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Rikuoh Tsujitani 2023-10-15 22:59:27 +09:00
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title: "戦略級魔法少女ってなんだ?"
date: 2023-10-15T22:57:35+09:00
draft: true
tags: ['essay']
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最近「戦略級魔法少女」という概念が巷で広まっているらしい。このテーマを理解するには魔法少女の文脈で語られてきた作品の系譜をおさらいしておかなくてはならない。まず、子供向けアニメとしての魔法少女がいて、困っている人々を助けたり騒動に巻き込まれたりする。「魔法を使う少女」にまで定義を広げると羊皮紙と筆ペンの時代まで遡らなければならないので、さしあたりこの辺りから始める。
して、この魔法少女、冒頭は人助けや生活の用を足す役割に満足していたが、じきに悪との抜き差しならぬ対決を迫られる。または、自分自身がその悪と誤解されるような騒動に巻き込まれて、いずれにしても魔法の物騒な一面に気づかされる。しかしこれは「魔女」や「まじない」の原典というか、現実の歴史認識からすると真逆のアプローチだ。
文明の開闢、人の世の理(ことわり)を超えた力を行使するのは神への冒涜であり、王権や時の権力に対する反逆と見られてきた。したがって「魔法」とは元々が邪悪な文脈を帯びる能力に他ならず、信仰に背く者や政敵には先回りして「魔女」のレッテルが貼られる。そして、これを排除せんと試みる――なお、魔女とは言うが必ずしも女性ばかりが名指しされていたわけではない――いわば烙印の働きを持っていた。
我々がよく知る「魔法少女」の牧歌的雛形とはそこから脱却した、純粋に技術的なものの延長だろうとひとまずはあたりをつけることができる。作中の魔法少女は図らずも攻撃性を発揮したためにしばしば迫害を受けるが、この段階では双方ささやかな範疇に留まる。最終的に物語は悪を打倒するか和解を経て平穏無事に大団円を迎える。
一方、女児アニメとしての魔法少女が台頭してくると、変身ヒーローものや特撮ものに近い性格を帯びはじめる。おそらくこの辺りで「魔法少女は戦ってナンボ」との認識が共有されてきたのだろう。なんなら魔法のみならず肉弾戦も颯爽とこなしせみせる。僕は初代プリキュアの例の格闘シーンをリアルタイムで観た世代だが、あれはまことに革新的だったと思う。可愛い衣装を着た女の子同士が傷だらけになりながらマジで格闘技をかけあって殴り合っているのである。
もっとも、さすがに過激すぎるとのクレームもそこそこ寄せられて以降はあまり露骨に痛そうなステゴロはやらなくなったらしい。女児アニメの本当の顧客は子どもじゃなくて親だからしょうがないと言えばしょうがない。しかし表面上は痛そうではなくなっただけで「魔法少女=戦闘要員」の図式はこの時、確実に成立を果たした。
同時に、魔法少女は戦闘要員ではあるものの、その少女性をひときわ強調させる要素として「変身」の設定がある。同じく変身はするが元の姿も大抵は訓練された特殊部隊員の「変身ヒーロー」、常に魔法が使えるファンタジー世界の「魔法使い」や「魔女」、あるいは少年漫画やアメコミヒーローものに代表される「能力者」との違いがここに現れている。変身していない魔法少女はまったく無力の少女であって、そこには自制を要する暮らしとは無縁の平和な日常と、いざという時に戦闘力を発揮できない葛藤の両面性がエッセンスとして存在する。
逆にまた、魔法少女のそばにいる人々にとってはごくありふれた少女としての側面と、杖を振るなり殴るなりすれば岩をも砕き悪を屠る超人としての側面のどちらを受容すべきか大いに悩むところとなる。前者に慣れ親しんだキャラクターが後者の側面に恐れをなして拒絶したり、逆に後者の能力に頼もしさを抱いていた人が前者を見て失望する……そういった人々の態度はおのずと魔法少女の側にも伝わり、際限のない苦悩を生んでいく。
一連の例は「魔法少女=戦闘要員」以後の作品では典型のものではあるが、これらをエスプリではなくメインコンテンツに押し上げて「魔法少女」の印象をがらっと変えてしまった作品が他ならぬ「まどか★マギカ」である。魔法少女といえばなんかすごく苦しむんだろう、みたいな由々しき先入観を植え付けたのは本作の功罪だ。
それを援用するように敵はどんどん強大で容赦がなくなり、巻き込まれる無辜の市民はやたら増え、もちろん魔法少女の戦闘力も加速的にインフレを重ねる。あまりにも強力すぎる能力が時には善良な人々さえも危険に晒し、それがさらに本来は無垢な少女であるはずの魔法少女を傷つけるかと思えば、逆に悪に染まってかつての味方が敵になり、殺すにしても殺されるにしても双方傷つきまくり、なんなら完全に手遅れになってから正気に戻るとかなんとか、苦しませる展開の導入に余念がなさすぎる。
ついにはプリキュア的なフレンドシップを超えた文字通りの百合的な性愛までもが描写されるに至り、まあ当然そんな関係は早晩に引き裂かれる定めであって一体このジャンルを支えている連中はどれだけ少女を曇らせるのが好きなんだよと感心することしきりである。ちなみに、僕は初代プリキュア以外はマジで一作も魔法少女ものを観ていない。まどマギも観ていない。なので本稿はほぼ想像で書いている。いい線いっていたら褒めてほしい。
こういった文脈タワーの突端に、おそらく「戦略級魔法少女」なる概念は生えている。「魔法少女=戦闘要員」の図式を主従逆転させて「戦闘要員=魔法少女」に発展させたのだ。魔法少女が戦闘要員的な役目を背負わされるのが過程ではなく前提として存在している。しかも「戦略級」とある通り、自然発生的にではなく国家や組織の一員か、さもなくば「兵器」として「運用」されていそうな印象だ。
この概念に基づく世界では各国、各組織が「戦略級魔法少女」を「保有」していると考えられる。なぜなら、歴史的に積み上がった文脈に倣うのなら昨今の魔法少女は圧倒的に強い。もはや一個師団よりも戦車よりも戦艦よりも強い。そんな強い魔法少女を適切に運用するには命令に基づく武力の行使が唯一の役割だと説き伏せ、あるいは洗脳し、そのためには膨大なリソースを割くことも厭わないだろう。戦略級と呼ぶからには、一人使えるか使えないかで戦況ががらりと変わってしまうためだ。
当然、魔法少女を管理する人間も善悪の彼岸をステップで飛び越えるような常人離れした傑物と考えられる。そういった「管理者」にまんまと懐柔されて信頼、あるいは恋慕に近い感情さえ抱く戦略級魔法少女は、彼ら彼女らの期待に応えるべく敵国の豚どもを杖一つで消し炭に変え、時には同じ魔法少女でさえ相対するなら容赦なく八つ裂きにせしめるのである。
ところが、ある出来事によって実は「管理者」や「国家」あるいは「組織」に抱いていた信頼がすべて偽りと気づいた時には、押し寄せる絶望と悲哀からその戦闘力を核弾頭のごとく爆発させ、自らが追われる身と相成って焼け野原と化した守るべき母国を半死半生で逃げ回り、最期の瞬間には自らが手をかけてきたかつての魔法少女と同じ惨たらしい死を迎える……。戦略級魔法少女が「複数個体」いるならもっと複雑な展開も考えられそうだ。親玉が国家なら政治劇もいける。
Discordに流れてきた「戦略級魔法少女」の文字列を眺めた瞬間に、僕の脳裏に描かれた初期のビジョンは以上のような具合だ。ずいぶん面白い話を考えたものだなとすっかり他人事の顔で続々と流れる生まれたての設定集を食んでいたら、お礼を申し上げたタイミングで「合同誌に寄稿せよ」との声がかかった。エーッ、そういうのをやるのって学生以来だな。まあ、やるけど。物書きが物を書けと言われて書かないわけがないからな。
さりとて普段の僕は「むっちゃ可愛くて強い女の子に秒でボコボコにされて日常回で馴れ合う半端な悪役になりたい人生だった」みたいなことしか考えていない。だが、あえて自分ではあまり考えないような話を書くのも時には大切には違いない。聞けば半年くらい時間があるそうなので素人なりにじわじわと文脈を生やしていくつもりだ。