10話の途中

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Rikuoh Tsujitani 2024-09-01 22:30:34 +09:00
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@ -345,44 +345,73 @@ HID6は僕の背丈に合わせて少し屈み、噛んで含めるように言
未発達な肉体に有利な点があるとすれば身軽なところだ。前に放り投げられた電気銃を前に踏み出して拾い上げると、ろくに照準も合わせずグレイの作業着に向かって発砲した。洗練された外見に相応しい洒落た音をたててエネルギーの弾丸が相手の胴を貫く。続けて、わずかに銃身を水平にずらしてもう片方も始末する。
なにも頭で考えてやってのけたわけではない。彼に塩の彫刻を刺してから先のことは行き当たりばったりだった。
「くっ、このガキ……」
振り返ると転職しそこねた同僚が肩を抑えて立ち上がっていた。今度こそ、逃げるしかない。
振り返ると顔を激情に歪めた同僚が肩を抑えて立ち上がっていた。今度こそ、逃げるしかない。
僕はありったけの力を込めて美しい作りの電気銃を瓦礫の山の遠方に打ち捨てた。直後、背嚢を手に取って脱兎のごとく駆け出す。走り出して少し経つと滑稽な雰囲気の銃声が背後から聞こえてきた。彼が自分の電気銃を撃っているのだろう。瓦礫の壁の間をすりぬけるように走ってやり過ごす。ほどなくして振り返ると、山のような巨体が必死で追いすがってくるのが見えた。
9
毒々しい夕暮れの強い日差しが乳白色の地面を照らす。その合間を二つの人影が通り過ぎて大きく間延びした影を作る。それはさながら巨人同士の戯れに見えた。だが、現実、僕は殺人者に追われていて僕も今では殺人者になってしまった。正当防衛を主張する論拠は乏しい。彼の言う通り黙って頷いていれば危害を加えられないであろう確信はあった。長距離走に特有の脇腹の痛みに苛まれながら、今になってなぜこんなことをしでかしたのか後悔の念が湧く。突沸した熱湯のごとく湧き出した怒りが僕を動かしたのだ。あえて平易に表現するならこれを反抗、と呼ぶ。
当初のリードは僕の体力的限界に応じてみるみるうちに縮んでいった。ちらと振り返ると彼も決して気楽そうではなかったものの、それでも一〇〇メートルも間隔はない。一気にペースを上げて距離を詰めないのは追いついた後の取っ組み合いを想定してのことだろう。彼は背嚢も武器も置いてけぼりにしてきたので丸腰だが、こっちは背嚢を背負っている。むろん、唯一の正規の武器であるナイフを差し出し、塩の結晶の塊も電気銃も投げ出した今では同じく丸腰だったが、中身が不明な荷物を持っているというだけで相手は手を出しにくい。
ここへきて今さら話し合いは通じないだろう。捕まったら素手でも殺される。なぜなら彼には僕がしようとしていることが分かっているからだ。僕もまた彼の殺意を認めているからすべきことが決まっている。このままシェルターに直進して、競合他社による襲撃を情報体の人々に知らせなければならない。
やがて距離間隔は五メートル、三メートルへと縮まり、シェルターの階段が石畳から引き出される頃には一息で追いつかれそうな位置にまで近づいていた。転がるようにして階段を降りてドアをくぐる。シェルターの大きなハンドル付きの扉はしばらくすると勝手に閉じてまた開くまでに時間がかかるが、今回の場合は手近すぎて彼を押し止める役には立たない。暗闇を左右に湛えた細い通路をなるべく急いで移動する。もう彼の黒々とした顔つきがはっきり見えるほどの間隔しかない。勤務評価室で彼女を呼び出している暇などない。シェルター内での標準入力インターフェイス同士の殺傷をどう扱うのか未知数だが、少なくともA評価常連の彼をいきなり懲戒解雇にはしないだろう。せいぜいしばらく謹慎として冷凍させておくだけで、襲撃後にはグレイの連中が彼を解凍している。ここに逃げ込めたことは僕にとってなんの安全も保証しない。
通路を抜けたあたりで背後から銃声がした。ただでさえひび割れた壁面に弾痕が穿たれる。危険物室から別の電気銃を取ってきたのだろう。ついに追いかけっこに業を煮やしたのだ。三発目の銃声が響いたあたりで、僕は肩口に鋭い衝撃を感じて横の壁に身を叩きつける結構となった。まるで鋭利な熱湯の塊を浴びせられたような鮮烈な痛みが押し寄せて、声にならない悲鳴をあげる。噴き出した血漿が薄汚れた壁面や床に血溜まりを作った。
それでもチェンバー室は目の前だった。走っているとはとても言いがたい足取りで追手から逃げ惑う僕に残された手は、もう一つしかない。血で汚れた手でチェンバー殻の湾曲した表面を叩いて内部に転がり込む。殻が閉じきったあたりで電気銃を手にしたHID6が目の前に立ちふさがった。さしもの彼も長距離走はさすがに堪えたようで、顔いっぱいに汗をかいて息を切らしている。無言のまま電気銃を構えてチェンバー殻に向けた。
だが、電気銃はオレンジの警告灯を表示して発射機構を閉じた。
やはり、シェルター内の設備を破壊されないよう予め規制登録してあるのだ。強化ガラス越しでも分かる仕草で舌打ちすると、彼は大仰に電気銃を投げ捨てた。そして、これまたガラス越しでもよく通る大声で言う。
「ふん、そのまま寝たければ寝るがいい。起きた瞬間に首をひねって殺してやるからな」
まるで研ぎ澄まされた肉体を見せつけるようにその場で脱衣した彼は、大股開きで近くのシェルター殻に入り込んだ。僕より先に解凍されるつもりだ。
シェルター殻の内部で警告音が鳴り響いた。湾曲した表面に文字列が二行ぶん並ぶ。
〝警告。着衣状態では正常な冷凍が行われません〟
〝警告。バイタルに異常を検知。正常な冷凍が行われません〟
一体、誰に聞こえるのかも定かでない状況で、僕は叫んだ。
「構わない、強制的に冷凍してくれ それで、あいつよりも、HID6よりも早く解凍してほしい
〝その要請には従えません。解凍処理は接続要請が行われた時にのみ行われます〟
「なんでもいい! なにか、理由を、考えて……」
〝強制冷凍シークエンス開始。当社の保証範囲外です。問題発生時につきましてはお客様の……〟
シューッとガスが吹き込む音がして、徐々に僕の意識は遠のいていった。不出来で未発達でおまけに流血もしている肉体の頭部にドライバが差し込まれる……。
夢は見ない。冷凍されている間の脳は当然ながら細胞レベルで活動が停止しているため電源を落としたコンピュータとなんら変わりはない。電源がないコンピュータが電気羊の夢を勝手に見ないように、我々の意識もまた諸神経の活動レベルに合わせて連続的に再開される。次に目が覚めた時、湾曲したガラスの表面に示された文字列がにわかに僕の恐怖を細胞レベルで呼び覚ました。胸の高鳴りが警告音と並走する。
〝標準入力インターフェイス11接続処理中〟
「待て、待ってくれ、出さないでくれ」
哀願を無視してシェルター殻が前にせり出す、ガラスを引き戻そうと突き出した腕が無慈悲にも空を掻く。
そこで僕は違和感に気がついた。浅黒い隆々とした腕はどう見ても自分のそれではない。顔を傾けると、腕の付け根の肩口にはさらに盛り上がった筋肉が配されていて、なにか鋭いもので刺されたような傷跡があった。
正面を向くと、ガラスの表面に蛍光灯の光が差して自分自身の姿が映り込む。黒々とした逞しい顔、鎧のような肉体は、明らかにHID6そのものだった。
「これは……」
〝解凍処理の失敗につき、ハードウェアの換装を行いました〟
前に踏み出すと太ましい両脚が即座に応じた。チェンバー室の中央には見慣れない中肉中背の男が立っている。僕の姿を見た瞬間、狼狽を隠せない様子で叫んだ。
「お前、お前……返せっ、おれの身体……」
「君、まさか、HID6なのか」
口を衝いて出た音は野太く低く、とても自分のものとは思われなかった。状況から推察して、僕の本来の肉体は死んだのだろう。着衣のまま出血も多量にしていてはスシ・レストランの下働きが下処理を誤ったツナのように腐敗してもおかしくない。しかし、取り出された脳は生きていた。保存されている肉体の中でもっとも適合性の高いものが自動的に選択されたのだ。それが、HID6の肉体だった。
HID6が突進してきた。なるほど中肉中背の身体でも元の僕だったらきっとひとたまりもなかっただろう。しかし、今の僕にとってはまるで止まっているように見える。難なく向かってきた相手の首筋を片手で掴むと、そのまま真上に持ち上げた。目測で一八センチメートル近くはありそうな成人の裸体が宙に浮く。首を強く締め上げているので彼の口からは声にならないうめき声が漏れた。
自分の身体に絞め殺されるかもしれないというのはどんな気持ちなのだろう。しばらく逡巡した後、僕は手近なチェンバー殻に彼を文字通り片手で持ち運んでいき、そのまま投げ飛ばした。彼が起き上がる前に殻の表面を叩いて再び冷凍シークエンスを開始させる。いずれにしても、処分を決めるのは情報体の仕事だ。
巨躯を駆って人生最後になるかもしれないモーニングルーティーンを済ませる。食事と水分補給はこの身体だといつもの三倍は食べないと満足しなかった。ブリーフィング室に着くとさっそく、立体映像の彼女を呼び出す。彼女は姿が変わってしまった僕に少々驚き、また痛み入るような眼差しで見つめたが、怯まずに堂々と物申した。
「今すぐ稼働可能な標準入力インターフェイスをすべて起こしてほしい。緊急事態だ」
冷凍されてから何年経ったが分からないが、グレイの連中がいつ攻めてくるか定かではない。
〝一体なにが……〟
「今回は全員休日出勤だ」
10
僕の証言と突き合わせて被疑者とされたHID6の半解凍大脳を走査して、これから迫りくる脅威の真実性が明らかとなると情報体の間で直ちに緊急の会合が持たされた。地上に露出したセンサ類は紛うことなく隊列をとって移動する集団の姿を捉えている。
聞いたこともないような警告音がシェルター内に鳴り響き、危険物室の中身が一切合切取り払われ、すべての標準入力インターフェイスが武器を手に持って一堂に会した。これほどの人数が同じ勤務シフトを組むことになったのは例を見ない。中でも目を見張るのは夜勤<ナイトシフト>の面々だった。意外にも老若男女の多彩な顔ぶれが並ぶ列に武器が手渡されると、もうすでに戦闘の検討が済んだとでも言いたげに各々の持ち場へと向かいはじめる。
陣頭指揮は僕が取る形となった。皮肉にもA評価常連の巨体は人々を従わせる上で相当な効力を発揮した。元の肉体ではとてもうまくいかなかっただろう。
競合他社はおそらくHID6が直前にシェルターの扉を開放して招き入れることを念頭に置いているはずだが、かといってそれに依存して計画を立てるとも思えない。強襲の日に扉が閉まっていれば、それはそれで破壊する技術をすでに持っていると考えられる。したがって扉は予め開けて待ち受ける方針が支持された。たとえ最終的に防衛に成功しても破損した扉を修繕する能力を我々は持っていない。不正侵入を防げないシェルターは無力だ。せいぜいスパイが活躍していると思わせて、油断して入り込んできた初期投入戦力を削るのが手っ取り早い。
勤務開始から八時間が経過してすでに時間外労働に入りはじめた頃、センサが石畳の上に人影を察知した。相手の計画ではシェルターに帰還するHID6に続いて競合他社が侵入する手はずになっていたが、こちらの都合上、HID6に擬態した僕がシェルターから出て直接出迎える形をとった。
細い通路の対岸に多数の標準入力インターフェイスが潜む中、軋みながら開く巨大な扉の向こうの階段を昇り、地表に立った。さっそく僕を産業スパイと認めたグレイの作業服たちが四方八方から現れて電気銃を突きつける。隊列の一群はそれぞれ電気バイクを持ち、さらにひときわ大きな中世の破城槌に似た台車や、その他の兵器を積載した車輌を伴っていた。
「HID6で間違いないな」
僕はできるかぎり低く声を出そうと努めたが、実際には杞憂だった。彼の声はもともと低い。
「そうだ」
「施設内に稼働中の標準入力インターフェイスはいるか」
まったくいない、と言うのも嘘くさいので工夫を施した。
「内勤適性の者が数名いるのを見た。なに、どうせなにもできやしないさ」
グレイたちの何名かが顔を見合わせて頷くと、僕の方を向いて案内を命じた。
ぞろぞろと階段を下って、シェルター扉が再び閉まる前に隊列を招き入れる。
細い通路の前で一旦制止して「ここは狭いから一列に並んだ方がいい」と丁寧な助言を申し出る。
先頭の僕が渡りきったところで、突如、片手を大きくあげて味方に支持を出す。と同時に、射線から外れるように急いで先に進む。哀れにも身動きのとれない通路上に取り残されたグレイたちは、直後に不細工な電気銃の慟哭に包まれて瞬く間に絶命する次第となった。過剰な銃撃の余波でちぎれ飛んだ腕が暗闇へと消えていく。
戦闘開始だ。
大した間を置かず、銃声を聞きつけた後続の部隊が押し寄せてくる。巨大なシェルター扉を遮蔽にグレイたちが放つ応射は、その洗練された銃声もさることながら少なからずこちらの戦力をすり減らした。先に殲滅した隊列は全体の一部に過ぎない。その時、巨大な擦過音が虚空に響いて老朽化した壁面を炸裂させた。敵の高威力兵器だ。二発目の爆撃に捕らわれたこちらの隊列が瞬時に砕け散った。
いよいよ敵の優勢が鮮明と化したところで、情報体から一斉に退却命令が発布される。これ以上はより狭い空間に引き込んで戦況の泥沼を誘うしかない。
八時間の合間に即席で構築したバリケードや遮蔽物の隙間から、細い通路を渡りきってやってくる軍勢を抑え込むように射撃する。しかし電気銃のバッテリーは想定以上に摩耗が早く、電気銃自身の熱暴走も懸念材料であった。一方、目を見張る活躍を見せたのは夜勤<ナイトシフト>の面々で、早々に射列を放棄したかと思えば、廊下の角で各々近距離戦を仕掛け、ナイフ一本とごく抑制された電気銃の発砲で次々と手勢を仕留めて回った。
僕自身も、HID6の肉体によって駆動される正確無比の射撃と皮膚感覚にも等しい警戒意識に支えられつつ、徐々に後退を余儀なくされていく戦場で奮闘を重ねた。