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Rikuoh Tsujitani 2024-01-21 22:58:53 +09:00
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 たとえ光が見えなくても。
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第一章:ケルン爆撃
”一九四七年十月二〇日。昨月の今頃はあんなに暑かったのに、このところめっきり冷え込んできました。同じドイツでもミュンヘンとケルンでは少し調子が違うようです。ブリュッセルのお空模様はいかがでしょうか。本当はすぐにでも空を蹴って会いにいきたいのだけれど、あいにく今の私は上官の許可なくしては男の人の背丈より高く飛ぶことも許されていません。でも、管制官が仰るには戦争でもっと功績を立てれば、どんどん偉くなって、したいことがなんでもできるようになるそうです。”
 チーン、とタイプライタが鳴り、ハンマーが紙面の端に到達したことを知らせてくれる。一旦、タイピングを止めて手探りで本体のレバーを引っ張り、改行する。
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 私は静かに答えた。大聖堂の屋根から見える暗闇の景色は、街の人々の悲鳴、絶叫、敵機が落とす爆弾の爆発音、ぱちぱちと火炎が爆ぜる音が情報源となって、かくも鮮やかな輪郭に彩られていた。
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第二章:ピノッキオ
”一九四七年十一月一日。ケルンは今日も煙くさいです。街のあちこちがまだもくもくしています。私のせいです。もっと戦闘機を落とせていたらこんなことにはならなかったのに。今日は同僚のリザちゃんの話を書こうと思います。彼女も私と同じで、役目を持って生まれた子どもでした。私の目が光を映さないように、彼女は手足が一つもありません。せめて格好だけでも普通にさせようとして、家具職人の父がクルミの木で作った義肢をこしらえたそうですが、あいにくどんなに力を込めても動かすことはできません。"
”一九四七年十一月一日。ケルンは今日も煙くさいです。街のあちこちがまだもくもくしています。私のせいです。もっと戦闘機を落とせていたらこんなことにはならなかったのに。今日は同僚のリザちゃんの話を書こうと思います。彼女も私と同じで、役目を持って生まれた子どもでした。私の目が光を映さないように、彼女は手足が一つもありません。せめて格好だけでも普通にさせようとして、家具職人の父が地元の木で作った義肢をこしらえたそうですが、あいにくどんなに力を込めても動かすことはできません。"
 チーン。私はレバーを引き上げるついでにリザちゃんの様子を見にいった。椅子から立ち上がって一回転。前へ進む。そのうち扉に手がぶつかるので部屋を出るぶんには歩数を数える必要はない。
 壁伝いによりかかって何歩か歩いて、隣の部屋のドアノブに手を触れる。だいたいの見当をつけてドアを軽くノックした。
「リザちゃん? 調子どう?」
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 窓の方に顔を向けながらリザちゃんが言った。ムッソリーニ首相が王様に叱られて以来、イタリアのほとんどの土地はずっと敵にとられたままで、木材の輸入は滞っている。たまたま難を逃れていた彼女はドイツ軍に「セッシュウ」されて、一度も故郷に帰る許しをもらえていない。「セッシュウ」されると、別の国の人でもその国のきまりに従わなければいけないのだと、管制官が言っていた。
 だから、今の彼女の手足はイタリアではなくドイツの木でできている。私は彼女の隣に腰掛けて、肩口から伸びる白の稜線を手でなぞった。
「ちょっと固いね」
「たぶんオーク材だと思う。私はウォールナットの方が好きかな」
「たぶんオーク材だと思う。私は松の木の方が好きかな」
 右手でゆるく握りこぶしを作って、幅の広い肩の付け根あたりをこつこつと叩いてみた。しっかりした響きの少ない鈍い感触が手のひらに伝わる。
「オークはドイツの国樹なんだって」
 現在、ヨーロッパの至るところにあるオークの樹林には、そこかしこに私たちの鉤十字がはためいているという。仕えるべき国家の存在を木々に教えてあげているのだ。
@ -326,8 +323,30 @@ tags: ['novel']
「ごめんね、お世話できなくて。一人じゃ着替えとか、大変でしょ」
「ううん、最近はちょっとこつを覚えてきたつもり」
 手をぱたぱたと振って否定したが、それをすり抜けて彼女のオーク材の指先が私の襟口を不器用につまんだ。
「でも服の後ろ前が逆だ
「でも服の後ろ前が逆だ
「え、ほんと」
 とっさに振り返ってみても、私には分からない。微妙に気恥ずかしさを残したまま部屋から出ていってなんとか部屋着を正しく着直したら、まだ手紙が書き途中だったことを思い出した。手探りで椅子のへりを掴んで座ると、手を突き出しながらタイプライタのキーの位置を確かめた。
"彼女は昔、近所の子にピノッキオと呼ばれていました。身体の一部が松の木でできているからです。お父さんに読み聞かせてもらったので、私もお話はよく覚えています。ですが、彼女はこのあだ名がとっても不満でした。それはピノッキオが嫌いだからではありません。ピノッキオは自由に身体を動かしていろんな冒険ができるのに、彼女は両親に車椅子を引いてもらわないと自分のヘッドからさえ起き上がれなかったからです。"
 またレバーを引き下げつつ、次の文章を考える。
"そんな彼女に転機が訪れたのは私と同じく、役目を果たすための施設がイタリアにできたからです。光の源の祝福を授かった彼女は、あたかも本物の手足が生えたかのように木製の義肢を動かすことができます。もちろん、魔法も私よりうんと強く放てます。その代わりに、狙いを定めるのはちょっぴり下手です。"
 キータイプの手を一旦止めて、祝福を授かったリザちゃんがどんな気持ちだったのか、自分自身の体験を通じて想像しようとした。私がいた施設は看守さんにも周りの人々にも「収容所」と呼ばれていた。お世辞にも、あまりきれいな場所ではなかった。ご飯の量は小さい私が見ても明らかに少なく、大人の人たちが怒って逆らおうとすると看守の人はもっと怒って彼らを散々ぶった。その時、施設で一番偉い人だと言われていた管制官は私たち子どもに「彼らはちょっと早めに役目を果たしたんだよ」と教えてくれた。
 いくら子どもの私でも、月日が流れるたびに「役目を果たした」人たちが施設からいなくなっていくのを見て、私たちの「役目」がなんなのか理解した。しばらくはわんわん泣いて、お父さんに会いたいと看守にも管制官にもお願いしてみたけれど、だんだん施設の人を困らせれば困らせるほどかえって「役目を果たす」日が早くなりそうな気がして、だんだん隅っこでおとなしく過ごすようになった。
 そうしているうち、役目を果たすことが本当に良い行いなのだと分かるようになってきて、今度は早く役目を果たしたいと施設の人にお願いしはじめた。今思うと、ずいぶんわがままな子どもだったと思う。
結局、一年ほど経った後、施設の中で私より先にいる人を見かけなくなった辺りで、ようやく出番が回ってきた。
 やたら扉が多い部屋だった。部屋の中の部屋の中の部屋の中に案内されて、気づいたら案内してくれた施設の人はどこかにいなくなって、私はひとりぼっちだった。誰かを呼んでも返事がないし、声も全然響かない。すごく怖かったけれど、その後にすごい出来事があってなにもかも吹き飛んだ。
 視界の中に白いまんまるが見えた。これが「白」なんだ。みんなが「白い」って言っているのは、これのことなんだとどうしてかすぐに分かった。私が前に一歩踏み出すと、まんまるはちょっぴり大きくなった。後ろに後ずさると、ちょっぴり小さくなった。三歩進むと、かなり大きくなって、肌に温かみを感じた。手を伸ばせば触れそうだと思った。
 手を触れた途端、まんまるはまんまるじゃなくなって、長細くぐにゃりと曲がって私の中に入ってきた。全身が熱かった。熱すぎて息ができなかった。鉄臭い匂いがした。これは白色と違って知っている。間違って紙で手を切ってしまった時に嗅いだことのある匂いだ。血の匂いだ。
 次に目が覚めた時、身体中がべとべとしていた。どこもかしこも鉄の匂いが立ち込めていたので、私はすごく血が出ているのだと分かった。そんなに血が出ているのなら、きっとけがをしているに違いない。私はその部屋を出て、けがを治してもらおうと思った。でも、手探りで見つけたドアは押しても引いても開かなかった。
 もう一度、施設の人を呼んでみても返事はない。私はとうとういらいらして、力任せにドアを両手で押した。
 すると、ドアはすごい音を立てて折れた。薄いブリキの板みたいに、ひどく折れ曲がっているようだった。もっと押し続けるとドアはぺしゃんこに潰れて、通り道ができた。
「動くな!」
 道の先を歩いていると、突然、男の人たちがそう口々に叫ぶ声が聞こえた。かちゃかちゃと金属が鳴る音がとてもうるさかった。「だあれ?」と聞くとまた「動くな!」と怒られた。不思議なことに、男の人が叫べば叫ぶほど、真っ暗闇の視界の中の白い線が波打って、お人形のような形を作り出した。どうやら男の人たちは横一列に並んでいて、手におそろいのなにかを持っているみたいだった。私がそれがなんなのか知りたがった。
「それ、なにを持っているの」
 前に歩いて手を差し出すと、直後、すごい音がして、私は後ろに押し倒された。お腹の辺りがじんじんとしたので、手でまさぐると石ころのようなものが見つかった。
「えいっ」
 投げつけられた石ころを投げ返すと、鋭い悲鳴が部屋中にこだました。男の人がそういうふうに叫ぶのを初めて聞いたので、私はとてもびっくりした。どんどん石ころが投げつけられたので、私も一生懸命に投げ返した。白い線のお人形が全部見えなくなった後、管制官が部屋に入ってきて「遊びは楽しかったかい」と尋ねたので、私は正直に「ううん、あんまり」と答えたのだった。
 鉄臭い匂いは、施設に入って初めてお風呂に浸かる許しが得てからも、しばらくとれなかった。