14話から
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Rikuoh Tsujitani 2024-02-11 10:49:43 +09:00
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「他に手はないの。アーリア民族の一員なら誇らしく戦ってちょうだい」
 ことここに及んで、私はついにパウル一等兵を叱った。彼は「ちくしょう」とか細い声で答えたものの、それでも小銃を腰より上の高さに構えたようだった。
 いよいよ手に持っていた旅行鞄を脇に置く。戦いが終わった後に戻ってこられる保証はなかったけどそうするほかなかった。「次に揺れたら行きましょう。砲弾の再装填に数分はかかる」リザちゃんの言葉に頷いて、窓際のやや後ろに立つ。光の源はもう踵に集中していて、今にも全身を吹き飛ばしかねない熱量を放っていた。
「戦車をやったら私は建物の裏に回るわ。たぶん包囲されてる」
「うん」
「おい、俺たちは下に向かうぞ。では大尉殿、ご達者で」
 背後で伍長さんが手短に挨拶を済ませる声がした。つかつかと遠ざかる軍靴の足音が束の間の静寂をかえって際立てる。彼らの気配がほとんどしなくなった頃、外でロシア語の怒号が響いた。
 来る。
 来た。
 重苦しい地響きが建物を縦横に揺さぶる。直後、私たちは徒競走のクラウチング・スタートに近い要領で窓に向かって駆け出した。
 重苦しい地響きが建物を縦横に揺さぶる。直後、私たちは徒競走のクラウチング・スタートに似た要領で窓に向かって駆け出した。すでに踵は浮き上がり、地面と空中を交互に蹴っている間隔がした。窓ガラスが私の皮膚を撫でる。視界の真下には巨大な戦車の輪郭が朧げに見えた。
 足元に蓄えられていた魔法を両手に移行させる。昼夜も分からない寒空の下でくるんと一回転。推力が殺されて私の身体は空中で静止する。空が下になって地面が上になる。でも、私の視界は次に彼らが音を立てるまでは微動だにしない。構わず私は両腕を掲げて、ありったけの魔力を解き放った。正直なところ、多少的が外れていても支障はない。
 大地をえぐる手応えが伝わってきた。たとえ戦車が束になってもこれほどの轟音は出せないだろう。ダメ押しにリザちゃんも最大口径の魔法を撃ち放つ。漏れ聞こえるロシア語の悲鳴と絶叫はたちまちかき消されていった。
 これでも重戦車を完全に破壊しきってはいないはずだ。私たちに鋼鉄の分厚い装甲を消滅させるほどの力はない。
 けれど、装甲よりも柔らかい地面を深く陥没させることはできる。
 ぎゅるぎゅると空回りするキャタピラの音が、沈黙した随伴歩兵たちの代わりに聞こえはじめて作戦の成功を悟った。
 私たちが狙ったのは戦車ではなく戦車の下の地面だった。
 感覚にして五メートルほど沈下した地面の下に、三台の戦車がすっぽりと呑み込まれている。でこぼこに変形したであろう車体ではもはや脱出はままならない。砲撃も傾斜がついた地面を前にしてはろくに行えない。
 戦車から離れた位置にいたソ連兵が小銃を発砲してきた。光の源を脚部に移し替えて回避する。しばらく大口径の魔法は撃てない。
 下から上に降ってくる銃弾の雨をくぐり抜け――それでも何発かは当たる――液漏れしたバッテリーのように私の身体から魔法の源泉が流れていった。オーバースカートにふさわしいしめやかな着地で地面に降り立つと、ずぼっ、という音とともにロングブーツの半分が雪に埋もれた。あの後も雪は降り続けていたのだ。
「ぱん!」
 銃声の音を頼りに敵に向かって小口径の魔法を放つ。旅行鞄を置いてきたので私は両方の手に仮初の拳銃を握っていた。撃たれるたびに撃ち返す。ある時を境にロシア語の鋭い声がして、銃声はだんだんと静まっていったが、私はそれがソ連兵の殲滅を意味しないことを理解していた。
 バレている。私の目が見えないことが。
 真っ暗な視界にはほとんどなにも映っていない。遠くでリザちゃんが戦っているであろう爆発音と銃声がまばらに聞こえるだけ。
 ほとんど、静かだった。
 十メートルと離れていない距離にまだたくさんの敵がいるはずなのに、私を殺したいと思っている大人の人たちの視線が全身を貫かんばかりなのに、ただ私はそこに取り残されたかのように思えた。
 鋭角に空気を切り裂く音がした。
 傾いだ頭の隣を銃弾が突き抜ける。かすめた頬が熱を帯びた。遅れて聞こえてくるであろう銃声を待つまでもなく、位置関係と角度で私にはもう射撃位置が把握できた。
「ぱん」
 どこかで人が倒れ込む音がした。今の私には息を呑む人の、喉仏の震えさえ分かりそうな気がした。
「ぱん、ぱん」
 迂闊にも身じろぎしたソ連兵が、もう一人、二人、どこかで死んだ。
 ロシア語で号令がかかる。不思議にも、言葉が分からないはずなのにそれが号令であることははっきりと認識できた。一斉に金属音が響く。ずぼずぼと雪を踏みしめる音がする。ソ連兵が押し寄せる。
「ぱん、ぱん、ぱん」
 振動も音質も曖昧な雪上の足音に向かって、魔法の銃弾を送り続けるも敵勢力の突進が衰える気配はなかった。踏みしめられた雪の上に足音が重なり、私の耳に入る轟音はいよいよ文字通りの雪崩を打って迫った。
 銃剣突撃されるのって苦手だ。銃弾はあまり痛くないのになんで刃物で刺されるのってあんなに苦しいんだろう。
 まもなく深々と突き立てられるであろう刃に備えて、すでに潰れている目をさらにつむろうとしていると、まったく見当違いな方向から激しく銃声が鳴り響いた。
 その銃弾は私の両脇を大きくそれて飛び、近くのソ連兵を雪原に押し倒していった。そこで、私の視界はようやく正面玄関から現れた部下たちの輪郭を形成した。
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