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Rikuoh Tsujitani 2024-02-22 15:13:37 +09:00
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@ -24,7 +24,7 @@ tags: ['novel']
 しかしある時、唐突に状況が変わった。TOAは奥の手を隠し持っていたのだ。一体どこで拾ってきたのやら、どの国にも未登録の魔法能力行使者を使って反転攻勢に打って出た。かの地に住まう人々を気にかける数少ない”良心的進歩派”両手を掲げて二本の指をくいくいと動かすも、この件を皮切りにあっさり手のひらを返した。こちら側の戦死者の数が急速に増えだしたからだ。
 批判を受けた国連軍はさっそくすべての爆撃機を無人機に切り替えて地上軍の展開を中止したものの、何百マイルも離れた安全な場所でコーヒー片手に操縦しているデスクワーカー空軍兵士が勝てる相手ではない。一つ何万ドルもする無人機は出すたび出すたび塵と化していった。どうやら、連中が手駒に仕立てた魔法能力行使者は大道芸人崩れで終わるような半端者ではないらしい。いわゆる戦略兵器等級の最上位魔法能力行使者だ。(以下、戦略級魔法能力者と呼称)
 こうして国連軍が手間暇をかけて端っこからちまちまと削り取ってきた解放地域はみるみるうちに押し戻され、状況はすっかり元通りになった。不思議なことにあらゆる物品と金銭が文字通り露と消えたのに、こんな状況でもちゃっかり金儲けをしているやつらがいる。どういうカラクリなのか日々真面目に対立を煽って日銭を稼いでいる身分の私にはまるで見当がつかない。そもそもこの場にフリーライター風情の私が潜り込めているのも、厳密には合法とは言いがたいコネや搦手を散々使った結果だ。
 さて、当然、事態はもはや通常戦力の手に負える段階ではない。国連軍としても対等の魔法能力者を派兵するのが筋だ。ところが国連軍内はおろか各国にも、正式に登録済みでかつ軍事訓練を受けており、実際の戦闘経験も持ち合わせた戦略級魔法能力者はまったくいなかった。およそ八歳で例外なくピークを迎えて、以降は弱まる一方の魔法能力は常備常設を良しとする近代的軍備の規範にまるでそぐわない。なにより当人が軍属を希望するともかぎらない。
 さて、当然、事態はもはや通常戦力の手に負える段階ではない。国連軍としても対等の魔法能力者を派兵するのが筋だ。ところが国連軍内はおろか各国にも、正式に登録済みでかつ軍事訓練を受けており、実際の戦闘経験も持ち合わせた戦略級魔法能力者はまったくいなかった。およそ八歳で例外なくピークを迎えて、以降は弱まる一方の魔法能力は常備常設を良しとする近代的軍備の規範にまるでそぐわない。なにより当人が軍属を希望するともかぎらない。
 それでもロシアをはじめとする東側諸国にはぼちぼちいるそうだが、貸してくれと頼んで借りられるようなら苦労しない。専制国家から戦略級魔法能力者をレンタルするなんて核兵器のデリバリーサービスよりもハードルが高い。月にロケットを送りこんだAmazonにも不可能なことはある。
 念の為に日本政府にも打診を試みたものの、よく知られている通りこの国は「我が国に上位等級の魔法能力行使者は存在しない」との公式見解を戦後からずっと堅持しているため、今回も協力は得られなかった。
 結局、最後の頼みの綱は我らがアメリカ合衆国だった。だいぶ衰えたとはいえ今なお最強の軍勢を誇ると知らしめたい彼らは、当初より盛んに派兵を行っている。大量殺戮を呼ぶ戦略級魔法能力者を送り込むなどまともな民主主義国家なら絶対に民意が許さないだろうが、かの地への厳しい制裁を望む合衆国国民は乗り気そのものだった。そういうわけで、今回のジョイントミッションが実現したのである。
@ -148,7 +148,7 @@ tags: ['novel']
「生理痛で睡眠不足で最悪。今にも世界を滅亡に追い込みそう。なんてね」
 もうカメラが回っているかのような気の利いた冗談に気圧されかけるも、言わずもがな彼女は女優であった。「そういうあなたは?」と水を向けられたからには、こちらも印象的な人物を演じないわけにはいかない。
「いや、暑すぎて参ったね。君のそのスーツは涼しそうでなによりだが、こっちはこんなのを着せられてたまらないよ。良かったら私のと交換しないか」
 夏真っ盛りの本日、元々の土地柄も相まって気温はゆうに三〇度を越えていた。彼女はくすり、と微笑んだ。
 夏真っ盛りの本日、土地柄も相まって気温はゆうに三〇度を越えていた。彼女はくすり、と微笑んだ。
「いいけど、こう見えても重さが三〇〇ポンドくらいあるし、背面を溶接してるのよこれ」
 さすが、生きた戦略兵器のために作られた防護服は格が違った。
「困ったな。クーラーの効いた戦闘車輌から一歩も出ないで済む方法は他にないものかね」
@ -387,218 +387,259 @@ tags: ['novel']
 こうしてなし崩し的に戦場に駆り出されたが、以降は特に語るほどの話はない。圧倒的な物量差に加え、短気なインフルエンサーの指揮する戦争が有利に運ぶはずもなく、私が率いた中隊は一週間と経たずに合衆国軍に制圧された。捕らえられた後はいいように再利用され、今度は合衆国軍側のスパイとなった。勤務評価が言うにはそこそこ役に立ったらしい。三年後、国連安保理決議の採択とともに私はTOAを脱出、自動的に除隊された。三年間のスパイ勤めに対する恩給は、まあそれなりには出た。
 公にはできない仕事でキャリアに穴を空けた私に就けるまともな仕事はなかった。社会は内戦が起ころうが母国の一部が空爆されようがほぼ滞りなく進んでいた。以来、人々を怒らせる小話を書いて日銭を稼ぐ日々だ。あまりうまくはいっていない。軍のツテを駆使してでも魔法少女とお近づきになれなければ今年中に貯金が尽きていただろう。
 もっとも、エドガー少尉は多くを知りたがらなかった。「所属部隊は?」「ここの第一九連隊だ」「そうですか、苦労しましたね」これで終わりだった。彼が去った後、しばらくして私もようやく眠れそうになったので元いた寝袋にくるまって目を閉じた。起きた時に捕縛されていたら、それはそれで仕方がないと思った。
 意外にも、朝日に照らされて迎えた翌日の状況に変化はなかった。少尉と何事もなかったかのように挨拶を交わし、ばっちり睡眠をとった我々の最強兵器は、敷物を巻き終えて溌剌とした様子でカメラの前に現れた。
 意外にも、朝日に照らされて迎えた翌日の状況に変化はなかった。少尉とは何事もなかったかのように挨拶を交わしたり、他の兵士たちの素振りも変わらない。
 ばっちり睡眠をとった我々の最強兵器も、敷物を巻き終えて溌剌とした様子でカメラの前に現れた。
「ハーイ、今日は敵地の首都、私たちのテキサスを奪還しにいきます!」
 我々は戦闘車輌に乗り込んでルート二〇を直進する。昨日のコロラド・シティからやや大きいアビリーンに到達すると緑地は目に見えて増えた。空軍基地の街として知られるこの都市にさえ戦闘機はもう一機も残っていない。互いの人生が一回目だった頃の戦いで合衆国軍にあらかた撃ち落とされた上に、三年後の空爆でも空軍基地は優先的な破壊目標だったからだ。
 あちこちに朽ちた廃材でバラック小屋を建てて暮らす住民が見える。戦闘車輌がひび割れた街路を踏み鳴らして続々と横断していくと小屋から散弾銃を持った土気色の主人たちが現れたが、特になにもするでもなく我々を見送っていった。こちらもこれ以上はことを荒立てない。この地の実情はよく分かった。
 我々は戦闘車輌に乗り込んでルート二〇を直進した。昨日のコロラド・シティからやや大きいアビリーンに到達すると緑地は目に見えて増えた。空軍基地の街として知られるこの都市にさえ戦闘機はもう一機も残っていない。互いの人生が一回目だった頃の戦いで合衆国軍があらかた撃ち落とした上、三年後の空爆でも空軍基地は優先的な破壊目標だったからだ。
 あちこちに朽ちた廃材でバラック小屋を建てて暮らす住民が見える。時折、小屋から土気色の主人たちが散弾銃を持って現れたが、特になにもするでもなく我々を見送っていった。こちらもこれ以上はことを荒立てない。この地の実情はよく分かった。
 ウェザーフォードを越え、フォートワースに着くと兵士たちも多少はピリピリとしてきた。首都のダラスはもう目と鼻の先、太陽は高く昇っている。他愛もない雑談が減り、魔法少女の空中偵察は格段に回数が増えてあまり涼みに戻ってこなくなった。
ここからは徒歩で行かざるをえませんね
 車輌から顔を出したエドガー少尉が振り返って言った。首都侵攻を警戒していたTOA国軍が地雷原を敷き詰めているのだ。街は空爆で閑散としているが地雷はまだ生きていると考えられる。事実、国連安保理決議に基づいて派兵された地上軍のうちの一部は首都にまで迫っていたが、地雷原の処理に手間取攻めきれなかったという。
 街を目の前にして何台もの戦闘車輌がブレーキをかけて横付けされる。少尉の呼びかけに応じて戻ってきた魔法少女に説明が施された。
まずいな。我々の”魔法少女”を呼びましょう
 車輌の窓から前方を見やったエドガー少尉が、振り返って言った。かつて首都侵攻を警戒していたTOA国軍は地雷原を築いている。街は空爆で崩壊しても地雷はまだ生きているだろう。事実、国連安保理決議に基づいて派兵された地上軍のうちの一部は首都にまで迫っていたが、地雷原の処理に手間取って攻めきれなかったという。
 街を目の前にして戦闘車輌がブレーキをかけて次々と停まる。少尉の呼びかけに応じて戻ってきた魔法少女に説明が施された。
「私があそこを踏んでいけばいいのね」
 二つ返事で了承した彼女は前方の道路を堂々と歩いていった。ただし荷重をかけているのか歩みはやや遅い。道路に敷き詰められている地雷は対人用ではないはずなので、反応させるには魔法で圧力をかけてやる必要がある。
 どん、と音がして一瞬、彼女の背中がコンクリート片と砂塵に覆い隠された。等身大の驚きを見せてひっくり返った彼女は、しかしすぐに起き上がり「うわあ、びっくりした!」と私の胸元に向かって叫んだ。二回、三回と繰り返すたびに慣れてきたのか、後半の方ではスキップを踏みながら連続で地雷を起爆させていた。  車を走らせても差し支えない範囲の処理が済むと、我々はまた戦闘車輌に乗り込んだ。念のために前方を走り続けている彼女を撮るために、私は助手席に乗った。
 ストリーミング配信の視聴者にはフロントガラス越しに魔法少女の背中が見えているはずだ。作戦もへったくれもない力技で地雷を処理していく姿はそれなりに刺激的な撮れ高と言えそうだ。また、前でどん、と音が鳴ってまた地雷が爆発した。複合素材スーツを作っている会社の株価もきっと今頃はストップ高に違いない。
「まだ戦争は終わっていないのにまるで敗戦後みたいだ」
 地雷原を通り過ぎると空爆の傷跡が痛ましいでこぼこの地面に晒されて、さしものスポンサー企業提供の最新戦闘車輌によるサスペンションも用をなさなくなった。
 閑静な住宅が並ぶアーリントンはもともと低層の家屋が多いおかげで、真夏の太陽の下でもことさらにひどい寒々しさがする。ここにはバラック小屋すらもない。荒涼とした瓦礫と雑草が延々と広がっている。子どもの頃に何度も行ったことのあるジョー・プール湖は、助手席の窓からでも分かるほど茶色く濁りきっていた。
「空爆開始までにほとんどの国民は外に逃げちまったんでしょう。ここにいるのは土地に縛りつけられたアンデットもどきだけです」
 車輌を運転する歩兵が先の独り言を拾って答える。
 二つ返事で了承した彼女は前方の道路を堂々と歩いていった。ただし意図的に荷重をかけているせいで、後ろ姿はなんだかぎくしゃくして見える。道路に敷き詰められている地雷は対人用ではないはずなので、反応させるには魔法で圧力をかけてやる必要がある。
 どん、と音がして一瞬、彼女の背中がコンクリート片と砂塵に覆い隠された。等身大の驚きを見せてひっくり返った彼女は、しかしすぐに起き上がり「うわあ、びっくりした!」と私の胸元を向いて叫んだ。相変わらずの役者である。
 二回、三回と繰り返した後は忘れず”慣れ”も演出して、後半の方はスキップを踏みながら連続で地雷を起爆させていた。
 車を走らせても差し支えない程度に起爆が済むと、我々は戦闘車輌に乗り込んだ。前方を走り続ける彼女を撮るために、私は助手席に乗った。
 ストリーミング配信の視聴者にはフロントガラス越しに魔法少女の背中が見えているはずだ。作戦もへったくれもない力技で地雷を処理していく姿はそれなりに刺激的な撮れ高と言えそうだ。また前でどん、と音が鳴って地雷が爆発した。複合素材スーツを作った企業の株価も今頃はストップ高に違いない。
「まだ戦争は終わっていないのにもう敗戦後みたいだ」
 地雷原を通り過ぎると空爆の傷跡が痛ましいでこぼこの地面に晒されて、スポンサー企業提供の最新戦闘車輌が誇るサスペンションも用を為さなくなった。
 かつて住宅街だったアーリントンは真夏の太陽の下でもことさらにひどい寒々しさがする。満足に廃材が得られないここにはバラック小屋すらもない。瓦礫と雑草が延々と広がっている。子どもの頃に何度も行ったことがあるジョー・プール湖は、助手席の窓からでも分かるほど茶色く濁りきっていた。
 車輌を運転する兵士が先ほどの独り言を拾って答える。
「空爆開始までにほとんどの住民は外に逃げちまったんでしょう。ここにいるのは土地に縛りつけられたアンデットもどきだけです」
「縛りつけているのは土地なのか、それとも偏見なのか……」
「そうは言っても骨丸出しのやつが隣に引っ越してきたら嫌ですよ、俺は」
 運転手の歩兵は笑いもせず答えた。この彼の思考はシンプルにできているようだった。
 ついにダラス市街に侵入した。記憶に残る街並みはそこにはみじんも残されていない。徹底的な空爆に晒された首都はみるも無残な姿に変わり果てている。代わりに六年前に大統領が作らせた尖塔が都市の中央にそびえ立つ。降伏を布告できる権威を殺すと戦争が終わらないので、意図的に空爆対象から外されていたのだ。 「行く場所がはっきりしていてなによりだ」
 侵入を禁じる粗末な作りのバリケードを蹴散らして尖塔の敷地内に侵入した。尖塔から狙撃される恐れを警戒して、各戦闘車輌は建物の影にそれぞれ横付けで停車した。出る時は車体を壁に、脇見することなく突入していく。
 が、ここへきて先陣を切っていた魔法少女は思いもよらない行動に出た。
 運転手の兵士は笑いもせず答えた。この彼の思考はシンプルにできているようだった。
 ついにダラス郡内に侵入した。記憶に残る街並みはそこにはみじんも残されていない。徹底的な空爆に晒された首都はみるも無残な姿に変わり果てている。代わりに六年前に大統領が作らせた尖塔――「トランプ・タワー2」――驚くべきことに正式名称――が都市の中央にそびえ立つ。降伏を決定できる立場の人間を殺すと戦争が終わらないので、計画的に空爆対象から外されていたのだ。
「行く場所がはっきりしていてなによりだ」
 とことん皮肉めいた風景に嫌味を漏らさずにはいられなかった。
 侵入を封じる粗末な作りのバリケードを車体で蹴散らして尖塔の敷地内に侵入した。尖塔の上層からの狙撃を警戒して、各戦闘車輌は建物の影にそれぞれ横付けで停車した。出る時は車輌を壁に、脇見せず突入する手はずになっている。
 だが、ここへきて先陣を切っていた魔法少女は思いもよらない行動に出た。
「ちょっと上に行って引っ張り出してくる」
「は?」
 答えを待たず彼女は垂直に飛び上がった。あわてて尖塔から離れて上空を仰ぎ見る――もし狙撃手がいたら良い的だが――私には彼女を撮るという任務があった。
 いきなり彼女は垂直に飛び上がった。慌てて尖塔から離れて上空を仰ぎ見る――もし狙撃手がいたら格好の的だが――私には彼女を撮るという任務があった。一時期は一四四階にも達すると言われた、実際には半分にも満たない最上階に向かってぐんぐんと飛翔していく
 すでに米粒大にまで遠ざかっていたその黒点が、きらりと光り輝いた。
 刹那。
 まったく前触れなく尖塔が斜めに切断された。光の軌跡が一度、二度、尖塔を斜めになぞったかと思うと、後はあっという間の出来事だった。地響きが響いてぱらぱらと小さい砂利が降り注ぐ。
 切り取られた尖塔の頭部は建造物の奥に倒れ込んですさまじい衝撃を起こした。
 周辺の状況を考慮に入れた先制攻撃とはいえ、凄まじい轟音と衝撃波に我々は一斉に地に伏せて砂利と砂塵にまみれる立場に甘んじた。
 やがて事態が収まると、上空には彼女はいなかった。
 まったく前触れなく尖塔の上層部分が斜めに切断された。光の軌跡が一度、二度、尖塔を斜めに横切ったかと思うと、後は数秒にも満たない出来事だった。たちどころに地響きが全身を揺らし、ぱらぱらと小さい砂利が降り注ぐ。
「おい、これまずいんじゃ――」
「各自、伏せろ!」
 切り取られた尖塔の頭部は奥側に倒れ込んで凄まじい衝撃を引き起こした。
 周辺の状況を考慮に入れた先制攻撃とはいえ、とめどない激震を前に我々は砂利と砂塵にまみれる立場に甘んじざるをえない。
 やがて事態が収まると、上空に彼女はいなかった。
「1B、了解。はい、伝えます」
 横のエドガー少尉がインカムに応答を繰り返した。そして私に目を向ける。
 横のエドガー少尉が身を起こしながらインカムに応答を繰り返した。そして私に目を向ける。
「彼女が、来る。敵を掴んで」
「掴んで?」
「我々は尖塔の下半分にいるTOA指導部を制圧しに向かう、あなたは」
 若干、言い淀みかけたが時間に猶予がないと分かっている様子だった。
魔法少女直々に”ここで待って私を撮って”とのご命令です」
 エドガー少尉がよろよろと立ち上がる歩兵たちに檄を飛ばす。他の小隊長たちも合わせて尖塔の中に消えていく。
 一個中隊がまるごと建物に押し入った頃、上空から鋭い風切り音が聞こえてきた。黒の米粒が秒を追うごとに大きくなって迫ってくる。
 私から数フィートほどしか離れていない場所に彼女と、もう一つの人影がともに墜落した。さきほどの衝撃で慣れていてもコンクリートがめくれ上がる衝撃に耐えきれず、私は早くもその場に転倒を余儀なくされる。
 慌てて起き上がるともうもうと立ち込める煙の隙間に我らが魔法少女の背中が見えた。その奥に、気だるそうに尻もちをついたまま座り込む別の少女――魔法少女が、いた。
「我々は尖塔に突入してTOAの指導部を制圧しに向かう、あなたは」
 若干、言い淀んだが時間に猶予がないと悟って言い切った。
大尉直々に”ここで待って私を撮って”とのご命令です」
 エドガー少尉が未だ立ち上がっていない兵士たちに檄を飛ばす。他の小隊長たちも合わせて尖塔の中に消えていく。
 一個中隊がまるごと建物に押し入った頃、上空から鋭い風切り音が聞こえてきた。黒点が秒を追うごとに明確な輪郭を伴って迫る。
 私から数フィートほどしか離れていない場所に彼女と、もう一つの人影が共に激しく墜落した。コンクリートがめくれ上がる衝撃にまたもや耐えきれず、私はその場に横転を余儀なくされる。
 慌てて起き上がると立ち込める硝煙の狭間に我らが魔法少女の横顔が見えた。その隣に、気だるそうに尻もちをついたまま座り込む別の――今ので死んでいないということは魔法能力者――の、少女――魔法少女が、いた。
「いったいなあ、なにするのアイシャお姉ちゃん」
 まるでちょっとこづかれた、とでも言わんばかりの気安さで、黒い癖毛の魔法少女は頭をかいた。対する、こちら側の魔法少女の声は震え、怒りと、そして悲哀に包まれていた。
 まるでちょっと小突かれただけ、とでも言わんばかりの態度で、黒い癖毛の魔法少女は頭をかいた。対する、こちら側の魔法少女の声は震え、怒りと悲哀に包まれていた。
「もうこんなことやめてよ、サルマ」
 実際、二人の顔つきはとても良く似ていた。片方は映画の役柄のために髪の毛をブロンドに染めていたものの、彼女らの出自を示す濃いベージュの肌とはっきりとした目立ちは揺るぎない血縁を示している。
 メアリー・アイシャ・バルタージー・ジョンソンはパレスチナ人を祖先に持つパレスチナ系アメリカ人である
 日々の礼拝のために敷物を持参するイスラム教徒で、複合素材スーツにはちゃんとスカーフも付いている。そして彼女の食事は専用のハラルレーションだ。
 実際、二人の顔つきはとても良く似ていた。片方は映画の役柄のために髪の毛をブロンドに染めていたものの、彼女らの出自を表す濃いベージュの肌とはっきりした目元は揺るぎない血縁を示している。
 パレスチナ系アメリカ人のメアリー・アイシャ・バルタージー・ジョンソン大尉は、日々の礼拝のために敷物を持参する敬虔なイスラム教徒だ
 食事に気を遣う彼女には専用のハラルレーションが支給されているし、複合素材スーツにはちゃんとスカーフも付いている。
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以下、公式Instagramアカウントからの引用。
『ハーイ、私はメアリーです。八歳の頃に魔法能力に目覚めました。たくさんの親族と仲良く暮らしています。母と父と四つ年下の妹もいますが、今は離れて住んでいます。家族からはアイシャと呼ばれています。二〇二〇年にパレスチナで生まれましたが、戦争難民として親族のいるアメリカにやってきました。でも、まさか人生で二回も戦争に巻き込まれるなんてね! ロサンゼルスのみんな、もしまたそうなったらごめんね!』
彼女がなぜ招集に応じたのか、数億人が見ているストリーミング配信の中で唐突に明らかとなった。合法的に妹と会うためだったのだ。合衆国はTOAへの移動を禁止しているし、魔法行使能力者は国家の承認がなければ魔法の行使を許されない。
 だが招集に応じて自ら戦略級兵器になれば。
 まったく合法的に妹に会いに行ける。
「なんでこんなことをしているのか私には判らない」
 仁王立ちの姿勢で妹に詰め寄る姉の構図は、ただそれだけならよくある日常の一コマに見えた。
「だって、ここの人たちはあたしを必要としてくれる。外に住んでいる人と違って。あたしがいないと生きられないから」
以下、公式SNSアカウントからの引用。
『ハーイ、私はメアリーです。八歳の頃に魔法能力に目覚めました。たくさんの親族と仲良く暮らしています。母と父と四つ年下の妹もいますが、今は離れて住んでいます。みんなからはアイシャと呼ばれています。二〇二〇年にパレスチナで生まれましたが、戦争難民として親族のいるアメリカにやってきました。でも、まさか人生で二回も戦争に巻き込まれるなんてね! ロサンゼルスのみんな、もしまたそうなったらごめんね!』
 イスラエルによるパレスチナの植民地化以降、母国に寄る辺を失ったパレスチナ人たちは世界各地に散っていった。火に焼かれた家を振り返らず、着の身着のまま、手にはコーランを携えて。一部は国連の救助船に乗り込んだ。
「なんでこんなことをしているのか私には解らない」
 仁王立ちの姿勢で妹を叱る姉の構図は、ただそれだけならよくある日常の一コマに見えた。
「だって、ここの人たちは嫌でもあたしを必要としてくれる。外に住んでいる人と違って。あたしがいないと生きられないから」
「そんなこと――」
「あるでしょ。お姉ちゃんは合衆国に入れたのに、私は入れてもらえなかった。私たちに寛容な人たちとそうでない人たちで国を分けたって言っていたのに、全然そうじゃなかった」
 メアリー大尉の魔法能力が発現したのは八歳の頃。内戦が勃発した時期と合致する。当時、合衆国政府が南側に門戸を開いたのは旧合衆国の国籍または永住権を持つ者に対してのみだった。戦争難民としての身分しかなかったバルタージー家は、国益に適う彼女を除いて体よく放逐せしめられたのだろう。あぶれた難民たちはTOAに留まって白人至上主義者の的当てに使われるか、メキシコ側に逃げるしかない。その渦中で、妹の方も遅れて発現した。
「ここの人たちは肌が白くないと仲良くしてくれないじゃない、パパとママも、そのせいで」
「あるでしょ。お姉ちゃんは合衆国に入れたのに、あたしは入れてもらえなかった。あたしたちに寛容な人たちとそうでない人たちで国を分けたって言っていたのに、全然そんなことなかった」
 メアリー大尉の魔法能力が発現したのは八歳の頃。内戦が勃発した時期と合致する。当時、合衆国政府が南側に門戸を開いたのは旧合衆国の国籍または永住権を持つ者に対してのみだった。戦争難民の身分しかなかったバルタージー家は、国益に適う彼女を除いて体よく放逐せしめられたのだろう。あぶれた難民たちは白人至上主義者の的当てに使われるか、メキシコ側に逃げるしかない。
 その渦中で、妹の方も遅れて発現した。
「だけど、ここの人たちは肌が白くないと仲良くしてくれないじゃない、パパとママも、そのせいで」
「そうだね。二人とも殺されちゃった。でもたぶん、肌が白いかどうかは本当はどうでもよくって、ここの人たちは周りが変わっていくのが怖かっただけなんだよ。自分も変えられてしまいそうで」
 飄々とした淀みのない言い回しに最強の姉が言葉に詰まる。最強の妹はなおも攻勢を緩めない。
「だから、がなにも変わらないようにしてあげた。たとえもうやめてくれとせがまれても、骨になって魂を失っても、絶対に変わることを許さない。ずっとここに閉じ込めて、変わる必要のない人生を与え続けるんだ」
 敵方の魔法少女は白人至上主義者の手駒などではなかった。むしろ国家を収奪せしめ、ひどく迂遠な、あまりにも重く苦しい皮肉をまとう復讐を行っていた。
 飄々とした言い回しに最強の姉が言葉に詰まる。妹の方はなおも攻勢を緩めない。
「だから、あたしがなにも変わらないようにしてあげた。たとえやめてくれとせがまれても、骨になって魂を失っても、絶対に変わることを許さない。ずっとここに閉じ込めて、変わる必要のない人生を与え続けるんだ」
 敵方の魔法少女は白人至上主義者の手駒などではなかった。むしろ国家と人々を文字通りの傀儡に、ひどく迂遠な、重く苦しい皮肉めいた復讐を行っていた。
「そんな……あんた、わざと……でも、違法だわ。私たち、魔法能力行使者は――」
 言葉を詰まらせた姉が振りかざせたのは、法的手続きの正当性。もちろん、今さらそんな理屈が通用する相手でないことは明らかだった。
「いいじゃない、彼らが言う決まりなんて。彼らはに”来るな”と言った。だからここで好きにやらせてもらっている。そうしたら今度は奪いに来るの?」
元々が間違いだったのよ」
「間違いかどうかは誰が決めるの? アメリカ? それとも国連?」
 度重なる挑発に最強の姉はついに説得を諦めたようだった。大股で肩を怒らせて近づきながら断言した。
 歯切れ悪く姉が言いかけたのは、法的手続きの正当性。むろん、今さらそんな理屈が通用する相手でないことは明らかだった。
「いいじゃない、彼らが言う決まりなんて。彼らはあたしに”来るな”と言った。だからここで好きにやらせてもらっている。今度は奪いに来るの? あたしを受け入れない人たちなんて、いつまでもずっと殺し合っていればいい
最初から間違っていたのよ」
「間違いかどうかは誰が決めるの? アメリカ合衆国? それとも国連? お姉ちゃんの飼い主だもんね
 度重なる挑発に最強の姉はついに堪忍袋の緒が切れたようだった。大股で肩を怒らせて近づきながら断言した。
「いいえ」
 言葉に熱が帯びる。
「今は、私が決める」
 最強の妹も不敵な笑みを浮かべて、ようやく立ち上がった。頭一つぶん背が低くとも全身から迸る圧迫感に差はない。
「今からは、私が決める」
 妹の方も不敵な笑みを浮かべて、ゆらりと立ち上がった。頭一つぶん背が低くとも全身から迸る魔法のオーラに差は感じられない。
「それならいいよ、分かりやすいから」
 紫と蒼の光をまとった両者の拳が交わる。衝突して相殺された膨大なエネルギーが発散し、周囲に鋭く圧力を散らした。逃げ遅れた私はその一片を受けて吹き飛ばされ、近くの戦闘車輌に背中をしたたかに打ちつけた。肺の中の空気が絞り出される圧迫感に気を失いかけたが、辛くも自我を取り戻して車輌の背面に回ることに成功した。車輌の陰から半身を乗り出してストリーミング配信を続行する。間違いなく、今が最高の視聴者数だ。
 二人の魔法能力がぶつかるたび、相当に重いはずの車輌がぐわんぐわんと揺れて傾ぎ、尖塔を支える太い支柱にひびが刻まれた。数回の応酬を経て互いに有効打を望めないと悟ると、両者は一転して跳躍して距離を取り合った。手から放たれた魔法能力の塊がソニックウェーブを起こして水平に滑空する。小隊規模の兵士を瞬時に屠るほどの威力を持つこの塊を、しかし受け手側は片手を振り払っただけで横に弾き飛ばす。直後、近場で大きく爆発が起こり、蒼と紫の火柱が立ち上った。
「お姉ちゃん、そんなに強かったんだ」
 紫と蒼の光をまとった両者の拳が交わる。衝突した膨大なエネルギーが発散して周囲に鋭く波動を散らした。逃げ遅れた私はその一片を受けて吹き飛ばされ、近くの戦闘車輌に背中をしたたかに打ちつけた。
 肺の中の空気が絞り出される圧力に気を失いかけたが、辛くも意識を取り戻して車輌の背面に回る。車輌の陰から半身を乗り出してストリーミング配信を続行する。間違いなく、今この瞬間が最高の視聴者数だ。
 二人の魔法能力がぶつかるたび、相当に重いはずの車輌がぐわんぐわんと揺れて傾ぎ、尖塔を支える太い支柱にひびが刻まれた。数回の応酬を経て互いに有効打が望めないと悟ると、両者は跳躍して距離をとった。手から放たれた魔法の砲弾がソニックウェーブを起こして水平に滑空する。小隊規模の兵士たちを瞬時に屠る威力を持つ魔法を、しかし受け手側は片手を振り払っただけで横に弾き飛ばす。直後、近場で爆発が起こり、蒼と紫の火柱が立ち上った。
「お姉ちゃん、割と強いね」
 意外そうな表情を見せるも、攻撃の手を緩めず再び距離を詰める敵方の魔法少女に、こちらの魔法少女も挑発を辞さない。
「あんたもね。なにもないところで転んで擦り傷を作っていたくせに」
「おかげさまで今は誰にも傷つけられなくなったよ」
「もう絆創膏を貼ってあげなくてもよさそうね」
 打撃、投擲の次には斬撃が繰り出された。手の先から伸びる紫の光が敵方の魔法少女に振りかぶられる。あの老婆を両断せしめた時よりも三倍は大きい。
 だが。
 まばたきよりも速く展開されたきらびやかな蒼の刃がそれを一撃のうちに切断した
 打撃、投擲の次には斬撃が繰り出された。手の先から伸びる紫の刃が妹のサルマに振りかぶられる。あの老婆を両断した時よりも三倍は大きい。
 だが。
 瞬時に展開されたきらびやかな蒼の刃がそれを一撃のうちに叩き折った。散らばる紫の欠片が空中で輝いて霧散する
「今度は私が貼ってあげる」
 間髪を入れずに向けられた切っ先が彼女の腹部を捉えた。うめき声をあげて後退するその足元には、血がぽたぽたと滴っていた。
 核兵器にも匹敵する戦略級魔法能力行使者が流血した。地雷の爆発にも耐える複合素材スーツも魔法の前には紙切れ同然だった。
 間髪を入れずに向けられた切っ先が彼女の腹部を捉えた。うめき声を漏らして後退するその足元には、血がぽたぽたと滴っていた。
 核兵器にも匹敵する戦略級魔法能力者が流血した。地雷の爆発にも耐える三〇〇ポンドの複合素材スーツも魔法の前には紙切れ同然だった。
「あ、今気づいたんだけど、その胸のやつってカメラ? もしかして配信中? いぇーい、見てる? 今からみんなのアイドルを切り刻んじゃいまーす!」
 鮮血で染まった蒼の刃がすばやく振られる。失血で動きが鈍くなった彼女には避けきれず、肩口にまた切り傷がつけられた。
 鮮血で染まった蒼の刃が相次いで振られる。失血で動きが鈍くなった彼女には避けきれず、肩口にまた切り傷がつけられた。
「逆にこれ視聴者数が増えたりするんじゃないの」
 さらにもう一閃、今度は折れた紫の刀身で受けるも鍔迫り合いは長く持たなかった。さらに短く折られた魔法のエネルギーが空中に霧散して、突き抜けた蒼の刃が脇腹を貫く。おびただしい量の返り血が敵方の魔法少女の刀身のみならず全身を濡らした。
 ついに体力を失った彼女はよろめいて地面に膝をついた。車輌の裏から覗き見るかぎりでも、肩を息をして頭を垂れる彼女の敗着は明らかに思われた。
「あれ、もう終わり? まあいいよ。別に殺す気とかはないからさ。またいつでも来ていいよ」
 地に染まった蒼とも朱とももはや区別のつかない魔法の刃を肩に回す敵方の魔法少女の姿は、勝負事に勝ってはしゃぐ年相応の子どもと大差ない雰囲気を醸し出していた。打ち負かした相手の血にまみれている部分を除けば。
「あんた、まだ生理来ていないでしょ」
 さらに一閃、今回は折れた紫の刀身で受けるも鍔迫り合いは長く持たなかった。突き抜けた蒼の刃が脇腹を貫く。おびただしい量の返り血がサルマの刀身を濡らした。
 ついに体力を失ったメアリー大尉はよろめいて地面に膝をついた。車輌の裏から覗き見る限りでも、肩で息をして頭を垂れる魔法少女の敗着は明らかに思われた。
「あれ、終わり? まあいいよ。別に殺す気とかはないからさ。またいつでも来ていいよ」
 地に染まった蒼とも朱とも区別のつかない魔法の刃を肩に回すその姿は、勝負事に勝ってはしゃぐ年相応の子どもと大差ない雰囲気を醸し出していた。打ち負かした相手の血にまみれている部分を除けば。
ねえ、あんた、まだ生理来ていないでしょ」
「はあ?」
 息を荒らげながらこの局面で不謹慎な質問をする姉に、さしもの最強の妹も眉をひそめた。
「あれって、最悪なんだ。砲弾を食らうより全然痛いし、イライラするし眠れないし、血がいつまでも止まらないし」
「あれって、最悪なんだ。戦車砲より全然痛いし、イライラするし眠れないし、血がいつまでも止まらないし」
「なに言ってんの?」
「だから、私、めっちゃ練習したんだ。せめて血だけはなんとかならないかなって。せっかく魔法が使えるんだし。勝手に使ったら怒られるけど、質量がほとんどない血を操作する程度ならジュール熱は――」
 さっきまで死にかけ同然に見えた彼女は演技のワンシーンを終えたばかりのように平然と立ち上がった。
「だから、私、めっちゃ練習したんだ。せめて血だけはなんとかならないかなって。せっかく魔法が使えるんだし。勝手に使ったら怒られるけど、質量がほとんどない血を操作する程度ならジュール熱は――」
 さっきまで死にかけ同然に見えた彼女は、まさに映画のワンシーンを終えたばかりのように平然と立ち上がった。
「――大したことないんだ。だから誰にもバレない。あんたにもね」
 改めて見ると、彼女の傷跡からはもう血が止まっていた。逆に、敵方の魔法少女を覆う血はもぞもぞと波打って膨張しはじめている。
 改めて見ると、彼女の傷跡はもう塞がっていた。逆に、サルマの刀身を覆う血はもぞもぞと波打って膨張しはじめている。
「え、ちょっと、これなに」
 意思を持ったように動く血液の奔流が蒼の刃を包み込み、またたく間にその圧力でもって刀身を粉砕した。
 目的を済ませた血流は滑らかに空中を這い動いて持ち主の手元に舞い戻る。まったくの無傷としか言いようのない状態に舞い戻った彼女は手の先に真っ赤な血の刀身を再生成した。加えて、その刀身に紫の炎が宿る。
 意思を持ったように動く血液の奔流が蒼の刃を包み込み、く間にその圧力でもって刀身を粉砕した。
 たちまち血流は滑らかに空中を這い動いて持ち主の手元に舞い戻る。まったくの無傷としか言いようのない状態に立ち戻った彼女は、手に真っ赤な血の刀身を生成した。加えて、刀身に紫のオーラが宿る。
「お姉ちゃん、マジで化け物だね」
 ここへきて初めて顔を引きつらせた妹に対して姉は誇らしげに言う。
 ここへきて初めて顔を引きつらせた妹に対して最強の姉は誇らしげに言う。
「だから、化け物のあんたを止められる」
 両者、三度間合いを図り、最後の戦いが始まろうとしていた。
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 魔法で鋳造された血の刃が容赦なく振りかぶられる。当初は再生成した刀身で受けるつもりの敵方も、寸前になにかに気づいたのか身体をそらして退避を選択した。だが、触れていないはずの刃の軌跡が胸元に裂傷をもたらす。「いたっ」妹はさらに大きく後ろに退くも、漏れ出た血液はたちまち血の刃に回収されていった。そのぶん、紫の輝きがいくらか増したように見える。
 魔法で鋳造された血の刃が容赦なく振りかぶられる。当初は再生成した刀身で受けるつもりのサルマも、寸前になにかに気づいたのか身体をそらして退避を選択した。だが、触れていないはずの刃の軌跡が胸元に裂傷をもたらす。「いたっ」さらに後ろに退くも、漏れ出た血液はずるずると血の刃に回収されていく。そのぶん、紫のオーラの輝きがいくらか増したように見える。
「お姉ちゃんの方が悪役に向いているんじゃないの」
「そうね、次は悪役のオファーを受けようかしら」
 刃そのものの直径よりも射程が広いと悟った敵の魔法少女は、次の袈裟斬りを半身ぶん余計に動いてかわす。同じ工程が繰り返された後、二人の位置取りは次第に後方にずれて尖塔の支柱に近づいた。
 敵方の魔法少女は刃そのものの刃渡りよりも射程が広いと悟り、次の袈裟斬りを半身ぶん余計に動いてかわした。幾回の応酬を経て、二人の位置取りは次第に後方にずれて尖塔の支柱に近づいた。
「やば」
 おのずと支柱に背面を追い詰められた格好となった妹は首を狙った一撃を前転で大きく回避して、後方に移動する。代わりに切られた支柱はすさまじい切れ味で両断された。尖塔全体が危うげに地響きをたてて揺れるも、辛うじて倒壊には至らない。
 建物に頓着せず振り返りざまに下された刃はなおも敵方の首筋を捉えていたが、そこで初めて妹の刃が押し留めた。久方ぶりの鍔迫り合いが実現する。ぎりぎりぎりと音をたてて震える両者の刃はしかし、徐々に姉の方が優勢に傾いている。
 おのずと支柱に背面を追い詰められた格好となるも、首を狙う一撃を前転で回避して後方に移動する。代わりに刃を受けた支柱はおそろしい切れ味で切断された。尖塔全体が危うげに地響きをたてて揺れ動いたが、辛うじて倒壊には至らない。
 建物に頓着せず振り返りざまに下された血の刃はなおも首筋を捉えていたが、そこで初めてサルマの刃が押し留めた。久方ぶりの鍔迫り合いが実現する。ぎりぎりぎりと小刻みに震える両者の刃はしかし、姉の方が優勢に傾いている。
「それで受けた時点で負けよ」
 この頃にはもう私は、車輌から身体をはみ出して従軍記者、配信者としての責務をまっとうすべく働いていた。最強の魔法能力行使者同士の戦い――キューバ危機の際には危うく逃れた蠱惑的な破滅への魅力に、私もこの時ばかりは身を焦がさずにはいらなかった。
 この頃には私はもう、車輌から全身を露わにして従軍記者、世界で一番人気の配信者としての責務をまっとうすべく働いていた。もしどちらかが魔法を受け漏らしたら、私はぐちゃぐちゃに引き裂かれて死ぬ。
 だが、最強の魔法能力者同士の戦い――キューバ危機の際には危うく逃れた蠱惑的な破滅への魅力に、この時ばかりは身を焦がさずにいられなかった。
 最強の妹がいま一度、自慢げに笑う。
「三割の力で五秒も耐えられたら上出来でしょ」
 ずん、とつま先から飛び出た魔法の刃が、あたかも吸い込まれるように姉の腹に突き刺さった。貫通した蒼の刃が自らをどす黒く染めて背中を突き破る。
 ずん、とつま先から飛び出た魔法の刃が、あたかも吸い込まれるようにメアリー大尉の腹に深々と突き刺さった。蒼の刃が自らをどす黒く染めて背中を突き破る。
「殺すつもりなんてなかったんだけど、お姉ちゃん、マジで強かったからさ」
 深く咳き込んだの口からも大量の血があふれ出た。
 深く咳き込んだ彼女の口からも大量の血があふれ出た。
「ごほっ、ごっ、ハァ……足から出すとは考えたわね」
「手からしか出しちゃいけないなんて決まっていないからね」
 しかし、米軍の最強兵器メアリー大尉の目は未だ死を悟ったようには見えなかった。むしろ毒々しく爛々と輝き、今にも自分になにができるのか見せたがっているように微笑んだ。先ほどまで勝利を確信していた妹の顔つきに険しさが立ち込める。
 地面の血溜まりが自ら起き上がり、主人の元に戻っていく。どれほどの深手もものともせず、まるで現実を否定する挙動で突き刺さった刃を包み込んだ。そうして取り込まれた刃はどうやら魔法少女の体内に吸収されたように見え、さらに増大した血の刃には紫と蒼の炎が煌々と灯っていた。
 ほんのさっきまで逆転勝利を確信していた妹の頬に、冷や汗が滲んだ。
 お返しとばかりに突き出された刃は妹に傷を与えたようには見えなかった。ただ、蒼のオーラが血でできた通り道を伝って、紫のオーラへ。吸収されていく様子が見て取れた。死人を蘇らせ、魔法能力を遠隔で操る妹に対して、姉は相手の魔法能力を奪い取る業によって上回った。
 ついに最強の妹は尻もちをついて地面に倒れ込んだ。もはや身体のどこからも魔法を発動することは叶わない。大勢に第二、第三の人生を与えてなお余りある魔法能力は、今や文字通り血を分けた姉に奪い尽くされたのだ。
 しかし、メアリー・ジョンソン大尉の目は未だ死を悟ったふうには見えなかった。むしろ毒々しく爛々と輝き、今にも自分になにができるのか見せたがっているように微笑んだ。先ほどまで勝利を確信していたサルマの顔つきに険しさが立ち込める。
 地面の血溜まりが自ら起き上がり、主人の元に戻っていく。どれほどの深手もものともせず、さながら現実を否定する挙動で突き刺さった刃を包み込んだ。そうして取り込まれた刃はどうやら大尉の体内に吸収されたように見え、際限なく増大した血の刃には紫と蒼の炎が煌々と灯っていた。
「痛みを知りなさい」
 ついさっきまで無邪気に逆転勝利を確信していた妹の頬に、冷や汗が滲んだ。
 お返しとばかりに突き出された刃はサルマに傷を与えたようには見えなかった。ただ、あがきもがく蒼のオーラが血の通り道を伝って、紫のオーラへと吸収されていく様子が見て取れた。
 ついにサルマは尻もちをついて地面に倒れ込んだ。もはや身体のどこからも魔法を発動することは叶わない。大勢に第二、第三の人生を与えてなお余りある魔法能力は、今や文字通り血を分けた姉に奪い尽くされたのだ。
 これこそが彼女の「とっておきの魔法」だった。妹を止めるためだけの魔法。
「勝負あったわね」
 最初の構図通りの仁王立ちに戻った彼女が勝利を宣言する。妹にはもはや満足に言い返す気力も残っていない様子だった。
 当初の仁王立ちに立ち直った彼女が改めて勝利を宣言する。妹には満足に言い返す気力も残っていない様子だった。
「……ずるいよ、お姉ちゃん。それって私を倒すためだけの魔法じゃん」
「戦いは計画してするものよ。刃はなるべく鋭く研いで、一撃で終わらせるべきなの
 戦意を失った相手を前に、彼女は光り輝く血の大剣を身体の内に取り込んだ。二人ぶんの魔力を得たこの魔法少女は歴史上において間違いなく最強の魔法能力者だろう。
「戦いは計画してするものよ」
 光り輝く血の大剣が身体の内に取り込まれた。戦略級魔法能力者二人ぶんの力を得たこの少女は歴史上においても間違いなく最強の魔法能力者だろう。
「それで、どうするの、これから。私を殺すつもり?」
 力なく地面にへたり込んだまま妹が尋ねる。疑いようのないテロリスト、大量殺人犯、魔法能力行使法違反者に、姉は厳かに宣告する。
「いいえ。私と一緒に住むのよ。あんたが八歳を越えるまで」
 力なく地面にへたり込んだまま妹が尋ねる。まぎれない現行犯のテロリスト、大量殺人犯、魔法能力行使法違反者に、姉は厳かに宣告する。
「いいえ。私と一緒に住むのよ。あんたが八歳を越えるまで」
「え?」
「ちょっと寒いところに引っ越すけど我慢してね」
 むんず、と妹の腕を掴んだ姉の全身には紫と蒼のオーラがたぎる。魔法能力を全開にさせる兆候だ。そして、思い出したように私の方向に向き直る。厳密には、私の胸元のカメラに向かって呼びかけた。
「えー、皆さん。私、メアリー・ジョンソン大尉は今から脱走してただのアイシャに戻ります! 今日の配信が面白いと思った方はぜひチャンネル登録と高評価をよろしく! じゃあね!」
 どん、と地面を蹴って空へと飛び立つ。二人の魔法少女は輝く太陽の逆光に包まれて、あっという間に姿を消した。
「ちょっと寒いところに引っ越すけど我慢してね」
 むんず、と妹の腕を掴んだ彼女の全身に紫と蒼のオーラが広がる。魔法能力を全開にさせる兆候だ。そして、私の胸元のカメラに向かって呼びかけた。
「えー、皆さん! 私、メアリー・ジョンソン大尉は今から脱走してただのアイシャになります! 今日の配信が面白いと思った方はぜひチャンネル登録と高評価をよろしく! じゃあね!」
 どん、と地面を蹴って空へと飛び立つ。二人の魔法少女は輝く太陽の逆光に覆い隠されて、あっという間に姿を消した。
 夢か幻のような一瞬の出来事だった。
 合衆国政府最強、国連指定の魔法少女が、敵の魔法少女をさらっていなくなった。
 アメリカ合衆国政府最強の切り札、国連指定の魔法少女が、敵の魔法少女をさらっていなくなった。
 現実を受け入れられずに空を仰いで固まったままの私を我に返らせてくれたのは、尖塔の方から聞こえるエドガー少尉の声だった。
「一列だ、そのまま歩け。止まるなよ」
 両手――たまにどちらかが、あるいは両方ともないのもいる――を後ろに回して、尖塔のエントランスからぞろぞろと出てきたのは一様に皮膚が土気色の兵士たち。奥の方からはいっとう立派な服装に身を包んだ将校や、官僚、閣僚らしき人物も並んでいた。全員が武装解除された状態で、こちらの兵士たちの誘導に従って歩いている。呆けた雰囲気をしているであろう私に気づくと少尉も上に顔を傾けた。
 両手――たまにどちらかが、あるいは両方ないのもいる――を後ろに回して、尖塔のエントランスからぞろぞろと出てきたのは一様に皮膚が土気色の兵士たち。奥の方にははいっとう立派な服装に身を包んだ高級将校や、官僚、政府要人らしき人物も並んでいた。全員が武装解除された状態で、こちらの兵士たちの誘導に従って歩いている。呆けたをしているであろう私に気づくと少尉も上に顔を傾けた。
「上の階から見てましたよ。行ってしまったんですね、彼女ら」
「そのようだ」
 予めすべてを知っていた口ぶりの少尉に私は問う。
分かっていたんだな
「バレちゃ仕方がないですね。彼女を訓練したのは我々です。三日前に訓練兵が上官になった」
 役目は終わったとばかりにカメラをオフにした少尉に向かって、私も同様に電源を切って問う。
「全部分かっていたんだな」
バレちゃ仕方がないですね。彼女を訓練したのは我々です。三日前に訓練兵が上官になりましたがね。今回の作戦で同行を願うためには、まあ、色々と各方面に骨を折りました
 魔法能力者を訓練するための特別部隊。その部隊に裏切られては国連の面目も形無しだ。
 横を見ると、戦闘車輌の後部座席に次々とTOAの兵士たちが収容されていく様子が見えた。
「殺さなかったんだな」
 これにもあくまで淡々と少尉は肩をすくめて答える。
「そりゃムカつきますけどね。散々ニガーを殺せとのたまってた連中です。実際に手を下しもしたでしょう。でも、こいつらをどうすべきかは俺の判断することじゃない。決めるのは法律だ。勝手に処刑するような連中と一緒になりたくない」
 これにもあくまで淡々と少尉は答える。
「そりゃムカつきますけどね。散々ニガーを殺せと叫び散らしていた連中です。実際に手を下しもしたでしょう。でも、こいつらをどうすべきかは俺の判断することじゃない。そういうのは法律に決めさせる。勝手に処刑するような連中と一緒になりたくない」
 結局、法的手続きが一番ましな神らしい。
「彼女たちは”合法”になれるかな」
 両手を掲げて二本指をクイクイと動かす。
「見ていれば分かりますよ」
 全員の収容が終わると、エドガー少尉は衛星通信で国境外に待機している部隊と連絡をとった。想定以上の数の捕虜を護送しなければならなくなったので自分たちが帰るための追加の車輌が必要になったのだ。
 かくしてTOAことトゥルース・オブ・アメリカは名実ともに滅びた。
 ことが終わると真夏の太陽がよりいっそう激しく、私を照らしていることに気がついた。
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 激動の一年間が過ぎ去り、銀行口座の残高が当面の生活に困らない桁数に達した頃、私のプライベート用電話に一通のメッセージが届いた。座標と、ただ一言。
 激動の一年間が過ぎ去り、銀行口座の残高が当面の生活に困らない桁数に達した頃、私はちょうどよい頃合いだと思って彼女のSNSアカウントにダイレクメッセージを送った。取材の申し込みだ。
 返事はすぐに来た。座標と、簡潔な指示が記されていた。
「録画、録音、スマートグラス禁止」
 調べてみると、座標の指し示す先は南極大陸だった。もちろん普通ならこんな馬鹿げたメッセージは相手にしないが、私にはこの送り主に心当たりがあった。すぐさまヘリコプターと操縦手を手配して、翌週の講演会やイベント、取材の予定をすべてキャンセルした。
 現地に向かう道すがら、ふと気になってSNSを開いた。全盛期と比べるとフォロワー数は一分の一以下に減っていたが、懲りずに全文大文字で投稿している彼の調子に翳りは見られない。ショート動画での投稿もお手の物だ。
 ドナルド・J・トランプ元TOA永世大統領。今年で御年八九歳になる。最先端のアンチエイジング手術を繰り返しているおかげで肌質は未だピチピチ、食事にもなにかと気を遣っているそぶりがうかがえる。語彙力はもともと小学三年生程度しかないので多少滑舌が悪ろうとも別段の差し支えはない。
 国連安保理決議が採択される前の時点で、この永世大統領はどこからか情報を掴んでいたらしい。すべての実務を閣僚に丸投げした後、家族と金塊を連れてロシアへと華々しい亡命を果たした。今ではロシア政府の掲げる政策の先進性や文化芸術を宣伝するご当地外国人タレントとなって絶賛ご活躍中だ。政府要人との交流も厚く、直々に記念楯が贈られている。合衆国政府による再三にわたる受け渡し要求もどこ吹く風。そんな彼の動画のコメント欄は、ティーカップの上げ下ろしになんらかの緊急メッセージを読み取った陰謀論者たちで埋め尽くされている。
 とんだお騒がせ者に付き従った数十名余の国軍兵士、将校、閣僚たちは一旦所轄の役所が死亡届を受理して書類上で死亡扱いにした後、改めて新設の「復活届」を提出させ、二度目以降の人生を送る人間として正式に裁かれた。仮釈放のない終身刑を下された一部の者は一体いつまで塀の中で暮らすことになるのだろう。
 彼女の”領土”のすぐ手前には合衆国軍と中心として様々な国の軍隊が駐屯する基地が建設されている。私はそこで綿密なボディチェックを受けさせられ、ついになにもないことが分かるとようやく先に進むことを許された。南極の寒さはヒーターが効いた自動車を乗り降りするたびに身を突き刺すようだった。
 メッセージに示された座標上には場違いなほど平凡な一戸建てが建てられていた。ドアベルを鳴らすとまるで友達を出迎えるようにインターホンから「ハーイ」と声がした。がちゃり、と電子錠が開く音がして「開いているから勝手に上がって」と、これまた友人にすすめるような口ぶりで招かれる。言われるままに玄関に上がった途端、とてつもない暖気に全身が満たされた。廊下を歩いていくと特に豪華でも貧相でもない雰囲気のリビングで、頭からすっぽりと大型のスマートグラスをかぶったメアリー大尉、もとい、アイシャが立っていた。
 予想だにしない出迎えに手前で固まっていると、ちょうど一段落がついたのか彼女はグラスを脱いで私の方に向き直った。服装は至って気だるげな部屋着で、もうビビットな色彩の三〇〇ポンドもある複合素材スーツは着ていない。髪の毛もストレートパーマをかけたブロンドではなく癖のついた黒髪に戻っている。ただし、足首には今もなお枷が嵌められていた。
「あ、久しぶり。ちょっと偉そうな感じになったね。ここのところ引っ張りだこみたいじゃない」
「おかげさまでね」
 答えつつも私の目線は彼女の両手にあるグラスにあった。これにツッコまないのは野暮だろう。
 調べてみると、座標の指し示した先は南極大陸だった。私はすぐさまヘリコプターと操縦手を手配して、翌週の講演会やイベントの予定をすべてキャンセルした。
 現地に向かう道すがら、ふと気になってSNSのあるアカウントページを開いた。全盛期と比べるとフォロワー数は一分の一以下に減っていたが、懲りずに全文大文字で投稿している彼の調子に衰えは見られない。ショート動画での投稿もお手の物だ。
 ドナルド・J・トランプ元TOA永世大統領。御年九十一歳になる。最先端のアンチエイジング手術のおかげで肌質はピチピチ、普段の暮らしでもなにかと気を遣っている素振りがうかがえる。滑舌は多少悪くなったが、今も昔も小学三年生程度の語彙力しかないので特段の差し支えはない。
 国連安保理決議が採択されるかなり前の時点で、この元永世大統領はどこからか情報を掴んでいたらしい。あらゆる実務を部下に丸投げした後、家族と金塊を連れてロシアへと華々しい亡命を果たした。今ではロシア政府の掲げる政策の先進性や文化芸術を宣伝するご当地外国人タレントとなって絶賛ご活躍中だ。政治家との交流も厚く、直々に表彰楯が贈られている。
 当然、合衆国政府の再三にわたる出頭命令に応じる気配はない。そんな彼の動画のコメント欄は、ティーカップの上げ下ろしになんらかの緊急メッセージを読み取った陰謀論者たちで埋め尽くされている。
 とんだお騒がせ者に付き従った数百名余の将校と官僚たちは一旦所轄の役所が死亡届を受理して書類上で死亡扱いにした後、改めて新設の「復活届」を提出させ、二度目以降の人生を送る人間として正式に刑事告発された。
 裁判には最新バージョンのLLM裁判システムが用いられた。過去の判例の全データと数十万人ぶんの統計的人格を併せ持つ電子の検事と弁護士がそれぞれ毎秒約一億回の弁論を繰り広げ、実時間にして十七時間で全員の一審判決が下された。
 現在、終身刑を言い渡された者の一部は控訴したので二審以降は人間の手に委ねられているが、同システムの稼働以来一度も裁判結果が覆った試しはない。
 彼女の”領土”のすぐ手前には合衆国軍を中心に様々な国の軍隊が駐屯する基地が建設されている。私はそこで綿密なボディチェックを受けさせられ、保安審査を通過するとようやく先に進むことを許された。南極の寒さはヒーターが効いた自動車を乗り降りするたびに身を突き刺すようだった。
 メッセージに示された座標上には場違いなほど平凡な一戸建てが建っていた。ドアベルを鳴らすとまるで友達を出迎えるようにインターホンから「ハーイ」と声がした。がちゃり、と電子錠が開くフィードバック音がして「開いているから勝手に上がって」と、これまた友人にすすめるような口ぶりで招かれる。言われるがままに玄関に上がった途端、快い暖気に全身が満たされた。廊下を歩いていくと特に豪華でも貧相でもない作りのリビングで、頭からすっぽりと大型のスマートグラスをかぶったメアリー大尉、もとい、アイシャが立っていた。
 予想だにしない出迎えに手前で固まっていると、ちょうど一段落ついたのか彼女はグラスを脱いで私の方に向き直った。服装は至って気だるげな部屋着で、もうビビットな色彩をした三〇〇ポンドの複合素材スーツは着ていない。髪の毛もストレートパーマをかけたブロンドではなく癖のついた黒髪に戻っている。ただし、足首には今もなお黒い枷が巻かれていた。
「あ、久しぶり。動画観たけど、良さそうなジャケットを着ているね。ちょっと偉そう」
 さすがに南極くんだりには持ち込んでいないが、講演会やイベントでは二〇〇〇ドルのジャケットを着ている。しわだらけのジャケットは卒業した。
「実を言うと前のあれは祖父の形見でね、墓に埋めたよ」
「相変わらず変な冗談がうまいね」
 調子よく会話を重ねていても私の目線は彼女の手元のスマートグラスにあった。これにツッコまないのは野暮だろう。
「えっと、宗旨替えでもしたのかな。私にはあんなメッセージを送っておいて」
「ん? これのこと? これはセーフよ。ゲーム機だもん」
 あっけからんと答えながら彼女はグラスを充電ドックに差し込んで、近くのソファに倒れ込んだ。ずいぶんやり込んでいたのか「あ〜」と変なうなり声をあげて背筋を延ばす。
 あっけからんと答えつつ彼女はグラスを充電ドックに差し込んで、近くのソファに倒れ込んだ。ずいぶんやり込んでいたのか「あ〜」と変なうなり声を漏らして背筋を延ばす。
「いまダンジョンの十二階層でレイドボスと戦ってるところなんだ。でも、何度やっても勝てない。現実だったら絶対にワンパンで殺れるんだけどな。ゲームって難しいね」
「あまり聞かない類の感想だな」
 彼女にとってゲームとは現実よりも弱い自分を体験するためのものらしい。
「それで、あの子は?」
 かつて最強の座を競い合った最強の妹、サルマ・バルタージー。あの時は確かに一緒に住むと言っていた。時計を見るまでもなく心拍数の上昇を感じながら問うと、これまた彼女は平然と答える。
「上の部屋にいるんじゃない? さっきのゲームもマルチプレイしてたし。そろそろ降りてくるんじゃない?」
 見計らったように背後から階段を降りる音がして、ごく平然とアメリカ合衆国と国連を敵に回して戦ったもう一人の魔法少女が姿を現した。こちらは予想に反して外出に耐えうる服装をしている。
「あ、配信の人」
 かつて最強の座を競い合った妹、サルマ・バルタージー。あの時は確かに一緒に住むと言っていた。時計を見るまでもなく心拍数の上昇を感じながら尋ねると、これまた彼女は平然と答える。
「上の部屋にいるよ。さっきのゲームもマルチプレイしてたし。そろそろ降りてくるんじゃない?」
 見計らったように背後から階段を降りる音がして、アメリカ合衆国と国連を敵に回して戦ったもう一人の魔法少女が姿を現した。こちらは予想に反して外出に耐えうる服装をしている。
「あ、配信の人
「そういうふうに覚えられているのか」
 やや詰問気味の視線を姉の方にけると釈明が返ってきた。
 やや詰問気味の視線を姉の方に投げかけると釈明が返ってきた。
「いや、私はちゃんと説明したつもりだけど」
 とても国家を手玉にとった人間同士の会話とは思えない。隅々にまで床暖房が行き届いた暖かい部屋の中で、カジュアルな服装に身を包んだ二人の姿はどこからどうみても長期休暇中の子どもそのものだ。実際、妹の方はすたすたと私の横を通り過ぎて冷蔵庫からジュースを手に取った。ついでに私にも一本くれた。
「はい、どうぞ」
 とても国家を手玉にとった戦略級兵器同士の会話とは思えない。隅々にまで床暖房が行き届いた暖かい部屋の中で、カジュアルな服装に身を包んだ二人の姿はどこからどう見ても長期休暇中の子どもそのものだ。
 そんな胸中をよそに妹の方はすたすたと私の真横を通り過ぎて冷蔵庫からジュースを取り出した。ついでに私にも一本くれた。
「はい、どうぞ配信の人」
「ど、どうも?」
 ぎこちないイントネーションでお礼を言う。しかし、砂糖とカフェインがぎっしり入ったロング缶のエナジードリンクは三十路すぎの男には少々重かった。
 ぎこちないイントネーションでお礼を言う。しかし、砂糖とカフェインがぎっしり入ったロング缶のエナジードリンクは三十半ばの男には少々重かった。
 結論から言うと、二人の存在は合法になった。
 あの劇的な脱出劇の直後、慌てふためいた合衆国政府が即座にデフコン1を発動させるも、すでにストリーミング配信の内容を分析していた世界各国の有識者から「もはや核兵器が有効とも限らない」との強い制止がかかり、ひとまずは刺激を避けて交渉を行う計画が進んだ。これに対して、南極大陸の観測所に居座った彼女が要求した条件は次の通り。
 一つ、合衆国政府、および各国政府は私、アイシャ・バルタージー個人と相互不可侵条約を締結すること。二つ、別紙に記載の座標を中心に半径一〇〇ヘクタールを私固有の領土とする。三つ、私とその家族の身の安全を保障して十分に文化的な家屋と飲食料を提供すること。四つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる国家の国籍も保有せず、また、いかなる組織にも所属しない。五つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる係争にも関与しない。六つ、以上の条件が確実に履行されている場合に限り、私、アイシャ・バルタージーは戦争犯罪人サルマ・バルタージーが魔法能力を完全に喪失するまで監督責任を負うものとする。七つ、両者の魔法能力の消滅をもって同条約を発展的に解消し、過去のいかなる罪にも問うてはならない。八つ、以上に掲げた条件が不当に破棄されるか、あるいはその計画が露見した場合はダーツで選んだ国の上空で魔法能力を発動する。
 半年以上に及ぶ議論の末、現存するすべての政府は彼女の要求を呑んだ。前例なき未曾有の国際条約が締結される調印式の前後では、インターネット上のありとあらゆる空間で彼女の出自や民族に対する罵詈雑言や差別発言が相次ぎ、あるいは逆に人類全体が崇め奉るべき新しい神であるとの新宗教が現れ、一方、どうせ若い女だから手加減されてるんだろう、もし中年男性なら予告なく南極ごと核爆撃されていた、と恨み節を上げる投稿がSNSで万バズを獲得した。そしてそのどれもが、LLMによるチェックシステムによって適宜フィルタリングされ”良識的”な人々の目に留まることなく電子の海の仄暗い奥底に埋もれていった。
 一度、アイシャとサルマは国連と合衆国政府の承認を得てテキサスに飛んできたことがある。約束通り両親に会いに来たのだ。上空を幾多もの戦闘機が飛び回り、地上では一個大隊規模の軍隊と重戦車が往来する物々しい雰囲気に包まれていたが、名もなき暴徒に銃殺された二人の両親は、共同墓地の一角で静かに眠っている。これで復讐は済んだと言えるだろうか。
 あの劇的な脱出劇の直後、慌てふためいた合衆国政府がデフコン1を発動させるも、ストリーミング配信の内容を分析していた世界各国の有識者から「もはや核兵器が有効とも限らない」との強い制止がかかり、ひとまずは刺激を避けて交渉に臨む計画が進んだ。これに対して、南極大陸の観測所に居座った彼女が要求した条件は次の通り。
 一つ、合衆国政府、および各国政府は私、アイシャ・バルタージー個人と相互不可侵条約を締結すること。二つ、別紙に記載の座標を中心に半径一〇〇ヘクタールを私固有の領土とする。三つ、私とその一族の身の安全を保障して十分に文化的な家屋と飲食料を提供すること。四つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる国家の国籍も保有せず、また、いかなる組織にも所属しない。五つ、私、アイシャ・バルタージーはいかなる係争にも関与しない。六つ、以上の条件が確実に履行されている場合に限り、私、アイシャ・バルタージーは戦争犯罪人サルマ・バルタージーが魔法能力を完全に喪失するまで監督責任を負うものとする。七つ、両者の魔法能力の喪失をもって同条約を発展的に解消し、過去のいかなる罪にも問うてはならない。八つ、以上に掲げた条件が不当に破棄されるか、あるいはその兆候が露見した場合はダーツで選んだ国の上空で魔法能力を発動する。
 半年以上に及ぶ議論の末、主要先進各国は彼女の要求を呑んだ。まだ呑んでいない国々も徐々に後に続くだろう。
 前例なき未曾有の国際条約が締結される調印式の前後では、インターネット上のありとあらゆる空間で彼女の出自や民族に対する罵詈雑言や差別発言が相次ぎ、あるいは逆に人類全体が崇め奉るべき新しい神であると主張する新宗教が現れ、一方、どうせ若い女だから手加減されているんだろう、もし中年男性なら予告なく南極ごと核爆撃されていた、と恨み節を上げる投稿がSNSで万バズを獲得した。そしてそのどれもが、LLMサービスのモデレーションによって適宜フィルタリングされ電子の海の仄暗い奥底に埋もれていった。
 一度、アイシャとサルマは国連と合衆国政府の承認を得てテキサスに飛んできたことがある。約束通り両親に会いに来たのだ。上空を幾多の戦闘機が飛び回り、地上では一個大隊規模の軍隊と重戦車が往来する物々しい雰囲気に包まれていたが、名もなき暴徒に銃殺された二人の両親は、共同墓地の一角で静かに眠っている。これで復讐は済んだと言えるだろうか。
「ほら、あれがそうよ」
 アイシャが自分のYoutubeチャンネルで背景に映り込ませているダーツの実物が壁にかけられていた。およそ数百の隙間の一つ一つにポップな字で国名が刻まれている。ゲームで負けが込むと振り返って矢を投げるふりをするのが彼女の定番の持ちネタの一つだ。そのサブスクライブ数は、世界の誰よりも多い。一時は引き上げた各スポンサー企業からも再び声がかかっているという。
 映画の興行収入も好調だ。悲劇的な結末を迎える本作について「でも演じている本人だったら余裕だったよね」との感想が目立つのも、最強系インフルエンサーとの呼び声が高い彼女ならではの評判と言える。すでに殺到しまくっている主演での出演オファーに対して、今のところすべて断っていると報じられているのも印象深い。彼女に悪役のオファーを出す勇気ある監督がいるだろうか。
 アイシャが自分の動画チャンネルで背景に映り込ませているダーツボードの実物が壁にかけられていた。およそ数百の隙間の一つ一つにポップな字で国名が刻まれている。ゲームで負けが込むと振り返って矢を投げるふりをするのが彼女の定番の持ちネタの一つだ。そのサブスクライブ数は、世界の誰よりも多い。一時は引き上げた各スポンサー企業からも再び声がかかっているという。
 映画の興行収入も好調だ。悲劇的な結末を迎える本作について「でも演じている本人だったら余裕だったよね」との感想が目立つのも、最強系インフルエンサーと呼び声が高い彼女ならではの評判と言える。早くも殺到しまくっている主演での出演オファーに対して、今のところすべて断っていると報じられているのも印象深い。いつか彼女に悪役のオファーを出す勇気ある監督が現れるといい。
 礼拝の時間だというので終わるまで待つつもりでいたら、せっかくなので見ていてほしいと頼まれた。
「ほら、サルマ。あんたは一緒にやりなさい」
 サルマは「えー」と渋ったがややあって言う通りにした。
 あの時と同じ敷物を広げて、手と口と顔を洗い、聖地であるメッカの方角に向かう。耳と肩の横まで両手を上げ、神に祈りを捧げる。
「アッラーフアクバル」
「アッラーフアクバル」
 次に左手の上に右手を重ね、アル・ファーティハの章を唱える。三分弱続いたアラビア語の言葉は、先に進むにつれてばらけていた姉妹の声が折り重なって聞こえた。
 続いてアル・イフラースの章を唱え、腰を深く折り曲げながら再び神に祈る。
「アッラーフアクバル」
 上体を起こしてさらに唱える。
「サミアッラーフ リマン ハミダ」
「ラッバナ ラカル ハムド」
「ハムダン カスィーラン タイイバン ムバーラカン フィーヒ」
「今はどれくらい魔法が使えるんだ」
 ふと気になって尋ねてみた。
「核兵器にギリ負けるくらい」
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 呼ばれたのでわざわざやってきたものの、歳と身分を越えた愛の告白とか、世界に変革をもたらす上位魔法世界からの招待状といった、奇想天外な新しい物語は紡がれそうになかった。どうやら本当に話し相手が欲しかっただけみたいだ。
 魔法少女二人との他愛もない雑談に応じつつも、私の頭には薄汚れた大人の計算が渦巻いていた。
 二人の魔法能力が通常戦力を下回るほど衰えたら、その時に世界はどうするのだろう? これ幸いと抹殺しにかかるのだろうか? あるいは、なんであれ一度合意した手続きを守るだろうか? もし誰かが守らなかったら、守らせるために別の戦いを行えるだろうか?
 魔法能力は一八歳をピークに衰えていく。気まぐれな神が与えたもうた純粋な力だ。
 魔法能力は十八歳をピークに衰えていく。知能よりも筋力よりも儚い、気まぐれな神が与えたもうた純粋な力だ。
 ほどなくするとアイシャは「そうだ、動画案件をやらなきゃ」と言い、電話を取り出しててきぱきとショート動画の撮影準備を始めた。なんでも合衆国保健福祉省からの依頼だという。
「ほら、動画撮るから五分静かにしてね」
「待って、あたしが映り込んだら超面白いことになりそう」