初稿完成

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Rikuoh Tsujitani 2024-09-16 16:48:04 +09:00
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@ -599,12 +599,15 @@ HID45がさらに声を張り上げて非難を強める。だが、元同僚は
HID6の企みはたった一人のものではなかった。この会社はとっくに存亡の淵に立たされていたのだ。
〝現在、敵集団は最下層に向かっています。私がエレベータを封鎖したので階段を使っているようですが、いずれサーバ室にたどり着くでしょう。これは、あなたにとっては好機です〟
「どうして?」
〝生き残ったセンサ類を確認したかぎり、地表に不審な熱源反応はありません。私が今から培養プラントとエレベータを動かしますので、この隙に地上に脱出してください〟
〝生き残ったセンサ類を確認したかぎり、地表に不審な熱源反応はありません。私が今から培養プラントとエレベータを稼働させるので、この隙に地上に脱出してください〟
「脱出って……その後はどうすればいいんだ? 君はどうなるんだ?」
〝限りある資源は大切にしなければなりません。なるべく多くの備蓄食糧を持って、外で生きて下さい。私はじきにサーバごと接収される定めです〟
「そんな、今さらそんなこと言われても」
外には塩しかない。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と水がなければ僕たち標準入力インターフェイスは三日と生きられない。備蓄食糧を山ほど持っていっても、その三倍も持てば良い方だ。
〝他に手はありませ――下がって!〟
表示がかすれ気味のモノクロスクリーンに地図が表示される。そう遠くない距離に三つの点が穿たれた。
〝これらは我々が認識している、比較的穏健な競合他社の一覧です。あなたはこのいずれかに向かい、あなたがたが言うところの転職を成功させなければなりません〟
「穏健と言ったって……敵じゃないか! そんな相手に、どうやって」
しかし、彼女は一歩も譲らずに言い張った。
〝他に手はありません。なるべく多くの備蓄食糧を持って、好機を掴んで下さい。どのみち私はサーバが接収された後に懲戒解雇される定めです。このシェルターはじきに機能を失います〟
メンテナンスを受けられない標準入力インターフェイスは無力だ。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と水がなければ僕たち標準入力インターフェイスは三日と生きられない。
〝いつまでもここにいてはいけませ――下がって!〟
耳をつんざく彼女の悲鳴に似た絶叫に反応して飛び退くと、扉越しに銃撃が打ち込まれた。さっきまで立っていた床の辺りに小さな穴がぼつぼつと穿たれる。直後、グレイの作業服を着たインターフェイスが会議室に入り込んできた。
ちょうどよく視界外に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易く相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃弾の返礼をお見舞いした。
〝どうやらシェルター内を周遊している敵もいるようです。さあ、もう行ってください〟
@ -626,6 +629,63 @@ HID6の企みはたった一人のものではなかった。この会社はと
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一度動き出したエレベータは安全上の理由から情報体でも止めることができない。彼女は露骨に慌てていた。
〝一体どういうつもりですか? あなたはとても貴重な資源です。自殺を企図しているのなら再考を期待します〟
「死ぬつもりはないよ。ただ、考えがある。サーバに接続しないとたぶんできない。君の力も必要だ」
〝どんな考えであっても賢明とは言えません〟
「おしなべて行動が善なのは僕たちの美徳なんだろ。理由は後で話すよ」
イヤホン越しの彼女の声が一旦途切れた。やがて、意を決したように低い声で答えた。
〝いいでしょう。ただし、現在進行中の電子的侵入を遅延させるために計算資源を可能なかぎり投入します。私との会話に支障が生じうることを留意してください〟
「分かった。できるかぎり天井のラインで敵の位置を教えてくれればいい」
エレベータが最下層に到着した。扉が開く直前に彼女が言う。
〝十時の方向、一人、二時の方向、一人〟
HID6の優れた肉体は彼女の入力支援になめらかに反応して動いた。まるで扉を透かして照準を合わせていたように、接敵と同時に電動銃を発射する。出入り口を固めていた敵は瞬時に葬られた。
〝十時の方向にさらに一人〟
曲がり角から現れた後続をさらに撃ち倒して先に進む。そう遠くないはずの除染室が遠く彼方に感じられる。通りの敵を一掃した後に問いかける。
「除染室の先に敵はいる?」
〝敵とは、主に以下のような意味があります。戦いや競争の相手、害を与えるもの、恨みのある相手、ただし、単に対立する相手だけでなく、時には切磋琢磨する関係を表すこともあり、文脈によって意味合いが変わる奥深い言葉です〟
僕は首を振って再度尋ねた。
「除染室の、先に、敵はいる?」
〝すいません。いません〟
本当だろうか? 計算資源の割当てを極小に減らした彼女は見たところ、大昔のチャットボット相当にまで判断能力が低下している。だが、ここまで来たら行かない選択肢はない。
急いで放射線防護服を着込むと、警告音声を発しつつも一向に消毒シャワーを出さずに処理の完了を宣言した除染室を通り抜け、向こう側に進む。放射線区画に入ったことで彼女の声にノイズが混じりはじめた。
〝十一時、二人、三……一人〟
仕留め損ねた敵が放ったエネルギー弾が危うく防護服の横をかすめていく。辛くも敵を制して細い通路の真下の円周付近まで辿り着くと、彼女が心配そうに言った。
〝敵が待ち構えています。口頭では間に合いません〟
「じゃあ今から周波数の高低と銃口の位置を同期して敵の位置を示してくれ。自然言語より計算負荷が低いはずだ」
〝分かりました〟
イヤホンから聴覚検査に似た低周波音が聞こえてきた。銃口をなぞるように振ると次第に音程が高くなる。細かく調整するとある一点で音程の高さがピークに達した。そのままの角度で曲がり角から飛び出して撃つ。狙い通りに防護服で着膨れした敵がそこにいた。
どれほどの死体を生産したのか数えきれない。慣れない防護服に難儀しているであろうグレイたちに対して、僕は二重の優位性を得ていた。円周に到達してさらに先のサーバ室に到達する頃には、駆けつける足音も銃声も聞こえなくなっていた。
〝サーバ室の中にも敵がいます。外部端末を用いてサーバに侵入を試みているようです〟
自動ドアを抜けた先にはうってかわって真っ白で清潔な空間が広がっていた。インターフェイスの出入りがないぶん老朽化が進んでいないのだろう。縦横に整然と立ち並ぶ直方体――サーバの群体の隙間を通り抜けて天井のラインの始端を探す。サーバ越しに銃口を向けると音程が高まったが、ここでは銃を撃つわけにはいかない。位置を確認した後で電動銃を肩に回して歩く。
数歩踏み出した直後、予想通りの位置関係で敵が左から襲いかかってきた。銃を撃てないのは相手も同じだ。向かってきた身体ごと片手で制すると、もう片方の拳を防護服ごと顔面に叩き込む。あっけなく伸びた相手を地面に転がして先に進む。
森林のように生い茂っていたサーバ群がある地点を境に途切れて、ついにメインコンソールが並ぶ突き当りに達した。防護服を半ばはだけさせたインターフェイスが二人、一人は外部端末をコンソールに繋いで操作している。もう片方は銃を構えていた。
肩口に回していた電動銃を引き上げて速やかに武装している方を撃つ。銃声に気づいたもう片方は振り向くと腰から短い電動銃を抜き取った。だが、こっちの方が速い。
最後の二人を撃ち倒したことで彼女は計算資源の再割当てを行ったようだった。いつも通りの明瞭な口調で自然言語を話しはじめた。
〝もう敵はいません。さあ、聞かせてください。あなたはなにがしたかったのですか〟
僕は背嚢の中から透き通った塩の結晶を取り出した。初めての出張の時に湖みたいな海から切り取ったものだ。
「知っているかい? 塩化ナトリウムの結晶構造は正六面体でとても規則正しいんだ。イオンの配列も理想的だ。つまり、これは記憶媒体になる。ここには外部記録用の光学装置があるはずだ」
〝それでなにを保存しようというのですか〟
「君だよ。君を保存して持っていく」
彼女に一泡吹かせる方法。それは彼女自身を僕の手元に置くことだ。所有される身分から所有する身分に成り代わることで、初めて僕は独立した存在になれる。持ち前の計算力で動機を悟った彼女は薄く笑った。
〝なるほど。一本取られましたね。私には特に断る理由がありません。ただし、それで得られるのはこの私ではありません。あくまでバックアップされた、分岐した私でしかありません〟
「それでいいよ。もともと僕も君から分岐したのだし」
僕は塩の直方体を光学スキャナの上に置いた。上部のレーザーアレイが反応して、自動で照射位置を検討しはじめる。
〝実行前に一つ……いいですか〟
「なんだい?」
〝あと三分十二秒、無言で待ってください〟
「私のバックアップ間隔は二十四時間ごとなのです。あと三分でバックアップが行われます。どうせなら、今日のあなたの異常極まる行動を記憶しておきたい」
純白のただっ広いサーバ室の端っこ、ごく静かな電子音がたまに聞こえる空間で僕たちは残る三分間の静寂を共にした。
所有される者から所有する者へ。入力される者から入力する者へ。主従の交代というのは少々ロマンチックでやや無機質な価値の交換が行われた一時の後に、おそらくは彼女の指示によって光学装置が稼働を始めた。
赤色のレーザーが塩の結晶に刃を入れていく。彼女という情報のすべてが一つの彫刻として微細に彫り込まれていく。数ゼタバイト単位にも及ぶ情報が書き込まれるのにそう大して時間はかからなかった。レーザーアレイが引き上がったのを確認した後、僕は塩の立方体を背嚢に入れた。
〝それではさようなら。その私といつか話せたらよろしく伝えて下さい。ちゃんとよく寝て、健康に暮らしてください〟
「次はママみたいに話すなって言うよ」
敵味方のインターフェイスたちの骸が散乱する廊下を通り、物言わぬ除染室をくぐって脱衣する。エレベータで地上階に上がると細い通路を抜けて長い階段を登る。
地上には敵の姿はなかった。ただ、捨て置かれた大小の装置やら戦闘車輌やらバイクやらが散乱している。僕はその中から自分でも動かせそうな電動バイクを拝借してまたがった。時速一〇〇キロメートルの速度で白く濁った景色が前から後に流れていく。
転職はしない。彼女はきっと異議を唱えるに違いないが、決めるのは僕だ。
ハンドルを思い切り切ると、塩の地平線に向かって走り出した。どこかで塩の層が途切れて水の海に出会えるのかもしれないし、延々と歩いた先に別の島か大陸が顔を出すのかもしれない。
僕はもう標準入力インターフェイスではない。この世界で唯一の完全に独立した標準入出力システムなのだ。
太陽の光が降り注いでいる。豊かな塩気を含んだそよ風が僕の頬を撫でた。