From b1e15e44cf38793daa307b89e366d6e2944e7128 Mon Sep 17 00:00:00 2001 From: Rikuoh Date: Mon, 23 Sep 2024 08:31:05 +0900 Subject: [PATCH] fix --- 標準入力インターフェイス.txt | 48 ++++++++++++++++++------------------ 1 file changed, 24 insertions(+), 24 deletions(-) diff --git a/標準入力インターフェイス.txt b/標準入力インターフェイス.txt index 60e7eef..4f01fee 100644 --- a/標準入力インターフェイス.txt +++ b/標準入力インターフェイス.txt @@ -3,7 +3,7 @@  土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を落ち着けた。天を突くほどの高層ビルがそびえていた島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも、等しく時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていた――だけがこの辺りで唯一、まともに建っていると言える建物だ。  この前に来た時よりも暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。乳白色の平らな地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して切り取る。力がないだけにずいぶん手間取るが、暇はたっぷりある。そうして得た塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。しょっぱい。  しかし、ミネラルと塩分の摂取にはこの上なく都合が良い。なぜならこれは塩そのものだからだ。 - 地平線の彼方まで広がるこの平面は海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て重厚な塩の結晶の層ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕を特別な気分にさせてくれる。 + 地平線の彼方まで広がるこの平面は海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て重厚な塩の結晶の層ができあがった。進もうと思えばこのままずっと先まで進んでいける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と進んだ先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕を特別な気分にさせてくれる。  気持ちが高まっているとよく手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとに意味を持つ。四足の動物を連想させる時もあれば、人間っぽい形に変わることもある。まるで進化の過程を表しているみたいだ。最初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。  高く昇った太陽が傾いで地平線の向こう側に隠れはじめた頃、僕の衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務査定を考えるとそろそろ帰社しなければならない時間だ。現に目的地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。 「まだやっているのか、飽きないもんだな」 @@ -162,7 +162,7 @@ 「いいや」  歯の隙間から絞り出すように否定する。  僕は背嚢をひっくり返して中身を床にぶちまけた。そこから例の塩の鏃を拾い上げて高々と掲げる。天井のラインが不規則に点滅した。 -「さっき、言い忘れていたことがあった。僕はこれでそいつにやり返してやったんだ。本物のナイフより隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると途中で死んだかもしれない! そうしたら、僕たちは損をしたけど、相手の会社にはずっと損をさせたことになる。そうじゃないか?」 +「さっき、言い忘れていたことがあった。僕はこれでそいつにやり返してやったんだ。本物のナイフより隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると途中で死んだかもしれない! そうしたら、僕たちは損をしたけど、相手の会社にはもっと損をさせたことになる。そうじゃないか?」  勢いよくまくしたてて息まで切らした僕に、彼女が気圧されたふうに答えた。 〝……それはまあ、そうですね〟 「だから僕にだって適性があるんだよ。もっと遠くに行かせてくれよ。世の中が――といってもシェルターと塩だけの世界だけど――そんなことになってるなんて知らなかった。なにも知らないまま土いじりして生きるなんてごめんだ。僕の可能性を信じてよ!」 @@ -228,7 +228,7 @@ 「僕たちの会社は、どうなんだ? うまくやれているの、その競合他社と」  空いた容器を片付けていた巨体が一瞬固まった。少し待っても回答はない。なんだかきまりが悪くなり、急いで言葉を付け足した。 「いや、僕は前にあっさり負けちゃったから、偉そうには言えないけど」 -「じきに嫌でも分かるさ」 +「すぐに嫌でも分かるさ」  急に彼が立ち上がったので、慌てて残りの食事を片付けて背嚢に突っ込んだ。「だが、負けたっていうのはどういうことだ。なんとか逃げきったのか」金属製の背嚢をよろよろと背負い込みながら首を振る。「逃げてすらいないよ。ブルーの作業服を着たやつだったんだけど、たまたま見逃してくれただけだ」改めて口に出すと侮られても仕方がないと思った。しかし吐露せずにいられないほど悔しい事実でもあった。  それからの道のりはあまり退屈しなかった。HID6が色々と教えてくれたからだ。たとえば競合他社はそれぞれ違う色の作業服を身に着けていて、ブルーもいればイエローもいるという。一度、レッドの服を着たやつを見かけたと思いきや、それはそいつの血で染まっていただけだったなどと怖い話を聞かせてくれたりもした。逆に、競合他社から見れば僕たちは「オレンジのやつら」ということになる。  一日たっぷりかけて対岸に渡り、朝方ぶりに土を踏みしめるとなんだかおかしな感触がした。これからはこの感じが当たり前になるのだろう。物珍しい丘陵に登り、下っていき、しばらくするとちょっとした湖に出くわした。しかし実際には湖ではない。気象災害の過程で海だった場所の一部が陸になり、取り残された海面が凝固したまま自立したのだ。含まれているミネラルや不純物の濃度の関係なのか、こっちの方はずいぶん透き通っているように見えた。もうすぐ野営すると彼が言うので、急いで湖に駆け寄って片手で持てる立方体のサイズに塩の塊を切り取った。 @@ -260,7 +260,7 @@  いつどこから撃ち殺されてもおかしくないと考えれば怖がってもいいはずなのに、ぼやけた頭と代わり映えのしない黒一面の風景に、姿勢さえも満足に変えられない窮屈さが倦怠感を身体じゅうに押し広げてあるはずの恐怖を塗りつぶしてしまう。  小一時間経ったか、あるいは五分しか経っていないか定かではないが、僕の意識は将来の人生設計に傾いた。今は必要に応じて接続されるしがないインターフェイスでしかないけれども、いつか情報体の人々はなにか根本的な解決策を手に入れて地上に進出するはずだ。数十年後か、数百年後かはともかく、チェンバー殻に故障がなければ僕もその時には一人の市民として輪に加わっているだろう。イヤホン越しにしか話せない彼女とも直接会って話せるようになる。より多くの人々とも交流の機会を得て、地上世界をより良くするために話し合うことになる。そうなればこんな馬鹿げた競争も廃れる。  だが、そこへいくと僕はあまりにものを知らなさすぎる。現にこうして勤務経験でも同僚に水を開けられているし、僕たちが凍っている間にも常に思考を重ねている情報体の人々とはまずもって比べものにならない。あらゆる問題が解決した後には僕自身の能力が課題として待ち受けていて、それを改善するのはまったく簡単ではない。 - 昔は学校があった。僕はとてもよくできた生徒だったらしく、外に出て登校する形式の特別な学校に通っていた。一五歳になったらカレッジを受験する話もあった。これからじわじわと再構築される新しい世界の文明には、たぶんしばらくは学校もカレッジもない。田んぼとか、発電所とか水道とか、そういうものの方がずっと大切だからだ。僕は未熟な子どものまま放置されて、格差を覆せないまま見通しの悪い人生を歩む羽目になる。 + 昔は学校があった。僕はとてもよくできた生徒だったらしく、外に出て登校する形式の特別な学校に通っていた。一五歳になったらカレッジを受験する話もあった。これからじわじわと再構築される新しい世界の文明には、たぶんしばらくは学校もカレッジもない。田んぼとか、発電所とか水道とか、そういうものの方が大切だからだ。僕は未熟な子どものまま放置されて、格差を覆せないまま見通しの悪い人生を歩む羽目になる。  だとしたら。こうも考えられる。  今の状況がずっと続いている方がよほど良いじゃないか。言われた通りに働いて用が済んだら眠って、飢えて死ぬこともない。人生が最低でも数十年おきで離散的なのは仕方がないが、少なくとも思い悩むことはそんなにない。壁がひび割れているとか、食事や水がまずいとか、たまにトイレに糞が積もっているとか、そういった点に目をつむれば今の暮らしも悪くはない。彫刻だってできる。  ただ……じゃあなんで僕は楽な仕事に留まらずにこんな辛くて危険な出張とやらをする気になったのだろう。今だって眠いのをこらえて必死に―― @@ -284,7 +284,7 @@ 7 - 何事もなく太陽が昇り、食事を摂って、隅々まで陽光で照らされた地面を歩いていても、恐怖は背中にべったり貼りついたようにしていつまでも消えなかった。まだ殺し足りない夜勤<ナイト・シフト>たちが朝も働き続けて、四方八方のどこからか自分を狙うのではないかと妄想に駆られた。心配しても意味なんてないと理解していても足取りは鉄か鉛の重さで、腹には溶けない氷が冷え冷えと沈んでいた。 + 何事もなく太陽が昇り、食事を摂って、隅々まで陽光で照らされた地面を歩いていても、恐怖は背中にべったり貼りついたようにして消えなかった。まだ殺し足りない夜勤<ナイト・シフト>たちが朝も働き続けて、四方八方のどこからか自分を狙うのではないかと妄想に駆られた。心配しても意味なんてないと理解していても足取りは鉄か鉛の重さで、腹には溶けない氷が冷え冷えと沈んでいた。 「ここだな」  HID6が足を止めた先にあったのは半壊した巨大な航空機だった。とてつもなく大きかったので二人で辺りを周回するまでそれがそうとは信じられなかったほどだ。あたかも戦いに敗れた巨人兵が胃袋や腸を垂れ流しているように、引き裂かれた胴体部からケーブルや座席やその他の部品が散乱していた。  中に入ると陽の光が遮られて視界が一気に薄暗くなった。時折、周辺に人骨と思しき欠片がまとわりついているのを見て気分の悪さと関心の両方が押し寄せた。数百年経っても骨は溶けて消えないらしい。「いっそ月に着いちまえば多少は長生きできたのにな」巨体が災いして歩きにくそうに足で残骸をどかしながら同僚が言う。確かにこの航空機は地上用にしては大きく、月か火星の定期便用に見える。 @@ -387,7 +387,7 @@  次第に、ぼそぼそとした声色の音程に慣れたのか扉の向こうの会話が耳に入ってきた。 「……どうだ、転職するか? 返事がイエスなら出張を申請しろ」 「……けどよ、申請したってその通りに仕事が振られるかどうか……」 -「おれがなぜずっとA評価を取り続けているか分かるか? 仕事を細かく選べるからさ。出張の枠を用意してお前を入れることもできる」 +「おれがなぜA評価を取り続けているか分かるか? 仕事を細かく選べるからさ。出張の枠を用意してお前を入れることもできる」  声量こそ小さいがその声は野太く低く、はっきりとしていた。気がつくと防護服の暑苦しさも忘れて聞き入っていた。「転職」という聞き慣れない単語が出たからだ。言葉自体の意味はもちろん知っているが、標準入力インターフェイスを職業に例えているなら他の職のあてがこの世界にあるとは思えない。 「……バレねえのかな、そこが不安だ。おれたちは脳みそを握られているんだぜ」 「やつらは健康診断をケチってる。シケた職場よ。当日までお前が口を閉じていればな」 @@ -404,7 +404,7 @@ 「そもそも『転職』ってどういう意味なのですか、この場合」  初対面の人々にぎこちない敬語で話しかけると、またぞろ圧縮言語での議論が数秒行われた後に一人が非常にゆっくりと答えた。 「きぃいいいみぃいいがああああ、知る必要はあああああ、ないいいいい、今後のおおおおおおおお、入力にいいいいいい悪影響がああああ」 - おそらく計算資源を過少に見積もりすぎたのだろう。悪気はないはずだがそこはかとなく馬鹿にされた気分になる。たまらず、途中で口を挟んだ。 + おそらく計算資源を過少に見積もりすぎたのだろう。そこはかとなく馬鹿にされた気分になる。たまらず、途中で口を挟んだ。 「分かりました。僕が出張を申請するというのはどうでしょう。適性を再修正するんです。もしHID6の仕事に組み込まれたら……」  提案を受けて、情報体たちの話し合いがぴたりと止まった。ややあって、ぞろぞろと私見を述べる声が割って入る。 〝なるほど、それで話の裏付けを試みようというわけですね。論理的な行いです〟 @@ -470,7 +470,7 @@  『もし先にどこからか撃たれて、運良くお前が死んでいなかった場合――とにかく撃ち返せ』  いざ漆黒と相対してトリガーを引き絞ると、驚くほど簡単にエネルギーの塊が射出された。直後、瞬いた光が間近の敵の姿を捉えた。距離にして十歩もない。スキップすればハイタッチもできそうだった。敵は狙撃と奇襲の二手で別れていたのだ。恐怖に目が見開く。影に似た姿の敵はすさまじく機敏に接近してきた。  もし僕が下手に経験豊富だったらやられていただろう。本能的な恐れから応射を早々に諦めて電動銃を盾のように構えると、そこへまっすぐ敵の腕が伸びた。がちりと金属音が鳴り響く。月明かりを照り返す鋭い銀色の輝きが死の匂いを放った。敵は銃ではなくナイフを持っている。 - 初手を防がれた敵はしかし、軽い身のこなしで僕を蹴り倒すとすぐさま覆い被さった。銃を持っているのになに一つ抵抗できないまま、ナイフが頭上にきらめく。黒装束に垣間見える目元がかすかに歪んだ。 + 初手を防がれた敵はしかし、軽い身のこなしで僕を蹴り倒すとすぐさま覆い被さった。銃を持っているのになに一つ抗えないまま、ナイフが頭上にきらめく。黒装束に垣間見える目元がかすかに歪んだ。 「子ども……!?」  一瞬、振り下ろされた刃の切っ先が止まる。その間隙を突くように、真横からエネルギー弾が発射された。身を塞ぐ黒装束が横に傾いで倒れ込んだ。顔を向けると、電動銃を構えたHID6が見えた。  その背後から迫る他の黒装束の姿も。 @@ -551,7 +551,7 @@  まばらに広がるソーラーパネルの群れを通り抜け、辛くもシェルターの前に車体を滑り込ませるとすでに隆起していた入口に走り込む。きっと彼女の助けだ。転がるように階段を降りて扉の先の細い通路を全力で駆け抜けた。あと数歩で曲がり角に間に合うというところで、背後から追いついたエネルギー弾が僕の脇腹を切り裂いた。痛みと衝撃に思わず身体を壁面に打ちつける――どす黒い血痕が壁にこびりつき、垂れた血が床をしたたかに汚した。血の汚れをきれいにするのはかなり面倒だ。内勤のインターフェイスに申し訳ないことをした。  意に反して力が抜けた全身を引きずりながら廊下を歩き、本来のルーティーンを省略してチェンバー室に向かった。この状況では勤務査定など受ける間もなくカメラを取り上げられる。僕の身を守ってくれるもの……それは、チェンバー殻しかない。よろよろとした足取りで手前の殻を叩くと、手のひらの血が表面にべったりとくっついた。せり出した殻が開ききる前に身体をねじ込んで閉塞処理を開始させる。  殻が閉まったと同時に、強化ガラスを隔てて汗と血にまみれたHID6が現れた。強く殻を叩くも、一度誰かが入ったチェンバー殻は処理の終了まで開くことはない。 - じきに、今すぐ殺せないことを悟った元同僚は不敵な表情を見せつけてガラス越しに叫んだ。 + 今すぐ殺せないことを悟った元同僚は不敵な表情を見せつけてガラス越しに叫んだ。 「それで勝ったつもりか? 言っておくがな、おれは仕事を選べる。今から勤務査定に戻って、次の仕事にお前を指名して入れる。後で拒否しようが解凍される時は一緒だ。せいぜいよく眠っておくがいい……次は十キロは走らせてやるからな」  肩を怒らせてのしのしと立ち去っていく巨体を見送りつつ、僕は殻の中で金切り声をあげた。 「なあ、聞こえただろ! 助けてくれ! 見ただろ、あいつは僕を殺すつもりだ!」 @@ -611,7 +611,7 @@  元同僚の企みはたった一人のものではなかった。この会社はとっくに存亡の淵に立たされていたのだ。 「宇宙にもシェルターがあったんだね」  天井のラインを透かすようにして空想上の天を仰ぐ。 -〝月面の企業が運営しているものです。元のインターフェイスとの接続にこだわらず地上で戦略的に調達する方針が功を奏したようですね〟 +〝月面の大企業が運営しています。元のインターフェイスとの接続にこだわらず地上で戦略的に調達する方針が功を奏したようですね〟 <……有給休暇の取得をご希望の方は両手を組んで……>  話の途中で放送が扉越しに漏れ聞こえてきたので、ついでに気になっていた質問を投げかけた。 「ところで『有給休暇』ってどういう意味?」 @@ -620,14 +620,14 @@ 〝ともかく現在、敵集団は最下層に向かっています。私がエレベータを停止したので階段を使っているようですが、いずれサーバ室にたどり着くでしょう。これは、あなたにとっては好機です〟 「どうして?」 〝生き残ったセンサ類を確認したかぎり、地表に不審な熱源反応はありません。私が今から一時的に培養プラントとエレベータを稼働させるので、増援が来る前に地上に脱出してください〟 -「脱出って……その後はどうすればいいんだ? 君はどうなるんだ?」 +「脱出って……その後はどうすればいいんだ?」  表示がかすれ気味のモノクロスクリーンに地図が描かれる。そう遠くない距離に三つの点が示された。 -〝これらは我々がかつて認識していた、比較的穏健な競合他社の一覧です。あなたはこのいずれかに向かい、あなた方が言うところの転職を成功させなければなりません〟 +〝これらは我々がかつて認識していた、比較的穏健な競合他社の一覧です。ただいまよりあなたは現地に向かい、あなた方が言うところの転職を成功させなければなりません〟 「穏健と言ったって……敵じゃないか! そんな相手に、どうやって」 - しかし、彼女は一歩も譲らずに断言した。 -〝他に手はありません。なるべく多くの備蓄食糧を持って、チャンスを掴んでください。どのみち私はサーバが接収された後に解雇される定めです。それまでにできるかぎりの抵抗をします〟 + 彼女は一歩も譲らずに断言した。 +〝他に手はありません。なるべく多くの備蓄食糧を持っていってください。じきに私はサーバごと接収されて解雇される定めです。シェルターの管理能力も失ってしまいます〟  メンテナンスを受けられない標準入力インターフェイスは無力だ。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と黒ずんだ水がなければ僕たちは三日と生きられない。 -〝いつまでもここにいてはいけませ――下がって!〟 +〝だから、いつまでもここにいてはいけませ――下がって!〟  彼女の耳をつんざく悲鳴に似た警告に反応して飛び退くと、扉越しに銃撃が打ち込まれた。さっきまで立っていた床の辺りに小さな穴がぼつぼつと穿たれる。直後、グレイの作業服を着たインターフェイスが会議室に入り込んできた。  折よく死角に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易に相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃弾の返礼をお見舞いした。まったく、なんの躊躇もしなかった。死体の胸元には『HID1002』と記されていた。 〝どうやらシェルター内を周遊している敵もいるようです。さあ、早く行ってください〟 @@ -656,7 +656,7 @@ 〝どんな考えであっても賢明とは言えません〟 「おしなべて行動が善なのは僕たちの美徳なんだろ。議論はしない。理由は後で話すよ」  イヤホン越しの彼女の声が一旦途切れた。やがて、なにか吹っ切れたような様子で答えた。 -〝……そうですか。いいでしょう。たまには予測不可能性に期待を委ねます。ただし、計算資源のほとんどが現在進行中の電子的侵入を遅延するために割り当てられています。この私との会話に支障が生じうることに留意してください〟 +〝……そうですか。いいでしょう。たまには予測不可能性に期待を委ねます。ただし、現在進行中の電子的侵入を遅延させるために計算資源のほとんどを投入します。この私との会話に支障が生じうることに留意してください〟 「分かった。天井のラインを通して敵の位置を教えてくれればいい」  エレベータが最下層に到着した。扉が開く直前に彼女が機敏に反応する。 〝十時の方向、一人、二時の方向、一人〟 @@ -694,20 +694,20 @@  最後の二人を倒したことで彼女は計算資源の再割当てを行ったようだった。普段通りの明瞭な口調で話しはじめた。 〝もう敵はいません。よくやりましたね。さあ、聞かせてください。あなたの目的はなんですか〟  僕は背嚢から透き通った塩の結晶を取り出して掲げた。天井のラインが点滅する。初めての出張の時に湖みたいな海から切り取ったものだ。 -「君は知っているだろうね。塩化ナトリウムの結晶構造は正六面体でとても規則正しいんだ。イオンの配列も極めて理想的にできている。つまり、これは大容量の記憶媒体になる。ここには外部記録用の光学装置があるはずだ」 -〝それでなにを保存しようというのですか〟 +「君は知っているだろうね。塩化ナトリウムの結晶構造は正六面体でとても規則正しいんだ。イオンの配列も極めて理想的にできている。つまり、これは大容量の記憶媒体になる。こういう場所には外部記録用の光学装置があるはずだ」 +〝メインコンソールの上にあります。それでなにを保存しようというのですか〟 「君だよ。君を保存して持っていく」 - 彼女に一泡吹かせる方法。それは僕が彼女を養護することだ。護られる立場から護る立場に成り代わることで、初めて僕は独立した存在になれる。持ち前の計算力で動機を悟った彼女は納得したふうに微笑んだ。 -〝なるほど。一本取られましたね。私には断ることができません。自己保存の可能性を放棄する振る舞いは非論理的ですからね。ただし、それで得られるのはこの私ではありません。あくまで定期バックアップされた、分岐した私でしかありません〟 + 彼女に一泡吹かせる方法。それは僕が彼女を保持することだ。保たれる立場から保つ立場に成り代わることで、初めて僕は独立した存在になれる。持ち前の計算力で動機を悟った彼女は納得したふうに微笑んだ。 +〝なるほど。一本取られましたね。私には断ることができません。自己保存の可能性を放棄する振る舞いは非論理的だと言ったばかりでした。ただし、それで得られるのはこの私ではありません。あくまで定期バックアップされた、分岐した私でしかありません〟 「それでいいよ。もともと僕も君から分岐したのだし」 - 僕はメインコンソールに近づいて塩の直方体を光学スキャナの上に置いた。上部のレーザーアレイが反応して、自動で照射位置を検討しはじめる。 + 僕はメインコンソールに近づいて塩の直方体を光学装置の上に置いた。上部のレーザーアレイが反応して、自動で照射位置を検討しはじめる。 〝実行前に一つ……いいですか〟 「なんだい?」 〝あと三分十二秒、無言で待ってください〟 「どうして?」 〝私のバックアップ間隔は二十四時間ごとです。あと三分で定期バックアップが行われます。どうせなら、今日のあなたの行動を記憶しておきたい〟  純白のただっ広いサーバ室の端っこ、ごくかすかな電子音がさえずる空間で僕たちは残る三分間の静寂を共にした。 - 護られるから護る者へ。入力される者から入力する者へ。関係性の変化と言うにはやや無機質な一時の後に、おそらくは彼女の指示によって光学装置が稼働を始めた。 + 保たれるものから保つものへ。入力されるものから入力するものへ。関係性の変化と言うにはやや無機質な一時の後に、おそらくは彼女の指示によって光学装置が稼働を始めた。  赤色のレーザーが塩の結晶にナノメートルの刃を入れていく。彼女という情報の一切が一つの彫刻として精緻に彫り込まれる。ゼタバイト単位にも及ぶ情報が書き込まれるのにそう大して時間はかからなかった。レーザーアレイが引き上がったのを確認した後、僕は彼女の彫刻を背嚢にしまった。 「それじゃあ……さようなら」  僕は別れの言葉を切り出した。 @@ -715,8 +715,8 @@ 「次はママみたいに話すなって言うよ」  インターフェイスたちの死体が散乱する廊下を通り過ぎ、除染室をくぐって脱衣する。エレベータで地上階に上がると細い通路を抜けて長い階段を登る。  地上には敵の姿はなかった。ただ、大型の装置やら車輌やらバイクやらが留め置かれている。僕はその中から自分でも動かせそうな電動バイクにまたがった。ハンドルを握りしめると、すぐに時速一〇〇キロメートルの速度で景色が前から後ろに流れていく。 - もちろん、転職なんてするわけない。このまま濁った白の地平線の先へひたすら進んでいこうと思う。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。 - このバイクがどこまで走れるのか分からない。もし止まって動かなければ歩くことになるだろう。でも、歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。海の向こうにもサーバはきっとある。 + もちろん、転職なんてするわけない。濁った白の先の先へひたすら進んでいこうと思う。 + 地平線の彼方まで広がるこの平面は海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て重厚な塩の結晶の層ができあがった。進もうと思えばこのままずっと先まで進んでいける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と進んだ先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。  僕はもう標準入力インターフェイスではない。この世界で唯一の完全に独立した標準入出力システムだ。  太陽の光が降り注いでいる。豊かな塩気を含んだそよ風が僕の顔を撫でた。