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Rikuoh Tsujitani 2024-08-27 09:18:20 +09:00
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土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を下ろした。摩天楼をつくほどの巨大ビルがそびえていたという島も、栄えていた湾岸の街並みも時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていたという――だけがこの辺りで唯一のランドマークだ。 土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を下ろした。摩天楼をつくほどの巨大ビルがそびえていたという島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていたという――だけがこの辺りで唯一のランドマークだ。
この前に来た時よりも気温が上がっていたおかげか、ずいぶん長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。目の前いっぱいに広がる乳白色の地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して丁寧に切り取る。膂力の少ない身ではずいぶん手間取るが時間はたっぷりある。そうして切り取った塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。相変わらずしょっぱい。しかしミネラルと塩分の摂取にはこの上なく好適と言える。なぜならこれらは塩そのものだからだ。 この前に来た時よりも暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。目の前に広がる乳白色の地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して几帳面に切り取る。膂力の少ない身ではずいぶん手間取るが時間はたっぷりある。そうして切り取った塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。相変わらずしょっぱい。しかしミネラルと塩分の摂取にはこの上なく望ましい。なぜならこれらは塩そのものだからだ。
地平線の彼方まで広がっているように見えるこの地面はかつて海の一部だった。大昔、人類に降りかかった未曾有の気象災害により海水が蒸発、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て塩の結晶ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける。どこかで塩の層が事切れて水の海に出会えるのかもしれないし、何年間も歩いた先に別の大陸か島が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕に新しい洞察を与えてくれる。 地平線の彼方まで広がっているかのようなこれらの地面はかつて海の一部だった。大昔、人類に降りかかった未曾有の気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て巨大な塩の結晶ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていけるはずだ。どこかで塩の層が事切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の大陸か島が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕に一風変わった洞察をもたらしてくれる。
洞察が深ければ深いほど一心不乱に手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとになにがしかの文脈を辿っていく。ある時には四足の動物を連想させることもあれば、小一時間も経つと全裸の人間に変わる。過程を俯瞰するとあたかも進化の過程を表しているようでもある。原初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。 洞察が深ければ深いほど一心不乱に手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとになにがしかの文脈をっていく。ある時には四足の動物を連想させることもあれば、小一時間も経つと全裸の人間に変わる。過程を辿るとあたかも進化の過程を表しているようでもある。原初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。
高く昇った太陽が傾いで地平線の彼方に隠れはじめる頃、僕のこの隠された衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務評価を考えるとそろそろ帰宅しなければならない頃合いだ。現に、探索地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。 高く昇った太陽が傾いで地平線の彼方に隠れはじめる頃、僕のれた衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務評価を考えるとそろそろ帰宅しなければならない頃合いだ。現に、探索地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。
「またやっているのか」 「またやっているのか」
「やっているよ」 「やっているよ」
『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした筋肉全体で呆れた様子を表現する。見るからに体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも過酷そうで、背嚢は特別に大きく固い金属製でできている。手には電気銃。本来、我々は常に武器の携行を命じられているが、手が塞がる上に重い割に使う機会がまったくないため僕は毎回忘れたふりをしている。最初は本当に忘れていったのだが、勤務評価になんの影響もなかったので定番のやり口となった。 『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした筋肉全体で呆れた様子を表現する。見るからに体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうで、背嚢は特別に大きく固い金属製でできている。手には電気銃。本来、我々は常に武器の携行を命じられているが、手が塞がる割に使う機会がまったくないため僕は毎回忘れたふりをしている。最初は本当に忘れていったのだが、勤務評価になんの影響もなかったので定番のやり口となった。
「それ、使ったことあるのか」 「それ、言うほど使い道があるのか」
HID6は顔を左右に振ってから、しかし意味ありげに口元を歪ませた。 HID6は顔を傾けて意味ありげに口元を歪ませた。
ないといえばないし、あるといえば、ある。お前のその楽しみと似たようなものだ」 「お前のその楽しみと似たようなものだ」
人には人の楽しみがある。あまり詮索するのも無粋だ。ぞんざいに手を振って去っていく彼の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。最後にもう一度、夕焼けの強い光に照らされた固形の海面を眺める。 要領はいまいち得られないが、人には人の楽しみがある。あまり詮索するのも無粋だ。ぞんざいに手を振って去っていく彼の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。最後にもう一度、夕の強い光に照らされた固形の海面を眺める。
徒歩にして約三〇分の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。突如湧いたように現れた扉を開けると長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。 徒歩にして約三〇分の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。突如湧いたように現れた扉を開けると長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。
「HID11、ただいま帰還しました」 「HID11、ただいま帰還しました」
扉に向かって話しかけると、ほどなくして女性の声が返ってくる。 扉に向かって話しかけると、ほどなくして女性の声が返ってくる。
〝標準入力インターフェイス11、お疲れ様でした。帰還を承認します〟 〝標準入力インターフェイス11、お疲れ様でした。帰還を承認します〟
以降は流れ作業だ。すれ違うのも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って成果物を提出する。表示がかすれ気味なモクロディスプレイに映し出された勤務評価は、今回もB。長年の試行錯誤と勘で見る前から結果は分かっていた。適切な成果物を持って日が落ちるまでに帰れば最低でもB評価が確定する。 以降は流れ作業だ。すれ違うのも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って成果物を提出する。表示がかすれ気味なモクロディスプレイに映し出された勤務評価は、今回もB。長年の試行錯誤と勘で見る前から結果は分かっていた。適切な成果物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
〝標準インターフェイス11、切断処理に入ってください〟 〝標準インターフェイス11、切断処理に入ってください〟
作業着と背嚢を中身ごとロッカーにしまい、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉鎖されて表面に文字が浮かぶ。 作業着と背嚢を中身ごとロッカーにしまい、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉鎖されて表面に文字が浮かぶ。
〝切断処理開始〟 〝切断処理開始〟