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@ -349,7 +349,7 @@ tags: ['novel']
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「集落から離れたところに家を建てて住んでいる人たちもいるでしょ。まさか、そんなところにまでソ連兵は居座っていないはず」
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リザちゃんが「どうかしらね」と疑念を孕んだ声を投げかけるも、二人そろってお腹の虫がぎゅーっと鳴った。現地部隊との合流を前提に一日分しか携行していない食糧を三等分しているのだから、いつもお腹はぺこぺこだ。ご飯を食べながら、次のご飯のことを考えている。ちょうど雪解けの季節で川が流れていなければ飲み水にも苦労したかもしれない。
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そんな水筒の中身もソ連兵を避けながらの補給では頼りない。
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結局、彼女は家を探すことに同意してくれた。平地を離れ丘陵に近づくにつれて、心なしか張り詰めた神経が落ち着いてきた。そろそろ屋根のある場所で寝たいと思った。外套を深々と着込んで全部のボタンを留めても、夜の間は寒くて仕方がない。
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結局、彼女は寄り道に同意してくれた。平地を離れ丘陵に近づくにつれて、心なしか張り詰めた神経が落ち着いてきた。そろそろ屋根のある場所で寝たいと思った。外套を深々と着込んで全部のボタンを留めても、夜の間は寒くて仕方がない。
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「前にね、お父さんと一緒に住んでいた家でね、暖炉が壊れてしまったことがあるの」
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一転、私は明るい調子で話しはじめた。漆黒の道のりを無言で歩き続けるのは退屈だった。
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「あの時もちょうど冬の頃で、家じゅうのお洋服を着込んで、それでも寒かったからお父さんの膝の上に座ってた」
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後方でざわざわと声がした。ドイツ語だ。振り返るとあやふやな輪郭が三、四、五、続く声に応じて描かれた。
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ソ連兵だらけの敵地で出会った友軍に、私は泥と雪で濡れたドレスの裾を伸ばして応じる。
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「ええ。私たちは帝国航空艦隊所属の魔法能力行使者です。あなたがたの援護に参りました」
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「おお……」
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直後、視界に広がるいくつもの輪郭が急にぺしゃんこに潰れたのかと思った。
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そうではなかった。
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私よりも三十センチも高い大柄な男の人たちが一斉に跪いたのだ。
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先頭にいる男が低い声で言った。
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「我々は第二二一保安師団、第三一三警察大隊隷下の残存兵どもでございます。とうに指揮官は死にました。どうか、代わりに指揮を」
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私たちに、初めての部下ができた。
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先頭にいる人が低い声で言った。
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「我々は第二二一保安師団、第三一三警察大隊隷下の残存兵どもでございます。ポーゼンに駐屯していましたが、指揮官を失い寄る辺もありません。どうかご指揮を」
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奥の木陰からもわらわらと人影が出てくる。リザちゃんが言う。
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「あそこにある民家はあなたたちが検分したのかしら」
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私の視界にはなにも映っていないが、どうやら民家があるらしい。先頭の男の人が答える。
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「さようでございます。あの家々から物資を接収した後に、運悪くソ連兵とかち合って戦闘になりました」
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「じゃあ、今は食糧を持っているの?」
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「それなりには」
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リザちゃんが私の肩を叩いた。表情は分からないけど、声の弾み方からきっと笑っているのだと思う。
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空腹である旨を伝えると、大尉の階級章は存分にものを言った。
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私たちは木陰の比較的清潔そうな場所に案内されて、そこに敷かれた風呂敷の上に座った。ただ待っている間に白線のお人形さんたちがせわしなく働いて、回収した食材を元に料理が作られていく。やがて、ブラウンソースとよく煮込まれたお肉の良い匂いが漂ってきた。
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これはビーフシチューの匂いだ。
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「あんた、よだれが出てるわよ」
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「嘘でしょ」
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「いや、今度は本当」
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本当だった。三、四日もろくに食べていないとさすがにはしたなさが勝ってしまう。
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「どうぞ、大尉どの」
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兵士の誰かが差し出した皿を、リザちゃんが一旦受け取って私に手渡す。続けてスプーンももらい、いよいよ待ち焦がれた食事の時間が訪れた。
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一口目を食べてからの事はあまり記憶に残っていない。この時の私は脳みそではなく舌が本体になっていた。皿に残ったソースまで舐め回しかけたところで「ちょっと、お代わりを貰えばいいじゃないの」と制止されて、ようやく我に返った。間を置かずにやってきた二皿目もほとんど飲むかの勢いだった。三皿目、四皿目と食べ尽くしていくにつれて次第に人間らしさを取り戻して、もしかするとこれは部隊全員ぶんの食事だったのでは、と思い至った。
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「食べ過ぎちゃったかも」
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「今更気づいたの?」
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そういうリザちゃんだって二皿は食べている。まさかこんな敵に囲まれた戦場でビーフシチューにありつけるとは思わなかった。
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「あのう」
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近くを通りかかった兵士の足音に向かって呼びかけて、食べ過ぎを謝罪すると彼はからからと笑った。
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「多少は構いませんよ。民家にいた牛を一頭潰したんです。余って捨てるよりはマシでしょう」
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そんなにたくさん作ったのか、と安心して文字通り腹落ちしたところで、別の疑問も湧いた。
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「そこに住んでいた人はよく牛さんをくれたね」
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牛さんは牛乳をくれる。牛乳からチーズも作れる。世話をしているだけでずいぶん役に立つから、潰すとしたら本当に最後の最後だ。たまたまそういう牛がいたのだろうか、それとも特別に協力してくれたのだろうか。いずれにしてもありがたいことだ。
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しかし、兵士はあくまで笑うばかりだった。
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「他にも色々くれましたよ。まあ多少は手こずりましたがね」
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「ねえ、あなたたちの中で一番偉かった人を呼んできてくれないかしら。ポーゼン奪還の話をしたいの」
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そこへ、唐突にリザちゃんが割って入り兵士に言いつけた。言われてみれば確かにそうだ。食糧探しのためにだいぶそれてしまったけれど、ここまでソ連兵に見つからずにポーゼンから逃げてきたのならきっと良い道を知っているのだろう。
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たいへんな戦争を戦っているはずなのに、私はふわふわとした気持ちで満たされていた。相変わらず股の辺りがごわごわしているけれど、美味しいビーフシチューをお腹いっぱい食べて、大勢の部下までできた。なにもかもうまくいきそうな感じがした。
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部隊の中で一番偉かった人――ウルリヒ伍長はてきぱきと道案内をしてくれた。たっぷり時間をかけてシュナイデミュール付近まで回り込み、そこから北側からポーゼンに到達した。ちょうど股から血が垂れなくなった頃だった。
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辺りに並ぶ兵士たちの声を聴くかぎり、街と呼ぶにはあまりにも悲惨な光景が広がっているようだ。彼らの目に映る建物という建物は崩れ、焼け焦げ、人の気配はみじんも見当たらない。一ヶ月前まではちょうどこの辺りで我が軍の精鋭が物量に勝るソ連軍を抑えていたはずだ。それが今では不気味な静寂に満ちている。音がしないから私の目にはなにも映らない。
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「夜を狙う。まず大尉どのに奇襲を仕掛けてもらい、連中が慌てているところで我々が街に」
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ウルリヒ伍長の低く落ち着いた号令が寒空に吸い込まれていく。雪はあれから降ったり止んだりを繰り返している。一度よく晴れた日に乾かしたはずのドレスは早くも湿りはじめた。
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「でも、敵はどこにいるのかしら」
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リザちゃんの問いにも伍長の答えは簡潔で揺らぎがない。
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「見れば分かります。あそこにはもうまともに建っている建物の方が少ないですから」
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数時間後、私たちは部隊から離れて空を飛んだ。久しぶりの飛行に全身の筋肉がぎくしゃくとする。
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