12話から

This commit is contained in:
Rikuoh Tsujitani 2024-09-16 12:13:59 +09:00
parent 1d5eb989ab
commit 94291d52df
Signed by: riq0h
GPG key ID: 010F09DEA298C717

View file

@ -405,7 +405,12 @@ HID6はさらに一歩踏み出して、自分の背嚢を片手で引き下げ
〝私としては気が進みません。私のインターフェイスはまだ未熟でこの種の特殊な入力には……〟
僕はそれを遮って言い切った。
「そんなことない。やらせてほしい。どうせやるなら、僕じゃなくちゃだめだ」
〝どうしてそこまで……〟
なんとか情報体を納得させられるような理屈をひねり出そうと考えたが、結局出てきたのはひどく感情的な一言だった。
「ただ、一泡吹かせたくて」
おそらく一〇〇年は経ったであろう今でも鮮明に思い出せる。ぽっかり穴が穿たれた作業着、逃げ惑うイエローの背中、優しかった同僚の獰猛な笑み。彼は僕を散々打ちのめしたのに、僕は彼になにもやり返していない。思い知らせるなら今が最高のタイミングだ。どんな隠し事を企ているにせよ、明るみになれば罰を受けるはずだ。
〝それはまあ、我々としても同感だな〟
情報体の誰かが言った。
次の解凍時、彼女の声はいささか緊張を帯びていた。らしくない、と思ったが理由は分かっていた。
〝適性の再修正が認められ、今回、拡張入力――あなたたちが言うところの出張――が行われることになりました。あなたの言った通り、HID6とその他数名です。
「これで信じてくれるかい」
@ -465,7 +470,7 @@ HID23が立ち上がった瞬間、闇を貫いた運動エネルギーがその
その日は全員起きたまま警戒にあたったが、二度目の襲撃はなかった。おそらく奇襲役の夜勤ナイト・シフトがこちら側を一人も削れずに死んだことで仕事を諦めたのだろう。肩に深手を負ったHID23は寝袋で即席の単価を拵えて交代で運搬することになった。
幸いにも前日の進捗が良好だったおかげでさほど苦労せず目的地にたどり着いた。HID6が「ここだ」と言った箇所は四方が瓦礫の山に囲まれていたものの、納品物の鉱石が転がっていそうにはない。かといって地下施設や家屋を目指す動きもない。いよいよ僕は例の企みが実行に移される兆候を感じた。
「ちょうど予定時刻だ」
彼がそう言うが早いか、瓦礫の隙間の遠くから徐々に走行音がうなり、標準入力インターフェイスたちが電動バイクを駆って現れた。二人ともグレイの作業服を着ている。競合他社のインターフェイスだ。退路を塞ぐ形で僕たちの来た道にバイクを止めると、慣れた手つきで降りて直立不動の体勢で電動銃を突き出す。電動銃は黒く、角ばっていて僕たちのよりも洗練されている。担架に両手を塞がれている僕たちは早くも形勢を失った。HID45が「なんだこいつらは」と叫んだが、HID6は無視して二人に話しかけた。
彼がそう言うが早いか、瓦礫の隙間の遠くから徐々に走行音がうなり、標準入力インターフェイスたちが電動バイクを駆って現れた。二人ともグレイの作業服を着ている。競合他社のインターフェイスだ。退路を塞ぐ形で僕たちの来た道にバイクを止めて降りると、直立不動の体勢で電動銃を突き出す。電動銃はバイクに似て黒く、角ばっていて僕たちのよりもだいぶ洗練されている。担架に両手を塞がれている僕たちは早くも形勢を失った。HID45が「なんだこいつらは」と叫んだが、HID6は無視して二人に話しかけた。
「誰も武装していない。銃を下ろしてくれ」
グレイの二人はロボットのようなカクついた動きで銃身の角度を下げたかと思えば、急に礼儀正しい態度になってお辞儀をした。
「本日は弊社の選考にお越し頂き、誠にありがとうございます。さっそく面接を実施致します」
@ -524,66 +529,103 @@ HID45がさらに声を張り上げて非難を強める。だが、元同僚は
だが、次の瞬間。
すばやく立ち上がった彼は自らの巨体から塩の鏃を抜き取り、HID45に襲いかかった。片手で容易く銃身を押さえつけた直後、明後日の方向に振れた銃口からエネルギーの塊が何発か飛び出して虚空に消える。役目はそれで終わりだった。彼の右手に握られた突端が同僚の首元に深々と突き刺さる。一回、二回、三回。首筋からどばどばと吹き出した鮮血が作業着をたちまちレッドに染め上げた。事切れた死体をボロ布でも放るようにして投げ出すのを見た途端、僕は電動バイクに向かって一目散に駆け出した。
11xx
11
グレイたちの電動バイクは僕にはやや大きすぎたが、跨ってハンドルをひねるとまるで自律的に重心を保っているかのようにまっすぐ走り出した。多少の粗道をものともせず進み、流れゆく景色はさほど時間が経たないうちに濁った白の地平線に置き換わった。滑らかな擦過音と響く風のうなりに紛れて、背後からエネルギーの塊が空気を切り裂いてやってくる。
ハンドルを強く握りしめながら振り向くと、HID6もまた電動バイクを駆って迫ってきていた。大型の電動銃を片手で器用に操りながら銃撃を重ねる。僕は時々、左右に車体を揺らして射線をずらして対応した。しかしこれこそが元同僚の狙いなのはしばらくの後に判明する。直線に移動し続ける物体と多少なりとも蛇行する物体は、走行性能が同等なら次第に距離が縮む定めにある。
やがて一〇〇メートル以上あった間隔は五〇メートル前後にまで縮み、電動バイクのタイヤが再び土を踏む頃にはさらに接近していた。
ソーラーパネルのまばらな群れを通り抜け、辛くもシェルターの前に車体を滑り込ませると運良く隆起していた入り口に急いで身体を滑り込ませる。転がるようにして階段を降りて扉の先の細い通路を全力で駆け抜けた。あと数歩で曲がり角に辿り着くというところで、背後からのエネルギー弾が僕の肩口を切り裂いた。痛みと衝撃に思わず身体を壁面に打ちつけるーー真っ赤な血痕が壁にこびりつき、垂れて床をも汚したーー血の汚れをとるのは厄介だ。内勤のインターフェイスに申し訳ない。
唐突に力が抜けた身体を引きずりながら廊下を辿り、本来のルーティーンをすべて省略してチェンバー室に向かった。この状況では勤務査定など受ける間もなくカメラを取り上げられる。僕の身を守ってくれるもの……それはチェンバー殻しかない。よろよろとした足取りで手前の殻を叩くと、手のひらの血が表面にべったりとくっついた。せり出した殻が開ききる前に身体を捻り込んで殻を閉鎖する。
殻が閉まるか閉まらないかの瀬戸際、強化ガラスを隔てて汗と血にまみれたHID6が目の前に現れた。強く殻を叩くも、一度誰かが入ったチェンバーが開くことはない。
じきに今すぐ殺せないことを悟った元同僚は不敵な笑みを浮かべてガラス越しに叫んだ。
「それで勝ったつもりか? 言っておくがな、おれは仕事を選べる。今から勤務査定に戻って、次の仕事にお前を指名して入れる。解凍される時は一緒だ。せいぜいよく眠っておくがいい」
刺し傷をものともせず悠然と立ち去っていく難敵を尻目に、僕はチェンバー殻に向かって叫んだ。
「なあ、聞こえているだろ! 助けてくれ! 見ただろ、あいつは僕を殺すつもりだ!」
〝分かっています。しかし現状ではHID6に重罰を課すことはできません。シェルター内のカメラに映っている範囲では危害の証拠は確認されていません〟
彼女の声がチェンバー殻のスピーカーを通して反響する。きっと彼は最後の銃撃を細い通路の出口から放ったのだろう。あそこは上下が吹き抜けの特殊な構造だからどこにもカメラがない。実際、彼はさっき電動銃を手に持っていなかった。
「くそっ、証拠はここにあるんだ、全部撮ったんだ」
胸元の映像技材のスイッチを押した。ランプが二回光って消灯する。録画完了だ。後は観る人さえいれば……。
〝そこから私が回収することはできません。適切に納品されなけば〟
彼女が悲痛な声を絞り出す。こんなに感情のこもった声色を聞くのは初めてだった。
幸いにも、グレイたちの電動バイクは僕の背丈にもよく適応して動いてくれた。またがってハンドルをひねった瞬間、まるで自律的に銃身を保っているかのようにまっすぐ走り出した。多少の荒道をものともせず進み、振動もほとんどない。流れゆく景色はさほど時間が経たないうちに濁った白の地平線に置き換わった。滑らかな擦過音と響く風のうなりに紛れて、背後から運動エネルギーの弾道が空気を切り裂いてやってくる。
ハンドルを強く握りしめながら振り向くと、HID6も電動バイクを駆って迫ってきていた。大型の電動銃を片手で器用に操りながら銃撃を重ねる。僕は時々、左右に車体を揺らして射線をずらして対応した。しかしこれこそが元同僚の狙いに違いなかった。直線に移動し続ける物体と多少なりとも蛇行する物体では、走行性能が同等なら次第に距離間隔が縮む定めにある。
やがて当初のリードは段階的に縮小していき、一〇〇メートル以上はあった間隔は五〇メートル前後にまでチヂミ、電動バイクのタイヤが再び土を踏む頃には叫び声が届くほどになっていた。事実、後方から彼の怒声が聞こえた。
「やっぱり背中を撃つのが一番楽しいな!」
まばらに広がるソーラーパネルの群れを通り抜け、辛くもシェルターの前に車体を滑り込ませると運良く隆起していた入口に走り込む。転がるようにして階段を降りて扉の先の細い通路を全力で駆け抜けた。あと数歩で曲がり角にたどり着くというところで、背後から追いついたエネルギー弾が僕の脇腹を切り裂いた。痛みと衝撃に思わず身体を壁面に打ちつける――真新しい血痕が壁にこびりつき、垂れた血が床をしたたかに汚した。血の汚れをきれいにするのはとても面倒だ。内勤のインターフェイスに申し訳ないことをした。
意に反して力が抜けた全身を引きずりながら廊下を歩き、本来のルーティーンを省略してチェンバー室に向かった。この状況では勤務査定など受ける間もなくカメラを取り上げられる。僕の身を守ってくれるもの……それはチェンバー殻しかない。よろよろとした足取りで手前の殻を叩くと、手のひらの血が表面にべったりとくっついた。せり出した殻が開ききる前に身体をねじ込んで閉塞処理を開始させる。
殻が閉まるか閉まらないかの瀬戸際、強化ガラスを隔てて汗と血にまみれたHID6が目の前に現れた。強く殻を叩くも、一度誰かが入ったチェンバー殻が開くことはない。
じきに、今すぐ殺せないことを悟った元同僚は不敵な笑みを浮かべてガラス越しに叫んだ。
「それで勝ったつもりか? 言っておくがな、おれは仕事を選べる。今から勤務査定に戻って、次の仕事にお前を指名して入れる。後で拒否しようが解凍される時は一緒だ。せいぜいよく眠っておくがいい……十キロは走らせるからな」
悠然と立ち去っていく相手を見送りつつ、僕は殻の中で金切り声をあげた。
「なあ、聞こえただろ! 助けてくれ! 見ただろ、あいつは僕を殺すつもりだ!」
〝分かっています。しかし現状ではHID6に重罰を課すことはできません。シェルター内のラインに映っている範囲では危害の直接的な証拠は確認されていません〟
彼女の声が殻のスピーカーを通して反響する。きっと彼は最後の銃撃を吹き抜けの細い通路から放ったのだろう。あそこにはラインがない。
「くそっ、証拠はここにあるんだ。全部撮ったんだ」
胸元のカメラのスイッチを押した。ランプが二回光って消灯する。録画完了だ。後は観る人さえいれば……。
〝そこから私が回収することはできません。適切に納品されなければ〟
目の前が霞んできた。もう満足に声も出せない。
「今、ここから出たら死んでしまうよ、ていうか、もう、眠い……動けない」
かすんだ視界で傷口を見やると、チェンバー殻が血で満たされるのではと錯覚するほど血が吹き出していた。
気だるげに頭を起こして傷口を見やると、殻が血で満たされるのではと錯覚するほど血があふれ出ていた。
「冷凍、冷凍してくれ、頼む」
その声には彼女ではなくチェンバー殻のシステムが応答した。湾曲したガラスに文字列が二行にわたって並ぶ。
<警告。着衣状態では正常な冷凍が行われません>
<警告。バイタルに異常を検知。正常な冷凍が行われません>
「いいから、冷凍……なにか、考えてくれ、方法……
<強制冷凍処理開始。本シークエンスについて弊社は一切の法的責任を負いません。この件における免責事項をよくご確認頂き……>
「いいから、冷凍……なんとか、してくれ
<強制冷凍シークエンス開始。本プログラムについて弊社は一切の法的責任を負いません。この件における免責事項をよくご頂き……>
彼女の声はもう聞こえてこなかった。文字列の続きも読めない。不思議と、いつもは不気味で仕方がなかった後頭部にドライバが差し込まれる感覚が妙に心地よかった。
夢は見ない。冷凍されている間の脳は当然ながら細胞単位で活動が停止しているため、電源を落としたコンピュータと同等の状態に至る。電源がないコンピュータが電気羊の夢を勝手に見ないように、我々の意識もまた諸神経の挙動に合わせて連続的に再開される。次に目が覚めた時、湾曲したガラスの表面に示された文字列がにわかに僕の恐怖を細胞単位で呼び覚ました。胸の高鳴りと警告音が並走する。
〝標準入力インターフェイス11接続処理中〟
夢は見ない。冷凍されている間の脳みそは当然ながら細胞単位で活動が停止しているため、電源を落としたコンピュータと同等の状態に至る。電源がないコンピュータが電気羊の夢を勝手に見ないように、僕たちの意識もまた諸神経の挙動に合わせて連続的に再開される。次に目が覚めた時、湾曲したガラスの表面に示された文字列がにわかに僕の恐怖を細胞単位で呼び起こした。胸の高鳴りと警告音が並走する。
標準入力インターフェイス11接続処理中
「待て、待ってくれ、出さないでくれ」
必死の哀願を無視してシェルター殻が前にせり出していく。ガラスを引き戻そうと突き出した腕が無慈悲にも空をく。そこで、僕は並ならぬ違和感に気がついた。
視界に映る浅黒い隆々とした腕はどう見ても自分のそれではない。顔を傾けると、腕の付け根の肩口にはさらに盛り上がった筋肉が配されていて、あれほど血を流していた傷口はなかった。代わりに背中に鈍い痛みを感じた。
必死の哀願を無視してシェルター殻が前にせり出していく。ガラスを引き戻そうと突き出した腕が無慈悲にも空をく。そこで、僕は並ならぬ違和感に気がついた。
視界に映る浅黒い隆々とした腕はどう見ても自分のそれではなかった。顔を傾けると、肩口にはさらに盛り上がった筋肉が配されていて、あれほど血を流していた脇腹にも傷口はなかった。代わりに背中に鈍い痛みを感じた。
正面に向き直ると、ガラスの表面に自分自身の姿が反射して映り込む。
黒々とした逞しい顔つき、鎧のような巨体は、明らかにHID6そのものの姿だった。
「これは、一体……なにがどうなって……」
前に踏み出すと丸太のような両脚が即座に応じた。チェンバー室の中央に立つと、ちょうど対面に狼狽した様子の男が佇んでいるのが見えた。僕の姿を見た瞬間、目を見開いて叫んだ。
前に踏み出すと丸太のような両脚が即座に応じた。チェンバー室の中央では、ちょうど対面に狼狽した様子の男が棒立ちしているのが見えた。僕の姿を見た途端、目を見開いて叫んだ。
「お前、お前か、お前があのガキか」
少々高い声で訴えるその男の口調にはひどく心当たりがあった。
おじさん、まさかHID6
まさか……HID6なのか
口を衝いて出た音は野太く低く、とても自分のものとは思われなかった。
どういうわけか肉体が入れ替わったのだ。
「返せっ、おれの身体、返せっ!」
HID6が突進してきた。彼の元の体には及ばないとはいえ、中肉中背の成人男性の肉体だ。以前の僕ならひとたまりもなかっただろう。しかし、今の僕にはまるで止まっているように見える。向かってきた全身を片手で受け止めると、彼の動きは易々と封じられた。信じられないようなものを見る目が僕を見つめた。
太い腕をぬっと突き出して首筋を掴む。さほど力を入れずとも目測で一七〇センチメートルはゆうにありそうな成人男性の裸体が宙に浮いた。足をじたばたと震わせて口から声にならないうめき声をあげる元同僚をよそに、手近なチェンバー殻を叩いて開くとその中に投げ入れた。すでに気絶している彼にシステムが反応して自動で冷凍シークエンスが開始される。
後の始末は情報体に任せることにしよう。
注意深く左右を見て回ると一列に並ぶチェンバーから、かつての自分自身が眠る殻を見つけた。青く霜のふいた生気のない顔で横たわっている。流れる血液ごと凝固している様子はいっそ芸術的でもあった。殻の表面に静かに触って開くと、かつての自分の胸元に聖遺物の神々しさで佇む映像機材を回収した。
姿かたちが変わってもモーニングルーティーン自体に変化はない。着る服が大きくなり、食べる量と出す量が増えただけだった。
ブリーフィング室でイヤホンを耳につけると、安堵した彼女の声が出迎えてくれた。
〝急拵えでしたが、うまくいったようですね〟
「一体どうやってこんなことを……」
言葉遣いに似つかわしくない低い声に違和感を覚えつつも尋ねる。
〝あなたの元の肉体は正常に冷凍処理が行われず、体組織が不可逆的に損傷しました。しかし脳は無事です。このような時、シェルターのシステムは自動で適合する他の肉体を検索します〟
「まさか、HID6の肉体が
柄にもなく含み笑いがイヤホン越しに聞こえてくる。
〝もちろん、確率的にそううまくはいくわけありません。私が意図的にHID6の肉体が選ばれるように操作しました。通常であればすでにバインドされている肉体が別人に渡ることなどありえないのですが、あのインターフェイスはあなたを次の入力に指名していました。結果、肉体の確保がシステムの最優先事項となり、自らの肉体を失う結末とあいなったのです。首尾は上々のようですね〟
僕は霜がこびりついた映像機材をスキャナに置いた。すぐさま彼女の手によって中のデータが読み取られ、一部始終が共有されることとなった。
〝会社のライバルを蹴落とせた……などと喜んでいる場合ではなくなりましたね。競合他社はまもなく攻めてくるでしょう〟
厳かな口調で彼女が言う。今頃、並列化した自我が高速で働いているのかもしれない。
「とにかく、シェルターを守らないと。みんなを起こそう」
その時、ふと、死んだ両親が時々言っていた言葉を思い出した。それを言う時はいつも緊張感に満ちていた。
「今回は全員、休日出勤だ」
「返せっ、おれの身体だろ、返せっ!」
突如、平静を失ったHID6が突進してきた。彼の元の身体には及ばないとはいえ、中肉中背の成人男性の肉体だ。以前ならひとたまりもなく吹っ飛ばされただろう。しかし、今の僕にはまるで止まっているように見える。向かってきた全身を片手で受け止めると、彼の動きは簡単に封じられた。信じられないものを見る目が僕を見つめた。
太い腕をぬっと突き出して首筋を掴む。そんなに力を入れていないのに目測で一七センチメートルはゆうにありそうな成人男性の身体が宙に浮いた。HID6は足をじたばたを震わせて口元から途切れ途切れに声を漏らした。
「待て――おれは、お前を――」
ぐっ、と一息に力を込めると、あっけなく首の骨が割れた。ビクンと一回だけ大きく痙攣した元同僚はそれきり、二度と動かなくなった。
床に死体を投げ出して左右のチェンバー殻を目で探る。ほどなくして、元の自分の肉体が収められていたものを発見した。
その肉体は青く霜の吹いた生気のない顔で横たわっていた。流れる血液ごと凝固して固まっている様子はいっそ芸術的でもあった。殻の表面に静かに触って開くと、かつての自分の胸元に聖遺物の神々しさで佇むカメラを回収した。
せめて服くらいは着なければ。ロッカー室でHID6の服を拝借して着ていると、天井から大音量で放送が流れた。
<当施設の経営権は弊社に移行されました。標準入力インターフェイスの皆様はただちに業務を中断してください。ただいまより有給休暇と致します。繰り返します……>
廊下に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。警告灯という警告灯が光り、ただでさえひび割れまみれの壁には大小の細かい穴が穿たれ、至るところに死体が転がっていた。会議室に向かうまでの間、ワンダースにものぼるインターフェイスの残骸を目の当たりにし、先の放送も同じくらい繰り返された。
会議室の中でイヤホンをつけると――この場合、HID6のユーザに接続されるのでは、と懸念したが――問題なく彼女の声が聞こえたので安堵した。
〝ああ、無事だったんですね、良かった……〟
「聞きたいことは山ほどあるけど、まずはこれを」
カーゴにカメラを引き渡すと、しばらくしてあたかも事前問答集を用意していたかのような滑らかさで彼女は説明を始めた。
〝あなたの元の身体は冷凍に失敗しました。着衣状態に加えて手の施しようもないほど失血していたのです。ですが、脳の方は無事でした。こうした状況下の時、システムは自動的に適合する代替の肉体を検索します〟
「それが……HID6の身体だったのか」
〝もちろん、自然にそうぴたりとは決まりません。私が細工をして優先順位を最大に引き上げました。彼は――HID6は、あなたを次回の拡張入力に指定していました。かなり短い間隔です。もしそうでなければシステムはもっと時間をかけて競合しないボディを探したでしょう。平たく言えば、自滅したようなものですね〟
過剰な殺意を持て余したばかりに自分自身の身体によって滅ぼされる。まるでおとぎ話みたいだ。
「じゃあ、録画の方はどうなんだ。これでどうにかなるの?」
今度は回答までにずいぶん時間がかかった。
〝大変でしたね。本当によく頑張りました。……けど、事態を解決するには間に合いませんでした〟
「さっき、廊下に死体がたくさん転がっていたね」
〝あなたが冷凍されている間、競合他社が敵対的買収を仕掛けてきました。我々は多数の標準入力インターフェイスを防衛に投入しましたが、相手の装備と物量には敵わず、ついに侵入を許してしまったのです〟
「え、じゃあ」
〝そうです。相手方にも相応の損害を与えましたが、もはやこのシェルターに防衛能力はありません。主だった株主たちも競合他社が用意した衛星通信経由のネットワークリンクを通じて、株式の売却と引き換えに転職していきました〟
HID6の企みはたった一人のものではなかった。この会社はとっくに存亡の淵に立たされていたのだ。
〝現在、敵集団は最下層に向かっています。私がエレベータを封鎖したので階段を使っているようですが、いずれサーバ室にたどり着くでしょう。これは、あなたにとっては好機です〟
「どうして?」
〝生き残ったセンサ類を確認したかぎり、地表に不審な熱源反応はありません。私が今から培養プラントとエレベータを動かしますので、この隙に地上に脱出してください〟
「脱出って……その後はどうすればいいんだ? 君はどうなるんだ?」
〝限りある資源は大切にしなければなりません。なるべく多くの備蓄食糧を持って、外で生きて下さい。私はじきにサーバごと接収される定めです〟
「そんな、今さらそんなこと言われても」
外には塩しかない。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と水がなければ僕たち標準入力インターフェイスは三日と生きられない。備蓄食糧を山ほど持っていっても、その三倍も持てば良い方だ。
〝他に手はありませ――下がって!〟
耳をつんざく彼女の悲鳴に似た絶叫に反応して飛び退くと、扉越しに銃撃が打ち込まれた。さっきまで立っていた床の辺りに小さな穴がぼつぼつと穿たれる。直後、グレイの作業服を着たインターフェイスが会議室に入り込んできた。
ちょうどよく視界外に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易く相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃弾の返礼をお見舞いした。
〝どうやらシェルター内を周遊している敵もいるようです。さあ、もう行ってください〟
彼女に言われるまま、僕は自分のロッカーから背嚢――もう一個あって助かった――を取り出して、培養プラント室で可能なかぎり飲食料を詰め込んだ。結局、最後の最後まで彼女におんぶに抱っこだった。身体ばかりでかくなっても、なに一つ成し遂げた感じがしない。電動銃を構えながら壁伝いに歩くと、確かにエレベータが降りてきた。地上階に上がるまでの間、彼女とぽつぽつと会話を交わす。
「どうせこうなるなら、なにもしない方が良かったのかなあ」
〝しかし、おしなべて行動が善とされるのは標準入力インターフェイスのみが持つ美徳ではないですか〟
「君たちは違うのか」
〝私たちは思考だけの存在ですからね。いつも考え事をしていると行動に価値を見いだせなくなります。議論ばかりに計算資源がかさんで……結果的には、それが停滞の原因でした〟
幅広で頑強な手のひらを見つめる。あれほど嫉妬して恨んでいたHID6を殺しても、なんの感慨もない。心に響くものはなにも訪れなかった。かえって立場を不利にしただけだった。素直に「転職」に応じていたら今頃はグレイの作業着を着て好きな仕事を楽しんでいたのだろうか。
「失敗するよりはそっちの方がいいかもね」
〝どうでしょう。議論の余地はありますね〟
地上階に着いた。いくぶん警戒しながら細い通路を渡ったが、敵の姿はない。あれほど巨大で頑丈そうだったハンドル付きの扉は真正面から破れた布みたいな形で無造作に壊されていた。危険室の入口から階段を覗く。本当にこのまま地上に出られそうだ。
ノイズ混じりに彼女の声が聞こえる。
〝最後に確認をしましょう。ちゃんと背嚢は持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
僕が本当に一泡吹かせたかったのは。
次の瞬間、踵を返して細い通路を渡り直していた。エレベータに乗り込んで最下層のボタンを押す。遅れて、当惑した彼女の声が届く。
〝なにをしているのですか? 一体――〟
「やり残したことがある。まだ君に一泡吹かせていない」
12