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title: "論評「哭悲」:二段構えの地獄"
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date: 2024-06-26T20:42:42+09:00
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draft: true
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tags: ['movie']
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先週の土日はまことにファックネス(ファックの抽象名詞)であった。オフィス内で蔓延していた喉風邪の煽りを受けて療養を余儀なくされていたのだ。子どもの頃は居間に布団を敷いてもらってそこで普段は観られない平日のテレビ番組や映画などを楽しんだものだが、なぜか今はそううまくいかない。話がてんで頭に入ってこないのである。
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あるいは、もしかすると在りし日の少年陸王は話の内容を捨象して映像の動きだけを追っていたのかもしれない。昔も今もカメラワークにうるさい性格だった。それはともかくとして、日曜日の昼あたりには体調不良なりに映画を観てもよい体制が整っていた。こういう時に観る映画はとことん過激なものでなければならないと僕の中では決まっている。
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心身が弱っている時、あえて甘いお菓子ではなく激辛スープを求める人がいるが僕もそういう手合いに入る。毒をもって毒を制しようというわけだ。そんな時のために抑えておいた作品こそが他ならぬ「哭悲」だ。台湾を舞台にした超問題作として知られる本作には、90分の短尺の中にありとあらゆる暴力が凝縮されている。
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## 殴る、蹴る、千切る、抉る、犯す
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本作は大別するとゾンビものか、パンデミックものに該当すると思われる。突然変異したウイルスに感染した人々は例外なく理性を失い、際限のない暴力衝動を周囲に撒き散らす。暫定的に「ゾンビ」と言ったが実際には腐敗はせず、知性もさほど衰えてはいない。意思疎通もできなくはないし、道具を操り連係をとる一面もうかがえる。ただし、それらの一切は暴力の達成にのみ用いられる。説得は不可能だ。
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運動能力も健在なばかりかバイクで逃げる相手を全力で追いかける機敏さを誇り、小手先の反撃には怯みもしない耐久力をも併せ持つ。一連の設定にはかの名作『28日後……』の影響をうかがわせつつも、さらなる独創性を加えて暴力の拡充が図られている。というのも、本作の感染者が失っているのは厳密には理性ではないからだ。失われているのは倫理観である。
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通常、類似作品の感染者には「本能に従う」や「暴力的になる」といった設定が与えられる。動くものや音に反応して群がり、ひたすら血肉を喰らうオーソドックスなゾンビなどはまさにその典型だ。ところが本作の感染者の行動原理はそのような低い次元には留まらない。
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作中で最初の感染者は飲食店の店員を殺す際に、あえて煮えたぎった油を浴びせた後に手で皮を剥いで嬲ろうとする。道端で男性を押さえつけた複数の感染者たちは、階段の段差で腕の骨をじわじわと折って楽しむ様子を見せる。ただ単純に暴力衝動を発露させているのであれば、なにもそこまで工夫を凝らす必要はない。感染者たちはあえて相手を苦しませているのだ。
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実はこれこそが、本作の最大の特徴と言える。感染者たちは持ちうる環境を最大限に活かして自己に眠るサディズムな欲求を満たそうとする。性暴力とて例外ではない。ゆえに被害者は死よりも過酷な絶望を長きに渡り味わい続けることになる。
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## 二段構えの地獄
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この手のパニックムービーを観る際、大抵我々は逃げ惑う側に感情移入する。感染者は自我を失ったものと見なされるため、そちら側に転じた時のことを考えようにも自分自身との連続性を認められず想像力が途切れてしまう。
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しかし物語終盤、驚愕の真実が明かされる。本作の感染者には意識があり、自分がなにをしているのか明瞭に理解しているのだと言う。感染者たちが嗜虐的な笑みを浮かべつつも一様に涙を流しているのは、罪悪感の表れだとほのめかすのだ。
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ある登場人物は「まばたきを止めようと思っても決して止められない」と表現して、感染者たちの飽くなき暴力衝動について説明する。沸き起こる暴力衝動を抑えたくても抑えられず、かえって最悪な暴虐のメソッドを思いついてしまう。そして、思いついたからには実行せずにはいられない。
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となると、物語上における敵、ないしは障害物としてしか見ていなかった感染者たちへの認識が如実に変わってくる。一度は常人として想像を絶する責苦を味わった彼ら彼女らは、二度目は望まぬ虐殺者としての立場を背負わされているのだ。
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サディズムの極北にも等しい一連の過程は、変わり果てた主人公とヒロインの最期の会話で集大成を飾る。稀有な抗体を持つヒロインはついに、感染を経ず常人のまま発狂するに至る。それはある意味で、作中の世界においてもっとも救いのある結末なのかもしれない。
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## 作中世界の考察
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物語内で語られた情報を頼りに作中世界の今後を考えると、あまりにも望みのない未来を予想せずにはいられない。台湾の人口の2割がすでに感染しており、自然に抗体を持つ人間が90人に1人しかいないという台詞を前提に置くとすると、政府機関や軍が有効なワクチンを量産して投与する猶予はほとんどないと思われる。
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なにしろ本作における抗体の保有者はあくまで感染しないだけであって、感染者に襲われたら普通に死んでしまうからだ。すでに作中で政府の意思決定を司る人物が軒並み死亡し、指揮系統に乱れが生じていると推察される状況下では台湾人の全員が感染するのも時間の問題と言える。
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さらにこのウイルスはゾンビものにお決まりの接触感染のみならず、空気感染もする。つまり事態に気づいた諸外国が台湾の海上封鎖に成功したとしても、感染源はどんどん風に乗って各国に散らばってしまう。仮に強力な兵器の発動権限を持つ人物が感染に至った場合、ウイルスが世界中に伝播するまでもなく世界大戦によって人類は滅亡を余儀なくされるだろう。
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『28日後……』の続編の『28週後……』では、全感染者の餓死を確認した後に米軍がイギリスに乗り込んで治安を取り戻そうとしていたが(もちろん色々あって結局失敗する)本作の感染者は賢いため同様の作戦では効果を見込めない。まさしく悪意の塊としか言いようのない練り込まれた設定には感服せざるをえない。
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## おわりに
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映画を観終わった後は本当に最悪な気分になり、身体に残っていた倦怠感が余すところなく反骨心に兌換されたようだった。人によっては現実の営みとてゾンビ映画みたいなものだ。不明瞭な法則を掴むまではむやみに逃げ惑い、なんとか逃げ込んだ先には大抵別の地獄が待ち受けている。
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それでも度が過ぎる流血で真っ赤に染まったスクリーンを通して、我々は悪意の予行練習を学ぶことができる。よく練り込まれたイマジネーションを通して、人間のもたらすサッドネス(悲哀の抽象名詞にして本作の英題)を内に取り込んでおけるのだ。
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これこそが僕にとっては現実と戦うためのより良いワクチンである。サンキュー、ホラー、スリラー、スプラッター。世間では時に白い目で見られがちなジャンルだが、僕はこうしてたまに抗体をもらっている。
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title: "論評「哭悲」:二段構えの地獄"
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date: 2024-06-26T20:53:42+09:00
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tags: ['movie']
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先週の土日はまことにファックネス(ファックの抽象名詞)であった。オフィスで蔓延していた喉風邪の煽りを受けて療養を余儀なくされていたのだ。子どもの頃は居間に布団を敷いてもらって普段は観られない平日のテレビ番組や映画などを楽しんだものだが、なぜか今はそううまくいかない。話がてんで頭に入ってこないのである。
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あるいは、もしかすると在りし日の少年陸王は話の内容を捨象して映像の動きだけを追っていたのかもしれない。昔も今もカメラワークにうるさい性格だった。それはともかくとして、日曜日の昼あたりには体調不良なりに映画を観てもよい体制が整っていた。こういう時に観る映画はとことん過激なものでなければならないと僕の中では決まっている。
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心身が弱っている時、あえて甘いお菓子ではなく激辛スープを求める人がいるが僕もそういう手合いに入る。毒を以て毒を制しようというわけだ。そんな時のために抑えておいた作品が他ならぬ[『哭悲』](https://www.youtube.com/watch?v=ds6QjI9u_r4)だ。台湾発の超問題作として知られる本作は、90分の短尺の中に究極の暴力が凝縮されている。
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## 殴る、蹴る、千切る、抉る、犯す
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本作は大別するとゾンビものか、パンデミックものに該当すると思われる。ウイルスに感染した人々は例外なく理性を失い、際限のない暴力衝動を周囲に撒き散らす。大雑把に「ゾンビ」と言ったが実際には腐敗はせず、知性もさほど衰えてはいない。意思疎通もできなくはないし、道具を操り連係をとる一面もうかがえる。ただし、それらの一切は暴力の達成にのみ用いられる。説得は不可能だ。
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運動能力も健在なばかりかバイクで逃げる相手を全力で追いかける機敏さを誇り、小手先の反撃には怯みもしないタフネスをも併せ持つ。一連の設定にはかの名作ホラー映画『28日後…』の影響をうかがわせつつも、さらなる独創性を加えて暴力の拡充が図られている。というのも、本作の感染者が失っているのは厳密には理性ではないからだ。失われているのは、倫理観である。
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通常、類似ジャンルの感染者には「本能に従う」や「暴力的になる」といった設定が与えられる。動くものや音に反応して群がり、ひたすら血肉を喰らう昔ながらのゾンビなどはまさにその典型だ。ところが本作の感染者の行動原理はそのような低い次元には留まらない。
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作中で最初の感染者は飲食店の店員を殺す際に、煮えたぎった油を浴びせた後に手で皮を剥ぎ取ろうとする。道端で男性を押さえつけた複数の感染者たちは、階段の段差で腕の骨をじわじわと折って楽しむ様子を見せる。ただ単純に暴力衝動を発露させているのであれば、なにもそこまで微に入り細を穿つ必要はない。感染者たちはわざと執拗に相手を苦しませているのだ。
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実はこれらの要素こそが、本作の最大の特徴と言える。感染者たちは持ちうる環境を徹底的に活かして自己に眠る欲求を満たそうとする。性暴力とて例外ではない。ゆえに被害者は死よりも過酷な絶望を長きに渡り味わい続けることになる。
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## 二段構えの地獄
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この手のパンデミックムービーを観る際、我々は大抵逃げ惑う側に感情移入する。感染者は自我を失ったものと見なされるため、そちら側に転じた時のことを考えようにも自分自身との連続性を認められず想像力が途切れてしまう。感染後の自分は肉体を乗っ取られた別人に過ぎない。
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しかし物語終盤、最悪の真実が明かされる。本作の感染者には意識があり、自分がなにをしているのかも明瞭に理解しているのだと言う。感染者たちが嗜虐的な笑みを浮かべつつも一様に涙を流しているのは、強い罪悪感の表れだとほのめかすのだ。
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ある登場人物は「まばたきを止めようと思っても決して止められない」と形容して、感染者たちの飽くなき暴力衝動について説明する。湧き起こる欲求を抑えたくても抑えられず、かえって惨たらしい暴虐のメソッドを次々と思いついてしまう。そして、思いついたからには実行せずにはいられない。
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となると、物語上における敵ないしは障害物でしかなかった感染者たちへの認識が如実に変わってくる。一度は常人として想像を絶する責苦を味わった彼ら彼女らは、二度目は望まぬ虐殺者としての立場を強いられている。自分の隠された本性がいかに他人を痛めつけるか文字通り目の当たりにしなければならない。
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サディズムの極北にも等しい上記の過程は、変わり果てた主人公とヒロインの最期の会話で集大成を飾る。稀有な抗体を持つヒロインはついに、感染を経ず常人のまま発狂するに至る。それはある意味で、作中の世界においてもっとも救いのある結末なのかもしれない。
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## 作中世界の考察
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物語内で語られた情報を基に作中世界の今後を考えるに、あまりにも望みのない未来が予想される。すでに国民の2割が感染しており、先天的に抗体を持つ人間が90人に1人しかいないという台詞を前提に置くと、政府機関や軍が有効なワクチンを量産して投与する猶予はほとんど残されていない。
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なにしろ抗体の保有者はあくまで感染しないだけであって、感染者に襲われたら普通に死んでしまうからだ。物語中盤で政府の意思決定を司る人物が軒並み死亡し、指揮系統に乱れが生じていると推察される状況下では台湾人の全員が感染するのも時間の問題に違いない。
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さらにこのウイルスはゾンビものにお決まりの接触感染のみならず、空気感染もする。つまり事態に気づいた諸外国が台湾の海上封鎖に成功したとしても、感染源は風に乗ってどんどん各国に散らばってしまう。仮に強力な兵器の発動権限を持つ人物が感染に至った場合、ウイルスが世界中に伝播するまでもなく世界大戦によって人類は滅亡を余儀なくされるだろう。
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『28日後…』の続編の『28週後…』では、全感染者の餓死を確認した後に米軍がイギリスに乗り込んで治安を取り戻そうとしていたが(もちろん色々あって結局失敗する)本作の感染者は道具を操るほど賢いため同様の作戦では効果を見込めない。まさしく悪意の塊としか言いようのない練り込まれた話作りに心から敬意を表したい。
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## おわりに
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映画を観終わった後は本当に最悪な気分になり、身体に残っていた熱っぽさが余すところなく反骨心に兌換されたようだった。人によっては現実の営みとてホラー映画みたいなものだ。不明瞭な法則を掴むまではあてどなく逃げ惑い、なんとか逃げ込んだ先にはえてして別の辛苦が待ち受けている。戦っても戦ってもきりがない。
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それでも度が過ぎる流血で真っ赤に染まったスクリーンを通して、我々は悲劇の類型を事前に学ぶことができる。よくできた作りものから、人間のもたらすサッドネス(悲哀の抽象名詞にして本作の英題)を身体の内に取り込んでおけるのだ。
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これこそが僕にとっては現実に向かうためのより良いワクチンである。サンキュー、ホラー、スリラー、スプラッター。世間では時に白い目で見られがちなジャンルだが、僕はこうしてたまに抗体をもらっている。
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