たぶん9話から
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Rikuoh Tsujitani 2024-01-26 21:56:06 +09:00
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「そうね、いつか」
 それきり、会話はぶつ切りに途絶えて固く締まった土を踏む音が響いた。たまに、遠く彼方の方角に戦闘機らしきプロペラの高周波音と、戦車のキャタピラが草木をすり潰す重低音がかすかに聞こえる。
 私たちは黙々と歩き続け、川の水を汲んでは飲み干し、また歩いた。相変わらずお腹は鳴っていてもポーランドが川の多い国だったおかげでなんとか我慢できている。人はなにも食べていないと三日くらいで死んでしまうけど、水を飲んでいれば二週間は生きられるらしい。
 夕方、森林に空が覆われている箇所を見繕って野宿の支度をする。暗くなってからだと薪を集めるのにも苦労するので明るいうちにしないといけない。もともと目の前が暗い私には関係ないけど、リザちゃんにはある。荷物は減っているのに気だるさが増す身体を懸命に動かして、辺りの木を伐採する。なんてことはない。前線の兵士と比べたら私たちはよっぽど楽だ。木をちぎりとるのも、火をつけるのも簡単に済む。リザちゃんが「そう、その辺り」と声で示した位置でぴたり、と人差し指を止めて「ぼっ」とつぶやくと、光の源が爆ぜて薪がぱちぱちと言う。灯りのありがたみが分からない私でも、焚き火の温かみを感じるとなんとなく安心できる。ソ連軍のまっただ中にいる間は寒さに身を震わせて眠っていた。
 夕方、森林に空が覆われている箇所を見繕って野宿の支度をする。暗くなってからだと薪を集めるのにも苦労するので明るいうちにしないといけない。もともと目の前が暗い私には関係ないけど、目で見て薪を探せるリザちゃんには大いにある。荷物は減っているのに気だるさが増す身体を懸命に動かして、言われるままに辺りの木を伐採する。
 そうは言っても、実際のところはなんてことない。前線の兵士と比べたら私たちはよっぽど楽だ。木を削るのも、火をつけるのも簡単に済む。リザちゃんが「そう、そこよ」と声で示した位置でぴたり、と人差し指を止めて「ぼっ」とつぶやくと、光の源が爆ぜて薪がぱちぱちと言う。灯りのありがたみが分からない私でも、焚き火の温かみを感じるとなんとなく安心できる。
「そういえば、コーヒーがあったわ」
 寒くなったのでたぶん今は夜なんだ、と思った辺りでリザちゃんが言った。旅行鞄からなにかを取り出した後、がたごとと音をたててインスタントコーヒーを作りはじめた。じきにぶくぶくとお湯が湧く音が聞こえたので、手を差し出して待っていると熱いコップがあてがわれた。
「えー、コーヒー飲むの」
 寒くなったのでたぶん今は夜なんだ、と思った辺りでリザちゃんが言った。旅行鞄からなにかを取り出した後、がたごとと音をたててインスタントコーヒーを作りはじめた。じきにぶくぶくとお湯が湧く音が聞こえたので、手を差し出して待っていると熱いコップがあてがわれた。私の抗議の声は再三に渡ったが徹頭徹尾、無視され続けた。
 顔にあたる湯気を吸い込むと、コーヒーの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「いい匂い……でも」
 ずず、と試すようにして慎重に口に含むと、たちまち言葉では言い表せない強烈な苦味が舌の上に広がった。
「コーヒーってとってもおいしそうな匂いがするのに、どうしてこんなにまずいんだろう」
 焚き火の向こうでも
「そう、匂いはいいのに……でも」
 試すようにして慎重に口に含むと、たちまち言葉では言い表せない強烈な苦味が舌の上に広がった。
「うええ……コーヒーってとってもおいしそうな匂いがするのに、どうしてこんなにまずいんだろう」
 焚き火が爆ぜる音の向こう側でもコーヒーをすする音がした。私と違ってずいぶん慣れた感じだった。
「そのうち慣れるわよ。飲むと温まるからちゃんと全部飲みなさい」
 ぴしゃりと命令口調で言われて、リザちゃんはやっぱりお姉さんなんだと思った。しかし私があまりにもちまちまとしか飲み進められない状況に呆れたのか、ついに決定的な打開策を提案した。
「コーヒーってチョコレートと一緒に飲むとおいしいんだって」
「えっ、そうなんだ……」
 出し抜けにチョコレートの話が持ち出されたことで、なるべく考えないようにしていた旅行鞄の中のチョコレートを思い出してしまった。どれだけ食糧を切り詰めようとも、これにはまだ一口も手をつけていない。チョコレートが一番美味しいのはお腹が空いている時でも、空いていない時でもなく、その中間くらいの時なのだ。
 とはいえ、そんなこだわりもうっかり捨てたくなるほどにコーヒーは苦い。なんで大人の人たちはこんな苦いものをわざわざ飲んでいるのだろう。実はみんな我慢して飲んでいて、ただかっこつけているだけなんじゃないだろうか。お酒もタバコもきっとそうだ。みんなかっこつけだ。
 私は頭の中で必死にコーヒーと闘争するための理論武装を組み立てていった。さもなければ一向に軽くならないコップを両手で握り続ける気力を失いかねなかった。落としたふりをして地面に飲ませようかな、と本気で考えたりもした。
 確かに、チョコレートの甘さを噛み締めながらだったら、確かになんとか我慢できそうな気はしないでもない。
 そうして旅行鞄の方に伸ばしかけた手を、もう一人の自分が強く制する。こんなことのためにベルギーチョコレートを食べてしまうなんて神への冒涜だわ。決して許されない。でも、でも、もしかしたらコーヒーが飲めるようになるかも……。いいえ、ありえないわ。コーヒーの苦さは神にも救えない。そんな……。
 結局、私は水筒の水と交互に飲むことでなんとかコーヒーのコップを空にした。いよいよ寝る直前になって、リザちゃんは思い出したように言った。
「ウィスキーもチョコレートと一緒に飲むとおいしいらしいわ。大人の人はみんなやってるそうよ」
 大人って最低だ。かっこつけのためにチョコレートを浪費しないでほしい。
 すっかりふてくされて寝袋にくるまっている間に、太陽の光が顔に当たって朝が訪れていた。
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