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64ceedec05
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@ -29,7 +29,7 @@ tags: ["diary"]
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「実は事故があってね、いや、大した事故じゃないよ。ぶんぶんが――車が、交差点で衝突――ぶつかっただけだ」
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お巡りさんは小学生の国語力を測りかねている様子だった。幼児に対して使うような言葉を喋ったかと思えば改め、逆にやや難しい単語を使った後に訂正を繰り返したりした。少々居心地の悪さを感じた僕は、自分にとってちょうどよい語句が用いられた時に返事をすることで誘導を試みた。すると、次第にお巡りさんの言葉遣いは読書家の小学生に適した内容へと適宜修正されていった。
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お巡りさんは小学生の国語力を測りかねている様子だった。幼児に対して使うような言葉を喋ったかと思えば改め、逆にやや難しい単語を使った後に訂正を繰り返したりした。少々居心地の悪さを感じた僕は、自分にとってちょうどよい語句が用いられた時に返事をすることで誘導を試みた。すると、次第にお巡りさんの言葉遣いは読書家の小学生に適した内容へと適宜修正された。
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お巡りさんが語るには、ちょっとした交通事故が起こったらしい。双方ともに怪我はなく特に大事ではない。しかし車体はそれなりに損傷したため大金を払って修理しなければならない。そこで互いの過失割合が問題となる。先ほど紹介した通りここは田舎町、検証の助けになる気の利いたビッグブラザー(防犯カメラ)はなく、ドライブレコーダーは普及以前の時代である。
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@ -37,7 +37,7 @@ tags: ["diary"]
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続けてお巡りさんは柔らかく笑った。「君、”本読みの子”って呼ばれているんだってね。近所の人に聞いて回ったらすぐに分かったよ」当時、僕は相当に意表を突かれた気持ちになった。今まで一枚板の背景と思い込んでいたものが、にわかに実体と人格を伴って挨拶を交わしてきたかのような感覚に襲われた。
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結論から言うと、僕はろくに答えられなかった。これは奇想天外なミステリーの冒頭ではない。僕はただひたすらもじもじしていて――ここには名探偵もいなければ明晰な頭脳を持った天才少年もいない。ランドセルにたくさん本を入れたくて、代わりに教科書を忘れたふりをするどちらかといえば鈍感な気質の小学生がいるだけだ。隣の子が「そんなに忘れるなら朝、一緒に学校行こっか」と誘ってくれた真意にも終始気づかなかった。
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結論から言うと、僕はろくに答えられなかった。これは奇想天外なミステリーの冒頭ではない。僕はただひたすらもじもじしていて――ここには名探偵もいなければ明晰な頭脳を持った天才少年もいない。ランドセルにたくさん本を入れたくて、やむをえず教科書を忘れたふりをするどちらかといえば鈍感な気質の小学生がいるだけだ。隣の子が「そんなに忘れるなら朝、一緒に学校行こっか」と誘ってくれた真意にも終始気づかなかった。
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もっとも、事故については抗弁の余地がある。だって、本を読んでいるのだからまさしく背景と化した道路の上の話なんて知るよしもない。車同士がぶつかったからにはそこそこ大きな音もしただろうけど、僕は僕で物語の効果音を頭いっぱいに響かせようとして忙しかった。などと、情感たっぷりに言い訳の一つでも繰り出せたら、あるいは隠れた聡明さをほのめかせたかもしれない。
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@ -63,6 +63,6 @@ tags: ["diary"]
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父は仁王立ちで怪訝そうに睨んでいたが、家の前のパトカーが遠ざかる音を聞くやいなや「ふん」と鼻を鳴らした。それでいて明らかに気が緩んだ態度で口元を折り曲げた。「税金で食ってる連中は気楽なもんだな」そう言う父は祖父の財産を食いつぶして暮らしていた。
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その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎても僕は星新一を読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、眼前には相変わらず活字でできた世界があった。
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その後、しばらく本には困らなかった。星新一の短編集は一冊あたりの分量こそ少ないが、ゆうに30冊以上もの巻数がある。短い夏休みが終わり、さらに短い秋が駆け足で通り過ぎても星新一を読み続けることができた。一寸、実体を得たかのように見えた背景はたちまち元の平坦さを取り戻し、代わりに僕の世界はますます奥行きを増してどこまでも広がっていった。
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やがて、僕の心の中に強固なマイ国家が築かれた。何人にも決して侵されない脳裏にはにぎやかな部屋が出来上がり、そこには時に暗く明るいひとにぎりの未来が広がっていた。ところで、この日記には重大な嘘が含まれている。一つだけとはかぎらないし、最初から最後までまるごと嘘という顛末も大いにありえる。
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やがて、心の中に強固なマイ国家が築かれた。何人にも決して侵されない脳裏にはにぎやかな部屋が作られ、そこには時に暗く明るいひとにぎりの未来があった。ところで、この日記には重大な嘘が含まれている。一つだけとはかぎらないし、最初から最後までまるごと嘘という顛末も大いにありえる。
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