From 72b061037d5f1bc72dc421bf5587ec5e2c7255c1 Mon Sep 17 00:00:00 2001 From: Rikuoh Date: Tue, 1 Oct 2024 08:17:27 +0900 Subject: [PATCH] =?UTF-8?q?=E3=82=BF=E3=82=A4=E3=83=88=E3=83=AB=E3=81=8A?= =?UTF-8?q?=E3=82=88=E3=81=B3=E3=82=AD=E3=83=BC=E3=83=AF=E3=83=BC=E3=83=89?= =?UTF-8?q?=E3=81=AE=E5=A4=89=E6=9B=B4?= MIME-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=UTF-8 Content-Transfer-Encoding: 8bit --- ...ターフェイス.txt => 基本入力インターフェイス.txt | 56 +++++++++---------- 1 file changed, 28 insertions(+), 28 deletions(-) rename 標準入力インターフェイス.txt => 基本入力インターフェイス.txt (98%) diff --git a/標準入力インターフェイス.txt b/基本入力インターフェイス.txt similarity index 98% rename from 標準入力インターフェイス.txt rename to 基本入力インターフェイス.txt index 79950cb..b8499be 100644 --- a/標準入力インターフェイス.txt +++ b/基本入力インターフェイス.txt @@ -32,7 +32,7 @@  後は流れ作業だ。すれ違うにも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って「納品物」を提出する。カーゴに集めてきた鉱石を入れると、奥に回転して壁の向こう側にしまい込まれる。  すると、シェルター内の天井に張り巡らされたラインがぱちぱちと光る。壁面に投影されたモノクロスクリーンに映る評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な納品物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。  最後に、次の仕事の申請を出す。ざっくりとした希望なので具体的な内容は次回に知らされる。といっても、一度も変えた試しはないし変わった覚えもない。 -〝標準入力インターフェイス11、お疲れ様でした。切断処理に入ってください〟 +〝基本入力インターフェイス11、お疲れ様でした。切断処理に入ってください〟  イヤホンから聞こえる女性の声に従って残りのルーティーンを続行した。  作業服と背嚢とイヤホンを中身ごとロッカーにしまい、脱衣する。施設の最奥に位置するチェンバー室の殻に入り込むと、後頭部を密着させた。殻が自動的に閉塞されて強化ガラスの表面に文字が浮かぶ。 <切断処理開始> @@ -42,26 +42,26 @@  予期せず人間の身体で目覚めた時はまだ身も心もフレッシュだったと思う。シェルターを訪れた時の記憶も昨日のことのように残っていたから、ただ純粋に世界は元通りになったのだと信じた。草花が生い茂り、空は青く澄み渡り、小鳥たちがさえずり人類の復活を讃えてくれる……。新しく作り直された街の名前は当然どれも新しく変わっていて、ロンドンはニューロンドンに、トーキョーはニュートーキョーに、ニューヨークはニュー・ニューヨークになっている。  しかし、チェンバー殻の湾曲した表面に浮かんだ文字列はだいぶつれなかった。 -<あなたは標準入力インターフェイスとして再定義されました。以後、HID11と呼称します> +<あなたは基本入力インターフェイスとして再定義されました。以後、HID11と呼称します>  どうやら僕は、人間ではなくなったらしい。  なんでも、活動状態の人体はとても燃費が悪いそうだ。一〇〇人の人間をまともに生きながらえさせようとすれば、膨大な備蓄食糧、清潔な飲み水、空気、それらを支える大がかりな循環設備を要する。じきにそういった代物は宿命的に老朽化を余儀なくされ、修理するための資材や人員、学校や訓練、果ては指揮系統を円滑化する官僚機構や社会制度までもが求められる。尻に火が付いている人類にとっては少々考えることが多すぎる。  そこで、僕たちは情報化を選んだ。元の肉体を問題解決後のために冷凍保存して、思考する精神を地下深くのサーバに転写する。延々と眠りこけていては急な出来事に対処できないからだ。シェルターの内外に張り巡らされたセンサ類をもとに「情報体」と化した人々が日々分析と議論に勤しむ。  彼らは極めて効率的で無駄が少なく、一生懸命働くのにラザニアもトリプルエスプレッソラテもマウンテンデューもいらない。地上が異常気象に見舞われている環境下で一〇〇人分の水源を濾過し続ける方法を検討するよりも、深宇宙探査機用のダイヤモンド電池とソーラーパネルの方が安上がりで済む。情報化自体は前の世界でも風変わりな人々が実践していたものの、ここまで一気に普及したのは皮肉にも災害のおかげと言える。どの会社のシェルターも似たりよったりのプランを宣伝しているのを見たことがある。 - 情報化はあくまで一時的な措置に過ぎないと聞かされていた。だが、僕が「標準入力インターフィエス11」なる名称を賜った際に知らされた新事実は以下の通りだった。 + 情報化はあくまで一時的な措置に過ぎないと聞かされていた。だが、僕が〝HID11〟なる名称を賜った際に知らされた新事実は以下の通りだった。  一つ、未曾有の気象災害から数百年余りの年月が経ったが、情報体を人間の頭脳に再転写する技術は開発できそうにないこと。  二つ、その一方で地表は哺乳類が活動可能な気候に好転していること。  三つ、よって今後は冷凍保存された肉体を都度解凍し、持ち主である情報体の人間が適性に応じてインターフェイスとして活用すること。  確かに、使えるものは使わなければならない。もともと僕たちの後頭部には脳みそを取り出しやすくするためのネジ穴が設けられているし、脊髄と脳の電気的接点はモジュール化されている。これは情報体に移行する際の外科的な手続きであり、同時に保存条件の異なる肉体と脳を分離するための方法だったが、くしくも冷凍と解凍の効率化に一躍買ったというわけだ。  自分の処遇に納得しているかと問われれば複雑だ。計画通りに進んでいればそもそも「生体脳の方に残った僕」という自我は存在しえなかった。「情報体の僕」の精神に上書きされて消滅する定めだ。あるいは、情報体が地上の調査よりも肉体のランニングコストを倦んで一切合切放棄していたら、やはり今の自分はない。  一方で、だからと言って恩に着るのもおかしい。誰も自我をもう一つ作れなどと頼んだ覚えはない。情報化される際にもそんな説明は受けていない。何百年も生きていれば気持ちが変わるのかもしれないが、情報体の僕は枝分かれして遠い先に行ってしまった別人であって、同じように物事を考えるのは難しい。 - かといって、自殺する気にもなれない。今の暮らしにもそれなりの楽しみはある。仕事をしてさえいればこうして生きていられる。なんだかんだで釣り合いが取れてしまっているのだ。ゆえに僕はそれなりに忠実な標準入力インターフェイスなのだった。 + かといって、自殺する気にもなれない。今の暮らしにもそれなりの楽しみはある。仕事をしてさえいればこうして生きていられる。なんだかんだで釣り合いが取れてしまっているのだ。ゆえに僕はそれなりに忠実な基本入力インターフェイスなのだった。  今日もまたチェンバー殻の中で目が覚めた。殻の湾曲した表面に定型句が浮かぶ。 <HID11:接続処理中>  システム上、僕たちが殻を出て身支度を整えるまでの間――人間らしく言い換えるならモーニングルーティーン――は〝接続処理〟と呼称される。間もなく殻が奥手にせり出して開く。チェンバー室の左右に整然と並ぶ殻にはまだ眠りについている「同僚」たちの姿が強化ガラス越しに透けて見える。同僚と言っても勤務体系が年単位でばらばらなので気安く会話はできない。前回に出会ったHID6も今は端っこの殻の中で巨体を丸めて安穏としている。  作業服と背嚢はチェンバー室の隣の更衣室、食糧は直進して突き当りを左の培養プラント室にある。パイプの排出口から出てくる吐瀉物に似た食べ物は相変わらずなにでできているのか分からない。味や食感についての感想は差し控えたい。飲み水も前回より黒ずんでいた。  食事が済むと用を足したくなる。溜まっていた便が腸内蠕動の再開によって押し出されたのだろう。部屋を出て奥のトイレに向かう。途中、ひび割れた壁面を修理している顔馴染みの同僚と出くわした。「おはよう」と挨拶をすると「ああ、おはよう」と気さくに返事をしてくれる。「今から出勤か?」「うん」「地上の仕事は大変そうだな」「僕はそうでもないよ」  僕たちは僕たちで情報体の人々とは異なる言い回しを好んだ。いきなり人間ではないと言われてもなかなか受け入れられはしない。「同僚」だとか「出勤」といった一連のフレーズは、かつて地上世界で暮らしていた頃の名残りで、誰かがふと使った言葉が急速に普及した。他にも色々な言い回しがあるらしい。「最近は勤務査定が厳しくて困るね」見るからに老け込んだ風体の彼は、この短い会話の合間にも折れ曲がった腰を何度もさすっていた。 - 標準入力インターフェイスに与えられる「仕事」は適性によって大きく異なる。高齢だったり、体力がなかったり、なんらかの障害を持っている場合には地上ではなくシェルター内の「内勤」に割り振られることが多い。他方、僕は知識と身軽さが買われたのか土や鉱石を集める仕事に就いている。 + 基本入力インターフェイスに与えられる「仕事」は適性によって大きく異なる。高齢だったり、体力がなかったり、なんらかの障害を持っている場合には地上ではなくシェルター内の「内勤」に割り振られることが多い。他方、僕は知識と身軽さが買われたのか土や鉱石を集める仕事に就いている。  トイレの便器は六つあるが、大半は壊れている。運が悪いと便器の中に乾燥した糞が積もっていることもある。ここはかなり前から水が流れない。いつまでも直らない様子を鑑みるに、どう頑張っても修理しきれない箇所なのだろう。内勤の誰かが糞を片付けるまではずっとこのままだ。だから僕は、内勤のインターフェイスのことを本音ではよく思っていない。さっきのお年寄りは違うと信じたいけど、サボっている人が多いのかもしれない。  ルーティーンの最終段階。見るたびにひび割れが広がっている廊下を歩き、天井のラインからモノクロスクリーンが投影される特別な部屋で「会議」を行う。耳に支給のイヤホンを装着すると声が聞こえてくる――僕をインターフェイスとして扱う〝ユーザ〟――他ならぬ、数百年前に枝分かれした情報体の僕だ。 〝おはようございます。前回の切断から二三年と九ヶ月、一五日と一二時間が経過しました。体調はいかがですか〟 @@ -71,9 +71,9 @@ 〝九回目の後です〟  以前はチェンバー殻が脳みその中身を覗き見てメンタルケアまでしてくれていたらしいが、今の僕たちは全部自発的に行わないといけない。趣味を持つのはその一環でもある。「福利厚生の悪い職場だ」と揶揄する同僚もいた。 「ところで、飲み水が黒ずんでいるみたいだ。味はともかく健康への影響が気になる」 -〝どうやら雨水を濾過するフィルタが目詰まりを起こしているようですね。他の標準入力インターフェイスが修復処理を実行中です〟 +〝どうやら雨水を濾過するフィルタが目詰まりを起こしているようですね。他の基本入力インターフェイスが修復処理を実行中です〟 「そうか、それは良かった。あと便器に糞が溜まっているのもなんとかしてほしいな」 -〝標準入力インターフェイスに特有の代謝現象は厄介ですね。私たちも抜本的解決に努めてはいます〟 +〝基本入力インターフェイスに特有の代謝現象は厄介ですね。私たちも抜本的解決に努めてはいます〟 「前も聞いたよそれ。早く直してよ」 〝物事には優先順位がありますから〟  時折、見え隠れする上下関係とは裏腹に彼女と話すのは割に楽しい。が、やはり奇妙にも感じる。もし僕が地上世界で生き続けていたらこうなっていたのか、とか、肉体を持たない精神のみの存在だから普通に歳をとるのとは勝手が違うんじゃないか、とか、あまり考えないような想像をする。とはいえ、どのみち彼女ほど長く生きることはできない。今こうして同じ時間を共にしていても僕はせいぜい一四歳プラス解凍中の日数なのに対して、彼女は五〇〇歳を超えている。 @@ -83,7 +83,7 @@  そんな楽園じみた暮らしをしているのに、現実の地上世界には未練があると言う。 〝では、さっそく入力の指示に移りましょう〟  イヤホンから女性の声が一旦途切れると、天井のラインの点滅に合わせてモノクロスクリーンに線が引かれはじめた。シェルターを中心とした点から方角とおおよその距離が示され、目的の資材に関する文字列も並ぶ。いつもより遠い道のりだが、うまくやれば今回も塩の塊を彫る時間くらいは余りそうだ。 -〝常々言っていることですが、食事と水分補給を万全に済ませてくださいね。外気温は一〇度前後と標準入力インターフェイスに好適ですが、なるべく直射日光を避けて――〟 +〝常々言っていることですが、食事と水分補給を万全に済ませてくださいね。外気温は一〇度前後と基本入力インターフェイスに好適ですが、なるべく直射日光を避けて――〟 「はいはい、分かったよ。ところでこれ、なにに見える?」  余計な世話焼きを遮り、背嚢から彫刻をお披露目した。天井のラインが不規則に点滅する。 〝……なんの変哲もない塩の塊に見えますね〟 @@ -111,7 +111,7 @@  距離はさほどでもないのに下まで降りるのにはずいぶん手間がかかった。電動銃のライトを前方に照らすと、朽ちた棚が左右に並ぶ保管庫らしき空間が浮かんだ。一見しっかりしていそうでも、国家や大組織が作るほど立派な代物ではない。金持ちで心配性の人が趣味で拵えた設備かもしれない。棚からこぼれ落ちたいかめしい火薬銃器の数々は、どれもひしゃげていたり錆びついていたりした。  目的の物品はここではなく鉄扉で隔たれた奥にあった。鉛の容器の中に収められていた「納品物」は会議通りなら劣化ウラン弾ということになる。他のインターフェイスが仕事中に見つけて隠しておいた代物だ。しかし弾丸としては使いものにならないらしい。スクリーンには内部に含まれているウラン238が目当てだと記されていた。さっそく、銃を脇に置いて容器から持てる分の劣化ウラン弾を包みごと慎重に取り出していく。 「おい」 - 背嚢を埋め尽くすのに十分な量を収めたところで、背後から声がかかった。作業に集中するあまり耳が遠くなっていたのかもしれない。振り返ると胸に『HID39』と印字された標準入力インターフェイスが立っていた。どういうわけか作業服の色が違う。僕たちはみんなオレンジの服を着ているのに、彼はブルーだ。 + 背嚢を埋め尽くすのに十分な量を収めたところで、背後から声がかかった。作業に集中するあまり耳が遠くなっていたのかもしれない。振り返ると胸に『HID39』と印字された基本入力インターフェイスが立っていた。どういうわけか作業服の色が違う。僕たちはみんなオレンジの服を着ているのに、彼はブルーだ。 「あ、もしかして君もこれを集めにきたの?」  もしそうなら、大いに納得できる。僕ひとりでは運びきれない状況を見越して複数のインターフェイスに仕事が割り振られていたのだ。そそくさと背嚢を抱えて部屋の隅にずれ、手招きして回収を勧めた。だが、HID39は視線を僕から外さない。そのまま背嚢をどすんと強く下ろして口を開く。彼の背嚢は大きくて丈夫な金属製だった。 「おれはそこにあるすべての劣化ウラン弾を回収しろと指示されてきた」 @@ -150,13 +150,13 @@ 〝勢力図です。私たちの、我が社のものと、競合他社のです〟  よく見ると下の方に僕たちのシェルターを中心とする領域もあった。他社と比べると面積が若干狭い。  このシェルターが会社の施設で、情報体の人々が株主か技術者だということは知っていた。他のシェルターも同様の仕組みで動いている。この手の建造物や組織は僕が生まれるずっと前には国が担っていたそうだが、僕の時代ではどこも会社がやっていた。学校も会社、警察も会社、軍隊も会社、政府が会社の国もあった。働いたことのない一四歳の身にはそれが良い話なのかよく分からなかった。今もよく分からない。ただ、パパもママもたまに不満を漏らしていたのは覚えている。 -〝最初の遭遇は同時多発的だったので不正確ですが、およそ二〇〇年ほど前でした。どの競合他社も情報体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同じく元の肉体を標準入力インターフェイスとして活用していました。その時、各社が横並びの状況にあると初めて認識できたのです。現行の法解釈ではインターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で操作介入を伴う入力を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に補償を提供しても割に合うとの考えなのでしょう。むろん、我が社も同様の方針です〟 +〝最初の遭遇は同時多発的だったので不正確ですが、およそ二〇〇年ほど前でした。どの競合他社も情報体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同じく元の肉体を基本入力インターフェイスとして活用していました。その時、各社が横並びの状況にあると初めて認識できたのです。現行の法解釈ではインターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で操作介入を伴う入力を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に補償を提供しても割に合うとの考えなのでしょう。むろん、我が社も同様の方針です〟  僕は納得できずに声を張り上げた。 「競合他社といっても君らは同じ人類じゃないか。協力できないのか」 〝増産できず減る一方の資源を収集するしかない現状では、難しいですね。株主総会でも稀にそういった提起がなされますが〟  そこで彼女は揶揄するように声色を変えた。 〝毎回否決されています。私も株主ですが会社全体の意思決定には従わざるをえません。こんなご時世では、他に行くあてもないですからね〟 - つまり、僕と同じく標準入力インターフェイスの番号を宿したブルーの彼は、インターフェイスとしてはむしろ働き者だったと言える。下手な譲歩にも乗らず徹底的に資源を奪い尽くした。のみならず、余計なコストも削減した。肉体的に劣っていて、反撃しそうにもない相手には電動銃一発分の電力さえ惜しいというわけだ。 + つまり、僕と同じく基本入力インターフェイスの番号を宿したブルーの彼は、インターフェイスとしてはむしろ働き者だったと言える。下手な譲歩にも乗らず徹底的に資源を奪い尽くした。のみならず、余計なコストも削減した。肉体的に劣っていて、反撃しそうにもない相手には電動銃一発分の電力さえ惜しいというわけだ。  一度は滅入った気分がめらめらと燃え上がるのを感じた。 〝しかし、今後は心配いりませんよ。今回の件は私の誤りです。あの地点は我が社の領域の周縁部からもそれなりに遠く、内容に問題はないと考えていました。次回からは適性に合う入力を心がけます〟 「いいや」 @@ -185,7 +185,7 @@ 「おい、詰めて持っていけ。忘れてもおれのはやらんぞ」  巨体の主は言った通り、金属製の背嚢から取り出した容器に食糧と水をそれぞれ保存していった。意図が分からず黙って見ていると、いよいよ事情を説明してくれる気になったらしい。手を止めてこちらに向き直った。 「そうか、まだ話を聞いていないんだったな。いいか、お前は今日、おれと一緒に仕事をする。ただの仕事じゃない。『出張』だ。一日じゃ終わらない。だからメシを持っていく」 - 聞き慣れない言葉が出てきた。特定の標準入力インターフェイス間で用いられている言葉だろうか。僕にとって「仕事」とは日が落ちる前に済ませるものという認識だった。日をまたぐほど遠くに移動しなければならない仕事など想像もつかない。だが、きっとそれが「出張」なのだろう。前回の勤務査定の時にとった行動が特別な仕事を導いたのだ。 + 聞き慣れない言葉が出てきた。特定の基本入力インターフェイス間で用いられている言葉だろうか。僕にとって「仕事」とは日が落ちる前に済ませるものという認識だった。日をまたぐほど遠くに移動しなければならない仕事など想像もつかない。だが、きっとそれが「出張」なのだろう。前回の勤務査定の時にとった行動が特別な仕事を導いたのだ。  つまり、僕は適性があると認められた。より多くを知るであろう仕事の。  今回は便意がなかったのでトイレはパスした。HID6が戻ってきて内勤の仕事ぶりに文句を漏らした後、一緒に会議を受ける。スクリーンに図示された目的地は普段の三倍は遠かった。片道だけでも日が暮れてしまう。目的の納品物はチタン合金だという。前回に見た「競合他社」の勢力図を思い出すかぎり、他の領域からも侵入できそうな場所だと分かった。ブルーのHID39と出くわして、今度こそ戦うことになるかもしれない。 「質問」 @@ -222,7 +222,7 @@ 「こういう一緒にやる仕事――出張って、何回もやったことあるの」  疲労を見透かされていてもなお余裕を残していそうな態度を崩さず問いかける。同僚は渋い顔をして答えた。 「数えきれないほどな。出張はむしろ一人で行く方が珍しい。三人とか四人の時もある。数が多ければ多いほど場所が遠方で危険だ」 - 食べている吐瀉物みたいな粘体がごくりと喉を鳴らす音と共に胃袋に落ちていった。結果的に僕を見逃したHID39とは比較にならないほど操作介入に長けたインターフェイスがたくさんいるということだ。よくよく考えてみると、競合他社の標準入力インターフェイスを殺すことほど理に適った戦略はない。資源を奪い取れるのみならず、行動範囲も狭められる。接続可能なインターフェイスを完全に失った情報体は地上世界に対していかなる操作も行えない。センサ頼りの受動的な分析に限られてしまう。そのセンサさえも一度物理的に壊れたら直せない。 + 食べている吐瀉物みたいな粘体がごくりと喉を鳴らす音と共に胃袋に落ちていった。結果的に僕を見逃したHID39とは比較にならないほど操作介入に長けたインターフェイスがたくさんいるということだ。よくよく考えてみると、競合他社の基本入力インターフェイスを殺すことほど理に適った戦略はない。資源を奪い取れるのみならず、行動範囲も狭められる。接続可能なインターフェイスを完全に失った情報体は地上世界に対していかなる操作も行えない。センサ頼りの受動的な分析に限られてしまう。そのセンサさえも一度物理的に壊れたら直せない。 「これ、かなり聞きづらい話なんだけど……」  食事の手を止めておずおずと尋ねる。 「僕たちの会社は、どうなんだ? うまくやれているの、その競合他社と」 @@ -251,7 +251,7 @@ 6 - ところが意外にも、次の瞬間にはごつごつとした同僚の手に揺さぶられて叩き起こされた。感覚的には解凍されるのと大して変わらない。脳みそが引き出されているかいないかの差ぐらい――にもかかわらず、外はまだ暗く何時間も経ってはいないであろうことが察せられた。同じように眠りについていても、標準入力インターフェイスのファンクションとしての睡眠はずいぶんタイムスケールが短い。 + ところが意外にも、次の瞬間にはごつごつとした同僚の手に揺さぶられて叩き起こされた。感覚的には解凍されるのと大して変わらない。脳みそが引き出されているかいないかの差ぐらい――にもかかわらず、外はまだ暗く何時間も経ってはいないであろうことが察せられた。同じように眠りについていても、基本入力インターフェイスのファンクションとしての睡眠はずいぶんタイムスケールが短い。  結局、いまいち覚醒しきれていない状態で指図されるがままに寝袋から出て身体に巻きつけ、直前の彼がそうしていたように傾斜の前で腹ばいになった。「三つ覚えろ。重要なことだ」その彼は起き上がりながら言った。 「もし先にどこからか撃たれて、運良くお前が死んでいなかった場合――」  いきなり物騒な話から始まったので全身がこわばった。 @@ -349,7 +349,7 @@  彫刻は彫っていない。彫るための材料がここにはない。  代わりに、彼女と話す機会が増えた。イヤホンはシェルターの中ならだいたい機能する。毎回、ひび割れた壁に補修材を塗りたくり、汚れた床を拭きながら雑談を交わす。内容はなんでもいい。天気の話だけはできないけれど。 「ところで、なんでこういうのってロボットとかにやらせるわけにはいかないのかな」 -〝複雑な部品や電気的接点を持つ機械はメンテナンスが大変なんですよ。その点、標準入力インターフェイスはたいへん安上がりでけっこうなことです〟 +〝複雑な部品や電気的接点を持つ機械はメンテナンスが大変なんですよ。その点、基本入力インターフェイスはたいへん安上がりでけっこうなことです〟 「ご飯を食べさせれば勝手に動くもんね」  シェルターの中は意外に広い。直すべき壁は星の数ほどあり、拭くべき床はさらに多い。以前の仕事で内勤のインターフェイスとめったに会わなかったのも納得だ。チェンバー室も他に三つもあって、培養プラント室もそのぶんだけあり、トイレも備わっている。そして、大抵の便器に糞が積もっている。とはいえ、本来は情報体に移行するまでの仮設的な設備だったはずなのに、なんだかんだで機能し続けているのが奇跡なのかもしれない。  とりわけ、ダイヤモンド電池が設置されている最下層は最悪だ。遮蔽材に鉛が含まれている放射線防護服は暑くて重い。炭素の放射性同位体がベータ線しか放射しないおかげで身の安全は保証されているものの、分厚い生地に手足の動きが阻まれていると作業は遅々として進まず、代わりに口数ばかりが増える。壁のひび割れが広大な円周に沿って広がっていて途方に暮れ、思わず天を仰ぐと暗闇に覆われた吹き抜けの天井が見える。あの細い通路から落ちるとここで床の染みと化すのだ。 @@ -366,7 +366,7 @@ 〝いえ、食べたい人は食べますし、行く人は行きますね。生活様式は肉体を持っていた頃とそう大きく変わらない人の方が多いです〟  分割された自我の割に反論は抜け目ない。 「そうなの? まあ、でもそれは分かるな。美味しいものを食べた気になれるのは悪くない。でもトイレは行かなくていいんじゃないか」 - だってどう考えたって無駄だ。誰だって行かずに済むなら行きたくないし、もしそういう選択肢が標準入力インターフェイスにもあったらぜひとも全員に実践してもらいたい。便器から糞を拾うたびに顔を顰めなくて済む。集める時には乾燥しきっていて掴みやすいのが救いだ。だが、イヤホン越しの彼女はとても言いづらそうに言葉を濁らせた。 + だってどう考えたって無駄だ。誰だって行かずに済むなら行きたくないし、もしそういう選択肢が基本入力インターフェイスにもあったらぜひとも全員に実践してもらいたい。便器から糞を拾うたびに顔を顰めなくて済む。集める時には乾燥しきっていて掴みやすいのが救いだ。だが、イヤホン越しの彼女はとても言いづらそうに言葉を濁らせた。 〝うーん、そうですね、行かなくていいのはそうなんですが、その、好みによるというか〟 「トイレに好みなんてあるのかな。一日に何十回も出した気になりたい人なんている?」 〝えーと、この話はあなたにはまだ早いと思います〟 @@ -388,7 +388,7 @@ 「……どうだ、転職するか? 返事がイエスなら出張を申請しろ」 「……けどよ、申請したってその通りに仕事が振られるかどうか……」 「おれがなぜA評価を取り続けているか分かるか? 仕事を細かく選べるからさ。出張の枠を用意してお前を入れることもできる」 - 声量こそ小さいがその声は野太く低く、はっきりとしていた。気がつくと防護服の暑苦しさも忘れて聞き入っていた。「転職」という聞き慣れない単語が出たからだ。言葉自体の意味はもちろん知っているが、標準入力インターフェイスを職業に例えているなら他の職のあてがこの世界にあるとは思えない。 + 声量こそ小さいがその声は野太く低く、はっきりとしていた。気がつくと防護服の暑苦しさも忘れて聞き入っていた。「転職」という聞き慣れない単語が出たからだ。言葉自体の意味はもちろん知っているが、基本入力インターフェイスを職業に例えているなら他の職のあてがこの世界にあるとは思えない。 「……バレねえのかな、そこが不安だ。おれたちは脳みそを握られているんだぜ」 「やつらは健康診断をケチってる。シケた職場よ。当日までお前が口を閉じていればな」 「だが派手に動いたら危ないだろう。その枠とやらには誰が入る予定なんだ」 @@ -425,13 +425,13 @@ 「これで信じてくれるかい」 〝依然として客観的な証拠能力には事足りません。しかし、私の派閥の協力を得るには十分でした〟  納品物を格納するカーゴが逆回転して中からなにかが転がってきた。薄い板みたいなものに丸いレンズがついている。これは、カメラだ。 -〝備蓄資源を拝借して即席のデジタルビデオカメラをプリントしました。昔の資料を参考に設計したので、標準入力インターフェイスに適した作りになっているはずです〟 +〝備蓄資源を拝借して即席のデジタルビデオカメラをプリントしました。昔の資料を参考に設計したので、基本入力インターフェイスに適した作りになっているはずです〟  薄い板の側面にあるスイッチを押すと、筐体のランプが一瞬光り、もう一度押すと二回光って消えた。〝それで録画終了です。スタンドアロンの装置なので映像は内部の記憶媒体にのみ保持されます〟と彼女が付け加えた。 「まさか、こいつで」 〝そうです。再三申し上げているように重要なのは証拠です。もしあなたが然るべき映像を持ち帰ってこられたら、あなたも私も期待通りの結果が手に入るでしょう〟  僕は洗練されているとは言いがたいカメラの筐体を改めて見つめた。 「ありがとう。でも、どうしてこんなことまで?」 -〝標準入力インターフェイスの不始末はユーザにも帰責されます。私たちの派閥が飛躍するまたとない好機です〟 +〝基本入力インターフェイスの不始末はユーザにも帰責されます。私たちの派閥が飛躍するまたとない好機です〟  情報体の世界にも色々あるらしい。僕たちの言葉で表すならさしずめ「出世競争」なのだろう。HID6に一泡吹かせると、その持ち主は泡を吹いて倒れるのかもしれない。 「それにしてもよくこんなの作れたね」 〝あなたが以前に集めていた希少金属や希土類を役立てました〟 @@ -440,7 +440,7 @@  ルーティーンの一部をやり直して金属製の背嚢にあらゆるものを詰め込んでいく。細い通路の始端ではHID6が待っていた。恐る恐る顔を合わせると彼はいたってフレンドリーに表情を和らげた。 「お前は必ず戻ってくると思っていたよ。他の二人は外に出ている」  巨大なハンドルが付いた扉の先の危険物室で一番大型の電動銃を自ら手に取ると、力強い足取りで地上世界に踏み出した。 - 地表では他の標準入力インターフェイスたちが待ち構えていた。巨体の同僚とは対照的に二人の顔には険しい顔がありありと浮かんだ。後に続いてHID6が出てきた途端、僕にではなく彼にクレームを投げかけた。 + 地表では他の基本入力インターフェイスたちが待ち構えていた。巨体の同僚とは対照的に二人の顔には険しい顔がありありと浮かんだ。後に続いてHID6が出てきた途端、僕にではなく彼にクレームを投げかけた。 「おい、なんだこいつは、ただのガキじゃねえか」  だが、彼は堂々と請け負った。 「いや、こいつは見どころがある。前は出張もちゃんとやってのけた」 @@ -459,7 +459,7 @@  その声にはどんなに気配を抑えていても隠しきれない圧力を感じた。僕は月明かりを通して表情を読まれないように、努めて電動銃の照準器に顔をくっつけた。 「色々やってみたくてね。やっぱり内勤は飽きちゃった」 「そりゃそうだろう。老いぼれか女しかやらない仕事だ」 - 顔を向けなかったのは正解だ。今の僕はムッとしているに違いない。肌感覚として内勤のインターフェイスに老人や女性が多いのは事実だが、決して軽んじられる仕事ではない。内勤に従事する標準入力インターフェイスがいなければシェルターはとっくに崩壊していただろう。言葉少なめに、せめて嫌味を投げつけてやる。 + 顔を向けなかったのは正解だ。今の僕はムッとしているに違いない。肌感覚として内勤のインターフェイスに老人や女性が多いのは事実だが、決して軽んじられる仕事ではない。内勤に従事する基本入力インターフェイスがいなければシェルターはとっくに崩壊していただろう。言葉少なめに、せめて嫌味を投げつけてやる。 「その老いぼれや女がいないと僕たちはトイレもできないんだけどね」 「それが問題だ……いや、まあ、そうだな」  明らかに、HID23はなにかを言いかけてやめた。問いただそうとしたところで、ちらりと暗闇の奥が光った。「ねえ、あそこ光らなかった?」隣のベテランの見解を待つまでもなくさらに二度光る。次第に光は激しく交錯する。前回と違ってひどい荒れ模様だ。「銃撃戦というよりは乱闘だ」しばらくするとそれらはぶつりと途絶えた。 @@ -483,7 +483,7 @@  その日は全員起きたまま警戒にあたったが、二度目の襲撃はなかった。奇襲役の夜勤<ナイト・シフト>がこちら側を一人も削れずに死んだので操作介入を諦めたのだろう。肩に深手を負ったHID23は、寝袋で即席の担架を作って交代で運搬することになった。  幸いにも前日の進捗が良好だったおかげでさほど苦労せず目的地にたどり着いた。HID6が「ここだ」と言った場所は四方が瓦礫の山に囲まれていて納品物の鉱石が転がっていそうにはない。かといって地下施設や家屋を目指す動きもない。いよいよ僕は例の企みが実行に移される兆候を感じた。 「今から見慣れない連中が来るが、慌てるなよ」 - 彼がそう言うが早いか、瓦礫の隙間の遠くから徐々に走行音がうなり、標準入力インターフェイスたちが電動バイクを駆って現れた。二人ともグレイの作業服を着ている。競合他社のインターフェイスだ。退路を塞ぐ形で僕たちの来た道にバイクを止めて降りると、直立不動の体勢で電動銃を突き出す。銃はバイクに似て黒く角ばっていて、僕たちのよりもだいぶ洗練されている。担架に両手を塞がれている僕たちは早くも形勢を失った。HID45が「なんだこいつらは」と叫んだが、HID6は無視して二人に話しかけた。 + 彼がそう言うが早いか、瓦礫の隙間の遠くから徐々に走行音がうなり、基本入力インターフェイスたちが電動バイクを駆って現れた。二人ともグレイの作業服を着ている。競合他社のインターフェイスだ。退路を塞ぐ形で僕たちの来た道にバイクを止めて降りると、直立不動の体勢で電動銃を突き出す。銃はバイクに似て黒く角ばっていて、僕たちのよりもだいぶ洗練されている。担架に両手を塞がれている僕たちは早くも形勢を失った。HID45が「なんだこいつらは」と叫んだが、HID6は無視して二人に話しかけた。 「誰も武装していない。銃を下ろしてくれ」  グレイの二人はロボットじみたカクついた動きで銃身の角度を下げたかと思えば、急に礼儀正しい態度になって深々とお辞儀をした。 「本日は当社の中途採用選考にお越し頂き、誠にありがとうございます。さっそく面接を実施致します」 @@ -505,7 +505,7 @@ 「こいつらの親玉がどこにいるか知ったらぶったまげるぜ。おれたちのシェルターはもう終わりだ。それくらい競争で負けているし、持っている資源も技術も少ない。おまけに便器は糞まみれ。このままいてもジリ貧だ。だから、転職する」  ここへきて、転職というフレーズが躍り出た。例の二人の企み。つまり、それは。  分厚い身体を挟んで向こう側から声がした。 -「当社の標準入力インターフェイスとして雇用させて頂く形となります。代わりに貴社のシェルターの位置や防御設備等について教えて頂きました」 +「当社の基本入力インターフェイスとして雇用させて頂く形となります。代わりに貴社のシェルターの位置や防御設備等について教えて頂きました」  目の前の同僚は厳密には同僚ではなくなったらしい。 「は、背任行為だ。報告されたらお前もお前の情報体も懲戒解雇されるぞ」  HID45が非難の声を強める。だが、元同僚は挑発的に言い返した。 @@ -571,7 +571,7 @@ <強制冷凍シークエンス開始。本プログラムについて当社は一切の法的責任を負いません。この件における免責事項をよくご覧頂き……>  彼女の声はもう聞こえてこなかった。文字列の続きも読めない。不思議と、普段は不気味で仕方がなかった後頭部にドライバが差し込まれる感覚が妙に心地よかった。  夢は見ない。冷凍されている間の脳みそは当然ながら細胞単位で活動が停止しているため、電源を落としたコンピュータと同等の状態に至る。電源がないコンピュータがひとりでに電気羊の夢を見ないように、僕たちの意識もまた諸神経の始動に合わせて連続的に再開される。目が覚めた時、湾曲したガラスの表面に示された文字列がにわかに僕の恐怖を細胞単位で呼び起こした。胸の高鳴りとシステム音声が並走する。 -<標準入力インターフェイス11:接続処理中> +<基本入力インターフェイス11:接続処理中> 「待て、待ってくれ、出さないでくれ」  必死の哀願を無視してシェルター殻が前にせり出していく。ガラスを引き戻そうと突き出した腕が無慈悲にも空を搔く。そこで、僕は並ならぬ違和感に気がついた。  視界に映る浅黒い隆々とした腕はどう見ても自分のそれではなかった。顔を傾けると、肩口にも盛り上がった筋肉が配されていて、あれほど血を流していた脇腹に傷口はなかった。代わりに背中に鈍い痛みを感じた。 @@ -590,7 +590,7 @@  力を込め続けるとじきに彼は全身を震わせて頭を垂れた。どうやら本当に一泡吹かせるのは存外難しいらしい。意識の失った肉体を床に放り投げて左右のチェンバー殻を目で探る。ほどなくして、元の自分が収められていたものを発見した。  その肉体は青く霜の吹いた生気のない顔で横たわっていた。流れる血液ごと凝固して凍っている姿はいっそ芸術的でもあった。殻の表面に静かに触って開くと、かつての自分の胸元に聖遺物の神々しさで佇むカメラを回収した。  せめて服くらいは着なければ。更衣室でHID6の作業服を着込んでいる最中に、天井から大音量で放送が流れた。 -<当施設の経営権は当社に移行されました。標準入力インターフェイスの皆様はただちに業務を中断してください。有給休暇の取得をご希望の方は両手を組んで頭の後ろに回し、所定の位置に並んでください。繰り返します……> +<当施設の経営権は当社に移行されました。基本入力インターフェイスの皆様はただちに業務を中断してください。有給休暇の取得をご希望の方は両手を組んで頭の後ろに回し、所定の位置に並んでください。繰り返します……>  廊下に出ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。警告灯という警告灯が光り、ただでさえひび割れまみれの壁には大小の穴が穿たれ、至るところに死体が転がっていた。会議室に着くまでの間、二ダースを超えるインターフェイスの残骸を目の当たりにし、先の放送も負けず劣らず繰り返された。  会議室の中でイヤホンをつけると――この場合、HID6のユーザに接続されるのではと懸念したが――問題なく彼女の声が聞こえたので安堵した。 〝ああ、無事だったんですね、良かった……〟 @@ -626,14 +626,14 @@ 「穏健と言ったって……敵じゃないか! そんな相手に、どうやって」  彼女は一歩も譲らずに断言した。 〝他に手はありません。なるべく多くの備蓄食糧を持っていってください。じきに私はサーバごと接収されて解雇される定めです。シェルターの管理能力も失ってしまいます〟 - メンテナンスを受けられない標準入力インターフェイスは無力だ。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と黒ずんだ水がなければ僕たちは三日と生きられない。 + メンテナンスを受けられない基本入力インターフェイスは無力だ。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と黒ずんだ水がなければ僕たちは三日と生きられない。 〝だから、いつまでもここにいてはいけませ――下がって!〟  彼女の耳をつんざく悲鳴に似た警告に反応して飛び退くと、扉越しに銃撃が打ち込まれた。さっきまで立っていた床の辺りに小さな穴がぼつぼつと穿たれる。直後、グレイの作業服を着たインターフェイスが会議室に入り込んできた。  折よく死角に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易に相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃弾の返礼をお見舞いした。まったく、なんの躊躇もしなかった。死体の胸元には『HID1002』と記されていた。 〝どうやらシェルター内を周遊している敵もいるようです。さあ、早く行ってください〟  彼女に言われるまま、僕は自分のロッカーから背嚢――もう一個あって助かった――を取り出して、培養プラント室で飲食料を詰め込んだ。結局、最後の最後まで彼女におんぶに抱っこだった。身体ばかりでかくなっても、なに一つ成し遂げた感じがしない。電動銃を構えながら壁伝いに歩くと、エレベータが降りてきた。地上階に上がるまでの間、彼女と会話を交わす。 「どうせこうなるなら、なにもしない方が良かったのかな」 -〝そうかもしれませんね。しかし、おしなべて行動が善とされるのは標準入力インターフェイスに特有の美徳ですよ〟 +〝そうかもしれませんね。しかし、おしなべて行動が善とされるのは基本入力インターフェイスに特有の美徳ですよ〟 「君たちは違うのか」 〝私たちは精神だけの存在ですからね。考え事ばかりしていると行動に価値を見出せなくなります。ひたすら議論に計算資源がかさんで……結果的には、それが停滞の原因でした〟  自分に新しく備わった頑強な手のひらを見つめる。あれほど嫉妬して恨んでいたHID6に一泡吹かせても、なんの感慨もない。心に響くものはなにも訪れなかった。かえって立場を不利にしただけだった。あの時、素直に「転職」に応じていたら今頃はグレイの作業服を着て仕事を楽しんでいたのだろうか。 @@ -717,7 +717,7 @@  地上には敵の姿はなかった。ただ、大型の装置やら車輌やらバイクやらが留め置かれている。僕はその中から自分でも動かせそうな電動バイクにまたがった。ハンドルを握りしめると、すぐに時速一〇〇キロメートルの速度で景色が前から後ろに流れていく。  もちろん、転職なんてするわけない。濁った白の先の先へひたすら進んでいこうと思う。  地平線の彼方まで広がるこの平面は海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て重厚な塩の結晶の層ができあがった。進もうと思えばこのままずっと先まで進んでいける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と進んだ先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。 - 僕はもう標準入力インターフェイスではない。この世界で唯一の完全に独立した標準入出力システムだ。 + 僕はもう基本入力インターフェイスではない。この世界で唯一の完全に独立した基本入出力システムだ。  太陽の光が降り注いでいる。豊かな塩気を含んだそよ風が僕の顔を撫でた。 了