたのだった。
 だが、四年後の二二八年。彼は苦境に立たされていた。絶大な権力を元手に行われるはずだった数々の改革や刷新はついぞ行われず、もっぱら自身にかけられていた容疑の赦免と借金の免除、関連企業の救済などに大統領令を駆使した彼は、選挙シーズンが来て初めてまだ大統領選挙を廃止していなかったことに気がついたらしい。まだまだいじりたい帳簿が山ほどあったのか、選挙戦の開幕と同時に彼は「内敵より国家を守る決断」と称して独裁を宣言した。直後、名ばかりの終生大統領はホワイトハウスから追い出されることになる。ワシントンD.Cを挟むバージニア州およびメリーランド州政府が即座に離反を宣言したため、じきに南北から殺到するであろう州兵を前に居残る決断はできなかったようだ。
 やや遅れて連邦議会は直ちに満場一致で大統領の罷免を可決、新たな大統領が選出されてワシントンD.Cに首都を置く従来のアメリカ合衆国は速やかに原状復帰されたかに思われた。しかし同時に、いち早く新体制支持を表明したテキサス州に向かったトランプ元大統領は、そこで新たな国家の樹立を主張したのだった。
 かくして、旧アメリカ合衆国はワシントンDCを首都とする新アメリカ合衆国と、テキサス州ダラスを新たな首都とする新国家に分裂した。
 未承認国家TOA、その正式名称はトゥルース・オブ・アメリカ。二日酔いの後の悪夢みたいな馬鹿げた名前を名乗る新国家は、実際の武力行使を伴う現実として旧合衆国国民全員に選択を迫った。歴史的大移動――北から南へ、南から北へ――当然ながら大半の国民は従来のアメリカ合衆国を支持した。ところが、選択肢を持てなかった人間もいる。さしずめテキサス州防衛隊第一九連隊に所属していた州兵の私などはそうだっただろう。競技会で少々腕を鳴らしていた程度の州兵が、わずか数日の間にトゥルース・オブ・アメリカの陸軍大尉に任命されて一個中隊を率いることになったのだ。同日付でテキサス州防衛隊本部は国軍総司令本部に格上げされ、ビールの飲み過ぎで腹が出っ張った顔見知りの上官が准将閣下として召し上げられていった。
 たちの悪い冗談にしか聞こえない見出しが踊るディスプレイを横目で追いながら出動義務に応じると、基地の裏庭で「逃亡を画策していた」とされる数名の下士官が銃殺刑に処されているのを目の当たりにした。処刑した方もされた方も同僚だった。
 こうして私はなし崩し的に戦争に駆り出されたが、以降は特に語るほどのことはない。圧倒的な兵力差に加え、陰謀論者と極右に祭り上げられた狂人の指揮する戦争が有利に運ぶはずもなく、私が率いた中隊は私を含めて一週間と経たずに全員が合衆国軍の捕虜となった。まんまと囚えられた後は無傷で送り返され、今度は合衆国軍のスパイとなった。勤務評価では兵士としてはいまいちでも間諜としては大いに役立ったらしい。三年後、国連安保理決議の採択とともに私はTOAを脱出、自動的に除隊された。三年間のスパイ勤めに対する恩給は、まあそれなりには出た。
 除隊後、公にはできない仕事でキャリアに穴を空けた私に就けるまともな仕事はなかった。社会は内戦が起ころうが母国の一部が空爆されようがほぼ滞りなく進んでいた。以来、LLMには決して書けないような人々を怒らせる小話を書いて日銭を稼ぐ日々だ。あまりうまくはいっていない。軍のツテを駆使してでも基地に入り込んで、魔法少女の特ダネを掴まなければ来年までに貯金が尽きていただろう。
 もっとも、エドガー少尉は多くを知りたがらなかった。「所属部隊は?」「第一九連隊。ここの」「そうですか、苦労しましたね」これで終わりだった。彼が去った後、しばらくして私もようやく眠れそうな気分になったので元いた寝袋にくるまって目を閉じた。起きた後に捕縛されていたら、まあそれはそれで仕方がないと思った。
六年前、一つの大国が引き裂かれた。あるいは、とっくにばらばらだったのかもしれない。二二四年に実施された大統領選挙において華々しく復活を果たしたドナルド・J・トランプ大統領は、さっそく公約通りに連邦議会の権限を大幅に縮小させる大統領令を下した。これにより彼は議会の承認を得ることなく世界最強の大国を動かす力を手に入れたのだった。
 だが、四年後の二二八年。絶大な権力を元手に行われるはずだった数々の改革や刷新はついぞ行われず、もっぱら自身にかけられていた容疑の赦免と莫大な借金の免除、関連企業の救済などに傾注していた彼は、選挙シーズンが来て初めて大統領選挙を廃止していなかったことに気がついた。まだ数字をいじりたい帳簿が山ほどあったのか、彼は「内敵より国家を守る決断」と称して事実上の独裁を宣言した。直後、生まれたての終身大統領はホワイトハウスから即刻追い出されることになる。ワシントンD.Cを挟むバージニア州およびメリーランド州政府が即座に離反を宣言したため、じきに南北から殺到するであろう州兵を前に居残る決断はできなかったようだ。
 実権を取り戻した連邦議会は直ちに満場一致で大統領の罷免を可決、新たな大統領が選出されてワシントンD.Cに首都を置く従来のアメリカ合衆国は原状復帰したかに思われた。ところが、いち早く新体制支持を表明したテキサス州に向かったトランプ元大統領は、そこで新たな国家の樹立を主張したのだった。
 かくして、旧アメリカ合衆国はワシントンDCを首都とする従来のアメリカ合衆国と、テキサス州ダラスを新たな首都とする新国家に分裂した。
 未承認国家TOA、その正式名称はトゥルース・オブ・アメリカ。二日酔いの後の悪夢みたいな馬鹿げた名前の新国家は、実際の武力行使を伴う現実として旧合衆国国民に選択を迫った。歴史的大移動――北から南へ、南から北へ――まもなく、白人至上主義者と陰謀論者の楽園が誕生した。
 一方、選択肢を持てなかった人間もいる。さしずめテキサス州防衛隊第一九連隊に所属していた州兵の私などはそうだっただろう。競技会で少々腕を鳴らす程度の州兵が、わずか数日の間にトゥルース・オブ・アメリカの陸軍大尉に命ぜられて一個中隊を率いることになったのだ。同日付でテキサス州防衛隊本部は国軍総司令本部に格上げされ、ビールの飲み過ぎで腹が出っ張った顔見知りの上官が准将閣下として召し上げられていった。
 たちの悪い冗談そのものの見出しが踊るディスプレイを横目で追いながら出動義務に応じると、基地の裏庭で「逃亡を画策していた」とされる数名の下士官が銃殺刑に処されているのを目の当たりにした。処刑した方もされた方も友人だった。
 こうして私はなし崩し的に戦争に駆り出されたが、以降は特に語るほどのことはない。圧倒的な物量差に加え、短気なインフルエンサーの指揮する戦争が有利に運ぶはずもなく、私が率いた中隊は私も含めて一週間と経たずに合衆国軍に制圧された。まんまと囚えられた後はリサイクルされ、今度は合衆国軍のスパイとなった。勤務評価では兵士としてはいまいちでも間諜としては大いに役立ったらしい。三年後、国連安保理決議の採択とともに私はTOAを脱出、自動的に除隊された。三年間のスパイ勤めに対する恩給は、まあそれなりには出た。
 公にはできない仕事でキャリアに穴を空けた私に就けるまともな仕事はなかった。社会は内戦が起ころうが母国の一部が空爆されようがほぼ滞りなく進んでいた。以来、LLMには決して書けないような人々を怒らせる小話を書いて日銭を稼ぐ日々だ。あまりうまくはいっていない。軍のツテを駆使してでも基地に潜り込んで、魔法少女の特ダネを掴まなければ来年までに貯金が尽きていただろう。
 もっとも、エドガー少尉は多くを知りたがらなかった。「所属部隊は?」「ここの第一九連隊だ」「そうですか、苦労しましたね」これで終わりだった。彼が去った後、しばらくして私もようやく眠れそうになったので元いた寝袋にくるまって目を閉じた。起きた後に捕縛されていたら、それはそれで仕方がないと思った。
 意外にも、朝日に照らされた後の状況に変化はなかった。少尉とは何事もなかったかのように挨拶を交わし、ばっちり睡眠をとって替えの複合素材スーツに着替えた我々の最強兵器は溌剌とした様子でカメラの前に現れた。
「ハーイ、今日は敵地の首都、私たちのテキサス州を奪還しにいきます!」
「ハーイ、今日は敵地の首都、私たちのダラスを奪還しにいきます!」
 我々は戦闘車輌に乗り込んでルート二〇を直進する。先の町民がいたコロラド・シティからやや大きいアビリーンに到達すると緑地は目に見えて増えた。空軍基地の街として知られるこの都市にはもう一機も戦闘機は残っていない。互いの人生が一回目だった頃の戦いで合衆国軍にあらかた撃ち落とされた上に、三年後の空爆でも空軍基地は優先的な破壊目標だったからだ。
 ここ、アビリーンの街並みも荒廃している。住民たちは残った資材を再利用してあちこちにバラック小屋を建てて暮らしている。戦闘車輌が舗装の甘い道路を踏み鳴らして続々と横断していくと、小屋から散弾銃を持った土気色の主人たちが現れたが、特になにもするでもなく我々を見送っていった。こちらもこれ以上はなにもしない。この地の実情はよく分かった。
 ウェザーフォードを越え、フォートワースに着くと兵士たちも多少はピリピリとしてきた。首都のダラスとはもう目と鼻の先、太陽は高く昇っている。他愛もない雑談が減り、魔法少女の空中偵察は格段に回数が増えてあまり涼みに戻ってこなくなった。
「ここからは徒歩で行かざるをえませんね」
 車輌から顔を出したエドガー少尉が振り返って言った。首都侵攻を警戒していたTOA国軍が地雷原を敷き詰めているのだ。街は空爆で閑散としているが地雷はまだ生きていると考えられる。事実、国連安保理決議に基づいて派兵された地上軍のうちの一部は首都にまで迫っていたが、地雷原の処理に手間取り攻めきれなかったという。
 街を目の前にして何台もの戦闘車輌がブレーキをかけて横付けされる。少尉の呼びかけに応じて戻ってきた魔法少女に説明が施された。
「私があそこを踏んでいけばいいのね」
 二つ返事で了承した彼女は前方の道路を堂々と歩いていった。ただし荷重をかけているのか歩みはやや遅い。道路に敷き詰められている地雷は対人用ではないはずなので、反応させるには魔法で圧力をかけてやる必要がある。
 どん、と音がして一瞬、彼女の背中がコンクリート片と砂塵に覆い隠された。等身大の驚きを見せてひっくり返った彼女は、しかしすぐに起き上がり「うわあ、びっくりした!」と私の胸元に向かって叫んだ。二回、三回と繰り返すたびに慣れてきたのか、後半の方ではスキップを踏みながら連続で地雷を起爆させていた。  車を走らせても差し支えない範囲の処理が済むと、我々はまた戦闘車輌に乗り込んだ。念のために前方を走り続けている彼女を撮るために、私は助手席に乗った。
 ストリーミング配信の視聴者にはフロントガラス越しに魔法少女の背中が見えているはずだ。作戦もへったくれもない力技で地雷を処理していく姿はそれなりに刺激的な撮れ高と言えそうだ。また、前でどん、と音が鳴ってまた地雷が爆発した。複合素材スーツを作っている会社の株価もきっと今頃はストップ高に違いない。
「まだ戦争は終わっていないのにまるで敗戦後みたいだ」
 地雷原を通り過ぎると空爆の傷跡が痛ましいでこぼこの地面に晒されて、さしものスポンサー企業提供の最新戦闘車輌によるサスペンションも用をなさなくなった。
 閑静な住宅が並ぶアーリントンはもともと低層の家屋が多いおかげで、真夏の太陽の下でもことさらにひどい寒々しさがする。ここにはバラック小屋すらもない。荒涼とした瓦礫と雑草が延々と広がっている。子どもの頃に何度も行ったことのあるジョー・プール湖は、助手席の窓からでも分かるほど茶色く濁りきっていた。
「空爆開始までにほとんどの国民は外に逃げちまったんでしょう。ここにいるのは土地に縛りつけられたアンデットもどきだけです」
 車輌を運転する歩兵が先の独り言を拾って答える。
「縛りつけているのは土地なのか、それとも偏見なのか……」
「そうは言っても骨丸出しのやつが隣に引っ越してきたら嫌ですよ、俺は」
 運転手の歩兵は笑いもせず答えた。この彼の思考はシンプルにできているようだった。
 ついにダラス市街に侵入した。記憶に残る街並みはそこにはみじんも残されていない。徹底的な空爆に晒された首都はみるも無残な姿に変わり果てている。代わりに六年前に大統領が作らせた尖塔が都市の中央にそびえ立つ。降伏を布告できる権威を殺すと戦争が終わらないので、意図的に空爆対象から外されていたのだ。 「行く場所がはっきりしていてなによりだ」
 侵入を禁じる粗末な作りのバリケードを蹴散らして尖塔の敷地内に侵入した。尖塔から狙撃される恐れを警戒して、各戦闘車輌は建物の影にそれぞれ横付けで停車した。出る時は車体を壁に、脇見することなく突入していく。
 が、ここへきて先陣を切っていた魔法少女は思いもよらない行動に出た。
「ちょっと上に行って引っ張り出してくる」
「は?」
 答えを待たず彼女は垂直に飛び上がった。あわてて尖塔から離れて上空を仰ぎ見る――もし狙撃手がいたら良い的だが――私には彼女を撮るという任務があった。
 すでに米粒大にまで遠ざかっていたその黒点が、きらりと光り輝いた。
 刹那。
 まったく前触れなく尖塔が斜めに切断された。光の軌跡が一度、二度、尖塔を斜めになぞったかと思うと、後はあっという間の出来事だった。地響きが響いてぱらぱらと小さい砂利が降り注ぐ。
 切り取られた尖塔の頭部は建造物の奥に倒れ込んですさまじい衝撃を起こした。
 周辺の状況を考慮に入れた先制攻撃とはいえ、凄まじい轟音と衝撃波に我々は一斉に地に伏せて砂利と砂塵にまみれる立場に甘んじた。
 やがて事態が収まると、上空には彼女はいなかった。
「1B、了解。はい、伝えます」
 横のエドガー少尉がインカムに応答を繰り返した。そして私に目を向ける。
「彼女が、来る。敵を掴んで」
「掴んで?」
「我々は尖塔の下半分にいるTOA指導部を制圧しに向かう、あなたは」
 若干、言い淀みかけたが時間に猶予がないと分かっている様子だった。
「魔法少女直々に”ここで待って私を撮って”とのご命令です」
 エドガー少尉がよろよろと立ち上がる歩兵たちに檄を飛ばす。他の小隊長たちも合わせて尖塔の中に消えていく。
 一個中隊がまるごと建物に押し入った頃、上空から鋭い風切り音が聞こえてきた。黒の米粒が秒を追うごとに大きくなって迫ってくる。
 私から数フィートほどしか離れていない場所に彼女と、もう一つの人影がともに墜落した。さきほどの衝撃で慣れていてもコンクリートがめくれ上がる衝撃に耐えきれず、私は早くもその場に転倒を余儀なくされる。
 慌てて起き上がるともうもうと立ち込める煙の隙間に我らが魔法少女の背中が見えた。その奥に、気だるそうに尻もちをついたまま座り込む別の少女――魔法少女が、いた。
「いったいなあ、なにするのアイシャお姉ちゃん」
 まるで小物をぶつけられた、でも言わんばかりの気安さで敵方の魔法少女は頭をかいた。対する、こちら側の魔法少女の声は震え、怒りと、そして悲哀に包まれていた。
「もうこんなことやめてよ、サルマ」
 実際、二人の顔つきはとても良く似ていた。片方は映画の役柄のために髪の毛をブロンドに染めていたものの、彼女らの出自を示す濃いベージュの肌とはっきりとした目立ちは揺るぎない血縁を示している。
 そういえば、しっかり書くのを忘れていたかもしれない。
 メアリー・アイシャ・バルタージー・ジョンソンはパレスチナ人を父に持つイスラム系アメリカ人である。
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以下、公式Instagramアカウントからの引用。
『ハーイ、私はメアリーです。母と祖父母と従兄弟と、一族みんなで仲良く暮らしています。父と三つ年下の妹もいますが、今は離れて住んでいます。家族からはアイシャと呼ばれています。二〇二〇年にパレスチナで生まれて戦争難民としてアメリカにやってきました。でも、まさか人生で二回も戦争に巻き込まれるなんてね! ロサンゼルスのみんな、もしまたそうなったらごめんね!』
彼女がなぜ招集に応じたのか、十数億人が見ているストリーミング配信の中で唐突に明らかとなった。合法的に妹と会うためだったのだ。合衆国はTOAへの移動を禁止しているし、魔法行使能力者は国家の承認がなければ魔法の行使を許されない。
 だが招集に応じて自ら戦略級兵器になれば。
 まったく合法的に妹に会いに行ける。
「なんでこんなことをしているのか私には判らない」
 仁王立ちの姿勢で妹に詰め寄る姉の構図は、ただそれだけならよくある日常の一コマに見えた。
「だって、ここの人たちはあたしを必要としてくれる。外に住んでいる人と違って。あたしがいないと生きられないから」
「そんなこと――」
「あるでしょ。お姉ちゃんは合衆国に入れたのに、私は入れてもらえなかった。私たちに寛容な人たちとそうでない人たちで国を分けたって言っていたのに、全然そうじゃなかった」
 メアリー大尉の魔法能力の発現が確認されたのは公式の資料によると、八歳の頃。当時の合衆国政府にすべての”移民”を受け入れるつもりはなかったのだろう。国が二分される状況を活かして、能力や経歴で体よく選別する機会を設けた。あぶれた人間はTOAに閉じ込められるが、メキシコ側に逃げざるをえない。結果的にこうして、アメリカ合衆国は才気に恵まれた国民のみを吸収せしめたのだった。
「でも、ここの人たちは肌が白くないと仲良くしてくれないじゃない」
「そうだね。でも嘘をつかれるよりはいい」