diff --git a/標準入力インターフェイス.md b/標準入力インターフェイス.md index b384af7..9473f25 100644 --- a/標準入力インターフェイス.md +++ b/標準入力インターフェイス.md @@ -32,146 +32,165 @@ HID6は顔を傾けて意味ありげに口元を歪ませた。 2 -記憶に連続性があると言っても、この場合は少々あてにならない。冷凍と解凍を繰り返すたびに僕の長期記憶は揮発していき、今や覚えていることの方が少ないからだ。一番最初に解凍させられた時は身も心もフレッシュだった。まるで瑞々しい葉野菜のよう。シェルターを訪れた当時の感情も明瞭に残っていたから、さぞ地表は芳しい草花が生い茂り、空は青く澄み渡り人類の復活を讃えてくれるのだろうと胸を踊らせていた。あるいは地表に文明社会が再興していてもおかしくないとさえ期待した。ロンドンはニューロンドンに、トーキョーはニュートーキョーに。誠に遺憾ながらニューヨークはこの命名規則だとニューニューヨークになってもらうしかない。 +一番最初に解凍させられた時は身も心もフレッシュだった。まるで瑞々しい葉野菜のよう。シェルターを訪れた当時の感情も明瞭に残っていたから、さぞ地表は芳しい草花が生い茂り、空は青く澄み渡り人類の復活を讃えてくれるのだろうと胸を踊らせていた。あるいはすでに文明社会が再興していてもおかしくないとさえ期待した。ロンドンはニューロンドンに、トーキョーはニュートーキョーに。誠に遺憾ながらニューヨークはこの命名規則だとニューニューヨークになってもらうしかない。 しかし、初めて目を覚ましたチェンバー殻の表面に浮かんだ文字列はつれない一言。 〝あなたは標準入力インターフェイスとして再定義されました。以後、HID11と呼称します〟 ところで、活動状態の肉体はたいへん燃費が悪い。一〇〇人の人間をまともに生きながらえさせようとすれば、膨大な備蓄食料、清潔な飲み水、空気、それらを支える大がかりな施設な循環システムを要する。じきにそういった代物は宿命的に老朽化を余儀なくされ、修理するための資材や人員、教育や訓練、果ては指揮系統を円滑化する官僚機構や社会制度までもが求められる。尻に火が付いている人類にとってはあまりにも考えることが多すぎる。 -そこで、我々は情報化を選んだ。元の肉体を問題解決後のために冷凍保存し、思考する精神を地下深くのサーバに転写する。延々と眠りこけていては例外的な事象に対処できないからだ。シェルターの内外に張り巡らされたセンサ類を基に、情報体と化した技術者たちが日々分析にあたる。彼らにはラザニアもコーヒーもマウンテンデューもいらない。地表が未曾有の異常気象に見舞われている環境下で一〇〇人ぶんの水源を濾過し続ける方法を検討するよりも、深宇宙探査機用の原子力電池一つの方が安上がりで手っ取り早い。当時、情報化はすでに革新派の間では取り入れられていたライフスタイルだったが、ここへきて初めて一挙に普及したと推測される。どの会社のシェルターも似たりよったりのプランを提供していたからだ。 -僕がこうして地上で凍らずに生存しているということは、情報体の僕が別に存在していて技術者優待を受けられる身分かもしくは金持ちだったのだろう。無分別に人々を受けられるほどサーバの演算性能は高くない。情報体の人々が僕たちを都度呼び起こす理由は様々だが、大抵は個体の適性に合わせた仕事が割り振られる。僕の場合はセンサで捉えきれない微小な気候変動のモニタリングや、実際のサンプルを持ち帰る地質調査が大半を占める。なんの前触れもなく解凍されると言いつけ通りに地上に出ていき、仕事を終えると再びチェンバー殻に入って冷凍される。もう何度繰り返したか覚えていない。最初の解凍の時点では外出に耐寒防護服が必要だったが、今では人類が活動していた頃とほとんど変わらない。 -だが、情報体の彼らが生身の人間の姿に戻ることはできない。生体脳の中身を情報体に転写できても、逆を行う技術を開発できなかったからだ。曰く、脳の構造は半導体ほど単純ではないらしい。眠るたびにわざわざ後頭部を開いて脳だけ別の条件で冷凍しているくらいだから、なんとなく難しさの想像はつく。 -結局、期待されていた技術革新はついに起こらず、元の肉体は電力食らいの負債に成り下がった。万能な機械の肉体などなお望むべくもない。そんな資材や生産設備はどこにもない。ゆえに僕たちは情報体の標準入力インターフェイスなのだった。枝分かれした自我の代償に労働し、勤務評価を得て再び眠りにつく。次に解凍されるのは数年後か数十年後か、それとも数百年後か分からない。 -確かに、使えるものは使わなければならない。僕たちの後頭部には脳を取り出しやすくするためのネジ穴が設けられているし、脳と肉体の電気的接点はモジュール化されている。もともとは情報体に移行する経過的措置だったが、くしくも再解凍の効率化に一躍買っているようだ。 -僕自身、自分の処遇には納得している。そもそも「肉体の僕」という自我は計画通りなら存在しなかった代物だ。「情報体の僕」の精神に上書きされて揮発する定めだった。なんであれ生きているのはすばらしい。仕事一辺倒の人生でも楽しみはある。 -今日もまたチェンバー殻の内側で目が覚めた。殻の湾曲した表面にいつもの文字列が浮かぶ。 +そこで、我々は情報化を選んだ。元の肉体を問題解決後のために冷凍保存し、思考する精神を地下深くのサーバに転写する。延々と眠りこけていては例外的な事象に対処できないからだ。シェルターの内外に張り巡らされたセンサ類を基に、情報体と化した技術者たちが日々分析にあたる。彼らにはラザニアもトリプルエスプレッソラテもマウンテンデューもいらない。地表が未曾有の異常気象に見舞われている環境下で一〇〇人ぶんの水源を濾過し続ける方法を検討するよりも、深宇宙探査機用の原子力電池一つの方が安上がりで手っ取り早い。当時、情報化はすでに革新派の間では取り入れられていたライフスタイルだったが、ここへきて初めて一挙に普及したと推測される。どの会社のシェルターも似たりよったりのプランを提供していたからだ。きっとうまくいく。これは一時的な措置に過ぎない。 +……はずだったのだが、僕が〝標準インターフェイス11〟なる名称を賜った際に知らされた新事実は以下の通りだった。 +一つ、数百年余の年月が経ったが情報体を人間の頭脳に再転送する技術は開発できそうにないこと。 +二つ、その一方で地表は人間が活動可能な気候に好転しつつあること。 +三つ、よって今後は冷凍保存された人間を都度解凍し、元の持ち主である情報体が適性に応じて入力インターフェイスとして活用すること。 +確かに、使えるものは使わなければならない。もともと僕たちの後頭部には脳を取り出しやすくするためのネジ穴が設けられているし、頭蓋と脳の電気的接点はモジュール化されている。これは情報体に移行する際の外科的措置であり、同時に保存条件の異なる肉体と脳を分離するための策だったが、くしくも冷凍と解凍の効率化に一躍買っている。 +自分の処遇に納得感があるかと言われれば複雑だ。計画通りにことが進んでいればそもそも「生体脳の方に残った僕」という自我は存在しえなかった。「情報体の僕」の精神に上書きされて揮発する定めだからだ。あるいは、情報体が地上の調査よりも肉体のランニングコストを倦んで一切合切放棄していたら、やはり今の自分はない。 +一方で、だから恩に着ろというのもおかしい。誰も自我をもう一つくれなんて頼んだ覚えはない。情報化される際にそんな説明は受けていない。何百年も生きていれば自分の子機を増やしたい気持ちになるのかもしれないが、情報体は自分から枝分かれして遠い先に行ってしまった別人であって、同じように物事を考えるのは難しい。 +かといって、自殺する気にもなれない。今の暮らしにもそれなりの楽しみはある。なんだかんだで釣り合いが取れてしまっているのだ。ゆえに僕は標準入力インターフェイスなのだった。 +今日もまたチェンバー殻の内側で目覚めた。殻の湾曲した表面にいつもの文字列が浮かぶ。 〝HID11:接続処理中〟 -彼女は僕が殻を出て身支度を整えるまでの間を「接続処理中」と表現する。まもなく殻が奥手にせり出して開き、そこから出られるようになる。チェンバー室の左右に整然と並ぶ大量の殻にはまだ眠りについている同僚たちの姿が透けて見える。同僚と言っても勤務体系が年単位でばらばらなので気安く会話はできない。前回、出会ったHID6はあれで三回目だが今は端っこの殻の中で巨体を丸めて安穏としている。 -たとえ世紀を隔てていようとも染みついたモーニングルーティーンに揺るぎはない。作業服と背嚢はチェンバー室の隣、食事は直進して突き当たりを左の培養プラント室にある。巨大なパイプの排出口から出てくる吐瀉物に似た食べ物は相変わらずなにでできているか分からない。味や食感についての感想は差し控えたい。飲み水も前回より黒ずんでいた。 -食事が済むと頃合いよく便意を催す。溜まっていた便が腸内蠕動の再開によって押し出されたのかもしれない。部屋を出て奥のトイレに向かう。六つある便器のうち大半が割れ、残った便器にも大抵は乾燥した糞が堆積しているが、何回か寝て起きる頃には清掃されていたり修理が施されていたりする。きっと同僚による仕事の成果なのだろう。 -ちなみに水は流れない。このトイレの水洗装置はかなり初期の段階から破損している。いつまでも直らない様子を見るに、標準入力インターフェイスでは修理しきれない箇所なのだと推定される。 -準備の最終段階。前回よりひび割れが目立つ廊下を歩き、巨大なモノクロディスプレイが据え置かれた空間でブリーフィングを受ける。質疑応答もここで答えてもらえる場合がある。中央に置かれた椅子に座ると、特に重心をかけたつもりはないのに脚ごとひしゃげて壊れた。どうやらブリーフィングは立って受けることになりそうだ。 -ディスプレイ上に線が引かれて作図が開始された。現在地点を中心とした点から方角とおおよその距離が示され、目的の資材についての文字情報も並ぶ。いつもより長い道のりだが、うまくやれば今回も塩の塊を彫る時間くらいは余りそうだ。 -「質問」 -質問コマンドを投げかけるとディスプレイが暗転して対話状態に遷移する。部屋の中央に立体映像が投影されて白いオーバーコートに身を包んだ女性の姿が現れる。 -〝HID11、質問を受け付けます〝 -「飲み水が黒ずんでいるみたいだ。味はともかく健康への影響が気になる」 -立体映像の女性が明瞭に返答する。 -〝雨水を濾過するフィルタの目詰まりと想定されます。すでに他の標準入力インターフェイスにタスクを割り振っているため、まもなく解決されるでしょう〟 -「ありがとう。あと、便器に糞が溜まってきたので次に起きる時までにはなんとかしてほしい。あのままでは溢れかえってしまうよ」 -ややセンシティブな要請にも彼女は律儀に答えてくれる。 -〝標準入力インターフェイスに特有の代謝現象に起因する老廃物の処理については私も常に憂慮しています。現在、解決に向けて討議中です〟 -「そいつはいいね、ところで、そっちの暮らしはどう?」 -ここへきて彼女はようやく当惑した顔を見せる。他の同僚は情報体と不必要な会話をしないらしいが、僕としては仕事を一緒にする相手のことはよく知っておきたい。 -〝相変わらずです。あなた方の暮らしが変化と危険に満ちているとしたら、私たちはその逆。安全で満ち足りているけど変化がありません〟 -肉体を持たない思考だけの暮らし、というものがどんな感じなのか気になって仕方がない。歴史上のどんな場所にも一瞬で旅ができて、あらゆる知覚は決して衰えることなく無尽蔵に供給され、空腹も寝不足も欲求不満も存在しない。まさに楽園の世界だ。 -しかし立体投影された彼女は礼儀正しさの裏でいつもどこか退屈しているようで、その一方で焦っているようにも見えた。 -「ところでこれ、なにに見える?」 -僕は背嚢から前回の隠された成果物をお披露目した。すると彼女は生真面目に前のめりの姿勢になって造形された塩の塊をまじまじと眺めた。 -〝なんの変哲もない塩の塊に見えますが〟 -「そうだね。前回の時に道端で拾ったんだ。僕は面白い形をしていると思ったんだけど」 -〝毎回よく変わった形の結晶を見つけてくるみたいですね〟 -ほどなくしてブリーフィングが終わると彼女が〝接続完了〝を通告し、エレベータに乗って地上階に移動した。細長い通路の最奥には、天井まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設られたそれは情報体の側の操作によってしか開かない。通路の左右には深い暗闇が広がっていて、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。 -僕の到達を見計らったようにけたたましいブザー音が鳴り響き、ハンドル部がゆっくりと回転を開始した。扉の周りの警告灯が激しく回る。目を突く鋭い赤色の光線はしかし、たちどころに漆黒の空と底に吸い込まれていく。 -やがてブザー音は荘厳な歯車の駆動音に取って代わり、シェルターの扉が地鳴りに似た振動を伴って前方に開く。揺さぶられて落ちないか恐れて手にますます力が入る。 -たっぷり何分もかけて扉が解放されると、もう一つの扉が現れる。そこだけ切り取ればマンションの一室に繋がるドアに見えなくもない。その先には『危険物』とラベルに貼られた小部屋がある。作業服と背嚢が置かれている部屋とよく似ているが、ロッカーの中には銃器とバッテリーが保管されている。 -彼女はこれらの武器について〝汎用的ソリューション〝と呼称して携行を命じている。後頭部にネジ穴があり、脳を出し入れできる僕たちはあたかもサイボーグのようだが、実際には飢えた犬より弱い。そんな生き物が地上にいればだが。事実、今まで一度も使いたくなった試しはない。そして、ついに外に出る。僕にとっては昨日のことのようだが、きっと何百年ぶりの地上だ。分厚い鉄の扉が背後で固く閉ざされ、気の遠くなるほど長い階段を登り続けるうちにシェルターの中のどんな強力な光源も敵わない光――すなわち、太陽の光が僕の顔を照らした。 +彼女は僕が殻を出て身支度を整えるまでの間――モーニングルーティーンを「接続処理」と表現する。まもなく殻が奥手にせり出して開く。チェンバー室の左右に整然と並ぶ大量の殻にはまだ眠りについている「同僚」たちの姿が透けて見える。同僚と言っても勤務体系が年単位でばらばらなので頻繁に会話はできない。前回に出会ったHID6も今は端っこの殻の中で巨体を丸めて安穏としている。 +作業着と背嚢はチェンバー室の隣のロッカーの中、食事は直進して突き当りを左の培養プラント室にある。巨大なパイプの排出口から出てくる吐瀉物に似た食べ物は相変わらずなにでできているか分からない。味が食感についての感想は差し控えたい。飲み水は前回より黒ずんでいた。 +食事が済むと頃合いよく便意を催す。溜まっていた便が腸内蠕動の再開によって押し出されたのだろう。部屋を出て奥のトイレに向かう。途中、ひび割れた壁面を修理している顔なじみの同僚と出くわす。「おはよう」と挨拶をすると「おお、おはよう」と気さくに返事をしてくれる。「出勤かい?」「うん」「地上の仕事って大変じゃないかい」「僕はそうでもないよ」 +僕たちは僕たちで精神体の人々とは異なる言い回しを好んだ。「同僚」だとか「出勤」といったフレーズは、かつて地上世界で暮らしていた頃の名残りで、誰かがふと使った言葉が急速に普及した。他にも色々な言い回しがあるらしい。「最近は勤務評価が厳しくて困るね」見るからに老け込んだ風体の彼は、この短い会話の間にも折り曲がった腰を何度もさすっていた。 +標準入力インターフェイスに与えられる「仕事」は適性によって異なる。冷凍された際の年齢が高かったり、なんらかの障害を持っていた場合には地上ではなく施設内の「内勤」に割り振られることが多い。僕は逆に若すぎ、背が低く力もないが代わりに身軽なので外で土や小石を集めている。 +トイレの便器は六つあるが、大半は壊れている。運が悪いと便器の中に乾燥した糞が積もっていることもある。ここの水洗装置はかなり初期の段階から破損している。いつまでも直らない様子を見るに、僕たちでは修理しきれない箇所なのだと推定される。適性ある標準入力インターフェイスが糞を片付けるまではずっとこのままだ。 +ルーティーンの最終段階。直しても直しても蜘蛛の巣みたいにひび割れが広がる廊下を歩き、巨大なモノクロディスプレイが据え置かれた特別な空間で「ブリーフィング」を受ける。耳にイヤホンを装着すると声が聴こえる――僕をインターフェイスとして扱うユーザ――他ならぬ、数百年前に枝分かれした精神体の僕だ。 +〝おはようございます。前回の解凍から二三年経過しました。体調はどうでしょう〟 +「問題ないと思うけど健康診断を受けたわけじゃないからね」 +〝チェンバー殻のスキャナは一四七年前に電力効率化が策定されて以来、中止されていますからね〟 +「それって僕が何回解凍されたあたり?」 +〝三回目の後です〟 +以前はチェンバー殻が脳みその中身まで走査してメンタルケアをしてくれたというが、今の僕たちは自発的に行っている。「福利厚生の悪い職場だ」などと揶揄する同僚もいた。 +「ふーん、ところで飲み水が黒ずんでいるみたいだ。味はともかく健康への影響が気になる」 +〝ああ、それは雨水を濾過するフィルタが目詰まりを起こしているんですよ。他の標準入力インターフェイスが処理を実行中です〟 +「そうか、それは良かった。あと便器に糞が溜まっているのもなんとかしてほしいかな。誰かが手で掬い続けるのにも限界がある」 +〝標準入力インターフェイスに特有の代謝現象は厄介ですね。私たちも解決しようとはしています〟 +彼女と話すのは割に楽しいが奇妙でもある。もし僕が冷凍されずに生き続けていたからこうなっていたのか、とか、肉体を持たない精神のみの存在だから肉体のまま歳をとるのとは勝手が違うんじゃないか、とか、普通なら考えないような想像に思いが巡る。とはいえ、どのみち彼女ほど加齢することはできない。今こうして同じ瞬間を生きていても僕は一四歳プラス解凍中の日数なのに対して、彼女は三〇〇歳をゆうに越えている。そのせいか僕がどんなに対等なつもりで話をしても、彼女はまるで親のような態度で接する。それが時々――いや最近はかなり――煩わしい。 +「ところでそっちの暮らしはどう? なんか良いことあった?」 +〝相変わらずです。あなたの暮らしが先に述べたような欠乏と不足の連続だとすれば、私たちはその逆ですね。安全でとても満ち足りています。だけど、変化はありません〟 +肉体を持たない思考だけの生活、というものがどんなものか未だに理解できない。僕たちが何年かかってもいけないどんな場所にも一瞬で行けて、当時の美しい状態の建築物や風景を楽しめる。あらゆる知覚は決して衰えることなく無尽蔵に供給され、空腹も寝不足も欲求不満も存在しない。 +そんな楽園じみた世界で暮らしているのに、現実の地上世界に未練があると言う。 +「だから僕をインターフェイスとして使っているわけね」 +〝あけすけに言えばそうなりますね。では、今回の入力内容ですが……〟 +イヤホンから女性の声が一旦途切れると、巨大なモノクロディスプレイ上に線が引かれて作図が開始された。現在地点を中心とした点から方角とおおよその距離が示され、目的の資材に関する文字情報も並ぶ。いつもより遠い道のりだが、うまくやれば今回も塩の塊を彫る時間くらいは余りそうだ。 +〝今回は特に食事と水分補給を万全に済ませてください。外気温は一〇度前後ですが、なるべく直射日光も……〟 +「はいはい、分かったよ。ところでこれ、なにに見える?」 +余計な世話焼きを遮り、背嚢から前回の隠された成果物をお披露目した。天井に取り付けられたカメラがぐりぐりと動いて僕の手元にフォーカスする。 +〝……なんの変哲もない塩の塊に見えますね〟 +「そうだね。前回、道端で拾ったんだ。僕は面白い形をしていると思ったんだけど」 +ほどなくして「ブリーフィング」が終わると彼女は〝接続完了〟を通告し、エレベータに乗って地上階に移動した。細長い通路の最奥には、暗闇の上の上まで伸びる巨大な扉のハンドル部分が見える。あたかも巨人用に設えられたそれは情報体の操作によってしか開かない。通路の左右にも深い漆黒が広がっていて、何十回と行き交っていても手すりを掴む両手の力を緩められそうにはない。 +けたたましいブザー音が鳴り響く。ハンドルがゆっくりと回転する。扉の周りの警告灯が放つ鋭い光はしかし、たちどころに周囲の闇へと吸い込まれていく。 +やがてブザー音は荘厳な歯車の稼働音に取って代わり、シェルターの扉が地鳴りに似た振動を伴って前方に開く。揺さぶられて落ちないか恐れて手にますます力が入る。 +たっぷり何分もかけて巨大な扉が解放せしめられると、もう一つの小さな扉が現れる。そこだけ切り取ればマンションの一室に繋がるドアに見えなくもない。その先には『危険物』とラベルが貼られた小部屋がある。一列に立てかけられた電動銃を無視して出口に急ぐ。 +彼女はこれらの武器を〝汎用的ソリューション〟と呼んでいる。後頭部にネジ穴があり、脳を出し入れできる僕たちはあたかもサイボーグのようだが、実際には等身大の岩すら動かせない。だが、僕の行き先にそんなものがあった試しはない。 +そして、ついに地上に出る。僕にとっては昨日のことのようだが、実際には二三年ぶりだ。長い階段を登り続けているうちにシェルターの中のどんな強力な光源も敵わない光――すなわち、太陽の光が僕の顔を暖かく照らした。 3 -目的地に着くには塩の地面を渡っていかなければならない。乳白色の海に足を下ろす際、念のために重心を後ろに引いておく。ブリーフィングでは前回の冷凍から今は七八年ほど経過していると聞いた。地質の変化を恐れる年月ではないが、塩の塊が脆弱化している可能性は捨てきれない。ざらざらした表面を片足で強く踏みつけ、安全を確かめてからそっと乗り移る。 -懸念は杞憂に終わり、一時間歩いても塩の地面が揺らぐことはなかった。してみると、これほど巨大な積層がいかにして出来上がったのか気になってくる。 -気象災害が引き起こされた原因は地殻変動だとも小惑星の衝突だとも、あるいは化学兵器を交えた世界大戦だとも言われている。情報体の人々の間でも結論は出ていないようだ。いずれにしてもこれら塩の層は急速に冷却されて分離した塩分が凝固してできたものと推測されている。だとすれば、その時の地表の状況は生けとし生きる者にとっては致命的だったに違いない。こうして幾度となく地上に顔を出しても「地上人」だとか「新人類」といった、サイエンス・フィクションじみた超人と出会わないのも、生き残った知的生命が我々のみであることを示唆している。 -あるいは、我々は生き残ったのではなく取り残されたのかもしれない。必然的に滅ぶ定めであった神々の理から逸脱し、例外的に存在してしまった。だとしたら、なんと痛快な話だろうか。僕たち人類はまた再び地球上に、あまねく宇宙全体に蔓延り続けるのだ。そのためにはよく働かなければならない。 -太陽が頭上を通り過ぎて傾きかけた頃、ようやく乳白ではない色の地面に足が届いた。かつてこの地域に存在した国は気候的な条件から石造りの建物が多く、数百年、数千年の時を経ても完全に風化せず地下に資材を蓄えている場合が少なくない。崩れた建物らしき外壁と周囲の状況から、それと見込んだ地点の瓦礫を取り除くとマンホールが現れた。蓋を開けた向こう側には円形の通り道に溶接されたはしごが見える。 -長さはそれほどでもないはずだが手動での昇降には手間がかかる。地上に出るエレベータとさして変わらない時間を経て最下点に到達すると、風化して崩れ落ちた棚らしき鉄板が左右に並んでいる空間に出くわした。 -観察したかぎりでは、ここは武器庫かなにかに思われた。国家や大組織が用意するほど立派な代物ではない。どちらかといえば少々金余りで、割に心配性の個人が拵えた設備だろう。鉄板に挟まれる形で地に伏した銃器の数々は、どれも先端が折れ曲がっていたり破損していてとても使いものになりそうにはない。 -目的の物品はここではなく鉄扉で隔たれたさらに奥側にあった。鉛らしき容器の中に収められていたそれはブリーフィング通りの代物なら劣化ウラン弾である。とはいえ、誰かに撃ち込むために必要なわけではない。内部に含有されているウラン238が目当てなのだ。容器から持てるぶんの劣化ウラン弾を包みごと慎重に取り出していく。この包みに放射線を抑える特別な素材が用いられていることを祈るばかりだ。 -「おい、そこの君」 -背嚢を埋めるに十分な弾を収めたところで、背後から声がかかった。どうやら作業に集中するあまり耳が遠くなっていたらしい。振り返ると右胸に『HID39』と印字された標準入力インターフェイスが立っていた。どういうわけか作業服のカラーリングが違う。僕たちはみんなオレンジの色の服を着ているのに、彼は青色だ。 -「おや、もしかして君もこいつを回収に?」 -とはいえ、なるほど合点がいった。僕ひとりでは持ちきれない状況を見越して情報体は複数人に仕事を割り振っていたようだ。そそくさと背嚢を抱えて部屋の隅にずれ、仕草で回収を勧めた。だが、HID39の視線は僕から動かなかった。そのまま背中の背嚢をどすんと落としたので威圧されたような気持ちになった。HID39の背嚢は大きくて丈夫な金属製だった。 +目的地に着くには固形の海の上を渡っていかなければならない。濁った海面に足を下ろす際、重心を後ろに引いておく。地質の変化を恐れる年月ではないが、気温の上昇で塩の塊が脆弱化している懸念は捨てきれない。片足で強く踏みつけ、安全を確かめてからそっと乗り移る。 +心配は杞憂に終わり、一時間歩いても塩の地面が揺らぐことはなかった。してみると、これほど巨大な積層は一体いかにしてできあがったのか。 +気象災害が引き起こされた原因は地殻変動だとも小惑星の衝突だとも、あるいは化学兵器を交えた世界大戦だとも言われている。情報体の人々の間でも結論は出ていない。塩の層は急速に冷えて分離した塩分が凝固してできたものと推測されている。だとすれば、その時の地上は生けとし生きるものにとっては致命的だったに違いない。こうして幾度となく外に顔を出しても「地上人」だとか「新人類」といった、サイエンス・フィクションじみた超人と出会わないのも、ひとえに生き残った知的生命が僕たちだけであることを示唆している。 +人類の栄華が終わったその日、僕は両親に連れられてシェルターにやってきた。二人とも途中でなにが起こってもおかしくないと用心に用心を重ねていたが、幸いにも暴徒や銃弾は車に向かわず全員とも無傷だった。しかし、家族全員ぶんのチェンバー殻があると期待していた両親に対して会社が提示したのは、情報体に移行可能なのは株主当人のみ、すなわち父一人だけという条件だった。 +父と母はほんの一回、二回、互いに目配せをした……それは記憶に残っている。直後、たちまち僕はチェンバー殻に押し込められ、長い長い眠りについた。後で情報体の僕に聞かされた話によると、両親はその場で自ら死を選んだ。死ぬことによって持ち株を僕に相続させ、同時に情報体に移行する権利をも移譲したのである。まるで絵に描いたような感動ストーリーだ。 +だがそんな両親とて、数百年後に息子の自我が増えて片方が娘になっているとは思わないだろう。もし二人が生き返ったらたぶん、自分の子どもだと見なすのは僕の方だ。あの時から見た目も中身もほとんど変わっていないからだ。でも、法的には彼女に正当な権利が認められるだろう。幸いにも、依拠すべき法律も裁判所も消滅したおかげでこの問題を永久に棚上げできる。 +太陽が頭上を通り過ぎて傾きかけた頃、ようやく濁った白ではない色の地面に足が届いた。かつて、この辺りの湾岸地帯には建造物が多かった。石造りの建物は数百年経っても完全には風化せず、地下に資材を蓄えている場合がある。崩れた家屋らしき外壁と周囲の状況から、それと見込んだ地点の瓦礫を取り除くとマンホールが現れた。蓋を開けた先には溶接された簡素なはしごが見える。 +距離はさほどでもないのにシェルターから地上に出るエレベータと同じくらい時間をかけて最下点に到達すると、朽ちた棚が左右一列に続く保管庫らしき空間に突き当たった。手は込んでいるが国家や大組織が運用するほど立派な代物ではない。金持ちで心配性の人が拵えた設備だろう。棚からこぼれ落ちて地に伏した銃器の数々は、どれも先端が折れ曲がっていたり錆びついていたりした。どうやら持ち主には使う暇がなかったようだ。 +目的の物品はここではなく鉄扉で隔たれたさらに奥側にあった。鉛の容器の中に収められていた目標物はブリーフィング通りなら劣化ウラン弾ということになる。しかし弾丸としては使いものにならないらしい。ディスプレイには内部に含有されているウラン238が目当てだと記されていた。 +さっそく、容器から持てるぶんの劣化ウラン弾を包みごと慎重に取り出していく。この包みに放射線を抑える加工が施されていることを祈るばかりだ。 +「おい」 +背嚢を埋めるのに十分な弾を収めたところで、背後から声がかかった。作業に集中するあまり耳が遠くなっていたのかもしれない。振り返ると胸に『HID39』と印字された標準入力インターフェイスが立っていた。どういうわけか作業服のカラーリングが違う。僕たちはみんなオレンジの服を着ているのに、彼はブルーだ。 +「おや、もしかして君もこいつを集めにきたのか?」 +とはいえ、なるほど合点がいった。僕ひとりでは運びきれない状況を見越して複数のインターフェイスに仕事が割り振られていたようだ。そそくさと背嚢を抱えて部屋の隅にずれ、手招きして回収を勧めた。だが、HID39の視線は僕から動かなかった。そのまま背中の背嚢をどすんと強く下ろして口を開く。彼の背嚢は大きくて丈夫な金属製だった。 「私はそこにあるすべての劣化ウラン弾を回収せよと指示されてきた」 -脅されているのは気のせいではなかったようだ。要求を直接突きつけてはいないが暗に命じている。 -「全部よこせ」と。 -僕は表情に害意のなさを強調して笑みを浮かべつつ、後方に後ずさった。 -「いやはや、それは……ご勘弁願いたいね。こっちも同じ仕事を指示されているんだ」 -「私の知ったことではないな。指示通りの成果物を納品できなければ勤務評価に影響が出る」 -相手が一歩前に踏み出したので僕も同じ距離だけまた後ずさる。文字通りの営業スマイルがひきつり出す。 -「僕だってそうさ。同じ標準入力インターフェイスじゃないか。なあ、どうだろう、ここは一つ、半々で分け合ってそれで全部だったという話にするのは……」 -HID39は結論の決まっている会話を続けるのに飽きたのか、背嚢から取り出した電動銃をまっすぐ突きつけてきた。 +「えーと、すべて、というのは? そこにある量では足りない?」 +「お前が背嚢に入れた分も含めてだ。全部よこせ」 +自分よりずっと背の高いがっしりした身体が一歩前に迫った。 +ここへきて僕はようやく自分が脅されているのだと悟った。表情に害意のなさを強調して笑みを浮かべつつ、ゆっくりと後ずさる。 +「いやはや、それは……勘弁願いたいね。こっちも同じ仕事を指示されているんだ。分かるだろ?」 +「私の知ったことではない。目標物を納品できなければ勤務評価に影響が出る」 +相手がさらに一歩踏み出したので、僕も同じ距離だけまた後ろに下がる。文字通りの営業スマイルがひきつりだす。 +「それはお互い様じゃないか――そうだ、どうだろう、ここは一つ、半々で分け合ってそれで全部だったという話にするのは……」 +HID39は会話を続けるのに飽きたのか、とうとう背嚢から取り出した電動銃をまっすぐ突きつけてきた。 「無事に帰りたければ今回の勤務評価は諦めるんだな」 -結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、僕は身じろぎ一つできなかった。電動銃を抜きしてもどのみち敵う相手ではない。 -「なあ……あんた」 -用を済ませるやいなや口一つも利かず踵を返そうとする彼に震える声で尋ねた。 -「僕はかなり長くやっているはずなんだが、仕事のバッティングなんて一度もなかった。一体どう報告すればいいんだ?」 -HID39は顔半分だけ振り返ってつぶやいた。無表情で抜け目ないはずだった顔にかすかな笑みが灯った。 +結局、背嚢に詰めたばかりの劣化ウラン弾がまんまと移し替えられるまで、僕は身じろぎ一つできなかった。電動銃を抜きにしてもどのみち14歳プラス解凍中の日数が敵う体格の相手ではない。 +「なあ、あんた」 +用を済ませるやいなやろくに口も利かず踵を返した彼に震える声で尋ねた。 +「これまで仕事のバッティングなんて一度もなかった。一体どう報告すればいいんだ?」 +彼は顔半分だけ振り返ってぼそりと言った。無表情で抜け目のない顔に嘲笑の色が宿る。 「そのまま報告すればいい」 -最後に彼は「しばらく穴から出てくるな」と雑な命令を押し付けてから去っていった。とうの昔に放棄された武器庫の奥で、僕はとてつもなくやりきれない気分になった。空虚な独り言が空気を切り裂く。 +最後に命じられた「しばらくマンホールから出るな」という指示を愚直に守って空虚な部屋に佇んでいると、とてつもなくやりきれない気分になった。地下で人肌に温められたぬるい空気に独り言が漂う。 「汎用的ソリューションって、確かにそうだな」 -体内時間で30分ほど待ってから帰宅を開始した。中身がほとんど空の背嚢を背負っているせいで身のこなしが軽い。日が沈むまでの時間はありすぎて困るほどだ。あてどなく探して運良く劣化ウラン弾が見つかることなどあるはずもなく、今回の勤務評価が最低で終わると確定したからにはせめて趣味を楽しまないといけない。 -地上と地上と結ぶ塩の地面の中間点、四方八方が見渡すかぎり乳白色の塩の上で一心不乱に塩を削いだ。手に力が籠もりすぎているせいか、どんな塊もなにがしかの文脈を持つ前にあっという間に細切れになってしまう。きっと僕はいらついているんだ。金属製の背嚢を持つ同僚ほど重要な仕事を任されていないし、僕の作った塩の彫刻は相変わらず彼女に理解されない。僕だって理屈で彫っているわけじゃないから無理もないのだが……。 -気づくと濃い橙色の光に照らされて乳白色の地面に火が灯ったかのような光景が広がっていた。まるでろうそくみたいだと思った。手には塩を削るナイフと同じくらい、いや、それよりも鋭い鏃に似た彫刻ができている。ひょっとするとこれは僕の破壊衝動の表れなのだろうか。彼女に見せるには文字通り刺々しくて気が進まない。 -だが、せめて帰還の予定時刻くらいは最低限守らなくてはならない。 -いつになくのろのろとシェルターに戻り、切断処理のルーティーンを済ませる。最後に待ち受ける勤務評価は成果物がないため当然ながら最低のD評価。間を置かずディスプレイが沈黙する前に呼びかけた。 -「質問」 -勤務終了後に質問した例は未だかつてなく、立体映像の彼女も最初から内容が分かっている素振りで応じた。 -〝今回は残念でしたね。目的物が見当たらなかったのでしょうか〟 -「いや、見つかったし持って帰れるはずだったんだ。だが他の標準入力インターフェイスに奪われてしまった」 -沈黙。賢明そうなつるりとした顔に目に見えて焦燥の色が走った。 -「もしかしてこういうことってありえるのか? 共に人類の復興を目指しているのに奪い合いなんて――」 -〝落ち着いて聞いてください。ちゃんと説明します〟 -凛とした声に制されて思わず口の動きが止まる。立体映像が投影されたまま、背後のディスプレイも点灯して周辺の地図が描き出される。それ自体は仕事のたびに見ているものだったが、覚えのない点がいくつかの箇所に穿たれていた。 +中身がほとんど空の背嚢を背負っているせいで身のこなしが軽い。日が沈むまでの時間はありすぎて困るほどだ。あてどなく探して運良く劣化ウラン弾が見つかる幸運などあるはずもなく、今回の勤務評価が最低で終わると確定したからにはせめて趣味を楽しまないといけない。 +地上と地上を結ぶ凝固した海面の中間点、四方八方が見渡すかぎり濁った白の平面上で、一心不乱に塩を削いだ。手に力が籠もりすぎているせいか、どんな塊も文脈を負う前に細切れと化してしまう。言うまでもなく、僕はいらついている。身体が子どもだから金属製の背嚢を持つような大変な仕事を任せてもらえないし、僕の作った塩の彫刻は彼女に理解されない。僕だって理屈で彫っているわけじゃないから無理もないのだが……。 +気がつくと濃い橙色の光に照らされて塩の地面に火が灯ったかのような光景が広がっていた。まるでろうそくみたいだと思った。手には塩を削るナイフと同じくらい、いや、それよりも鋭い鏃に似た彫刻ができている。ひょっとするとこれは僕の破壊衝動の表れなのだろうか。彼女に見せるには文字通り刺々しくて気が進まない。 +なんにせよ、せめて帰還の予定時刻は最低限守らなくてはならない。 +のろのろとシェルターに戻り、切断処理を始める。モーニングルーティーンの逆を行うのだ。最後に待ち受ける勤務評価――ディスプレイ上には〝性能評価〟と記されているが――は、納品物がないため当然ながら最低のD評価だった。イヤホンを耳にくっつけて彼女の言葉を待つ。 +〝おや、今回は残念ですね。目標が見当たらなかったのでしょうか〟 +「いや、見つかったし持ち帰るはずだった」 +口を開いた瞬間、味わった恐怖がたちどころに怒りに兌換されてどんどん語気が強まった。 +「そいつはブルーの作業服を着ていた。一体どういうことなんだ、仕事のバッティングなんてありえるのか。D評価は僕のせいじゃない。そいつのせいだ」 +イヤホンの向こう側でしばらく沈黙が続いた。齢三〇〇歳か五〇〇歳くらいの彼女にしては珍しい。やがて、意を決したような低いトーンでしゃべりはじめた。 +〝分かりました。ちゃんと説明しましょう〟 +正面のモノクロディスプレイが性能評価画面から遷移して周辺の地図が描き出される。それ自体はブリーフィングのたびに見ているものだったが、いつもより縮尺が格段に広く、陸地がいくつもの配色で細かく色分けされていた。 「これは……」 -被せるようにして彼女がしゃべりはじめた。 -〝これらは、我々の近隣に存在する競合他社のシェルターです。今回の目的地はいずれの地点からも十分に離れていたので達成可能と見込みましたが、このたびの報告を受けた以上はあなたの捜索可能範囲を下方修正せざるをえません〟 -そういえば、このシェルターは株式会社の所有物だった。僕の脳裏に眠っていた揮発しかけの長期記憶が呼び起こされた。精神体の人々のほとんどは会社の社員か株主で、他のシェルターも同様の構成をとっていると考えられる。だが、しかし、だからといって……。 -「競合他社でもこういう時には協力しあえないのか」 -〝十年おきに開催される株主総会で時にそういった提案も上がりますが〟 -そこで彼女は声のトーンを落とす。そしていつになく皮肉めいた微笑を口元に残した。 -〝毎回否決されています。私たちは従業員なので企業の意思決定には従わざるをえません。転職できる身でもありませんからね〟 -しかし株主の言い分も分かる。僕たちと同じ標準入力インターフェイスの番号列を宿した彼は、譲歩の余地なく資源をすべて奪った。僕が肉体的な能力に劣っていて、おそらく武装もしていないと看過したからだ。背後から撃ち殺す必要すらないとみなされたのだ。僕の脅威度は一発分の電力にも満たない。 -そういう僕の心情を察してか、彼女はいつになく優しい声で僕を励ました。 -〝気落ちする必要はありません。今回の件は私の計算不足でもあります。残念ながら評価は評価ですが、次はもっと適性に合った仕事を案内できるよう努めます〟 +〝勢力図です。私たちの、我が社の、競合他社のです〟 +よく見ると下の方にオレンジ色で区分けされた範囲もあった。いくつかの色と比べると目に見えて領域が狭い。 +このシェルターが株式会社の所有物で、精神体の人々が株主ないしは技術者だというのは既知の事実だ。他のシェルターの構成員も似たりよったりなのは間違いない。こうした巨大な建造物や組織の運用は僕が生まれるずっと前には国が担っていたそうだが、今ではどこも会社がやっている。学校も会社、警察も会社、軍隊も会社、しまいには政府が会社の国もできた。一四歳で働いたことのない僕にはそれが良い話なのかよく分からなかった。今もよく分からないが、両親がよく不満を漏らしていたのは覚えている。 +〝どの競合他社も精神体を生体脳に戻す技術を開発できず、我が社と同様に元の肉体を標準入力インターフェイスとして活用しているようです。現行の法解釈ではインターフェイスは操作盤であって人間ではないため、競争の過程で全損を伴う実力行使を加えても重罪には問われません。権益を確保して、然るべき利潤を得た後に保証を提供しても割に合うとの考えなのでしょう〟 +「競合他社だといっても同じ人類じゃないか。協力しあえないのか」 +〝増産できず減る一方の資源を収集するしかない現状では、難しいですね。株主総会でもたまにそういった提案が上がりますが〟 +そこで彼女は揶揄するように声色を変える。 +〝毎回否決されています。私も株主ですが会社全体の意思決定には従わざるをえません〟 +つまり、僕と同じく標準入力インターフェイスの番号列を宿したブルーの彼は、インターフェイスとして忠実だったと言える。下手に出た相手にもまったく譲歩せず資源を奪い尽くした。それだけじゃない。余計なコストも削減した。肉体的に劣っていて、武装もしていない相手には電動銃一発分の電力さえ惜しいというわけだ。 +そう考えると、一度は滅入った気分が再び燃え盛るのを感じた。 +〝しかし今後は心配いりません。今回の件は私の誤りでした。あの地点は周縁部とはいえ我が社の領域内だったので支障はないと考えていましたが、次はもっと適性に合う範囲の入力を心がけます〟 「いいや」 -僕は背嚢を逆さにひっくり返して中身を床にぶちまけた。そこから例の尖った塩の塊を拾い上げて見せる。 -「さっき言い忘れたことがあった。僕はこれでそいつに反撃したんだ。本物のナイフと違って隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると劣化ウラン弾を運びきれず途中で死んだかもしれない。そうしたら、僕たちも損をしたけど、相手の会社も得をしていない! そういうことにならないか?」 -勢いよくまくしたてた僕を見る彼女はしばし黙り込んだ後、努めて平静を保っている感じの口調で告げた。直感的に、まるで子どもの成長を心配しつつも見守る母親のようだと感じた。 -〝……そうですね、ただいまの報告から得られた情報により、あなたの適性分析に一定の修正が加えられました。それでは次回にまたお会いしましょう〟 -僕はいつもより大股開きで部屋を出てチェンバー殻に向かった。何百年もの間、知っているはずなのに気づけなかった。僕たちは競争をしているんだ。より高次の仕事を果たさなければこの世界の情報を得る機会さえ与えられない。与えられた適性に甘んじでいてはいつか無知なまま死んでしまう。青色の作業服を着た競合他社のHID39が僕を殺さなかったのは状況判断に過ぎない。特に意味はなくとも殺そうと思えば簡単に殺せた。 -興奮さめやらぬ中、脱衣も忘れて殻に入るとすぐに冷凍が正常に行えない旨の警告音が鳴り、急いで来た道を戻る羽目になった。 +反射的に、僕は背負っていた背嚢をひっくり返して中身を床にぶちまけた。そこから例の尖った塩の塊を拾い上げて高々と掲げる。天井のカメラが動いて手元に焦点を合わせる。 +「さっき言い忘れたことがあった。僕はこれでそいつに反撃したんだ。本物のナイフと違って隠しやすいからね。だいぶ深くえぐったから、もしかすると資源を運びきれず途中で死んだかもしれない! そうしたら、僕たちも損をしたけど、相手の会社にはもっと損をさせたことになる。 そうじゃないか?」 +勢いよくまくしたてた僕に、イヤホン越しの彼女が珍しく気圧されたふうに答える。 +〝……それはまあ、そうですね〟 +「だから僕にだって適性があるんだよ。もっと遠くに行かせてくれよ。世の中が――といってもシェルターと塩だけの世の中だけど――そんなことになってるなんて知らなかった。なにも知らないまま土いじりだけして生きるなんてごめんだ。僕の可能性を信じてくれ!」 +いつしか僕は二三年前に巨体で逞しい同僚が発した言葉をそのままなぞって喋っていた。話したことは完全に作り話だが気持ちは本当だ。嘘偽りのない嘘だ。 +〝私としては気が進みませんね。私のその肉体は未発達で、高度かつ複雑な入力に耐えられる仕様ではありません〟 +「なに言ってるんだ、今は僕が使ってるんだから、身体のことは僕が一番よく分かっている。まさか今からでも上書きしようなんてつもりじゃないだろうな」 +あえて見当違いの指摘をしたのが効いたのか、イヤホン越しの声が妥協を示した。 +〝そこまで言うのならいいでしょう。適性に修正を加えた上で、次回の入力を検討します〟 +僕はいつもより大股開きでチェンバー殻に向かった。僕たちは競争をしているんだ。より難しい仕事をしなければ置いてけぼりを食ってしまう。そしていつか無知なまま死ぬ。ブルーの作業服を着た競合他社のHID39はその気になれば簡単に僕を殺せた。 +興奮が全身に滾るなか脱衣も忘れて殻に入るとすぐにアラートが鳴り、正常に冷凍が行えない旨の警告が表示されたので急いで来た道を戻る羽目になった。 4 -解凍されて殻から這い出ると、人影が目の前に映り込んで困惑した。ルーティーンにはない事態だったので思わず立ち止まってしまう。 -「おい、なにボサッとしてるんだ。行くぞ」 -呼びかけられて視点を上に向けると、黒く逞しい肉体を持つHID6が目の前にいるのだと分かった。なぜ彼が一緒に解凍されているのか、どうして命令されているのか分からなかったが溶けかけで思考力がまとまらない現状ではおとなしくついていく方が得策と思われた。後に続いて更衣室に入ると、彼はてきぱきと着替えて金属製の背嚢を軽々と背負った。やはり肉体に恵まれた者は違うなと他人事の態度で自分のロッカーを開けると、そこに同型の背嚢が鎮座していたので再び困惑を余儀なくされた。しかし、自分のロッカーに入っている以上はこれが僕の持ち物だ。いつもより苦労して身支度を整える頃には、HID6はすでに食堂で僕の倍近い量の食事を摂っていた。 +解凍されて殻から這い出ると、目の前に山のような巨体がそびえていて困惑した。モーニングルーティーンにはない事態だったので思わず立ち止まってしまう。頭上から聞き覚えのある野太い声が降り注いでそれが初めてHID6だと分かった。 +「なにボサッとしてるんだ。行くぞ」 +なぜ彼が一緒に解凍されているのか、どうして命令されているのか納得いかなかったが溶けたてで思考力がまとまらない現状ではおとなしくついていく方が無難と思われた。後に続いて更衣室に入ると、彼はてきぱきと着替えて金属製の背嚢を軽々と背負った。肉体に恵まれた者への嫉妬と羨望と綯い交ぜにしつつ他人事の態度で自分のロッカーを開けた途端、そこに同型の背嚢が鎮座していたので再び面食らった。しかし、自分のロッカーに入っている以上はこれが僕の持ち物だ。いつもより苦労して身支度を整える頃には、HID6はすでに食堂で大量に食事を摂っていた。 せめて遅れまいとせかせかして食べ終えると、隣のパイプ下にいる他ならぬ彼から声がかかった。 -「おい、詰めて持っていかないのかよ。おれのはやらんぞ」 -その彼は言行通り、金属製の背嚢から取り出した容器を器用に操って食事と水をそれぞれ保存していった。あっけにとられて見ていると、ようやく巨体の主は事情を察したようだった。 -「なるほどな、お前、出張は初めてなんだな。一度もやったことがないやつと組むとは初めてだが……まあいい、黙っておれの言う通りにしろ。まず食事と水を詰めるんだ。一日では帰ってこられないからな」 -僕にとって仕事とは「日が落ちる前に帰ってくれば評価が安定するもの」という認識でしかなかった。日が落ちた後も続けなければいけない仕事など想像もつかない。「出張」という見慣れない単語も出てきた。いずれにしても、前回の勤務評価時に咄嗟にとった行動が今回の特別な仕事を招いているのは間違いない。 -つまり、僕はその方面の適性があると見込まれたのだ。より多くの知るであろう職域の。 -今回は便意がこなかったのでトイレはパスした。HID6が帰ってきた後、一緒にブリーフィングを受ける。彼が言った通り、ディスプレイに図示された目的地はいつもの三倍は遠かった。片道だけでも日が暮れてしまう。目標の物品はタングステンだという。前回に見た「競合他社」の点を記憶から掘り起こして地図上に重ね合わせると、確かにどの拠点からも十分に到達可能な距離だと分かる。 +「おい、詰めて持っていけ。忘れてもおれのはやらんぞ」 +彼は言行通り、金属製の背嚢から取り出した容器に食事と水をそれぞれ保存していった。呆気にとられて見ていると、ようやく巨体の主は事情を説明する気になったらしい。手を止めて向き直った。 +「まだ話を聞いていないようだな。お前は今日、おれと一緒に仕事をする。ただの仕事じゃない。『出張』だ。一日じゃ終わらない。だから食糧と水を持っていく。分かるな」 +聞き慣れない文脈の単語が出てきた。特定の標準入力インターフェイス間で用いられている言葉だろうか。僕にとって「仕事」とは日が落ちる前に済ませて帰ってくるものという認識だった。日をまたいでも続けなければならない仕事など想像もつかない。だが、きっとそれが「出張」なのだろう。前回の勤務評価の時にとった行動が今回の特別な仕事を導いたのは間違いない。 +つまり、僕はその方面の適性があると認められたのだ。より多くを知るであろう職域の。 +今回は便意がなかったのでトイレはパスした。HID6が戻ってきた後、一緒にブリーフィングを受ける。彼が言った通り、ディスプレイに図示された目的地はいつもの三倍は遠かった。片道だけでも日が暮れてしまう。目標の納品物はタングステンだという。前回に見た「競合他社」の勢力図を思い出すかぎり、他の拠点から容易に到達可能な距離だと推定できた。 「質問」 -低く野太い声が質問コマンドを発すると、たちどころに部屋の中央から立体映像が……現れるはずなのだが一向に出現せず、ディスプレイが暗転して文字列が表示された。 +イヤホンを耳にくっつけたHID6が短くしゃべると、なぜかモノクロディスプレイが遷移して文字列が表示された。 〝回答:質問待機中〟 -「今回、未経験者との共同での出張となるが特別なリスクは存在しないか」 -言葉が途切れると文字列が再び流れる。 -〝回答:特になし。事情を斟酌して今回の出張は貴殿の単独出張よりも危険度が低い内容である〟 -「質問。では、あえて未経験者を同伴させる意図は」 -〝回答:当社の方針として、適性分析に修正があった場合は柔軟な配置転換を実施している〟 -黒い面長の顔が僕にちらりと向いた。どんな意図があっての仕草なのかは掴みきれない。 +「今回、複数のインターフェイスを併用した入力となるが、特別なリスクは存在しないか」 +〝回答:特になし。インターフェイスのうち片方の仕様を斟酌して、キャリブレーションを目的に危険度が低い入力を与えている〟 +「では、あえて適性がないインターフェイスをこの種の入力に採用した目的は」 +〝回答:前回の性能評価時に適性の修正が行われたため、試験運用を実施している〟 +浅黒い面長の顔が僕にちらりと向いた。微笑んでいるようだった。 「質問終了」 〝回答終了〟 -そっけない指示にディスプレイも似たりよったりの淡白さで消灯した。いつまでも彼が見つめているのでついに気になって目を合わせると、ようやく僕に向かって口を開いてくれた。 -「お前も質問した方がいいんじゃないか。やったことがないなら色々知りたいだろう」 -「いや……いいよ。必要がなくなった。実は同じ質問をしようと思ってたんだ」 -努めて平静を装って答えると巨体の肉体がわずかに揺れて「へえ」と微笑んだ。だが、それだけで踵を返すやいなやさっさと先に行ってしまった。慌てて僕も追いすがる。一人が乗るにしては広いと思っていたエレベータも彼と同席だとずいぶん狭く感じられた。細い通路を一列に並んで進んだ後の危険物室では、いきなり大型の電動銃が投げ渡されたので取り落としてしまった。 -「いいか、怪しいやつがいたらとりあえず撃て。撃った理由なんて後から考えりゃいい」 -銃を拾い上げて持たせてくれた彼はしかし、気遣いの反面、脅しともとれる圧力をもって僕に押し迫った。さっきまではひそかに燃えていた新しい職責への熱意も、長い階段を昇る頃には恐怖へと変わっていた。 -改めて言うまでもない話だが、質問の必要がないというのは嘘だ。本当は彼女とめちゃくちゃ話したかったし、どういう危険があるのか具体的にレクチャーしてほしかった。そうでなくても配置転換を実現してくれたことへの感謝とか、感謝に対する励ましとか、そういったものが聞きたくて仕方がなかった。 -でもHID6にそんな振る舞いを見せるのは嫌だった。彼に答える情報体はとてもビジネスライクで僕のとはまるきり違っていたからだ。 +そっけない指示にディスプレイも似たりよったりの淡白さで消灯した。いつまでも彼が見つめているのでつい気になって目を合わせると、ようやく口を開いてくれた。 +「お前も情報体の自分に質問しておいた方がいいんじゃないか。初めてならなおさら不安だろう」 +「いや……いいよ。必要がなくなった。実は同じ質問をしようとしていたんだ」 +努めて平静を装って答えたが、真っ赤な嘘である。本当は彼女ととても話したかったし、責任ある仕事を与えてくれたお礼も言いたかった。気兼ねなく雑談もしたかった。彼女はきっと励ましてくれるだろうし、とにかく声も聞きたかった。イヤホンをつけて一言でも話せば、それは即座に叶う。 +でも、HID6にそんな振る舞いを見せるのは嫌だった。彼と情報体の彼の会話はとてもビジネスライクでプロフェッショナルな雰囲気に満ちていて、僕とはまるきり違っていたからだ。なんだか僕が彼女とする会話がすごく子どもっぽく感じられた。 +地上階へのエレベータに乗って細い通路を一列に渡り、巨大な扉が開いた先の危険物室では当然のように一番大型の電動銃を手渡された。 +「一応、聞いておくが撃ち方は知っているな」 +「初めて解凍された時の訓練講習でやったよ」 +裏を返せばそれ以降は銃把を握ってすらいない。 +さっきまで悠然と燃えていた新しい職責への熱意も、地上に続く長い階段を上がる頃には恐怖へと変わっていた。 -5 +5xx それでも透き通ったそよ風が吹く地上世界はいつも通り格別だった。金属製の背嚢は確かに重くて辛かったが、歩いているうちに重心のコツが掴めてきた。僕の先を行く山のような巨体の同僚は道連れとしては口数が少なく物足りないとはいえ頼もしくはあった。そんな彼は危険地域の土地勘があるらしく、今は電動銃を折りたたんで背嚢にしまい込んでいる。僕もそれに倣って両手を揺らしながらしばらく乳白色の地面を鳴らして楽しんだ。 今回通っている固形の海の道筋は僕が行ったことのある方向とはだいぶ違っていた。いつもならすぐに陸地が見えたが、今日はいつにも増して晴れている日なのに対岸が朧ろげにしか映らない。太陽が頭上を通り過ぎてもまだ辿り着かず、まだ目的地にも達していないのにとうとう僕の脚は疲労を訴えだした。