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Rikuoh Tsujitani 2024-03-11 15:11:45 +09:00
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「他ならぬ私の上官ですから」
「そうか、そうだな……実は、東部戦線の状況が芳しくなくてね、兵力が足りていない。そこで、君とリザ中尉に応援に行ってもらいたいんだ」
 東部戦線。今やソビエトの共産主義者たちがポーゼンを越えてベルリンに迫っているという。数万にものぼる鋼鉄の暴力と嵐の前に、我が軍は後退を余儀なくされている。
 初期配置から約年、失敗続きの私たちにもついに名誉挽回の機会が与えられたのだ。
 初期配置から約年、失敗続きの私たちにもついに名誉挽回の機会が与えられたのだ。
「お力になれるのなら光栄ですわ。しかし、東部戦線には私などより優れた魔法能力行使者が配備されているでしょう」
「もちろんそうだ。だが、度重なる戦いでみんな疲れていてね、他から集めてくるしかないということになったんだ」
「ですが、ミュンヘンは……」
 管制官の声が私に覆いかぶさる。
「心配いらないよ。代わりの者が着任する手はずになっている」
 どうやらすでに決まっていることのようだ。
 収容所で散々習った地図のざらざらした手触りを思い出す。ミュンヘンからポーランドは指でなぞると数秒で辿り着くが、実際にはとても時間がかかる。私たちの魔法能力では飛んでいくよりも、鉄道の方が早く着いてしまう。
「リザちゃ……リザ中尉には、もうお伝えしましたか?」
「ああ。予備の手足の調子も悪くないと言っていたよ」
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「でも、大変だわ。一番おっきい鞄でもこの家のもの全部は入らない」
「大切なものだけ持っていけばいいよ。戦場に花瓶なんて持っていっても役に立たないもの」
 とはいうものの、目の見えない私と小物を拾うのが苦手なリザちゃんの引っ越し作業はだいぶ難航した。手に取ったものが分かるまで何秒もかかってしまう。しまいにはリザちゃんが「紅茶を淹れるわ」といって中座して、ラジオまでかけはじめたものだから完全に手が止まった。
 四角くてのっぺりとした手触りの国民受信機からは柔らかな弦楽器の調べと入れ替わりに勇ましい軍歌が流れ、たまに録音演説や戦況報道も聞こえてきた。
「私、ラジオ好き。私に優しいから」
 まだ半分も中身が詰まっていない旅行鞄を前に、半ば独り言のようにつぶやいた。前に映画館、という新しくできた施設に連れて行ってもらったことがある。なんでも垂れ幕に記録された人や景色の動きが映るのだという。レコードを絵にしたようなものだとも言っていた。しかし、私の暗闇の視界は「映画」に対してなんの反応もしなかった。
 でもラジオの前では私も他の人たちと平等だ。音しか聞こえてこないから、他のことが分からなくたって構わない。
 四角くてのっぺりとした手触りの国民受信機から、勇ましい軍歌と入れ替わりに宣伝省の録音演説が流れはじめる。かつて神聖ローマ帝国で外敵を払う役目を担っていたとされる魔法戦士になぞらえて、ここでも魔法能力行使者は魔法戦士と呼称されている。ローマ帝国の後継者である我々にとってそれはとても正当なことに違いなかった。
 ただ、男子の魔法能力行使者が魔法戦士として高らかに称揚されるのに対して、少女はただの「魔法少女」と呼ばれているのが内心ではちょっぴり納得がいかなかった。
 どうして私たちは「戦士」と呼ばれないのだろう? 魔法能力の等級は性別とは関係ないはずなのに。
 そんな考え事をしているうちに厳かな調べに包まれたゲッベルス宣伝大臣の演説(ライヒの空を守る魔法戦士たち)がつつがなく終わり、ラジオ放送の内容はまた軍歌に切り替わった。
 とはいえ、大臣の演説はいつ聴いてもすばらしい。どんなお姿をしているのか私には分からないけど、きっとその美声にたがわぬ模範的アーリア民族らしい見た目を備えているのだろう。
 お砂糖の入った紅茶をたっぷり二杯も呑んだおかげか、その後の作業はそれなりに進んだ。途中、タイプライタを持っていくかどうかで散々揉めたが――戦場にタイプライターなんて!――だって、お父さんにお手紙を書くんだもん!――最終的には携行を認めてくれた。ずいぶん大荷物になってしまったが、全然へっちゃらだ。
 ”たいぴすと”になるのなら時間の許す限り練習しなくちゃいけない。
 替えのドレスもたくさん詰めた。私の目には映らなくてもお洋服って着ているだけで楽しい。
 収容所では毎日同じ服を着せられていたから、あの運命の日にも「ご褒美をあげよう」と言われた時に「きれいなお洋服を着たい」と即答したのだった。以来、私の戦闘服はフリルの着いたオーバードレスということになった。
 そして最後に取り出しやすい位置にチョコレートを入れた。こうして出来上がった大きな旅行鞄と、タイプライターが収まった鞄を持つといかにも旅行気分が高まってくる。
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 そういうリザちゃんだって二皿は食べている。まさかこんな敵に囲まれた戦場でビーフシチューにありつけるとは思わなかった。
「あのう」
 近くを通りかかった兵士の足音に向かって呼びかけて、食べ過ぎを謝罪すると彼はからからと笑った。
「多少は構いませんよ。民家にいた牛を一頭潰したんです。余って捨てるよりはマシでしょう
「多少は構いませんよ。民家にいた牛を一頭潰したんです」
 そんなにたくさん作ったのか、と安心して文字通り腹落ちしたところで、別の疑問も湧いた。
「そこに住んでいた人はよく牛さんをくれたね」
 牛さんは牛乳をくれる。牛乳からチーズも作れる。世話をしているだけでずいぶん役に立つから、潰すとしたら本当に最後の最後だ。たまたまそういう牛がいたのだろうか、それとも特別に協力してくれたのだろうか。いずれにしてもありがたいことだ。
@ -472,15 +478,69 @@ tags: ['novel']
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 部隊の中で一番偉かった人――ウルリヒ伍長はてきぱきと道案内をしてくれた。たっぷり時間をかけてシュナイデミュール付近まで回り込み、そこから北側からポーゼンに到達した。ちょうど股から血が垂れなくなった頃だった。
 辺りに並ぶ兵士たちの声を聴くかぎり、街と呼ぶにはあまりにも悲惨な光景が広がっているようだ。彼らの目に映る建物という建物は崩れ、焼け焦げ、人の気配はみじんも見当たらない。一ヶ月前まではちょうどこの辺りで我が軍の精鋭が物量に勝るソ連軍を抑えていたはずだ。それが今では不気味な静寂に満ちている。音がしないから私の目にはなにも映らない。
 部隊の中で一番偉かった人――ウルリヒ伍長の道案内は慎重さを極めた。私たちと違って普通の人間は一発の流れ弾で死にかねないのだから、接敵を恐れるのは仕方がない。あれほどあったはずの糧秣は三日ほどで尽きて、私たちはまた腹ぺこに舞い戻った。一方で、月のものの痛みは日増しにどんどん強まり、眠いはずなのに眠れない日々が続いた。
 それでも部隊はたっぷり時間をかけてシュナイデミュール付近まで回り込み、そこから北側からポーゼンに到達した。少なくとも出発から一週間近くは経過している。股にあてがう布切れにもそろそろ事欠くようになってきた。
 辺りに並ぶ兵士たちの声を聴くかぎり、街と呼ぶにはあまりにも悲惨な光景が広がっているらしい。一ヶ月前まではちょうどこの辺りで我が軍の精鋭が物量に勝るソ連軍を抑えていたはずだ。それが今では不気味な静寂に満ちている。音がしないから私の目にはなにも映らない。
「夜を狙う。まず大尉どのに奇襲を仕掛けてもらい、連中が慌てているところで我々が街に」
 ウルリヒ伍長の低く落ち着いた号令が寒空に吸い込まれていく。雪はあれから降ったり止んだりを繰り返している。一度よく晴れた日に乾かしたはずのドレスは早くも湿りはじめた
 ウルリヒ伍長の低く落ち着いた号令が寒空に吸い込まれていく。雪はあれから降ったり止んだりを繰り返している。一度よく晴れた日に乾かしたはずのドレスはもう湿りきっている
「でも、敵はどこにいるのかしら」
 リザちゃんの問いにも伍長の答えは簡潔で揺らぎがない。
「見れば分かります。あそこにはもうまともに建っている建物の方が少ないですから」
 数時間後、私たちは部隊から離れて空を飛んだ。久しぶりの飛行に全身の筋肉がぎくしゃくとする。
 数時間後、私たちは部隊から離れて空を飛んだ。久しぶりの飛行に全身の筋肉がぎくしゃくとする。澄んだ空気に満ちた夜空の中では、無線機越しの声も心なしかはっきりと聴こえる。
<あったわ、灯りがついている。私の後に続いて撃って>
 まもなく、視界の端から中心に向かって白い塊が横切っていった。爆発音。私も急いで魔法を放つ。爆発音が二重に響く。
<あっ、いけない、高射砲!>
 リザちゃんの注意とほぼ同時に、ヒュンッと甲高い音をたてて私の横をなにかが通り過ぎていった。後方で起こった爆発の熱風が私のスカートを激しくたなびかせる。
 砲撃音に応じて下の方にぽつぽつと白い点が灯る。左右に蛇行しながら空を切り裂き、私は白い点に向かって降下を開始する。その点がほのかな輪郭を模ったあたりで魔法の砲弾をお見舞いした。
 続けて、他の点にもそれぞれお返しを放っていく。見たところ、この街に戦闘機は配備されていないようだった。もう占領しきったと安心してすべての戦力はベルリンに向かっているのだろう。
 脇が甘かったね。
 あらかた敵の対空能力の殲滅が済むと、私たちは合図を交わして高度を下げた。リザちゃんの放つ魔法に合わせて要領よく建物を破壊する。飛ぶ位置が低くなると、ロシア語の悲鳴がよく聞こえた。
 しばらくするとウルリヒ伍長率いる部隊の突入も追いついた。交錯する銃声を頼りに、手のひらを中口径のステッキに代えて歩兵の隊列を崩し続ける。誰かが叫んだ歓声に向かって私はそれとなく敬礼のサインを送った。
 やがて敵の抵抗は収まり、わずか二個小隊規模の私たちの前に中隊相当の人の群れが手を頭の後ろに組んで並んだ。ウルリヒ伍長がロシア語を話せる兵士伝いにあれこれとやり取りをして、まとまった内容が私たちにも伝えられた。
「大尉どの。この街で作戦司令所として使われていた建物はすでに崩れてしまったようです。中にいた指揮官ごと」
 どうやら戦闘中に破壊した建物の中に含まれていたらしい。うまく再利用できたら強力な無線機も使えて便利だったが、この状況ではやむを得ない。
「しかしまだ生き残っている建物がいくつかございましたので、それらを利用するつもりです」
「そうね」
「それからそこの地下室に未使用の地雷があったので明日にでも施設します。敵車輌の侵入をある程度は食い止められるでしょう」
「ええ」
「それで、ここに並んでるソ連兵の処刑についてですが」
「処刑――殺しちゃうの?」
 ここではじめて、リザちゃんの代わりに口を挟んだ。
「はい。捕虜を監視する人手も糧秣も不足していますゆえ」
「でも戦いは終わったよ、降参したんでしょ」
 壁際で一列に並ぶソ連兵たちの輪郭が見える。誰も銃は手に持っていない。
「ロシアの人たちは私たちが東方生存圏を確立した後に大切な働き手になるんだから、殺すのはよくないよ」
 以前にラジオで聴いた宣伝省の録音演説をほとんどそっくりそのまま言う。
 なんでもフューラーの考えでは、ロシアの地から共産主義者を追い出した後に新しい国を作るつもりらしい。そこではアーリア民族ではないものの善良な人々が帝国の恩恵を受けて平和に暮らしていくという。
「しかし――」
 珍しく抗うそぶりを見せる伍長に、リザちゃんが遮るようにして命じる。
「残った建物を全部使ってもいいから収容して。見張りは少しでいい。もし逃げ出したら私たちが責任を持つわ」
 伍長は渋々とではあるものの受け入れてくれた。それぞれの建物に分かれて収容されていくソ連兵たちの人影を見送った後、私たちも残った建物の一角に専用の寝室を構えた。
「これから大変よ」
 寝る前に、私の背中を濡れた布で拭きながらリザちゃんが言った。
「たぶんもう、ベルリンに向かったソ連軍にも、奥にいる敵にもここが獲られたことは知られてしまったはず」
「でもきっと、しばらく耐えていれば味方の増援が来てくれるよ」
 背中を拭き終えた後は例によって股の布を取り替える。下腹部の鈍痛は顔をしかめたくなるほどに達していた。
「まだ痛むの?」
「うん」
「日が経ったらじきに収まるはずよ」
 銃弾で身体の至るところに穴が空いてもそれほど痛くはないのに、こっちの痛みときたらまるで全身が蝕まれるかのように思われた。初めて月のものが訪れた時、管制官は「それが女の役目だ」と仰っしゃられた。男の役目が敵と戦うことなら、女の役目は元気な赤ちゃんを生むことだと教わった。月のものはそのための準備だという話だった。
 魔法能力がない普通の女の人でも、この痛みに耐えているんだ。
 そう思うと、心なしか鈍痛がほんの少し和らいだ。
 大丈夫、きっとすぐに味方が来てくれる。
 魔法能力行使者の傷が治るのは早い。第三等級の私たちだって、全身が穴だらけになっても一週間ぐらいで治る。東方戦線に配置される第二等級ならすぐにでも治るに違いない。噂に聞く彼ら彼女らの戦いぶりときたら、一撃で街を焦土に変えかねないほどだと言われている。
あるいは、イギリスやアメリカに潜伏している選りすぐりの魔法能力者たちが、今日、明日にでもチャーチルやトルーマンを仕留めてくれるかもしれない。
 長かった作戦を無事に終えたご褒美に、私は外套の奥底からチョコレートを取り出して口に含んだ。じわじわと溶けだす甘みが私に束の間の幸福をもたらした。
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”一九四六年三月二十日。親愛なるお父さんへ。お父さん、私はやりました。見事にソ連兵を撃退して、ポーゼンを解放したのです。途中で初めての部下もできました。捕らえた百名余のソ連兵たちも、今では私たちに従って農作業に従事しています。来たるべき東方生存圏の姿をいち早く実践しているようで、とても誇らしい気持ちになりました。とはいえ、今日はお休みしなければなりません。窓の外では今、季節外れの大雪が降っています。じきに春の目覚めが訪れるというのに空はずいぶん気まぐれなものです。でも、ひょっとするとこの雪が敵の進軍を食い止める役に立つのかもしれま”
 いつもの小気味よい改行音ではなく、なにかが詰まったような鈍い音がした。それきり、どのキーを押しても奥に進まない。どうやらまた故障したようだった。もともと崩れた建物の中から拾ってきたものだったので調子が悪いのは仕方がない。手探りでなんとかアームを引き戻してやると、なんとか続きを打てるようになった。
「ずいぶん熱心に書いているのね」
 背後からいきなりリザちゃんの声がしたので、ちょっとびっくりしつつも自信満々に答える。
「うん、戦争が終わったら”たいぴすと”になるの。だからいっぱい練習しないと」
「……そう」
 彼女はここのところ頻繁に上空を飛び回って哨戒に当たっている。友軍にせよ敵にせよ早めに見つけるに越したことはない。しかし、あれから一週間余りが経過しているのに、相変わらず周辺は嘘みたいに静まり返っている。ベルリンの様子も相変わらず分からないままだ。