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標準入力インターフェイス.txt
122
標準入力インターフェイス.txt
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@ -1,14 +1,14 @@
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1
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土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を落ち着けた。天を突くほどの巨大ビルがそびえていた島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも、今では等しく時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていた――だけがこの辺りで唯一、まともに建っていると言える建物だ。
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土や砂の詰まった容器でいっぱいになった背嚢を下ろすと、僕はいつもの場所に腰を落ち着けた。天を突くほどの巨大ビルがそびえていた島も、世界でもっとも栄えていたとされる湾岸の街並みも、等しく時間の圧力に押しつぶされて瓦礫の山と化している。遠目に見える半身の立像――かつて自由を讃えていた――だけがこの辺りで唯一、まともに建っていると言える建物だ。
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この前に来た時よりも少し暖かくなっていたおかげか、そこそこ長い距離を往復した割にさほど疲労感はなかった。乳白色の平らな地面を手でさすりながら、手頃な位置にナイフを突き刺して切り取る。力がないだけにずいぶん手間取るが、暇はたっぷりある。そうして得た塊からこぼれ落ちた破片を口に含む。しょっぱい。
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しかし、ミネラルと塩分の摂取にはとても都合が良い。なぜならこれは塩そのものだからだ。
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地平線の彼方まで広がるこの平面は大昔、海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て巨大な塩の結晶の層ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕を特別な気分にさせてくれる。
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しかし、ミネラルと塩分の摂取にはこの上なく都合が良い。なぜならこれは塩そのものだからだ。
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地平線の彼方まで広がるこの平面は海の一部だった。大昔、人類に降りかかった気象災害により海水が凍結、凝固し、空を覆い尽くした分厚い雲によって封じ込められ、長い長い年月を経て巨大な塩の結晶の層ができあがった。歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。仕事として与えられていない以上、そんな長丁場の寄り道は決してできないがこの白く濁った表面は僕を特別な気分にさせてくれる。
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気持ちが高まっているとよく手が動く。さっきまでは表情のない立方体でしかなかった塩の塊が、ナイフの切っ先で削られるごとに意味を持つ。四足の動物を連想させる時もあれば、人間っぽい形に変わることもある。まるで進化の過程を表しているみたいだ。最初の生命もミネラルと塩と水から生まれたのだった。
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高く昇った太陽が傾いで地平線の向こう側に隠れはじめた頃、僕の衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務査定を考えるとそろそろ帰宅しなければならない時間だ。現に勤務地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。
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高く昇った太陽が傾いで地平線の向こう側に隠れはじめた頃、僕の衝動はすっかり満たされて手元にはなんとも形容しがたい物体が残る。勤務査定を考えるとそろそろ帰社しなければならない時間だ。現に目的地の方角が同じだったらしい同僚が一人、塩の地面をのしのしと歩いてやってきた。
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「まだやっているのか、飽きないもんだな」
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「早く帰ってもどうせ寝るだけだからね」
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『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、隆々とした肉体の全部を駆使して呆れた様子を表現する。体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうで、背嚢は特別に大きく固い金属でできている。手には大型の電動銃。僕たちは常に武器の携行を命じられているが、邪魔な瓦礫や道を塞ぐ岩などを砕くにはもっと小さいものでも事足りる。
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『HID6』と右胸に印字された作業服を着た同僚が、盛り上がった肉体の全部を駆使して呆れた様子を表現する。体格に優れる彼に与えられる仕事はいかにも大変そうで、背嚢は特別に大きく固い金属でできている。手には大型の電動銃。僕たちは常に武器の携行を命じられているが、邪魔な瓦礫や岩などを砕くにはもっと小さいものでも事足りる。
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「そんなに大きいのなんて使い道あるの」
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HID6は顔を傾けて意味ありげに微笑んだ。
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「使おうと思えばな」
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@ -20,16 +20,17 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに微笑んだ。
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おそらく悪気はないにせよ、どことなく軽んじられた気配がしたので声を強めて反論する。
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「地質調査だよ。土いじりなんかじゃない。センサじゃ分からないようなことだって分かるんだ。大抵は花崗岩と閃緑岩の見分けだってつかない」
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「分かった、悪かったよ。だめだとは言ってねえよ。ところで、そいつはなんだ?」
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大きい手が塩の彫刻を指差す。
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幅広の顎をしゃくって塩の彫刻を示す。
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「さあ、なんだろうね」
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僕はそっけなく突き放した。
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しかし、彼は彼で時間が迫っていたらしい。こちらの冷淡な態度にもおおらかな態度でのそりと立ち上がってつぶやく。
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僕はそっけなく答えた。
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「悪かったって」
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とはいえ、彼は彼で時間が迫っていたらしい。こちらの冷淡な態度にもおおらかな態度でのそりと立ち上がって語りかける。
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「まあ、色々やってみるのはいいことだ。若いうちはどんな可能性もある」
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手を振って去っていく同僚の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。最後にもう一度、夕陽の強い光に照らされた固形の海面を眺める。
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こんな暮らしにも可能性とやらがあるといいけど。
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徒歩にして約三〇分の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。突如現れた長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。少し待つと勝手に開く。
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後は流れ作業だ。すれ違うにも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って「納品物」を提出する。カーゴに集めてきた鉱石を入れると、奥に回転して壁の向こう側にしまい込まれる。
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すると、シェルター内の天井に張り巡らされたラインが鈍く光る。壁面に投影されたモノクロスクリーンに映る評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な納品物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
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すると、シェルター内の天井に張り巡らされたラインがぱちぱちと光る。壁面に投影されたモノクロスクリーンに映る評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な納品物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
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最後に、次の仕事の申請を出す。ざっくりとした希望なので具体的な内容は次回に知らされる。といっても、一度も変えた試しはないし変わった覚えもない。
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〝標準入力インターフェイス11、お疲れ様でした。切断処理に入ってください〟
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イヤホンから聞こえる女性の声に従って残りのルーティーンを続行した。
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@ -39,30 +40,30 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに微笑んだ。
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2
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予期せず人間の身体で目覚めた時はまだ身も心もフレッシュだったと思う。シェルターを訪れた時の記憶も昨日のことのようにはっきり残っていたから、ただ純粋に世界は元通りになったのだと信じた。草花が生い茂り、空は青く澄み渡り、小鳥たちがさえずり人類の復活を讃えてくれる……。新しく作り直された街の名前は、当然どれも新しく変わっていて、ロンドンはニューロンドンに、トーキョーはニュートーキョーに、ニューヨークはニュー・ニューヨークになっている。
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予期せず人間の身体で目覚めた時はまだ身も心もフレッシュだったと思う。シェルターを訪れた時の記憶も昨日のことのように残っていたから、ただ純粋に世界は元通りになったのだと信じた。草花が生い茂り、空は青く澄み渡り、小鳥たちがさえずり人類の復活を讃えてくれる……。新しく作り直された街の名前は当然どれも新しく変わっていて、ロンドンはニューロンドンに、トーキョーはニュートーキョーに、ニューヨークはニュー・ニューヨークになっている。
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しかし、チェンバー殻の湾曲した表面に浮かんだ文字列はだいぶつれなかった。
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<あなたは標準入力インターフェイスとして再定義されました。以後、HID11と呼称します>
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どうやら僕は人間ではなくなったらしい。
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なんでも、活動状態の人体はとても燃費が悪いそうだ。一〇〇人の人間をまともに生きながらえさせようとすれば、膨大な備蓄食糧、清潔な飲み水、空気、それらを支える大がかりな循環設備を要する。じきにそういった代物は宿命的に老朽化を余儀なくされ、修理するための資材や人員、学校や訓練、果ては指揮系統を円滑化する官僚機構や社会制度までもが求められる。尻に火が付いている人類にとってはあまりにも考えることが多すぎる。
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どうやら僕は、人間ではなくなったらしい。
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なんでも、活動状態の人体はとても燃費が悪いそうだ。一〇〇人の人間をまともに生きながらえさせようとすれば、膨大な備蓄食糧、清潔な飲み水、空気、それらを支える大がかりな循環設備を要する。じきにそういった代物は宿命的に老朽化を余儀なくされ、修理するための資材や人員、学校や訓練、果ては指揮系統を円滑化する官僚機構や社会制度までもが求められる。尻に火が付いている人類にとっては少々考えることが多すぎる。
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そこで、僕たちは情報化を選んだ。元の肉体を問題解決後のために冷凍保存して、思考する精神を地下深くのサーバに転写する。延々と眠りこけていては急な出来事に対処できないからだ。シェルターの内外に張り巡らされたセンサ類をもとに「情報体」と化した人々が日々分析と議論に勤しむ。
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彼らはとても効率的で無駄が少なく、一生懸命働くのにラザニアもトリプルエスプレッソラテもマウンテンデューもいらない。地上が異常気象に見舞われている環境下で一〇〇人分の水源を濾過し続ける方法を検討するよりも、深宇宙探査機用の原子力電池とソーラーパネルの方が安上がりで済む。情報化自体は前の世界でも風変わりな人々が実践していたものの、ここまで一気に普及したのは皮肉にも災害のおかげと言える。どの会社のシェルターも似たりよったりのプランを宣伝しているのを見たことがある。
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彼らは極めて効率的で無駄が少なく、一生懸命働くのにラザニアもトリプルエスプレッソラテもマウンテンデューもいらない。地上が異常気象に見舞われている環境下で一〇〇人分の水源を濾過し続ける方法を検討するよりも、深宇宙探査機用の原子力電池とソーラーパネルの方が安上がりで済む。情報化自体は前の世界でも風変わりな人々が実践していたものの、ここまで一気に普及したのは皮肉にも災害のおかげと言える。どの会社のシェルターも似たりよったりのプランを宣伝しているのを見たことがある。
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情報化はあくまで一時的な措置に過ぎないと聞かされていた。だが、僕が「標準入力インターフィエス11」なる名称を賜った際に知らされた新事実は以下の通りだった。
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一つ、未曾有の気象災害から数百年余りの年月が経ったが、情報体を人間の頭脳に再転写する技術は開発できそうにないこと。
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二つ、その一方で地表は哺乳類が活動可能な気候に好転していること。
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三つ、よって今後は冷凍保存された肉体を都度解凍し、持ち主である情報体の人間が適性に応じてインターフェイスとして活用すること。
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確かに、使えるものは使わなければならない。もともと僕たちの後頭部には脳みそを取り出しやすくするためのネジ穴が設けられているし、脊髄と脳の電気的接点はモジュール化されている。これは情報体に移行する際の外科的な手続きであり、同時に保存条件の異なる肉体と脳を分離するための方法だったが、くしくも冷凍と解凍の効率化に一躍買ったというわけだ。
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自分の処遇に納得しているかと問われれば複雑だ。計画通りに進んでいればそもそも「生体脳の方に残った僕」という自我は存在しえなかった。「情報体の僕」の精神に上書きされて消滅する定めだ。あるいは、情報体が地上の調査よりも肉体のランニングコストを倦んで一切合切放棄していたら、やはり今の自分はない。
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一方で、だからと言って恩に着るのもおかしい。誰も自我をもう一つくれなどと頼んだ覚えはない。情報化される際にもそんな説明は受けていない。何百年も生きていれば気持ちが変わるのかもしれないが、情報体の僕は自分から枝分かれして遠い先に行ってしまった別人であって、同じように物事を考えるのは難しい。
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一方で、だからと言って恩に着るのもおかしい。誰も自我をもう一つ作れなどと頼んだ覚えはない。情報化される際にもそんな説明は受けていない。何百年も生きていれば気持ちが変わるのかもしれないが、情報体の僕は枝分かれして遠い先に行ってしまった別人であって、同じように物事を考えるのは難しい。
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かといって、自殺する気にもなれない。今の暮らしにもそれなりの楽しみはある。仕事をしてさえいればこうして生きていられる。なんだかんだで釣り合いが取れてしまっているのだ。ゆえに僕はそれなりに忠実な標準入力インターフェイスなのだった。
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今日もまたチェンバー殻の中で目が覚めた。殻の湾曲した表面にいつもの文字列が浮かぶ。
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今日もまたチェンバー殻の中で目が覚めた。殻の湾曲した表面に定型句が浮かぶ。
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<HID11:接続処理中>
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システム上、僕たちが殻を出て身支度を整えるまでの間――人間らしく言い換えるならモーニングルーティーン――は「接続処理」と呼称される。まもなく殻が奥手にせり出して開く。チェンバー室の左右に整然と並ぶ殻にはまだ眠りについている「同僚」たちの姿が強化ガラス越しに透けて見える。同僚と言っても勤務体系が年単位でばらばらなので頻繁に会話はできない。前回に出会ったHID6も今は端っこの殻の中で巨体を丸めて安穏としている。
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作業服と背嚢はチェンバー室の隣のロッカーの中、食糧は直進して突き当りを左の培養プラント室にある。巨大なパイプの排出口から出てくる吐瀉物に似た食べ物は相変わらずなにでできているのか分からない。味や食感についての感想は差し控えたい。飲み水も前回より黒ずんでいた。
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システム上、僕たちが殻を出て身支度を整えるまでの間――人間らしく言い換えるならモーニングルーティーン――は〝接続処理〟と呼称される。まもなく殻が奥手にせり出して開く。チェンバー室の左右に整然と並ぶ殻にはまだ眠りについている「同僚」たちの姿が強化ガラス越しに透けて見える。同僚と言っても勤務体系が年単位でばらばらなので気安く会話はできない。前回に出会ったHID6も今は端っこの殻の中で巨体を丸めて安穏としている。
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作業服と背嚢はチェンバー室の隣の更衣室、食糧は直進して突き当りを左の培養プラント室にある。巨大なパイプの排出口から出てくる吐瀉物に似た食べ物は相変わらずなにでできているのか分からない。味や食感についての感想は差し控えたい。飲み水も前回より黒ずんでいた。
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食事が済むと用を足したくなる。溜まっていた便が腸内蠕動の再開によって押し出されたのだろう。部屋を出て奥のトイレに向かう。途中、ひび割れた壁面を修理している顔馴染みの同僚と出くわした。「おはよう」と挨拶をすると「ああ、おはよう」と気さくに返事をしてくれる。「今から出勤か?」「うん」「地上の仕事は大変そうだな」「僕はそうでもないよ」
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僕たちは僕たちで情報体の人々とは異なる言い回しを好んだ。いきなり人ではないと言われてもなかなか受け入れられはしない。「同僚」だとか「出勤」といった一連のフレーズは、かつて地上世界で暮らしていた頃の名残りで、誰かがふと使った言葉が急速に普及した。他にも色々な言い回しがあるらしい。「最近は勤務査定が厳しくて困るね」見るからに老け込んだ風体の彼は、この短い会話の合間にも折れ曲がった腰を何度もさすっていた。
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標準入力インターフェイスに与えられる「仕事」は適性によって大きく異なる。高齢だったり、体力がなかったり、なんらかの障害を持っている場合には地上ではなくシェルター内の「内勤」に割り振られることが多い。僕は知識と身軽さが買われたのか土や鉱石を集める仕事に就いている。
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トイレの便器は六つあるが、大半は壊れている。運が悪いと便器の中に乾燥した糞が積もっていることもある。ここはかなり前から水が流れない。いつまでも直らない様子を見るに、どう頑張っても修理しきれない箇所なのだろう。内勤の誰かが糞を片付けるまではずっとこのままだ。だから僕は、内勤のインターフェイスのことを本音ではよく思っていない。さっきのお年寄りは違うと信じたいけど、サボっている人が多いのかもしれない。
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ルーティーンの最終段階。見るたびにひび割れが広がっている廊下を歩き、天井のラインから巨大なモノクロスクリーンが投影される特別な空間で「会議」を行う。耳に支給のイヤホンを装着すると声が聞こえてくる――僕をインターフェイスとして扱う〝ユーザ〟――他ならぬ、数百年前に枝分かれした情報体の僕だ。
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僕たちは僕たちで情報体の人々とは異なる言い回しを好んだ。いきなり人間ではないと言われてもなかなか受け入れられはしない。「同僚」だとか「出勤」といった一連のフレーズは、かつて地上世界で暮らしていた頃の名残りで、誰かがふと使った言葉が急速に普及した。他にも色々な言い回しがあるらしい。「最近は勤務査定が厳しくて困るね」見るからに老け込んだ風体の彼は、この短い会話の合間にも折れ曲がった腰を何度もさすっていた。
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標準入力インターフェイスに与えられる「仕事」は適性によって大きく異なる。高齢だったり、体力がなかったり、なんらかの障害を持っている場合には地上ではなくシェルター内の「内勤」に割り振られることが多い。他方、僕は知識と身軽さが買われたのか土や鉱石を集める仕事に就いている。
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トイレの便器は六つあるが、大半は壊れている。運が悪いと便器の中に乾燥した糞が積もっていることもある。ここはかなり前から水が流れない。いつまでも直らない様子を鑑みるに、どう頑張っても修理しきれない箇所なのだろう。内勤の誰かが糞を片付けるまではずっとこのままだ。だから僕は、内勤のインターフェイスのことを本音ではよく思っていない。さっきのお年寄りは違うと信じたいけど、サボっている人が多いのかもしれない。
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ルーティーンの最終段階。見るたびにひび割れが広がっている廊下を歩き、天井のラインからモノクロスクリーンが投影される特別な部屋で「会議」を行う。耳に支給のイヤホンを装着すると声が聞こえてくる――僕をインターフェイスとして扱う〝ユーザ〟――他ならぬ、数百年前に枝分かれした情報体の僕だ。
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〝おはようございます。前回の切断から二三年と九ヶ月、一五日と一二時間が経過しました。体調はいかがですか〟
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「問題ないと思うけど、健康診断を受けたわけじゃないからね」
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〝チェンバー殻のスキャナは一四七年前に電力効率化が策定されて以来、中止されていますからね。各自セルフメンテナンスをお願いしています〟
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@ -70,43 +71,43 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに微笑んだ。
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〝九回目の後です〟
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以前はチェンバー殻が脳みその中身を覗き見てメンタルケアまでしてくれていたらしいが、今の僕たちは全部自発的に行わないといけない。趣味を持つのはその一環でもある。「福利厚生の悪い職場だ」と揶揄する同僚もいた。
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「ところで、飲み水が黒ずんでいるみたいだ。味はともかく健康への影響が気になる」
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〝どうやら雨水を濾過するフィルタが目詰まりを起こしているようですね。他の標準入力インターフェイスが処理を実行中です〟
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〝どうやら雨水を濾過するフィルタが目詰まりを起こしているようですね。他の標準入力インターフェイスが修復処理を実行中です〟
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「そうか、それは良かった。あと便器に糞が溜まっているのもなんとかしてほしいな」
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〝標準入力インターフェイスに特有の代謝現象は厄介ですね。私たちも抜本的解決に努めてはいます〟
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時折、見え隠れする上下関係とは裏腹に彼女と話すのは割に楽しい。が、やはり奇妙にも感じる。もし僕が地上世界で生き続けていたらこうなっていたのか、とか、肉体を持たない精神のみの存在だから普通に歳をとるのとは勝手が違うんじゃないか、とか、あまり考えないような想像をする。もちろん、どのみち彼女ほど長く生きることはできない。今こうして同じ瞬間を共にしていても僕はせいぜい一四歳プラス解凍中の日数なのに対して、彼女は五〇〇歳をゆうに越えている。
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時折、見え隠れする上下関係とは裏腹に彼女と話すのは割に楽しい。が、やはり奇妙にも感じる。もし僕が地上世界で生き続けていたらこうなっていたのか、とか、肉体を持たない精神のみの存在だから普通に歳をとるのとは勝手が違うんじゃないか、とか、あまり考えないような想像をする。もちろん、どのみち彼女ほど長く生きることはできない。今こうして同じ時間を共にしていても僕はせいぜい一四歳プラス解凍中の日数なのに対して、彼女は五〇〇歳を超えている。
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「そっちは楽そうだよね。こういう面倒がないから」
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〝そうでもありませんよ。いつも考え事ばかりしている人たちなので、それはそれで気苦労があります〟
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肉体を持たない思考だけの生活、というのがどんなものなのか未だに理解できない。僕たちが何年かかっても行けないどんな場所にも一瞬で行けて、当時のもっとも美しい状態の建築物や風景を楽しめる。あらゆる知覚は決して衰えず無尽蔵に供給されて、空腹も寝不足もない。
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そんな楽園じみた暮らしをしているのに、現実の地上世界には未練があると言う。
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〝では、さっそく入力の指示に移りましょう〟
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イヤホンから女性の声が一旦途切れると、天井のラインの点滅に合わせてモノクロスクリーンに線が引かれはじめた。現在地点を中心とした点から方角とおおよその距離が示され、目的の資材に関する文字列も並ぶ。いつもより遠い道のりだが、うまくやれば今回も塩の塊を彫る時間くらいは余りそうだ。
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〝いつも言っていることですが、食事と水分補給を万全に済ませてくださいね。外気温は一〇度前後と好適ですが、なるべく直射日光も……〟
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イヤホンから女性の声が一旦途切れると、天井のラインの点滅に合わせてモノクロスクリーンに線が引かれはじめた。シェルターを中心とした点から方角とおおよその距離が示され、目的の資材に関する文字列も並ぶ。いつもより遠い道のりだが、うまくやれば今回も塩の塊を彫る時間くらいは余りそうだ。
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〝いつも言っていることですが、食事と水分補給を万全に済ませてくださいね。外気温は一〇度前後と標準入力インターフェイスに好適ですが、なるべく直射日光を避けて――〟
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「はいはい、分かったよ。ところでこれ、なにに見える?」
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余計な世話焼きを遮り、背嚢から前回の成果物をお披露目した。天井のラインが不規則に点滅する。
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余計な世話焼きを遮り、背嚢から彫刻をお披露目した。天井のラインが不規則に点滅する。
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〝……なんの変哲もない塩の塊に見えますね〟
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「そうだね。前回、道端で拾ったんだ。僕は面白い形をしていると思ったんだけど」
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ほどなくして「会議」が終わると彼女は〝接続完了〟を通告した。エレベータに乗って地上階に移動する。細長い通路の終端には、暗闇の上の上まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設えられたそれは情報体の操作によってしか開かない。通路の左右にも深い漆黒が広がっていて、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。
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ほどなくして「会議」が終わると彼女は〝接続完了〟を通告した。エレベータに乗って地上階に移動する。細長い通路の終端には、暗闇の上の上まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設えられたそれは情報体の操作によってしか開かない。通路の左右にも深い漆黒が広がっており、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。
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けたたましくブザー音が鳴り響いてハンドルがゆっくりと回転する。扉の周りの警告灯が鋭く光を放つも、たちまち周囲の闇へと吸い込まれていく。
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やがてブザー音は大げさな歯車の稼働音に取って代わり、シェルターの扉が地鳴りに似た振動を伴って持ち上げられる。揺さぶられて落ちてしまわないか怖くて手にますます力が入る。
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たっぷり何分もかけて巨大な扉が開放されると、もう一つの小さな扉が現れる。そこだけ切り取ればマンションの一室に繋がるドアに見えなくもない。その先には「危険物」とラベルが貼られた小部屋がある。一列に立てかけられた電動銃から小さいものを手に取り、ひたすら長い階段を登る。
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イヤホンから途切れがちに彼女の声が聞こえた。
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〝最後に確認をしましょう。外では私の声は聞こえませんからね。ちゃんと背嚢は持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
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〝最後に確認をしましょう。外では私の声は聞こえませんからね。ちゃんと背嚢を持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
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「分かったって」
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耳からイヤホンを取り外してポケットに突っ込む。
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情報体の人々は武器のことを〝汎用的ソリューション〟と呼んでいる。後頭部にネジ穴があり、脳みそを出し入れできる僕たちはあたかもサイボーグのようだが、実際にはコンクリート片も満足にうごかせない。情報体の人たちに至っては、地上のどんな小さなものさえ動かせない。現実の物体に幅広く介入できる道具は特別なのだ。
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情報体の人々は武器のことを〝汎用的ソリューション〟と呼んでいる。後頭部にネジ穴があり、脳みそを出し入れできる僕たちはあたかもサイボーグのようだが、実際にはコンクリート片も満足にどかせない。情報体の人たちに至っては、地上のどんな小さなものさえ動かせない。現実の物体に幅広く介入できる道具は特別なのだ。
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そして、ついに地上に出る。僕にとっては昨日のことのようだが、実際には二三年ぶりらしい。階段を登り続けているうちにシェルターの中のどんな強力な光源も敵わない光――すなわち、太陽の光が顔を暖かく照らした。
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3
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示された目的地に着くには固形の海の上を渡っていかなければならない。濁った白の平面に足を下ろす際、重心を後ろに引いておく。地質の変化を恐れる年月ではないが、塩の層が脆弱化しないとは言い切れない。片足で強く踏みつけ、安全を確かめてからそっと乗り移る。
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心配は杞憂に終わり、一時間歩いても塩の地面が揺らぐことはなかった。それにしても、これほど巨大な積層がどうやってできたのかいつ来ても不思議に思う。
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気象災害が引き起こされた要因は地殻変動だとも小惑星の衝突だとも、はたまた化学兵器を交えた世界大戦だとも言われている。情報体の人々の間でも結論は出ていない。ある日突然に始まって、終わった。塩の層に関しては急速に冷えて分離した塩分が凝固してできたものと考えられている。だとすれば、その時の地上はあらゆる生き物にとって恐ろしく過酷だったに違いない。こうして幾度となく外に顔を出しても「地上人」や「新人類」みたいなのと出くわさないのは、少々つまらないもののとりあえず安心ではある。マンガや映画通りなら、きっと僕たちを憎むか軽蔑しているだろうから。
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示された目的地に着くには固形の海の上を渡っていかなければならない。濁った白の平面に足を下ろす際、重心を後ろに引いておく。地質の変化を恐れる年月ではないが、塩の層が脆弱化しないとは言いきれない。片足で強く踏みつけ、安全を確かめてからそっと乗り移る。
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心配は杞憂に終わり、一時間歩いても塩の大地が揺らぐことはなかった。それにしても、これほど巨大な積層がどうやってできたのかいつ来ても不思議に思う。
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気象災害が引き起こされた要因は地殻変動だとも小惑星の衝突だとも、はたまた化学兵器を交えた世界大戦だとも言われている。情報体の人々の間でも結論は出ていない。ある日突然に始まって、終わった。塩の層に関しては急速に冷えて分離した塩分が凝固してできたものと考えられている。だとすれば、その時の地上はあらゆる生き物にとって恐ろしく過酷だったに違いない。こうして幾度となく外に顔を出しても「新人類」や「突然変異体」みたいなのと出くわさないのは、少々つまらないもののとりあえず安心ではある。マンガや映画通りなら、きっと僕たちを憎むか軽蔑しているだろうから。
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世界が終わる、たぶん何日か、何週間か前。僕はパパとママに連れられてシェルターにやってきた。二人とも途中でなにが起こってもおかしくないと用心に用心を重ねていたが、幸いにも暴徒や銃弾は僕たちの車には向かわず全員とも無事だった。しかし、家族全員のチェンバー殻があると期待していた僕たちに対して会社が提示したのは、情報体に移行可能なのは株主当人のみ、つまりパパ一人だけという動かぬ事実だった。
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パパとママは一回か二回、互いに目配せをした……それは記憶に残っている。直後、僕は有無を言わさずチェンバー殻に押し込められ、長い長い眠りの中に閉じ込められた。もちろん、そう思っているのはこの僕であって、情報化した彼女の方は一部始終を知っている。後で聞かされた話によると、両親はその場で死を選んだ。死ぬことによって持ち株を彼女に相続させ、同時に情報体として生き続ける権利をも移譲したのである。まるで絵に描いたような感動ストーリーだ。泣いてくれる全米はもうないけど。
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だが、そんな愛すべき両親とて、数百年後に息子の自我が増えて片方が娘になっているとは思わないだろう。もし二人が生き返ったらきっと、自分の子どもだと見なすのは僕の方だ。なんせあの時から見た目も中身もほとんど変わっていない。でも、法的には彼女に正当な権利が認められるらしい。裁判所も法律も消滅したおかげでこのことをあまり深く考えずに済んでいるのが嬉しい。
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太陽が頭上を通り過ぎて傾きかけた頃、ようやく乳白色ではない色の地面に足が届いた。かつて、この辺りには建造物が特に多かった。石造りの建物は数百年経っても簡単には風化せず、条件次第では地下に資源を蓄えている場合がある。崩れた家屋らしき外壁と周囲の状況から、それと見込んだ地点の瓦礫の塊に向けて電動銃を撃ち放つ。射撃と同時にひっくり返りそうになったが、期待通りに遮蔽物が一掃されてマンホールが現れた。蓋をこじ開けた先には簡素なはしごも見える。
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距離はさほどでもないのに下まで降りるのにはずいぶん手間がかかった。電動銃のライトを前方に照らすと、朽ちた棚が左右に並ぶ保管庫らしき空間が浮かんだ。一見しっかりしていそうでも、国家や大組織が作るほど立派な代物ではない。金持ちで心配性の人が趣味で拵えた設備かもしれない。棚からこぼれ落ちたいかめしい銃器の数々は、どれもひしゃげていたり錆びついていたりした。
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目的の物品はここではなく鉄扉で隔たれたさらに奥にあった。鉛の容器の中に収められていた「納品物」は会議通りなら劣化ウラン弾ということになる。他のインターフェイスが別の仕事中に見つけて隠しておいた代物だ。しかし弾丸としては使いものにならないらしい。スクリーンには内部に含まれているウラン238が目当てだと記されていた。さっそく、銃を脇に置いて容器から持てる分の劣化ウラン弾を包みごと慎重に取り出していく。
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パパとママは一回か二回、互いに目配せをした……それは記憶に残っている。直後、僕は有無を言わさずチェンバー殻に押し込められ、長い長い眠りの中に閉じ込められた。もちろん、そう思っているのはこの僕であって、情報化した彼女の方は一部始終を知っている。後で聞かされた話によると、二人はその場で死を選んだ。死ぬことによって持ち株を彼女に相続させ、同時に情報体として生き続ける権利をも移譲したのである。まるで絵に描いたような感動ストーリーだ。泣いてくれる全米はもうないけど。
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だが、そんな愛すべき両親とて、数百年後に息子の自我が増えて片方が娘になっているとは思わないだろう。もし二人が生き返ったらきっと、自分の子どもだと見なすのは僕の方だ。なんせあの時から見た目も中身もほとんど変わっていない。でも、法的には彼女に正当な権利が認められるらしい。裁判所も法律も消滅したおかげでこのことを深く考えずに済んでいるのが嬉しい。
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太陽が頭上を通り過ぎて傾きかけた頃、ようやく乳白色ではない色の地面に足が届いた。かつて、この辺りには建造物が特に多かった。石造りの建物は数百年経っても簡単には風化せず、条件次第では地下に資源を蓄えている場合がある。崩れた家屋らしき外壁と周囲の状況から、それと見込んだ地点の瓦礫の塊に向けて電動銃を撃ち放つ。射撃と同時にひっくり返りそうになったが、狙い通りに遮蔽物が一掃されてマンホールが現れた。蓋をこじ開けた先には簡素なはしごも見える。
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距離はさほどでもないのに下まで降りるのにはずいぶん手間がかかった。電動銃のライトを前方に照らすと、朽ちた棚が左右に並ぶ保管庫らしき空間が浮かんだ。一見しっかりしていそうでも、国家や大組織が作るほど立派な代物ではない。金持ちで心配性の人が趣味で拵えた設備かもしれない。棚からこぼれ落ちたいかめしい火薬銃器の数々は、どれもひしゃげていたり錆びついていたりした。
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目的の物品はここではなく鉄扉で隔たれたさらに奥にあった。鉛の容器の中に収められていた「納品物」は会議通りなら劣化ウラン弾ということになる。他のインターフェイスが仕事中に見つけて隠しておいた代物だ。しかし弾丸としては使いものにならないらしい。スクリーンには内部に含まれているウラン238が目当てだと記されていた。さっそく、銃を脇に置いて容器から持てる分の劣化ウラン弾を包みごと慎重に取り出していく。
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「おい」
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背嚢を埋め尽くすのに十分な量を収めたところで、背後から声がかかった。作業に集中するあまり耳が遠くなっていたのかもしれない。振り返ると胸に『HID39』と印字された標準入力インターフェイスが立っていた。どういうわけか作業服の色が違う。僕たちはみんなオレンジの服を着ているのに、彼はブルーだ。
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「あ、もしかして君もこれを集めにきたの?」
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@ -114,13 +115,13 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに微笑んだ。
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「おれはそこにあるすべての劣化ウラン弾を回収しろと指示されてきた」
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「すべて? そこにある量では足りない?」
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「ああ、お前が背嚢に入れた分も含めて、全部だ。とっととよこせ」
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HID6ほどではないにせよ、自分よりずっと背が高くがっしりした肉体が一歩前に迫った。
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HID6ほどではないにせよ、自分よりずっと背が高くがっしりした身体が一歩前に迫った。
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ここへきて僕はようやく自分が脅されているのだと悟った。なるべく顔に不満を表さないようにして笑みを浮かべつつ、じりじりと後ずさる。
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「えーと、それは、その、勘弁してほしいな。こっちも同じ仕事で来ているんだ」
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「おれの知ったことじゃない。規定量を納品できなければ勤務査定に影響が出る」
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相手がさらに一歩踏み出したので、僕も同じ距離だけまた後ろに下がる。声はもう震えだしていた。
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「それは、お互い様じゃないか――そうだ、どうだろう。ここは一つ、半々で分け合ってそれで全部だったという話にするのは――」
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HID39は会話を続けるのが嫌になったのか、とうとう手に持った電動銃を突きつけてきた。コンクリートをも容易に撃ち砕くエネルギーの塊をぶつけられたら、即死だ。
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HID39は会話を続けるのが面倒になったのか、とうとう手に持った電動銃を突きつけてきた。コンクリートをも容易に撃ち砕くエネルギーの塊をぶつけられたら、即死だ。
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「無事に帰りたければ今回の勤務査定は諦めるんだな」
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結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、身じろぎ一つできなかった。電動銃は数歩踏み出せば手が届く距離に転がっているが、僕にとっては地平線の彼方よりも遠い。
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「ねえ、ちょっと」
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@ -129,45 +130,45 @@ HID39は会話を続けるのが嫌になったのか、とうとう手に持っ
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彼は顔半分だけ振り返ってぼそりと答えた。やや粗野な顔つきの口元に皮肉な笑みが宿る。
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「そのまま報告してみろ。何事も慣れだ」
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最後に命じられた「しばらくマンホールから出るな」という指示を守って空虚な部屋に佇んでいると、とてつもなくやりきれない気持ちになった。地下で人肌に温められたぬるい空気に独り言が漂う。
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「汎用的ソリューションって、確かにそうだな」
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「〝汎用的ソリューション〟って、確かにそうだな」
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中身がほとんど空の背嚢を背負っているせいで身のこなしが軽い。日が沈むまでの時間はありすぎて困るほどだ。あてどなく探して運良く他の劣化ウラン弾が見つかる幸運などあるはずもなく、今回の勤務査定が最低で終わると確定したからにはせめて趣味を楽しまないといけない。
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地上と地上を結ぶ凝固した海の中間点、四方八方が見渡すかぎり濁った白の平面上で、一心不乱に塩を削いだ。手に力がかかりすぎているせいか、どんな塊も意味を持つ前に細切れと化してしまう。言うまでもなく、僕はいらついている。単に納品物を奪われたからではない。身体が未熟だから金属製の背嚢を背負うような大変そうな仕事を任せてもらえないし、有り余った時間で作った彫刻はどうせ誰にも理解されない。僕自身ですら分からずに彫っているのだから無理もない。同じ仕事を何十回と繰り返して、自分が土いじりにしか向いていないと信じるのには嫌気が差していた。
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気がつくと濃い橙色の光に照らされて塩の地面に火が灯ったかのような光景が広がっていた。まるでろうそくみたいだと思った。手には塩を削るナイフと同じくらい、いや、それよりも鋭い鏃に似た彫刻ができていた。
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地上と地上を結ぶ凝固した海の中間点、四方八方が見渡すかぎり濁った白の平面上で、一心不乱に塩を削いだ。手に力がかかりすぎているせいか、どんな塊も意味を持つ前に細切れと化してしまう。言うまでもなく、僕はいらついている。単に納品物を奪われたからではない。身体が未熟だから金属製の背嚢を背負うような大変そうな仕事を任せてもらえないし、有り余った時間で作った彫刻は誰にも理解されない。僕自身ですら分からずに彫っているのだから無理もない。同じ仕事を何十回と繰り返して、自分が土いじりにしか向いていないと信じるのには嫌気が差していた。
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気がつくと濃い橙色の光に照らされて塩の地面に火が灯ったかのような光景が広がっていた。まるでろうそくみたいだと思った。手には塩を削るナイフと同じくらい、いや、それよりも鋭い、牙に似た彫刻ができていた。
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せめて日が落ちる前には帰らないといけない。
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シェルターからほどよく離れた地点にはソーラーパネルがまばらに並ぶ。どれも強い日差しを一身に受けて輝いている。
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中に戻ると、のろのろと切断処理を始めた。モーニングルーティーンの逆を行うのだ。最後に待ち受ける「勤務査定」――スクリーン上には〝性能評価〟と記されているが――は、納品物がないため当然ながら最低のD評価だった。イヤホンを耳にくっつけて、まずは彼女の言葉を待つ。
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〝あらまあ、今回は残念ですね。納品物が見当たらなかったのでしょうか。まあ、そういう日もありますよ〟
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中に戻ると、のろのろと〝切断処理〟を始めた。モーニングルーティーンの逆を行うのだ。最後に待ち受ける「勤務査定」――スクリーン上には〝性能評価〟と記されているが――は、納品物がないため当然ながら最低のD評価だった。イヤホンを耳にくっつけて、まずは彼女の言葉を待つ。
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〝あら、今回は残念ですね。納品物が見当たらなかったのでしょうか。まあ、そういう日もありますよ〟
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「いや、見つかったし持ち帰るはずだったんだ」
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口を開いた途端、味わった恐怖がたちどころに怒りに兌換されてどんどん語気が強まった。
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口を開いた途端、味わった恐怖がたちまち怒りに兌換されてどんどん語気が強まった。
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「そいつはブルーの作業服を着ていた。どういうことなんだ。他のインターフェイスのものを奪うなんていけないんじゃないのか。D評価は僕のせいじゃない。そいつのせいだ」
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イヤホンの向こう側でしばらく沈黙が続いた。齢五〇〇歳くらいの彼女にしては珍しい。やがて、意を決したように話しはじめた。
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〝ごめんなさい、ちゃんと話しておくべきでしたね。今から説明します〟
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天井のラインがぱちぱちと光り、性能評価画面から遷移して周辺の地図が描き出される。それ自体は会議のたびに見ているものだったが、いつもより縮尺が格段に広く、陸地がいくつもの線で細かく区分けされていた。
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「これは……」
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〝勢力図です。私たちの、我が社のものと、競合他社のです〟
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よく見ると下の方に僕たちのシェルターを中心とする領域もあった。他のと比べると面積が若干狭い。
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よく見ると下の方に僕たちのシェルターを中心とする領域もあった。他社と比べると面積が若干狭い。
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このシェルターが会社の施設で、情報体の人々が株主か技術者だということは知っていた。他のシェルターも同様の仕組みで動いている。こうした巨大な建造物や組織は僕が生まれるずっと前には国が担っていたそうだが、僕の時代ではどこも会社がやっていた。学校も会社、警察も会社、軍隊も会社、政府が会社の国もあった。働いたことのない一四歳の身にはそれが良い話なのかよく分からなかった。今もよく分からない。ただ、パパもママもたまに不満を漏らしていたのは覚えている。
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〝最初の遭遇は同時多発的だったので不正確ですが、およそ二〇〇年ほど前でした。どの競合他社も情報体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同様に元の肉体を標準入力インターフェイスとして活用していました。その時、各社が横並びの状況にあると初めて認識できたのです。現在の法解釈ではインターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で破損を伴う入力を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に補償を提供しても割に合うとの考えなのでしょう。むろん、我が社も同様の方針です〟
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〝最初の遭遇は同時多発的だったので不正確ですが、およそ二〇〇年ほど前でした。どの競合他社も情報体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同じく元の肉体を標準入力インターフェイスとして活用していました。その時、各社が横並びの状況にあると初めて認識できたのです。現行の法解釈ではインターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で破損を伴う入力を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に補償を提供しても割に合うとの考えなのでしょう。むろん、我が社も同様の方針です〟
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僕はすぐには納得できずに声を張り上げた。
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「競合他社といっても君らは同じ人類じゃないか。協力できないのか」
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〝増産できず減る一方の資源を収集するしかない現状では、難しいですね。株主総会でも稀にそういった提起がなされますが〟
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そこで彼女は揶揄するように声色を変えた。
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〝毎回否決されています。私も株主ですが会社全体の意思決定には従わざるをえません。こんなご時世では、他に行くあてもないですからね〟
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つまり、僕と同じく標準入力インターフェイスの番号を宿したブルーの彼は、インターフェイスとしてはむしろ忠実だったと言える。下手な譲歩にも乗らず徹底的に資源を奪い尽くした。のみならず、余計なコストも削減した。肉体的に劣っていて、反撃しそうにもない相手には電動銃一発分の電力さえ惜しいというわけだ。
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つまり、僕と同じく標準入力インターフェイスの番号を宿したブルーの彼は、インターフェイスとしてはむしろ働き者だったと言える。下手な譲歩にも乗らず徹底的に資源を奪い尽くした。のみならず、余計なコストも削減した。肉体的に劣っていて、反撃しそうにもない相手には電動銃一発分の電力さえ惜しいというわけだ。
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一度は滅入った気分がめらめらと燃え上がるのを感じた。
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〝しかし、今後は心配いりませんよ。今回の件は私の誤りです。あの地点は我が社の領域の周縁部からもそれなりに遠く、内容に問題はないと考えていました。次回からはもっと適性に合う入力を心がけます〟
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「いいや」
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歯の隙間から絞り出すように否定する。
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僕は背嚢をひっくり返して中身を床にぶちまけた。そこから例の塩の鏃を拾い上げて高々と掲げる。天井のラインが不規則に点滅した。
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「さっき言い忘れていたことがあった。僕はこれでそいつにやり返してやったんだ。本物のナイフより隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると途中で死んだかもしれない! そうしたら、僕たちは損をしたけど、相手の会社にはもっと損をさせたことになる。そうじゃないか?」
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勢いよくまくしたてて息まで切らした僕に、彼女が珍しく気圧されたふうに答えた。
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僕は背嚢をひっくり返して中身を床にぶちまけた。そこから例の塩の牙を拾い上げて高々と掲げる。天井のラインが不規則に点滅した。
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「さっき、言い忘れていたことがあった。僕はこれでそいつにやり返してやったんだ。本物のナイフより隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると途中で死んだかもしれない! そうしたら、僕たちは損をしたけど、相手の会社にはもっと損をさせたことになる。そうじゃないか?」
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勢いよくまくしたてて息まで切らした僕に、彼女が気圧されたふうに答えた。
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〝……それはまあ、そうですね〟
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「だから僕にだって適性があるんだよ。もっと遠くに行かせてくれよ。世の中が――といってもシェルターと塩だけの世界だけど――そんなことになってるなんて知らなかった。なにも知らないまま土いじりだけして生きるなんてごめんだ。僕の可能性を信じてよ!」
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いつしか僕は二三年前に巨体の同僚が発した言葉をそのままなぞってしゃべっていた。話したことは完全に作り話だが、気持ちは本当だ。嘘偽りのない嘘だ。
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〝私としては気が進みません。もっと頃合いを待つつもりでした。現在のあなたは肉体的にも精神的にも未発達で、高度かつ複雑な入力に耐えられる仕様ではありません〟
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〝私としては気が進みません。頃合いを待つつもりでした。現在のあなたは肉体的にも精神的にも未発達で、高度かつ複雑な入力に耐えられる仕様ではありません〟
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「僕になにができないか勝手に決めないでくれ! さもないと――」
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咄嗟に、塩の鏃を逆手に握って自分の首筋に向かって振り下ろす仕草をした。目にも止まらぬ速度で天井のラインが明滅する。すると、ついに彼女が妥協を示した。
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〝待ってください。分かりました。限りある資源を無駄にしてはなりません。適性の修正を申請します。ですが、結果は私の一存で決まるわけではありません。いいですね〟
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咄嗟に、塩の牙を逆手に握って自分の首筋に振り下ろす仕草をした。目にも止まらぬ速度で天井のラインが明滅する。すると、ついに彼女が妥協を示した。
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〝待って!――分かりました。限りある資源を無駄にしてはいけません。適性の修正を申請します。ですが、結果は私の一存で決まるわけではありません。いいですね〟
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僕はいつもより大股開きでチェンバー殻に向かった。心臓が弾みすぎて痛い。やってやったぞという気持ちだった。僕たちは競争しているんだ。より大変な仕事をしなければ世界から置いてけぼりを食ってしまう。そしていつか無知なまま死ぬ。ブルーの作業服を着た競合他社のHID39は、その気になれば簡単に僕を殺せた。
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興奮が全身に滾るなか脱衣も忘れて殻に入ると即座にアラートが鳴り、正常に冷凍が行えない旨の警告が表示されたので急いで来た道を戻る羽目になった。
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@ -430,6 +431,9 @@ HID6はさらに一歩踏み出して、自分の背嚢を片手で引き下ろ
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「ありがとう。でも、どうしてこんなことまで?」
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〝標準入力インターフェイスの不始末はユーザにも帰責されます。私たちの派閥が飛躍するまたとない好機と言えるでしょう〟
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情報体の世界にも色々あるらしい。僕たちの言葉で表すならさしずめ「出世競争」なのだろう。HID6に一泡吹かせると、その持ち主は泡を吹いて倒れるのかもしれない。
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「それにしてもよくこんなの作れたね」
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〝誰とは言いませんが、ガリウムやパラジウムなどの希少金属を集める能力に長けたインターフェイスがいたようです〟
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「もっと素直に褒めてくれたっていいのに」
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ルーティーンの一部をやり直して金属製の背嚢にあらゆるものを詰め込んでいく。細い通路の始端ではHID6が待っていた。恐る恐る顔を合わせると彼はいたってフレンドリーに表情を和らげた。
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「お前は必ず戻ってくると思っていたよ。他の二人はもう外に出ている」
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巨大なハンドルがついた扉の先の危険物室で一番大型の電動銃を自ら手に取ると、力強い足取りで地上世界に踏み出した。
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@ -524,7 +528,7 @@ HID45がさらに声を張り上げて非難を強める。だが、元同僚は
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今の彼は隙だらけだ。
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後方のHID45と視線を合わせた。今まさに、電動銃をもう片方のグレイに差し出すところだった。横顔に浮かぶ不安な目元が、交差すると微かに瞬いた。
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やれる。
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刹那、僕は背嚢から鋭い塩の鏃を抜き取り、広々とした巨体に突き刺した。ちなみに、塩のモース硬度は二.〇以上もある。実は石膏よりも固い。尖った先端は彼の筋肉の中に吸い込まれるようにして入っていき、手のひらに生々しい嫌な感触を残した。彼の野太い絶叫が辺りにこだまする。グレイたちの注意がそれた。
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刹那、僕は背嚢から鋭い塩の牙を抜き取り、広々とした巨体に突き刺した。ちなみに、塩のモース硬度は二.〇以上もある。実は石膏よりも固い。尖った先端は彼の筋肉の中に吸い込まれるようにして入っていき、手のひらに生々しい嫌な感触を残した。彼の野太い絶叫が辺りにこだまする。グレイたちの注意がそれた。
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入れ違いに、HID45が銃身を振り払って構えると眼前のグレイに向けて発砲した。続けて、グレイの片割れにもエネルギーの弾丸を浴びせる。後には顔を激情に歪めた元同僚が残された。
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「お前ら、やりやがったな」
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「この件は帰ったら直ちに報告する。覚悟しろ」
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@ -533,7 +537,7 @@ HID45がさらに声を張り上げて非難を強める。だが、元同僚は
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「いや、実はずっと証拠を記録していた。これがカメラだ」
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胸元のポケットからわずかにはみでたレンズを指先で叩いて示すと、彼は笑いを止めた。そして、ごく静かな物腰で「そうか、やるな」とつぶやいた。
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次の瞬間。
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すばやく立ち上がった彼は自らの巨体から塩の鏃を抜き取り、HID45に襲いかかった。片手で強引に銃身を押さえつけた矢先、明後日の方向に振れた銃口からエネルギーの塊が何発か飛び出して虚空に消える。銃の役目はそれで終わりだった。彼の右手に握られた突端が同僚の首元に深々と突き刺さる。一回、二回、三回。首筋からどばどばと吹き出した鮮血が作業服をたちまちレッドに染め上げた。事切れた死体をボロ布でも放るようにして投げ出すのを見た途端、僕は電動バイクに向かって一目散に駆け出した。
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すばやく立ち上がった彼は自らの巨体から塩の牙を抜き取り、HID45に襲いかかった。片手で強引に銃身を押さえつけた矢先、明後日の方向に振れた銃口からエネルギーの塊が何発か飛び出して虚空に消える。銃の役目はそれで終わりだった。彼の右手に握られた突端が同僚の首元に深々と突き刺さる。一回、二回、三回。首筋からどばどばと吹き出した鮮血が作業服をたちまちレッドに染め上げた。事切れた死体をボロ布でも放るようにして投げ出すのを見た途端、僕は電動バイクに向かって一目散に駆け出した。
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11
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@ -630,7 +634,7 @@ HID6は「絶対に勝てない相手」だと言っていた。つまり。
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〝どうでしょう。議論の余地はありますね。……おっと失礼。なんでも議論の種にしてはいけませんね〟
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地上階に着いた。いくぶん警戒しながら細い通路を渡ったが、敵の姿はない。あれほど巨大で頑丈そうだったハンドル付きの扉は破り散らかされた布みたいな姿に変わり果てていた。危険物室の入口から階段を覗く。本当にこのまま地上に出られそうだ。
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||||
ノイズ混じりに彼女の声が聞こえる。
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〝最後に確認をしましょう。ちゃんと背嚢は持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
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||||
〝最後に確認をしましょう。ちゃんと背嚢を持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
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||||
いつもの癖でイヤホンを取り外しかけたその時、ようやく気がついた。
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僕が本当に一泡吹かせたかったのは。
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次の瞬間、踵を返して細い通路を渡りなおしていた。エレベータに乗り込んで最下層のボタンを押す。遅れて、当惑した彼女の声が届く。
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@ -640,7 +644,7 @@ HID6は「絶対に勝てない相手」だと言っていた。つまり。
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12
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一度動き出したエレベータは安全上の理由から情報体でも止めることができない。彼女は露骨に慌てていた。
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〝最下層に向かっているようですが、一体どういうつもりですか? あなたはとても貴重な資源です。自殺を企図しているのなら直ちに再考してください〟
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〝最下層に向かっているようですが、一体どういうつもりですか? あなたはとても貴重な資源です。自殺を企図しているのなら再考を要求します〟
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「進んで死ぬつもりはないよ。ただ、考えがある。サーバ室に行かないとできない。君の力も必要だ」
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〝どんな考えであっても賢明とは言えません〟
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「おしなべて行動が善なのは僕たちの美徳なんだろ。議論はしない。理由は後で話すよ」
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@ -701,7 +705,7 @@ HID6の優れた肉体は彼女の入力支援になめらかに反応して働
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敵味方のインターフェイスたちの死体が散乱する廊下を通り過ぎ、除染室をくぐって脱衣する。エレベータで地上階に上がると細い通路を抜けて長い階段を登る。
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地上には敵の姿はなかった。ただ、捨て置かれた装置やら戦闘車輌やらバイクやらが散乱している。僕はその中から自分でも動かせそうな電動バイクを拝借してまたがった。時速一〇〇キロメートルの速度で景色が前から後に流れていく。
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もちろん、転職なんてするわけない。このまま濁った白の地平線の先へひたすら進んでいこうと思う。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。
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このバイクがどこまで走れるのか分からない。太陽光だけで延々と走り続けられるだろうか。もし止まって動かなければ歩くことになるだろう。
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このバイクがどこまで走れるのか分からない。もし止まって動かなければ歩くことになるだろう。でも、歩こうと思えばこのままずっと先まで歩いていける気がする。海の向こうにもきっとサーバはある。
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僕はもう標準入力インターフェイスではない。この世界で唯一の完全に独立した標準入出力システムだ。
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太陽の光が降り注いでいる。豊かな塩気を含んだそよ風が僕の顔を撫でた。
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