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Rikuoh Tsujitani 2024-09-02 22:39:42 +09:00
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@ -1,26 +1,32 @@
仮題:標準入力インターフェイス
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土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を下ろした。摩天楼をつくほどの巨大ビルがそびえていたという島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていたという――だけがこの辺りで唯一のランドマークだ。
この前に来た時よりも暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。目の前に広がる乳白色の地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して几帳面に切り取る。膂力の少ない身ではずいぶん手間取るが時間はたっぷりある。そうして切り取った塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。相変わらずしょっぱい。しかしミネラルと塩分の摂取にはこの上なく望ましい。なぜならこれは塩そのものだからだ。
地平線の彼方まで広がっているかのようなこれらの地面はかつて海の一部だった。大昔、人類に降りかかった未曾有の気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て巨大な塩の結晶ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていけるはずだ。どこかで塩の層が事切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の大陸か島が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕に一風変わった洞察をもたらしてくれる。
洞察が深ければ深いほど一心不乱に手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとになにがしかの文脈を負っていく。ある時には四足の動物を連想させることもあれば、小一時間も経つと全裸の人間に変わる。過程を辿るとあたかも進化の過程を表しているようでもある。原初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。
土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を落ち着けた。摩天楼を突くほどの巨大ビルがそびえていたという島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも、等しく時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていたという――だけがこの辺りで唯一、建っていると言える建物だ。
この前に来た時よりも少し暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。曇ガラスに似た平らな地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して切り取る。膂力の少ない身体ではずいぶん手間取るが暇はたっぷりある。そうして得た塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。しょっぱい。しかしミネラルと塩分の摂取にはこの上なく望ましい。なぜならこれは塩そのものだからだ。
地平線の彼方まで広がるこの平面はかつて海の一部だった。大昔、人類に降りかかった未曾有の気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て巨大な塩の結晶ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。どこかで塩の層が事切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕に一風変わった洞察をもたらしてくれる。
洞察が深ければ深いほど一心不乱に手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとになにがしかの文脈を負っていく。ある時には四足の動物を連想させることもあれば、小一時間も経つと人形に変わる。過程を辿るとあたかも生物の進化を表しているようでもある。原初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。
高く昇った太陽が傾いで地平線の彼方に隠れはじめる頃、僕の隠れた衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務評価を考えるとそろそろ帰宅しなければならない頃合いだ。現に、探索地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。
「またやっているのか」
「やっているよ」
『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした筋肉全体で呆れた様子を表現する。見るからに体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうで、背嚢は特別に大きく固い金属製でできている。手には電気銃。本来、我々は常に武器の携行を命じられているが、手が塞がる割に使う機会がまったくないため僕は毎回忘れたふりをしている。最初は本当に忘れていったのだが、勤務評価になんの影響もなかったので定番のやり口となった。
『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした肉体すべてで呆れた様子を表現する。体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうに見え、背嚢は特別に大きく固い金属製でできている。手には電動銃。本来、我々は常に武器の携行を命じられているが、重い割に使う機会がまったくないため僕は毎回忘れたふりをしている。最初は本当に忘れていったのだが、勤務評価になんの影響もなかったので定番のやり口となった。
「それ、言うほど使い道があるのか」
HID6は顔を傾けて意味ありげに口元を歪ませた。
「お前のその楽しみと似たようなものだ」
要領はいまいち得られないが、人には人の楽しみがある。あまり詮索するのも無粋だ。ぞんざいに手を振って去っていく彼の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。最後にもう一度、夕陽の強い光に照らされた固形の海面を眺める。
徒歩にして約三〇分の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。突如湧いたように現れた扉を開けると長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。
「HID11、ただいま帰還しました」
扉に向かって話しかけると、ほどなくして女性の声が返ってくる。
〝標準入力インターフェイス11、お疲れ様でした。帰還を承認します〟
以降は流れ作業だ。すれ違うのも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って成果物を提出する。表示がかすれ気味なモクロディスプレイに映し出された勤務評価は、今回もB。長年の試行錯誤と勘で見る前から結果は分かっていた。適切な成果物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
「使おうと思えばな」
要領はいまいち得られないが、あまり詮索するのも無粋だ、と会話を終えようとしたところで巨体の主が隣に並んで座り込んだのが分かった。
「今日はどこまで行ってきたんだ」
おずおずと塩の平面の向こうを指差す。
「あの辺りの対岸まで。片道二時間くらいかな」
「そうか。土いじり専門だったなお前は」
たぶん悪気はないと思うが、それでもどことなく軽んじられた気配がしたので声高らかに反論する。
「地質調査と言ってほしいな。僕が頑張って土を選り分けて拾ってくるから、センサじゃ分からないようなことだって把握できる」
「それがだめだとは言ってねえよ、ただな……」
言いかけたところで、彼は彼で時間が迫っていたらしい。隣の山が隆起して背嚢を背負い込んだ。「色々な可能性を探れってことだ。まだ若いんだから」
知ったふうな口を利いて手を振って去っていく彼の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。最後にもう一度、夕陽の強い光に照らされた固形の海面を眺める。
可能性ってなんだ。僕はこの夕暮れを浴びるだけですごく満ち足りているのに。
徒歩にして約三〇分の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。突如現れた長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。少し待っていると勝手に開く。
後は流れ作業だ。すれ違うにも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って成果物を提出する。表示がかすれ気味なモクロディスプレイに映し出された勤務評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な成果物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
〝標準インターフェイス11、切断処理に入ってください〟
作業着と背嚢を中身ごとロッカーにしまい、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉鎖されて表面に文字が浮かぶ。
イヤホンから聞こえる女性の声に従って残りのルーティーンを続行した。
作業着と背嚢とイヤホンを中身ごとロッカーにしまい、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉鎖されて表面に文字が浮かぶ。
〝切断処理開始〟
途端、深く心地よい眠気に襲われて目を閉じざるをえなくなる。意識が沈む寸前、密着した後頭部にドライバが差し込まれる感覚がかすかにした。
@ -91,9 +97,9 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに口元を歪ませた。
「私の知ったことではないな。指示通りの成果物を納品できなければ勤務評価に影響が出る」
相手が一歩前に踏み出したので僕も同じ距離だけまた後ずさる。文字通りの営業スマイルがひきつり出す。
「僕だってそうさ。同じ標準入力インターフェイスじゃないか。なあ、どうだろう、ここは一つ、半々で分け合ってそれで全部だったという話にするのは……」
HID39は結論の決まっている会話を続けるのに飽きたのか、背嚢から取り出した電銃をまっすぐ突きつけてきた。
HID39は結論の決まっている会話を続けるのに飽きたのか、背嚢から取り出した電銃をまっすぐ突きつけてきた。
「無事に帰りたければ今回の勤務評価は諦めるんだな」
結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、僕は身じろぎ一つできなかった。電銃を抜きしてもどのみち敵う相手ではない。
結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、僕は身じろぎ一つできなかった。電銃を抜きしてもどのみち敵う相手ではない。
「なあ……あんた」
用を済ませるやいなや口一つも利かず踵を返そうとする彼に震える声で尋ねた。
「僕はかなり長くやっているはずなんだが、仕事のバッティングなんて一度もなかった。一体どう報告すればいいんだ?」
@ -159,7 +165,7 @@ HID39は顔半分だけ振り返ってつぶやいた。無表情で抜け目な
そっけない指示にディスプレイも似たりよったりの淡白さで消灯した。いつまでも彼が見つめているのでついに気になって目を合わせると、ようやく僕に向かって口を開いてくれた。
「お前も質問した方がいいんじゃないか。やったことがないなら色々知りたいだろう」
「いや……いいよ。必要がなくなった。実は同じ質問をしようと思ってたんだ」
努めて平静を装って答えると巨体の肉体がわずかに揺れて「へえ」と微笑んだ。だが、それだけで踵を返すやいなやさっさと先に行ってしまった。慌てて僕も追いすがる。一人が乗るにしては広いと思っていたエレベータも彼と同席だとずいぶん狭く感じられた。細い通路を一列に並んで進んだ後の危険物室では、いきなり大型の電銃が投げ渡されたので取り落としてしまった。
努めて平静を装って答えると巨体の肉体がわずかに揺れて「へえ」と微笑んだ。だが、それだけで踵を返すやいなやさっさと先に行ってしまった。慌てて僕も追いすがる。一人が乗るにしては広いと思っていたエレベータも彼と同席だとずいぶん狭く感じられた。細い通路を一列に並んで進んだ後の危険物室では、いきなり大型の電銃が投げ渡されたので取り落としてしまった。
「いいか、怪しいやつがいたらとりあえず撃て。撃った理由なんて後から考えりゃいい」
銃を拾い上げて持たせてくれた彼はしかし、気遣いの反面、脅しともとれる圧力をもって僕に押し迫った。さっきまではひそかに燃えていた新しい職責への熱意も、長い階段を昇る頃には恐怖へと変わっていた。
改めて言うまでもない話だが、質問の必要がないというのは嘘だ。本当は彼女とめちゃくちゃ話したかったし、どういう危険があるのか具体的にレクチャーしてほしかった。そうでなくても配置転換を実現してくれたことへの感謝とか、感謝に対する励ましとか、そういったものが聞きたくて仕方がなかった。
@ -167,7 +173,7 @@ HID39は顔半分だけ振り返ってつぶやいた。無表情で抜け目な
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それでも透き通ったそよ風が吹く地上世界はいつも通り格別だった。金属製の背嚢は確かに重くて辛かったが、歩いているうちに重心のコツが掴めてきた。僕の先を行く山のような巨体の同僚は道連れとしては口数が少なく物足りないとはいえ頼もしくはあった。そんな彼は危険地域の土地勘があるらしく、今は電銃を折りたたんで背嚢にしまい込んでいる。僕もそれに倣って両手を揺らしながらしばらく乳白色の地面を鳴らして楽しんだ。
それでも透き通ったそよ風が吹く地上世界はいつも通り格別だった。金属製の背嚢は確かに重くて辛かったが、歩いているうちに重心のコツが掴めてきた。僕の先を行く山のような巨体の同僚は道連れとしては口数が少なく物足りないとはいえ頼もしくはあった。そんな彼は危険地域の土地勘があるらしく、今は電銃を折りたたんで背嚢にしまい込んでいる。僕もそれに倣って両手を揺らしながらしばらく乳白色の地面を鳴らして楽しんだ。
今回通っている固形の海の道筋は僕が行ったことのある方向とはだいぶ違っていた。いつもならすぐに陸地が見えたが、今日はいつにも増して晴れている日なのに対岸が朧ろげにしか映らない。太陽が頭上を通り過ぎてもまだ辿り着かず、まだ目的地にも達していないのにとうとう僕の脚は疲労を訴えだした。
自ら休憩を打診するのは気後れする、と意地を張ってさらに歩き続けること数時間。ようやく思い出したように巨体が歩みを止めて「そろそろ補給をとるか」とその場に腰を下ろした。僕は必死で疲労を隠しつつ、むしろ気が早いなとでも言いたげな顔で座ろうとしたが、脚が引きつって体勢を崩してしまい、尻もちをつく形で塩の地面に倒れ込んだ。
「無理すんな」
@ -190,16 +196,16 @@ HID6が立ち上がったので僕も慌てて残りの食事を片付けて背
一日たっぷりかけて対岸に渡り、朝方ぶりに土を踏みしめるとなんだか奇妙な感触がした。きっとこれからはこの感じが当たり前になるのだと思った。この辺りでは珍しい丘陵に昇り、下っていき、しばらくするとちょっとした湖に出くわした。案の定、一面が水ではなく塩気を含んだ個体に凝結している。含まれているミネラルや不純物の濃度の関係なのか、こっちの方は幾分か透き通っているように見えた。じきに日が落ちるから野営をするとHID6が言うので、僕は急いで湖の方向に駆け寄って片手で持てる立方体のサイズに塩の塊を削り取った。戻ってくると彼に「お楽しみ用か」と茶化されたので「いいや、このまま持っておく」とついむきになって言い張った。本当は夜のうちに造形するつもりだった。
ちょうどなだらかな傾斜が付いている清潔な地面を見繕い、そこで僕たちは野営の準備を始めた。必要なものは金属製の背嚢に全部入っていた。いかに現在の地表が温暖化しているとはいえ、夜間には氷点下をぐっと下回る。作業着よりも分厚い素材で作られた折りたたみ式の寝袋に入り込むと一転、切り裂くように吹きつけていた寒風が阻まれて全身が温まった。
「ぐっすり寝るなよ、適当な時間で交代だ」
寝袋を器用に巻き付けて身体の自由と防寒を両立させながら彼が言った。手元にはもう電銃の鈍く光るチャージライトがちらつく。
寝袋を器用に巻き付けて身体の自由と防寒を両立させながら彼が言った。手元にはもう電銃の鈍く光るチャージライトがちらつく。
「本当に競合他社が襲いかかってくるのかな、相手だって眠いんじゃ」
自力で寝るのも起きるのも初めての僕にしてみれば、そんな不確かな挑戦はしないに越したことはなかった。しかし彼は構わず腹ばいになって傾斜の向こう側に電銃のバッテリーマガジンを立てかけた。
自力で寝るのも起きるのも初めての僕にしてみれば、そんな不確かな挑戦はしないに越したことはなかった。しかし彼は構わず腹ばいになって傾斜の向こう側に電銃のバッテリーマガジンを立てかけた。
「むしろ油断ならない。夜勤<ナイトシフト>の連中がいる」
「夜勤<ナイトシフト>?」
聞き慣れない言葉だ。ひょっとしたら僕のこれまでの職分では知りえない言葉がたくさんあるのかもしれない。
「夕方に解凍されて夜のうちに勤務する凄腕の輩だ。おれもお前も大抵の仕事はものを持って帰ったり、情報を集めたりすることだが、連中は違う」
深く息を吸い込んだのか、彼の背中が一層盛り上がった。
「連中の仕事は競合他社の人員を減らして回ることだ。つまり、戦闘しかしない」
さながら血に飢えた野獣のようなイメージ像が脳裏に浮かんだ。当然、僕が適性によって今の仕事をあてがってもらったように、夜勤<ナイトシフト>にも適性があるのだろう。電銃をどこにでも百発百中で当てられるとか、夜でも眠くならない体質とか。
さながら血に飢えた野獣のようなイメージ像が脳裏に浮かんだ。当然、僕が適性によって今の仕事をあてがってもらったように、夜勤<ナイトシフト>にも適性があるのだろう。電銃をどこにでも百発百中で当てられるとか、夜でも眠くならない体質とか。
「そういう人たちと戦ったことがあるのか」
「ない、あったら生きてちゃいない。だがおれたちの会社で元夜勤だったやつと組んだことはある――早死したくなくて配置転換を希望したと言っていたが――いずれにしても、なるべく敵には回すまいと感じたな」
こんな話を藪から棒に聞かされて、限られた睡眠時間を十分に活用できるか心配で仕方がなかった。今、この瞬間にでも夜目の効く最強の使い手が自分を照準の中に収めているかもしれないのだ。
@ -207,7 +213,7 @@ HID6が立ち上がったので僕も慌てて残りの食事を片付けて背
6
ところが意外にも、次の瞬間にはごつごつとしたHID6の手に揺さぶられて起こされる羽目となった。感覚的には解凍されるのとさして変わりはない。脳みそが引き出されているかいないかの差ぐらい――にもかかわらず、外はまだ暗く何時間も経ってはいないであろうことが察せられた。同じように眠りについていても、人間の生理的なファンクションの方の睡眠はずいぶんタイムスケールが短い。
結局、いまいち覚醒しきれていない状態で指図されるがままに寝袋から出て身体に巻き付け、数時間前の彼がしていたように傾斜の前に腹ばいになった。「電銃の撃ち方は知っているな」「それは……知っている。情報化前の講習で倣った」「撃ったことは?」「ない」急ごしらえの相棒はとんだ新人と組まされたものだと言いたげに口を曲げた。だが、それでも真剣に指示を続けてくれた。
結局、いまいち覚醒しきれていない状態で指図されるがままに寝袋から出て身体に巻き付け、数時間前の彼がしていたように傾斜の前に腹ばいになった。「電銃の撃ち方は知っているな」「それは……知っている。情報化前の講習で倣った」「撃ったことは?」「ない」急ごしらえの相棒はとんだ新人と組まされたものだと言いたげに口を曲げた。だが、それでも真剣に指示を続けてくれた。
「いいか、三つだけ覚えろ。先に撃たれてお前が死んでいなかった場合、とにかく撃ち返せ。ビビって引っ込んだら距離を詰められる。次に、銃声がしたがお前じゃないやつが撃たれている場合、すぐに隠れておれを起こせ。最後に、すでに相手が接近していて取っ組み合いになった場合、大声をあげて危険を知らせろ。いいな、なにもなければ日が上がるまで監視だ」
僕は反射的に「えっ」と唸った。「じゃあ僕はもう寝られないのか」体感的には明らかに眠い。これまでの仕事では感じた試しのない感覚だ。しかし目の前の経験豊富な同僚は眉間に皺を寄せて「お前はもう五時間も寝た。俺だって同じくらい寝る権利はある」とぐうの音も出ない正論を告げたので、目の前に広がる暗闇と黙って対峙するほかない現実を渋々受け入れた。
あるいはこれが僕のこれからの仕事なのかもしれない。いつどこから撃ち殺されてもおかしくないと考えれば怖がってもいいはずなのに、十分ではない睡眠となんの代わり映えもしない黒一面の風景に、姿勢さえも変えられない窮屈さが倦怠感を身体じゅうに押し広げてあるはずの恐怖を塗りつぶしてしまう。
@ -217,14 +223,14 @@ HID6が立ち上がったので僕も慌てて残りの食事を片付けて背
だとしたら。こうも考えられる。
今の状況がずっと続いている方がよほど良いじゃないか。地上に出て応分の働きをして、用が済んだら冷凍されて、そのうちまた解凍される。人生がとても離散的なのはやむをえないが、少なくとも思い悩むことはあまりない。たまにトイレに糞が残っているとか、食事や水に喜びを見いだせないとか、そういった点に目を瞑れば今の暮らしもそんなに悪くはない。彫刻だってできる。
ただ……じゃあなんで僕はもっと楽な地質調査とか資源の回収の仕事に留まらず、より多くのことを知ろうとしたのだろう。今だって眠いのをこらえて必死に――
その時、真っ黒な風景にわずかだが光がちらついた。最初は気のせいかと思ったが、続けて二回、そして三回、光が灯る。入れ違いに別の地点でも光が灯った。やがて決定的に電銃特有の奇妙な音色が耳に届いて、いよいよ確信を得た。
その時、真っ黒な風景にわずかだが光がちらついた。最初は気のせいかと思ったが、続けて二回、そして三回、光が灯る。入れ違いに別の地点でも光が灯った。やがて決定的に電銃特有の奇妙な音色が耳に届いて、いよいよ確信を得た。
銃撃戦が行われている。
左手の閃光は派手に光っているのに対して右手の方は幾分控えめだ。だんだん激しさを増して音も大きく響いている。そこで、はたと思い出して彼を起こそうとしたところで背後から声がした。
「右のやつらが夜勤<ナイトシフト>だな」
どきりとして「起こそうと思ったんだけど」と申し開きをしかけたが、彼は平然と僕の前から電銃を持っていって自分の位置に構え直した。
どきりとして「起こそうと思ったんだけど」と申し開きをしかけたが、彼は平然と僕の前から電銃を持っていって自分の位置に構え直した。
「いや、おれが勝手に起きた。眠りが浅かったらしい」
おそらく眠りが浅いのではなく、浅く寝ていたに違いない。頼りない新人に命を預けて高いびきなど経験豊富な者の振る舞いではないからだ。
とはいえ、いちいち落ち込んでいても仕方がない。僕も自分の背嚢から電銃を取り出して開き、さっきまでと同じように置いた。
とはいえ、いちいち落ち込んでいても仕方がない。僕も自分の背嚢から電銃を取り出して開き、さっきまでと同じように置いた。
「なんで右が夜勤<ナイトシフト>だと分かるんだ。左の方がよく撃っているように見えるけど」
しゃべっていても隣の同僚の頭は照準から揺らがない。
「光の散乱具合から当てずっぽうに撃っているだけだと分かる。それに対して右側は正しく牽制している。距離を詰めきるまで逃げられないようにするためだ。ほら、見ろ」
@ -236,10 +242,10 @@ HID6が立ち上がったので僕も慌てて残りの食事を片付けて背
何事もなく太陽が上がり、食事を食べ終え、隅々まで陽光で照らされた地面を歩いていても恐怖は背筋に張りついたようにしていつまでも消えなかった。まだ殺し足りない夜勤<ナイトシフト>が昼も活動していて、四方八方のどこからか自分を狙っているのではないかと妄想に駆られた。彼らが文字通りの職分ならそんなことはありえない。そうでなくても襲撃の気配があれば僕よりも先に同僚が気がつくだろう。いずれにしてもなにかが起こる前から心配するのは杞憂でしかなかった。だが、分かっていても足取りは鉄の重さで、腹にはいつまでも溶けない氷が沈んでいた。
「ここだな」
HID6が大きな平屋建ての前で止まった時、ようやく安堵の気持ちが芽生えた。建物の中に入れば遠くから撃ち殺される可能性は低い。実際、この後の仕事はとても気楽だった。目標物はあっけなく見つかった。眼前に並ぶ砲弾らしき物体そのものは風化していてもはや役に立たないが、内部の弾芯にはタングステンが豊富に含まれている。そのまま持っていくには重すぎる砲弾も、古くなっていたおかげか背嚢の角や電銃の銃床を駆使して叩くと簡単に砕けた。同じ作業を二人で黙々と続けているうちに、ブリーフィングで示されていた分量を大幅に越える材料が集まった。
しかし意気揚々と帰り支度を整えて建物から出ようとした途端、正面にひと組の人影を認めて僕はついさっきの恐怖を胃の奥からせり出すこととなった。電銃――背嚢の中だ――目視距離に堂々と佇む二人と相対すること数秒、先に口を開いたのは相手の方だった。
HID6が大きな平屋建ての前で止まった時、ようやく安堵の気持ちが芽生えた。建物の中に入れば遠くから撃ち殺される可能性は低い。実際、この後の仕事はとても気楽だった。目標物はあっけなく見つかった。眼前に並ぶ砲弾らしき物体そのものは風化していてもはや役に立たないが、内部の弾芯にはタングステンが豊富に含まれている。そのまま持っていくには重すぎる砲弾も、古くなっていたおかげか背嚢の角や電銃の銃床を駆使して叩くと簡単に砕けた。同じ作業を二人で黙々と続けているうちに、ブリーフィングで示されていた分量を大幅に越える材料が集まった。
しかし意気揚々と帰り支度を整えて建物から出ようとした途端、正面にひと組の人影を認めて僕はついさっきの恐怖を胃の奥からせり出すこととなった。電銃――背嚢の中だ――目視距離に堂々と佇む二人と相対すること数秒、先に口を開いたのは相手の方だった。
「君らもここで物資を集めていたのかい」
背後で電銃を構えていたのであろうHID6が答える。
背後で電銃を構えていたのであろうHID6が答える。
「さあ、どうかね」
「タングステンか?」
「だったらどうだ」
@ -254,9 +260,9 @@ HID6が大きな平屋建ての前で止まった時、ようやく安堵の気
「どうだ、悪い話じゃないだろう? 多めにとったって評価はどうせ変わらないんだ、だから」
「そうだな。いいだろう」
そう言うと真後ろにいた巨体が歩を進めて隣に並び、背中の背嚢を片手で持ち上げて下ろした。
もう片方の手にはまだ電銃が充填状態で握られている。
もう片方の手にはまだ電銃が充填状態で握られている。
「だが、おれがくれてやるのはこいつだ」
銃が真横で射出されて不可視の運動エネルギーがイエローの作業服を着た相手に衝突した。それは相手の胴体に風穴を開けるには十分すぎる威力で、すでに事切れているであろう肉体はそのまま地面に崩折れた。撃たれていない方は突然の襲撃に状況を飲み込めず、まばたき数回分の間隙を経てようやく素っ頓狂な悲鳴をあげた。僕自身の悲鳴も遅れてあがった。
銃が真横で射出されて不可視の運動エネルギーがイエローの作業服を着た相手に衝突した。それは相手の胴体に風穴を開けるには十分すぎる威力で、すでに事切れているであろう肉体はそのまま地面に崩折れた。撃たれていない方は突然の襲撃に状況を飲み込めず、まばたき数回分の間隙を経てようやく素っ頓狂な悲鳴をあげた。僕自身の悲鳴も遅れてあがった。
「おい、一度しか言わねえからよく聞け。走って逃げ切れたら追わねえ。だからうまく逃げろ。ほら、走れ」
二人の醜態をよそに彼は黄色い作業着の足元すれすれに二発目を放った。ほとんど反射的に背嚢も持たずに相手は走り出した。
「おっ、けっこう速いじゃねえか」
@ -285,7 +291,7 @@ HID6が大きな平屋建ての前で止まった時、ようやく安堵の気
8
成果物を走査するダッシュボードの中にタングステンと血みどろの生首が投げ込まれて以来、僕はあっさりこの種の仕事から手を引いた。もともと適性なんてなかったのだ。モクロスクリーンに踊るA評価の文字を一瞥してさっさとチェンバー室に戻っていったHID6をよそに、いつまでも色褪せたリリウムの床に滴る血痕を眺めていた。率直に配置転換の希望を告げると彼女はむしろ安堵した様子だった。
ロッカーには金属製の背嚢が残ったままだったが、もう二度と使うことはない。中から便利そうな道具だけ拝借して、手に取るのはいつもの軽くて柔らかい背嚢だ。あれから何回かまた冷凍と解凍を経て、土と塩をいじる生活に逆戻りした。電銃も持ち歩いていない。ブリーフィングで作図される地図の縮尺は小さく、競合他社と相まみえる危険性は非常に低い。それでももし出会ったら……荷物を全部差し出すか黙って撃たれる方を選ぶ。
ロッカーには金属製の背嚢が残ったままだったが、もう二度と使うことはない。中から便利そうな道具だけ拝借して、手に取るのはいつもの軽くて柔らかい背嚢だ。あれから何回かまた冷凍と解凍を経て、土と塩をいじる生活に逆戻りした。電銃も持ち歩いていない。ブリーフィングで作図される地図の縮尺は小さく、競合他社と相まみえる危険性は非常に低い。それでももし出会ったら……荷物を全部差し出すか黙って撃たれる方を選ぶ。
僕の人生設計は完全に崩壊した。人類はきっと滅ぶ。どこでボタンをかけ違えたのか分からないが、競合他社同士で別け隔てなく協力し合うのも難しいのだろう。シェルターの位置を中心に得られる資源の多寡や種類が定まり、おのずと生産できる成果物も決まっていく。どんなに条件を詰めても必ずどこかの会社が割りを食い、他社からの施しは後世に渡る不利を形成する。企業のステークホルダーはそんな不合理な契約を認めたりはしない。法人とはそういうものだ。
太古の昔、我々は自然人と呼ばれる存在だった。法人格の一部に組み込まれる前――僕たちの判断は真に個人に委ねられていた。それが村を形成し、国家となり、より利益に先鋭的な企業組織の台頭が目覚ましくなると、個人的な意思決定の領分はますます縮小を余儀なくされた。そんな折に訪れた気象災害は法人の自滅的傾向をより鮮明に描き出したと言える。競争するために生まれた存在は競争によって死ぬしかないのである。
乳白色の地面の上で塩を舐めることが増えた。自分のしている営為が無味乾燥ではないと確かめたがっているのかもしれない。頭の中で意味を感じられていないから、舌を通して味を感じている。今日も今日とて塩辛さは変わらない。
@ -294,15 +300,15 @@ HID6が大きな平屋建ての前で止まった時、ようやく安堵の気
やりきれない気持ちを抱えながら帰途に着くと、遠くに人影が見えた。あの時以来、同僚と分かっていてもなにか動くものを捉えたら目で追う癖がついている。背嚢から双眼鏡――金属製の方から拝借した――を取り出してよく覗くと、他ならぬ巨体の殺人者がそこにいた。HID6だ。シェルターとは反対方向に向かっている。仕事の途中だろうか。
しかしそう考えるには不審な点があった。今は昼過ぎで、仕事を始めるには遅すぎる時間だ。かといって帰ってくるのは早すぎるし進行方向もおかしい。
ありえるとしたら夜勤<ナイトシフト>に配置転換された場合だが、だとしたら今度は逆に出勤が早すぎる。話を聞くかぎり彼らは夕暮れ以降に働いている。
棒立ちで注視している間に彼はゆっくりと遠ざかっていく。そういえば電バイクも使っていない。あれほど便利な道具を使わないのは不合理だ。しかし数回の冷凍と解凍の間に何百年も経っていて電装系が風化した可能性も否めない。
棒立ちで注視している間に彼はゆっくりと遠ざかっていく。そういえば電バイクも使っていない。あれほど便利な道具を使わないのは不合理だ。しかし数回の冷凍と解凍の間に何百年も経っていて電装系が風化した可能性も否めない。
こうして思案しているとなぜたか胸のつかえがごまかされるような感じがした。おのずと足が前へと動き、やがてHID6の後を追う格好をとった。たぶん僕は、なんであれ彼の行いをもう一度目の当たりにして決着をつけなければならないのだろう。
いざ追ってみるとすぐに彼の行き先が変わっていることに気がついた。無価値の瓦礫の山ばかりでなにもない内陸部の方へと進んでいる。結果的に遮蔽物が多く、隠れながら進む手がかりを得たものの言葉に言い表せない違和感はますます強まった。あるいは、彼の「楽しみ」と関係しているのかもしれない。いずれにしても腹は決まっていた。
彼の歩みは堂々たるもので一切迷いが感じられなかった。地質調査でもなければなんらかの資源を探しているといったふうでもない。予め目的地が決まっているようだった。それにしては歩幅や身のこなしから疲労を気にしている素振りはない。以前の出張のように日をまたぐ仕事ならどんな体力自慢であっても足取りは重くなる。彼ほどの恵体の持ち主なら尚更そうだ。
実際のところ、僕は半ば尾行が露見しても構わないつもりでいた。いざとなれば目的地の方角が同じだったとか、彫刻の材料を探していたとか、いくらでも言い訳は立つ。いくら遮蔽物が多いといっても半身も隠せればいい方だ。なにもない時もある。数百メートルの距離があるといっても見通しのよい終末の真っ平な世界で、気まぐれに振り向きでもされたら即座に発見されてしまう。もし目が合ったらこっちもたった今気づいたようなふりをして挨拶を交わすつもりだ。この際、過去のわだかまりはないものとして扱った方が望ましい。
少なくとも、彼の不審な行動の理由がはっきりするまでは。
予想通り、双眼鏡の向こうの巨体は尾行開始から一時間ほどで止まり、瓦礫の山が特に積もった地点で辺りを見回しはじめた。すると、グレイの作業服を着た標準入力インターフェイスが二名、どこからか現れて接近してきた。意外にも彼は電銃を手に持っていない。こんな状況で襲撃されたらひとたまりもない。
予想通り、双眼鏡の向こうの巨体は尾行開始から一時間ほどで止まり、瓦礫の山が特に積もった地点で辺りを見回しはじめた。すると、グレイの作業服を着た標準入力インターフェイスが二名、どこからか現れて接近してきた。意外にも彼は電銃を手に持っていない。こんな状況で襲撃されたらひとたまりもない。
不本意ではあるが、僕は遮蔽物から遮蔽物に移動を重ねて彼らのすぐ近くまでにじり寄った。距離にして三〇メートルもない。双眼鏡がなくてもお互いが見える距離だ。いざとなったら武装しているふりをして牽制しなければならない。殺人者とはいえ有力な人材を競合他社に潰されるわけにはいかない。
ところが、彼らの応対はあたかも親しみさえにじみ出るほどこなれたもので物騒な気配は一切しなかった。案外、彼も人殺し一辺倒というわけではないらしい。金属製の背嚢を下ろしてやり取りもしている。今は電銃を見せてなにかを教えているようだ。武器と交換したくなるほど価値の高い資源をもらえるのだろうか。
ところが、彼らの応対はあたかも親しみさえにじみ出るほどこなれたもので物騒な気配は一切しなかった。案外、彼も人殺し一辺倒というわけではないらしい。金属製の背嚢を下ろしてやり取りもしている。今は電銃を見せてなにかを教えているようだ。武器と交換したくなるほど価値の高い資源をもらえるのだろうか。
ひゅっと甲高い音がして、自分の真横を運動エネルギーの塊が通過していった。瓦礫の壁が砕けて砂塵が舞う。あげかけた悲鳴を喉元で抑え込んだが、どのみち意味はなかったようだ。たぶん、彼は最初から気づいていたのだ。それどころか、ここについてくるように仕向けていた。
「おーい、坊主! 出てこいよ! いい話がある!」
牽制射撃で動きを封じておきながら、彼の声はぞっとするほど朗らかだった。それでも懸命に気取られまいと僕は物見遊山のふりをしてふらふらと近づいていく。
@ -329,7 +335,7 @@ HID6は僕の背丈に合わせて少し屈み、噛んで含めるように言
「え、それは、つまり――」
「我が社の標準入力インターフェイスに移り変わるということだ。代わりにシェルターの位置、セキュリティ、武装、施設内の構造について教えてもらった。近年中に襲撃する予定だ」
それは、つまり、産業スパイじゃないか。背任行為だ。
グレイの二人のうち片方が背嚢から電銃を取り出した。口で言わなくても態度は伝わる。心なしか僕たちの武器よりも洗練されているように見えた。そこへ、巨体の彼が割って入る。
グレイの二人のうち片方が背嚢から電銃を取り出した。口で言わなくても態度は伝わる。心なしか僕たちの武器よりも洗練されているように見えた。そこへ、巨体の彼が割って入る。
「悪いことは言わねえ、黙って首を縦に振れ。お前が土いじりを続けたいっていうんならしばらくは構わない。グレイの作業着を着てやればいい。どうせそのうち気が変わる。おれの目は確かだ」
「分かった、分かったよ。待遇が確かなら転職する。僕は会社にこだわりはない」
それ自体は、嘘ではなかった。遠い昔に死んだ両親が少数株主で、たまたま契約していたシェルターだったからという理由なくして僕がオレンジの作業着を着る意味はない。なにか一つでも前提条件が違えば、僕は喜んで今いる会社の全員を死に追いやっただろう。
@ -341,23 +347,23 @@ HID6は僕の背丈に合わせて少し屈み、噛んで含めるように言
「たかがナイフだろ」
グレイの片方は首を振って手を突き出した。「ナイフも武器には違いない」僕は腰を落として背嚢を前に回し、ナイフを差し出した。代わりに受け取ったHID6が振り返ってグレイの片方に手渡す。
今の彼は隙だらけだ。
僕はすばやく背嚢から塩でできた鋭い彫刻を抜き取り、広々とした巨躯の肩に突き刺した。ところで、塩のモース硬度は二.〇以上もある。石膏より固い。尖った先端は筋肉の中に吸い込まれるように入り込んでいき、僕の手元に生々しい嫌な感触を残した。彼の野太い絶叫が辺りにこだまする。そうして抜き取った塩の塊を、痛みから膝をついた巨体の向こう側――グレイの片割れに向かってまっすぐ投げつけた。今度は刺さりはせず手にぶつかって落ちる。それでも電銃を放り出させるには十分だった。
未発達な肉体に有利な点があるとすれば身軽なところだ。前に放り投げられた電銃を前に踏み出して拾い上げると、ろくに照準も合わせずグレイの作業着に向かって発砲した。洗練された外見に相応しい洒落た音をたててエネルギーの弾丸が相手の胴を貫く。続けて、わずかに銃身を水平にずらしてもう片方も始末する。
僕はすばやく背嚢から塩でできた鋭い彫刻を抜き取り、広々とした巨躯の肩に突き刺した。ところで、塩のモース硬度は二.〇以上もある。石膏より固い。尖った先端は筋肉の中に吸い込まれるように入り込んでいき、僕の手元に生々しい嫌な感触を残した。彼の野太い絶叫が辺りにこだまする。そうして抜き取った塩の塊を、痛みから膝をついた巨体の向こう側――グレイの片割れに向かってまっすぐ投げつけた。今度は刺さりはせず手にぶつかって落ちる。それでも電銃を放り出させるには十分だった。
未発達な肉体に有利な点があるとすれば身軽なところだ。前に放り投げられた電銃を前に踏み出して拾い上げると、ろくに照準も合わせずグレイの作業着に向かって発砲した。洗練された外見に相応しい洒落た音をたててエネルギーの弾丸が相手の胴を貫く。続けて、わずかに銃身を水平にずらしてもう片方も始末する。
なにも頭で考えてやってのけたわけではない。彼に塩の彫刻を刺してから先のことは行き当たりばったりだった。
「くっ、このガキ……」
振り返ると顔を激情に歪めた同僚が肩を抑えて立ち上がっていた。今度こそ、逃げるしかない。
僕はありったけの力を込めて美しい作りの電銃を瓦礫の山の遠方に打ち捨てた。直後、背嚢を手に取って脱兎のごとく駆け出す。走り出して少し経つと滑稽な雰囲気の銃声が背後から聞こえてきた。彼が自分の電銃を撃っているのだろう。瓦礫の壁の間をすりぬけるように走ってやり過ごす。ほどなくして振り返ると、山のような巨体が必死で追いすがってくるのが見えた。
僕はありったけの力を込めて美しい作りの電銃を瓦礫の山の遠方に打ち捨てた。直後、背嚢を手に取って脱兎のごとく駆け出す。走り出して少し経つと滑稽な雰囲気の銃声が背後から聞こえてきた。彼が自分の電銃を撃っているのだろう。瓦礫の壁の間をすりぬけるように走ってやり過ごす。ほどなくして振り返ると、山のような巨体が必死で追いすがってくるのが見えた。
9
毒々しい夕暮れの強い日差しが乳白色の地面を照らす。その合間を二つの人影が通り過ぎて大きく間延びした影を作る。それはさながら巨人同士の戯れに見えた。だが、現実、僕は殺人者に追われていて僕も今では殺人者になってしまった。正当防衛を主張する論拠は乏しい。彼の言う通り黙って頷いていれば危害を加えられないであろう確信はあった。長距離走に特有の脇腹の痛みに苛まれながら、今になってなぜこんなことをしでかしたのか後悔の念が湧く。突沸した熱湯のごとく湧き出した怒りが僕を動かしたのだ。あえて平易に表現するならこれを反抗、と呼ぶ。
当初のリードは僕の体力的限界に応じてみるみるうちに縮んでいった。ちらと振り返ると彼も決して気楽そうではなかったものの、それでも一〇〇メートルも間隔はない。一気にペースを上げて距離を詰めないのは追いついた後の取っ組み合いを想定してのことだろう。彼は背嚢も武器も置いてけぼりにしてきたので丸腰だが、こっちは背嚢を背負っている。むろん、唯一の正規の武器であるナイフを差し出し、塩の結晶の塊も電銃も投げ出した今では同じく丸腰だったが、中身が不明な荷物を持っているというだけで相手は手を出しにくい。
当初のリードは僕の体力的限界に応じてみるみるうちに縮んでいった。ちらと振り返ると彼も決して気楽そうではなかったものの、それでも一〇〇メートルも間隔はない。一気にペースを上げて距離を詰めないのは追いついた後の取っ組み合いを想定してのことだろう。彼は背嚢も武器も置いてけぼりにしてきたので丸腰だが、こっちは背嚢を背負っている。むろん、唯一の正規の武器であるナイフを差し出し、塩の結晶の塊も電銃も投げ出した今では同じく丸腰だったが、中身が不明な荷物を持っているというだけで相手は手を出しにくい。
ここへきて今さら話し合いは通じないだろう。捕まったら素手でも殺される。なぜなら彼には僕がしようとしていることが分かっているからだ。僕もまた彼の殺意を認めているからすべきことが決まっている。このままシェルターに直進して、競合他社による襲撃を情報体の人々に知らせなければならない。
やがて距離間隔は五メートル、三メートルへと縮まり、シェルターの階段が石畳から引き出される頃には一息で追いつかれそうな位置にまで近づいていた。転がるようにして階段を降りてドアをくぐる。シェルターの大きなハンドル付きの扉はしばらくすると勝手に閉じてまた開くまでに時間がかかるが、今回の場合は手近すぎて彼を押し止める役には立たない。暗闇を左右に湛えた細い通路をなるべく急いで移動する。もう彼の黒々とした顔つきがはっきり見えるほどの間隔しかない。勤務評価室で彼女を呼び出している暇などない。シェルター内での標準入力インターフェイス同士の殺傷をどう扱うのか未知数だが、少なくともA評価常連の彼をいきなり懲戒解雇にはしないだろう。せいぜいしばらく謹慎として冷凍させておくだけで、襲撃後にはグレイの連中が彼を解凍している。ここに逃げ込めたことは僕にとってなんの安全も保証しない。
通路を抜けたあたりで背後から銃声がした。ただでさえひび割れた壁面に弾痕が穿たれる。危険物室から別の電銃を取ってきたのだろう。ついに追いかけっこに業を煮やしたのだ。三発目の銃声が響いたあたりで、僕は肩口に鋭い衝撃を感じて横の壁に身を叩きつける結構となった。まるで鋭利な熱湯の塊を浴びせられたような鮮烈な痛みが押し寄せて、声にならない悲鳴をあげる。噴き出した血漿が薄汚れた壁面や床に血溜まりを作った。
それでもチェンバー室は目の前だった。走っているとはとても言いがたい足取りで追手から逃げ惑う僕に残された手は、もう一つしかない。血で汚れた手でチェンバー殻の湾曲した表面を叩いて内部に転がり込む。殻が閉じきったあたりで電銃を手にしたHID6が目の前に立ちふさがった。さしもの彼も長距離走はさすがに堪えたようで、顔いっぱいに汗をかいて息を切らしている。無言のまま電銃を構えてチェンバー殻に向けた。
だが、電銃はオレンジの警告灯を表示して発射機構を閉じた。
やはり、シェルター内の設備を破壊されないよう予め規制登録してあるのだ。強化ガラス越しでも分かる仕草で舌打ちすると、彼は大仰に電銃を投げ捨てた。そして、これまたガラス越しでもよく通る大声で言う。
通路を抜けたあたりで背後から銃声がした。ただでさえひび割れた壁面に弾痕が穿たれる。危険物室から別の電銃を取ってきたのだろう。ついに追いかけっこに業を煮やしたのだ。三発目の銃声が響いたあたりで、僕は肩口に鋭い衝撃を感じて横の壁に身を叩きつける結構となった。まるで鋭利な熱湯の塊を浴びせられたような鮮烈な痛みが押し寄せて、声にならない悲鳴をあげる。噴き出した血漿が薄汚れた壁面や床に血溜まりを作った。
それでもチェンバー室は目の前だった。走っているとはとても言いがたい足取りで追手から逃げ惑う僕に残された手は、もう一つしかない。血で汚れた手でチェンバー殻の湾曲した表面を叩いて内部に転がり込む。殻が閉じきったあたりで電銃を手にしたHID6が目の前に立ちふさがった。さしもの彼も長距離走はさすがに堪えたようで、顔いっぱいに汗をかいて息を切らしている。無言のまま電銃を構えてチェンバー殻に向けた。
だが、電銃はオレンジの警告灯を表示して発射機構を閉じた。
やはり、シェルター内の設備を破壊されないよう予め規制登録してあるのだ。強化ガラス越しでも分かる仕草で舌打ちすると、彼は大仰に電銃を投げ捨てた。そして、これまたガラス越しでもよく通る大声で言う。
「ふん、そのまま寝たければ寝るがいい。起きた瞬間に首をひねって殺してやるからな」
まるで研ぎ澄まされた肉体を見せつけるようにその場で脱衣した彼は、大股開きで近くのシェルター殻に入り込んだ。僕より先に解凍されるつもりだ。
シェルター殻の内部で警告音が鳴り響いた。湾曲した表面に文字列が二行ぶん並ぶ。
@ -396,7 +402,7 @@ HID6が突進してきた。なるほど中肉中背の身体でも元の僕だ
陣頭指揮は僕が取る形となった。皮肉にもA評価常連の巨体は人々を従わせる上で相当な効力を発揮した。元の肉体ではとてもうまくいかなかっただろう。
競合他社はおそらくHID6が直前にシェルターの扉を開放して招き入れることを念頭に置いているはずだが、かといってそれに依存して計画を立てるとも思えない。強襲の日に扉が閉まっていれば、それはそれで破壊する技術をすでに持っていると考えられる。したがって扉は予め開けて待ち受ける方針が支持された。たとえ最終的に防衛に成功しても破損した扉を修繕する能力を我々は持っていない。不正侵入を防げないシェルターは無力だ。せいぜいスパイが活躍していると思わせて、油断して入り込んできた初期投入戦力を削るのが手っ取り早い。
勤務開始から八時間が経過してすでに時間外労働に入りはじめた頃、センサが石畳の上に人影を察知した。相手の計画ではシェルターに帰還するHID6に続いて競合他社が侵入する手はずになっていたが、こちらの都合上、HID6に擬態した僕がシェルターから出て直接出迎える形をとった。
細い通路の対岸に多数の標準入力インターフェイスが潜む中、軋みながら開く巨大な扉の向こうの階段を昇り、地表に立った。さっそく僕を産業スパイと認めたグレイの作業服たちが四方八方から現れて電気銃を突きつける。隊列の一群はそれぞれ電気バイクを持ち、さらにひときわ大きな中世の破城槌に似た台車や、その他の兵器を積載した車輌を伴っていた。
細い通路の対岸に多数の標準入力インターフェイスが潜む中、軋みながら開く巨大な扉の向こうの階段を昇り、地表に立った。さっそく僕を産業スパイと認めたグレイの作業服たちが四方八方から現れて電動銃を突きつける。隊列の一群はそれぞれ電動バイクを持ち、さらにひときわ大きな中世の破城槌に似た台車や、その他の兵器を積載した車輌を伴っていた。
「HID6で間違いないな」
僕はできるかぎり低く声を出そうと努めたが、実際には杞憂だった。彼の声はもともと低い。
「そうだ」
@ -406,13 +412,34 @@ HID6が突進してきた。なるほど中肉中背の身体でも元の僕だ
グレイたちの何名かが顔を見合わせて頷くと、僕の方を向いて案内を命じた。
ぞろぞろと階段を下って、シェルター扉が再び閉まる前に隊列を招き入れる。
細い通路の前で一旦制止して「ここは狭いから一列に並んだ方がいい」と丁寧な助言を申し出る。
先頭の僕が渡りきったところで、突如、片手を大きくあげて味方に支持を出す。と同時に、射線から外れるように急いで先に進む。哀れにも身動きのとれない通路上に取り残されたグレイたちは、直後に不細工な電銃の慟哭に包まれて瞬く間に絶命する次第となった。過剰な銃撃の余波でちぎれ飛んだ腕が暗闇へと消えていく。
先頭の僕が渡りきったところで、突如、片手を大きくあげて味方に支持を出す。と同時に、射線から外れるように急いで先に進む。哀れにも身動きのとれない通路上に取り残されたグレイたちは、直後に不細工な電銃の慟哭に包まれて瞬く間に絶命する次第となった。過剰な銃撃の余波でちぎれ飛んだ腕が暗闇へと消えていく。
戦闘開始だ。
大した間を置かず、銃声を聞きつけた後続の部隊が押し寄せてくる。巨大なシェルター扉を遮蔽にグレイたちが放つ応射は、その洗練された銃声もさることながら少なからずこちらの戦力をすり減らした。先に殲滅した隊列は全体の一部に過ぎない。その時、巨大な擦過音が虚空に響いて老朽化した壁面を炸裂させた。敵の高威力兵器だ。二発目の爆撃に捕らわれたこちらの隊列が瞬時に砕け散った。
いよいよ敵の優勢が鮮明と化したところで、情報体から一斉に退却命令が発布される。これ以上はより狭い空間に引き込んで戦況の泥沼を誘うしかない。
八時間の合間に即席で構築したバリケードや遮蔽物の隙間から、細い通路を渡りきってやってくる軍勢を抑え込むように射撃する。しかし電気銃のバッテリーは想定以上に摩耗が早く、電気銃自身の熱暴走も懸念材料であった。一方、目を見張る活躍を見せたのは夜勤<ナイトシフト>の面々で、早々に射列を放棄したかと思えば、廊下の角で各々近距離戦を仕掛け、ナイフ一本とごく抑制された電銃の発砲で次々と手勢を仕留めて回った。
八時間の合間に即席で構築したバリケードや遮蔽物の隙間から、細い通路を渡りきってやってくる軍勢を抑え込むように射撃する。しかし電動銃のバッテリーは想定以上に摩耗が早く、電動銃自身の熱暴走も懸念材料であった。一方、目を見張る活躍を見せたのは夜勤<ナイトシフト>の面々で、早々に射列を放棄したかと思えば、廊下の角で各々近距離戦を仕掛け、ナイフ一本とごく抑制された電銃の発砲で次々と手勢を仕留めて回った。
僕自身も、HID6の肉体によって駆動される正確無比の射撃と皮膚感覚にも等しい警戒意識に支えられつつ、徐々に後退を余儀なくされていく戦場で奮闘を重ねた。