diff --git a/基本入力インターフェイス.txt b/基本入力インターフェイス.txt index c2ff5ef..8632aea 100644 --- a/基本入力インターフェイス.txt +++ b/基本入力インターフェイス.txt @@ -378,17 +378,27 @@ 〝うーん、そうですね、行かなくていいのはそうなんですが、その、好みによるというか〟 「トイレに好みなんてあるのかな。一日に何十回も出した気になりたい人なんている?」 〝えーと、この話はあなたにはまだ早いと思います〟 - なぜか一方的に会話を打ち切られたが、ちょうど腰の曲がった顔馴染みの同僚が現れたので挨拶を交わした。膨れた腕を振り回して大声を張る。 -「おはよう」 -「おはよう。元気かね」 -「ここの補修をこれ以上しなくて済むならね」 - 顔中に皺が深々と刻み込まれた老体のインターフェイスは、半透明のバイザー越しに口元を曲げて微笑んだ。 + なぜか一方的に会話を打ち切られたが、ちょうど同僚らしきインターフェイスが現れたので社交辞令的に挨拶を交わした。 +「おはようございます」 +「おはよう。内勤には慣れたかい」 + 相手の親しげな様子から顔馴染みかと察して、バイザー越しに顔を見直したが記憶にはない。思い出そうとして黙り込んでいる間に、相手の方から種明かしをしてくれた。 +「ああ、そりゃ分からんか、私だよ、よく廊下で会っていた爺さんだよ。身体が変わったんだ。二〇歳くらいは若返ったかな」 + あの老体のインターフェイスだ。あの時はかなり腰が曲がっていたのに、今ではほぼ垂直に背筋が伸びている。 +「身体が……?」 +「こないだ、仕事中に倒れてしまってね。私はもともと持病持ちだったから身体が先にだめになったのだろう。目が覚めたらチェンバー殻の中にいたよ――この身体でね」 + 理屈の上では脳が無事なら肉体は換えが効く。逆も然りだ。僕たちは伊達にモジュール化されているわけではない。どちらか余った方は互いに再利用可能な資源として扱われる。顔は変わったが、実質的に顔馴染みだと分かって気分が和らいだ。 +「運が良かったね。新しい身体の調子はどう?」 + 老体だったインターフェイスは防護服で膨れた腕を緩慢に振り回して答えた。 +「多少ぎこちないが悪くはないね。少なくとも今の君よりは元気だ」 + 遠目からでも作業が進んでいないのは一目瞭然だったらしい。僕はため息混じりに愚痴を漏らした。 +「ここの補修をこれ以上しなくて済むのなら元気になれそう」 + すると、同僚は床に置いてあった作業道具を手に取り、実に魅力的な提案をしてくれた。 「では私と交代しよう。君は上の階の方をやりなさい」 「ほんと? どうもありがとう」 - 率直に感謝の気持ちを表明する。いっそこの場で防護服を脱ぎ散らかしたくてたまらなかったところだ。 -「若いのにこんな仕事をさせるのは忍びなくてね。なにが事情があるんだろうけども」 - 曖昧な問いかけに、同じくらい曖昧な会釈で返してやり過ごす。すれ違いざま、思い出したように傾いだ背中が振り向いた。 -「まあ、仕事熱心なのはいい。さっきあっちで、若い連中――あんたほどじゃないが――なにやらぺちゃくちゃしゃべっていてね。ああいうのは良くないね」 + 率直に感謝の気持を表明する。いっそこの場で防護服を脱ぎ散らかしたくてたまらなかったところだ。 +「私の新しい身体よりずっと若いのにこんな仕事をさせるのは忍びなくてね。なにか事情があるんだろうけども」 + 曖昧な問いかけに、同じくらい曖昧な会釈で返してやり過ごす。すれ違いざま、ピンと張った背中が振り向いた。 +「まあ、仕事をする気があるだけいい。さっきあっちで、若い連中――あんたほどじゃないが――なにやらぺちゃくちゃしゃべっていてね。ああいうのは良くないね」  放射線防護服は着脱室の中に置かれている。そこで着衣検査を受けて放射線区画に入る。帰る時は逆に脱衣検査が行われる。その途中にある部屋の中から、確かにぼそぼそと声が聞こえてきた。この辺りの部屋は配管などが敷き詰められた設備用の空間で、複数のインターフェイスが入り込んで仕事をするような場所ではない。 「こういうのって注意した方がいいのかな」  彼女に話しかけたが返事はない。強いノイズがイヤホンに混じっている。まだ放射線が強い区画なのに加えて、入り組んだ狭い場所だから電波の入りが悪いのかもしれない。 @@ -616,9 +626,10 @@ 〝そうですね。まずはあなたの新たな仕様について説明しなければなりません〟  スクリーンが暗転して、二つの人体模型が様々なアニメーションと共に描かれる。 〝あなたは自身の保存に失敗しました。着衣状態に加えて手の施しようもないほど失血していたのです。ですが、脳の方は無事でした。こうした状況下の時、システムは自動的に適合する代替の肉体を検索します〟 + あの老体のインターフェイスと同じだ。 「それが……HID6の身体だったのか」 -〝通常、すでに運用中の肉体が適用されることはありませんが、あのインターフェイスはわざわざあなたを次回の拡張入力に指定していました。通常、優先度の高い指令は下位の規定を無視します。私はそこにつけこんだわけですが……まあ、半ば自滅したようなものですね〟 - 過剰な殺意を持て余したばかりに自分自身の身体によって滅ぼされる。なんだかおとぎ話みたいだ。 +〝通常、すでに運用中の肉体が適用されることはありませんが、あのインターフェイスはわざわざあなたを次回の拡張入力に指定していました。優先度の高い指令は下位の規定を無視します。私はそこにつけこんだわけですが……まあ、半ば自滅したようなものですね〟 + 過剰な殺意を持て余したばかりに自分自身の肉体によって滅ぼされる。なんだかおとぎ話みたいだ。 「じゃあ、録画の方はどうなんだ。これでどうにかなるの?」  今度は回答までにしばらく時間がかかった。 〝大変でしたね。本当によく頑張りました。……ですが、事態を解決するには間に合いませんでした〟 @@ -652,7 +663,7 @@  メンテナンスを受けられない基本入力インターフェイスは無力だ。問題を先送りにできる冷凍冬眠設備と、原材料も製法も不明のまずい食糧と黒ずんだ水がなければ僕たちは三日と生きられない。 〝だから、いつまでもここにいてはいけませ――下がって!〟  悲鳴に似た耳をつんざく警告に反応して飛び退くと、扉越しに銃撃が撃ち込まれた。さっきまで立っていた床の辺りに小さな穴がぼつぼつと穿たれる。直後、グレイの作業服を着たインターフェイスが会議室に押し入ってきた。 - 折よく死角に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易に相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃撃の返礼をお見舞いした。まったく、なんの躊躇もしなかった。死体の胸元には『HID1002』と記されていた。 + 折よく死角に退避していた僕は、横から銃身を掴んでねじり上げた。逞しい上腕が繰り出す筋力は容易に相手から電動銃を収奪せしめる。有無を言わさず制した相手へ銃撃の返礼をお見舞いした。まったく、なんの躊躇もしなかった。死体の胸元には『HID997』と記されていた。 〝シェルター内を周遊している敵もいるようです。さあ、早く行ってください〟  彼女に言われるまま、僕は自分のロッカーから背嚢――もう一個あって助かった――を取り出して、培養プラント室で飲食料を詰め込んだ。結局、最後の最後まで彼女におんぶに抱っこだった。身体ばかりでかくなっても、なに一つ成し遂げた感じがしない。電動銃を構えながら壁伝いに歩くと、エレベータが降りてきた。最上層に上がるまでの間、彼女と会話を交わす。 「どうせこうなるなら、なにもしない方が良かったのかな」