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title: "mixi2(ツー)とか言っている場合ではない"
date: 2024-12-17T19:55:26+09:00
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tags: ['essay']
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インターネットのオタクたちがツイッター2(ツー)とか言って遊んでいる間に、マジで冗談みたいな名前のSNSが誕生していた。その名も[mixi2](https://mixi.social)である。昨日の昼頃、僕のTLに突如として招待リンク付きの投稿が舞い込んだ。最初はジョークサイトかなにかだと疑っていたが現に実用可能なアプリケーションが存在している事実から、紛れもなくあのmixiの後継サービスが生まれたのだと理解した。
2006年、フレッシュな中学1年生だった僕はある時、個人サイトのような独立した形態ではなく、かといって匿名掲示板のように誰でも書き込めるわけでもない特殊なWebサービスがあることを知った。いわゆる招待制サイトに属しているが、しかし何百万もの人々がすでに利用していると言う。それはもう2年前から始まっていて、自分はいつの間にか出遅れていたのだ。
さっそく情報を収集する――mixi――名前が読めない――ミクシーと呼ぶらしい――とやらは、まず既存の会員に招待してもらわないといけないらしい。ところが寄る辺もなくインターネットを彷徨うリアルな厨房、通称リア厨にそんな人脈があるはずもなく、そもそも18歳未満は利用禁止であるからにして、いずれにしても良識的な大人が招待してくれる余地はなかった。
結局、悪い方の大人が集う2ちゃんねるのmixi招待スレに通い詰めてはクレクレして回り、だいぶ煙たがられつつもmixiの土を踏めたのは初夏の頃だった。mixiの仕組みでは招待してくれた人と自動的に「マイミク」になる。二言目には相手に死を宣告する荒くれ者揃いの匿名掲示板の民は、うってかわってmixiでは意外にも謙抑的で知性に富み、僕は彼の誘いでいくつかのコミュニティに参加した。
SF小説のファンが集うコミュニティでは、自分が知らなかった数多くのテーマやカテゴリーについて学ぶ機会が得られた。『ライトノベルだから軟派かと思ったが非常に面白い、放映中のアニメも話の順序が入れ替えられたりしていて興味深い』といった投稿とともに紹介されていたある作品は、その後の僕の読書遍歴を決定的に塗り替えた。
その翌年には『メタルギアソリッドみたいなSF小説が面白い』などとある作品の話題でもちきりになり、僕も会話に混ざりたいがために近場の書店を巡って目当ての本を手に入れた。そうして実際に読んでみるとやはり面白い。単に面白いだけではなく、よく分からないところや考察が必要な部分もコミュニティ内で有識者たちが議論しているので、作品の面白さは2倍にも3倍にも膨れあがった。
匿名掲示板は気軽で後腐れがない代わりに持続性がない。話題ファーストで離散集合するぶんには好都合でも、人となりを勘案しながらなにかをじっくり語り合うには向かない。参入障壁が皆無で発言を自制するインセンティブもないため、必ずどこかで茶々が入って破綻をきたしてしまう。
対して当時、無数に乱立していた個人サイトには往々にして広がりがない。主宰者と古参を上部構造に手堅くまとまってしまい、いつしか話題が堂々巡りに終始する。常に新しい人間が供給されるほど巨大なサイトなら別なのかもしれないが、それでさえ企業運営の巨大なプラットフォームがもたらす高速な新陳代謝には勝てなかった。
3行以上の文章を書くと「チラシの裏にでも書いてろ」となじられる匿名掲示板や、どんなに頑張って書いても人気サイトでなけば壁に向かってつぶやいているに等しいブログと違い、ここには打てば響くものがあった。各々が書き記す日記でさえ、そこには親しき他人に見せる前提ゆえの工夫や技巧、等身大のポエミーさとでも呼ぶべき独特の気配が内包されていた。僕は先人たちのそんな真新しい仕草を熱心に吸収していった。
そう、これこそが僕が初めて体験したソーシャル・ネットワーキング・サービスの味だった。インターネットの密度を高めて旨味を創出した、商品化されたコミュニケーションの味わいはおそらく誰にとっても――免疫のない中学生にとってはなおさら――暴力的な甘美に満ちていたことは言うまでもない。僕は語る過去を取捨選別するタイプの人間なのでこれ以上の話は書かない。
それから20年近くが経過して、ナンバリングタイトルを引っ提げたmixiが眼前に現れた。だが、あの頃の牧歌的な手探り感はどこにもない。徹底的な研究と検証に裏打ちされているのであろうUIや様々な仕掛けには、同様のゲームをすでに何周もしたかのようなこなれ感が色濃く漂っている。競合他社の持つ臭みを取り除き、滋味だけが巧妙に引き出されているのだ。
![](/img/353.png)
TLを開くとDiscordやSlack、またはMisskeyに代表される絵文字リアクションや各種アニメーションが目に留まる。テック業界では定着して久しい交流手段なので取り入れて当然と考えるかもしれないが、企業運営のSNSがこの種の要素を取り入れるのはなかなか勇気がいる。むやみにやりすぎると画面がうるさくユーザ層に偏りを生じさせ、時には諍いの原因にもなりうる。
しかし、現状を見たかぎりでは競合のものほどやかましくなく、相応に華やかでありながらコミュニケーションを妨げない程度に落ち着いている。絵文字リアクションに慣れているユーザ層には馴染み深く、そうでない層には目新しく感じられる塩梅だ。この調和感を出すまでにはmixi社内でも相当な議論があったのだと思われる。
ひとたび調整が滞りなく進めば、一転して絵文字リアクションは収益化の大きな起点として機能する。任意の版権とコラボレーションを組んだ特別な有料リアクションはもちろん、クリエイターがカスタムリアクションを制作・販売する創作プラットフォームにも発展しうる。国内ではLINEが手掛けている領域に後から割って入ることが可能となる。
そうしてユーザたちが種々の有料リアクション――無料でも質が良ければ大いに結構――を自身のアカウントに蓄えていくうちに、これらは競合他者への離脱を抑制する強力なロックイン効果をもたらしめる。人間関係に加えてこうしたデジタル資産を蓄積するユーザが増えれば増えるほど、プラットフォームはますます強固な存在感を増していく。
一連の施策によって盤石な収益とアクティブユーザを有するに至ったプラットフォームには、当然の帰結として企業や公共団体も集まる。政府組織も登録を余儀なくされるだろう。そしてついに一つの言論プラットフォームが完成を見る。容易に人々が離れられないサービスとは、遍く人々にとっては巨悪ではなく優れた秩序なのだ。自由と独立を求めてやまないギークの理想とは裏腹に、およそ人々はより高く太い大樹の陰を求める。
そもそも初手からしてユーザ登録の導線設計がうまい。あたかもmixiの黎明期を彷彿させる招待制を謳いつつも、その実、一人のユーザが招待リンクを無制限に発行できるので参入障壁は事実上存在しない。それどころか既存のSNSのユーザに入口の役割を代行させ、招待を通じてFFを増加させられる機会を設けている。単に招待されたユーザでさえ、フォロー数0の閑散としたタイムラインでも押し付けがましいランダムフィードでもなく、既知のフォローを1人持った状態で開始できるのだ。
その点で言えば、コミュニティ内の投稿がTLにまとめて流れてくるのも多くのユーザにはむしろ有益と捉えられる。パワーユーザには少々煩わしくとも、そうでない者に情報の網羅性の高さは魅力的に映る。明らかにSNSに手慣れた人間の手によって設計されているmixi2だが、このようにライトユーザへの気配りにとてつもなく長けている様子がうかがえる。
極めつけはmixi2とかいう一見ふざけた名前だ。従来のmixiを単にリニューアルしただけでは成熟しきった入り込む隙間のない空間を想像させ、かといってまったく無関係な名前ではたとえ株式会社MIXIが運営していても直ちに招待リンクを踏んでもらえそうな信頼は得られない。mixi2というミームじみた名称のみが権威と刷新の両方を宣伝せしめられるのだ。
もはやmixi2(ツー)とか言っている場合ではない。特に僕のような分散主義者は――彼らのしたたかな計算高さに恐れ慄くべきである。もしかしたら本当にやってのけるかもしれない。どんなに気高くても、どんなに楽しげでも、どんなに資本があっても今まで成しえていないXからの民族大移動を、mixi2だけが実現してしまうかもしれない。現に僕の周りでは誰も彼も我先にとmixi2のアカウントを作りはじめている。
もし万が一そうなった場合に、僕は一体どういう態度をとるべきなのだろう。イーロン・マスクに支配されかけていた言論プラットフォームが、ひとまずは自国のもとに取り戻せたことを喜ぶべきなのか? それとも国内と海の向こうで言論の場が断絶してしまったことを憂うべきなのか? あるいはやはり、依然として中央集権型のSNSが覇権を握ったことを嘆くべきなのか?
かつてない速度で押し迫ってきた懐かしくも疎ましい、馴染み深くも疑わしい、古くも新しいこのプラットフォームの登場に、どう対応したらいいのか僕自身もよく分からないでいる。