10話の途中
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Rikuoh Tsujitani 2024-03-12 15:11:54 +09:00
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 ため息をついて苦言を漏らすと、彼女は首の後ろをオーク材の指でなぞりながら告げた。
「そういうけど、あんただってドレスの後ろ前が逆よ」
「えっ!?」
 結局、ドレスを着直して、最後に携行物の確認もして――余ったチョコレートは必携――管制官のいる執務室に出頭する頃にはほとんど遅刻寸前の時刻になっていた。
「ハイル・ヒトラー!」
 結局、ドレスを着直して、携行物の確認もして管制官のいる執務室に出頭する頃にはほとんど遅刻寸前の時刻になっていた。
 最後に外套の奥に丸ごと押し込んだチョコレートはだいぶ量が減っていた。出撃先では大切に食べなければならない。
「ジーク・ハイル!」
 二人してピンと声を張って敬礼する。ロングブーツの踵が鈍い音をたてた。
「いよいよ出撃だ。準備はいいかね」
「お休みになられている先輩方の穴を埋められるよう努力します」
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「しかし――」
 珍しく抗うそぶりを見せる伍長に、リザちゃんが遮るようにして命じる。
「残った建物を全部使ってもいいから収容して。見張りは少しでいい。もし逃げ出したら私たちが責任を持つわ」
 伍長は渋々とではあるものの受け入れてくれた。それぞれの建物に分かれて収容されていくソ連兵たちの人影を見送った後、私たちも残った建物の一角に専用の寝室を構えた。
 伍長は渋々とではあるものの受け入れてくれた。それぞれの建物に分かれて収容されていくソ連兵たちの人影を見送った後、私たちも残った建物の一角に専用の寝室を構えた。必要な準備は部下が全部やってくれた。
「これから大変よ」
 寝る前に、私の背中を濡れた布で拭きながらリザちゃんが言った。
「たぶんもう、ベルリンに向かったソ連軍にも、奥にいる敵にもここが獲られたことは知られてしまったはず」
@ -526,26 +527,103 @@ tags: ['novel']
 銃弾で身体の至るところに穴が空いてもそれほど痛くはないのに、こっちの痛みときたらまるで全身が蝕まれるかのように思われた。初めて月のものが訪れた時、管制官は「それが女の役目だ」と仰っしゃられた。男の役目が敵と戦うことなら、女の役目は元気な赤ちゃんを生むことだと教わった。月のものはそのための準備だという話だった。
 魔法能力がない普通の女の人でも、この痛みに耐えているんだ。
 そう思うと、心なしか鈍痛がほんの少し和らいだ。
 大丈夫、きっとすぐに味方が来てくれる。
 魔法能力行使者の傷が治るのは早い。第三等級の私たちだって、全身が穴だらけになっても一週間ぐらいで治る。東方戦線に配置される第二等級ならすぐにでも治るに違いない。噂に聞く彼ら彼女らの戦いぶりときたら、一撃で街を焦土に変えかねないほどだと言われている。
あるいは、イギリスやアメリカに潜伏している選りすぐりの魔法能力者たちが、今日、明日にでもチャーチルやトルーマンを仕留めてくれるかもしれない。
 服を着直すと、私は備え付けの机の前に座った。目の前にはタイプライタが用意されている。無事だった建物の一つで見つかったものを「セッシュウ」したのだ。使い慣れたものとは異なるメーカーだったが、何度か試し打ちしているうちにすぐ馴染んだ。
「ずいぶん熱心なのね」
 半ば呆れた調子で言うリザちゃんに私は自信満々に答えた。
「うん、戦争が終わったら”たいぴすと”になるの。だからいっぱい練習しないと」
「……そう」
”一九四六年三月二四日。親愛なるお父さんへ。聞いてください。ついに私たちはやりました。見事、ソ連兵を打ち負かしてポーゼンの地を解放したのです。途中で初めての部下もできました。たくさん捕まえた捕虜も今は空いた建物に閉じ込めておとなしくさせています。今頃、ベルリンに向かっている他のソ連兵たちも、モスクワにいる共産主義者たちも大慌てしているに違いありません。私たちがここでひたすら持ちこたえていれば、必ずや他の魔法能力行使者や兵隊さんたちが反転攻勢を成し遂げてくれるでしょう。”
 チーン。ほんの少しだけ音程の違う改行音が部屋中に響く。
 長かった作戦を無事に終えたご褒美に、私は外套の奥底からチョコレートを取り出して口に含んだ。じわじわと溶けだす甘みが私に束の間の幸福をもたらした。
---
”一九四六年三月二十日。親愛なるお父さんへ。捕虜にしたソ連兵たちのお仕事が決まりました。今のところは農作業と街の再建に従事させています。来たるべき東方生存圏の姿をいち早く実践しているようで、とても誇らしい気持ちです。とはいえ、今日はお休みしなければなりませんね。窓の外では今、季節外れの大雪が降っています。ブリュッセルでもきっとそうだと思います。じきに春の目覚めが訪れるというのに空はずいぶん気まぐれなものです。でも、もしかするとこの雪が敵の進軍を食い止める役に立つのかもしれま”
 いつもの小気味よい改行音ではなく、なにかが詰まったような鈍い音がした。それきり、どのキーを押しても奥に進まない。どうやらまた故障したようだった。もともと崩れた建物の中から拾ってきたものだったので調子が悪いのは仕方がない。だが、私の方もいい加減に慣れてきて、手探りでアームを引き戻してやるとタイプライタは再びまともに動くようになった。
「ずいぶん熱心に書いているのね」
 背後からいきなりリザちゃんの声がしたので、ちょっとびっくりしつつも自信満々に答える。
「うん、戦争が終わったら”たいぴすと”になるの。だからいっぱい練習しないと」
「……そう」
 彼女はここのところ頻繁に上空を飛び回って哨戒に当たっている。友軍にせよ敵にせよ早めに見つけるに越したことはない。しかし、あれから一週間余りが経過しているのに、相変わらず周辺は嘘みたいに静まり返っている。
「なんか見えた?」
「なんにも。一体どうなっているのかしら」
 あまりにも情報がなさすぎた。無線設備もなければ斥候を送る兵力もない私たちには、今、ベルリンがどうなっているのかも分からない。
「ちょっと遠くまで飛んでみるとか――」
「ダメ。この街の防衛能力は私たち二人にかかってる。入れ違いになったら一巻の終わりよ」
 こんなやり取りをもう何度も繰り返している。一体
 ガンガンと部屋のドアを激しく打ち鳴らす音で目が覚めた。肌に触れる空気の感覚からして朝にはまだ早いはずだ。ちょっぴり苛立った声でリザちゃんがドアの向こう側に応じる。相手の返事はもはや悲鳴に近かった。
「大尉どの! 大尉どの! どうか、今すぐやつらを――ソ連兵どもを――我々には手が――」
 二人して急いで跳ね起きる。半ばリザちゃんに引っ張られるようにして外に向かう。
 踏み出した瞬間、ロングブーツの底に奇妙な感触がまとわりついた。同時に頬を頭を首筋を、冷たいなにかが打ち付けてくる。「吹雪だわ」リザちゃんがつぶやく。寝ている間に雪が降っていたらしい。外套を忘れてしまったので、あっという間にドレスに水分が染み込んでいく。
「こちらです! 大尉!」
 兵士の声に従って後を追う。雪を踏み鳴らす音は方向性が掴みづらく、私の視界には白い靄としてしか映らない。声がした瞬間だけ靄が淡い輪郭をまとう。そんなに遠くないはずの距離を吹雪と積雪の抵抗を受けながら進むにつれて、分厚い空気の層を切り裂くように兵士たちの悲鳴が漏れ聞こえた。
 ロングブーツの底に魔法を込めて雪から足を引き抜くと、一直線に声の方向に滑空した。銃声。また、銃声。靄から伸びる鋭い白線が銃弾の軌跡をかたどっている。その先にいるのがソ連兵なのだろう。
 大切な労働力を殺すのはためらわれるが暴れているのなら仕方がない。ホルスターから引き抜いたステッキから魔法の刃を繰り出して、軌跡の末端へと振りかぶる。鉄でできた戦闘機をバターのごとく切り裂くこの刃は、人体をえぐるのに手応えさえ与えてくれない。
 はずだった。
 これまでに一度として途中で止まったことのない魔法の刃が、私の自重ごと空中で押し留められた。相手が固すぎるのではない。掴まれている。
 ステッキではなく、魔法の刀身が。
 予想を越える力が刀身ごと私を積もった雪の上に投げ出した。しばし、されるがままに埋もれていった身体はしかし、追撃の兆しを察してすぐさま中空に浮き上がる。直後、ドーン、と重低音が響いて雪が舞い上り、あたかも返り血のようにドレスに降り掛かった。
「ゔゔゔゔゔゔゔゔゔ」
 ここへきて、私の視界はようやく敵の輪郭を正確に捉えることができた。獣同然の唸り声を上げ、身を激しくよじり頭を抱えるその様は、およそ人間離れしていた。暴力と絶望が綯い交ぜになった様相に誰もが絶句を余儀なくされた。
「なん、なの、こいつ」
 ようやくリザちゃんが一言だけ漏らす。先の兵士が息を切らしながら言う。
「俺が見張りを代わる前までは普通だったんです――でも気づいたら――こいつ、見張りも、仲間の捕虜も殺して――急にこんな有様に――」
 不審な挙動を見せつつも雪の上で立ち往生する化け物に対して、兵士が装填したライフルを向ける。
「たぶん意味ないよ。さっき私の魔法を掴まれた。魔法に触れるってことは」
「魔法能力行使者なの?」
「そうだと思う。隠していたのか、もしかすると今日になって発現したのかも」
「ソ連にもいたのね」
 突如、なにに反応したのか――化け物は空に向かって鋭く絶叫して――一目散に兵士の方へと駆け出した。
 恐怖の声とともに兵士もライフル銃を放つも、私たちがそうであるように化け物が止まることはなかった。真横から私とリザちゃんが魔法を放つと、醜くわめきながら雪の上を転がっていった。
 四方八方から増援の兵士たちが駆けつけてきた。雪を踏みしめる音がしばし空気を満たして、闇夜に紛れた白銀の先へと一斉に小銃が構えられる。
「見えたらすぐに撃て!」
 後ろの方でウルリヒ伍長の号令が聞こえた。
 この時、私の目にはみんなとは違うものが映っていたと思う。
 相変わらず真っ暗な視界の奥に、支えもなしに仰向けからゆっくりと起き上がる人影が一つ。その輪郭は今までのどれとも違っていて、輪郭を構成する糸の一本一本が、粒の一つ一つが、あたかも脈打っているように見えた。
 それらの絶え間なく動く脈動がみるみるうちに勢いをつけて、あたかも膨れ上がった様子で威圧感を増していく。とめどなく、再現なく、もはや自分自身の存在にすら気を払っていないかのように思われた。
「逃げて!」
 化け物の思惑に悟った刹那、とてつもない爆発が起こった。反射的に大口径の魔法をぶつけて相殺を試みる――が、襲いかかる衝撃はは左右に分かれて辺りにことごとく破滅を撒き散らした。束の間、爆風の隙間を縫って耳に届いた悲鳴は殺人の波に包まれてたちまち消し飛んだ。
 季節外れの雪の夜に再び静けさが訪れた時、化け物の姿はどこにもなかった。
「ごほっ、自爆――したのか?」
 しばらくすると後ろから生き残りの兵士たちが雪をかき分けて起き上がった。ウルリヒ伍長が、もう存在しない部下に向かって声を震わせる。
「おい、どうした――どこへいったんだ、お前ら」
「爆風に巻き込まれて死んだのよ。生き残ったのは私たちの魔法の真後ろにいた人だけ」
「そんな無体な、ついさっきまで――死体さえも――」
 がさっ、と雪の上に膝をつく音がした。声や身じろぎの数から、およそ半数の兵力がまたたく間に失われてしまったのだろう。あまりにも強力な魔法は灼熱の業火をも上回る。物や人を破壊した痕跡さえも残さない。すべては虚空の彼方へと消えゆく。
「……あなたのせいですぞ、大尉どの」
 普段の落ち着いた口調が嘘みたいに刺々しい声色で伍長が私に食ってかかった。
「前もってソ連兵どもを皆殺しにしていれば!」
「でも、彼らは東方生存圏の――」
「なにが生存圏! あなががたは――総統閣下も――我が軍の実情をご存知なのですか?」
 雪をかき分けてずんずんと迫るウルリヒ伍長の手が、私の胸ぐらを掴む。しかしそれは「胸ぐらを掴まれている」というよりはすがりつかれているような感じがした。
「ちょっと、伍長、あんた――」
「いや、待って。伍長さん、我が軍の実情ってなに?」
 揺れ動く白線で縁取られた顔の輪郭がしばし俯く。
「我が軍は、ドイツ国は、このままだと確実に」
 直後、遠方で爆発音が響いた。一発や二発ではない。何十もの火薬が炸裂した音がとめどなく続く。伍長の手が襟元から離れて、身体ごと音のする方向に傾ぐ。
「撒いておいた地雷が爆発した」
 まもなく私たちの認識は一点に集中した。
「ソ連軍が来る」
---
 いつもの要領で上空から奇襲を仕掛ける。きゅらきゅらとキャタピラで雪を踏み鳴らして進む重戦車と、遠慮なしに金属音を立てる随伴歩兵らしき集団の輪郭が急降下に伴い明瞭に映り込む。魔法の砲弾を放ったと同時にUターンして空へ舞い戻る。地雷原で損耗した戦車の数を念頭に入れると、敵方の車輌はそう多くはないはずだ。
<南側からも来るわ>
「そっちはお願い>
 短く無線通信を交わして目の前の戦場と向き合う。ただひたすら、被弾を最小限に、応射を最大限に。一見、際限なく現れるように思われたソ連兵たちにも限りはある。上空からの砲撃に一段落を見出した後、四方に分散したであろう小隊の位置取りに見当をつける。今、私の右斜め後方で音がした。
 速やかに建物の縁から飛び立つと、入れ替わるように銃弾が元いた位置を掠めていった。軌跡を辿ったその先にステッキを振り抜く。帯状に展開された魔法の波が、確かに人体を両断した手応えを得る。
 リザちゃんがいる方向からも景気の良い爆発音が聞こえてきた。どうやらなんとかうまくいっているようだ。事態はすでに残存兵力の掃討に切り替わっている。
 ふわりと地面に降り立つ。遁走をはじめた背中に人差し指を突き立てて一人ひとり、順番に始末していく。破損した戦車の陰を覗くと、逃げ遅れた若いソ連兵の泣きじゃくる声が耳に入ってきた。
 もし口を閉じて黙っていたら気づかなかったかもしれないのに、甲高い泣き声のせいで私の目には敵を仕留めるのに十分な情報量が描き出される。相変わらずロシア語は分からない。
「ぱん」
 人影の輪郭が弾けて消えた。
「こっちは終わったよ」
 無線に向かって呼びかけると、リザちゃんの弾んだ声がハムノイズに乗って返ってきた。
<こっちも今終わった。どう、怪我してない?>
 毎度の確認に少々辟易しながらも私は律儀に答える。
<月のものが重くてお腹がすごく痛い以外は平気>
 激しく動いたからまた当て布を替えなければならないだろう。食糧も必要だ。どっちもソ連兵から鹵獲できるといいのだけれど。
 なんとなしに空を仰ぐと頬に雪が乗った。
 あの日、最初の襲撃を経て私たちの部下は全員が戦死した。結局、ウルリヒ伍長から話は聞けないままだった。
 でも私たちは生きている。とっくに春を迎えたはずのこの地で、いつまでも止まない雪を浴びながらライヒのために戦い続けている。
”**一九四六年四月三〇日** 親愛なるお父さんへ。紙がなくなりそうなのでしばらくお手紙を書けなくなるかもしれません。この地に来てからもう一ヶ月余りが経過しました。身体に空いた穴が二桁を越えてからは数えるのを諦めています。放っておけばそのうち塞がるけど、戦うたび穴が空くので実際のところいくつあるのか分からないのです。こないだ、ようやく戦死した人たちの埋葬を全員分終えました。得体の知れない化け物に殺されてしまった捕虜の皆さんも今では土の下で一緒になっています。”
 改行音が鳴らない。また故障したみたいだ。慣れた手つきでアームの位置を無理やり下げて、続きを書き進める。
「食糧、そこそこ手に入ったわ。またしばらくは持つと思う」
「うん」
”ベルリンの様子が心配でなりません。ブリュッセルだってきっと大変に違いありません。私たちがここで戦うことで、少しでも戦況が良くなることを願っています。あるいはもしかしたら、今日の戦いがソ連の最後の悪あがきなのかもしれません。実はもうソ連軍は東部戦線から撤退を始めていて、モスクワに帰っていく途中なのです。本当にそうだったらいいなと思います。一ヶ月もお休みをとった先輩の魔法能力者たちは今にも出撃の準備を心待ちにしているのでしょう。”
「当て布、もう変えておく?」
「うん」
”じきに私たちにも真の春が訪れるはずです。これだけ頑張ったのだから、フューラーもきっとお褒め下さると期待しています。その暁にはゲッベルス大臣にも私のことを”魔法戦士”と呼んでほしいとお願いしようと密かに考えています。