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Rikuoh Tsujitani 2024-10-21 23:09:33 +09:00
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「まあ、色々やってみるのはいいことだ。若いうちはどんな可能性もある」
 手を振って去っていく同僚の姿が見えなくなってから、僕も造形した塩の塊を背嚢にしまって立ち上がった。もう一度、夕陽の強い光に照らされた固形の海面を眺める。深呼吸。きれいさっぱり片付けられてがらんどうになった文明の残り香を吸い込む。
 こんな暮らしにも可能性とやらがあるといいけど。
 しばらく歩いて特定の地点に着くと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。現れた長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。少し待つと勝手に開く。
 しばらく歩いて特定の地点に立つと、どこかに露出しているのであろう地上のセンサが反応して石畳がめくれ上がった。現れた長い下り階段を降りていき、重くて固そうな扉に突き当たる。少し待つと勝手に開く。
 後は流れ作業だ。すれ違うにも困難な細い通路を渡り、規定の手続きに従って「納品物」を提出する。集めてきた鉱石をカーゴに入れると、奥に回転して壁の向こう側にしまい込まれる。
 すると、シェルター内の天井に張り巡らされたラインがぱちぱちと光る。壁面に投影されたモクロスクリーンに映る評価は、今回もB。見る前から結果は分かっていた。適切な納品物を持って日が落ちるまでに帰ればB評価が確定する。A評価は一度も取ったことがないが、特に問題は起こっていない。
 最後に、次の仕事の申請を出す。ざっくりとした希望なので具体的な内容は次回に知らされる。といっても、一度も変えた試しはないし変わった覚えもない。
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〝……なんの変哲もない塩の塊に見えますね〟
「そうだね。前回、道端で拾ったんだ。面白い形をしていると思ったんだけど」
 僕はそそくさと彫刻を背嚢にしまい込んだ。
 ほどなくして「会議」が終わると彼女は〝接続完了〟を通告した。エレベータに乗って最上層に移動する。細長い通路の終端には、暗闇の上の上まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設えられたそれは情報体の操作によってしか開かない。通路の左右にも深い漆黒が広がっており、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。
 ほどなくして「会議」が終わると彼女は〝接続完了〟を通告した。エレベータに乗って最上層に移動する。細長い通路の終端には、暗闇の上の上まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設えられたようなそれは情報体の操作によってしか開かない。通路の左右にも深い漆黒が広がっており、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。
 けたたましくブザー音が鳴り響いてハンドルがゆっくりと回転する。扉の周りの警告灯が鋭く光を放つも、たちまち周囲の闇へと吸い込まれていく。
 やがてブザー音は大げさな歯車の稼働音に取って代わり、シェルターの扉が地鳴りに似た振動を伴って持ち上げられる。揺さぶられて落ちてしまわないか怖くて手にますます力が入る。
 たっぷり何分もかけて扉が開放されると、もう一つの小さな扉が現れる。そこだけ切り取ればマンションの一室に繋がるドアに見えなくもない。その先には「危険物」と名前が彫られた小部屋がある。一列に立てかけられた電動銃から小さいものを手に取り、ひたすら長い階段を登る。
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〝最終確認をしましょう。外では私の声は聞こえませんからね。ちゃんと背嚢を持ちましたか? 必要なものは揃っていますか? 汎用的ソリューションを携帯していますか?〟
「分かったって」
 耳からイヤホンを取り外してポケットに突っ込む。
 情報体の人々は武器のことを〝汎用的ソリューション〟と呼んでいる。後頭部にネジ穴があり、脳みそを出し入れできる僕たちはサイボーグのようだが、実際にはコンクリート片も満足にどかせない。情報体の人たちに至っては、地上のどんな小さなものさえ動かせない。現実の物体に幅広く介入できる道具は特別なのだ。
 情報体の人々は武器のことを〝汎用的ソリューション〟と呼んでいる。後頭部にネジ穴があり、脳みそを出し入れできる僕たちはサイボーグみたいだが、実際にはコンクリート片も満足にどかせない。情報体の人たちに至っては、地上のどんな小さなものさえ動かせない。現実の物体に幅広く介入できる道具は特別なのだ。
 そして、いよいよ地上に出る。僕にとっては昨日のことのようだが、二三年ぶりだという話だ。階段を登り続けているうちにシェルターの中のどんな強力な光源も敵わない光――すなわち、太陽の光が顔を暖かく照らした。
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 相手がさらに一歩踏み出したので、僕もまた後ろに下がる。声はもう震えだしていた。
「それは、お互い様じゃないか――そうだ、どうだろう。ここは一つ、半々で分け合ってそれで全部だったという話にするのは――」
 HID39は会話を続けるのが面倒になったのか、とうとう手に持った電動銃を突きつけてきた。コンクリートをも容易に撃ち砕くエネルギーの塊をぶつけられたら、即死だ。
「無事に帰りたければ今回の勤務査定は諦めるんだな」
ガキの遊びに付き合う暇はない。無事に帰りたければ今回の勤務査定は諦めるんだな」
 結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、身じろぎ一つできなかった。電動銃は数歩踏み出せば手が届く距離に転がっているが、僕にとっては地平線の彼方よりも遠い。
「ねえ、ちょっと」
 用を済ませるやいなや口も利かずに踵を返した彼に、震えきった声で尋ねた。
「こんなこと、これまで一度もなかった。どうやって報告したらいい」
 彼は振り返ってぼそりと答えた。やや粗い顔つきの口元に野卑な笑みが宿る。
「好きに報告するがいい
「好きにしろ
 去り際に命じられた「しばらくマンホールから出るな」という指示を守って空虚な部屋に佇んでいると、とてつもなくやりきれない気持ちになった。地下で人肌に温められたぬるい空気に独り言が漂う。
「〝汎用的ソリューション〟って、確かにそうだな」
 中身がほとんど空の背嚢を背負っているせいで身のこなしが軽い。日が沈むまでの時間はありすぎて困るほどだ。あてどなく探して他の劣化ウラン弾が見つかる幸運などあるはずもなく、今回の勤務査定が最低で終わると確定したからにはせめて趣味を楽しまないといけない。
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「これは……」
〝勢力図です。私たちの、我が社のものと、競合他社のです〟
 よく見ると下の方に僕たちのシェルターを中心とする領域もあった。他社と比べると面積が若干狭い。
 このシェルターが会社の施設で、情報体の人々が株主か技術者だということは知っていた。他のシェルターも変わらないだろう。この手の建造物や組織は僕が生まれるずっと前には国が運営を担っていたそうだが、僕の時代ではどこも会社がやっていた。学校も会社、警察も会社、軍隊も会社、政府が会社の国もあった。働いたことのない一四歳の身にはそれが良い話なのかよく分からなかった。今もよく分からない。ただ、パパもママもたまに不満を漏らしていたのは覚えている。
 このシェルターが会社の施設で、情報体の人々が株主か技術者だということは知っていた。他のシェルターも変わらないだろう。この手の建造物や組織は僕が生まれるずっと前には国が運営を担っていたそうだが、僕の時代ではどこも会社がやっていた。学校も会社、警察も会社、軍隊も会社、政府が会社の国もあった。働いたことのない一四歳の身にはそれが良い話なのかよく分からなかった。今もよく分からない。ただ、パパもママもたまに不満を漏らしていたのは覚えている。
〝最初の遭遇は同時多発的だったので不正確ですが、およそ二〇〇年ほど前でした。どの競合他社も情報体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同じく元の肉体を基本入力インターフェイスとして活用していました。その時、各社が横並びの状況にあると初めて認識できたのです。インターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で操作介入を伴う入力――今回は収奪のようでしたが――を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に補償を提供しても割に合うとの考えなのでしょう。むろん、我が社も同様の方針です〟
 僕は納得できずに声を張り上げた。
「競合他社といっても君らは同じ人類なんだろ。協力できないのか」
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 結局、いまいち覚醒しきれていない状態で指図されるがままに寝袋から這い出て身体に巻きつけ、直前の彼がそうしていたように傾斜の前で腹ばいになった。「三つ覚えろ。重要なことだ」その彼は起き上がりながら言った。
「もし先にどこからか撃たれて、運良くお前が死んでいなかった場合――」
 いきなり物騒な話から始まったので全身がこわばった。
「――とにかく撃ち返せ。ビビって引っ込んでいたら距離を詰められる。次に、銃声がしたが他の競合他社が撃たれていた時。すぐに隠れておれを起こせ。最後に、すでに相手が接近していて取っ組み合いになった時、大声をあげて危険を知らせろ。いいな、なにもなければ日が昇るまで監視だ」
「――とにかく撃ち返せ。ビビって引っ込んでいたら距離を詰められる。次に、銃声がしたが他のが撃たれていた時。すぐに隠れておれを起こせ。最後に、すでに相手が接近していて取っ組み合いになった時、大声をあげて危険を知らせろ。いいな、なにもなければ日が昇るまで監視だ」
 反射的にうめき声をあげた。「じゃあ僕はもう寝られないのか」体感的には明らかに眠い。いつも年単位で眠っているからきっと寝足りないのだ。しかし同僚は眉間に皺を寄せて「お前は六時間は寝ている。おれだって四時間くらいは寝ていいだろ」とぐうの音も出ない正論を告げたので、目の前に広がる暗闇と黙って対峙するほかない現実を受け入れた。
 いつどこから撃ち殺されてもおかしくないと考えれば怖がってもいいはずなのに、ぼやけた頭と代わり映えのしない黒一面の風景に、姿勢さえも満足に変えられない窮屈さが倦怠感を身体じゅうに押し広げてあるはずの恐怖を塗りつぶしてしまう。
 小一時間経ったか、あるいは五分しか経っていないか定かではないが、僕の意識はありもしない将来の人生設計に傾いた。今は必要に応じて接続されるしがないインターフェイスでしかないけれども、いつか情報体の人々はなにか抜本的な解決策を手に入れて地上に進出するはずだ。数十年後か、数百年後かはともかく、チェンバー殻に故障がなければ僕もその時には一人の市民として輪に加わっているだろう。イヤホン越しにしか話せない彼女とも直接会って話せるようになる。より多くの人々とも交流の機会を得て、地上世界をより良くするために話し合うことになる。そうなればこんな馬鹿げた競争も廃れる。
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〝複雑な部品や電気的接点を持つ機械はメンテナンスが大変なんですよ。電力の消耗も看過できません。その点、皆さん基本入力インターフェイスの燃費の悪さは許容範囲内と言えます〟
「とりあえずご飯を食べさせれば勝手に動くもんね」
 昔、僕の家にあったお掃除ロボットや、外で見かける運送ドローンがもっと器用だったら僕たちを使わずに済んだのだろう。
 シェルターの中は意外に広い。直すべき壁は星の数ほどあり、拭くべき床はさらに多い。以前の仕事で内勤のインターフェイスとめったに会わなかったのも納得だ。チェンバー室も他に三つあって、培養プラント室もそのぶんだけあり、トイレも備わっている。そして、大抵の便器に糞が積もっている。終わりの見えない仕事を無理に終わらせて眠り、次に起きた時には前よりひどくなっている。これではどんなに働いても認められようがない。とはいえ、本来は情報体に移行するまでの仮設的な設備だったはずなのに、なんだかんだで機能し続けている方こそ奇跡なのかもしれない。
 シェルターの中は意外に広い。直すべき壁は星の数ほどあり、拭くべき床はさらに多い。以前の仕事で内勤のインターフェイスとめったに会わなかったのも納得だ。チェンバー室も他に三つあって、培養プラント室もそのぶんだけあり、トイレも備わっている。そして、大抵の便器に糞が積もっている。終わりの見えない仕事を無理に終わらせて眠り、次に起きた時には前よりひどくなっている。これではどんなに働いても認められようがない。とはいえ、本来は情報体に移行するまでの仮設的な設備だったはずなのに、なんだかんだで機能し続けているだけでも奇跡なのかもしれない。
 とりわけ、ダイヤモンド電池が設置されている最下層は最悪だ。ごわごわとした作りの放射線防護服は暑苦しくて重たい。炭素の放射性同位体がベータ線しか放射しないおかげで身の安全は保証されているものの、分厚い生地に手足の動きが阻まれていると作業は遅々として進まず、代わりに口数ばかりが増える。壁のひび割れが広大な円周に沿って広がっていて途方に暮れ、思わず天を仰ぐと暗闇に覆われた吹き抜けの天井が見える。あの細い通路から落ちるとここで床の染みと化すのだ。
「ところで君は今なにをしているの?」
 てんで見通しの立たない仕事を半ば放棄してふと彼女に尋ねると、放射線区画特有のノイズに紛れて自明すぎる回答が返ってくる。
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 次第に、ぼそぼそとした声色の音程に慣れたのか扉の向こうの会話が耳に入ってきた。
「……どうだ、転職するか? 返事がイエスなら出張を申請しろ」
「……けどよ、申請したってその通りに仕事が振られるかどうか……」
「おれがなぜA評価を取り続けているか分かるか 仕事を細かく選べるからさ。出張の枠を用意してお前を入れることもできる」
「おれがなぜA評価を取り続けているか分かるか 仕事を細かく選べるからさ。しかも最優先でな。出張の枠を用意してお前を入れることもできる」
 声量こそ小さいがその声は野太く低く、はっきりとしていた。気がつくと防護服の暑苦しさも忘れて聞き入っていた。「転職」という聞き慣れない単語が出たからだ。言葉自体の意味はもちろん知っているが、基本入力インターフェイスを職業に例えているなら他の職のあてがこの世界にあるとは思えない。
「……バレねえのかな、そこが不安だ。おれたちは脳みそを握られているんだぜ」
「やつらは健康診断をケチってる。シケた職場よ。当日までお前が口を閉じていればバレやしない」
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 一般的にカメラの素材にはパラジウムやランタンなどが用いられている。
「|土いじり|もそう悪くはなかったね」
 ルーティーンの一部をやり直して金属製の背嚢にあらゆるものを詰め込んでいく。細い通路の始端ではHID6が待っていた。恐る恐る顔を合わせると彼はいたってフレンドリーに表情を和らげた。
「お前は必ず戻ってくると思っていたよ。他の二人は外に出ている
「お前は必ず戻ってくると思っていたよ」
 巨大なハンドルの付いた扉の先で一番大型の電動銃を自ら手に取ると、勇んだ足取りで地上世界に踏み出した。
 地表では他の基本入力インターフェイスたちが待ち構えていた。巨体の同僚とは対照的に二人の顔には険しい顔がありありと浮かんだ。後に続いてHID6が出てきた途端、僕にではなく彼にクレームを投げかけた。
「おい、なんだこいつは、ただのガキじゃねえか」
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「どっちかが勝ったのかな」
 今度こそ照準から顔を離して目を合わせる。同僚は興奮がちに言った。
「あんなに近いと相打ちの可能性もある。とにかく、他のやつらを起こさねえと――」
 HID23が立ち上がった瞬間、闇夜を貫いた運動エネルギーがその肩口を鋭く捉えた。熱風とともに血しぶきが舞う。短くうめき声を漏らした彼は斜面をごろごろと転がっていった。慌てて銃座を放棄して歩み寄りかけたが、HID6の言いつけが僕を踏み留まらせた。
 HID23が立ち上がった瞬間、闇夜を貫いた運動エネルギーがその肩口を鋭く捉えた。熱風とに血しぶきが舞う。短くうめき声を漏らした彼は斜面をごろごろと転がっていった。慌てて銃座を放棄して歩み寄りかけたが、HID6の言いつけが僕を踏み留まらせた。
『先にどこからか撃たれて、運良くお前が死んでいなかった場合――とにかく撃ち返せ』
 いざ漆黒と相対してトリガーを引き絞ると、驚くほど簡単に高エネルギーの塊が射出された。直後、瞬いた光が間近の敵の姿を捉えた。距離にして十歩もない。スキップすればハイタッチもできそうだった。敵は狙撃と奇襲の二手で別れていたのだ。恐怖に目が見開く。影に似た姿の敵はすさまじく機敏に接近してきた。
 もし僕が下手に経験豊富だったらやられていただろう。本能的な恐れから応射を早々に諦めて電動銃を盾のように構えると、そこへまっすぐ敵の腕が伸びた。がちりと金属音が鳴り響く。月明かりを照り返す鋭い銀色の輝きが死の匂いを放った。敵は銃ではなくナイフを持っている。
 初手を防がれた敵はしかし、軽い身のこなしで僕を蹴り倒すとすぐさま覆い被さった。銃を抱えているのになに一つ抗えないまま、頭上にナイフがきらめく。黒装束に垣間見える目元がかすかに歪んだ。
「子ども……!?」
 一瞬、振り下ろされた刃の切っ先が止まる。その間隙を突くように、真横から不可視の銃弾が発射された。身を塞ぐ黒装束が横に傾いで倒れ込んだ。顔を向けると、電動銃を構えたHID6が見えた。
 その背後から迫るの黒装束の姿も。
 その背後から迫るの黒装束の姿も。
 反射的に銃を構えてトリガーを引くと、狙い通りに彼の後ろの黒い影が後方に吹き飛んだ。巨体の同僚は驚いて振り返ったが、向き直る頃には皮肉な笑みを湛えていた。
「夜勤<ナイト・シフト>に襲われて生き残るとは……お互い運が良かったな」
 決死の数十秒をくぐり抜けた後、僕は自分がろくに息もしていなかったことに気がついた。急速に駆動を再開した呼吸器官の痛みに胸を抑えて地面に仰向けになる。場違いにきれいな星が点々と輝く夜空から目をそらすと、黒装束の露わになった顔つきが目に入った。噂に聞く血に飢えた夜勤<ナイト・シフト>の素顔は、いたってありふれた中年女性にしか見えなかった。
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 彼がそう言うが早いか、建物の隙間の遠くから徐々に走行音がうなり、基本入力インターフェイスたちが電動バイクを駆って現れた。二人ともグレイの作業服を着ている。競合他社のインターフェイスだ。退路を塞ぐ形で僕たちの来た道にバイクを止めて降りると、直立不動の体勢で電動銃を突き出す。銃はバイクに似て黒く角ばっていて、僕たちのよりもだいぶ洗練されている。担架に両手を塞がれている僕たちは早くも形勢を失った。HID45が「なんだこいつらは」と叫んだが、HID6は無視して二人に話しかけた。
「誰も武装していない。銃を下ろしてくれ」
 グレイの二人はロボットじみたカクついた動きで銃身の角度を下げたかと思えば、唐突に礼儀正しい態度になって深々とお辞儀をした。
「本日は当社の中途採用選考にお越し頂き、誠にありがとうございます。これより面接を実施致します」
「本日は当社の中途採用選考にお越しいただき、誠にありがとうございます。これより面接を実施いたします」
 意味不明な言葉の羅列にあっけにとられているうちに、二人は小型の端末をポケットから取り出して僕たちにかざした。どういう意図があるのか分からないが、手元にちらつく電動銃のせいでむやみな抵抗はできない。最後に、担架の上のHID23に端末を当てるとグレイの片方が言った。
「以上で面接を終了致します。選考の結果、HID6様、HID11様、HID45様を当社に採用させて頂く運びとなりましたことをご報告申し上げます」
「以上で面接を終了いたします。選考の結果、HID6様、HID11様、HID45様を当社に採用させていただく運びとなりましたことをご報告申し上げます」
「こいつはどうなんだ」
 奇妙な言葉遣いをする二人組にも動じず、HID6が担架の上の同僚を指差す。すると、グレイたちは直角よりも深い角度でお辞儀をした。
「HID23様につきましては慎重に検討を重ねましたが、誠に残念ながら貴意に添いかねる結果となりました」
@ -517,7 +517,7 @@
「え、じゃあ、転職って――」
 例の二人の企み。つまり、それは。
 分厚い身体を挟んで向こう側から声がした。
「当社の基本入力インターフェイスとして雇用させて頂きます。代わりに貴社のシェルターの位置や防御設備等について教えて頂きました」
「当社の基本入力インターフェイスとして雇用させていただきます。代わりに貴社のシェルターの位置や防御設備等について教えていただきました」
 目の前の同僚は厳密には同僚ではなくなったらしい。
「は、背任行為だ。懲戒解雇されるぞ。お前のユーザだって、どうなるか――」
 HID45が非難の声を強める。だが、元同僚は挑発的に言い返した。
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「そうか、よし」
 彼は大きな手のひらで僕たちの肩をぽんぽんと叩いた。
 ある意味で、虚偽申告ではなかった。遠い昔に死んだパパがたまたま株主で、シェルターの契約が株主優待に含まれていたという前提なくして僕がオレンジの作業服を着る理由はない。
「たいへんご面倒をおかけしますが、保安上の事由からお手持ちの武器を回収させていてもよろしいでしょうか」
「たいへんご面倒をおかけしますが、保安上の事由からお手持ちの武器を回収させていただいてもよろしいでしょうか」
 グレイたちの要請に従い、背嚢から電動銃を取って元同僚に差し出した。振り返った彼がそれを引き渡す。
「申し訳ありませんが、念のため刀剣類もお預かりします。武器には違いありませんので」
「申し訳ありませんが、念のため刀剣類もお預かりいたします。武器には違いありませんので」
「そうだね」
 わざと腰を落として前屈みになり、時間をかけて背嚢の中をまさぐりながらナイフを取り出した。また代わりに受け取ったHID6が振り返り、グレイに手渡す。
 今の彼は隙だらけだ。
@ -565,7 +565,9 @@
 意に反して力が抜けた全身を引きずりながら廊下を歩き、本来のルーティーンを省略してチェンバー室に向かった。勤務査定なんて受けていられない。僕の身と証拠を守ってくれるもの……それは、チェンバー殻しかない。よろよろとした足取りで手前の殻を叩くと、手のひらの血が表面にべったりとくっついた。せり出した殻が開ききる前に身体をねじ込んで閉塞処理を開始させる。
 殻が閉まったと同時に、強化ガラスを隔てて汗と返り血にまみれたHID6が現れた。強く殻を叩くも、一度誰かが入ったチェンバー殻は処理の終了まで開くことはない。
 今すぐ殺せないことを悟った元同僚は不敵な表情を見せつけてガラス越しに叫んだ。
「それで勝ったつもりか? だがな、おれは仕事を選べる。今から勤務査定に戻って、次の仕事にお前を指名して入れる。後で拒否しようが解凍される時は一緒だ。せいぜいよく眠っておくがいい……次は素足で走らせてやるからな」
「それで勝ったつもりか? だがな、おれは仕事を選べる。こんなしょぼくれた会社の、誰よりも優秀だからな!」
 どん、と拳を殻に打ちつける。息を荒げていても怒声はなおも止まらない。
「今から勤務査定に戻って、次の仕事にお前を指名して入れる。後で拒否しようが解凍される時は一緒だ。誰もおれに逆らえない。せいぜいよく眠っておくがいい……次は素足で走らせてやるからな」
 肩を怒らせてのしのしと立ち去っていく後ろ姿を見送りつつ、僕は殻の中で金切り声をあげた。
「なあ、聞こえただろ! 助けてくれ! あいつは僕を殺すつもりだ!」
〝分かっています。しかし現状ではHID6に重罰を課すことはできません。シェルター内のラインに映っている範囲では危害の直接的な証拠は確認されていません〟
@ -581,7 +583,7 @@
<警告。着衣状態では正常な冷凍が行われません>
<警告。バイタルに異常を検知。正常な冷凍が行われません>
「いいから、冷凍……なんとか、してくれ」
<強制冷凍シークエンス開始。本プログラムについて当社は一切の法的責任を負いません。この件における免責事項をよくご覧き……>
<強制冷凍シークエンス開始。本プログラムについて当社は一切の法的責任を負いません。この件における免責事項をよくご覧いただき……>
 彼女の声はもう聞こえてこなかった。文字列の続きも読めない。不思議と、普段は不気味で仕方がなかった後頭部にドライバが差し込まれる感覚が妙に心地よかった。
 夢は見ない。冷凍されている間の脳みそは当然ながら細胞単位で活動が停止しているため、電源を落としたコンピュータと同等の状態に至る。電気羊の夢は電気なくしては見られない。逆に、スイッチを入れられた瞬間、僕たちの意識もまた諸神経の始動に合わせて連続的に再開される。目が覚めた時、湾曲したガラスの表面に示された文字列がにわかに僕の恐怖を細胞単位で呼び起こした。胸の高鳴りとシェルター殻の稼働音が並走する。
@ -602,17 +604,20 @@
 太い腕をぬっと突き出して首筋を掴む。大して力を入れていないのに目測で一七センチメートルはゆうにありそうな成人男性の身体が宙に浮いた。HID6は足をじたばたと振って途切れ途切れに声を漏らした。
「待て――おれは、お前を――っ」
 構わず力を込め続けると、じきに彼は全身を震わせて頭を垂れた。どうやら本当に一泡吹かせるのは難しいらしい。意識の失った肉体を床に放り投げて左右のチェンバー殻を目で探る。ほどなくして、元の自分が収められていた殻を発見した。
 その肉体は青く霜の吹いた生気のない顔で横たわっていた。流れる血液ごと凝固して凍っている姿はいっそ芸術的でもあった。殻の表面に静かに触って開くと、かつての自分の胸元に聖遺物の神々しさで佇むカメラを回収した。
 その肉体は青く霜の吹いた生気のない顔で横たわっていた。流れる血液ごと凝固して凍っている姿はいっそ芸術的でもあった。殻の表面に静かに触って開くと、かつての自分の胸元に聖遺物の神々しさで座るカメラを回収した。
 せめて服くらいは着なければ。更衣室でHID6の作業服を着込んでいる最中に、天井から大音量で放送が流れた。
<当施設の経営権は合法的に移行されました。基本入力インターフェイスの皆様はただちに業務を中断してください。有給休暇の取得をご希望の方は両手を組んで頭の後ろに回し、所定の位置にお並びください。繰り返します……>
 廊下に出ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。警告灯という警告灯が光り、ただでさえひび割れまみれの壁には大小の穴が穿たれ、至るところに死体が転がっていた。会議室に着くまでの間、二ダースを超えるインターフェイスの残骸を目の当たりにし、先の放送も負けず劣らず繰り返された。
 会議室の中でイヤホンをつけると――この場合、HID6のユーザに接続されるのではと懸念したが――問題なく彼女の声が聞こえたので安堵した。
〝ああ、無事だったんですね、良かった……〟
「聞きたいことは山ほどあるけど、まずはこれを」
 カーゴにカメラを収めると、彼女は事前問答集を用意していたかのような円滑さで説明を始めた。
〝あなたは保存に失敗しました。着衣状態に加えて手の施しようもないほど失血していたのです。ですが、脳の方は無事でした。こうした状況下の時、システムは自動的に適合する代替の肉体を検索します〟
「聞きたいことは山ほどあるけど、とりあえずこれを」
〝ありがとうございます〟
 カーゴにカメラを収めると、彼女は中身の映像よりも先に僕に焦点を合わせた。比喩ではない。モノクロスクリーンに僕自身の姿が映し出された。殺風景な部屋の中央に挙動不審な巨体が佇んでいる。
〝そうですね。まずはあなたの新たな仕様について説明しなければなりません〟
 スクリーンが暗転して、二つの人体模型が様々なアニメーションと共に描かれる。
〝あなたは自身の保存に失敗しました。着衣状態に加えて手の施しようもないほど失血していたのです。ですが、脳の方は無事でした。こうした状況下の時、システムは自動的に適合する代替の肉体を検索します〟
「それが……HID6の身体だったのか」
〝通常、すでに運用中の肉体が適用されることはありませんが、あのインターフェイスはわざわざあなたを次回の拡張入力に指定していました。これにより優先順位の細工が容易になったのです。まあ、半ば自滅したようなものですね〟
〝通常、すでに運用中の肉体が適用されることはありませんが、あのインターフェイスはわざわざあなたを次回の拡張入力に指定していました。通常、優先度の高い指令は下位の規定を無視します。私はそこにつけこんだわけですが……まあ、半ば自滅したようなものですね〟
 過剰な殺意を持て余したばかりに自分自身の身体によって滅ぼされる。なんだかおとぎ話みたいだ。
「じゃあ、録画の方はどうなんだ。これでどうにかなるの?」
 今度は回答までにしばらく時間がかかった。