4話の終わり頃
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Rikuoh Tsujitani 2024-03-04 22:35:19 +09:00
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 程なくして、管制官から返事があった。
<帰投を認める。再び我々に勝利をもたらす日を願って。ハイル・ヒトラー>
<ハイル・ヒトラー>
 **一九四六年**十一月二〇日、愛するお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、同僚の子もまた手足がもげました。けれど、へっちゃらです。だってどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。
 **一九四六年**三月四日、愛するお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、同僚の子もまた手足がもげました。けれど、へっちゃらです。だってどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。
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”一九四六年十一月二四日、愛するお父さんへ。昨月の今頃はまだ暖かったのに、このところめっきり冷え込んできました。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争で華々しい勝利をもたらせば、私たちはアーリア民族の英雄として認められて、ようやく自由に過ごせるのだそうです。
”一九四六年三月十日、愛するお父さんへ。昨月の今頃はまだ暖かったのに、このところめっきり冷え込んできました。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争で華々しい勝利をもたらせば、私たちはアーリア民族の英雄として認められて、ようやく自由に過ごせるのだそうです。
 チーン、とタイプライタが鳴り、ハンマーが紙面の端に到達したことを知らせてくれる。一旦、タイピングを止めて手探りで本体のレバーを引っ張り、改行する。
”それにしても、まだ子どもの私が「上官」とか「管制官」とか言って、口にしてみたらずいぶんおかしい話に聞こえるでしょうね。今の私はなんでも帝国航空艦隊所属の中尉なんだそうです。私よりたっぷり三〇センチも大柄な兵隊さんたちが、前を歩くとさっと右、左に避けてくれるのが分かります。姿が見えなくても、足音でだいたいどんな背格好なのか分かりますから。”
 チーン。また、音が鳴った。再びレバーを引いて改行する。
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 でもラジオの前では私も他の人たちと平等だ。音しか聞こえてこないから、他のことが分からなくたって構わない。
 お砂糖の入った紅茶をたっぷり二杯も呑んだおかげか、その後の作業はそれなりに進んだ。途中、タイプライタを持っていくかどうかで散々揉めたが――戦場にタイプライターなんて!――だって、お父さんにお手紙を書くんだもん!――最終的には携行を認めてくれた。ずいぶん大荷物になってしまったが、全然へっちゃらだ。
 替えのドレスもたくさん詰めた。私の目には映らなくてもお洋服って着ているだけで楽しい。
 収容所では毎日同じ服を着せられていたから、あの運命の日にも「ご褒美をあげよう」と言われた時に「きれいなお洋服を着たい」と即答したのだった。以来、私の軍服はフリルの着いたオーバードレスということになった。
 最後に取り出しやすい位置にチョコレートを入れた。そうして出来上がった大きな旅行鞄と、タイプライターが収まった鞄を持つといかにも旅行気分が高まってくる。
 収容所では毎日同じ服を着せられていたから、あの運命の日にも「ご褒美をあげよう」と言われた時に「きれいなお洋服を着たい」と即答したのだった。以来、私の戦闘服はフリルの着いたオーバードレスということになった。
 そして最後に取り出しやすい位置にチョコレートを入れた。こうして出来上がった大きな旅行鞄と、タイプライターが収まった鞄を持つといかにも旅行気分が高まってくる。
 歩幅を揃えて部屋に戻った私は、ドアを開けて前に三歩、左に二歩動いて壁にかかっていたポシェットを手に取る。この中に私のお財布と身分証明証が入っている。すぐ下の杖も忘れずに持っていかなくちゃならない。地面は障害物でいっぱいだから。
 右に二歩、後ろに三歩後ずさって扉を閉めた。せっかく部屋の間取りを覚えたのに、たぶんここには戻ってこられないだろう。この家も、前の家も、その前の家も、元は別の人の持ち主がいたらしい。その人たちはいまどこに住んでいるのかしら。
 大荷物を抱えてリザちゃんと家から出た後、なんとなく私はそれのある方向に一礼した。
 まだお日さまの熱を感じる時間なのに、外はずいぶん肌寒かった。じきに雪解けの季節なのに厚手の手袋も外套も相変わらず手放せない。せっかくのドレスが台無しだ。でも、杖の先っぽで石畳をこつ、こつと叩きながら道を歩いているうちに、だんだんと身体が暖まってきた。
 この杖の先端はとても硬くできている。なので固い地面を叩くと甲高い音が鳴って、衝撃が指先に伝わる。すると、私の真っ暗な視界の中に白線の波がざざあ、と描かれていく。反響の具合であと何歩歩くと壁があるのか、どの辺りに他の人が立っているのかだいたい分かる。
 今しがた、目の前に白線の壁の輪郭ができあがったので、私はそれをひょいとよけて道を曲がった。リザちゃんとおしゃべりをしながらでもこれくらいのことはできるようになった。
 管制官は「まるでコウモリみたいだな」と仰っていた。聞いた話では、コウモリさんは目はほとんど見えないのだけれど、代わりに壁とおしゃべりをして居場所を教えてもらうんだそう。一体、どんなふうにお話をしているのかな。
 でも、確かに私とそっくりだ。杖でこつこつと叩くと地面が壁やお店の場所を教えてくれる。きっと私はコウモリとして生まれるはずだったのに、間違えて人間に生まれてきてしまったんだ。
 だとしたら、なんて運の良いことだろう。だって、人間じゃなかったらチョコレートは食べられない。
「ねえ、口からよだれが垂れているわよ」
「え、うそ」
 慌ててハンカチで口元を拭おうとしたが、ポケットに向かう手を押し止められた。
「ごめん、うそ。なんか顔が緩んでたから」
 そんなにだらしない顔をしていたのか。チョコレートの話はあまり考えないようにしなくちゃ。
 あの後、お腹いっぱいになるまでチョコレートを頬張ったのに袋の中にはまだたくさん残っている。大切に食べないといけない。
「あら、火事じゃない?」
 言われてみれば、もくもくとした煙くさい匂いが漂ってきていた。先の空襲から一週間近く経っているのに消火が済んでいないのはおかしい。杖をコツコツ、と強く叩くと、視界の中に雑然とした人々の姿が描かれた。街の人たちも火事が気になっているようだ。
 おのずと、私たちの足取りも人波に合わせて炎の気配が強まる方向に進んだ。
 どやどやと行き交う野次馬の騒ぐ声をかき分けて、たどり着いた先では音と熱だけでもはっきりと分かるほどの火柱が上がっていた。なにやら肉が焼ける匂いもする。それに、すっかり嗅ぎ慣れた血の匂いも。
 熱を帯びる火柱の前で、何者かが声を張り上げていた。
「――もしやつらが我々の街を燃やすのなら! 我々もこいつらの家を燃やすだろう! もしやつらが、我々の身を焼き焦がすのなら! 我々もこいつらの身を焼き焦がすだろう!」
 演説調の節をつけてがなりたてる男の人、左右に集まった人だかりが歓声を上げて応じる。
「またユダヤ人が見つかったのね」
 淡々とリザちゃんが言った。どうやらユダヤ人の隠れ家が燃やされていたようだった。
 管制官が言うには、ここミュンヘンにも、ドイツ国内の至るところにも、まだまだユダヤ人たちがたくさん隠れ潜んでいてイギリスやアメリカに情報を送っているという。劣勢に立たされた私たちの首元に刃をかける隙をうかがっているのだ。
 とはいえ少なくとも、これでそのうちの一つの拠点は滅ぼされたと言える。私はほっ、と胸をなでおろした。
「これで空爆が来なくなるといいね」
「……そうね」
 吹き上がる火柱の前に際限なく盛り上がる群衆の熱を後して、私たちはミュンヘン中央駅に向かった。
 それにしてもユダヤ人ってどんな人たちなんだろう。直接触れたことがないからどういう顔をしているのか分からない。みんな悪魔みたいだって言うから、私も頭の中で一生懸命に「悪魔」の姿を思い描いてみる。
 切符を買って、汽車に乗り込むまでひたすら考えてみたけれど、あまりうまくはいかなかった。
---
”一九四六年三月一四日。親愛なるお父さんへ。辞令でベルリンに移って三日が経ちました。まもなく東部戦線に行って参ります。ついこないだ中尉になったかと思えば、もう大尉になってしまいました。ベルリンに着任した管制官は、大佐だったのに今はもう准将です。相変わらず厳しい情勢ですが、頑張りが報われるのは嬉しいです。お父さんもきっと、ブリュッセルでイギリス軍やアメリカ軍を食い止めてくれているのでしょう。でも、くれぐれも銃弾には当たらないでくださいね。私と違って普通の人は治りが遅いですから。”
 チーン。二段ベッドと小さな机と椅子しかない手狭な空間に、タイプライタの改行音が響く。
”今日は、同僚のリザちゃんのお話を書こうと思います。彼女は私より一つ歳上のお姉さんで、イタリア人です。威張りんぼなところがありますがとてもいい子です。私と同じ、役目を持って生まれた子どもでした。私の目が光を映さないように、彼女は自分の手足が一つもありません。せめて格好だけでも普通にさせようとして家具職人の父が敷地に生えている木で義足をこしらえたそうですが、あいにくどんなに力を込めても動かすことはできません。”
 チーン。リザちゃんはまだ寝ている。二段ベッドの上の方ですやすやを寝息を立てている。私はむしろ下の方がよかったのだけれど、居室に着くなり彼女ときたら「私が上ね!」と宣言して梯子を昇っていったのだった。
”彼女は昔、近所の子たちにピノッキオと呼ばれていました。身体の一部が松の木でできているからです。お父さんに読み聞かせてもらったので、私もお話はよく覚えています。ですが、彼女はこのあだ名がとっても気に入りませんでした。それはピノッキオのことが嫌いだからではありません。ピノッキオは自由に身体を動かしていろんな冒険ができるのに、彼女は車椅子を引いてもらわないと自分の部屋からさえ出られなかったからです”
 うーん、とリザちゃんがうなり声をあげて寝返りを打った。改行やタイプの音が耳に障るのかもしれない。でも、今日を逃したらしばらく書けないのだから我慢してもらうしかない。さすがに戦場のまっただ中にタイプライタは持っていけない。
”そんな彼女に転機が訪れたのは私と同じく、役目を果たすための収容所が外国にもできたおかげです。魔法能力を授かった彼女は、あたかも本物の手足が生えたかのように木でできた義肢を動かすことができます。魔法も、私よりうんと強く放てます。その代わりに、狙いを定めるのはちょっぴり下手です。”
 キータイプの手を一旦止めて、神から祝福されたリザちゃんがどんな気持ちだったのか想像しようとした。けれど、湧き出てくるのは自分自身の記憶ばかりだった。
 そこは「収容所」と呼ばれていた。ずっとそこに住んでいた私でも、あまり良い場所とは思えなかった。ご飯の量は小さい私にとっても明らかに物足りなく、新しく連れてこられた大人の人たちが大声を出して怒ると看守の人はもっと怒って彼らを散々にぶった。中でもひどくぶたれた人とは二度と会えなかった。その時、収容所で一番偉い人だった管制官は私に「彼はちょっと早めに役目を果たしたんだよ」と教えてくれた。
 収容所からほとんど誰もいなくなった頃、ついに私の番が回ってきた。身体じゅうにぺたぺたとなにかを貼り付けられたかと思いきや、すごい痛みが走って、次に目が覚めた時には全身がべとべとしていた。どこもかしこも鉄臭い匂いが立ち込めていたので、私は血を流しているのだと分かった。
 そんなに血が出ているのなら、きっと大怪我をしているに違いない。私はすぐに部屋を出て、大人の人に怪我を治してもらおうとした。でも、手探りで見つけたドアは押しても引いても開かなかった。
 何回叫んでもどこからも返事はない。私はとうとう怒って、力任せにドアを両手で押した。
 すると、ドアはすごい音をたてて壊れた。薄いブリキの板みたいに、ひどく折れ曲がっているようだった。もっと押し続けるとドアはぺしゃんこに潰れて、通り道ができた。
「動くな!」
 道の先を歩いていると、突然、男の人たちがそう口々に叫ぶ声が聞こえた。かちゃかちゃと金属が鳴り響く音がとてもうるさかった。
「だあれ?」と聞くとまた「動くな!」と怒られた。不思議なことに、男の人が叫べば叫ぶほど、なにも映さないはずの私の真っ暗な視界の中に、白い線が波打って角ばったお人形のような像を作り出した。どうやら男の人たちはみんなお人形さんで、手にお揃いのなにかを持っているみたいだった。私はそれがなんなのか知りたかった。
「それ、なにを持っているの?」
 前に歩いて手を差し出そうとすると、直後に、ぱん、と乾いた音がして、私は後ろに押し倒された。お腹の辺りがじんじんとしたので、手でまさぐると石ころのようなものが見つかった。
「えいっ」
 投げつけられた石ころを投げ返すと、鋭い悲鳴が辺りにこだました。男の人がそういうふうに叫ぶのを初めて聞いたので、私はとてもびっくりした。どんどん石ころが投げつけられたので、私も躍起になって投げ返した。白い線でできたお人形さんがいなくなって、最後の一つがくしゃりと小さく丸まったので、遊びはもうおしまいかと思いきや管制官が部屋に入ってきた。
「楽しかったかい」彼に訊かれたので、当時の私は無邪気に「ううん、あんまり」と答えた。
「じゃあ、こうしてみよう」
 管制官は私の小さな手を握って、人差し指を伸ばさせ、親指を突き立たせ、残りは丸めるように指南した。そしてされるがままに腕をまっすぐにすると、丸まったお人形さんに人差し指が向いた。お人形さんはすごい悲鳴を叫んで遠ざかっていった――管制官は構わず「さっき聞こえた音を真似してごらん」と言ったので、私は「ぱん」と言ってみた。
 もう悲鳴は聞こえなかった。
 血の匂いは、久しぶりにお風呂に浸かる許しを得てからもしばらくとれなかった。
 私が魔法能力行使者として正式に階級章を授けられたのは、その日から始まった訓練を終えたさらに半年後の話になる。
 リザちゃんも同じような訓練をしたのかな。
”ムッソリーニ首相が王様に叱られて以来、イタリアのほとんどの土地はずっと敵にとられたままになっています。イタリア人の彼女はたまたま難を逃れていましたが、ドイツ軍に接収されたので今はここで戦っています。なんでも接収されると、別の国の人でもその国のきまりに従わなければいけないのだそうです。難しいことは私にはよくわかりません。いつか故郷に帰してもらえるといいと思います。イタリアはドイツの大切な同盟国なので、フューラーも色々考えてくれているでしょう。お父さんも、祖国に勝利をもたらすその日まで、どうかお元気で。ハイル・ヒトラー”
 手紙を書き終えると私は杖を握って居室を出た。ベルリンの大きな基地は大きいだけあって基地の中に郵便局がある。壁伝いに身体を預けつつ杖をこつこつと叩いているうちに、窓口に着いてしまう。口数が少ない郵便局員の人に便箋を手渡すと、いつもの調子で鼻を鳴らした。私の中ではこれが受領完了の合図ということになっている。十日に着いてから毎日送っているので愛想の悪さには慣れている。