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 二人が姿勢を正すか正さないかのうちに、勇は今しがた自分がされたのと同じ要領で二人の頬に拳を振り抜いた。後ろに倒れ込む下級生たちに向けて一転、落ち着いた声色で言う。
「貴様らは二年生がてら優秀な成績を収めて分隊員に選ばれた。決勝では誉れ高く戦え。来年もあるなどと思うな」
「はっ、ご指導ありがとうございました!」
 二人揃って自分とそっくりの絶叫を張り上げた後輩を背に、勇は疲弊した顔つきで湯浴みをしに向かった。
 二人揃って自分とそっくりの絶叫を張り上げた後輩を背に、勇は自分自身の頬の痛みに顔を歪めて湯浴みをしに向かった。
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 普段は勇たちが起きるよりも早く出勤して、寝た後に帰ってくる父親が畳に座っていたので彼は驚いた。「ただいま帰りました」と告げると、父は首だけ振り返り「おお」と短く言った。それで応答が済んだのかと早合点して二階の自室に上がろうとすると、父がまたしゃべったので足を止めた。
ていたぞ、試合」
 普段は勇たちが起きるよりも早く出勤して、寝た後に帰ってくる父親が畳に座っていたので彼は驚いた。「ただいま帰りました」と告げると、父は首だけ振り返り「おお」と短く言った。それで応答が済んだのかと早合点して二階の自室に上がろうとすると、父がまた口を開いたので足を止めた。
ていたぞ、試合」
「次は決勝です」
 心なしか誇らしげに伝えると父は深くうなずいた。今度こそ会話は終わったようだった。入れ替わりに台所の母が言う。
今日、奮発してお寿司の出前をとったから、部屋に行くついでに功にも教えてやって」
 わずかにきしむ階段を一段ずつ上がり、手前の自分の部屋に荷物を放り投げてからすぐに弟の部屋の扉を開け放った。こちらに背を向けて電子計算機をいじっていた功はびくりと肩を震わせ急に慌ただしくキーボードを連打した。先ほどまで映っていた液晶画面がいかにも無害そうな風景がに切り替わる。だが、ゆっくり振り返った彼の警戒の眼差しが兄を認識した時、細身の身体を縛っていた緊張の糸が一気に解けたようだった。「……なんだ、兄さんか。ノックするって約束したじゃんか」
「いや長話じゃない。母さんが今日は寿司をとるって」
 心なしか誇らしげに伝えると父は深くうなずいた。今度こそ会話は終わったようだった。台所の母が言う。
「奮発してお寿司の出前をとったから、部屋に行くついでに功にも教えてやって」
 階段を上がり、手前の自分の部屋に荷物を放り投げてからすぐに弟の部屋の扉を開け放った。こちらに背を向けて電子計算機をいじっていた功はびくりと肩を震わせ急に慌ただしく鍵盤を連打した。先ほどまで映っていた液晶画面がいかにも無害そうな風景画に切り替わる。だが、ゆっくり振り返った彼の警戒の目が兄を認識した時、細身の身体を縛っていた緊張の糸が一気に解けたようだった。「……なんだ、兄さんか。用がある時はknockするって約束したじゃんか」
「いや長話じゃない。母さんが今日は寿司の出前をとるって」
「ははあ、じゃあ勝ったのか。相乗効果かな」
 弟の口元が皮肉めいた笑いをかたどってつり上がった。
 弟の口元が皮肉めいた角度でつり上がった。
「次が決勝だ」
 今回は間違いなく、確実に自慢の口調で言い切った。
 今回は間違いなく自慢の口調で言い切った。
「こっちも良い話がある」
 弟は机の横に積まれていた本の山の中から一枚の紙切れを取り出して半ば投げてよこした。「全国共通一次模試検査結果」と赤色で塗られた文字数字だらけの文言の意味は勇にはいまいち解りかねたが、横枠に添えられた部分だけは明瞭に理解できた。
 弟は机の横に積まれていた本の山の中から一枚の紙切れを取り出した。「全国共通一次模試検査結果」と赤色で塗られた文字の下の、数字だらけの文言の意味は勇にはいまいち解りかねたが、横枠に添えられた部分は明瞭に理解できた。
『受験者の総数及び順位 二四八〇〇人中一四位』
「全国で一四位……お前、そんなに勉強ができたのか」
「そうだよ。高二に上がる頃には一位になっているだろうね」
 日焼けして赤く焼けた顔に丸刈りの兄と違い、細身で脆弱で色白の弟にもそれを補って余りある才能が備わっている。葛飾家の兄弟は二人揃って文武両道なのだ。
 赤く焼けた顔に丸刈りの兄と違い、細身で色白の弟には天賦とも言うべき勉学の才能が備わっている。葛飾家の兄弟は二人揃って文武両道なのだ。
「だから寿司か……。最後に食べたのなんて七五三の時ぐらいだ」
「柄にもなくちょっとは頑張った甲斐があったよ」
 飄々と言ってのけた功はまた計算機に向き直って、キーボードを叩いた。すると、風景画が消えて画面いっぱいに英語が記された頁が現れた。一転、次に緊張を露わにしたのは勇の方だった。
 飄々と言ってのけた功はまた計算機に向き直って、キーボードを叩いた。すると、風景画が消えて画面いっぱいに英語が記された頁が現れた。次に慌てたのは勇の方だった。
「おいっ、なんで英語の頁なんか」
シッ、大声を出さないでよ」
しーっ、大声を出さないでよ」
 功は人差し指を立てて口をいーっと開いた。年齢的には硬式弾を食らってもいい歳なのに、仕草や顔つきは未だ中学生みたいに見える。
「先取り学習だよ。国内の情報は内容が古すぎる。最先端のcodeはinternetにしかないんだ」
「よせ、親父に見つかったらぶっ飛ばされるぞ」
「だからあんなに慌ててたんじゃないか」
 危ない火遊びだ、と勇は思った。戦争部の人間もたまにはめを外して乱闘騒ぎを起こしたり、飲酒や賭博で補導されたりする者が現れるが、若気の至りとして温情に放免されるこっちと違って、これは本当に親兄弟に塁の及ぶ罰を与えられかねない。
 危ない火遊びだ、と勇は思った。戦争部の人間にも羽目を外して乱闘騒ぎを起こしたり、飲酒や賭博で補導されたりする者がたまに現れるが、若気の至りとして温情に処されるこっちと違って、これは本当に親兄弟に塁の及ぶ罰を与えられかねない。
「叔父さんのことを忘れたのか。あれで父さんは降格させられたんだぞ」
「あの人はちょっと本気になりすぎたんだ。僕程度のことは計算機好きなら大抵やっているよ。憲兵だってこんなのいちいち捕まえている暇ないだろ」
 父のは変わった経歴の持ち主だった。帝國大学にしかない計算機科学科を経なければ就職できないはずの電子計算機技師に叩き上げで成り上がって、生まれも育ちもがらりと違う人と肩を並べて熱心に働いていた。弟のさんは「やつは骨の髄まで英米思考だ」と事あるごとにこき下ろしていたが、口ぶりほど嫌っていないことはよく見て取れた。実際、物腰が軽妙で知識が豊富な叔父を嫌う者はいなかった。親戚の集まりでも常に話題の中心にいた。
 その叔父さんが、治安維持法違反で逮捕されたのが五年前だ。なんでも電子計算機を用いて扇動を企てていたという。それがどんな内容だったのかはもはや誰にも判らない。殺人で捕まった者にさえ面会や文通が許されるのに、政治犯には一切認められないからだ。懲役三〇年の刑期は、まだ六分の五も残っている。
 身内の罪を贖うべく父はかつての同僚が上司になり、かつての部下が同僚になる苦境でもめげずに二倍も三倍も働いて、町内會の会合にも針のむしろを承知で顔を出した。それから年が経ち、長男の勇が二年で公死園に初出場を決めたことが契機となって、ようやく禊が済んだらしい。勇は母が「今は昇進の話も出ているの」と嬉しそうに話しているのを聞いていた。
 父のは変わった経歴の持ち主だった。帝國大学にしかない計算機科学科を経なければ就職できないはずの電子計算機技師に叩き上げで成り上がって、生まれも育ちも違う人と肩を並べて熱心に働いていた。父は「やつは骨の髄まで英米思考だ」と事あるごとにこき下ろしていたが、口ぶりほど嫌っていないことはよく見て取れた。実際、物腰が軽妙で知識が豊富な叔父を嫌う者はいなかった。親戚の集まりでも常に話題の中心にいた。
 その叔父さんが、治安維持法違反で逮捕されたのが五年前だ。なんでも電子計算機を用いて扇動を企てていたという。それがどんな内容だったのかはもはや誰にも判らない。殺人で捕まった者にさえ面会や文通が許されるのに、政治犯には一切認められていないからだ。懲役三〇年の刑期は、まだ六分の五も残っている。
 身内の罪を贖うべく父はかつての同僚が上司になり、かつての部下が同僚になる屈辱にめげず二倍も三倍も働いて、町内會の会合にも針のむしろを承知で顔を出した。それから年が経ち、長男の勇が二年で公死園に初出場を決めたことが契機となって、とうとう禊が済んだらしい。勇は母が「今は昇進の話も出ているの」と嬉しそうに話しているのを聞いていた。
「とんでもない弟だ」
 端的に感想を述べると功は得意げににやりと笑った。
「捕まりはしないよ。わざわざ日本橋の裏路地くんだりまで行って海外のVPNを契約したんだ。僕は帝大の計算機科学科に入って大日本帝國の技術力にいっそうの飛躍をもたらしたく存じます……っていう感じでやっていくさ」
少なくとも英語を使うのは勘弁してくれ
 英語規制は法律ではないが空気として確かに存在する。codeは算譜と言うべきだし、internetは電網と言わなければならない。ただ、どのみち勇には意味が解らなかった。
「捕まりはしないよ。わざわざ日本橋の裏路地くんだりまで行って海外のVirtual Private Networkを契約したんだ。将来は帝大の計算機科学科に入って大日本帝國の技術力にいっそうの飛躍をもたらしたく存じます……っていう感じでうまくやっていくさ」
とにかく英語を使うのは勘弁してくれ。英米思考と思われて得なことはない
 英語規制は法律ではないが空気としては強力に存在している。codeは算譜と言うべきだし、internetは電網と言わなければならない。ただ、どのみち勇には意味が解らなかった。
「ふん、でもみんなテレビだとかラヂオだとかは言うじゃないか」
「あれは昔からあるからいいんだ」
「インターネットだって本当は三〇年以上も前からある。じゃあそろそろ解禁だ」
「こいつ、理屈だな」
 勇は手を伸ばして功の首ねっこを腕にかけると、体ごと引き寄せてもう片方の手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。「わーっ」と大げさな悲鳴をあげる弟。面倒くさくなったらこの手に限る。
 勇は手を伸ばして功の首ねっこに腕をかけると、体ごと引き寄せて髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。「わーっ」と大げさな悲鳴をあげる弟。面倒くさくなったらこの手に限る。
 ひとしきり制裁を受けた弟は自分の髪の毛をなでつけながら、ぽつりと言った。
「まあ兄さんは年上の中では一番好きかな。怒鳴りも殴りもしてこないから」
 急に勇は自分の手――鞣し革のように固く仕上がった手――に後ろめたさを覚えた。たった一時間前に勇と一つしか歳の違わない下級生を殴りつけたばかりだった。
 急に勇は自分の手――古びた革のように固く仕上がった手――に後ろめたさを覚えた。たった一時間前に勇と一つしか歳の違わない後輩を殴りつけたばかりだった。
「俺が殴ったらお前なんてばらばらになっちまうよ」
 そう、おどけてみせて顔色が変わらないうちに勇は踵を返した。
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 数時間後、畳の居間に家族一同が集結した。机の上には大の男が三人いても余りそうなほど大量の寿司が並べられている。口数は少なくとも、いま葛飾家は祝賀の雰囲気に寄っていた。部屋の隅に置かれたテレビは、あと少しで準決勝の第二試合目が行われようとしている。前番組のごく短い漫才のかけあいをよこ目で見つつ、勇は父の切子に麦酒を注いだ。この日はやはり奮発に奮発を重ねたのか、見慣れない舶来品が二本も机もある。本式のドイツ産だろうと思われた。
 夕刻、畳の居間に家族が集結した。机の上には大の男が三人いても余りそうなほど大量の寿司が並べられている。口数は少なくとも、いま葛飾家は祝賀の雰囲気に包まれていた。部屋の隅に置かれたテレビの中では、あと少しで準決勝の第二試合目が行われようとしている。前番組の漫才の掛け合いを横目で見つつ、勇は父の切子に舶来品の麦酒を注いだ。この日は奮発に奮発を重ねたのか、本式のドイツ産麦酒が二本も机の上にあった。
「……それでな、うちのカミさんがな、男は頼りない言いまんねや」
「カカア天下でんな、ほいで?」
「もうも男には任せられん、選挙権ほしい言うんや」
「そら無理でっせー! 男かて徴兵かなもらえへんのに!」
「そやんなあ、うちらかて苦労したもんなあ」
「もう政治も男には任せられん、選挙権ほしい言うんや」
「そら無理でっせー! 男かて徴兵かなもらえへんのに!」
「そやんなあ、うちらかてごっつ苦労したもんなあ」
「いや、わしは行ってへんねん、心は女やさかい」
 伝統芸能にのみ許された方言を巧みに操る漫才師が内股で自分の胸を掴む仕草をとる。ははは、と客席からまばらな笑い声。
「せやかて言い出したらきりがありまへんねん。職が欲しいと言って職をやったから、今度は選挙権が欲しいと言うんや。次は政治家になりたい言いますで」
「せやかて言い出したらきりがありまへんねん。職が欲しいと言って職をやったから、次は選挙権が欲しいと言うんや。しまいには政治家になりたい言いますで」
「カカア天下が国家天下を語るんかあ〜」
 勇は父親の切子に二杯目の麦酒を注いだ。
 父が麦酒を飲み干して切子を机に置くと、すかさず勇は二杯目を注いだ。
「まあうちのカミさんは家では万年政権与党でっけどな」
「そんな、父ちゃんにもたまには政権交代させたって〜」
「無理やで、うちの家庭は庭やのうて帝やからな
 どっ、と笑い声が巻き起こる。早川工業社製の伝統的なマイクの前で二人の漫才師がお辞儀をして、演目はつつがなく終了した。ふん、と父が鼻を鳴らす。「そりゃ女に政治なんか無理に決まってる」ずずず、と半透明の切子の中身が喉の蠕動に合わせてみるみるうちに減っていく。コン、と音を立てて置かれた途端に今度は母が次を注ぐ。
「帝國議会は第二の戦場だ。乱闘騒ぎなどしょっちゅうなのに女にどう務まるんだ。その時だけ男に守ってもらうのか」
 なし崩し的に晩酌の責務を解かれた勇はふと、なぜか和子が議会の壇上で大演説を振るっている様子を思い浮かべた。議題はもちろん硬式戦争における防具着用の義務化である。獣のように猛り狂った男たちの罵声を浴びながら、彼女は毅然とした面持ちで語る。「そんなに命を賭けるのがお好きなら、いっそ敗けた方が切腹でもすればよろしいじゃありませんか。運動くらい粋がるのはやめにして兜を着けて安全に楽しみましょう」――あからさまな挑発に激昂した議員が雪崩をうって壇上に押し寄せる。どういうわけか、想像の中の勇はたった一人でそれを堰き止めようとしていた。
 いや、やはり女一人では無理だ。たとえ守ってくれる男がいたとしても、その場の流れ次第では議会の外でも取っ組み合いは起きる。以前、路上の喧嘩で敗北を喫したベテラン議員があっけなく選挙で落選したのを見た。ましてや自分の拳で戦えないのでは体裁が悪すぎる。
「無理やで。家では選挙権ないねん、わし
 どっ、と笑い声が巻き起こる。東京通信工業社製の伝統的なマイクの前で二人の漫才師がお辞儀をして、演目はつつがなく終了した。ふん、と父が鼻を鳴らす。「そりゃ女に政治なんか無理に決まってる」ずずず、と半透明の切子の中身が喉の蠕動に合わせてみるみるうちに減っていく。コン、と音を立てて机に置かれた途端に今度は母が次を注ぐ。
「帝國議会は第二の戦場だ。乱闘などしょっちゅうなのに女にどう務まるんだ。その時だけ男に守ってもらうのか」
 なし崩し的に晩酌の責務を解かれた勇はふと、なぜか和子が議会の壇上で弁舌を振るっている様子を思い浮かべた。議題はもちろん硬式戦争における防具着用の義務化である。獣のように猛り狂った男たちの罵声を浴びながら、彼女は毅然とした面持ちで語る。「そんなに命を賭けるのがお好きなら、いっそ敗けた方が切腹でもすればよろしいじゃありませんか。運動くらい粋がるのはやめにして兜を着けて安全に楽しみましょう」――あからさまな挑発に激昂した議員が雪崩をうって壇上に押し寄せる。どういうわけか、想像の中の勇はたった一人でそれを堰き止めようとしていた。
 いや、やはり女一人では無理だ。たとえ守ってくれる男がいたとしても、その場の流れ次第では議会の外でも取っ組み合いは起きる。以前、路上の喧嘩で敗北を喫した若手議員があっけなく選挙で落選したのを見た。ましてや自分の拳で戦えないのでは体裁が悪すぎる。
 勇は姿勢を正して下手な妄想から立ち直った。
 麦酒を一瓶空けて、父がまぐろに手を着けたので内心今か今かと待機していた兄弟はようやく寿司にありつくことができた。揃って寿司を頬張る様子を見た父は「うまいか」と短く訊ねた。「とても美味しいです」と勇は言い、功も慇懃な物言いで応じた。最後に、母がいそいそと手前の玉子を取って食べた。
 いつの間にかテレビは漫才番組が終わり帝國の地図を映し出していた。荘厳な音楽とともにじわじわと上から下に流れる字幕と、それに合わせて語りかける神妙な口調の声が注意を惹きつける。
『北は樺太……西は満州……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝國電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします』
 勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。
 ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は半分ほど消えてなくなっていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく清酒に切り替わっている。
 選手が戦場に入場して一列に並ぶ。観客も静まりかえるなか国歌が演奏され、続いて皇居の方角に向かって全員が一礼する。観客も一斉に立ち上がって深々と一礼した。現人神で知られる天皇陛下は幾多の戦争を勝利に導いた軍神とも称され、その際立った神通力を継承すべく世襲制が採られている。昭和九八年の現在は三代目の昭和天皇が襲名して五年が経った
 いつの間にかテレビは漫才番組が終わり大日本帝國の地図を映し出していた。荘厳な音楽とにじわじわと上から下に流れる字幕と、それに合わせて語りかける神妙な口調の声が注意を惹きつける。
『北は樺太……西は満州……南はパプアニューギニアに至るまでを縦横する海底の情報網……重要なのは速度はありません、安心と信頼です。帝國電信電話公社が誇りを持って我が国の情報通信技術を主導いたします』
 勇は功の目が細くすぼまるのを見逃さなかった。冷笑の視線だ。英米の最新情報に通じる彼にとってこの広はきっと誇大なのだろう、と勇は当て推量した。
 ほどなくして準決勝の第二試合目が中継される頃には、机の上の寿司は全体の約半分が男たちの胃袋に消えていた。父の手にある切子の中身も麦酒ではなく日本酒に切り替わっている。
 選手たちが軍靴を踏み鳴らして整列入場する。戦場区画を挟んでそれぞれ横一列に並ぶ。観客も静まり返るなか国歌が演奏され、続いて皇居の方角に向かって全員が一礼する。観客も一斉に立ち上がって深々とお辞儀をした。現人神で知られる天皇陛下は幾多の戦争を勝利に導いた軍神とも称されており、歴代でも群を抜く神通力を継承すべく世襲制が採られている。昭和九八年の現在は三代目の昭和天皇が襲名して五年が経
『全国高等学校硬式戦争選手権大会、夏の公死園、準決勝第二試合がまもなく始まります』
 司会の声に合わせて映像が鮮やかに動き、画面上の左右に両者の仮想体力が大きく描画される。区別のために左側が青く、右側が赤い。それぞれの体力の下には草書体で各々の選手の名前が記されていた。そこで、勇は選手たちの名前が一風変わっていることに気がついた。画面上の校名に視線を寄せると「沖縄 臣民第七高等学校 対 臣民第一八高等学校 台北』と記されてあった。
「驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校はともに外地の学校です。帝國臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか
 熱のこもった司会の案内の後で、カメラが戦場を映し出す。すでに両軍は初期配置について試合の開始を待っている。トロの甘みに舌鼓を打ちつつも、勇はつい数時間前の戦いを思い出して他人事ながら緊張を覚えた。
 試合開始の笛が画面越しに響いた。複数のカメラが小刻みに切り替わって一斉に動き出す選手を追う。五分と経たないうちに外地同士といえど採る戦略はまるで異なる様子がうかがえた。第七高は野伏のごとく隠密に広がっていくのに対して、台北の第一八高はひと固まりの猪突猛進で戦場を横断る。
『驚くべきことに準決勝まで勝ち進んだこの二校は共に外地の学校です。帝國臣民の真髄により迫ることができるのは果たして、どちらなのでありましょうか
 熱のこもった司会の案内の後で、カメラが戦場を映し出す。すでに両軍は初期配置について試合の開始を待っている。トロの甘みに舌鼓を打ちつつも、勇はつい数時間前の戦いを思い出して緊張を覚えた。
 試合開始の笛が画面越しに響いた。複数のカメラが小刻みに切り替わって一斉に動き出す選手を追う。五分と経たないうちに外地同士といえど採る戦略はまるで異なる様子が見て取れた。沖縄の第七高は野伏のごとく隠密に広がっていくのに対して、台北の第一八高はひと固まりの猪突猛進で戦場を横断している。
「あれはどうなんだ、勇」
 酔いで顔をうっすらと赤らめた父が訊ねる。素人ながらも準決勝の局面らしくない彼らの動きに疑問を持ったようだ。
「普通は……やりません。互いの射撃が一定の水準以上だとちょっとした隙にやられてしまいますから、あまり姿を晒さない方が賢明です」
 酒が回って顔をうっすらと赤らめた父が訊ねる。素人ながらも準決勝の局面らしくない彼らの直線的な動きに疑問を持ったようだ。
「普通は……やりません。互いの射撃が一定の水準以上だとちょっとした隙にやられてしまいますから、不必要に姿を晒さない方が賢明です」
「そうか、じゃあ沖縄のが筋が良いのか」
 浅く頷いたものの、しかし必ずしもそう断言はできなかった。いけいけどんどんの一手で準決勝まで上がってこられるほど公死園は甘くない。なにか策があっての行動に違いない。
 しかし数分後、左右の遮蔽物から第七高の選手による堅実な掃射が行われると先頭に立っていた前衛がまともに弾を受けて退場を告された。右側の赤い仮想体力が一瞬で黒ずみ、残る九人も被弾の度合いに応じて体力を減らした。父が「なんだ、全然だめじゃないか」と言って、切子を置いた。母がを注ぐ。
 一方、司会の声はあくまで冷静だった。どころか、期待感のこもった熱っぽい声で彼らの次の行動を予想した。
さあ、これで第一八高は一人退場ですが……ここまでに彼らの戦いぶりをご覧になっていた方々はおりでしょう。やはり準決勝においても、同じ戦略――戦略と言っていいのかさえ定かではない――をとるものと思われます。あ、今まさに!」
 カメラの視点が急速に拡大して第一八高の一群を中央に収めた。なにかを叫んでいる。すぐに戦場集音マイクが声を拾った。
『総員、抜剣ー!!』
 曖昧に頷いたものの、内心ではそう断言はできなかった。いけいけどんどんで準決勝まで上がってこられるほど公死園は甘くない。なにか策があっての行動に違いない。
 しかし数分後、左右の遮蔽物から第七高の選手による掃射が行われると先頭に立っていた前衛がまともに弾を受けて退場を告された。右側の赤い仮想体力が一瞬で黒ずみ、残る九人も被弾の度合いに応じて体力を減らした。父が「なんだ、全然だめじゃないか」と言って、切子を置いた。母が日本酒のおかわりを注ぐ。
 一方、司会の出だしはあくまで冷静だった。どころか、かえって期待感を募らせた調子で彼らの次の行動を予想した。
さあ、これで第一八高は一人退場ですが……ここまでに彼らの戦いぶりをご覧になっていた方々はお分かりでしょう。やはり準決勝においても、彼らは同じ戦略――戦略と言っていいのかさえ定かではない荒業――を見せてくれるものと思われます。あ、今まさに!』
 カメラの視点が急速に拡大して第一八高の一群を中央に収めた。なにかを叫んでいる。すぐに戦場中に散りばめられた集音マイクが声を拾った。
『総員、抜剣ー!!』
 主将と思しき選手が高らかに宣言すると第一八高の全員が一斉に模擬軍刀を抜いた。勇は寿司を食べるのも忘れて画面に見入った。
 信じられない。全員が予備弾倉ではなく軍刀で装備を固めるなんて一体いつの時代だ。
「まるで仮想体力制以前――いや、戦中の英霊が蘇ったかのようであります。第一八高は並外れた近接戦闘の力を頼りに準決勝まで破竹の勢いで駒を進めています。さあ、この舞台ではそれがどう出るか!」
 あたかも司会の声に呼応するかのごとく、ひと固まりだった選手たちが二人ずつ四方八方にすさまじいすばやさで散っていった。元より小銃を構えていない彼らの移動速度は相当に速い。敵が背を向けて逃げていたら追いつくのは容易だろう。とはいえ、応射してこない相手に逃げの一手など打つはずがない。
 案の定、カメラが追った二人の前に立つ朽ちた壁の上から速射が放たれた。これはひとたまりもない、敗着を確信して勇は机上の軍艦巻きを手に取ったが、直後にテレビの向こうの観客がわっとわいたので視線を戻さざるをえなくなった。
やはり――ご覧になられているでしょうか! 弾を――よけています! なるほど硬式弾は実弾と違い大きく低速な弾ですから、決してよけられないことはないでしょう! しかし、よけられる前提で戦う分隊はそうはいません!
 信じられない。分隊総出で軍刀を装備するなんて一体いつの時代だ。
『まるで仮想体力制以前――いや、救国の英霊が蘇ったかのようであります。第一八高は並外れた近接戦闘の力を頼りに準決勝まで破竹の勢いで駒を進めてきました。さあ、この舞台ではそれがどう出るか!』
 あたかも司会の声に呼応するかのごとく、ひと固まりだった選手たちが二人ずつ四方八方にすばやく散っていった。彼らの移動速度は相当に速い。敵が背を向けて逃げていたら追いつくのは容易だろう。だが、応射してこない相手に逃げの一手など打つはずがない。
 案の定、カメラが追った二人の前の朽ちた壁越しに速射が放たれた。これはひとたまりもない。敗着を確信して勇は机上の軍艦巻きを手に取ったが、直後にテレビの向こうの観客がわっと騒いだので視線を戻さざるをえなくなった。
やはり――ご覧になられているでしょうか! 弾を――よけています! なるほど硬式弾は実弾と異なり低速な弾ですから、決してよけられないことはないでしょう! しかし、よけられる前提で戦う分隊はそうはいません!
 熱狂している司会をよそに第一八高の選手と壁との距離はぐんぐん詰まり、ついに二人は軽業師のごとく跳躍して一メートル弱の壁を飛び越えた。すぐさまカメラが反対側に切り替わる。慌てて弾倉を交換しようとする第八高の一人とは、もう軍刀の間合いだ。鮮やかな一太刀。左側の青い仮想体力は瞬時に黒く染まった。もう一人の方は模擬軍刀を銃身で受け止めてなんとか堪えているようだった。
 ところが膠着する間もなく第一八高の選手は相手の腰に差さった硬式拳銃を片方の手で抜いて、そのまま腹に何発も発砲した。模擬軍刀を抑えるために両手で銃身を支えている当人になすすべはない。一発ごとに削られていく仮想体力はぴったり四発で奪われ尽くされた。
 戦場の至る地点で、同様の戦いが繰り広げられていた。十数分かそこらのうちに左側で体力が青い者は一人しか残らなくなった。対する右側はまだ六人の選手が半死半生の体力で生き残っている。画面上に映し出された最後の一人の残弾数を見るに、理論上は六人すべてを撃ち倒せる可能性は零ではない。