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@ -31,7 +31,7 @@ tags: ["diary"]
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お巡りさんは小学生の国語力を測りかねている様子だった。幼児に対して使うような言葉を喋ったかと思えば改め、逆にやや難しい単語を使った後に訂正を繰り返したりした。少々居心地の悪さを感じた僕は、自分にとってちょうどよい語句が用いられた時に返事をすることで誘導を試みた。すると、次第にお巡りさんの言葉遣いは読書家の小学生に適した内容へと修正された。
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お巡りさんが語るには、ちょっとした交通事故が起こったらしい。双方ともに怪我はなく特に大事ではない。しかし車体はそれなりに損傷したため大金を払って修理しなければならない。そこで互いの過失割合が問題となる。先ほど紹介した通りここは田舎町、検証の助けになる気の利いたビッグブラザー(防犯カメラ)はなく、ドライブレコーダーは普及以前の時代である。
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お巡りさんが語るには、ちょっとした交通事故が起こったらしい。双方ともに怪我はなく特に大事ではない。しかし車体はそれなりに損傷したため大金を払って修理しなければならない。そこで互いの過失割合が問題となる。先ほど紹介した通りここは田舎町、検証の助けになる気の利いた防犯カメラはなく、ドライブレコーダーは普及以前の時代である。
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「――それで、もう片方の人が言ったんだ。いつも本を読みながら道を歩いている子がいる、その子が全部見たはずだってね」
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@ -57,12 +57,12 @@ tags: ["diary"]
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またとない提案にはっと息を呑んだ。要するに目の前のたくさんの本が今この瞬間、うんと頷くだけで全部僕のものになるのだ。おずおずと控えめに、しかし意図ははっきり伝わるように僕は何度も首を上下に振った。礼を欠いているにもほどがある振る舞いだが、それでもお巡りさんは優しく僕の頭を撫でた。「そうか、そうか。持ってきてよかった。それにしても歩きながら本を読むなんてまるで二宮金次郎みたいだな」
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かつて二宮金次郎の銅像が全国各地の小学校に建てられていた。薪を背負って働きながらでも読書に勤しむ勤勉さを手本とする意味合いが込められていたそうだが、昨今では読書と歩行を兼ねる危険性が槍玉に挙げられたのかあまり良い話を聞かない。きっと時代があと10年もずれていたら僕も糾弾されていたに違いない。結局、僕は最後までもじもじしていたが、お巡りさんはなにもかも善意解釈したまま満足げに立ち去った。
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かつて二宮金次郎の銅像が全国各地の小学校に建てられていた。薪を背負って働きながらでも読書に勤しむ勤勉さを手本とする意味合いが込められていたそうだが、昨今では読書と歩行を兼ねる危険性が槍玉に挙げられたのかあまり良い話を聞かない。きっと時代があと10年ずれていたら僕も糾弾されていたに違いない。結局、僕は最後までもじもじしていたが、お巡りさんはなにもかも善意解釈したまま満足げに立ち去った。
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まもなく大量の本を手に入れた喜びが実感として胸中に押し寄せた。海には連れていってもらえなくとも、空想の大波が僕の心臓を捕まえてぐるぐるとかき回した。さっそく玄関前に並んだ文庫本を手にとり、自室のダンボール製本棚に何往復もしながら運んでいると、寝室から汗まみれの父が姿を現した。「なんだそれは」「お巡りさんがくれた」「なんでだ」「お礼だって」「はあ?」
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まもなく大量の本を手に入れた喜びが実感として胸中に押し寄せた。海はなくとも空想の大波が僕の心臓を捕まえてぐるぐるとかき回した。さっそく玄関前に並んだ本の束を手にとり、自室との間を何往復もしながらダンボール製の本棚を満たしていると、寝室から汗まみれの父が姿を現した。「なんだそれは」「お巡りさんがくれた」「なんでだ」「お礼だって」「はあ?」
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父は仁王立ちで怪訝そうに睨んでいたが、家の前のパトカーが遠ざかる音を聞くやいなや「ふん」と鼻を鳴らした。それでいて明らかに気が緩んだ態度で口元を折り曲げた。「税金で食ってる連中は気楽なもんだな」そう言う父は祖父の財産を食いつぶして暮らしていた。
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その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎても星新一を読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、代わりに僕の世界はますます奥行きを増して厚みを帯びた。
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その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎてもとめどなく読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、代わりに僕の世界はますます奥行きを増して厚みを帯びた。
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やがて、心の中に強固なマイ国家が築かれた。何人にも決して侵されない脳裏にはにぎやかな部屋が作られ、そこには時に暗く明るいひとにぎりの未来が広がっていた。ところで、この日記には重大な嘘が含まれている。一つだけとはかぎらないし、最初から最後までまるきり嘘という顛末も大いにありえる。
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