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title: "ターミネーターシリーズの思い出を語る"
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date: 2024-09-09T14:17:10+09:00
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draft: true
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tags: ["movie"]
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現在、Netflixで「ターミネーター0」が公開されている。なんとあのターミネーターシリーズの最新作をアニメでやったのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。ひとえにアニメファンが世界中に増えたのも理由の一つに違いないが、より大きいのはシリーズ全体の不可侵性がもはや失われたことだろう。
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ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名作品であると同時に、大半の人がついていけないほど独自解釈が繰り返された作品でもある。ターミネーター3は2の続編と思わせて実は主人公の年齢すら矛盾している。4は3の続編、ドラマ版は2の続編、5は1のやり直し、ニューフェイトは2の続編のやり直し……なんて事態はほとんどの視聴者には理解しがたいに違いない。
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これらの作品群はまるでお互いを打ち消し合うかのように時間軸を分岐させ、新たな解釈を創出し、どれもが商業的失敗の憂い目にあってきた。今でも熱心にシリーズを追っているファンはとっくに「ターミネーター2のような」歴史的傑作が現れる期待など捨てて、
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そこへいくと「ターミネーター0」は過去作で培われた解釈を集結させたような、いわば独自解釈の煮凝りとでも言うべき路線を堂々と歩んでいてむしろ好感が持てた。それこそアニメという異種のプラットフォームだからこそ通った脚本でもあるだろう。
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現在、Netflixで「ターミネーター0」が絶賛公開中だ。なんとあのターミネーターのシリーズ最新作をアニメでやったのだ。こういう企画が通るのも色々な意味で時代の流れだと感じる。一つはアニメという映像の表現技法が日本国内のみならず世界中の支持を得るまでに広まったこと、もう一つはシリーズ全体の不可侵性がもはや失われたところにある。
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ターミネーターシリーズは誰もが知る超有名作品だが興行的には失敗も多い。なにかと批判の槍玉に挙げられる「ターミネーター3」はむしろ興行的には成功した部類で、その後に続く作品は制作費の回収がやっと、ドラマ版に至っては途中で打ち切りという憂い目にあっている。
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しまいにはアーノルド・シュワルツネッガーが復帰した「ターミネーター5」も失敗、後の「ターミネーター:ニューフェイト」では「ターミネーター2」の正統な続編を謳い、ジェームズ・キャメロン監督が制作に加わった上にサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンまで呼び寄せたのに全然普通に失敗と、同シリーズの商業的見通しは非常に暗い。
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その一方で、裏を返せばもはや過剰に失敗を恐れるフェーズは過ぎ去ったとも解釈できる。すでに散々ほじくり回されているし、もうどんな自称続編や外伝が作られようとパラレルワールドが一つ増えるだけに過ぎない。そういう開き直りの結果が今回のアニメ化に繋がったと考えるのは諦観が過ぎるだろうか。
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しかし、現にターミネーター4は3の続編、ドラマ版は2の続編、5は1のやり直し、ニューフェイトは2の続編のやり直しという時間軸の濫造ぶりで、これらすべてが一つも完結することなく尻切れトンボで終わっているのだ。もはやターミネーター2以上の最高傑作などという幻想は捨てて作品ごとの解釈を素直に楽しむ方が気楽に違いない。
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事実、2以降の作品を「ファン同士で熱く語り合った独自解釈が部分的に映像化されたもの」として捉えると、かなり見応えが出てくることに気づく。たとえば先に挙げた不朽の不人気作「ターミネーター3」はなかなか気の利いた描写をしている。
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当時の認識で「すごいコンピュータ」と言えば超デカくて地下に埋まってそうな感じのやつを想像するが、3のスカイネットはちゃんと時代の最先端を取り入れて分散型ネットワークに鞍替えしている。どこにも中心がないから壊せない。いかにも手こずりな強敵だ。だがこの設定はさすがに面倒くさすぎたのか後の作品には継承されていない。無念。
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https://www.youtube.com/watch?v=IEdD2mJ0YGg
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ターミネーターの原型(T-1)を映像化したのもすごい偉い。作中には様々なタイプの殺人機械が登場するが、じゃあ一番最初の最初はどんな感じなんっていうのは多くの人が抱くであろう関心だろうしそれにちゃんと応えたのは立派だと思う。
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ターミネーター4だってシュワルツネッガーは出ていないけどちゃんと偉い。なにしろ、これまで冒頭に数分しか出ない機械との戦争を全編に渡って描いた最初で最後のシリーズ作品だ。バイク型とか巨大なロボット型とかは正直はっちゃけすぎだけど、ただの歩兵ユニットに過ぎない骨格剥き出しのやつだってまともに倒すのは相当しんどいっていうのはよく伝わってきたよ。
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ドラマ版の話は知らない人も多いと思われる。しかし、人類抵抗軍と機械軍の単純な二項対立を覆して「自発的に人間に協力するターミネーター」や「命惜しさに機械に協力する人間」を描き出したのは誠に偉かった。特に前者には様々な解釈の可能性を感じさせられた。
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なんでかって彼らは必ずしもフレンドリーなわけではなく、あくまで「種としての人間に可能性がある」と考えて協力しているだけだから、邪魔だと思った個体は全然普通に殺して回るし、それで良心が咎めたりする気配はない。人間からすると正直怖い。でも味方としてはむっちゃ心強い。そこにドラマがある。
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ターミネーター5はある意味で一番独自解釈に富んだ作品だった。1のやり直し(リメイクとは少し違う)なのがちょっとうまい。本来の1であんなに追い詰められたT-800も、しっかり事前に備えて訓練していれば対物ライフル一撃で倒せるわけよ。本来の2であんなに追い詰められたT-1000も強酸で瞬殺できるわけよ。明らかに「じゃあ逆に倒しにかかるならどうする?」っていうファン同士の議論を踏まえてこの作品は作られている。
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ついでに言うならT-1000役をやったイ・ビョンホンも偉かったな。別にボディービルダーじゃない中肉中背のアジア人でもちゃんとターミネーター役ができるってことを証明してくれた。むしろロバート・パトリック以来のハマり役だったと思う。80年代のアメリカでアジア人が警官に偽装して通用するか? ってツッコミはさておきとして……。
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もちろん悪いところがないとは言わない。ラスボス役のT-3000はぶっちゃけどう強いのかピンと来なかった。人間の細胞を強制的にナノマシンに置き換えることによって、本人の記憶をそのままに人間らしさと液体金属を超える強固な堅牢性を兼ね備えた磁気粒子型のターミネーターという話だが、この能書きを聞いて「えっ、マジで強そう!」ってなる人いる? 僕はならない。
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実際、アクションシーンはターミネーターというよりはマーベル作品みたいで軽かったしな。ちなみに最後はタイムマシンを空転させて発生した磁場に巻き取られて破壊される。あ、そう……。仮に理屈の上で強さを説明できるとしても、観客に視覚的に伝わらなければ意味がない。
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そこへいくとやはりターミネーター2のT-1000は理想的だったと言わざるをえないな。液体なので銃撃とか効きません、でも金属なので手でナイフを作って殺せます、骨格とか持ってるやつ全員馬鹿です、などと映像で示されたら「確かに……」と唸ってしまう。
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そうして不気味なまでの無敵感を醸し出しつつも、実は衝撃や温度変化に弱いことが終盤にかけて露呈していく。こんなふうに鮮やかに誰にでも納得がいくようにラスボスを退場させてみたいものだ。ちなみにスカイネット的にもT-1000は最強どころかむしろ失敗作扱いされている。
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一方、ニューフェイトのアプローチの魅力はこういうメカニカルな部分ではなくて世界観の方にある。「審判の日は回避したけどジョン・コナーは普通に殺されました」、「スカイネットは誕生しないけど全然普通に他の人工知能が人類を支配します」なんてちゃぶ台返しすぎてキャメロン監督本人以外にはできない脚本だ。
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ジョン・コナーを抹殺した後にやることがなくなったターミネーターが後に家庭を築いて良心に目覚め、贖罪意識から他のターミネーターの破壊に協力するというのもかなり高難易度な演出だ。さすがに無理筋すぎて観客には受け入れられなかったようだがその心意気は買いたい。
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最新作の「ターミネーター0」はこれら各過去作に散りばめられた独自解釈の集大成ともいうべき路線を歩んでいる。他の作品にはターミネーター2の威光につづきたいという色気が多少なりともあったのだが、本作は最初から独自路線に振り切っている。そもそも舞台がアメリカですらない。なんと日本なのだ。
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言われてみればターミネーターシリーズは物語のスケール感の割に実際には西海岸とメキシコの一部しか舞台に出てこない。なので他の国々の状況について詳しい描写はされていない。そこを逆手にとって本作ではすさまじい解釈をやってのける。
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審判の日、スカイネットは世界中に核兵器を投下して機械との戦争が始まったが、日本にだけは一発も落ちていない。なぜなら未来の技術者が1983年の東京に来て、あらかじめ対抗しうる人工知能「ココロ」を開発していたからだ。これはドラマ版との共通点がうかがえるものの、対抗策の具体的な実現に踏み込んだのは本作が初めてだ。ドラマの方は途中で打ち切られてしまった。
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しかして「ココロ」も決して人類に恭順を示しているわけではない。むしろオンライン稼働時には「スカイネットも人類もどっちも敵かもしれない」などと疑念を示し、技術者の期待に反して自衛隊や警察組織を壊滅に追い込んで日本の統治を画策した。
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結果的に技術者本人が自らの死をもって子どもたちを守り、争いと搾取を繰り返す野蛮極まる人類にも一縷の希望と良心が宿っている事実を示したことで人工知能は立場を鮮明にする。以降、スカイネットは一生核ミサイルを撃ち続けても人工知能が全部撃ち落としているのでなぜか日本だけ無事というマジで謎の状況のままシーズン1が終わる。
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タイムパラドックスやマルチユニバースに言及したのも特徴的だ。スカイネットが何度過去を変えても分岐した未来が生まれていくだけだと明言している。これは商業的失敗により陰に隠された過去作にも「時間軸の一つ」としての立場を与えうる誠に懐の広い設定だと思う。
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片や安易なマルチユニバース化は作品の濫造を促すのみならず、過去作で奮闘した人物の勇姿を毀損してしまう問題点もある。どう頑張っても枝分かれしていくだけなら別にやらなくたっていいじゃん、とも考えられるからだ。
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だがターミネーターは今やあらゆる解釈が寛容に試される特殊なシリーズに変貌を遂げた。ターミネーター3から現在に至るまで、これほど散々やったのなら今さら誰も怒りようがないだろう。だったらいっそ、突き進むだけ突き進んで独自解釈の極北を目指し、あっと言わせてほしいものだと僕は前向きに捉えている。
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