第十幕まで
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Rikuoh Tsujitani 2023-09-05 21:28:36 +09:00
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@ -210,7 +210,7 @@ tags: ['novel']
『北は樺太……西は満州、……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝国電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします』 『北は樺太……西は満州、……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝国電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします』
 勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広報はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。  勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広報はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。
 ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は半分ほど消えてなくなっていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく清酒に切り替わっている。  ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は半分ほど消えてなくなっていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく清酒に切り替わっている。
 選手が戦場に入場して一列に並ぶ。観客も静まりかえるなか国歌が演奏され、続いて皇居の方角に向かって全員が一礼する。観客も一斉に立ち上がって深々と一礼した。現人神で知られる天皇陛下は幾多の戦争を勝利に導いた軍神とも称され、その際立った神通力を継承すべく世襲制が採られている。昭和九八年の現在は三代目の昭和天皇が襲名して五年が経った。  選手が戦場に入場して一列に並ぶ。観客も静まりかえるなか国歌が演奏され、続いて皇居の方角に向かって全員が一礼する。観客も一斉に立ち上がって深々と一礼した。現人神で知られる天皇陛下は幾多の戦争を勝利に導いた軍神とも称され、その際立った神通力を継承すべく世襲制が採られている。昭和九八年の現在は三代目の昭和天皇が襲名して五年が経った。
『全国高等学校硬式戦争選手権大会、夏の公死園、準決勝第二試合がまもなく始まります』 『全国高等学校硬式戦争選手権大会、夏の公死園、準決勝第二試合がまもなく始まります』
 司会の声に合わせて映像が鮮やかに動き、画面上の左右に両者の仮想体力が大きく描画される。区別のために左側が青く、右側が赤い。それぞれの体力の下には草書体で各々の選手の名前が記されていた。そこで、勇は選手たちの名前が一風変わっていることに気がついた。画面上の校名に視線を寄せると「沖縄 臣民第七高等学校 対 臣民第一八高等学校 台北』と記されてあった。  司会の声に合わせて映像が鮮やかに動き、画面上の左右に両者の仮想体力が大きく描画される。区別のために左側が青く、右側が赤い。それぞれの体力の下には草書体で各々の選手の名前が記されていた。そこで、勇は選手たちの名前が一風変わっていることに気がついた。画面上の校名に視線を寄せると「沖縄 臣民第七高等学校 対 臣民第一八高等学校 台北』と記されてあった。
「驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校はともに外地の学校です。帝国臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか」 「驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校はともに外地の学校です。帝国臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか」
@ -511,7 +511,59 @@ tags: ['novel']
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 公死園の運営関係者が控室に顔を出してまもなく出場だと告げてきたので、一同は同時に支給された電子判定用の肌着を戦闘服の下に着込んだ。この厚さ三寸ほどの灰色の服が対応する衝撃を検知する。選手の片耳には一度押し込むと鉗子でなければ取れない癒着性のイヤホンも装着される。これが検知した衝撃判定を選手自身に伝えるほか、試合を管制する電子計算機にも情報を送信している。二〇年前に移行が決まった仮想体力制度は名だたる財閥企業の強力な後押しによって、西洋先進国にも引けをとらない科学技術力の結晶で作られている。
「入念に起動を確認しろ。試合開始までに判定が有効でなければ失格だ」
 大会の駒を進めるたびに言ってきたことを勇が今日も言う。分隊員は頷いて判定服の裏地に備わった通信確認用のボタンを押す。勇も押したので、耳元で人工的な音声が「起動確認。本日は昭和九八年八月二三日」と言うのが聞こえた。
 最後に装備品の確認を行う。ユンは当然、予備弾倉ではなく軍刀を手に取ったが、他の隊員にも思うところがあったらしい。同じく軍刀を仕込む者もいれば、拳銃に持ち替える者もいた。本来なら浮ついた装備の変更はご法度だったが、相手が相手なので常道に凝り固まる方が問題と見て、勇はなにも言わなかった。
 控室の私物入れに携帯電話を置こうとした時、ぶるぶるとそれが震えた。手に取って開くと和子から電文が届いていた。内容はごく短く「死なないでね」とだけ記されている。雄弁な彼女のことだから、きっと本当はもっと言いたいことがあったに違いない。良家の娘である彼女は言うまでもなく付き合いを絶つよう両親に命じられているのだろう。この電文は長い交渉の末に勝ち取った一言なのかもしれない。
 勇は返信せずに携帯電話を私物入れに突っ込んだ。
 総員は各々の装備品を手に、肩にかけて控室から入場口手前の休憩室まで赴いた。そこには長いベンチや壁に備え付けられたテレビや、便所が備わっている。時計を見たところ、まだ入場までには一〇分ほどの猶予が残されていた。試合前にユンとなにかすり合わせをしておくつもり後を追ったが、彼はベンチには座らず休憩室の奥に行ってしまった。
「おい、どこいくんだ」
「うるせえな、便所だよ。すぐ戻る」
 やむをえず手近なベンチに座って、手持ち無沙汰のままテレビを観ると、ほとんど無音まで音量が絞られた状態でも試合開始前の司会がなにを説明しているのか判った。功のアルバム写真が映し出され、続いて勇の試合の録画が流されている。思わず、視線をそらすと、真横に監督がどかっと座った。不可抗力的に視線が合う。なにか言おうとしたが、先に監督が口を開いた。
「やつらな、学校にも来たぞ。不穏分子の兄を公死園に出していいのか、と……。我が校は強ければ出すのが伝統だと言ってやった」
「おれはそんなに強いですかね」
 勇は自嘲気味に笑った。すると、監督が真顔で答える。
「いや、弱い。貴様など吹けば飛ぶような存在だ」
「じゃあ、なぜ試合に?」
 監督は質問には答えずにテレビ画面をあごでしゃくった。
「世の中にはいくらでも悪人はいる。立派そうな連中の中にも。銀座で飲み歩く御大尽にも、帝国議会でふんぞりかえっている代議士にもな。だが、やつらがこうして報道機関の槍玉に挙がることはない。なぜだ?」
「……政治のことはおれにはよく解りません」
「よく解らないのは、単に知らなくても損をしなかったからだ。貴様のようなやつはな……。今日からは違う」
 鬼のような険しい顔の監督が睨みを効かせる。ただし怒りではなくそこには神妙さが宿っていた。
「解らないなら教えてやろう。そいつらは強いからだ。お前が少々、硬式戦争で腕を鳴らして――あるいは本当の帝国軍人に成り上がったとしても、そいつらの曲げた指先一つにも敵わない。だからみんな畏れ、敬う」
「正しさ――正義はそこにはないんですか」
 勇は口を滑らせた。これは口ごたえにあたるかもしれない。だが、英語で計算機の情報を調べていただけの弟を、こんなにまで晒し者にして、家族まで犠牲にする有様がふさわしい処罰とは到底思えなかった。監督は怒らず、ただ小馬鹿にしたふうに笑った。
「正義は人の数だけある。貴様の方が正しいと信じるなら証明してみせろ。今日がその最初の日だ」
 ユンが便所から帰ってくると監督はベンチから立ち上がって全員に向かって声を張った。一瞬の間に彼は元の獰猛な顔つきに戻っていた。
「さあ、決勝だ。支那人どもを蹴散らしてこい」
「押忍!」
 休憩室を出て、電燈の眩い光が差し込む入場口に向かって分隊員は一列に並んで行進した。戦場から流れ込んでくる威勢のよいラッパの音色と同期して、一糸に乱れぬ連携と調和を演出する。戦場に入ると目のくらむ光が融けて、配置の変わった朽ちた市街地が眼前に飛び込んできた。円形の観客席から盛大な拍手、とそれに負けず劣らずの罵声が飛び交う。真後ろのユンが声を漏らした。
「ああ、おれが一町もある巨大な怪物だったら全員踏み潰したのにな」
「今に思い知らせるさ」
 図らずも監督の言葉に勇気を得た勇は振り返らず、あたかも独り言のように答えた。
 慣習に倣って横一列に広がった分隊は、厳かに演奏がはじまった国歌の調べに身を委ねた。次に、皇居に向かって一斉に深々とお辞儀をする。あれほど騒ぎ立てていた観客たちもこの瞬間だけは静まり返る。
 直線で五町離れた戦場の向こう側では、臣民第一八高等学校の選手たちが同じように並んでいるのだろう。
「選手は初期配置についてください」
 耳元のイヤホンが指示を出す。各々の分隊員は互いに目配せをして芝生から市街地を模したコンクリートの境目を乗り越えて、戦場に入っていく。戦闘服の小袋から主弾倉を取り出すと、勇は八九式硬式小銃に取りつけた。カチッと小気味のよい音が彼に闘志を与える。
 二車線道路の端に早くも第一八高の選手たちが姿を現した。通信機能を使って他の分隊員が言う。
「あいつら小銃を装備すらしていない」
「なめやがって、本当に軍刀だけで戦うつもりか」
 そこへ、勇が割って入る。
「油断するな。小銃を持たなければやつらはさらに速くなる」
「上等じゃねえか、全員ぶっ殺してやる」
 たぎったユンの声が耳の奥底まで響く。
 視界の先では隠れもせずに十名の選手が軍刀に手をかけて試合開始の笛を待っている。微動だにせず、その眼差しはこちらを射抜かんばかりだった。
 そっちがその気ならこちらも容赦はしない。三秒で試合を終わらせてやる。
 勇は小銃を腰だめで構えた。
 やけに静かだった。
 あれほど勇を突き刺してきた罵声も、囃し立てる歓声も、戦場の空気がすべて飲み干してしまったかのようだ。司会の解説音声は選手たちには聞こえない。
 筋肉が硬直を覚えはじめた矢先、唐突に笛が鳴り響いた。同時に、耳元の声が言う。
「試合、開始」
 全国高等学校硬式戦争選手権大会の決勝、大阪、帝國実業高等学校、対、台北、第一八臣民高等学校の戦いが幕を開けた。
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