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8699e07d68
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@ -22,9 +22,9 @@ tags: ['novel']
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勇はもはや体に刻んだ基本動作を放棄して窓枠にかじりついた。覗き直した照準の先では、巧みに軍刀を振り回すユンと敵が入り乱れている。これでは援護のしようがない。しかし、わずかに遅れて彼の耳に届いた絶叫が意味のある言語として認知された。
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「……てーっ! うてーっ!」
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彼方の味方は自分ごと敵を撃てと伝えていたのだ。
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一人を斬り伏せ、もう一人に斬りかかったユンはまもなく、後退して距離をとった二人の硬式弾をしこたま浴びて倒れ込んだ。入れ違いに、勇の速射がまばらに二人の胴体に命中した。同時に、弾切れを知らせる撃鉄音が響く。
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一人を斬り伏せ、もう一人に斬りかかったユンはまもなく、後退して距離をとった二人の硬式弾をしこたま浴びて倒れ込んだ。入れ違いに、勇の速射がまばらに二人の胴体に命中した。弾切れを知らせる撃鉄音が響く。
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試合終了の笛が鳴った。どうやら今ので相手の仮想体力をなんとか削りきったらしい。
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こうして、全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝は帝國実業の勝利に終わった。
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こうして、全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝は帝國実業の辛勝に終わった。
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@ -148,8 +148,8 @@ tags: ['novel']
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今回は間違いなく、確実に自慢の口調で言い切った。
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「こっちも良い話がある」
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弟は机の横に積まれていた本の山の中から一枚の紙切れを取り出して半ば投げてよこした。「全国共通一次模試検査結果」と赤色で塗られた文字と数字だらけの文言の意味は勇にはいまいち解りかねたが、横枠に添えられた部分だけは明瞭に理解できた。
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『受験者の総数及び順位 二四八〇〇人中七位』
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「全国で七位……お前、そんなに勉強できたのか」
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『受験者の総数及び順位 二四八〇〇人中一四位』
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「全国で一四位……お前、そんなに勉強できたのか」
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「そうだよ。高二に上がる頃には一位になっているだろうね」
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日焼けして赤く焼けた顔に丸刈りの兄と違い、細身で脆弱で色白の弟にもそれを補って余りある才能が備わっている。葛飾家の兄弟は二人揃って文武両道なのだ。
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「だから寿司か……。最後に食べたのなんて七五三の時ぐらいだ」
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@ -158,7 +158,7 @@ tags: ['novel']
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「おいっ、なんで英語の頁なんか」
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「シッ、大声はやめてくれ」
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功は人差し指を立てて口に合わせた。年齢的には硬式弾を食らってもいい歳なのに、仕草や顔つきは未だ中学生みたいに見える。
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「先取り学習だよ。国内の情報は内容が古すぎる。最先端のコードはインターネットにしかないんだ」
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「先取り学習だよ。国内の情報は内容が古すぎる。最先端のcodeはinternetにしかないんだ」
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「よせ、親父に見つかったらまたぶっ飛ばされるぞ」
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「だからあんなに慌ててたんじゃないか」
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危ない火遊びだ、と勇は思った。戦争部の人間もたまにはめを外して乱闘騒ぎを起こしたり、飲酒や賭博で補導されたりする者が現れるが、若気の至りとして温情に放免されるこっちと違って、これは本当に親兄弟に塁の及ぶ罰を与えられかねない。
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@ -169,9 +169,9 @@ tags: ['novel']
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身内の罪を贖うべく父はかつての同僚が上司になり、かつての部下が同僚になる苦境でもめげずに二倍も三倍も働いて、町内會の会合にも針のむしろを承知で顔を出した。それから二年、三年と経ち、長男の勇が公死園に初出場を決めたことが契機となって、ようやく禊が済んだらしい。勇は母が「今は昇進の話も出ているの」と嬉しそうに話しているのを聞いていた。
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「とんでもない弟だ」
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端的に感想を述べると功は得意げににやりと笑った。
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「絶対に捕まりはしないよ。わざわざ日本橋の裏路地くんだりまで行って海外のVPNを契約したんだ。僕は帝大の計算機科学科に入って大日本帝國の電子計算機に飛躍をもたらしたく存じます……っていう感じでやっていくさ」
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「捕まりはしないよ。わざわざ日本橋の裏路地くんだりまで行って海外のVPNを契約したんだ。僕は帝大の計算機科学科に入って大日本帝國の電子計算機に飛躍をもたらしたく存じます……っていう感じでやっていくさ」
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「少なくとも英語を使うのは勘弁してくれ」
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英語規制は法律ではないが空気として確かに存在する。コードは算譜と言うべきだし、インターネットは電網と言わなければならない。ただ、勇にはVPNがなんなのかはまるで解らなかった。
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英語規制は法律ではないが空気として確かに存在する。codeは算譜と言うべきだし、internetは電網と言わなければならない。ただ、どのみち勇には意味が解らなかった。
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「ふん、でもみんなテレビだとかラヂオだとかは言うじゃないか」
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「あれは昔からあるからいいんだ」
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「インターネットだって本当は三〇年以上も前からある。じゃあそろそろ解禁だ」
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勇は手を伸ばして功の首ねっこを腕にかけると、体ごと引き寄せてもう片方の手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。「わーっ」と大げさな悲鳴をあげる弟。面倒くさくなったらこの手に限る。
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ひとしきり弟への制裁を終えると彼は自分の髪の毛をなでつけながら、ぽつりと言った。
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「まあ兄さんは年上の中では一番好きかな。怒鳴りも殴りもしてこないから」
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急に勇は自分の手――鞣し革のように固く仕上がった手――に後ろめたさを覚えた。一時間も前に勇と一つしか歳の違わない下級生を二人も殴りつけたばかりだった。大層な理由はいくらでも思いつくが、実際にはただの腹いせでしかない。
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急に勇は自分の手――鞣し革のように固く仕上がった手――に後ろめたさを覚えた。一時間も前に勇と一つしか歳の違わない下級生を殴りつけたばかりだった。
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「俺が殴ったらお前なんてばらばらになっちまうよ」
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そう、おどけてみせて顔色が変わらないうちに勇は踵を返した。
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数時間後、畳の居間に家族一同が集結した。机の上には大の男が三人いても余りそうなほど大量の寿司が並べられている。口数は少なくとも、いま葛飾家は祝賀の雰囲気に寄っていた。部屋の隅に置かれたテレビは、あと少しで準決勝の第二試合目が行われようとしている。前番組のごく短い漫才のかけあいをよこ目で見つつ、勇は父の切子に麦酒を注いだ。この日はやはり奮発に奮発を重ねたのか、見慣れない舶来品が二本も机もある。本式のドイツ製だろうと思われた。
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「……それでな、うちのカミさんがな、男は頼りない言いまんねや」
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「カカア天下でんな、ほいで?」
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「もう国も男には任せられん、選挙権ほしい言うんや」
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「そら無理でっせー! 男かて徴兵いかなもらえへんのに!」
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「そやんなあ、うちらかて苦労したもんなあ」
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「いや、わしは行ってへんねん、心は女やさかい」
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片方の漫才師が内股で自分の胸を掴む仕草をとる。ははは、と客席からまばらな笑い声。
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「せやかて言い出したらきりがありまへんねん。職が欲しいと言って職をやったから、今度は選挙権が欲しいと言うんや。次は政治家になりたい言いますで」
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「カカア天下が国家天下を語るんかあ〜」
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勇は父親の切子に二杯目の麦酒を注いだ。
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「まあうちのカミさんは家では万年政権与党でっけどな」
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「そんな、父ちゃんにもたまには政権交代させたって〜」
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「無理やで、うちの家庭は庭やのうて帝やからな」
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どっ、と笑い声が巻き起こる。早川工業社製の伝統的なマイクの前で二人の漫才師がお辞儀をして、演目はつつがなく終了した。ふん、と父が鼻を鳴らす。「そりゃ女に政治なんか無理に決まってる」ずずず、と半透明の切子の中身が喉の蠕動に合わせてみるみるうちに減っていく。コン、と音を立てて置かれた途端に今度は母が次を注ぐ。
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「帝国議会は第二の戦場だ。乱闘騒ぎなどしょっちゅうなのに女にどう務まるんだ。その時だけ男に守ってもらうのか」
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なし崩し的に晩酌の責務を解かれた勇はふと、なぜか和子が議会の壇上で大演説を振るっている様子を思い浮かべた。議題はもちろん硬式戦争における防具着用の義務化である。獣のように猛り狂った男たちの罵声を浴びながら、彼女は毅然とした面持ちで語る。「そんなに命を賭けるのがお好きなら、いっそ敗けた方が切腹でもすればよろしいじゃありませんか。運動くらい粋がるのはやめにして兜を着けて安全に楽しみましょう」――あからさまな挑発に激昂した議員が雪崩をうって壇上に押し寄せる。どういうわけか、想像の中の勇はたった一人でそれを堰き止めようとしていた。
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いや、やはり女一人では無理だ。たとえ守ってくれる男がいたとしても、その場の流れ次第では議会の外でも取っ組み合いは起きる。以前、路上の喧嘩で敗北を喫したベテラン議員があっけなく選挙で落選したのを見た。ましてや自分の拳で戦えないのでは体裁が悪すぎる。
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勇は姿勢を正して下手な妄想から立ち直った。
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麦酒を一瓶空けて、父がまぐろに手を着けたので内心今か今かと待機していた兄弟はようやく寿司にありつくことができた。揃って寿司を頬張る様子を見た父は「うまいか」と短く訊ねた。「とても美味しいです」と勇は言い、功も慇懃な物言いで応じた。最後に、母がいそいそと手前の玉子を取って食べた。
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いつの間にかテレビは漫才番組が終わり帝国の地図を映し出していた。荘厳な音楽とともにじわじわと上から下に流れる字幕と、それに合わせて語りかける神妙な口調の声が注意を惹きつける。
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「北は樺太……西は満州、……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝国電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします」
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勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広報はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。
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ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は半分ほど消えてなくなっていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく清酒に切り替わっている。
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『全国高等学校硬式戦争選手権大会、夏の公死園、準決勝第二試合がまもなく始まります』
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司会の声に合わせて映像が鮮やかに動き、画面上の左右に両者の仮想体力が大きく描画される。区別のために左側が青く、右側が赤い。それぞれの体力の下には草書体で各々の選手の名前が記されていた。そこで、勇は選手たちの名前が一風変わっていることに気がついた。画面上の校名に視線を寄せると「沖縄 臣民第七高等学校 対 臣民第一八高等学校 台北』と記されてあった。
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「驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校はともに外地の学校です。帝国臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか」
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熱のこもった司会の案内の後で、カメラが戦場を映し出す。すでに両軍は初期配置について試合の開始を待っている。トロの甘みに舌鼓を打ちつつも、勇はつい数時間前の戦いを思い出して他人事ながら緊張を覚えた。
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試合開始の笛が画面越しに響いた。複数のカメラが小刻みに切り替わって一斉に動き出す選手を追う。五分と経たないうちに同じ外地といえど採る戦略はまるで異なる様子がうかがえた。第七高は野伏のごとく隠密に広がっていくのに対して、台北の第一八高はひと固まりの猪突猛進で戦場を横断する。
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「あれはどうなんだ、勇」
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酔いで顔をうっすらと赤らめた父が訊ねる。素人ながらも準決勝の局面らしくない彼らの動きに疑問を持ったようだ。
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「普通は……やりません。互いの射撃が一定の水準以上だとちょっとした隙にやられてしまいますから、あまり姿を晒さない方が賢明です」
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「そうか、じゃあ沖縄のが筋が良いのか」
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浅く頷いたものの、しかし必ずしもそう断言はできなかった。いけいけどんどんの一手で準決勝まで上がってこられるほど公死園は甘くない。なにか策があっての行動に違いない。
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しかし数分後、左右の遮蔽物から第七高の選手による堅実な掃射が行われると先頭に立っていた前衛がまともに弾を受けて退場を宣告された。右側の赤い仮想体力が一瞬で黒ずみ、残る九人も被弾の度合いに応じて体力を減らした。父が「なんだ、全然だめじゃないか」と言って、切子を置いた。母が次を注ぐ。
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一方、司会の声はあくまで冷静だった。どころか、期待感のこもった熱っぽい声で彼らの次の行動を予想した。
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「さあ、これで第一八高は一人退場ですが……ここまでに彼らの戦いぶりをご覧になっていた方々はお解りでしょう。やはり準決勝においても、同じ戦略――戦略と言っていいのかさえ定かではない――をとるものと思われます。あ、今まさに!」
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カメラの視点が急速に拡大して第一八高の一群を中央に収めた。なにかを叫んでいる。すぐに戦場の集音マイクが声を拾った。
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『総員、抜剣ーっ!!』
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主将と思しき選手が高らかに宣言すると第一八高の全員が一斉に模擬軍刀を抜いた。勇は寿司を食べるのも忘れて画面に見入った。
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信じられない。全員が予備弾倉ではなく軍刀で固めるなんて一体いつの時代だ。
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「まるで仮想体力制以前――いや、戦中の英霊が蘇ったかのようであります。第一八高は並外れた近接戦闘の力量を頼りに準決勝まで破竹の勢いで駒を進めています。さあ、この舞台ではそれがどう出るか!」
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あたかも司会の声に呼応するかのごとく、ひと固まりだった選手たちが二人ずつ四方八方にすさまじいすばやさで散っていった。元より小銃を構えていない彼らの移動速度は相当に速い。敵が背を向けて逃げていたら追いつくのは容易だろう。とはいえ、応射してこない相手に逃げの一手など打つはずがない。
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案の定、カメラが追った二人の前に立つ朽ちた壁の上から速射が放たれた。これはひとたまりもない、敗着を確信して勇は机上の軍艦巻きを手に取ったが、直後にテレビの向こうの観客がわっとわいたので視線を戻さざるをえなくなった。
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「やはり――ご覧になられているでしょうか! 弾を――よけています! なるほど硬式弾は火薬を用いない低速な弾ですから、決してよけられないことはないでしょう! しかし、よけられる前提で戦う分隊はそうはいません!」
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司会が熱狂している間に第一八高の選手と壁との距離はぐんぐん詰まり、ついに二人は軽業師のごとく跳躍して一メートル弱の壁を飛び越えた。すぐさまカメラが反対側に切り替わる。泡を食って弾倉を交換しようとする第八高の一人とは、もう軍刀の間合いだ。鮮やかな一太刀。左側の青い仮想体力は瞬時に黒く染まった。もう一人の方は模擬軍刀を銃身で受け止めてなんとか堪えているようだった。
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ところが膠着する間もなく第一八高の選手は相手の腰に差さった硬式拳銃を片方の手で抜いて、そのまま腹に何発も発砲した。模擬軍刀を抑えるために両手で銃身を支えている当人になすすべはない。一発ごとに削られていく仮想体力は五発で奪われ尽くされた。
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戦場の至る地点で、同様の戦いが繰り広げられていた。十数分かそこらのうちに左側で体力が青い者は一人しか残らなくなった。対する右側はまだ六人の選手が半死半生の体力で生き残っている。画面上に映し出された最後の一人の残弾数を見るに、理論上は六人すべてを撃ち倒せる可能性は零ではない。
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だが、軍刀を握って迫りくる六人の威容に恐れをなしてか、選手はあからさまに戦意を喪失している様相で後退する一方だった。それでも六人に取り囲まれると次第に逃げ道がなくなっていく。姿を現した相手にでたらめに弾を放つも、ただでさえ回避術を心得た相手に腰の落ち着かない射撃が当たるわけもなく、終盤には行き止まりの壁に追い詰められる展開となった。
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残弾の乏しい硬式小銃を捨てた彼は腰の拳銃に武器を切り替えて、前方に狙いを定めた。第七高は選手の何名かに予備弾倉ではなく拳銃を持たせる様式のようだ。しかしこうなってしまっては、そんな考察にはなんの意味もない。当人には知る由もないが、カメラには壁をよじ登って後方より襲撃せんとする第一八高の選手の姿がはっきりと捉えられていた。
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音に気づいて上方を仰ぎ見た時にはもう遅い。飛び降りざまに振られた軍刀が速やかに急所判定をもたらして、結局、彼はただの一発も拳銃を撃つことなく試合終了の笛が戦場に響き渡った。
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はっ、と我に返った勇の手には、まだ食べていない軍艦巻きが手に握られたままだった。
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『これにて準決勝第二試合は臣民第一八高等学校の勇猛な勝利にて幕を下ろしました。休養日を挟んで明後日には、強豪、大阪の帝國実業高等学校と記念杯を巡って最後の一戦を交えることとなります――おや、なにか選手が言っていますね、見てみましょう」
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カメラが第一八高の主将に視点を合わせた。たとどころに集音マイクが音を拾う。
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「臣民第一八高等学校三年、主将、陳開一! 畏れ多くもこの場を借りて一言申し上げたいー! 公死園は直ちに仮想体力制度を取りやめ、己の命の限り死力を尽くす伝統に立ち返られよ!」
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駆け寄ってきた控えの選手から手渡された布をばっ、と広げる。華々しい日の丸の波状が美しい大日本帝国の国旗を両手で前に持ち上げ、掲げる。息を呑んだ司会が、しかし相変わらずの熱量で感心したふうに言う。
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「外地の若者の訴えです。もし彼らの戦い方で仮想体力制度を用いないとなると、昔ながらの木刀で気絶するまで殴り合う従前の形式に戻ることとなりましょう。彼らは――それでもいいと、むしろ本望であると訴えているのです。たかが支那人と侮ってはいけません。大和魂は外地の者にも確かに伝わっております。我々としても見習うべきところがあるのやもしれません……」
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「ずいぶんすごい連中だな。次はこいつらと戦うのか」
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酒も飲まずに同じく試合に集中していた父が言った。
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「今すぐにでも分隊を集めて作戦会議をしたい気分です」
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殊勝な物言いだが偽りではなかった。まるで身のこなしが軽くなった尹が十人に増えたような戦いぶりだ。他の常連校や強豪の戦略は予習していたが、台北の第一八高は完全に想定外の相手だった。教本通りの戦い方では今しがたの第七高のようにあっという間に呑まれてしまう。彼らとして決して弱くはない。見たところ、帝國実業をもってしても三回戦って勝ち越せるかどうかの堅実さを持っていた。番狂わせに弱い一面をまんまと突かれたのだろう。
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「まあそう急ぐな。お前にはまず褒美をくれてやらなきゃならん」
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出し抜けに父はポケットから少し丸まった白い封筒を取り出して、勇に投げてよこした。封筒には地元の銀行の社章が刻まれていた。
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「十萬円入ってる。好きに使え。お前はこれまでろくになにも欲しがらなかったからな……金を手にしたら思いつくかもしれん」
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「ありがとうございます。大切に使います」
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恭しく両手で持ち上げた封筒を勇は自分のポケットにしまい込んだ。突然の労いに深い感動を覚えかけた矢先、横の功が父の酩酊に漬け込んで軽口を叩いた。
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「僕にはないんですか。全国模試十四位だったんですよ」
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弟の狙いは的中して、いつもなら怒声の飛びそうな催促に父は苦笑いで応じた。
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「お前は北野高校に入った時に計算機と通信回線をねだったから当分はだめだ。それさえも、あいつの件があってから計算機は絶対に許さんつもりだったが、北野に受かれば買ってやると言ってしまったからな……次はそうだな、模試で十位以内に入ったらなにか買ってやる」 「本当ですか? 約束しましたよ」
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「今度は計算機以外だぞ」
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「構いません」
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父がまんざらでもなさそうな表情で清酒をすすっている間に、功は勇にだけ判るように片目を瞑った。有名な英米式の仕草というのはさすがの彼にも理解できた。やはりとんでもない弟だ。
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大量の寿司が大の男三人の腹にすっかり収まり、就寝の頃合いに差し掛かったあたりで勇は尹に携帯電話で電文を送っておいた。明日、登校に連れ立っていく約束と、第一八高対策について。便宜上は休養日と定められているが本当に休養する選手はありえない。明日は分隊総出で対軍刀戦を仕上げなければならない。
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