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Rikuoh Tsujitani 2024-09-09 23:20:01 +09:00
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現在、Netflixで「ターミネーター0」が公開されている。なんとあのターミネーターシリーズの最新作をアニメでやったのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。ひとえにアニメファンが世界中に増えたのも理由の一つに違いないが、より大きいのはシリーズ全体の不可侵性がもはや失われたことだろう。
ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名作品であると同時に、大半の人がついていけないほど独自解釈が繰り返された作品でもある。ターミネーター3は2の続編と思わせて実は主人公の年齢すら矛盾している。4は3の続編、ドラマ版は2の続編、5は1のやり直し、ニューフェイトは2の続編のやり直し……なんて事態はほとんどの視聴者には理解しがたいに違いない
ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名な映画であると同時に、幾度となく公式で独自解釈が繰り返された作品でもある。たとえば、ターミネーター3は2の続編だが実は主人公の年齢すら食い違っている。さらに、4は3の続編、ドラマ版は2の続編、5は1のやり直し、ニューフェイトは2の続編のやり直し
これらの作品群はまるでお互いを打ち消し合うかのように時間軸を分岐させ、新たな解釈を創出し、どれもが商業的失敗の憂い目にあってきた。今でも熱心にシリーズを追っているファンはとっくに「ターミネーター2のような」歴史的傑作が現れる期待など捨てて、
これらの作品群はまるでお互いを打ち消し合うかのように時間軸を分岐させ、懲りずに新たな解釈を創出し、例外なく商業的失敗の憂い目に遭ってきた。今もなお熱心にシリーズを追っているファンはとっくに「ターミネーター2のような」歴史的傑作が現れる期待など捨て去り、作品ごとの解釈を前向きに捉える慈母のごとき情愛を獲得している。
そこへいくと「ターミネーター0」は過去作で培われた解釈を集結させたような、いわば独自解釈の煮凝りとでも言うべき路線を堂々と歩んでいてむしろ好感が持てた。それこそアニメという異種のプラットフォームだからこそ通った脚本でもあるだろう
なぜならもともとターミネーターは別に大層なハードSFでもなんでもない。「殺人魚フライングキラー」で大失敗したジェームズ・キャメロン監督が熱にうなされて観た悪夢が元ネタの与太話に過ぎない。そもそもタイムマシンの設定からして矛盾の塊だ。機械軍の親玉たるスカイネットが開発したのに生きた細胞しか過去に送れないってなんだよ。でもT-800は生体細胞で機械を覆っているからセーフ。はあ、そうですか
ちなみに初代ではターミネーターを追ってカイルリースが過去に送られた直後に破壊したとされているが、ターミネーター2では全然普通にT-1000とT-800が過去に来ている。ところでT-1000ってナマシンの集合体だから明らかに生体細胞とかじゃないんだよな。まだこの話する
要するに、ターミネーターはSFとしてよくできているから面白いんじゃない。どんなにハチャメチャだろうがむっちゃ強い未来の殺人機械が無表情でとことん追い詰めてくるのが怖くて楽しいし、そんな強敵と戦って最後には犠牲を払いつつも打ち勝つから面白いんだ。本当はSFじゃなくてホラー映画の文脈で作られているんだ。SF要素はフレーバーに過ぎない。
しかしそんなワイルドなやり方が通用したのは昔の作品だからであって、映像技術も視聴者の前提知識も進歩した21世紀に同じ作り方をするのはいくらなんでも無理がある。だからSF要素の方を突き詰めるしかないんだけど、そっちに大衆的需要があったわけじゃないのは先に述べた通りだ。
つまり、ターミネーターの新作はどう転んだってターミネーター2のようにはなれない。まずはそいつを認めることが長くファンを続ける秘訣だ。その上でなにやら良さげな解釈をファン同士でぶつけ合う。もし新作に似た解釈が出てきたら「うわあ、僕も同じこと考えてたんだよ〜〜⤴」とか言って悦に浸る。
そこへいくと「ターミネーター0」は過去作で培われた解釈を結集させたような、いわば独自解釈の煮凝りとでも言うべき路線を堂々と歩んでいる。かつての続編はどれも初代や2の栄光を取り戻したいとでも言いたげな色気がちらついていたのだが、本作はメディアの違いもあってか過去作の否定にためらいがない。そもそも舞台からしてアメリカじゃない。日本だ。
ターミネーターシリーズは機械と人類の戦いというやたら大風呂敷を広げた設定の割には、なぜか舞台が西海岸とメキシコの一部で完結してしまう昔ながらのハリウッドスタイルを維持している。だから他の国々が具体的にどうなったかの記述はほとんど記されていない。本作はそこの隙間をうまく突いたと言える。
結論から言うと「ターミネーター0」の基本的なプロット自体は過去作となにも変わらない。人間とターミネーターがタイムスリップする。機械から要人を守ることには概ね成功するが、人類と機械の戦争が勃発する「審判の日」は避けられない。スカイネットが核ミサイルを地球全土に発射して地球は火の海と化す。**ただし、日本を除いて。**
いや、マジでそうなんだよ。日本だけ無事なの。この語では。なぜならスカイネットがタイムマシンを開発した2022年よりさらに未来の2045年から1983年の東京に来た技術者が、スカイネットより優れた人工知能を開発して事前に備えていたから。もっともその人工知能にも散々説教されるし、なんなら「人類も敵かもしれない」とか言って自衛隊とか警察官とか殺されまくるんだけど、色々あって核ミサイルは防いでくれる。マジで。
ちなみにこの「スカイネットを超える人工知能を作る」とか「技術者を過去に送って備えさせる」といった設定はドラマ版のターミネーター「ターミネーター:サラコナークロニクルズ」から拝借したもので間違いないと思う。このドラマ版は今やよほどのファンでなければ存在すら知らないと思われるが、当時は独自解釈の宝庫でなかなか楽しめた。
現在、Netflixで「ターミネーター0」が絶賛公開中だ。なんとあのターミネーターのシリーズ最新作をアニメでやったのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。一つはアニメという映像の表現技法が日本国内のみならず世界中の支持を得るまでに広まったこと、もう一つはシリーズ全体の不可侵性がもはや失われたところにある
特に気に入っている設定は再プログラミングではなく自発的に人類に味方する「マシン・レジスタンス」なる第三極の存在だ。味方と言っても言いなりではないから目標達成に邪魔だと思えば容赦なく殺すし、人間には不可能な実行力と倫理観のなさでスカイネット抹殺に向かっていく姿勢は毒には毒をもって的な清々しさが感じられたな
ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名作品だが興行的には失敗も多い。なにかと批判の槍玉に挙げられる「ターミネーター3」はむしろ興行的には成功した部類で、その後に続く作品は制作費の回収がやっと、ドラマ版に至っては途中で打ち切りという憂い目にあっている
そういう前向きな気持ちで楽しめば、ボロクソ言われ放題のターミネーター3だってちゃんと見どころがある。時節柄に即してスカイネットを単一の巨大なコンピュータではなく分散型ネットワークとして描いたのはかなり偉かった。中心がないから誰にも壊せない。説得力抜群だ。しかし物語上では都合が悪すぎて他の作品には継承されなかったが
しまいにはアールド・シュワルツネッガーが復帰した「ターミネーター5」も失敗、後の「ターミネーターニューフェイト」では「ターミネーター2」の正統な続編を謳い、ジェームズ・キャメロン監督が制作に加わった上にサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンまで呼び寄せたのに全然普通に失敗と、同シリーズの商業的見通しは非常に暗い。
その一方で、裏を返せばもはや過剰に失敗を恐れるフェーズは過ぎ去ったとも解釈できる。すでに散々ほじくり回されているし、もうどんな自称続編や外伝が作られようとパラレルワールドが一つ増えるだけに過ぎない。そういう開き直りの結果が今回のアニメ化に繋がったと考えるのは諦観が過ぎるだろうか。
しかし、現にターミネーター4は3の続編、ドラマ版は2の続編、5は1のやり直し、ニューフェイトは2の続編のやり直しという時間軸の濫造ぶりで、これらすべてが一つも完結することなく尻切れトンボで終わっているのだ。もはやターミネーター2以上の最高傑作などという幻想は捨てて作品ごとの解釈を素直に楽しむ方が気楽に違いない。
事実、2以降の作品を「ファン同士で熱く語り合った独自解釈が部分的に映像化されたもの」として捉えると、かなり見応えが出てくることに気づく。たとえば先に挙げた不朽の不人気作「ターミネーター3」はなかなか気の利いた描写をしている。
当時の認識で「すごいコンピュータ」と言えば超デカくて地下に埋まってそうな感じのやつを想像するが、3のスカイネットはちゃんと時代の最先端を取り入れて分散型ネットワークに鞍替えしている。どこにも中心がないから壊せない。いかにも手こずりな強敵だ。だがこの設定はさすがに面倒くさすぎたのか後の作品には継承されていない。無念。
ターミネーターの原型T-1を映像化したのも偉い。人間っぽい形のターミネーターが何機種かいて、飛行機みたいなやつもいて、戦車が縦にでかくなったみたいなやつもいる。じゃあ一番最初の最初ってどんな感じなのかってみんな一度は考えたんじゃないかと思う。21世紀初頭の技術力でギリいけそうな雰囲気が出ているのも誠に偉い。
https://www.youtube.com/watch?v=IEdD2mJ0YGg
ターミネーターの原型T-1を映像化したのもすごい偉い。作中には様々なタイプの殺人機械が登場するが、じゃあ一番最初の最初はどんな感じなんっていうのは多くの人が抱くであろう関心だろうしそれにちゃんと応えたのは立派だと思う
僕は当時このT-1のほどよく無骨でリアルスティックなフォルムに大いに魅了されて何度も何度も上の動画のシーンを繰り返し観たものだった。そのせいでママからはずっと「人が死ぬのを観るのが好きな子」だと思われていた。違うよ、好きなのはクールな機械が人を殺すところだよ。陸王少年はそのように健全に育った。今でも気に入ったシーンがあると巻き戻して観る。
ターミネーター4だってシュワルツネッガーは出ていないけどちゃんと偉い。なにしろ、これまで冒頭に数分しか出ない機械との戦争を全編に渡って描いた最初で最後のシリーズ作品だ。バイク型とか巨大なロボット型とかは正直はっちゃけすぎだけど、ただの歩兵ユニットに過ぎない骨格剥き出しのやつだってまともに倒すのは相当しんどいっていうのはよく伝わってきたよ
ターミネーター4や5だって悪くない。実際、冒頭で数分しか流れない機械と人間の戦争を全編に渡って描いたらどうなるか大いに気になってはいた。SF戦争映画として観れば普通に面白い。人間とターミネーターのハイブリットもファンダムではよく妄想されていた設定だった。5は5で「じゃあ逆に人間側が事前にむっちゃ備えてたらどうなるよ」っていう妄想へのアンサーを実現している。
ドラマ版の話は知らない人も多いと思われる。しかし、人類抵抗軍と機械軍の単純な二項対立を覆して「自発的に人間に協力するターミネーター」や「命惜しさに機械に協力する人間」を描き出したのは誠に偉かった。特に前者には様々な解釈の可能性を感じさせられた。
https://www.youtube.com/watch?v=UZnkAElIe_c
https://www.youtube.com/watch?v=mwZT3t2lMBg
いかに技術力で劣る80年代と言えど用意周到に準備していればT-800なんて対物ライフルでワンパンだし、T-1000だって強酸で溶かせば容易に破壊できる。イ・ビョンホンもうまく役柄にハマっていた。ちゃんとキャラクターが合えばアジア人もターミネーターを演じられることを証明したのは大きい。まあ80年代のアメリカでアジア人の警官に偽装するのは変だけど。
反面、ジェームズ・キャメロンが制作に復帰してサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンまで呼び寄せて「ターミネーター2の正統な続編」を謳った「ターミネーターニューフェイト」が一番ピンとこない感じだったのはある意味で印象的だ。ファンダムの上を行こうとしすぎると順当なラインから外れておかしなことになるのだと思う。液体金属と骨格部分に別れて2体で別々に行動できるんだ……とか言われてもふーんって感想にしかならない。アクションはすごかったけどなんかマーベルっぽい。これは5の後半にも言える。
そこへいくとターミネーター2が名作と言われる理由は確かにある。頑丈で重厚なターミネーターの姿がまだ記憶に新しい頃に、液体だから銃撃とか効きません、でも金属なので手をナイフにして殺せます、骨格とか持ってるやつ全員馬鹿です、などと劇中で散々やったらさすがに唸らざるをえない。じゃあどうやって倒すんだとみんな興味津々になる。
しかしそれでもちゃんと弱点は存在していて、衝撃と温度変化に弱い。骨格がないから撃たれるとのけぞる。冷やされると固まって熱されると溶ける。誰でも視覚的にはっきりと納得させられる。物書きなら誰でもあれくらい理想的にラスボスを退場させたいと願うだろう。SFというよりはストーリーテリングの勝利と言うほかない。
なんでかって彼らは必ずしもフレンドリーなわけではなく、あくまで「種としての人間に可能性がある」と考えて協力しているだけだから、邪魔だと思った個体は全然普通に殺して回るし、それで良心が咎めたりする気配はない。人間からすると正直怖い。でも味方としてはむっちゃ心強い。そこにドラマがある。
ターミネーター5はある意味で一番独自解釈に富んだ作品だった。1のやり直しリメイクとは少し違うなのがちょっとうまい。本来の1であんなに追い詰められたT-800も、しっかり事前に備えて訓練していれば対物ライフル一撃で倒せるわけよ。本来の2であんなに追い詰められたT-1000も強酸で瞬殺できるわけよ。明らかに「じゃあ逆に倒しにかかるならどうする」っていうファン同士の議論を踏まえてこの作品は作られている。
ついでに言うならT-1000役をやったイ・ビョンホンも偉かったな。別にボディービルダーじゃない中肉中背のアジア人でもちゃんとターミネーター役ができるってことを証明してくれた。むしろロバート・パトリック以来のハマり役だったと思う。80年代のアメリカでアジア人が警官に偽装して通用するか ってツッコミはさておきとして……。
もちろん悪いところがないとは言わない。ラスボス役のT-3000はぶっちゃけどう強いのかピンと来なかった。人間の細胞を強制的にナマシンに置き換えることによって、本人の記憶をそのままに人間らしさと液体金属を超える強固な堅牢性を兼ね備えた磁気粒子型のターミネーターという話だが、この能書きを聞いて「えっ、マジで強そう」ってなる人いる 僕はならない。
実際、アクションシーンはターミネーターというよりはマーベル作品みたいで軽かったしな。ちなみに最後はタイムマシンを空転させて発生した磁場に巻き取られて破壊される。あ、そう……。仮に理屈の上で強さを説明できるとしても、観客に視覚的に伝わらなければ意味がない。
そこへいくとやはりターミネーター2のT-1000は理想的だったと言わざるをえないな。液体なので銃撃とか効きません、でも金属なので手でナイフを作って殺せます、骨格とか持ってるやつ全員馬鹿です、などと映像で示されたら「確かに……」と唸ってしまう。
そうして不気味なまでの無敵感を醸し出しつつも、実は衝撃や温度変化に弱いことが終盤にかけて露呈していく。こんなふうに鮮やかに誰にでも納得がいくようにラスボスを退場させてみたいものだ。ちなみにスカイネット的にもT-1000は最強どころかむしろ失敗作扱いされている。
一方、ニューフェイトのアプローチの魅力はこういうメカニカルな部分ではなくて世界観の方にある。「審判の日は回避したけどジョン・コナーは普通に殺されました」、「スカイネットは誕生しないけど全然普通に他の人工知能が人類を支配します」なんてちゃぶ台返しすぎてキャメロン監督本人以外にはできない脚本だ。
ジョン・コナーを抹殺した後にやることがなくなったターミネーターが後に家庭を築いて良心に目覚め、贖罪意識から他のターミネーターの破壊に協力するというのもかなり高難易度な演出だ。さすがに無理筋すぎて観客には受け入れられなかったようだがその心意気は買いたい。
最新作の「ターミネーター0」はこれら各過去作に散りばめられた独自解釈の集大成ともいうべき路線を歩んでいる。他の作品にはターミネーター2の威光につづきたいという色気が多少なりともあったのだが、本作は最初から独自路線に振り切っている。そもそも舞台がアメリカですらない。なんと日本なのだ。
言われてみればターミネーターシリーズは物語のスケール感の割に実際には西海岸とメキシコの一部しか舞台に出てこない。なので他の国々の状況について詳しい描写はされていない。そこを逆手にとって本作ではすさまじい解釈をやってのける。
審判の日、スカイネットは世界中に核兵器を投下して機械との戦争が始まったが、日本にだけは一発も落ちていない。なぜなら未来の技術者が1983年の東京に来て、あらかじめ対抗しうる人工知能「ココロ」を開発していたからだ。これはドラマ版との共通点がうかがえるものの、対抗策の具体的な実現に踏み込んだのは本作が初めてだ。ドラマの方は途中で打ち切られてしまった。
しかして「ココロ」も決して人類に恭順を示しているわけではない。むしろオンライン稼働時には「スカイネットも人類もどっちも敵かもしれない」などと疑念を示し、技術者の期待に反して自衛隊や警察組織を壊滅に追い込んで日本の統治を画策した。
結果的に技術者本人が自らの死をもって子どもたちを守り、争いと搾取を繰り返す野蛮極まる人類にも一縷の希望と良心が宿っている事実を示したことで人工知能は立場を鮮明にする。以降、スカイネットは一生核ミサイルを撃ち続けても人工知能が全部撃ち落としているのでなぜか日本だけ無事というマジで謎の状況のままシーズン1が終わる。
タイムパラドックスやマルチユニバースに言及したのも特徴的だ。スカイネットが何度過去を変えても分岐した未来が生まれていくだけだと明言している。これは商業的失敗により陰に隠された過去作にも「時間軸の一つ」としての立場を与えうる誠に懐の広い設定だと思う。
片や安易なマルチユニバース化は作品の濫造を促すのみならず、過去作で奮闘した人物の勇姿を毀損してしまう問題点もある。どう頑張っても枝分かれしていくだけなら別にやらなくたっていいじゃん、とも考えられるからだ。
だがターミネーターは今やあらゆる解釈が寛容に試される特殊なシリーズに変貌を遂げた。ターミネーター3から現在に至るまで、これほど散々やったのなら今さら誰も怒りようがないだろう。だったらいっそ、突き進むだけ突き進んで独自解釈の極北を目指し、あっと言わせてほしいものだと僕は前向きに捉えている。