13話から
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Rikuoh Tsujitani 2024-03-14 23:17:32 +09:00
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 リザちゃんは壊れた義足の根元をぷらぷらとさせながらも、黙って背負われていた。ただ、帰り道、耳元で静かに尋ねた。  リザちゃんは壊れた義足の根元をぷらぷらとさせながらも、黙って背負われていた。ただ、帰り道、耳元で静かに尋ねた。
「……どこへ行くの」 「……どこへ行くの」
 私は今まで感じたことがない彼女の重さを背中に受けながら、なんとか答えた。  私は今まで感じたことがない彼女の重さを背中に受けながら、なんとか答えた。
家だよ。お手紙を書かなくちゃ」 「お手紙を書かなくちゃ」
 だって戦う以外にはそれしかやることがないんだもの。  だって戦う以外にはそれしかやることがないんだもの。
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 改行はもうしない。紙を自分で引き上げて続きを書く。  改行はもうしない。紙を自分で引き上げて続きを書く。
”一週間も経つのに怪我の治りが悪いです。手で肌をなぞると、身体のどこを触っても銃創で穴ぼこだらけなのが分かります。私のお腹もえぐれたままです。なのに、相変わらず空腹でたまりません。この前のソ連兵たちはあまり食糧を持っていませんでした。なんだかずいぶん近いところから出撃しているみたいです。” ”一週間も経つのに怪我の治りが悪いです。手で肌をなぞると、身体のどこを触っても銃創で穴ぼこだらけなのが分かります。私のお腹もえぐれたままです。なのに、相変わらず空腹でたまりません。この前のソ連兵たちはあまり食糧を持っていませんでした。なんだかずいぶん近いところから出撃しているみたいです。”
 沈みきったキーを押し戻しながら、ちょっと考え込んだ。でも、結局は書いてしまうことにした。  沈みきったキーを押し戻しながら、ちょっと考え込んだ。でも、結局は書いてしまうことにした。
”私たちはもうこらえきれません。ブリュッセルで懸命に戦っていらっしゃるお父さんにも、総統閣下にも、療養中の先輩方にも申し訳ないですが、目の見えない私にリザちゃんのお世話はできません。明日にでも、彼女を背負ってベルリンに帰投するつもりです。” ”私たちはもうこらえきれません。ブリュッセルで懸命に戦っていらっしゃるお父さんにも、総統閣下にも、療養中の先輩方にも申し訳ないですが、目の見えない私にリザちゃんのお世話はできません。明日にでも、彼女を背負ってベルリンに帰投するつもりです。”
 ふと、私は立ち上がって左へ三歩、振り返って前へ二歩進む。そこにリザちゃんのベッドがある。
「おトイレ行く?」
「……うん」
 脚が壊れてからリザちゃんはすっかり口数が少なくなった。あんなに威張りんぼだったのに、今ではトイレすら遠慮がちだ。一度、日記を書くのに夢中になっていて彼女の世話を忘れていたら、ベッドの上で粗相をしていた。彼女が言うには何度か声をかけたというのだけれど、私には聞こえていなかった。一〇〇メートル先の物音さえ聞き取る私の耳が、ハキハキしたリザちゃんの声を素通りしてしまうなんて考えられない。ともかく、私に細かい清掃作業は難しかったので窓から汚れたシーツをマットレスごと投げ捨てた。他の部屋から新しいものを持ってくる方が楽だった。
 人をおぶって運ぶのは無線機を背負うのとはだいぶわけが違う。少しでも重心を誤るとたちまちバランスを崩してしまう。オーク材の手がするりと首筋から抜けて転がり落ちると、なんだか変な音がする。いっそ文句の一つでも言ってくれた方が気楽なのに彼女はそれでもなにも言わない。
 今日のトイレは長かったので、彼女も月のものが始まったのだと思う。しかし私はあえてなにも言わず「終わった」とドア越しに言う彼女を便座から引き上げて、部屋までの道を慎重に戻る。
「ねえ」
 自分の背後に向かって語りかける。
「なに」
「そろそろベルリンに戻ろっか」
「……うん」
 今日は身支度をしないといけない。
 部屋に戻ると、長らく隅っこに置かれっぱなしの無線機がザーザーとノイズ音を鳴らしていた。それがなにを意味をするのか悟った瞬間、私は危うくリザちゃんを放り捨てかけた。なるべく急いで彼女をベッドの上に寝かせた後、私は所定の歩数を刻んで机の上のインカムを頭にかぶった。ダイヤルをわずかにずらすと、すぐに鮮明な声が聞こえた。
<こちらアルベルト・ウェーバー管制官准将、配下の魔法能力行使者がいたら応答せよ、繰り返す……>
「管制官!」
 私はその脳を揺さぶるほど甘美な声にすがるようにして、インカムに向かって叫んだ。直後、ぴたりと止んだ管制官の声が、ややあって慎重に問いかけてくる。
「その声は……マリエン・クラッセ大尉で間違いないか? 帝国航空艦隊所属のマリエン・クラッセ大尉か?」
「さようでございます! 私はマリエン・クラッセ大尉です!」
 お腹の中の空気を全部絞り出す勢いで叫んだ私の頬は、もうすでに涙でひたひたに濡れていた。
<そうか。リザ・エルマンノ大尉も一緒か?>
「はい! 彼女も一緒です!」
<ポーゼンを占領していると聞いているが、間違いないか?>
「はい! もうかれこれ一ヶ月以上になりますが、私たちは懸命に――」
<そうか、そうか。今すでに向かっている。すぐに着く。よく見える場所で待機していてくれ。通信終了>
 通信が途絶えてハムノイズだけが耳を満たすようになっても、私はしばらくその場に固まって半分えぐれたお腹の底からせり上がる多幸感を噛み締めていた。
 管制官が迎えに来てくれた。もし、ベルリンが攻め落とされていたらそんなことはできない。
 戦争は終わったんだ。
 私たちは勝ったんだ。
 イギリスのチャーチルにも、アメリカのトルーマンにも、ソ連のスターリンにも勝ったんだ!
 ばたばたばたと遠くから聞こえる戦闘機のプロペラ音は聞き間違えようがなかった。私たちのフォッケウルフ。それらが二機で先導して、後ろを輸送機が飛んでいる。
 慌てて外に出ていこうとしたが、今の私のドレスは間違いなく上官の前に出るには汚れすぎていることに気がついた。ちょっぴり考え込んで、四月から着ていない外套の存在を思い出した。あれはまだそんなには汚れていないはずだ。今の季節に着るには暑苦しいけど前のボタンをしっかり留めればそれなりに格好がつく。
 追加の連絡に備えて久しぶりに無線機を背負い込むと、今度はリザちゃんを運べなくなる事態にも思い当たる。本来なら二人揃ってお迎えに上がるべきだが、でもこればかりは、仕方がなかった。
「リザちゃん! 管制官のお迎えに行ってくるね!」
 かつてなく弾んだ声でベッドに向かって叫びつつ、返事を待たずに外へと飛び出した。
 プロペラ音を頼りに前へ前へ、まるでスキップを踏むようにして駆け出す。
 ほとんど真下までたどり着いたところで無線機から声がした。
<あー、人影が一つ見えるが、マリエン・クラッセ大尉か?>
 私はもう歓喜と感動の濁流に巻き込まれて泣き叫ぶ寸前だった。
「さようでございます! ただいま、管制官のお膝下まで参りました!」
<なるほど、しかしリザ・エルマンノ大尉の姿が見えないようだが?>
 私はちょっと言葉に詰まったが、もう見栄を張る理由はないと思った。
 戦争は終わったんだから、彼女も安全な場所で新しい脚をもらえるだろう。
「あの、たいへん恐縮ですが、リザちゃ――リザ大尉は、その、脚を負傷しておりまして、治療を要する状態です」
<……リザ・エルマンノ大尉は自ら動けないのか? 間違いないな?>
 再三、問い詰めるような管制官の質問にかすかな違和感を覚えつつも私は努めてはきはきと答えた。
「さようでございます。できれば、然るべき後に、診察をお願いできればと――」
<そうか。それは都合が良かった>
 ぶち、と無線機の通信が切れた。一時保留ではない。完全に向こうの電波が出力を止めている。
 一体、どうしたのかしら――
 ますます深まった違和感は直後、強制的に中断を余儀なくされる。
 よく耳に馴染むMG151航空機関砲の二ミリ弾が雨のように降り注いで、またたく間に私の全身を貫いたからだ。受け身をとる間もなく後ろに倒れ込む。
 ぐるぐると取り留めのない思考が浮かんでは消え、その間に私の愛すべきフォッケウルフと輸送機は鮮やかな着地音を立ててすぐそばの地面に降り立った。たった今起こったことを何度考え直しても、結論は同じだった。
 私は味方に攻撃された。
 ただでさえ深手を負っている私の肉体は、もうまともに動く余地がなかった。一定の感覚で歩み寄る軍靴の足音に向かって、なんとか声を絞り出す。
「あの、一体、これは、どういう――あ、すいません、ハイル――」
「敬礼はもういいよ。リザ大尉はあそこに立っている建物のどこかにいるのかね」
「あ、はい、そうですが――」
 私の話の続きを絶えず遮るようにして、管制官は連れ立っている他の兵士たちに告げた。
「だ、そうだ。行って連れてこい」
「はっ」
 兵士たちの輪郭が仰向けに倒れ込む私に一瞥もくれず走り去っていく様子が映った。曖昧な縁取りで虚ろに描かれた管制官の人影が話しはじめる。
「すまないね。これも私の仕事なんだ。今から君たちを連れて行かなきゃならない」
「ベルリンに、ですか?」
 かすかな期待を込めて問うも、人影はふらふらと揺れ動いた。「いや」声の調子はいつもと変わりがなかった。
「とりあえずはニュルンベルグに連行することになっているが、その先はどこだか分からんよ」
「ニュルンベルグ――? あの、失礼ながら、私、ミュンヘンにしか住んだことがなくて――どうしてニュルベルグなのですか?」
「君は裁判にかけられるんだ。極秘のね。判決はもう決まっている。死刑だ」
 いつもは耳から脳に淀みなく伝わる管制官のお言葉が、今回に限ってはいまいち呑み込めなかった。機銃に撃たれて朦朧としているせいもあったが、一つ一つの単語が私の認識を脅かしているように感じられたからだ。
 まずもって、明らかにしておかないといけないことがある。私は慎重に口を開いた。
「あの、管制官……私たち、勝ったんですよね? イギリスに、アメリカに、ソ連に」
「いいや、負けたよ」
 管制官のお返事はまるで雑談の途中みたいに軽やかだった。
 ドイツが――神聖ローマ帝国の正当な後継者たるライヒが――負けた?
「負け――そんな――私たちの先輩は、選りすぐりの魔法戦士たちは、どうなってしまったのですか」
 彼は深く息を吐いた。まるで物分りの悪い子どもに呆れ返っているような感じだった。
「まあ、あえて言わなかった私も悪いからな。仕方がない」
「えっと、あの――」
「いいか、魔法戦士などゲッベルスが誇張した存在に過ぎない。君たちを含めても片手で収まるほどしかいない。むろん、全員とっくに戦死した。とんだ出来損ないどもだった」
 管制官の落ち着いた声色がうってかわって熱を帯びはじめた。
「我々の国、そう、ライヒ、ライヒとかいうやつはな、もうとっくに負けるはずだった。それをこの私が、俺が、変えてやったんだ。画期的な電気実験によって、古の魔法戦士を復活させることに成功した。ところが、理想と現実は違う。あたかも、そう、まさにローマ美術に登場するような、筋骨隆々のアーリア的男子こそが魔法戦士に相応しいと思っていたが――神はえてして気まぐれだ。我が国においてたった数例の成功例はどれもアーリア的資質に欠けていた」
 もはや管制官の演説には口を挟む隙がなかった。とめどなく、あふれるように次々と言葉が躍り出てくる。
「だが、俺は運命を受け入れることにした。さもなければ、神秘や呪いの類を研究している学者風情の俺などに、収容所の長、ましてや准将などという役職は決して与えられなかっただろうからさ。実際、君たちは出来損ないながらとてもよく戦った。負けて当然の戦争をいくらか引き延ばすくらいにはね。特に君たちはそうだ。こうして最後まで生き残ったんだからな。どこで拾ってきたのやら分かりもしない混血児のくせに」
 ほとんど要領の掴めない管制官のお言葉でも、最後の方だけはさすがに異議を唱えたかった。
「いえ、それはちょっと、誤解があるようですわ。私、私の父はれっきとした正当なアーリア民族です」
 それに対して管制官は鼻息を一つ鳴らして応じた。
「君に父などおらんよ。あの収容所は非アーリア的な形質を兼ね備えた個体――混血の捨て子、障害者、男が好きな男、あるいはその逆、女のふりをする男、あるいはその逆――まあそういった奇人変人、厄介者、国家のお荷物を集めて処分する施設だからな。T4作戦、というれっきとした名前も付いていた。一旦は中止されたんだが、この俺がフューラーに願い出て、そこを魔法戦士の生成実験所にする許しを得たんだ」
 管制官の説明にはまるで屈託がなかった。嘘偽りなく、飄々と胸中を曝け出しているような雰囲気が感じられた。
 私が、捨て子? 親がいない?
 でも、それは、おかしい。だって私は、毎日のようにお手紙を書いている。ブリュッセルで果敢に戦っているお父さんに向けて。なにより、思い出がたくさんある。そうだ、あの日のあのことだって。
 私は上官への非礼を極力避けて訂正を願い出た。
「それは……謹んで申し上げますと、どなたかとお間違いになられていますわ。私のお父さんは、ヘルゲ・クラッセは、小さい私の――」
「――手を取って、地図の上をなぞり、ミュンヘンの街並みを教えてくれた。そうだろ?」
「え?」
「最後はマリエン広場にたどり着くと終わる。なぜなら君の名前の由来だからだ。知らないわけがない。俺が考えたエピソードの一つだからな。”管理番号四七、クラッセ家の物語”だ。番号の通り、他にも色々なバリエーションがある。いいかね、君は捨て子だ。親はいない。混血児で、障害者で、国家のお荷物だった。それをこの俺が使い物になるようにしてやったんだ」
 言い表しようのない脱力感が全身を襲った。機銃で打ちのめされるよりもよっぽど身体が痛かった。
「私、私は……アーリア民族では、なかったのですか」
 管制官は最後まで呆れた口調を崩さなかった。
「君のような薄汚い肌のアーリア民族がいてたまるか。鏡を見たまえ――と言いたいところだが、そう、君は目がろくに見えなかったな。不幸というべきか、逆に、幸福というべきか」
 兵士たちの足音が遠くから迫ってくる。二つ並んだ人影の間には別の輪郭が抱え込まれている。
「リザ大尉かね」
 管制官が尋ねるも、答えたのは兵士の方だった。
「すいません、抵抗されたので措置を施しました」
「おいおい、殺しちゃいないだろうな、頼むよ。俺の亡命がかかってるんだ」
 彼女が視界の端に消えると、しばらくして戻ってきた兵士たちが今度は私を担ぎ上げる。
「リザ大尉はどうなるのですか」
 これにも、管制官の回答は淀みない。
「君と同じだよ。死刑だ。だが気にするな。色々と罪状は並べ立てても、結局は政治闘争なのさ。連中――イギリス、アメリカ、フランスはもうとっくに、ソ連と対決する未来を思い描いている。君だって一度か二度は見たんじゃないのかね、ソ連が作った魔法戦士を」
 あの季節外れの吹雪が吹いた日、気が狂ったように暴走した捕虜の一人。彼の人間離れたした仕業の数々は明らかに魔法能力の一端を示していた。
「共産主義は唯物論だからな。あまり神秘だとか呪いだとかが根底にあるものは重用したくないんだろう。とはいえ、そうも言っていられないだろうよ。じきにどの大国も必ず魔法能力行使者を戦力として保持するようになる。それと同時に、敵の魔法能力者を殺す兵器も実験しなくちゃならん。俺の今の仕事は、ソ連に奪われる前にその研究材料を連中にくれてやることだ。君たちごとね」
 イギリス、アメリカ、フランス、ソ連、管制官、亡命。
 ニュルンベルグ、裁判、死刑。
 捨て子、障害者、混血児。
 短い間に矢継ぎ早にもたらされた言葉の数々がぐるぐると渦巻いて、私の朦朧とした意識をやすりのように荒く無惨に削り取っていく。
 私にはもうなにも口を開く必要がなかった。
 管制官は私の質問にきちんと答えてくれた。
 ただ、そのどれもが、私の信じていた理想、大義、現実からかけ離れていただけに過ぎなかった。
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