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title: "三日会わざれば誰もが狂人予備軍"
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date: 2021-07-19T21:09:22+09:00
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tags: ["diary","essay"]
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時勢柄も影響しているのかもしれないが、ここのところの世間の変速具合には目を見張るものがある。
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もし世間が円運動を行っているとしたら、その速度変化にうまく追従できなくなった者から順に振り落とされ、だんだんと壁の隅あたりに溜まっていくことになる。やがてそれらが層をなして縦に横に体積を増していけば、いずれ世間と衝突する。衝突した時、運の悪い構成要素がばらばらの肉塊となって一帯は鮮血で染め上げられる。円運動は止まらない。
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インターネット上のある個人を想定する。具体的にどこの誰かは些末な問題だが、もともと風変わりな性格や価値観を持つ。さりとて異常者の類ではない。あくまで個性の一つに過ぎない。しかしながら、ある日を境に狂人と化す。
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一方、ある専業主婦や年金暮らしの老人がいる。時折、ブログやSNSなどにささやかな日常を綴っている。主張らしい主張はなく、普段の筆致は平穏そのもの。むしろやや退屈なほど。しかしながら、やはりある日を境に狂人と化す。どちらの例も、今は枚挙に暇がない。
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というと、あたかも狂人への変化はスイッチを切り替えるがごとく一遍に行われているかのようだが、実際には違うのかもしれない。たとえ長い期間を経て徐々に侵されていたとしても、一定の水準に達するまで狂人然とした出力が認められなければ、周囲にその差は感知できない。
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われわれLinuxコミュニティの間で著名なサイトの一つに[「ライブCDの部屋」](http://simosnet.com/livecdroom/)というところがある。LinuxディストリビューションのライブCD(インストールせずにOSの使用感をテストできる)を配布しているサイトだが、アクセスしてみれば判るとおりWebページの多くの領域が反ワクチン陰謀論で占められている。
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僕の知る限り、このサイトは開設間もない頃から微妙に政治的主張をほのめかす節があったものの、ある時期までは十分に配布所としての体面を保っていたように思う。当時はページ上部にちょろっとバナーが表示されていた程度に過ぎなかったから、みんな適当にスルーしつつ便利に利用させてもらっていたのではないか。なんせまだ日本語情報が乏しい頃だったので、複数のディストリのCDイメージを取得できる配布所の価値は相応に大きかったのだ。
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ところが開設して数年も経つと、ただでさえ右派寄りだった主張に民族差別的な文脈が混ざるようになり、ささやかなバナーでは飽き足らなくなったのか、珍妙な政治スローガンまでページ上に羅列されはじめた。曰く、「マスコミはアメリカの手先、中国の手先、朝鮮の手先、テレビは洗脳ボックス」とのことらしい。
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タイトルロゴの横には「韓流追放」と題した差別的な標語も併置され、この時点で既に中立的な配布所としての地位はほぼ失われていたと見える。かくいう僕も同時期に閲覧をやめた覚えがある。政治的主張は個人の勝手でも民族差別はさすがに看過できないと判断したためだ。
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それから5年余の年月が流れ、現在はご覧の有様である。当該Webサイトの管理者がいつから狂人になったと言えるのかは議論の余地が残るが、以前はレイシストであっても配布所の利便性を大きく損なうほど長々と主張をまくし立てたりはしていなかった。彼とてLinuxへの情熱は本物だったに違いない。僕からすれば完全にアウトだが、これまでは彼なりに最低限の分別を働かせていたのだろう。どうやらコロナウイルスの流行がとうとう彼を本物の狂人に仕立て上げてしまったらしい。[Web Archiveで当該のURLを時系列順に比較してみると、](http://web-old.archive.org/web/20200523164520/http://simosnet.com/livecdroom/)コロナ後から陰謀論的文章のウエイトが加速度的に増していく様子が見て取れる。
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他にも例を挙げる。Rustの職業プログラマーが書いている[「テストステ論」](https://www.akiradeveloper.com/)というブログがある。かつて日立製作所の退職エントリでバズったブロガー、といえばまだ記憶に残っている人が少なくないはずだ。あれ以降、彼は様々な苦労や研鑽を重ねたこともあって、今ではRustのコーディングで飯が食える身分に至っている。Rustで仕事ができる企業はとても希少なので、きっとブログで記している以上に努力したのだと思う。
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このブログの主は中学入試、大手企業を相手取った就活、自身の理想をかけた再就職と、人生の間で相当に難易度の高い競争を何度も乗り越えてきたせいか、基本的な論調として能力の低い人間をあからさまに下に見ている。特に中学入試の話を繰り返し持ち出してくるところから彼の思い入れの深さがうかがえる。
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一方、僕はといえば競争らしい競争は大学受験のみで、それ以前はすべて公立。新卒で就職しなかったので通常の就活も経験していない。転職はいずれも雰囲気でこなしてきた。立派な給料やキャリアより自由時間の方がずっと欲しい。僕と彼はいわば対極に位置する人間だ。だからこそ言い分を読む価値があると感じていた。
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事実、普段はイケイケドンドンの彼がひとたび不調に陥ると、途端に更新記事も希死念慮を孕ませた抑うつ気味な内容ばかりになるのはなかなか考えさせられるものがあった。僕はあまりイケイケにならない代わりに気分がひどく盛り下がることも滅多にない。
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とまあ、こんな具合に僕は僕のやり方で彼のブログを楽しんでいたのだが、例によって今やご覧の有様だ。ウィットに富んでいた文章はすっかり綻び、無闇な攻撃性だけが旺盛になってしまっている。こうなってはもはや楽しむ余地はない。無念。
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最後に例を挙げるならば、やはりインターネット上ではなく現実の人間関係がふさわしいのだろう。実家に帰ったら両親が陰謀論者になっていたとか、夫が嫁が、兄が弟が、久しぶりに会った友人が……というやつである。しかしながら幸いにも、僕はこういったケースを体験談として語る術を持たずに済んでいる。今のところ周囲の人間関係にそのような前兆は見られないからだ。
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とはいえ、決して油断しているわけではない。僕は特定の相手と接するたびにワクチンなど陰謀論と馴染みのある話題を振って、密かに抜き打ち検査を行っている。もし何かに誘導されていそうな気配を感じとったら、即座に助言を申し出る。処置は早ければ早いほど望ましい。今日は正気でも明日は狂気かもしれないのだから。
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「男子、三日会わざれば刮目して見よ」とはよく知られたことわざだが、今の世の中はさしずめ「三日会わざれば誰もが狂人予備軍」と言えよう。見慣れたWebサイトがいつの間にか陰謀論の宣伝場所になり、インテリ気取りの著名人が陰謀論の広告塔に早変わりする。気の置けない友人が陰謀論の宣教師と化し、情報の取捨選択を教育してくれたはずの親が陰謀論をがなりたてる壊れたレコーダーに落ちぶれる。今時分、狂人は神出鬼没でありながらも極めて身近な存在になってしまった。
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いささか陳腐な締めくくりだが、してみるといよいよ僕自身の正気も気にかかってくる。他所様をえらそうにあれこれ品評する輩こそが、その実、一番の気狂いだったなどというのは、フィクションでも現実でもよくありそうな話だ。実際、自己の正気だけは自分には判らない。やむを得ず、明日も円運動に加わる。
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