第十一幕まで
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Rikuoh Tsujitani 2023-09-07 21:26:05 +09:00
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@ -452,8 +452,9 @@ tags: ['novel']
 遅れて、勇も言う。  遅れて、勇も言う。
「頼みます、打ってください。おれたちは勝たなければならないんです」 「頼みます、打ってください。おれたちは勝たなければならないんです」
 ヒロポンを吸った注射針がユンの肩口にめり込んだ。液体が身体の中に入っていくたびに胸が苦しくなっていくかのようにシャツを鷲掴みにしていたユンだったが、しばらくするとだんだんと顔が赤く頼もしく紅潮しはじめた。紫に染まっていた唇がみるみるうちに元の色に戻っていく。  ヒロポンを吸った注射針がユンの肩口にめり込んだ。液体が身体の中に入っていくたびに胸が苦しくなっていくかのようにシャツを鷲掴みにしていたユンだったが、しばらくするとだんだんと顔が赤く頼もしく紅潮しはじめた。紫に染まっていた唇がみるみるうちに元の色に戻っていく。
 彼は寝台から基礎練の動作の要領で跳ね起きて床に着地した。その目は獣のようにぎらついていた。  彼は寝台から基礎練の動作の要領で跳ね起きて床に着地した。
「行くぞ、早く敵を撃ちたくて仕方がねえ」 「行くぞ、早く敵を撃ちたくて仕方がねえ」
 その目は瞳孔が他を圧倒して広がり、まるで猛獣のように爛々とぎらついていた。
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@ -515,7 +516,9 @@ tags: ['novel']
 この器具が検知した全身の衝撃判定を選手自身に伝えるほか、試合を管制する電子計算機にも情報を送信している。二〇年前に移行が決まった仮想体力制度は名だたる財閥企業の強力な後押しによって、西洋先進国にも引けをとらない科学技術力の結晶で作られている。  この器具が検知した全身の衝撃判定を選手自身に伝えるほか、試合を管制する電子計算機にも情報を送信している。二〇年前に移行が決まった仮想体力制度は名だたる財閥企業の強力な後押しによって、西洋先進国にも引けをとらない科学技術力の結晶で作られている。
「入念に起動を確認しろ。試合開始までに判定が有効でなければ失格だ」 「入念に起動を確認しろ。試合開始までに判定が有効でなければ失格だ」
 大会の駒を進めるたびに言ってきたことを勇が今日も言う。分隊員は頷いて判定服の裏地に備わった通信確認用のボタンを押す。勇も押したので、耳元で人工的な音声が「起動確認。本日は昭和九八年八月二三日」と言うのが聞こえた。  大会の駒を進めるたびに言ってきたことを勇が今日も言う。分隊員は頷いて判定服の裏地に備わった通信確認用のボタンを押す。勇も押したので、耳元で人工的な音声が「起動確認。本日は昭和九八年八月二三日」と言うのが聞こえた。
 最後に装備品の確認を行う。ユンは当然、予備弾倉ではなく軍刀を手に取ったが、他の隊員にも思うところがあったらしい。同じく軍刀を仕込む者もいれば、拳銃に持ち替える者もいた。本来なら浮ついた装備の変更はご法度だったが、相手が相手なので常道に凝り固まる方が問題と見て、勇はなにも言わなかった。  最後に装備品の確認を行う。ユンは当然、予備弾倉ではなく軍刀を手に取ったが、他の隊員にも思うところがあったらしい。同じく軍刀を仕込む者もいれば、拳銃に持ち替える者もいた。本来なら浮ついた装備の変更はご法度だったが、相手が相手なので定石に縛られるべきではない。
 勇も迷った末に予備弾倉を脇に寄せて硬式拳銃を手に取った。
 この選択が吉と出るか凶と出るか。
 控室の私物入れに携帯電話を置こうとした時、ぶるぶるとそれが震えた。手に取って開くと和子から電文が届いていた。内容はごく短く「死なないでね」とだけ記されている。雄弁な彼女のことだから、きっと本当はもっと言いたいことがあったに違いない。良家の娘である彼女は言うまでもなく付き合いを絶つよう両親に命じられているのだろう。この電文は長い交渉の末に勝ち取った一言なのかもしれない。  控室の私物入れに携帯電話を置こうとした時、ぶるぶるとそれが震えた。手に取って開くと和子から電文が届いていた。内容はごく短く「死なないでね」とだけ記されている。雄弁な彼女のことだから、きっと本当はもっと言いたいことがあったに違いない。良家の娘である彼女は言うまでもなく付き合いを絶つよう両親に命じられているのだろう。この電文は長い交渉の末に勝ち取った一言なのかもしれない。
 勇は返信せずに携帯電話を私物入れに突っ込んだ。  勇は返信せずに携帯電話を私物入れに突っ込んだ。
 総員は各々の装備品を手に、肩にかけて控室から入場口手前の休憩室まで赴いた。そこには長いベンチや壁に備え付けられたテレビや、便所が備わっている。時計を見たところ、まだ入場までには一〇分ほどの猶予が残されていた。試合前にユンとなにかすり合わせをしておくつもり後を追ったが、彼はベンチには座らず休憩室の奥に行ってしまった。  総員は各々の装備品を手に、肩にかけて控室から入場口手前の休憩室まで赴いた。そこには長いベンチや壁に備え付けられたテレビや、便所が備わっている。時計を見たところ、まだ入場までには一〇分ほどの猶予が残されていた。試合前にユンとなにかすり合わせをしておくつもり後を追ったが、彼はベンチには座らず休憩室の奥に行ってしまった。
@ -598,5 +601,52 @@ tags: ['novel']
 まもなく押山と呼ばれた分隊員は指示通りに角を曲がって勇の視点の直線上に現れた。数秒後、敵が軍刀を片手に追いすがってきた時にはすでに勇の引き金は絞られていた。  まもなく押山と呼ばれた分隊員は指示通りに角を曲がって勇の視点の直線上に現れた。数秒後、敵が軍刀を片手に追いすがってきた時にはすでに勇の引き金は絞られていた。
 たった一発の硬式弾が敵の頭を正確に撃ち抜いた。予測射撃に加えて高台からの狙撃。反射的に頭を抑えてよろけた敵は、直後に退場を悟って軍刀を手放した。走っていた押山も振り返って敵を見て、それから屋根の上の勇を見上げて手信号を送る。  たった一発の硬式弾が敵の頭を正確に撃ち抜いた。予測射撃に加えて高台からの狙撃。反射的に頭を抑えてよろけた敵は、直後に退場を悟って軍刀を手放した。走っていた押山も振り返って敵を見て、それから屋根の上の勇を見上げて手信号を送る。
 勇は屋根から滑り降りて地面に着地した。今度は押山を背後に回して二人で敵方への前進を試みる。機動力に長ける敵の頭を抑えられたら状況は俄然有利だ。いかに軍刀の手練でも射程が一町に伸びたりはしない。本来、追い込まれるのは飛び道具を持たない方でなければならない。  勇は屋根から滑り降りて地面に着地した。今度は押山を背後に回して二人で敵方への前進を試みる。機動力に長ける敵の頭を抑えられたら状況は俄然有利だ。いかに軍刀の手練でも射程が一町に伸びたりはしない。本来、追い込まれるのは飛び道具を持たない方でなければならない。
   閑散とした住宅街の区画を抜けると朽ちた街並みが見えてきた。石垣は崩れ、家々は倒壊しており、高台はほとんど見当たらない。全身を隠せる場所が少ないので奇襲には不向きの区間だが、同様に逃避や狙撃もできないので一概にどちらが有利とは言い切れない。近接武器しか持たない相手に接近しなければならないのは、公死園が長時間の待ち伏せを禁じる規則を定めているためだ。裁量はかつては審判、現在は電子計算機の動的な計測に委ねられているため、時間を測って計画的に居座ることもできない。この判定に引っかかり「不健全試合」の烙印が押されると、即座に全選手が退場を宣告される。
 大日本帝国の軍人に膠着は許されない。その精神は公死園にも息づいている。
 崩れた瓦礫が密集して視野が狭まる区間を通り過ぎる時、押山が横について腰の軍刀を抜いた。先の軍刀戦術に感銘を受けた一人らしい。勇が手信号で懸念を表明すると彼は”問題なし”の返事をよこしてきた。再び視界が開けるまで勇はすり足気味の足取りで、小銃と肩口が癒着するかと思うほどに神経を張り巡らせていたが、意外にも敵は一人も現れなかった。二人は瓦礫の山を通り過ぎて、朽ちた街並みの終端にたどり着いた。すれ違っていなければ二車線道路の西側の、三分の二を探索したことになる。
 ここに敵がいないとすると東側の状況が気がかりだった。勇は数少ないマシな形をしている石垣に背をつけて、押山を隣へ誘導した。慎重に声を落として会話をはじめる。
「お前、東側から来たな。直前の状況を把握しているか」
「ユン先輩が二人やるのを見ました。林が切られた後です」
 勇は頷いた。これで敵方の五人退場が確定した。試合はすでに中盤戦だ。
「分かった。他には?」
「その時に俺も同伴の中島も敵に襲われて、一人はやりましたがそこで主弾倉が尽きて逃避を選びました」
「それでこっちまで来たんだな」
「はい。俺が見たのはそれで全部です」
 敵は五人ではなくもう六人が退場していた。残り四人。こちらは中島、田中、林を失って残り七人。ここから状況が動いていなければ状況は圧倒的に有利と言える。定石通りなら集合して制圧戦に移行する段階に近い。
 勇は耳のイヤホンを押して通信機を起動した。
「総員に告ぐ。現在、敵の最大人数は四人と判明した。各自、移動して入場側の二車線道路に集合せよ。可能な者は点呼を」
「押山、了解」
 まず、横の押山が通信機越しに言った。他の点呼も期待したが、数秒待っても一人も名乗りは上がらない。じわりと胸の奥に広がりはじめた懸念を、寸前のところでユンの声が押し留めた。
「ユン、了解」
「生きていたか」
「当たり前だろ」
 他の分隊員の反応はしばらく待機しても最後までなかった。やむをえず二人は壁を抜け出て二車線道路沿いに向かった。敵の数が限られているとなれば多少は速く移動できる。五分ほどかけて二車線道路沿いに顔を出すと、まだ通りは閑散としていた。遠距離戦の間合いをとれる者に圧倒的な安心感を与える視界の広さからか、思わず押山が軽口を叩く。
「そもそも二車線道路を前後に移動していれば楽に勝てたんじゃないすかね」
「あいつらが十人まとめて襲いかかってきたらすぐ混戦になるぞ。条件に限らずまともに弾が当たる相手と思うな」
 事実、勇はなにかどこかに底知れぬ怯えを感じていた。
 どうにも妙に試合運びが良すぎる。こんな手堅く勝てる相手ではないはずだ。
 寒気がした。急速にその可能性に思い当たったからだ。
 やつらが距離を詰めるのに必ずしも地面を走る必要はない。
 はっ、と振り返ると今まさに、高層建築物が立ち並ぶ区画を模した二車線道路沿いの屋根、実物の三階建て、いや四階建てはあろうかと思われる高台から敵がすさまじい助走とともに飛び込んでくるところだった。
 残る敵はずっと高台から高台に移動していたのだ。
「押山、撃てえ!」
 仰角を上にあげて敵を狙うも、公死園戦場を煌々を照らす電燈の逆光が彼らの実像を黒く覆い隠す。あてどなく放たれた弾は物量を尽くせどついに一発の判定ももたらすことなく空を切り、まもなく見慣れた軽業師の技で軽妙に着地を果たした敵は、すでに刀身の間合いにまで近づいていた。
「くそっ!」
 捨て台詞の代償は大きい。その一息で敵は軍刀を振って勇に迫った。やむをえず小銃を盾に用いる愚策をなんとか割って入り防いだのは、押山の軍刀。金属と金属がぶつかり高音を奏でて弾く。追撃は横薙ぎだったがこれも押山は未然に防いで鍔迫り合いの状態に持ち込んだ。軍刀装備を選んだのも伊達ではなかったらしい。
 改めて間近で見ると敵の背丈は勇より頭一個分低かった。頑強な者が選ばれやすい硬戦の常道に反して、第一八高は体術に長けた者を選んでいると見える。すかさず勇も横に回って小銃にて援護を試みたが、相手の方が速かった。
 ここで勇が見たものは二つ目の判断の誤りである。
 勇の並外れた射撃速度よりもさらに上回るすばやさで敵は片手で腰――というより臀部――の拳銃嚢から引き抜いた硬式拳銃を押山の下顎に当て、引き金を絞った。
 硬式弾の直撃を食らい、痛みに苦しむ押山を敵は体格に似合わぬ膂力で引き倒して、まもなく迫った勇の放つ銃弾の盾に用いる。勇の硬式小銃はそこで撃鉄が反り返り、あえてなく弾切れが宣告される。
 ここで初めて戦況は対等と相成った。小銃を捨てて腰の拳銃を抜く勇――押山の身体を押しのけて拳銃を構え直す敵――二重に銃声が響く。
<選手七番、退場>
<選手一番、体力半減>
 勇は間近で放たれた硬式弾の痛みに顔を歪めたが、同時にそれは不敵な笑みでもあった。
 頭じゃない。
 対する敵は尻もちをついて倒れ込んだ。鼻先に当たっては起き上がる気力もないだろう。
 敵は残り三人。勇は痛みにうずくまる二人の装備を見て、小銃を投げ捨てた。押山も勇も主弾倉に残弾がほとんど残っていないのは明らかだった。代わりに電燈を受けて鈍く光る地面の模擬軍刀を拾いあげると、勇は通信の途絶えた味方を追うべく市街地の東側に潜っていった。
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