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@ -62,10 +62,10 @@ tags: ['novel']
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監督があまりにも見当違いなことを言ったので、うっかり言葉が口を衝いて出た。どんな状況であれ目上の者の意見を否定するのはとんでもない無礼に値する。はっ、と息を呑んで監督の顔を見ると、案の定、その表情は厳しさを増していた。それでも監督は若干の間を置いて、今度ははっきりと言い直した。
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「そういう意味ではない。大和の血統ではないということだ。あいつは朝鮮人だろう」
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勇は虚を突かれて言葉を失った。それをどう受け取ったのか定かではないが、勢いを取り戻した監督はさらに話を続けた。
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「別に朝鮮人や支那人が選手にいようと構わん。強ければ入れるし弱ければ捨てる。それは日本人とて同じだ。だが、この晴れ舞台、公死園の大詰め、ここ一番という時に脚光を浴びるのは、われわれ日本人でなければならん。それがお前の義務だ」
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「別に朝鮮人や支那人が選手にいようと構わん。強ければ入れるし弱ければ捨てる。勝利がすべてだ。だが、この晴れ舞台、公死園の大詰め、ここ一番という時に脚光を浴びるのは、われわれ日本人でなければならん。それがお前の義務だ」
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「しかし、自分としては――分隊としての役割、分隊としての勝利――そういうものも、あるかと愚考いたしますが――ユンの剣戟もそれはそれで戦略の価値ありかと――」
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理に反する都合を突きつけられて、なおも必死に弁明を繰り出す勇であったがそれが火に油を注ぐ行為でしかないのは目に見えていた。しかしそれでも、ついさっきまでは他ならぬ本人に罵声を浴びせていたのに、どういうわけか今ではすっかり擁護してやりたい気持ちでいっぱいになっていた。
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「では、あのユンに錦を飾る栄光をくれてやるというのか。朝鮮人のあいつにか。寛大なことだ。そうやっていつまでもつるんでいられると思うな。所詮は別の民族なのだ。それはそれとして――」
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「では、あのユンに錦を飾る栄光を差し出すというのか。寛大なことだ。そんなぬるい気持ちで決勝に臨んでいてはとても勝ち抜けないぞ。所詮は別の民族なのだ。まあ、それはそれとして、だ」
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唐突に監督の拳がすさまじい速度で勇の頬に叩き込まれた。いつもと違って意表を突かれたために彼は姿勢を崩して地面に尻をついた。遅れてやってくる鋭い痛みを上塗りするように、仁王立ちの監督が見下ろす眼差しで告げる。
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「上官への言葉遣いには気をつけろ。お前は二回も口ごたえをした。決勝進出に免じて精神注入棒は勘弁してやる。だが、その頬の痛みはやつを擁護する割に合うかよく考えておくんだな」
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ほぼ反射的な動作で直立不動の姿勢に戻り、勇は大声を張った。
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「何発残ってたんだ」
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「は、予備弾倉はなく、十三発を残すのみとなっておりました」
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かっ、と身体中の血が沸騰するのを感じた。勇はさらに大きく声を跳ね上げ、低い音程を維持するのにたいそう苦労した。
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「一人胴体四発と見ても三人は仕留められるではないか! 今更退場するのが惜しくなったのか?」
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「一人胴体四発と見ても三人は仕留められるではないか! 準決勝の舞台で退場するのが惜しくなったのか?」
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ぐいっと「帝國実業高等学校」の刺繍が施された戦闘服の胸ぐらを掴むと、下級生らは今にも泣き出しそうな表情を浮かべて謝罪した。だが、彼は追撃の手を緩めなかった。
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「貴様らが身を賭していれば副主将は歯を失わなかった。そこに直れ!」
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二人が姿勢を正すか正さないかのうちに、勇は今しがた自分が食らったのと同じ要領で二人の頬に拳を振り抜いた。後ろに倒れ込む下級生に向けて一転、落ち着いた声色で言う。
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「貴様らは二年生がてら優秀な成績を収めて正規選手に選ばれた。決勝では誉れ高く戦え。来年もあるなどと思うな」
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「ご指導ありがとうございました!」
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二人揃って自分とそっくりの絶叫を張り上げた後輩を後に、ようやく
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二人揃って自分とそっくりの絶叫を張り上げた後輩を後に、ようやく勇は公死園戦場を後にした。
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敷地の正面口では約束の時間を大幅に過ぎたにも拘らず和子が待っていた。今日の試合日程が終わってだいぶ経ち、人混みがまばらになった周辺で互いの姿を見つけるのは容易だった。先に目ざとく勇の姿を認めると、彼女は白く細い腕にはめられた腕時計の文字盤をつつく仕草をした。彼が目の前まで来た時、口にも表された。「三〇分遅刻。もう帰ろうかと思っちゃったわ」
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「悪い、勝ったら勝ったで色々あるんだ」
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適当にごまかそうとした言い草に、和子は持ち前のよく通る声で指摘した。
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「その頬の腫れとなにか関係があるの?」
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「これは――その――」
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またしても言い淀む勇。華々しく決勝進出を決めた分隊の主将なのに、なんだって今日はこんなに釈然としないんだろうと彼は自分でも疑問を感じた。
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「隠し事はなしよ」
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結局、勇は洗いざらいをすべて話した。聞かれなくても帰り道のどこかでどうせ話していた。ありていに言えば、彼は今もやもやしていた。それを晴らしたくて仕方がなかった。健全に交際している間柄で、硬式戦争とも運動部とも無縁の才女は中立の相談相手にはうってつけだと思った。
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「ずいぶんgrotesqueな話ねえ」
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一通りの話を聞いて、彼女は聞き慣れない外国語を使い感想を述べた。もし帝國実業でそんな言葉遣いをしているのを見られたらすぐさま「英米思考」のレッテルを貼られて張り手が飛んでくるだろう。女子校の教育はその辺りがちょっと違うのかもしれない。
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「たぶん勇さんは言われていることと現実の行為にgapを感じているんじゃないかしら」
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「日本語で言ってくれないか」
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「だからその――たとえば、公死っていうの、晴れ舞台で死ぬのは尊く崇高だっていうんでしょう」
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「そうだ。だから公死園で死ぬと本物の殉死と同じように靖国神社に祀られるんだ。ものすごい名誉なことだ」
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「でも、それなら勇さんはなんでユンさんが怪我したのをそんなに怒ったの? そんなに誉れ高いならそこはよくやった、次もそうしろと褒めるべきじゃない?」
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「それは――」
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本人には「決勝の後に死ね」と言ったが、むろん本心ではない。尊い公死に臨んで戦えと言われれば、胸がわく思いがして感動が押し寄せてくる。けれども実際には、たった一発の銃弾ももらわないように戦う。敵が退場判定を受けてから放たれた硬式弾でも当たりどころが悪ければ試合出場が危ぶまれる。和子のはきはきとした指摘は公死園駅に着いて、阪神本線大阪梅田行の電車に乗り込んだ後も止まらなかった。
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「そもそも私には男の人たちが言う硬戦の浪漫ってよく判らないわ。そんなに危険なら兜を着けるとか、そもそも絶対に怪我をしないような弾を使うとかすればいいじゃないの」
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これにはさすがの勇も反論したくなった。
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「そんなの軟派だ。中学生までの軟戦と同じじゃないか。遊びと変わらない。真剣になれない」
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「そんなことないでしょう。私の弟は軟式戦争部だけどすごい真面目にやってるわ」
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「それは中学生だからだ。高校生になって硬式に触れて始めて本物がどう違うか判る」
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脳裏に帝國実業に入学して間もない頃の記憶が鮮明に蘇った。硬式戦争部の新入生は横一列に並べられて最初の「洗礼」を受けさせられる。先輩が放つ硬式弾の的にされて、身体でその痛みに慣れさせられるのだ。全国各地から集められた軟式戦争部の優秀な兵士たちが、苦痛に顔を歪めて次々と地面をのたうち回る。泣きわめく者も、口から泡を吹いて気絶する者さえいた。一ヶ月の間に仮想体力の二倍に匹敵する硬式弾を直立不動で受けきれなかった者は退部を余儀なくされる。実際、毎年そこでおよそ半数の新入部性が脱落して工業科に転部していく。
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初日で「おれは三倍でもやれる」と言い切り、先輩に四倍以上の硬式弾を浴びて痣だらけのまま立っていたのがユンで、次の日に同じ宣言をしてやはり集中砲火を乗り切ったのが勇だった。この時点で二人の威容は周囲に知らしめられていた。唐辛子のように辛く、苦瓜のように苦いのに、白砂糖の甘さを持つ思い出だ。
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「じゃあ仮想体力制ってなんなのよ。昔みたいに倒れるまで撃ち合っていたらいいじゃない」
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「それは危険だから――あっ」
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「ほら、やっぱり死ぬのは怖いんじゃない。私だって勇さんに死んでほしくないわ」
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気まずくなって視線をそらすと、電車内の液晶に投影された広告が目に飛び込んだ。(男女で一つ、性別は二つ、子どもは三人 帝国家庭庁)ちょうどそれが入れ替わって、新しい広告が表示される。
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**『スメラギ重工の最新無人航空機……二四時間無給で働く警備員の代わりに! 町内會の見回り要員に! 果ては外地の監視、鎮圧にも! 一部法人に限り武装改造も承り〼』**
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はた、と有効な反論を思いついて勇は視線を戻した。
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「死ぬか死なないかの危険を乗り越えることで徴兵されても怖気づかないし、実社會でも活躍できるんだ。うちの部は完全就職で有名でもある」
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「そういうものかしら」
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ちょうど電車が野田駅で停車したので、和子は持ち前の大和撫子然とした黒髪をなびかせて勇の脇を通り過ぎた。家まで送るよ、と申し出かけたがまるで予知でもしたみたいに先手を打たれた。
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「今日は送ってもらわなくていいわ。勇さんの家族が英雄の凱旋を待ちわびているでしょうから」
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そう言い残すと、華奢で可憐な身体が扉の向こうに吸い込まれていくように消えていった。躍起になって反論したので怒らせたのかも、と彼は不安を抱いたがしかし、またぞろ入れ替わった広告を見て気持ちを奮い立たせた。(唱和百年記念万博を国民精神総動員でなんとしてでも成功させませう! 大阪市広報課)
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所詮、女の子には解らないことだ。死線のぎりぎりを見極める攻防、盤面を見通して敵を征服し尽くした時のえもしれぬ高揚感。銃撃を加えた相手が地に伏した際の確かな手応え。こんな実感の伴う競技は他にありえない。そうして先んじて帝國軍人の威容の端に触れた者のみが、徴兵されてもただのいち歩兵ではなく幹部候補生相当の扱いで外地の各方面に配属されていくのだ。本職として軍人にならなくてもその精神は社會の至るところで実力を発揮する。それは、汗水を垂らして命を危険に晒しているからこそ得られる能力だからだ。戦争部に入部できない婦女子方とはそもそも相容れない。
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電車が大阪梅田駅に着くと一気に人がどやどやと降りはじめた。勇も乗り換えのために人の波に倣って後へと続く。地下通路を登って地上に出ると、外はまだ昼過ぎだった。友邦国たる独逸や伊太利亜式の建築が随所に見られる大阪駅周辺の街並みを一息で横断して、大阪駅の中に入るとまた外地各国の文化を扱う駅中の商店街が所狭しと並んでいた。「比律賓直輸入指定農園高級品」と題された派手な電燈の下には、照明ではなく自らが発光しているのかと思うほど黄色く輝いたバナナが鎮座している。素人目に見ても判るほど造形が整っているが、値段も庶民にはなかなか手が出ない。高校生の勇には縁のない特産品だ。
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大阪駅から環状線の電車に乗り込んで二駅、こじんまりとした桜ノ宮駅に降り立つと、学生無料の駐輪場に停めておいた自転車に乗り換えて帰路を急ぐ。そこから野江駅の向こう側まで一五分ほど自転車を走らせると、築二〇年のやや色褪せた一戸建てがある。父と母と、弟とが共に住まう葛飾家の住宅だ。
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