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@ -799,7 +799,7 @@ tags: ['novel']
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<あったわ、施設。街から少し外れた場所にある。中心部で合流してから向かいましょう>
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ポーゼンは本当に無人のようだった。ちぎれそうな足の冷たさを除いて、なに一つ支障なく私たちは合流を果たした。さしものパウル一等兵も安心しきったのか私の前を歩きはじめた。「足音が多い方が大尉殿も歩きやすいでしょう」しかし、私はやっぱり馬鹿にされている気がした。
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「ここよ」
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ハンス一等兵がはきはきと「フォンテイン&ポルトフ食品加工研究所」と、おそらくは看板かなにかに記された文字を読み上げる。
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ハンス一等兵がはきはきと「フォンテイン&ポルトノフ食品加工研究所」と、おそらくは看板かなにかに記された文字を読み上げる。
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「まあ、無論、実際には違うんでしょうけど。さっさと壊すわよ」
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そう言って、彼女は私の肩に手を置いた。
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「あちこちボロボロだったけどこの建物はピンピンしてる。上から壊した方が手っ取り早いかも」
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@ -816,9 +816,33 @@ tags: ['novel']
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暗に、ベルリンの状況を指しているのだと思われた。
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「見たところそこそこデカい建物ですが食い物を探す程度なら大した手間にはならんでしょう」
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先ほどの余裕を失って分隊の列の後ろに引っ込んだパウル一等兵はともかくとして、全体の方針は決定されたようだった。リザちゃんを先頭に私たちは施設の中へと足を踏み入れる。前後でかちゃかちゃと金属音が鳴って、さっきまでは下りていた味方の小銃が胸の高さまで持ち上がったのだと分かった。
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私にとって室内はありがたかった。少なくとも今以上に濡れる心配はないし、足音がよく響く。波打つ白点の集合が通路の精密な輪郭を描くのに大して時間はかからなかった。「灯りがついているな。しかも電灯だ」伍長さんが訝しげにつぶやく。
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室内はありがたかった。少なくとも今以上に濡れる心配はないし、足音がよく響く。波打つ白点の集合が通路の精密な輪郭を描くのに大して時間はかからなかった。「灯りがついているな。しかも電灯だ」伍長さんが訝しげにつぶやく。
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私にとってはなんの意味もない光も、普通の人たちにとってはなくはならないものだ。裏を返せば、明かりが灯っている場所には人がいる。慎重ながらも淀むところがない一行の歩みを見るに、この建物は隅から隅まで明かりが行き届いている。
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足裏の感触からして建物には損傷もないようだった。つるつるとした均一な感触にどことない不穏さを感じる。ぼろぼろになった街の中で唯一、ここだけが無傷だった。私たちの知らない指揮系統下で「フォンテイン&ポルトフ食品加工研究所を守れ」と厳命されていたとしか思えない。それも、ドイツ、ソ連双方の指示によって。
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足裏の感触からして建物には損傷もないようだった。つるつるとした均一な感触にどことない不穏さを感じる。ぼろぼろになった街の中で唯一、ここだけが無傷だった。私たちの知らない指揮系統下で「フォンテイン&ポルトノフ食品加工研究所を守れ」と厳命されていたとしか思えない。それも、ドイツ、ソ連双方の指示によって。
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徐々に高まっていく不穏さにもかかわらず、幾度となく伍長さんや他の一等兵さんたちが蹴破るドアの向こう側に人影は見当たらなかった。いかにも思わせぶりな小道具や機械が並んでいる、というのはリザちゃんの台詞だけど、それすらも伍長さんに言わせれば「使われた形跡がまるでない」という。上の階を見て回っても代わり映えはしないようだった。
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つまり、この建物は全部がまるっきり嘘、はりぼてでできているということらしかった。物静かなエルマー一等兵もついにいらだったふうに言った。
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「これでは糧食など望むべくもないですね」
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「じゃあもう帰っちまおうぜ、ほら、そこにエレベータがある」
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最上階の建物の調査もだいたい終わり、もしや本当にもぬけの殻なのではとみんなが思いはじめたあたりで、パウル一等兵がいっとう気の緩んだ発言をした。つられて、私も調子を合わせてしまう。
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「私、エレベータって苦手なんだ。いつも具合が悪くなるの。何回も乗ってるのに」
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「ねえ、ちょっと」
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急にリザちゃんが声を張り上げたのでなにかまずいことを言ったのかと心配しそうになった。しかし、彼女が言ったのはおかしなことだった。
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「あんたたち、これまでに一度でもエレベータを見た?」
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「いやあ、俺はそんな機械仕掛けなもんにこれまで縁がなくて……田舎生まれでしてね」
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「俺は一度ベルリンのビルディングに入って乗ったことがありますよ」
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「なんだなんだ、生粋のミュンヘンっ子は俺だけかよ、あそこはなあ、オリンピックのおかげでな」
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「えっ、私もミュンヘン生まれだよ、マリエン広場って知ってる? そこの名前が――」
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にわかにエレベータの経験談が始まり、さっそく私も交わろうとしたところリザちゃんがさらに大きい声を出して場を制した。
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「あのねえ、みんなしてパウル一等兵の馬鹿がうつったの? 私はここで見たのかって聞いてるの、この建物の中で!」
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途端に、分隊全体が静まり返った。あまりの剣幕だったので直接罵られたパウル一等兵さえも黙りこくった。
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でも、言われてみれば確かにそうだ。いろんな部屋を蹴破ったり、なにがある、これがある、という話はしていたけど、たぶんエレベータは誰も見てない。
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長引く沈黙がその推測を裏付けていた。
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「でも、そこにあるのは確かにエレベータね。どうして最上階にだけ?」
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「……そいつに乗らないと行けない場所に繋がっている……とか」
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「地下だな。一階からは行けないようにしてあるんだ」
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見えなくても一行の視線が近くにあるというエレベータに集中しているのが分かった。この頃にはもう『フォンテイン&ポルトノフ食品加工研究所』がただの食品加工研究所だという考えはほんの少しも残っていなかった。
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