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Rikuoh Tsujitani 2023-10-13 22:17:36 +09:00
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@ -213,7 +213,7 @@ tags: ['novel']
「あたし、中学生に見えるってよく言われるんだ。やつらと鉢合ったらまたぶっ飛ばすよ」
 反対側の街に赴く道すがら、僕たちの会話はあまり弾まなかった。時折、降り注ぐ直射日光の熱さに文句を言って、飲み物を持ってこなかったことに文句を言って、他にも親のこととか、学校の規則とか、あらかたの物事に文句を言い尽くすと彼女はだんだん口数が少なくなって、ただ応じていた僕もおのずと口を閉ざした。
 インターネットを介している時はニ時間あっても全然足りないくらい大はしゃぎできるのに、現実では会話の糸口がてんで見つからない。ずんずんと堂々たる足取りで進む彼女の影に入り込むようにして、ひたすら後をついていくしかなかった。
 街に辿り着いて雑踏に紛れると梨花ちゃんの口数は復活した。まずは自販機でジュースを買って飲んだ。それから僕の手を引っ張って入った書店の少女漫画コーナーで、あれやこれやと物語のあらすじを教えてくれた。錆びついた歯車に油が染み込むように、おかげで僕も会話の調子を取り戻した。
 街に着いて雑踏に紛れると梨花ちゃんの口数は復活した。まずは自販機でジュースを買って飲んだ。それから僕の手を引っ張って入った書店の少女漫画コーナーで、あれやこれやと物語のあらすじを教えてくれた。錆びついた歯車に油が染み込むように、おかげで僕も会話の調子を取り戻した。
 目当ての漫画本を手に入れて上機嫌の彼女は、通りかかった店の前でいきなり立ち止まった。見上げると、そこはゲームセンターだった。ニ階建ての手狭な店舗で、ビルを貸し切ったような大都会のそれとは及びもつかないが、市内の子どもたちにとってはここが手に届く唯一の娯楽施設だ。うっかり気を抜いていた僕はそこでようやく原初の恐怖心を思い出した。
「バイソンたちがいるかもしれない。早く離れよう」
「へえ、でもあたしは入ってみたいな。一度も行ったことないし」
@ -250,7 +250,7 @@ tags: ['novel']
 千佳ちゃん一家が通りの角を曲がるまで目で追ってから、二人して深いため息を吐いた。
「とってもいい子だね。仲良くなれそう」
 サボテンでできた惑星くらい棘のある声で彼女はそう言うと、僕の腕をむんずと掴んでゲームセンターに引きずっていった。
 タバコの煙がもくもくとたちこめる独特の空気はゲームが好きでも一生馴染めそうにはない。シューティングゲームやアーケードゲーム、レースゲームの台が所狭しと並ぶ中で、梨花ちゃんはどれを遊ぶか決めあぐねている様子だった。無理もない。一ゲーム百円のプレイ料金は小学生には重い。どれが面白いのか判らないのにおいそれとお金は費やせない。
 タバコの煙がもくもくとる独特の空気はゲームが好きでも一生馴染めそうにはない。シューティングゲームやアーケードゲーム、レースゲームの台が所狭しと並ぶ中で、梨花ちゃんはどれを遊ぶか決めあぐねている様子だった。無理もない。一ゲーム百円のプレイ料金は小学生には重い。どれが面白いのか判らないのにおいそれとお金は費やせない。
「ねえ、あんたはどれ遊んでるの」
 ここへきてようやく出番が巡ってきた。幸い、田舎町のゲームセンターなだけあって台はろくに入れ替わっていない。僕はいつになく堂々と言った。
「ストⅡかな、やっぱ」
@ -276,7 +276,7 @@ tags: ['novel']
 彼女はふふと笑った。そういう笑い方もできるんだ、と僕は少し驚いた。
「あたしも撮ったことはないけど……やってみれば分かるよ。ほら、あたしが出すから」
 とる とるってなにを取るんだろう。UFOキャッチャーのような代物なのか……こんこんと湧き出る疑問をよそに誘われるまま、僕は外側が天幕で覆われた機械の内側に入った。台の上部に「プリント倶楽部」と銘打たれている。これが「ぷりくら」が略語に違いない。
 お金を投入した後、スピーカーから流れる甲高い音声案内に倣って梨花ちゃんがボタンを押していくと、目の前のモニタに僕と彼女の顔が映り込んだ。僕はあっと声をあげた。
 お金を投入した後、スピーカーから流れる音声案内に倣って梨花ちゃんがボタンを押していくと、目の前のモニタに僕と彼女の顔が映り込んだ。僕はあっと声をあげた。
「やばっ、チーズしてチーズ」
 二人の顔を取り囲むハート型の枠の下に『はい、チーズ!』と文字が現れた。咄嗟に梨花ちゃんは顔の横にピースを掲げたが、僕は終始うろたえた状態で固まり、それがそのまま静止画と化して機械の下から吐き出された。やけに肌が白く見えるその写真を見て、彼女は苦笑した。
「捕まった人みたいだね」
@ -293,7 +293,9 @@ tags: ['novel']
「そういうものなのか」
 ゲームセンターの眩い照明を受けて、ただでさえ白い肌をした写真の中の僕たちがいっそう輝いて見えた。
 午後五時を過ぎ、夏の長い夕方でも子どもが街にいるのは体裁が悪い時刻になった。ぬいぐるみを抱えながら通りを歩く彼女は、さすがに遊び疲れたのか僕でも追い越せそうな歩幅で伸びる自分の影の後を追っている。
「来週は……ちゃんと来てよね、チャット」
「今日は割とよかった。けど……」
 梨花ちゃんがぽつりと言った。
「……来週は、ちゃんと来てよね。チャット」
 僕はうん、と答えた。実際のところは父さんの裁量次第だが、なんとなくあのフロッピーディスクは今回限りで用が済むのではないかと直感していた。
「まずい、止まって」
 数歩ぶん先行していた彼女の歩みがはたと止まった。言われるまでもなく僕も止まらざるをえなかった。テレビでしか見たことのない渋谷のスクランブル交差点を大幅に縮小したような街の交差点の反対側に、バイソンと二人の取り巻きが立っているのが見えた。彼らはもうこちらの姿を明確に捉えていて、いつ襲いかかってきてもおかしくない獰猛な笑みを湛えていた。
@ -303,7 +305,7 @@ tags: ['novel']
「えっ、ぶっ飛ばしてくれるんじゃないの?」
「今はもう無理」
 休日の浮かれ気分で満ち足りた喧騒が遠のいて、そこにはバイソンと取り巻きと僕たちしかいないような気がした。信号機が、青に変わる。
 ぞろぞろと人々が交差点を往来していく最中、刹那の空白の後にバイソンたちは横にそれて移動しはじめた。獣の視線は相変わらずこちらに向けられている。彼女に手を引かれるまま、僕も横にずれていった。互いに平行移動しながら徐々に遠ざかっていく。さながら見えない国境線を沿って歩く兵士を彷彿させた。
 ぞろぞろと人々が交差点を往来していく最中、刹那の空白の後にバイソンたちは横にそれて移動しはじめた。獣の視線は相変わらずこちらに向けられている。彼女に手を引かれるまま、僕も横にずれていった。互いに平行移動しながら徐々に遠ざかっていく。さながら見えない国境線を沿って歩く兵士を空想させた。
 たっぷり数十メートル単位も距離を離すとバイソンたちはくるりと背を向けた。途端に、傾いた日差しの熱や人々の声、湿った空気などが全身に舞い戻ってくる。
「さすがにこんなところで暴れるわけないか」
 梨花ちゃんがぬいぐるみを抱える腕を緩めて言った。
@ -314,24 +316,24 @@ tags: ['novel']
---
 悲劇は突然に訪れた。担任の先生が普段の調子で帰りの会を早じまいさせようとしたところ、がらがらと教室の引き戸が開いて別の先生が入ってきた。ずんぐりとした体型に似合わず、黒板を引っ掻いたような甲高い声が特徴の風紀指導担当教員だ。不意の闖入者に担任の先生も少々驚いた様子だったが、すぐに彼女が持ち前の声で要件を高らかに伝えた。
 悲劇は突然に訪れた。担任の先生が普段の調子で帰りの会を早じまいさせようとしたところ、がらがらと教室の引き戸が開いて別の先生が入ってきた。ずんぐりとした体型に似合わず、黒板を引っ掻いたような甲高い声が特徴の風紀指導担当教員だ。不意の闖入者に担任の先生も少々驚いた様子だったが、教員はすぐに持ち前の声で要件を高らかに伝えた。
「本日は風紀指導について、古井さんからとても重要なお話があるそうです。皆さん静かに聞きましょう」
 キーッキーッとした音が総体としては明瞭に日本語の意味を持つのは今もって不思議な感覚だ。言われるまでもなく教室全体に逆らいがたい重圧が立ちこめた。
 キーッキーッとした音が総体としては明瞭に日本語の意味を持つのは今もって不思議な感覚だ。教室全体に逆らいがたい重圧が立ちこめた。
 担任の先生が遠慮がちに言った。
「あのう、今日はクラブ活動もありますし、わたくしも詳細を伺っていないので後日というわけには……」
 指導教員のかける黒縁メガネがぎらっと光った感じがした。さらに一オクターブ高い声が、空気ごと周囲を威圧せしめる。
「ことは急を要するのです。そもそもこんなことになったのはあなたの指導不足ではないのですか
「ことは急を要するのです。そもそもこんなことになったのはあなたの指導不足なのですよ
 先生が先生に叱られている! 子どもの目にも両者の主従関係が本能的に理解できた。一転、教員はにっこりと笑顔を振りまいて「では、古井さん、どうぞ起立してお話してくださいな」と結んだ。実質、教室での実権を簒奪された担任の先生はうろたえるばかりだった。
 指名された千佳ちゃんがすっと立ちあがった。総合室でのもじもじした態度が嘘みたいに決意が全身に張り詰めていた。
「ここ最近、六年生の校則違反には目に余るところがあります。下級生の模範となるべき最上級生の私たちには特にあってはならないことです」
 持って回った話しぶりから、千佳ちゃんの演説が即興ではなく事前の準備を経たものであることがうがかえた。
「まず一つ目は先月に決められたゲームセンターの利用制限ですが、先生やPTA役員の方々にお骨折り頂いているにもかかわらず、今でもご両親の同伴なく立ち寄っている子たちがいます」
「まず一つ目は今学期に決められたゲームセンターの利用制限ですが、先生やPTA役員の方々にお骨折り頂いているにもかかわらず、今でもご両親の同伴なく立ち寄っている子たちがいます」
 一瞬、ぎょっとしたが続く苗字に僕は含まれていなかった。
「たとえば、私たち二組では梶くんと尾野くん」
 名指しされた二人にクラスメイト全員の視線が集まった。二人ともバイソンの取り巻きだ。どうやらあの後も目を盗んでゲーセンに忍び込んでいたらしい。うん、うんと深くうなずく指導教員をよそに、取り巻きの二人は抗議の声をがなりたてた。
 名指しされた二人にクラスメイト全員の視線が集まった。二人ともバイソンの取り巻きだ。あの日も彼らは街にいた。うん、うんと深くうなずく指導教員をよそに、取り巻きの二人は抗議の声をがなりたてた。
「そんなこと言われても、親とゲーセンなんて行けっかよ」
「俺のは土日働いてんだよ」
 しかし千佳ちゃんは凶暴な二人相手に一歩も引かず、さらに強い口調で宣言した。
「俺の母ちゃんは土日働いてんだよ」
 しかし千佳ちゃんは凶暴な二人相手に一歩も引かず、力強い口調で宣告した。
「あなたたちの行いはルール違反です。先生とクラスメイトの皆さんに謝って、固く更生を誓ってください」
「は? いやだし!」
「なんで謝んなきゃいけねーんだよ! お前に関係ねーだろ!」
@ -344,7 +346,7 @@ tags: ['novel']
 たちまち場の空気が凍った――そして、取り巻き二人に対する視線が興味本位から、ゆっくりと、しかし加速的に、敵意へと変遷していく過程が感じとれた。
 クラスメイトの中から誰かがぼそりと「謝れよ」と言った。「謝ればいいじゃん」とさらにもう一人。趨勢は決定づけられた。二人への謝罪要求は波紋を打つように徐々に広がり、やがて糾弾の大波を象って氾濫した。
**「あーやまれ! あーやまれ!」**
 さしものバイソンの尖兵も、これにはひとたまりもない。バイソンは別のクラスにいて、彼らは孤立無援だった。多勢に無勢だ。二人は顔を青ざめさせながらきょろきょろと視線を泳がせて、それから互いに顔を見合わせた。そうして二人の口から、ぼそぼそと謝罪めいた文言が出るまでにもう十五分近くが経過していた。だが、指導教員は恍惚とした表情でなおも二人を追い詰めた。
 さしものバイソンの尖兵も、これにはひとたまりもない。バイソンは別のクラスにいて、彼らは孤立無援だった。多勢に無勢だ。二人は顔を青ざめさせながらきょろきょろと視線を泳がせて、それから互いに顔を見合わせた。そうして二人の口から、ぼそぼそと謝罪めいた文言が出るまでにもう何分も経過していた。だが、指導教員は恍惚とした表情でなおも二人を追い詰めた。
「わたくしは真摯に、と言いました。真摯というのは、真心を込める、本気で、という意味です。今のお二人の謝罪は真心がこもっていましたか? わたくしにはそうは見えません」
 結局、教員がそのガマのような顔をうっとりと紅潮させて「いいでしょう」と認めるまで、取り巻きの二人は教室じゅうの冷たい視線を浴びながら何十回と謝罪をやり直しさせられた。そのうちにどちらともなく涙を流しはじめて、途中から謝罪の声は嗚咽に上書きされ、動物じみた慟哭に等しい様相を呈していた。しかし指導教員はむしろ満足したようだった。
「お二人はこれでよく反省したと思います。皆さんもお二人を許してあげてくださいね」
@ -354,24 +356,26 @@ tags: ['novel']
「他クラスへの侵入は、皆さんの教科書や私物を適切に管理保全するためには極力避けられなければなりません」
 そこですうっ、と千佳ちゃんは深く息を吸い込んだ。
「ですが、ここ最近、二組に何度も侵入している子がいます」
 千佳ちゃんが指導教員に浅くお辞儀をすると、教員はずんぐりした体を左右に揺らしながら引き戸に向かって歩き、扉を開けて「入りなさい」と告げた。すると、他でもない梨花ちゃんが仏頂面で教室に入ってきた。
 千佳ちゃんが指導教員にお辞儀をすると、教員はずんぐりした体を左右に揺らしながら引き戸に向かって歩き、扉を開けて「入りなさい」と告げた。すると、他でもない梨花ちゃんが仏頂面で教室に入ってきた。
「一組の堺梨花さんは私の記録によると、一ヶ月の間に計十三回も二組に侵入しています。おそらく本当はもっとでしょう」
 梨花ちゃんのライオンを彷彿させる眼光が鋭く千佳ちゃんを捉えた。だが、二組全員の衆人環視に晒され、指導教員までもが真横に控えている状況では彼女の威圧はさしたる効果を持ちえなかった。
「そして現に……堺さんの他クラス侵入によって被害を受けている子がいます」
 直後、まったく予想だにしていなかった事態が起こった。千佳ちゃんの顔が僕に向けられ、つられてクラスメイトの視線も僕の方に向いたのだ。いきなりコロッセウムの観客席から、闘技場に投げ出されたような戦慄に襲われた。
「田宮くんはノートを堺さんに破られていました。他にも、されたりしていて……。他の子たちも怖がっています」
 直後、まったく予想だにしていなかった事態が起こった。千佳ちゃんの顔が僕に向けられ、つられてクラスメイトの視線も僕の方に向いたのだ。コロッセウムの観客席から、いきなり闘技場に投げ出されたような戦慄に襲われた。
「田宮くんはノートを堺さんに破られていました。他にも、連れ回されたりしていて……。他の子たちも怖がっています」
 クラスメイトが次々と「私も見た」、「田宮くんかわいそう」と声をあげはじめた。僕に注がれる視線は同情で、梨花ちゃんに向けられているのは先ほどの二人と同じ敵意だった。彼女は二組の構成員に手を出した外敵と見なされたのだ。当の本人もうつむきがちに黙りこくっている。
「こういう時は被害者の意見訊くべきじゃないかしら?」
「こういう時は被害者の意見を第一に訊くべきじゃないかしら?」
 教員の「助言」に応じて、千佳ちゃんは僕の方に身体ごと向き直って言った。
「ねっ、田宮くん、メーワクだったよね。堺さんにノートを破られたりして。そうでしょ?」
「僕は……」
「田宮さん、発言する時は起立しましょう」
 指導教員の有無を言わさぬ指示に身体が勝手に動いた。以前、低学年の担任だった頃は定規で子どもを殴りまくっていた恐るべき相手に、わずかでも抗ったと気取られることは避けたかった。
「僕は――」
 起立して改めて口を開いたものの、なにを言うべきか見当がつかなかった。ートを破られたのは、むろん、迷惑と言わざるをえない。彼女の振る舞いは理不尽極まる。でも、あの日、グレーの公衆電話ボックスの前で危機に瀕していた僕を、結果的に救ったのは梨花ちゃんなのだ。CGIチャットを通じてFlash Playerや他の様々な情報を教えてくれたのも彼女だ。
 しかし、そうした背景について説明する能力を僕は持っていなかった。ありのままに言えばたとえいじめっ子が相手だとしても暴力は悪い、となりかねない。なにより恐ろしいのは、これらが「メーワク」じゃないとしたら、他クラス侵入の罪科は彼女のみならず僕自身にも降りかかってくることだ。友達を誘って招き入れたと言っているに等しい。
 脇から首筋から、手のひらから、冷や汗がだらだらと垂れてきた。もし、そうなったら僕もみんなの前で謝らせられるのだろうか? あの愚かな取り巻きの二人と同じように、僕も嗚咽を漏らして情けなく涙を流す醜態を晒すのだろうか?
 そんなの絶対に嫌だ。僕はなにも悪いことはしていない。そんな目に遭わなければならない道理は、取り巻き連中や梨花ちゃんにはあっても僕には一つもない。僕は僕の世界を守らなくちゃいけない……。
 起立して改めて口を開いたものの、なにを言うべきか見当がつかなかった。ートを破られたのは、むろん、迷惑と言わざるをえない。彼女の振る舞いは理不尽極まる。でも、あの日、グレーの公衆電話ボックスの前で危機に瀕していた僕を、結果的に救ったのは梨花ちゃんなのだ。CGIチャットやFlash Playerやプリクラを教えてくれたのも彼女だ。
 しかし、そうした背景について説明する能力を僕は持っていなかった。ありのままに言えばたとえいじめっ子が相手だとしても暴力は悪い、となりかねない。ゲーセンにも子どもだけで行っている。本気で調べられたら嘘はばれる。
 なにより恐ろしいのは、これらが「メーワク」じゃないとしたら、先の罪科は彼女のみならず僕自身にも降りかかってくることだ。共同正犯に手を染めたと言っているに等しい。
 千佳ちゃんは黙らされてなんかいなかった。一つも納得なんてしていなかった。この瞬間に至るまで、仇敵を確実に仕留める作戦を拵えていたのだ。
 脇から首筋から、手のひらから、冷や汗がだらだらと垂れてきた。もし共犯なら、僕もみんなの前で謝らせられるのだろうか? あの愚かな取り巻きの二人と同じように、僕も嗚咽を漏らして涙を流す醜態を晒すのだろうか?
 そんなの絶対に嫌だ。僕は悪くない。そんな目に遭わなければならない道理は、取り巻き連中や梨花ちゃんにはあっても僕にはない。僕は僕の世界を守らなくちゃいけない……。父さんに知られたらノートパソコンを取り上げられてしまうかもしれない。
 教室じゅうの視線が僕に集中していた。梨花ちゃんも僕を見ていた。表情は平坦そのもので感情をうかがい知ることはできない。
「――メー、ワク、でした……。もう、やってほしく、ないと、思います」
 がくがくと震える口を懸命にこじ開けながら僕は意見を表明した。ただ、目は誰とも合わせなかった。合わせたくなかった。言っている最中も、言い終わって着席してからも僕の視線は常に空中を漂っていて、黒板の上に架けられた時計とか、その横に掲げられた標語とかをふらふらと眺めていた。
@ -389,7 +393,7 @@ tags: ['novel']
「梨花ちゃん!」
 僕は教室の外から叫んだ。彼女の肩がびくりと震えたが、振り向きはしなかった。相変わらず手を止めずに帰り支度を進めている。かまわず一組の教室に足を踏み入れた。これで僕も他クラス侵入だが、もうどうだってよかった。彼女の誤解を解く方がよっぽど大事だった。
「梨花ちゃん、あの……」
 目の前までたどり着いて呼び止めると、すっと彼女が顔をあげた。ライオンのような鋭い視線ではなかった。いかなる形容も装飾もふさわしくない無味乾燥な視線――本当にただ目が合っているだけ、といった具合の目つきが僕を凍てつかせた。
 目の前まで近づいて呼び止めると、すっと彼女が顔をあげた。ライオンのような鋭い視線ではなかった。いかなる形容も装飾もふさわしくない無味乾燥な視線――本当にただ目が合っているだけ、といった具合の目つきが僕を凍てつかせた。
「他クラス侵入だよ、出てって」
 彼女の声は過去に聞いたどの声よりも静かだった。けれども、僕にとっては今までのどんな仕打ちよりもはるかに気持ちを重くさせた。架空の錘に心臓が押し潰されそうだった。
「あの場ではああするしかなかったんだ、でも」
@ -409,17 +413,17 @@ tags: ['novel']
「あのさ、もう、交換日記やめよう」
「えっ」
 僕は背中のランドセルを肩に回して開き、中から交換日記用のノートを取り出して彼女に押しつけた。
「興味なかったんだ、最初から」
本当は興味なかったんだ、最初から」
 それだけ言い残すと、僕は千佳ちゃんから顔をそらして階段を駆け下りた。幸いにも追いかけてくることはなかった。下駄箱で上履きを履き替え、校門を通り過ぎ、歩いて、田んぼの連なりが視界いっぱいに広がると、ついに僕の心は均衡を失ってぐちゃぐちゃになった。
 どう考えても八つ当たりだ。女の子に嫌われた腹いせに、別の女の子をわざと嫌った。街でも東京でもアメリカでも、インターネットの大銀河でも僕より最低最悪なやつは見つからないんじゃないかと思った。
 僕はなに一つ悪くないはずだった。ノートも破っていないし、暴力も振るっていないし、告げ口もしていない。交換日記だってこっちから誘ったわけじゃないし、いつやめようと勝手だ。そうとも、僕は悪くない。
 でも、僕は一つも悪くないけど、全部間違えた。なにもかも間違えた。夏の陽の光に晒された直線の道を歩きながら、僕はわんわん泣いた。今は宇宙船なんかよりもタイムマシンが欲しかった。
 僕はなに悪くないはずだった。ノートも破っていないし、暴力も振るっていないし、告げ口もしていない。嘘をついたのは梨花ちゃんだ。交換日記だってこっちから誘ったわけじゃないし、いつやめようと勝手だ。そうとも、僕は悪くない。
 でも、僕は悪くないけど、全部間違えた。なにもかも間違えた。夏の陽の光に晒された直線の道を歩きながら、僕はわんわん泣いた。今は宇宙船なんかよりもタイムマシンが欲しかった。
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 週末までの数日、梨花ちゃんは学校に来なかった。いつ一組の教室を覗いても彼女の座席は虚空が埋めていた。それでも間の悪さに賭けて、幾度となく授業中にトイレに行くふりをして教室を見に行ったが、やはりいない。同じ間の悪さでも、あの後にたまたま病気にかかったなどという可能性を信じる気にはなれなかった。
 土日は二日続けて大雨だった。インターネットをしたくても雨が降っていては外出できない。電話ボックスの中に入ってしまえば関係ないが、行くまでの間にリュックが雨水に濡れて浸水したら大変だ。パソコン雑誌にも、コップの水がかかっただけで何十万もする自慢のマシンがお陀仏になった、という失敗談とともに家財保険の広告が載っていた。僕の父さんがそんな保険に入っているわけもなく、パソコンを壊したら残るのは長期ローンの支払いだけだ。そして二度とパソコンもインターネットもできなくなる。
 だが、日曜日の昼食時に差し掛かるといつもの約束の時間が迫っていることを思い出した。日曜日の午後一時。梨花ちゃんは「来なくていい」と言ったが、僕はどうしても今日こそ行かなければいけない気がした。居間の窓に張りついてざあざあと降りしきる雨脚を見ていると、n母さんが昼食を持ってきながら訝しんだ。
 だが、日曜日の昼食時に差し掛かるといつもの約束の時間が迫っていることを思い出した。日曜日の午後一時。梨花ちゃんは「来なくていい」と言ったが、僕はどうしても今日こそ行かなければいけない気がした。居間の窓に張りついてざあざあと降りしきる雨脚を見ていると、昼食を持ってきた母さんが訝しんだ。
「朝から外ばかり見て……ここのところしょっちゅう出かけているけどそんなに気に入った場所でもあるの? 今日はよしときなさい」
「うん、でも、今日は行かないと」
「いつもどこに行っているの?」
@ -429,10 +433,10 @@ tags: ['novel']
「……まあ、いいけど、かっぱを着ていきなさいね」
 想像上の冒険少年に擬態した甲斐があったのか、それとも見抜かれた上で黙認されたのか判らないが、とにかく僕は昼食を摂ったが早いかリュックに所定の荷物を詰め込んで準備を進めた。パソコン雑誌の塔からあまり面白くなかった号を抜き取って、ノートパソコンの天板と底面を覆う形にした。これで多少は浸水対策になるはずだ。リュックそのものをかっぱが覆っているし、なんとかなるだろう。
 折りよく、外に出る頃には雨脚が弱まって小雨くらいになっていた。しとしとと田んぼの水面に降り積もる無色透明の雨粒は、土と混ざり合ってみるみるうちに濁り気を増していく。左右の田んぼから溢れ出た泥水が直線の道を茶色く染めあげた。道路があぜ道に変わると路面はますますひどくなり、ほとんど土の中を歩いている感覚に囚われた。
 太ももまで丈がある長靴の大部分が泥に汚れたところで、グレーの公衆電話ボックスにたどり着いた。雨はもう止んでいた。内側に貼られたダンボール板の遮蔽は変わらず、外側のプラスチックの表面が雨で濡れて水滴がこびりついている。
 中に足を踏み入れようとして、考え直した。僕の世界を泥で汚したくない。やむをえずダンボール板の一部をちぎって床に置き、そこに脱いだ長靴を置いた。
 太ももまで丈がある長靴の大部分が泥に汚れた辺りで、グレーの公衆電話ボックスにたどり着いた。雨はもう止んでいた。内側に貼られたダンボール板の遮蔽は変わらず、外側のプラスチックの表面が雨で濡れて水滴がこびりついている。
 中に足を踏み入れようとして、考え直した。僕の世界を泥で汚したくない。やむをえずダンボール板の一部をちぎって床に置き、そこに脱いだ長靴を立てた。
 濡れたかっぱを電話ボックスの内側から外に向かって脱いで、水分を入念に払ってから折りたたんだ。そうしてから電話機本体と金具の隙間に差し込んでおいた。次にインターネット接続の準備に取り掛かる。微かに抱いていた心配はどうやら杞憂だったらしく、ノートパソコンはもちろんパソコン雑誌も全然濡れていなかった。いつも通りに電源を入れて、モジュラーケーブルを接続して、電話機にテレホンカードを読み取らせた。
 彼女のCGIチャットはとっくにブックマークしてある。ハードディスクのうなり声とともに描画されたチャット画面は前回となにも変わっていない。履歴を読む限りでは僕たちは仲良しに見える。
 彼女のCGIチャットはとっくにブックマークしてある。ハードディスクのうなり声とともに描画されたチャット画面は前回となにも変わっていない。履歴を読む限りでは僕たちはまだ仲良しに見える。
 僕はせかせかとキーボードを叩いて「入室」ボタンを押した。タスクバーの時刻表示は午後一時ちょうどを示していた。
**『誠 さんが入室しました』**
誠>来てる?
@ -447,11 +451,11 @@ tags: ['novel']
誠>でも間違いだった
誠>僕は悪くないだけで間違っていた
誠>インターネットを教えてくれた君に報いるべきだった
誠>嘘でも一緒に叱られるべきだった
 どんなに書き連ねても梨花ちゃんが入室してくることはなかった。それでもかまわず書き続けた。前の会話がどんどん下に追いやられていって、僕の発言で画面が埋まっても書き続けた。ずっと新を追っていないお気に入りのウェブページのことなんて頭から消えていた。街よりも東京よりもアメリカよりも広大な大銀河の世界で、街よりも家よりも矮小なグレーの公衆電話ボックスの中にいる僕の申し開きを、ただ一人の女の子に見て欲しかった。
 指先が疲労で痺れるくらいにキーボードをタイピングして「更新」ボタンを連打しているうちに午後二時を過ぎた。ノートパソコンのバッテリーはわずかしか残っていない。自分ひとりでチャット画面を埋めたせいで、インターネットエクスプローラーのスクロールバーが豆粒みたいなサイズに縮んでいた。
誠>一緒に叱られるべきだった
 どんなに書き連ねても梨花ちゃんが入室してくることはなかった。それでもかまわず書き続けた。前の会話がどんどん下に追いやられていって、僕の発言で画面が埋まっても書き続けた。ずっと新を追っていないお気に入りのウェブページのことなんて頭から消えていた。街よりも東京よりもアメリカよりも広大な大銀河の世界で、街よりも家よりも矮小なグレーの公衆電話ボックスの中にいる僕の申し開きを、ただ一人の女の子に見て欲しかった。
 指先が疲労で痺れるくらいにキーボードをタイピングして「更新」ボタンを連打しているうちに午後二時を過ぎた。自分ひとりでチャット画面を埋めたせいで、インターネットエクスプローラーのスクロールバーが豆粒みたいなサイズに縮んでいた。
 たぶん今日はもう来ない。
 ため息をついてウインドウのバツ印にカーソルを合わせかけたその時、どん、どん、と電話ボックスの壁を叩く音が聞こえた。
 ため息をついてウインドウのバツ印にカーソルを合わせたその時、どん、どん、と電話ボックスの壁を叩く音が聞こえた。
 えっ、梨花ちゃん?
 まさか、直接来てくれて――
 隠しきれない喜びを胸にドアの方を見ると、切り取って背が低くなったダンボール板から顔を覗かせるように、あのバイソンが邪悪な笑みを湛えてそこにいた。
@ -464,10 +468,10 @@ tags: ['novel']
「よお、チクリ魔。今日という今日こそ覚悟しろよ」
 なんの予備動作もなく、梶の前蹴りが無防備な腹部に突き刺さった。激痛に耐えられず地面を転がるとびちゃびちゃと泥の跳ねる音がした。その数秒後に、おそらくは尾野のものと思われる靴底が脇腹に深くめりこんだ。痛み以上に臓器にかかった負担から、僕は吐き気を催して食べたばかりの昼食をおおかた地面に吐き戻した。蹴られ続けているうちに吐瀉物は泥水とまみれて次第に区別がつかなくなった。
「ざまねえな、センコーを味方につけて調子くれやがって」
 僕は萎縮する胃袋を御し手を虚空に掲げて釈明を試みた。
 僕は萎縮する胃袋を御し手を虚空に掲げて釈明を試みた。
「違う、僕は関係ない。なにもっ、なにも言っていない」
「あの時にやられなかったのはてめえだけだろうが。チクリ野郎がよ」
 尾野が冷たく言って、さらに追撃を重ねた。
「あの時にやられなかったのはてめえだけだろうが。チクリ野郎がよ」
 尾野が冷たく言って、さらに追撃を重ねた。抗弁の余地は与えられなかった。
 しばらくすると寝転がる僕を蹴るのにも飽きたのか、バイソンは取り巻きたちに「おい、こいつ立たせろ。根性入れてやる」と命令した。二人は嬉々として僕の腕を掴んで無理やり起きあがらせた。正面に立ったバイソンは握りしめた両手を構えて、ボクサーに似たポーズをとった。
 しゅっと音がして彼の拳が腹に直撃した。僕はいまいちど激しい嘔吐感に襲われたが、口から漏れてくるのは胃液だけだった。「バイソンのパンチやべー」と左右のどちらからか囃したてる声がした。勢いは止まらず、さらに一発、二発と連続して打撃が入った。
 普段、どんなに脅かされても心の奥底では彼らを軽く見ている自分がいた。だって所詮は小学生同士じゃないか。気が済んだらそれまでの話だ。
@ -483,10 +487,10 @@ tags: ['novel']
 腹を殴られすぎて感覚が鈍麻してきた。もう胃液もなにも出てこない。ひたすら反射的に臓器がせりあがって、口から空気がひゅっと漏れて、頭ががんがんと響いてくる。
「僕はただ……インターネットがしたかっただけで……家じゃできないから……」
 声を張る気力もなくぼそぼそと言った。彼らへの主張というよりは自分の行動を説明する形式に近かった。バイソンは顔を電話ボックスに傾けて、取り巻きに言いつけた。
「おい、お前らあの中からこいつの荷物とってこい。そういえば、こいつなんかやってたわ」
「おい、お前らあの中からこいつの荷物とってこい。そういえばなんかやってたわ」
 取り巻きたちが腕を放すと、すでに直立の気力を失っていた僕は崩れ落ちた。彼らにノートパソコンが見つかる事態だけは避けたかったが、もはや防ぐ手立ては残されていない。
「バイソン、これあれじゃね? パソコンってやつ」
 梶が電話ボックスの中を覗いて叫んだ。ノートパソコンを持ち出そうとして引っ掛かったのか「線が抜けねえ」と難儀していると、業を煮やした尾野が「もうちぎっちゃえよ」と言い、ほどなくして切断されたモジュラーケーブルをぷらぷらと垂らしたノートパソコンが眼前に現れた。
 梶が電話ボックスの中を覗いて叫んだ。ノートパソコンを持ち出そうとして引っ掛かったのか「線が抜けねえ」と難儀していると、業を煮やした尾野が「もうちぎっちゃえよ」と言い、ほどなくして破損したモジュラーケーブルをぷらぷらと垂らしたノートパソコンが眼前に現れた。
「へえ」
 人生でもっとも狼狽した表情をしているであろう僕を見てバイソンは満足そうに、この上なく残忍な笑みを口元に広げた。
「こんなもんまで買ってもらえるのかよ、コームインのせがれってのは」
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 鞭を打つような声に動かされて、僕は立ちあがって走った。まだ走れる体力が残っていたのかと自分でも不思議なくらい速く走れた。だが、急勾配の道を下ってなだらかな斜面に差し掛かった頃、足が止まった。空を見上げると、ぱらぱらと小雨が降りだしていた。
 逃げてと言われて逃げたが、置いてけぼりにしてしまっているじゃないか。
 ノートパソコンが山に放置されている。まだ壊れたと決まったわけじゃない。
 あれがなければ、僕は……。
 直ちに来た道を引き返して勾配を登った。しかし、あそこには三人の敵が待ち構えている。取り巻き二人は梨花ちゃんがやっつけてくれるとしても、さすがにバイソン相手は心許ない。なにか武器が欲しい。
 僕は脇道に生えている手頃な太さの木を両手で掴んで、全体重をかけて引き抜いた。リーチは増やせば増やすほど有利になる。ダルシムのズームパンチは分かっていても面倒くさい。
 自分の半身ほどもある木の棒を引きずって、元いた場所に戻ってくると前回と同じ状況が再現されていた。梶と尾野が顔を抑えて倒れていて、バイソンと梨花ちゃんが対峙している。
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 僕は木の棒をバイソンに向けて、手元を、身体を、口元を、肉体という肉体をぶるぶると震わせながら宣言した。
「パソコンを取り返しに来たんだ……父さんの四十八回ローンはまだ終わってないんだぞ」
 僕の挑戦を受けてバイソンは急速に猛禽類じみた獰猛な顔つきに変わった。
「ふーん、まあ追いかける手間が省けてよかったわ」
 彼はこちらに平然と歩み寄ってきて、思いきり振ったはずの木の棒を両手で軽々と掴んだ。その両手が手前にぐいと引かれるやいなや、圧倒的な筋力差が露呈して僕は身体ごと引っ張られた。流れるような動作でそのまま蹴りが腹部に突き刺さり、地面に転がされた。
「ふーん、追いかける手間が省けてよかったわ」
 彼はこちらに平然と歩み寄ってきて、思いきり振ったはずの木の棒を両手で軽々と掴んだ。その両手が手前にぐいと引かれるやいなや、圧倒的な筋力差が露呈して僕は身体ごと引っ張られた。そのまま蹴りが腹部に突き刺さり、地面に転がされた。
 隙を見て距離を詰めた梨花ちゃんに対して、バイソンは奪ったばかりの木の棒を横薙ぎに叩きつけた。したたかに脇腹を打ち据えられて体勢を崩した彼女に、彼はさらに木の棒を振りあげ追撃を図った。
「やめてくれ!」
 僕は這いずったまま上半身を起こして彼のズボンをがむしゃらに掴んだ。すると、バイソンは振りあげた木の棒を彼女ではなく僕の背中に叩きつけた。
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 不意に急所を殴られてよろめいたバイソンだったが、案の定さして効き目はないようだった。むしろかえって力を増した勢いで全身ごとひねって木の棒を振り回したので、梨花ちゃんは後ろに退いて距離をとり、僕は振り落とされた。
「こんなのいらねえ」
 彼は木の棒を自分の膝で真っ二つに叩き折った。折れた木を地面に放り投げると、改めて梨花ちゃんと相対した。
 しかし、彼女は困憊しきった様子で膝に手をついて、ふらついたかと思うとその場に倒れ込んだ。立ちあがる気配はない。バイソンは興を削がれたふうに「ちっ」と舌打ちをすると、一転、向きを変えて僕の胸ぐらを掴んだ。
じゃあお前だ
 しかし、彼女は困憊しきった様子で膝に手をついて、ふらついたかと思うとその場に倒れ込んだ。立ちあがる気配はない。バイソンは興を削がれたふうに「ちっ」と舌打ちをすると、向きを変えて僕の胸ぐらを掴んだ。
まあ邪魔者は消えたな
 万事休すだ。
 バイソンの拳が頬面を打ちつけた。顔を殴られるのは初めてだった。雨水か汗かで、彼の手がシャツから滑り落ちると、いよいよ面倒になったのか僕の身体にのしかかって馬乗りになった。
「もう、勘弁してくれ」
 ひりついた喉から声を押し出した。さしものバイソンも疲れたのか、息を切らせながら言った。
「てめえみたいな裏切り者は許しちゃおけねえ」
 身に覚えのない濡れ衣に僕は戸惑いつつも反論した。
「てめえみたいな裏切り者は許しちゃおけねえんだ」
 裏切り者? 僕がバイソンを裏切ったというのか?
 身に覚えのない濡れ衣に僕は戸惑いつつも問い返した。
「裏切り者ってなんだ」
「うるせえ」
 馬乗りの姿勢で彼は僕の顔面を殴った。目がちかちかとした。鼻の奥も口の中も鉄臭さと血の味でいっぱいになった。束縛から逃れようと身体をもぞもぞと動かしたがどうにもならず、まるで巨石に挟まったかのような絶望感が全身を支配した。なんとか自由が利く両手だけをじたばたと動かしていると、そのうちに右手の先がなにかと当たった。この感触は木の棒だ。
「なにもかもお前のせいだ。てめえが――」
「なにもかもてめえのせいだ。てめえが――」
 バイソンが三発目を振りかぶったその時、僕は決死の覚悟で木の棒を右手で掴んで彼を叩いた――つもりだった。
 半分に折れて短くなっていた木の棒は彼の頭には当たらず、首筋にずぶりとめりこんだ。得体の知れない気色悪い感覚が手に伝わった。
 バイソンは野太いうめき声をあげて地面に転がった。辛くも馬乗りから解放された僕はすばやく起きあがって彼から距離をとった。身体をわなわなと震わせながら首筋に生えた木の棒を抑える彼を見て、ようやく全容を悟った。
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 バイソンは二人に抑えられたまま目つきだけは鋭く僕を睨みつけた。だがなにも言わなかったので、僕はついに自分の主張を通す機会を得た。
「もう、放っといてくれ。僕はインターネットがしたいだけなんだ」
 彼は言い返してこなかった。取り巻きの二人に肩を預け、ゆっくりと山から去っていった。
 しばらく呆然と三人の後ろ姿を眺めていたが、やがて梨花ちゃんのことを思い出した。三人の姿が完全に見えなくなってから彼女の元に近寄ると、どうやら意識を失ったわけではないようだった。彼女は気だるげにではあるが自らの力で上体を起こした。
 しばらく呆然といじめっ子たちの後ろ姿を眺めていたが、やがて梨花ちゃんのことを思い出した。三人の姿が完全に見えなくなってから彼女の元に近寄ると、どうやら意識を失ったわけではないようだった。彼女は気だるげにではあるが自らの力で上体を起こした。
「梨花ちゃん?」
「ちゃんはやめてって言ったでしょ」
 僕は咄嗟に謝ったが、顔を合わせると彼女は息も絶え絶えに微笑んでいた。
「あんた、勝ったじゃん。あいつらに」
 言われてみればそうだった。あのバイソンに、中学生をもタイマンで屠るバイソンに、僕は勝ったのだ。身体じゅうから力が抜け落ちた。こんな田舎町ではインターネットをするのも一苦労だ。
 言われてみればそうだった。バイソンに、中学生をもタイマンで屠ったというあのバイソンに、僕は勝ったのだ。全身から力が抜け落ちた。こんな田舎町ではインターネットをするのも一苦労だ。
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