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本当なら往復で三日程度と考えていた作戦に、もう一週間以上も費やしている。直線距離なら一日とかからない道のりも、迂回路を探りながら地上を歩くやり方では遅々として進まない。旅行鞄のけっこうな割合を占めていた食糧はほとんど尽きかけだった。
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私がなにも続きを話さないので、リザちゃんの持つ鉛筆の先がとんとん、と音を鳴らした。
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「あ、ごめん。やっぱり今日はいいや。なにを書けばいいのか思いつかない」
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「そう、でももう書き直しは勘弁よ」
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「そう」
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紙をめくる音がした。彼女の旅行鞄には使いさしの便箋が何枚も溜まっていることだろう。一日おきに今度こそ手紙を書こうと思い立っても、なかなかしっくりくる感じにならない。いっそ作戦を終えてから家でじっくり書く方がいいと思うものの、この異国の寒空の下でなにも考えずに過ごすのはとても難しかった。リザちゃんの方も、何度も書き直しを手伝わされているのに文句一つ言わない。
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ちょっとずつ食べていた豆の缶詰の底をスプーンでひっかき続けて、とうとう口に運んでもなんの味もしなくなったので指をつっこんだ。舐め回すとほのかにまだトマトソースの味がした。
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「いい加減に食糧がないわね。まだ目的地にもついていないのに」
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「どこかの集落に行って、食べ物を分けてもらおうよ」
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ポーランドの西半分は私たちの味方だと聞いている。こんなドレスを着た子どもが軍人だと言っても信じてもらえないかもしれないけど、鞄には顔写真入りの身分証が入っている。そう、私たちは大尉なのだ。
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「この有様じゃどの集落もソ連に占領されているんじゃないかしら」
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白線の横顔が空を仰ぐ。こんなにも大量のソ連兵が進軍してきているのなら、少なくとも街と呼べるような場所には私たちの鉤十字ではなく鎌と槌の旗が翻っているに違いない。
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「街から離れたところに家を建てて一人とか二人で住んでいる人たちもいるでしょ。まさか、そんなところにまでソ連兵は居座っていないはず」
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リザちゃんが「どうかしら」と疑問を投げかけるも、二人そろってお腹の虫がぎゅーっと鳴った。三日分しかない食糧を三等分しているせいでいつもお腹はぺこぺこだ。ご飯を食べながら、次のご飯のことを考えている。飲み水は川から汲んでくれば手に入るとはいえ、それも敵の進軍を避けながらでは気後れする。もちろん、水筒の中身もほとんど残っていない。
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結局、彼女は家を探すことに同意してくれた。平地を離れて丘陵に近づくにつれて、なんとなく張り詰めた神経が落ち着いてきた。できれば今日は屋根のある場所で寝たいと思った。旅行鞄に入った上着という上着を不細工に重ね着してもなお、夜の間は寒くて仕方がない。
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「前にね、お父さんと一緒に住んでいた家でね、暖炉が壊れてしまったことがあるの」
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一転、明るい調子で私は話し始めた。ろくに景色も見えない道のりを無言で歩き続けるのは耐えがたかった。
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「あの時もちょうど冬の頃で、家じゅうのお洋服を着込んで、それでも寒かったからお父さんの膝の上に座ってた」
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そこで読んでもらった絵本が当時の私の知っている世界のすべてで、そのうちの一冊がピノッキオだった。ピノッキオの冒険。何度もせがんで読んでもらったお気に入りのお話だけど、結末だけは今もあまり好きじゃない。様々な苦難を乗り越えたピノッキオは最後、妖精に認められて人間に生まれ変わる。
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どうして、木のままではいけなかったのだろう。ピノッキオは色んなことができて、苦しい試練があっても楽しく暮らしている。松の木でできているからこそ、あんなにどきどきするような大冒険の日々に恵まれている。人間に生まれ変わってしまったら、特別でもなんでもない普通の子だ。
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もし私の目を普通の人と同じにできるとしても、代わりに魔法少女でなくなるのなら、私はずっと見えないままでいい。「役目を持った人にしか神は祝福を授けない」と、管制官もおっしゃっていた。
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「お父さんってどんな人なの」
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私の数歩先を先導して歩きながらリザちゃんが言った。
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「えっとね、優しくて、賢くて、なんでも知ってるの」
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「ふうん」
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「リザちゃんのお父さんは?」
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「……同じだよ。とっても、優しかった」
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「いつか会えるといいね」
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イタリア戦線の状況は聞いている。
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