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Rikuoh Tsujitani 2024-03-04 15:11:03 +09:00
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 程なくして、管制官から返事があった。
<帰投を認める。再び我々に勝利をもたらす日を願って。ハイル・ヒトラー>
<ハイル・ヒトラー>
 **一九四年**十一月二〇日、愛するお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、同僚の子もまた手足がもげました。けれど、へっちゃらです。だってどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。
 **一九四年**十一月二〇日、愛するお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、同僚の子もまた手足がもげました。けれど、へっちゃらです。だってどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。
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”一九四年十一月二四日、愛するお父さんへ。昨月の今頃はまだ暖かったのに、このところめっきり冷え込んできました。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争で華々しい勝利をもたらせば、私たちはアーリア民族の英雄として認められて、ようやく自由に過ごせるのだそうです。
”一九四年十一月二四日、愛するお父さんへ。昨月の今頃はまだ暖かったのに、このところめっきり冷え込んできました。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争で華々しい勝利をもたらせば、私たちはアーリア民族の英雄として認められて、ようやく自由に過ごせるのだそうです。
 チーン、とタイプライタが鳴り、ハンマーが紙面の端に到達したことを知らせてくれる。一旦、タイピングを止めて手探りで本体のレバーを引っ張り、改行する。
”それにしても、まだ子どもの私が「上官」とか「管制官」とか言って、口にしてみたらずいぶんおかしい話に聞こえるでしょうね。今の私はなんでも帝国航空艦隊所属の中尉なんだそうです。私よりたっぷり一フース半も大柄な兵隊さんたちが、前を歩くとさっと右、左に避けてくれるのが分かります。姿が見えなくても、足音でだいたいどんな背格好なのか分かりますから。”
”それにしても、まだ子どもの私が「上官」とか「管制官」とか言って、口にしてみたらずいぶんおかしい話に聞こえるでしょうね。今の私はなんでも帝国航空艦隊所属の中尉なんだそうです。私よりたっぷり三〇センチも大柄な兵隊さんたちが、前を歩くとさっと右、左に避けてくれるのが分かります。姿が見えなくても、足音でだいたいどんな背格好なのか分かりますから。”
 チーン。また、音が鳴った。再びレバーを引いて改行する。
”いつか戦争が終わったら、私たちの鉤十字がはためくブリュッセルの空を飛んで、お父さんに会いに行こうと思います。これは内緒の話ですが、私たちがこうして本土で堪えている間にも、他の選り優れた魔法能力行使者たちが海と陸とを飛んでいって、敵の親玉を倒してくれるというのです。そうすればイギリスもアメリカもソ連もみんなすぐに降伏して、私たちの言うことを聞いてくれるでしょう。もしそうなったら、私はお祝いに山ほどのチョコレートを買いたいです。約束された勝利の日まで、どうかお元気で。ハイル・ヒトラー>
”いつか暇ができたら私たちの鉤十字がはためくブリュッセルの空を飛んで、お父さんに会いに行こうと思います。もう十年も会っていないのはいくらなんでもさみしいです。これは内緒の話ですが、私たちがこうして本土で堪えている間にも、他の選り優れた魔法能力行使者たちが海と陸とを飛んでいって、敵の親玉を倒してくれるというのです。そうすればイギリスもアメリカもソ連もみんなすぐに降伏して、私たちの言うことを聞いてくれるでしょう。もしそうなったら、私はお祝いに山ほどのチョコレートを買いたいです。約束された勝利の日まで、どうかお元気で。ハイル・ヒトラー>
「ううむ、もうタイプライタの扱いは私よりうまいな」
 急に背後から声がしたものだから、私はひっくり返りそうになった。他ならぬ声の主が管制官ともなればなおさらだ。
「か、管制官、ですか!? あっ、失礼しました、ハイル――」
@ -108,46 +108,75 @@ tags: ['novel']
「落ち着きなさい。いいよ、たまたま様子を見に来ただけだ。今回の家は燃えずに済んだようだね」
 管制官の言う通り、今回の空襲では私たちの家は燃えなかった。もう三回も引っ越しを余儀なくされていたので助かった。
「この手紙が私が送り届けてあげよう。いや、しかしそれにしてもうまいな。戦争に勝利したらタイピストになるといい」
 管制官の声はいつも半フィート高いところから聞こえる。機械の留具から紙面をするりと取り出して、感心したふうにうなった。その声はどんなに柔らかい口調でもどこか硬い感触を与える。
 管制官機械の留具から紙面をするりと取り出して、感心したふうにうなった。その声はどんなに柔らかい口調でもどこか硬い感触を与える。
「たいぴすと……?」
「人の代わりに文章を打ち込んであげる仕事だ。これなら家の中で働ける。給料もかなり良いと聞いている」
「そうしたら、私に授けられたこの力も使い道がなくなってしまいますね……」
 小さい頃に収容所に連れていかれて、そこで私は国家のために役目を果たすのだと教えられた。毎日、色々な人たちがやってきては、それをまっとうするたびに私の前からいなくなった。みんな、私と同じように目が見えなかったり、耳が聴こえなかったり、体の一部がなかったりした。
 なにもかもが変わった日の後、今までに会った人たちのすべての生命を背負っているのだと教えられたのだった。そして、管制官が上官になった。
「ずいぶん気の長い話ではあるけどな。それまでは休む暇もないよ。ブリュッセルに飛んでいく余裕なんかないほどに」
「いえ、それはほんの冗談ですわ」
 あわてて私が訂正すると管制官は短く笑った。
「まあ、君に飛んでいかれたら実際困るが、ベルギーチョコレートくらいならそのうち用意させるよ」
「本当!? あっ……、失礼しました、どうもありがとうございます」
 ひょい、と浮き上がった踵を瞬時に床にくっつけた。管制官はまた笑った。
「でも、君のお父様に会うのはしばらくお預けかな。勝利は目前とはいえベルギーは未だ前線だからね。ここだってまだ危ない」
「そう……ついこないだ、あんなにやっつけたばかりなのに、どんどん来るんですね」
「敵は多勢だ。ヨーロッパ中が我々を目の敵にしている。思い知らせてやらなければならない」
 落ち着いた管制官の声ににわかに怒気がこもった。私も、お父さんといつまでも会えない辛さを思うと彼と同じくらい敵への怒りがこみあげてきた。
「私が、全部撃ち落とせたらいいのだけれど」
 ぽつり、と前のめりな発言を漏らした私に管制官が告げる。
「早まらなくてもいい。君が下手に力を使いすぎれば、いざという時に失敗してしまうかもしれない」
 ひょっとすると、さっきの男の子に私がしようとしたことも見透かしているのかもしれない。
「ごめんなさい、少し言い過ぎました」
「気にするな。君はよくやっている。敵を殲滅しなければならないのも完全に正しい。だから、ほら、さっそく新しいドレスを仕立てさせた。実はあの後、すぐに発注したんだ」
 はた、として私は前に手を伸ばした。以前も着るたびにうっとりするほどだった生地が、まるでわら半紙に感じられるほどのなめらかな触感が指先から全身に広がった。
「まあ、信じられないわ!」
 ついに私は軍人としての建前を放り出して嬌声をあげ、両手でドレスをむんずと掴んだ。しかし管制官は嗜めることなく「本当は見た目も最高なんだ。我々の軍服と同じ職人に服飾をやらせているからね」と補足した。すかさずぶんぶんと頭を振って応える。
「ううん、いいの。触るだけでこんなにも感激しているのに、繕いまで知ってしまったらこのまま死んでしまうかもしれない」
「おいおい、滅多なこと言わないでくれよ。君は間違いなく我が国でもっとも高価な兵器なんだから」
 すかさず、その場で管制官の助けを借りてドレスを着込んでみた。革の分厚い手袋をはめた手に引かれて鏡の前に立たされた私の視界には、やっぱり漆黒の暗闇しか映っていなかったけれど、世界でもっとも美しいとされる「お姫様」の姿を懸命に描き出そうとした。
「どうかしら、ほら、私には――」
 一回、二回、わざとらしく咳払いをしてから管制官が言う。
「君のお父様にはお見せしない方がいいかもしれないな」
 想定外の感想に私は見えもしないのに、声のする方向へ振り返って口元を曲げた。
「あら、どうして?」
「あまりにも美しすぎるから亡くなってしまうかもしれない」
「そんな――お上手ですね」
「嘘じゃないよ。君だってドレスをじかに目にしただけで死んでしまいそう、と言ったじゃないか。扱うべき者が扱えば効力は倍増される。兵器と一緒だ」
 管制官はひとしきりの賛辞を私に送ると「そろそろ時間だ」と告げ、今日一日はドレスを着たまま楽しんでいていいと許可を与えてくれた。彼が手紙を持って部屋から去った後、私はたまらず床を蹴って宙に浮かんだ。手にはまだチョコレートでいっぱいの紙袋。
 あまりにも軽く薄いオーバースカートの生地がふわりとたなびいた。漆黒の世界でも思い描けば私は部屋に咲く一輪の花だった。
 そうか、戦争に勝ったら戦う相手がいなくなるんだ。あまねく人々がアーリア民族の下に集まって、一人のフューラーの指揮によって正しい調律が作られていく。
「でも、そうしたら、私に授けられた魔法の力も使い道がなくなってしまいますね」
 物心がつく前から収容所で暮らしていて、そこで私は国家のために役目を果たすのだと教えられた。毎日、色んな人たちがやってきては、それをまっとうするたびに私の前からいなくなった。みんな、私と同じように目が見えなかったり、耳が聴こえなかったり、身体の一部がなかったりした。
 なにもかもが変わった運命の日の後、今までに会った人たちのすべての生命を背負っているのだと教えられた。そして、私は帝国航空艦隊所属の魔法能力行使者になった。
「ははは、ずいぶん先の話ではあるけどね。我々の敵は多い。ブリュッセルに飛んでいく暇なんかないほどに」
「いえ、それは、あの、ほんの冗談ですわ」
 あわてて私が訂正すると彼はまた短く笑った。
「とはいえ、君に飛んでいかれたら困ってしまうな。ここは一つ取引といこうじゃないか。さあ、これはなんだろう?」
 ぺたり、と頬にくっつけられた包装紙の感触だけでは、もちろんなにも分からなかっただろう。しかし、その包装紙はとても芳しく、高貴で、甘い匂いを放っていた。
 これは、チョコレートだ。
「まあ、信じられない!」
 途端に、私は軍人としての振る舞いを放り出して嬌声を上げた。両手でそのふっくらした包装紙をむんずと掴み取る。
 同時に、ぎゅっ、と踵を床に強く押し付けた。気をつけないと天井まで浮き上がってしまいそうだったから。
「おいおい、紙まで食べないでくれよ」
「あっ、すいません、私ったら」
「いいとも、代わりに私のお願いを聞いてくれるかね」
 受け取ったチョコレートの袋を机の脇に置いて、神妙そうに膝元に手を置く。顔を仰いでも管制官の顔は分からない。リザちゃんと違ってべたべた触っていい相手ではない。でも私は暗闇の中に、厳父と慈母と賢人のすべてを兼ね備えた理想像を描き出そうとした。
「他ならぬ私の上官ですから」
「そうか、そうだな……実は、東部戦線の状況が芳しくなくてね、兵力が足りていない。そこで、君とリザ中尉に応援に行ってもらいたいんだ」
 東部戦線。今やソビエトの共産主義者たちがポーゼンを越えてベルリンに迫っているという。数万にものぼる鋼鉄の暴力と嵐の前に、我が軍は後退を余儀なくされている。
 初期配置から約二年、失敗続きの私たちにもついに名誉挽回の機会が与えられたのだ。
「お力になれるのなら光栄ですわ。しかし、東部戦線には私などより優れた魔法能力行使者が配備されているでしょう」
「もちろんそうだ。だが、度重なる戦いでみんな疲れていてね、他から集めてくるしかないということになったんだ」
 収容所で散々習った地図のざらざらした手触りを思い出す。ミュンヘンからポーランドは指でなぞると数秒で辿り着くが、実際にはとても時間がかかる。私たちの魔法能力では飛んでいくよりも、鉄道の方が早く着いてしまう。
「リザちゃ……リザ中尉には、もうお伝えしましたか?」
「ああ。予備の手足の調子も悪くないと言っていたよ」
 それを聞いて、ちょっとほっとした。リザちゃんは一つ屋根の下で一緒に住んでいるのに、いつも私の前では見栄を張る。今日の朝も「空襲が来ても全部撃ち落とせる」といばっていた。
「じゃあ、任せたよ。私も一足先にベルリンの基地に向かう。君たちも身の回りの整理をつけたら来たまえ。口頭でしゃべってしまったが、これは一応その命令書だ」
 管制官が私の手の甲に紙面を触れさせたので、おずおずと受け取る。とん、とん、と静かな音で遠ざかる足音がして、部屋の扉ががちゃりと開けられた。お帰りらしい。
 もし、私に目が見えていたらお茶を淹れて差し上げて、茶菓子もすすめて、他にも色々と気の利くことができたのに、うっかり転ぶのが怖くて椅子からさえ立ち上がれない。
 暗闇に包まれた視界の中でひとりでにしょんぼりしていると、遠くから静かな声で管制官が言った。
「いつの日かアーリア民族に勝利をもたらさんことを。ハイル・ヒトラー、マリエン大尉」
「あ、はっ、ハイル・ヒトラー――あれ、えっと、私は大尉では――」
 がたがたと慌てて立ち上がり、案の定体勢を崩しかけながら困惑する私に管制官は苦笑いを投げかける。
「いいや、君は大尉だ。その命令書を受け取った時点でね。後でリザ大尉に読んでもらうといい」
 なにか言う間もなくばたんとドアが閉じた。お腹の奥底から、じわじわと喜びがせり上がってくるのが分かった。
 私たち、昇進したんだ。管制官にもフューラーにも認められたんだ。
 とうとう私は我慢できなくなって床を蹴り、ふわりと宙に浮かんだ。手にはチョコレートでいっぱいの紙袋。
 オーバースカートの生地がふわりとたなびいた。漆黒の世界でも思い描けば私は部屋に咲く一輪の花だった。
 固い木材の天井に、おでこがこつんと当たった。
 緩やかに空中で漂いながら、私は紙袋からチョコレートを取り出して包装紙を破った。ころころした形の幸せを口に含むと、舌の上にじわりと甘さが広がった。
 リザちゃんが遅い昼食の時間を告げに部屋に来るまで、私はそのままでいた。
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<マリエン・クラッセおよびリザ・エルマンノ両名の第三等級魔法能力行使者に以下の辞令を告げる。本辞令を受領後、直ちに行動を開始されたし。>
■両名は現在の拠点を放棄し、速やかにベルリンの中央軍司令部に出頭すること。
■以降、両名は国防軍中央集団の下に再編され、東部戦線に配置される。
■これまでの功績を鑑み、本辞令の受領をもって両名を大尉に任命する。
 リザちゃんが読み上げた辞令の中身は、確かに管制官がおっしゃっていた内容とほとんど変わりがなかった。彼女のベッドに並んで座って、お互いの名前を呼び合ってみた。
「リザ大尉」
「マリエン大尉」
「ふふ」
 大尉といったら数百人からなる中隊を束ねるほどの役職だ。歩く速度も戦う道具も異なる魔法能力行使者に配下は付かないけれど、偉くなったことに違いはない。
 隣に振り向くと、お人形さんのように華奢な輪郭が映った。
「でも、大変だわ。一番おっきい鞄でもこの家のもの全部は入らない」
「大切なものだけ持っていけばいいよ。戦場に花瓶なんて持っていっても役に立たないもの」
 とはいうものの、目の見えない私と小物を拾うのが苦手なリザちゃんの引っ越し作業はだいぶ難航した。手に取ったものが分かるまで何秒もかかってしまう。しまいにはリザちゃんが「紅茶を淹れるわ」といって中座して、ラジオまでかけはじめたものだから完全に手が止まった。
 四角くてのっぺりとした手触りの国民受信機からは柔らかな弦楽器の調べと入れ替わりに勇ましい軍歌が流れ、たまに録音演説や戦況報道も聞こえてきた。
「私、ラジオ好き。私に優しいから」
 まだ半分も中身が詰まっていない旅行鞄を前に、半ば独り言のようにつぶやいた。前に映画館、という新しくできた施設に連れて行ってもらったことがある。なんでも垂れ幕に記録された人や景色の動きが映るのだという。レコードを絵にしたようなものだとも言っていた。しかし、私の暗闇の視界は「映画」に対してなんの反応もしなかった。
 でもラジオの前では私も他の人たちと平等だ。音しか聞こえてこないから、他のことが分からなくたって構わない。
 お砂糖の入った紅茶をたっぷり二杯も呑んだおかげか、その後の作業はそれなりに進んだ。途中、タイプライタを持っていくかどうかで散々揉めたが――戦場にタイプライターなんて!――だって、お父さんにお手紙を書くんだもん!――最終的には携行を認めてくれた。ずいぶん大荷物になってしまったが、全然へっちゃらだ。
 替えのドレスもたくさん詰めた。私の目には映らなくてもお洋服って着ているだけで楽しい。
 収容所では毎日同じ服を着せられていたから、あの運命の日にも「ご褒美をあげよう」と言われた時に「きれいなお洋服を着たい」と即答したのだった。以来、私の軍服はフリルの着いたオーバードレスということになった。
 最後に取り出しやすい位置にチョコレートを入れた。そうして出来上がった大きな旅行鞄と、タイプライターが収まった鞄を持つといかにも旅行気分が高まってくる。